(祈りの)一千万字

ウクライナの戦争

せつない夜は熊を抱いて眠る。カレーの晩はつい3合炊いてしまう。食べきれないと分かっている。家族3人だが一人1合食べるかというとそんなことはなく。子供は4歳児でまだ食量は半人前だし妻はお腹が苦しいのでそんなに食べない。だがそんなことどうでもいい。それよりピルクルの話をしたほうがいい。36色粘土を某国からみやげにもたされた。お前の国にはなんでもあると聞いているけどこれだけはないであろう、といって持たされたたのだ、その国の、そのおみやげをもたせてくれた人は、何しろ粘土でいろいろなものをこしらえるのが好きな人だからねえ。子供はさて日本へ帰ってきて早速それを開いた。さて、それでヰの一番に何を作るのか。お母さん、ピルクル色はどれかな、とお母さんに聞く。ピルクル色? ピルクル色で何するの? それはね、秘密だよ! そうして「ピルクル色」の粘土で何かをこねだした。私はしっている。ピルクル色とは、子供にとって、いわゆる、私の世代でいう「肌色」なのだ。今はポリティカル・コレクトネスの観点から赤人緑人いろいろいるなかでジャパン人の肌の色こそ肌色というわけでもないだろうということで、肌色を肌色と呼ぶことは廃したそうな、そういう背景をなんにも知らず、ただ子供は、私の肌の色にも妻の肌の色にも似ていないその色を、自分の知っているおいしい飲料の名で、「ピルクル色」と名付けたのだ。そのピルクル色の粘土で何かこねだした、ということは、私にはわかる、彼は人間を作るのである。しばらくして、子供、わたしはママを作っているんだよ、と(こねながら)自ら語るに落ちた。あれ、できてからのお楽しみなんじゃなかったっけ。覗いてみると、ほんとうに、4歳児だからへたっぴいですよ、でも、顔があり、黒い髪があり(妻は黒髪)、そして目口らしきものもある、それはママの顔。36色粘土を取り出して最初に作ったものがママ、ということに感動してしまった。私は旅から……私は暫く外国へ旅に出ていたのだが……悪いものを持ち帰ってきてしまったらしい。災厄だ、ごめんね日本の皆、こんなひどいものを持ってきた私って非国民だよね。そのひどいものの名は、どうやら、エコノミークラス症候群というらしい。これが伝染性の病でないことを願う。症状をいうね。片足の、人間に片足というなの足はない、ではよし、左足の、内くるぶしの周辺が、ぼわっと鬱血してパンパンに腫れあがっており、歩くと痛い、歩けないくらい痛い。で、左記症状の発現の過程は、飛行機乗る前はなんもなかった。飛行機のってるとき足ぶっけたりとかしてない。飛行機降りたら違和感あった(その後2日で歩けないくらいに悪化)。ということは、やはり、飛行機に乗るというその行為じたいが足を悪くする原因、てことは、やはり、エコノム症候群なのではないか。そう考えるのが自然、そうとしか考えられない。それで、ちょっと調べたら、このエコノム症候群というやつは、悪くすると、肺をつまらせて人を死なせるていの厄介病らしい。その筋の人はその現象を血栓が肺に「跳ぶ」と表現するらしいのだ(こわ)。私は調べた。俺、死ぬの、死なぬの、教えて、グーグル。したらグーグルは言った。「病院いけ。」それで私は、けれども私は、足のけがならふつうは外科だ、だが、調べていると、どうもエコノム症候群は、むしろ内科、つまり、循環器とか、そっち系の領分らしい。ふだん病気らしい病気をしない自分は三鷹市内の病院とかよく知らない。子供の病院と産婦人科はよく知ってるけど。それで、まずは三鷹市のなんや保健センターみたいなところに電話して、これこれの症状で、どうもエコノムSらしく思われるのですが、この場合何科にかかるのがいいのか、あと、自分は欲望にまみれた男性で、いやそれはいい、ともかく、具体的な病院名も案内してくれると非常に助かります。それで、電話口のそのいかにも親切そうな女の人は、あれこれスタッフとも相談してくれて、やはり内科にかかるがよい、ただし、必ずしもエコノムSとは限らない、内科でみてもらった結果、やはり外科に行ってねとなる可能性はある、そのときに、きみ、足が痛くて歩けないそうじゃないか、たらいまわしになるのも可哀そうだから、やはり最初から大きい病院にいってみてもらったほうがいい。ということで、三鷹中央病院というのと、野村病院というのを案内してくれた。「で、それら病院は、いろいろ聞いてすみませんが、何時までやっていますか」と聞くと、なんや、大きい病院は外来を閉めるのが早い、中央病院は5時までで、野村は4時半までだという。私は仕事が17時半までのシフトであった(テレワーク)。うーん、どうしたもんか。悩んだが、背に腹はかえられぬ、万一肺に「跳」ばれておっちんでは各所の人に寝ざめが悪いと思って、仕事を2時間早く切り上げて病院行くことにした。長く語るのはよそう。急に話は早まるが、エコノムじゃなかった。痛風だと言われた。痛風!かまいたちのあの背の高い方がようなってるというやつか!YouTubeで痛風先生というのを見てたので、私はその恐ろしさをよく知っていた。だが、不本意ではあった。痛風というのは芸能人とか派手で豪奢な生活をしている人の贅沢病というイメージがあった。お酒をがぶがぶ飲んで肉とか寿司とかいいものばっか食ってる人が若くしてなる、あるいは、より地味目の生活してる人が、よほどオッサンになってからなる。そういうイメージであった。こちとら、なんだろ、今年しじゅうのまぁいいオッサンではあるが、なんだろうな、別に酒だって、そんな飲まんよ。食なんか質素なもんよ。「尿酸値高いでしょ?」とか医者はいやなこと聞いてくる。知らねっての。そんなの一度も言われたことない。それで採血室で血液をとられて、私の貴重な血液だよ、それを検査されて、検査だって貴重よ、それで改めてさいぜんのドクトルに診察室へ呼ばれた。ドクトルと私と二人、各種の数値を一緒に眺めながら「あれ、尿酸値、ぜんぜん低いね」(でっしょー?)「なんだろうな。部位、腫れ方、痛みの出方、典型的な痛風だと思うんだけどな」。痛風らしい。でも尿酸値が低い。あと加えて怪しいのは、患部が明らかに内出血してる(痣になってる)こと。これも痛風に似つかわしいものではない。――結論。旅の一週間、ふだんと違う食生活を送った(具体的には、肉塊はじめ油分の多いものを馬食し、ワインを毎日昼から飲んだ)ことにより、急性かつ軽めの痛風が出た、ということに加えて、本人は覚えがないというが、やはりどっかで捻るかぶつけるかした。その複合が、今のあんたの左足首の状態であろう。対処法としては、腫れをおさえる薬を飲むか、それか、ほっとくか。こう医師が紺クルージョン緋クルージョンし、私は薬を謝絶し自然治癒で治す意向を伝えて、病院を辞した。よかった。でもなんかごめん。ごめん、私を信じた皆。私は自分のこの痛風いうのがなんか恥ずかしい。エコノミークラス症候群と、手足口病と、「玉ねぎ中毒」(某・漆原教授)を3つ並べて、だらだら書いていたのだが、全消しした。全消しもしつつの一千万字である。さて、私が旅から持ち帰ったのは、痛風だけではない。もうひとつ持ち帰っている。割れである。スマホの液晶が、バキバキというほどではないが、かなりいやな位置に、いやな感じで罅が入ってしまった。このグーグルピクセルというやつはつるつる滑る。なんの気なしにポケットから出して、テーブルの上に置いて、しばらく義父と会話してたら、がすんつって、あ・やべ、拾い上げたら、もう取り返しのつかないことになっていた。私はとてもかなしい気持ちになった……。かなしいって書くとかなしくなるね、今またかなしくなった。言霊ってありますやらね、餃子さん。だがこれもジョン太夫式開運法というやつで、このスマホの割れがあったからこそ、こたびの旅で私らは無事、盗んで帰ってこれたのかも知れない。と思うことにした。要するにスマホが割れない世界線では私らはミサイルをあびて死んでいて、でもスマホを落とした瞬間転轍成り、イスカンデルは撃墜され、私らは無事生還のルートに入ったと。ジョン太夫式開運法。ジョン太夫式開運法……。ところで。私が旅から一番持って帰ってきてはいけなかったものを、持って帰ってきたことにするなよ、私よ。妻のことを叶えられたるもの(take for granted)とすな。なるほど形式上、私は妻の大きめの願いを一つ、叶えてやったと言えるのかもしれない。だが妻にとってはかの地(かの風土、気候、人、言語)にいることこそ自然状態なのであって、私のがわの快適圏に繋留されてあることこそ、自然に反した無理な状態なのであるぞ。ここは異国だ、アウェイだ、根本的に毒の沼なのだ。私の愛と顧慮による中和をたえず必要とする。ひとつ貸しを作った? とんでもないことだ。ひとつ叶えた。ならますます愛せ! まして今、おもたいおなかなのだ、ユノアムセイン。ところで。今日またくるり「Smile」×映画「リバー、流れないでよ」コラボMV見た。これ見ると、そら映画本編も見たくなる。八神月じゃないが「また表紙に騙された」である。それはいい。そのSmileの歌詞に、僕は君のために生きる、というくだりがあって、私には、分からないなと思った。エレカシ宮本も「30代、愛する人のためのこの命だってことに(気づいたよ)」と歌ってるが、私には分からない。この歳になっても分からないことはある。私は妻のために愛と顧慮を尽くす。藪坂でない。だが、妻のために生きているわけではない。この命が妻のためにあるとまでも思っていない。妻もまさか私に対してそう思ってはいない。目指されるべき境地なのだろうか。咄嗟の瞬間に、私は身を挺して妻や子を守るであろう。だが、そのことが、私が妻や子のために生きたことを証明しはしない。世の中にさもふつうのように置かれている言葉の意味を私は理解していない、そういうことにときどき気づく。さて今日も書く。つーわけで今日は何やったっけ。今日はあれだ、トコヤ行った。美容院などというしゃらくさい言葉を男は使わない。トコヤだ、トコヤ、トコヤ行け。というわけで吉祥寺の某サロンへ、ホットペッパービューティーで予約して。そこでの会話の全記録:①すいません午前中子供とプール行ってそのあと時間なくてシャワー浴びれなくて髪の毛ごわごわです、先ワンシャンお願いします。美「いや、プール入ったなら塩素で消毒されてて逆にきれいでしょ、このままいきますよ」何「!?」②美「目ぇ悪いですか?」何「ええそらもう」美「プール入るときどうされてます?」何「どうって、ふつうに、裸眼ですけど」美「私も目ぇ悪くてねぇ、プールのときはコンタクトしてゴーグルビッチビチにしてます」何「それでも多少水入りませんか?」美「いやもうビッチビチにしますのでねぇ」③てか別に細かいもの見るわけでもないので良くないですか、裸眼でも?美「でも水の底に落ちてるものとか見たくないですか?」何「?そう…すねぇ?」美「まだ目が悪くなかったときねぇ、水の底の小石とか綺麗だったり、小魚とかいて楽しかったですよ」何「川……とかですか?」美「ええ、自分、エヒメなんで」④美「いや、日本酒、どうですかねぇ?梅錦?さぁ……自分高校出てすぐ上京してずっと東京ですから、お酒のことはなんとも。愛媛といえば、まず蜜柑でしょう、それから練り物ですねぇ、養殖が盛んに行われてますのででねぇ、じゃこ天て知ってますか、見た目さつま揚げが一番近いんですが、もっとサカナ感のある。あとは今治のタオルってのが有名ですねぇ。お客さんどちらですか?」何「宇宙外の、日本で唯一の宇宙外県なんですが、埼玉といいまして」美「埼玉って何があります?」ここで謝らなければならない、埼玉の読者たちよ。私は答えられなかった。今治のタオルに匹敵する何か埼玉のよきもの、を出そうとして、出なかったのだよ。”ふっかちゃん”を思い浮かべながら、長葱、とかありますけどね、とまず言った。それから色々思い浮かべた。五家寶。ゼリーフライ。みそポテト。どれも今治タオルを前におじけた。川越とか大宮のこともちょっと考えた。だがここらでタイムオーバー、「すいません、思い浮かびません」、申し訳ない、埼玉の皆。⑤美「五輪始まりましたね。見てますか/見ますか?」何「いや、うーん、見……ないですかねぇ。冬季だとフィギュアとかカーリングとか見たいやつあるんですけど、夏は特にこれといって」美「サッカーとかは?」何「うーん……選手もう分からないんで。選手分からないとあんま面白くなくないですか」かくいう私は実はこないだのユーロは見ていた。朝4時に起きて、前半中しかもビールを一本飲んで、そんで見終わってそのまま会社行ったりとかした。今度の五輪の唯一の私の関心事はウクライナの活躍だ。かの国への励ましになれかしとの思いから。その余のこと、日本がメダルを何枚取るだとかの話は、全くどうでもいい。露が(国として)不参加であることについては、私は、心情的には大いに賛成、理屈でいっても、十分正当化されうると思っている。露の国歌は美しい。特に日本人の琴線に触れる、泣きのあるメロディである。だけに、それが表彰台のバックに流れることは、毒である。双頭の鷲のきれいな方の首に人たちの注意を向けようとする露の術中である。露は可能なすべてのことを戦争マシーンの肥しにしようとする。では我々は、可能なすべての場所で露を徹底的に締め出すべきだ。ちなみに露は、自分とこで五輪今大会のテレビ放送をしない。この措置は1984年LA大会(ソ連がボイコット)以来という。40年に一度五輪テレビでやらないジンクス、定めし2064年大会で思い出されるであろう。2064年。俺はまだ生きてる。太郎は44歳、いいオッサンだ。そのころ世界はどうなってるかな?昨日は暑かったそうだ。栃木の佐野というところで41.0度を記録したという。私は日本最高気温記録保持のまち・熊谷の人間であり、その熊谷の記録というのは41.1度だから、佐野とかいう聞いたこともないとこによもや追い抜かれることがあってはと冷や冷やした。お陰で涼しく過ごせました。その熊谷も昨日は40.0度を記録して一応ここに熊谷ありというところを示した。先日お袋に電話した。某国への旅行から帰国してその翌日とかだ。ふだんはわりにまめに子供の写真とか送ってるので二週間ほど音沙汰なく心配してるかと。いつものことだが母は開口一番毎日暑いねぇと言った。「今年はどうなん、記録とか出してるん?」と私。「いやそんなに連日ニュースで熊谷の名が出るほどではないけど熊谷の暑さというのは(知ってると思うけど)その日その日の全国最高レベルの高気温が何日も何日も続くその持続力にこそ真骨頂があるのであって」ということだそうですよ、皆さん。都心プラス二、三度高いというのがコンスタントにずーっと続いて落ちない。だから今日は〇〇市で何度、△△市で何度でした!とその日の最高気温のまちを紹介する中によし熊谷の名がなくても、その日もきっと熊谷は暑い。そんな熊谷がしかも瞬間最大出力も持ち併せていることが記録上証明できている(げんに立派に日本の最高気温記録を保持してる)ことは、いっそ、有難い話だ。名も呼ばれず地味に日陰でずーっと暑いよりは、せめて、それで名が知られてよかった。熊谷といえば10人が9人「ああ、あの暑いとこ」という。少なくともそれで認知はされている。その点で、私は、同じく41.1度という記録で熊谷と並んでいる浜松のことは、認めたくない。だって浜松なんか大都市だし浜名湖あるし、「持ってる」街じゃん。そのうえ暑さでまで名を馳せようとはいけずうずうしい。その意味で、熊谷の真の友人は、多治見だけである(そうとう失礼なことを言ってるのは自覚)。昔バイトの先輩が多治見の人で、出身どこかと聞いたら岐阜の多治見と答えた、私間髪入れず、「自分、熊谷っす!」その一瞬で二人は分かり合えたのだ。浜松とこんな会話は成り立たない。私はスマホで何ブロを更新することを覚えた。先のオデッサ帰郷でやってみたら・できたので。やってみたら・できたことを人は自分のできることに数える、そうして年輪を自分で引く(俺は成長したぞ。と確認する)。これを私の生活に組み込む必要がある。私の意志は、ブログの継続である。ん。私は意志する、ブログを継続することを意志する。なんとなく、読んでくれる、たまに覗きに来てくれる、人がいる、ことを知っているので。あと、ウクライナについて、自分が何かしている、すっかりその関わりを放棄していない、ことを確認したいので。もちろん欺瞞である。「もちろん欺瞞である」と自認することが、そうと知りつつ行うことを肯定するわけでもなかろうが(と書くこともまた。以下無限)。ここまでをひとまずまとめる:私は、今や、スマホで何ブロを更新することができる。であれば、平日、かいしゃへの(かいしゃって何!)行き帰りの電車で、ブログを更新することができる。であれば、しろ。……俺は、以後、かいしゃへの行き帰りの電車で、毎日、何ブロを更新するのであった……。ここまでが小さいまとめ。最近あったことをしるす。まず、私のルーツを知るティーンエイジャーというのに会ってきた。これ妙な話なんだぜ。場所は品川であった。「あなたのルーツを教えてあげる。ティーンエイジャー」とのみ書かれた紙切れをわたしが実父から受け取ったのは先月のことだ。行って来い、かれは知っている、場所は品川。そう耳打ちして父は立ち去った、その背中には「珍」一文字。品川というところは初めて行きましたが大きな街ですね。品川が品川として「街」であるという言い方がそもそも違うのだろうか。それでつばめKITCHENアトレ品川店というところへ入ってハンバーグを食べ、二人で5350円した。私は私のルーツについて教えてもらうがわなので当然食事代は私がもった。相手がティーンエイジャーであればなおさらである。だらだら書いても仕方ない、結論をいうと、私の父方の血は、久留米の、わりと由緒ある武家の家らしい。へー、である。自分の骨身の下らなさから、当然この何丘の血はうちの猫児たちと同じく困民と雑民と問題民の雑血だと思っていた。富山の母方のほうはたぶん事実そうなのである。でも父方の方は、聞けば聞くほど、たいそうな家なのであった。へー、この何丘がねえ! そのティーンエイジャーというのはそういうことを調べるのが好きな人で、なんでも私のじいさんのじいさんの兄弟の孫の孫、要は、互いのじいさんのじいさんの親父という一点でかろうじて繋がっている遠い親戚なのだ。いったんここまで。▼晩飯を食した。ぐずぐず食べ進まん子とそのことでけんかした。私が叱ったというよりけんかしたという感じである。岸はすでに遠くない。予定キャンセラー子。この文字列の意味は、予定キャンセラーは子の二つめの名である。という意味である。子は親が苦労して建てた予定の塔をこともなげに倒す。今日もそれが行われた。子はオデッサ帰郷以来宿便である。枕が変わると寝られないというのがあるが子は便座が変わると通じが通じないという体質というか気質で、たぶんうんちはトイレでするもの。という内的禁圧が非常に強い、まじめな性格ゆえである、その禁圧の形成について、トイレというものを無意識に「うちのトイレ」というふうに限定して設定してしまっていて、それで外でうんこをしない。それでいうと慣れ親しんだはずのダーチャのトイレも今や「外」と認識されているか、すすんで座りたがらない。それでもついには出すもの必ず出すのであるが、可能なぎりぎりまで抑圧する。それで三日便宿す(ミッカ・ベンヤドス)を常の習いとしてしまった。帰ってきてもう2週間だがそのリズムで便波(ベンナミ)の寄せが間遠になっている。困ったことだ。それで今日がその3日目で、明らかに腹パンパンで食事も進まないし、機嫌も悪いしでめちゃくちゃだ。先ほど食卓でけんかしたのもそれであるし、今日は本当は調布の飛行場に行って夕日を見る(あんたとダンスしたいよ、chelmicoのMVに出てくる丘)予定だったのだが、子の便波の到来を待ってちょっとでも波がきたらすぐ便座に座らせる。というミッションのために、このよき夕べをただ家に座して過ごすことになった。先ほどここまで書き進める途中で何か言おうと思ったが何であろう。思い出した。新しい学校のリーダーズのキャンペーンで「学校でウンコ、恥ずかしくない。」という動画のシリーズがある。だが学校でウンコするのが恥ずかしいというのは貴ぶべき繊細さである。私は祝福したい。学校でウンコするのが恥ずかしい人、会社でウンコするのが恥ずかしい人、The world is yours. SUZUKAに恥ずかしくないよと言われて、恥ずかしくなくなりました、やってみたら・できましたといって、一人また一人と、あちらがわに渡っていくときに、いつまでもこちら岸にとどまって、なんといわれたって、恥ずかしいものは恥ずかしいんじゃいといって、頑なに片苦難を貫いている人、もういちど、The world is yours. あなたは学校のリーダーじゃないかもしれない、でも、世界はあなたのものだ。ところで。私はこのように、書きながら、chelmicoとか新しい学校とか、「青野くんに触りたいから死にたい」とか(男はウンコ漏らしてからが一人前、との大名言あり)、いろんなところから引用し、またいろんなことへ言及をする。本来べつにそんなことしないだっていい。それをしすぎるために私の文章はふらふらして論旨が分かりにくくなる。そのドライヴ感を楽しんでほしい、と言いたいところだが。この特にサブカルへの引用・言及には戦略性というか狙いがなくもなくて、まぁ、言ってしまえば読んでる人への媚びである。読んでる人にはいろいろな人がいる。あれが好きな人もあればこれが好きな人もある。そのどれかが私の趣味にも当たっているということは普通にあり得る。私がこれが好きといって出したものの名がたまたま読者に既知で、たまたま読者にも好ましいものであれば、読者としては嬉しいに違いない。私が好きなこれ、何丘さんも好きなんだあ、と知ったら、嬉しいに違いない。そう思って、連想とか着想は、隠さない、むしろ積極的に出していくことにしている。読者との接点を多く設ける下心。あるいは、別の説明も可能で、私はいわゆる肺カルチャー鰓カルチャーをミックスするのが好きである。詩語と卑俗を練り混ぜて文体となす、これは多分、西脇順三郎とか入沢康夫からの影響を受けての趣味。はたち前後の言語形成期における現代詩の耽読は私の言語叢を決定的に変色さした。あるいは単なる無手勝流である。思いついたことを思いついたそばから書いていってる、ゆえに記述がふらふらする、それだけ。わたしの世界史との接触は2001年9月米国の同時多発テロであった。人は年少時に世界史との接触を経験すると雑駁に規定す。半径数mをこえた歴史的現在の触知、某漫画ふうにいえば、念で包まれた拳で打たれて無理矢理チャクラを開かせられる。私はテレビで目睹した︰世界貿易センタービルに真横から航空機が突っ込む白昼、夢幻の劇。テロという語のおそらくこれが我が人生における初出である。以来当然に恐怖され憎悪され克服されるべきものとして紙上また画面の中で際会してきたテロ。ところで。ここにロシアという国?がある。そのウクライナにおける「軍事行動」では、わたしが少時より「テロ」の名で紹介されてきたものとそっくり似た光景を、たびたび目にしてきた。ミサイルはその速力と搭載した炸薬のエネルギーからほとんど大型旅客機である。あなたの住む街の、市役所ないし県庁に、それで風穴を開ける。あなたのお使いの駅を粉微塵にする。あなたの生活に電気を供える発電所を半永久的に沈黙させる。この理不尽な強襲と破壊を執拗に執拗に繰り返す主体は、わたしの言葉の理解によれば、もはや国家ではない。テロ組織と呼んだほうがよほど相応う。「プーチンのロシアはもはや国家ではない、テロ組織である」。露の軍がウクライナの平和な都市村落にもたらす被害を目にするにつけ、この思いは募り、今や揺るぎない確信へと育っている(今般の人質外交でまた補強)。なるほど露は外交や経世済民の真似事もする。人間が多面的であるように国家もまた千手百面もつ。果ては人道支援なるに手を染め、あまつさえ日本で露文化フェスティバルなど開く。だが私は言う。ウクライナに対しあのようなことをしている団体が、一方ではいっぱし国家であるなどということはできない。テロ組織とて外交もする。露のする対外経済活動はテロ遂行のための資金集めであり、露のする対外文化活動はテロ組織のイメージ洗浄、PRである。武隈さんが言った、「戦争をはじめた国は、その時もう死んでいるのだ」との言葉に深く共感する。ロシアという国は存在しない。地図に見えるは世界最大の領土をもち膨大な核兵器で武装したテロ組織である。露のとるあらゆるジェスチャーを、「テロ組織がそれをやっている」という相で眺めるべきだ。いったんここまで、朝の電車にて。▼さてそれから茶色い8時間があり、いま帰りの電車である。また書く。今日は儲かりの少ない日であった。儲かり、儲け、とはなにか。たとえば別の日、鯨の胃袋と号する鯨料理の専門店があるを知った、これがひとつの儲けである。また別の日、昼休みの日比谷公園で、どこぞの課長ふうの人が一人でトランペットを練習していて(そう遠目に見えた)、休み時間に黒い楽器ケース持って職場を出て日比谷公園で30分やそこらトランペットの練習をしている課長、というキャラクターを想った、またひとつ儲け。あるいは、これは昨日だが、帰りの電車で乗り合わせた若い、オフィスで働くようなかっこうをした女の人が、本を読んでいて、わたしはひとが読んでいる本が気になるたち、ちらり覗いたら、それは「星と星座」という題の図版豊富な本であった。これも儲け。そういう意味の儲けは、思い出しても、なかったような気がする今日だ。早乙女乱馬ならこう言っただろう。…何と言ったであろう? それはさて。朝の電車で露がテロ組織であることについていまさらのことつら書いたが、書きながら、念頭に置いていた着地点は、イランのことだった。イランのこと書きたくて露のこと書いていた。イランのことが気になっている。イスラエルはもちろんやり過ぎた。わたしが露に対すると同じ呵責なさでイスラエルを筆誅しないこと、これすでにダブルスタンダードだろうか? 役割分担つうものがあり、わたしの仕事はウクライナのこと語ること、ガザやイスラエルや中東のことはまたそれを語るべき人が語るに任せたいのだが。あるいは、また別の種類の(逆サイドの)ダブルスタンダードもあり。わたしは、ウクライナ軍の攻撃によってウクライナと隣接する露の諸都市のインフラが損傷したり一般市民に死傷者が出るなどすると、いつも、一体誰が始めたことなんだ、露だ、このすべては露が始めたことだ、対称的な被害が出た場合には、責められるのは先に始めた側であろう、といって、もしかしたらこれは肯定できないことなのかも知れないというクリティカルな問から逃避する。だが今次の中東紛争についてはどうであろう。直接的には、始めたのはハマスの側である。なるほどハマスのテロはそれとして許されるべきではなかった。だがもうその許せなさはとうに忘れてしまっている。その後のあまりに均衡を失した猛烈な破壊と殺戮に、もはやイスラエルへの嫌悪と、これを制し得ぬ米欧への絶望しか感じない。さてでは、イランが出てくる。トルコすら出てくるかも知れない。私はこれをどう思ったらいい。交渉でイスラエルは止まらない。イスラエルはもう暴力でしか止まらない(こうよく露に対して言う)。ではどうだ。私はイランが用いる(用いるとして)対抗的暴力を肯定しなければならないか。ところで。そのイランはイスラエルの攻撃に備えて露から防空システムの供与を受けようとしているそうだ。これはまた私として複雑である。まず思ったのは「すわ世界大戦」。構図は単純で、露とイランの枢軸(どうしてもそういう言い方になる)対ユダヤ=アングロサクソン同盟。ユーラシア大陸は火と血で赤く染まり、この二年半のウ露の局地的戦争が牧歌として懐古される。次に思ったのは、これはかなしき私のさが、露がつらいときシャヘドくれた友達をほっておけなくてなけなしの防空システムをイランに割き与えることで、ウクライナの露に対する戦果が加速するかもしれない(つまり、これは結構なことかも知れない)と。私がこんなブログ活動をやってることを人づてに知った私の旧友が心配して連絡を寄越した。どうしたお前。戦争とかいうやつやなかったやんか。戦争戦争いうことで、お前が戦争を招き寄せているんだ。どうしたお前!お前、光のがわの人だったでわないか!スヌープ・ドッグが楽しそうで何よりだ。あのように人生を謳歌しねばならぬ。あなたの今日はどんなだったですか。家に帰ると子どもが待ってる。子はわたしが帰るととびついて今日一日あったことを私に話そうと一生懸命になる。いちど、わたしが帰っても子供が出てこないことがあった。おかしいな私が帰ってきたのに何故子供が出てこない。訝しみつつ居間の戸くぐればそこで子が映像を見ていた。うちは教育方針で基本的に子供に映像を見せない。だけにたまに見せると忘我で見入る。そのとき妻は自分が台所仕事するため子に何かソビエトアニメかなんか見せていた。こども、わたし、帰ったんだけど。「(私のほう見もせず。心、ここにあらずな感じで)うん…」あのね、わたし、か・え・ったんだけど。「(画面から目を離さず。汝、わが民にあらずな感じで)おかえり…」。わたしは妻に、わたしが帰宅するタイミングで子にアニメを見せることを厳禁した。ビートルズに「家に帰れば(When I get home)」という曲があるが、私は玄関で子が私を出迎えてくれるその瞬間を夢見て駅から走って帰るのである。その楽しみをアニメごときに奪われたくない。わたしの想像は飛躍する。もっとクルーシャルな場面、たとえば、わたしが出張で一週間不在にする、私は太郎に乾く、太郎は太郎で私に乾く、だが帰還のとき、私の帰還のまさにその瞬間を狙って、子にアニメを見せれば、子は可哀そうに、アニメを見やめられないだろう。わたしが露政権に不当に拘束されたカラームルザーで、オムスクの監獄で25キロ痩せて2年半越し帰ってきたのであっても、その瞬間を狙って子に味のこい楽しみを与えれば、同じことであろう。愛とは? 教えてくれ、人間がそのようなものであるときに、愛とは。私が死ぬ日も子供はソシャゲでログインボーナスをとるであろう。愛とは? 私は少時人間の可能のvastなるに震撼。「嵐が丘」のキャサリンみたいに、愛と愛とで心が引き裂かれ命まで引き裂かれて本当に死んでしまうということが私にはない、なんでか。私が日本人だからか。私が現代人だからか。私がポルノ中毒だからか。私がルサフォブだからか。私が……私が、イソップ寓話「よくばりな犬」みたいに、ある日心をたずさえて歩いていたら、鏡に映ったそいつの持ってる心がうらやましくなって、それ、ほらそれよこせよぼら(鯔)ぁ!と叫んだら、その瞬間、持ってた私のたったひとつの心をお池に落として失くしてしまった、からか。そういうことならたしかにわが人生に出来(しゅったい)したが。土日月と実家に帰っていた。このブログはあるときまで匿名で気楽にやってたのだがなし崩しに自己開示してしまって今やわたしの本名が花田房繁であることまで半ば秘密でない。熊谷だ。そのわたしの実家というのは埼玉の熊谷。なんーにもしない、帰省であった。暑くて外に出らん。わたしは熊谷に帰ったときだけ暑いという泣訴を解禁する。熊谷でない場所で体感するあらゆる暑さを(仮令アリゾナの砂漠でも)熊谷はこんなもんじゃねえゾ!といって我慢する。そんなわたしも熊谷でだけは素直にいう、暑い。「暑い。当然の権利やし」。いわば暑いとき暑いと言う、という基本的人権をわたしは普段(熊谷にいないとき)自ら一時停止している。それがはたから見て取れる人には見て取れるらしく「なんかあの人の人権、完全じゃない氣がする…」そのように指さされたこと5回7回。何ーにもしない、帰省であった。しいて言えば、テレビを見て…いた?五輪を見た。ブレイクダンス女子で小魚(あみ)という人が金メダルをとった、その準決と決勝を見た。あと、ボルダリングの女子を見た。こういう競技があるのか、また、こういう競技がどうして競技として成り立つのか、という興味と、あとは、スポーツ選手の身体能力への驚嘆。それなりに楽しく見た。飛び込みで水曜日という名前のウクライナ人が飛び込んでいて、珍名五輪~♪とはしゃいでいた。そのくらいだ。スヌープドッグが楽しそうで何より。日本人がメダルをとるかどうか、また合計で何枚とったかということに一ミリも興味が湧かない自分に安心する。というのはふつうに嘘かな。小魚が金か銀かという判定のとき(再放送だったが)ふつうに小魚とるといいなと応援していたから。わたしは非国民をやれているだろうか。心配だ。わたしは非国民をつらぬくというあいつとの約束。つい国民やってしまう。ウクライナについて色々いうから政治的なことにうるさい人なのかと思うかも知れないが何丘サン日本の社会とか政治とかにはとんと興味も感覚もない(から、それについて語る資格を覚えない)。だが、たまに、これは違うだろう、と言いたくなることはある。直近2件ありまして、まず長崎市長という人が、その人となり、どんな人なのかは知りませんよ、だが、平和祈念式典にイスラエルを招かないという決定をしておいて、いざそれを受けて米欧6か国代表が不参加となると、それ(イスラエルを招かなかったこと)は「政治的決定ではなかった」、それはないだろう。非核の訴え、それそも、政治的でなくて何。非核とは何、それ、無辜の虐殺、ひいては戦争、の否定でなくて何。では、胸張ってこう言えよ:イスラエルと露を同列に置くわけではない、が、イスラエルの過当な破壊と殺戮、これはこれで許されぬ、非核の精神から訴える、イスラエルよガザ空爆をやめよ。これに不同意で不参加の国は、その行為について、歴史の審判を待つがよいと。胸張って言え!政治的決定であったと! と、もう1件。地震は起きるのだろうかい。南海トラフのことだよ。だが岸田は、予定されていた中央アジア歴訪に、行くべきであったろうと私は思うよ。災害の際のリーダーの初動と対応を日本人は実に厳しく見る。それを知っていればこそ、模範的な・非の打ちどころのない対応をとる(そして政権を浮揚さす)ために、岸田は「万全を期す」ことにしたのだと思う。要は、内向き。天秤の一方の皿には外交的得点、他方の皿には内政的失点。で、後者を重んじたと。これ守りでなくて何。中露の裏庭に「法の支配」という聖剣を突き立てるのではなかったの!露ザハロワが日本は数十年にわたる露と中央アジアの関係に楔を打ち込もうと不逞な企図をといって牽制球を投げた、それすなわち、日本の中央アジア訪問は、露としてやってほしくないことであった。なら、それをやるべきであったに!今度のはアスタナ(カザフ)でたまたま中央アジア五か国のサミットが行われる、それに便乗して「中央アジア+日本」サミットも併催という構図だったから、この機を逃したら次いつ5か国一堂に会す現場に際会できるか。逃した魚は大きい。私はこの国の宰相が情けない。やばすぎる。源氏54帖は400字詰め原稿用紙で240枚、即ち、96万字。源氏でやっと100万!それを俺は、1000万字かくという。そうしてはじめてウクライナの平和という事象が地球上に召喚されるのだという、数の神のみはからいにより。無理やん!!!書き始めが7月23日だそうだから、もう1か月近くたっている。それでやっと1万数千字しか書いていないのだ。めっちゃ加速しないとやばい、やばい、ウクライナに平和がこない!(何なの、それ?……)さて、8月ジャーナリズムという言葉があるそうだが、朝日の一面もここ数日ずっと戦後何年平和への誓いそして全然平和じゃない現在世界、という話題で持ち切りだった。先日ママ友と(違うか、そうすると、私もママということになってしまうのか。その人はママで、私はパパであるが、オヤ友?とでも言えばいいか)要はうちの太郎が仲良くしているピコリちゃんとそのママとあと私と太郎でブルーベリー狩りを楽しんだのだが、戦争の話になって、というのは、まぁ私がオデッサに帰った話をしたら、どうだった、気持ちよく過ごせた?と聞かれて、まぁまぁまぁ、まぁまぁまぁ、なんとまぁ申しませうや、そうですね、「ある種の音」はやっぱり聞こえてきますが。みたいな答え方をした。それをその人は「銃声」と解した。そうなんだね、オデッサとかでも、やっぱり、銃声とか聞こえてくるんだね……。どういうんだろう。市街戦が行われている、という理解なのだろうか。それってつまり、露兵が、オデッサに入り込んでいるということ?少なくとも破壊工作員の侵入とその排除がわりと日常的に行われている、というイメージか。事実は全然そうではない、ということは、何ブロ読者には説明のまでもないだろう。それで気づいたんだが、私は、あまりに認識が違う人には、あまり説明をする気力がわかない。まぁいいや、そんならそれで、と思って、退潮しちゃう。私は義兄との対話で、義父母はともかく、義兄に対しては、議論をしてもよかった、私の思いのたけをぶつけてもよかった、なんで私は聞いてばっかりだったろう、というのが心の傷として残っている。それを、私は、ロシア語だったから言えなかったのかな(がんばればつまづきながらでも何でも言える程度の語学力はあるはずだが、やはり、母語よりはよほど気骨の折れることではある)というふうに結論していたのだが、こんど、なんや、俺、日本語でもこういうとき議論とかせんやんな、要は俺が、そういうネイチャーなのか、と改めて認識した。話が前後するが、ブルーベリー狩りのとき、戦争の話をしたというのは、まだ続きがあって、というかむしろこのオデッサの話を皮切りにその本篇が始まったのであって。その人(ピコリちゃんのママ。かずよさん)がこんなことを言ったのだ。「あのさあ、私たちの子供のときって、まだ戦争の話をするおじいちゃんとかおばあちゃんとか、いたじゃん。それで、戦争ってのは絶対にしちゃいけないことなんだ、本当によくないことなんだって、そういう教育が、もう骨身にしみてるじゃん。でもさ、ぴこりとか、わだくんちの太郎くんとかさ、もうさ、どうなんだろうと思って。いないわけじゃん、そういう語り部が。そうしたらこの子たちの、戦争教育っていうかさ、戦争は絶対しちゃいけないことなんだって、どうやってこの子たちは分かったらいいんだろう」続けて「こないださ、戦争世代のおじいちゃんの話をきくっていうイベントがあって、子供連れて行ったんだけどさ、そういうおじいちゃんって、戦争のとき中学生とかじゃん。それって、まだ子供じゃん。私たちのときみたいに、もう大人だった人たちがする話とは、やっぱり違うわけじゃん。そういう(当時中学生だった)人たちすら、もう90とかだから、そのうちいなくなっちゃうわけでしょ」……。私は、ここでも、認識というか感覚の、はるかな懸隔を看取して、それで自分の考えをわーっと述べたり、議論したりするかわりに、しずかに退潮してしまった。まぁまぁそうねぇそうだよねぇ……と超曖昧に相槌うって。卑怯なやつだね。筆弁慶とはこういうやつのこと。私は、全然かんかくが違う。戦争の話なんか子供に聞かせたいと思わない。だって戦争は、遠い過去のことじゃなくて、今ここに、あるのだもの。今日も、この今も、沸騰している。それはあまりに厭わしく、子供には、戦争のせの字だって触らせたくない。戦争教育? 私は戦争というものがあるということ、人間が人間を殺すことがあるということ、そんなおぞましいことを子供が知る日が、一日でも遅くあってほしい。というのも、知っているから。そのうちいやでも知ることになると。ウクライナという太郎の出自。いつか必ず知ることになる。自分のうまれた国に何があったか。その国は人たちからどのように認識されている国であるか(その名をきいた人たちにどのような連想を引き起こすものであるか)。太郎が、その2歳半の冬に、何を体験したのであるか。その後2回のオデッサ帰省が、どういう状況で行われたのであるかを。猫。猫は元気かなぁ。わたしの猫は元気でいるだろうか……。ジブリ映画、ね、うちは三鷹なので、三鷹の森ジブリ美術館というのが近くにある。市民枠でチケットを容易に買えるので、また井の頭公園というのはバリチャリ圏内であり、もうなんべんも行っておる。ジブリ美の屋上には「ラピュタ」のロボット兵が立っている。だから子は、早くから、そういう作品が存することは知っていた。でも「ちょっと複雑で、ちょっと怖い話だから、もう少し大きくなったら見ようね」と話していた。太郎は今のところトトロとキキとポニョだけしってる。トトロとキキは、大好きさ。それで、だけど、うちの実家には私が子供のころ読んだ大判のラピュタ本があり、これは、アニメ映画から場面場面の絵を切り出して、はっつけて、簡略化したテクストを添えた絵本なのだが、アニメ本編は見せないにしても、これを一緒に読むくらいならいいのかなと思って、先日帰省の際に読んでみた。したら、ムスカのあれで、軍隊とか、兵器とか、要塞とか、そういう言葉がいろいろ出てきて、あーあ、こんな話か、読んでて自分で不快感というか、やっぱ違うなと思って、一回読んでもう仕舞った。当分出さない。あーあ。奈倉有里とその弟で「同志少女よ、敵を撃て」の逢坂冬馬の『文学キョーダイ‼』て対談本、あの弟氏みたいな兵器への興味とか、子供に持ってほしくない。兵器はおぞましいものだが、一面、美しくもある、蠱惑的でもある、いやいや、兵器とは、おぞましく、おぞましくて、おぞましいものだ。「兵器の名前は覚えられない、覚えることを脳が拒む」という姉氏のほうをよほど好ましく思った。覚えなくていい。知らなくていい。世界よ、子供に、覚えること、知ることを、強いるような世界であるな。そうであることをやめてくれ。▼朝の20分が掌の内にある。この時間で何か書こうか。戦争ニュースは別にして、あまりアクチュアルなことは書きたがらない。昨日今日あったことをブログですぐ報告するのは好むところではない。相当期間寝かしてからやっと書く。寝かしてるうちについにすっかりその気を失って全く書かないこともある。この性向はなんだろう。ブログの神様の教え、ブログ教の戒律に反するような気がするのだ、あまり自分の中でホットな話題を取り上げるのは。それは日記のしごとじゃないかと思う。ああ、要は、それがホットであるうちは、自分で独占しておきたいのか。少し自分のおもちゃとして魅力がなくなってきたときにようやく人に貸し出せるようになる? いやいや、ことは逆だぞ。ホットだからこそそれについて語ることも楽しいのに、それを倫理で敢えて禁圧しているかのようだ。倫理、どこにそんな倫理が? なんだろうな、昨日あったことを今日すぐ書きたがらないというのは。寝かすと発酵してよりよく美味しくなる、というものでもない。発酵どころか、ただ細部を忘れて記述が精彩を欠くようになるばかりである。それ(撮って出し)をやりはじめるとそれこそ私生活の切り売り、魂を削り取られてぼろかすになる、とでも思っているのか。というわけで、昨日の朝の保育参加のことも、昨日の夜ジョニーとあって話したことも、書きゃいい、読んでそれなりに面白く、少なくも自分で語っていて楽しい(ホットなので)だろうに、ついに書こうとはしない私だ。(わかったぞ。この秘密めかし、ミスティフィカシオンは、自分の生に豊かな生があることを、他人にも想像させ、自分でも幻想し続けるための、技巧なのだ。ありのままを描き出していくといつか必ず、憐れむべき、貧弱な生!という認識の壁にぶつかるから、だから、自分には語ることがあるんだぞあるんだぞという念を、抱懐して、自己をぬくめていたいのだ。持たざる者の、いじましき技巧!)(あとは、この貧弱な生に生起した、せっかくの珍事なのだから、なるべくは、よいコンディションのときに書きたい。この朝の、時間を気にしながらというのでなく、行き帰りの電車でもなく、また、子がお父ちゃんお父ちゃんとうるさく話しかけてくる中でなく、たっぷり余裕があるときに、1時間もかけて語りたいと思うから、後回し後回しにして、けっきょくはアクチュアリティをすっかり喪失するまで語る機会を得ない、ということも多々)誰も読んでない、という気楽さがある。今日など20人しかこの記事を訪れていない。戦争記事の方はこの10倍人が来ている。まつりのうら。いっそ気楽である。疲れている。本当は戦争記事の方を更新するのが本筋なのだがその気力がない。もっと本当をいうとブログの更新じたいをさぼりたい。いや、さぼったらよろしい。誰に頼まれたことでもあるまい。だが痒くなってくるのである、心のあそこが。心のあそこに疥癬が、ひろがるのよ、この見ているだけで痒くなる二文字。さてなにをかこう。(私はぱなを見上げた……。)見たいと思ってる映画がふたつある。ダリのやつと、箱男。ダリのやつというのは、ダリは甲殻類が無類に好きなガイで、海老だの蟹だの、そういうのをでこぼこ盛り立てて食卓を賑わしていた。アメリカに渡ってからの話だ。それでインタビュアーが「これもあなたの胎内回帰願望の一つの表れですか?」と聞いたらダリは憤慨して、このサルヴァドール・ダリに向かってなんと無礼千万な、「Yes,Yes,Yes!」「Yes,Yes,Yes!」「Yes,Yes,Yes! 然り、私の胎内回帰願望の表れだよ。」と答えたということだ。――そんな話。もうひとつの箱男というのは、言わずと知れた安部公房で、むろん私は読んでいる、だが妻は読んでないそうだ。安部公房の映画は妻とこれまでに古い砂の女と他人の顔(武満徹のワルツが素晴らしい)を見ていて、どちらも妻は予めロシア語で小説を読んだうえで臨んだ。今回もそうする。私はむろん読んでいる。私はたぶん新潮文庫になってる安部公房は全部読んだ。お気づきだろうか。自慢が始まったんである。自慢が始まったらそこで終了だ。おわりだよ、よいこのみんな、何丘が自慢をはじめたから、おわりだよ!(……私はぱなを見上げた……)行き帰りの電車でブログを更新するのはやめた・ジーナ・ロロブリジダと結婚する夢は消えた。それよりふつうに本を読んで過ごした方がいい。東浩紀の訂正する力といううっすい新書を一往復半で読了した。いろいろ思った。別にそれはこの本が優れて人に「考えさせる本」だからというのではない、こういうテーマであればどんな不出来な記述でも私に慢想は強いたであろう。なにから言おうか。私は大学人でない、ただの読書子である、だから理系とか実学の前に文系とか虚学の存在意義について論陣を張って自己弁護する内的必然がない。ゆえ、反証可能性対訂正可能性みたいな対比をうまいとも痒い所掻いてくれたとも何とも思わない。同様に、私は言論人でない、ただの言葉書きである、お望みなら便所の落書きともなんとも言え、だから、保守とリベラルの対比にも、全然興味がないし、リベラルの変革のための論理などに、ぬじゅだっつぁーしてない。つまり、……言葉が出てこない(ぱなを見上げた)……事欠いてはいない。だから、この本で東がやっきになって改革しようとしていることの大半が、自分には、全く関心の埒外であって、どでもよかった。「連絡も、ホチ。モジどり、どでもいい」。あーばー・どっほ、自己の生を織る体技としての訂正力とか、平和のための訂正力とか、そういう話については、むろん関心事であり、もの思いを惹起された。私は、それでいうと、訂正力に富むタイプだと思いました。また、この何丘ブログという落書き帳、何丘というアヴァターも、いわゆる「固有名」のもとに、ゆるゆる変身しながら継起的連続性を保っているなあと思って感慨。ことしの「夏休みの日記」を綴っているとき、つまりはオデッサ滞在中に、その存在その営みまたそれをやってる連中を見下げ果てているX(Twitter)にて、「ウクライナのことなんか自分には関係ない」とあえて書いてみた。このくらいは書いていいと思ったのだ。そのくらい、「何丘」は、それを信じる人には、ブランドだろうと思った。これがまさに、東のいう、「固有名をもつ」ということだろうと思った。……まだ書きたいが、まだいくらでも書けるが、妻がさっきから待ってるので、もうやめる。そろそろ太郎の誕生日が近いので、作戦会議をしなくちゃいけない。太郎はもう寝た。次郎ももう寝た。私と妻だけ起きていて。三鷹はぜんぶ寝た。たぶん私のことだから、尻切れトンボのまま、もう東本については二度と触れることがないだろう。だから総評だけ書いてしまうと、全然駄本だと思った、というのも、アイデアとして、全然だめだと思いました。不器用な語用、散漫な記述、危険で有害な思想。訂正という言葉がお気に召したんだろうが、明晰性の観点からも審美/ポエジイの観点からも全然感心しない。で、訂正という言葉をあえて漂白してみれば、人は自己の半生を・共同体は自己の閲歴をどのようにも再解釈するものだと当たり前のこと言ってるに過ぎず。露はこの再解釈が巧みである。私の知る露人のメンタリティにもこれがある。この錬金術の横行は平和を決定的に遠ざける。私はファクトとエビデンスへの立脚と、暗黒の記憶の絶対的不忘却、赦さぬと誓ったら絶対に赦さぬという堅信こそが、公正の樹立、すなわち平和の実現への王道だろうと思っている。「ウクライナ戦争を機に平和について考えることが増えた」結果、私はあんたと全然逆のことを思うようになったよ。私の本然は訂正的なんだけど。理想的な一日、を過ごしてみたいもんだと思う。うちの1秒だに怠惰に汚染されていない12時間なら12時間というものを。「おとうちゃん……、おとうちゃん、その”蟲”は何なの?きもい!こはい……。」ある日、子が、どこということなく、私の全体をさして、そう言ったとしたら、私はこたえよう、太郎、これは、これこそが、私の怠惰の蟲だよ。私が永年飼い慣らしているものだ。私の理想の一日で、私は、子供に限りなく向き合う。どこまでもしんめんもくに。瞳に愛の火もえる。私の愛、疲れない愛。疲れることなく私は遊ぶ、歌い、語り、面白い動きを次々に繰り出す。子供の笑い声。笑顔。楽しいなあ、楽しいなあ、お父ちゃんといると楽しいよ、お父ちゃん大好きだよ。また私の理想の一日、私は妻をエンターテインしてやまない。こちらは面白い動きでなく(大人なので)、面白い話の内容で。妻の心に近い言語であるロシア語でずっと語って疲れない。そうして妻を見る私の目には、も、やっぱり愛の火が燃えているのであってほしい。私のささやかな理想の一日。私は日課である一千万文字と戦争記事をきちんと更新する。その程度のこともしばしばできない。疲れすぎているのだ。疲れるほどのことをしているのだろうか。とんでもない。ただ私のベースの体力が乏しいだけだ。だが待て。私の理想の一日、どうして戦争記事を「更新」などする必要があるだろう。最後のニュースが伝えられてからもう何年も経っているのではなかったか?――いやいや、昨日も今日も、明日も明後日も、ニュースは出てくるのであった! それにしても、もはや戦争を所与としてしか一日を想像しえないとは。ニューノーマルとはよく言ったもの、俺のノーマルは21年12月くらいからもう3年、「ウクライナ戦争」の存続を前提にしている。戦車を愛してえよ、はは。俺が再び(あんなに好きだった)戦車を愛するようになるその日よ。子供がレゴでタンクを作る。タンクとは、ロシア語で、戦車のこと。ほら、タンクを作ったよ、ここから爆弾が出るんだよ。と無邪気にいう太郎。暗紫色なる嫌悪のむらくも背中ほどから群がり起こるが能面をまとってはいはい、そうかいとあしらう。私の理想の一日に、子はレゴで戦車など作らない。(違う!)私の理想の一日、私は子の戦車を愛す。一緒になって戦車を作り、戦わせて遊ぶ。(何か掴まるもの!何か掴まるもの!何か掴まるもの!)……今、何か聞こえたか? 松岡正剛が死んじゃった。そのプロダクトに色々楽しませてもらった。いろいろステキにトリッキーなしかけを仕掛けたが死ねば死んだとのみ書かれる。だいぶ前から強い仙人感を発していたのでいっそ千年生きた(編集の秘法にて!)というニュースで驚かせてほしかった、が、死んで、死んだとのみ書かれた。生きて、死んで、いまは鬼籍の、松岡正剛という名になった。思えば、私がじじくそになってくたばる前に、その過程で、あの人この人の、死に出会う。いつか必ず、吉増剛造が死んだというニュースに接しなければいけない。そのうち必ず、筒井康隆が死んだというニュースにも接する。冨樫義博が死んだというニュースにも、町田康が死んだというニュースにも、宮本浩次が死んだというニュースにも、必ず接しなければならないのである。何か掴まるもの。何か掴まるもの、何か掴まるもの。そうだ。VVP(露の首魁)が死んだというニュースにも、必ずといえば必ず、そうだね、本当に、いつか必ず接するのだ。うわあ思えば凄い。生は小出しに、しかし合計すればかなりたくさんの、死との出会いを用意する。……もう、寝ていいか。少しは、近づいたか。(友達のように話しかけちゃってごめんね、でも、)気づく? ……タイトルが変わったの、気づく? 当ブログのタイトル、昨日まで「何丘ブログ」だったのが、今、「令和の何丘」ブログになっている。牛乳のむ?(友達みたいに聞いちゃってごめんね、のみたいのかなと思って、つい、)少々考えあって、令和をもう少し前面に押し出していくことにした。令和ロマンっているじゃない。そのネーミングの厚顔無恥やら気宇壮大やらに感心した。正直、影響を受けた。私も令和を押し出していく。令和を打ち出す権利については、昭和終期の生まれでことししじゅうになる私も、バリ平成生まれで今年さんじゅうの高比良くるまも、全く平等である。どっちも令和の生まれでなく、どっちも令和の今に生きている。なら俺も名乗るぜ、令和を。令和の何丘。これでいく。俺の時代は令和だ。どうですか、これをお読みの皆さん? 皆さんは何の時代の者ですか。皆さんは何かの時代をレペゼンしたことがありますか? 私はない。人は一生に一度しか時代をレペゼンできない。その一度の選択権を、いま行使する。俺は昭和生まれの令和の者だ。このことの対岸にあるのは平成生まれの諸君である。君らはもう手遅れだ。おじさんおばさん世代から「平成生まれ!」と騒がれ、新人類みたいにちやほやされたんだろう。その経験が、きみを(きみの自意識を。きみの意志に反して)「平成の者」にしてしまったのだ。君はもう一生のうちに平成というひとつの時代をしっかりレペゼンしてしまったのだから今さら無理だよ!さらにも一つ、令和という時代までレペゼンしようだなんて(それはずるい)。私は昭和の生まれだが、長く続いた昭和の時代の終わりのころに生まれた私は、右を見ても左を向いても、昭和の人しかいなかった、昭和が当たり前の中で生きた。ことさら自分を昭和の人と思うことはなかった、むしろ「三丁目の夕日」的「昭和」には全く共鳴するものがない、古色蒼然として見える。平成の時代は「平成生まれ」と称する下らぬ一群に奪われてしまった。私は自分の時代をもったことがない。なら言えるはずだ、令和、それこそ私の時代であると。この話やめましょうか。つまらないよな、やめるよ。「少々考えがあって」令和を押し出すことにした、と冒頭かいた、その「考え」というのは、上記とは全く別のことである。が、もういい。あす、かはく行く。これもしゃらくさい言いざまだ、昔はこんな言い方はなかった。とうはく、もしゃらくさい。上野の東京国立博物館(とうはく)のことであり、国立科学博物館(かはく)のことである。うちのかはくに行く。こんどはふつうに常設狙いである。常設B2F「地球環境の変動と生物の進化」、この古生代のコーナーに直行する。子供がいまこの時代の生物にハマっている。恐竜(中生代)ブームが長く続いたが、最近はもっぱら古生代である。アノマロカリスとダンクルオステウスは昔からピンポイントに好きだったが、今は広くいろんな時代のいろんな生き物に興味ある。きっかけは『古生代水族館』という絵本。すばらしすぎる。わがやのブック・オブ・ザ・イヤー、絵本部門の筆頭候補。これで子も私も完全に古生代の生物に開眼した。今や子はオパビニアだのハルキゲニアだのウィワクシアだのカンブリア紀の生物をLEGOやNENDOで再現して飽きない。先カンブリア時代・エディアカラ生物群のディッキンソニアやキンベレラ、オルドビス紀のエンドケラスら頭足類(直角貝)、シルル紀のユーリプテルスらウミサソリ類など絵に描いて物語を創作して大興奮である。これは新しい・面白い方向性だ。伸ばしてやりたい。それで私はあいつさまを、明日かはくへ連れていく。楽しみどぇえっすss。近づいたか?▼ばかばかしく、ありえないことに、冗談にも本気で取り組んでみる、というのでなくば、この試みは一体何なのだ。これじゃ数字の神様も卒法を向く。気合が全く足りない。も少し苦しんで行えよ。ひぃこらひぃこら、辛い辛いと喘ぎながら、大石押して急坂登ってみよ。…というわけで、わたしは好きな読書をやめて、都心へ上り下りの車中、本記事を激綴りすることにした。少なくとも一週間。この一週間、毎日最低二千字かく。それができたら分度器を投げてソファにケツからどかりと倒れて少し呼吸もしよう。いま、8月26日、上りの車中である。月曜。何書こう。わたしは嘘をつく。前に戦車が好きだと書いたがもちろん嘘だ。人生で戦車が好きだったことなど一度もない。戦車を嫌悪するその理由さえ失いたいよということを強調するために昔好きだったものをまた好きになりたいという言葉のあやをあえて用いたまで。このくらいのウソは当ブログ中いたるところに落ちてる。今は謎に親切心に覚醒して自註したが基本は噓ついたあと嘘でしたと自白せず放置する。読書が好きというのも嘘っちゃ嘘だ。というか、適当。本読んでるのは自分の自然の状態であり心地よい、それは本当(嘘)。電車の中で本読んでる人を好ましく思う。わたしの隣に立っている課長ふうの男性。ほか、視界に、紙の本読んでる人なし。あと好きなのは、これは、それはどうなのと言われそうだが、電車の中でもの食べてる人。休日の秩父あたりを走ってる電車でなくて(それも好(ハオ)だが)、ふだんの、なんでもない電車で、なんか食ってる人。いいなあ、と思う。このまえ、車中じゃないが、地下鉄某ラインから某ラインへの乗り換え通路で、棒アイスたべてる俸給男性がいて、いいなぁ、と思った。※この、いいなぁ、というのは、いいなぁ、俺もアイス食べてえなぁ、のそれでない、その食べてる形姿というか行為そのものが、なんとなく好ましい感じであった、ということ。また別のとき。これはたぶん休日の空いた中央線だが、ホームで電車待ってたら、到着の電車から、サッカー部ふうの小学校高学年ふうが、袋ポテチをぼりぼり貪りながら降りてきて、うわ、いいなぁ!と思った。読書の話で言い忘れたが、歩きながら本読んでる人、好き。わたしもよく高円寺あたり本読みながら爆歩してたので、そかそか、おもしろいか、おもしろくてやめられないか、と実に好もしい。世の人は、たとえば自転車も、この本を読みなら歩いている人に対しては、限りなく優しくあってほしい。あと、これは既にここに書いたのだったか書いたけど没にしたのか忘れたが、電車の読書というのもなんでもいいわけでなくて、仕事の役に立つなんというのビジネス本とか読んでるのは、これはわたしのいう読書に入らない。で、何を読んでるのを見たらいちばん嬉しいかと考えて、若い人が、トニオ・クレーゲル読んでたら、もう慈愛の目で眺めてしまうであろう。きっと文学部の一年生で、この道にいままさに入門するところなのだ。あるいはFスキー白夜、ゲーテのウェルテル、マルケスのエレンディラ、中上の十九歳の地図、そういう、大作家の薄い本。でもトニオ・クレーゲルなんてのはまさに文学部の一年生でもないと読まなそうだらから、むぢなぁ!おじさんも同じ穴だよ!と抱きついてその頬べろべろ舐めたくなるであろう。四谷か。書いてると道中は短い、それは確か。きのうはまたジョニーのばかやろうのことで疲れた。学校行って三者面談。オヤじゃねえ。18・19などみな神童だ。その精神の絶頂で死んだ富永太郎だ。だが、かれが本物であることへの絶望、裏返せば、かれか偽物であることの確信が、その監督者に訪れるときがくる。荒廃した心象を得ている。ばかやろう。もう一人わたしは19歳を知っていてその人はれいのわたしのルーツを知る品川のぼうやだが、かれが本物であるか偽物であるかの判断はまだ保留している。わたし? わたし自身は、もちろん、偽物である。わたしが18・19のとき、わたしには確かに天才の芽があった。だがわたしはそれを育てなかったので、果たして自分ははじめから偽物であったということになった。だが、それがわたしの生であるからは、匹夫なら匹夫なり、しじゅうならしじゅうなりに、その時点・その地点から、輝きめざすしかない。匹夫-STAR.(これで何字、書いたのだ?)▼さて下りの電車。暗澹としている。ウクライナの電力施設がずたぼろにやられているらしい。詳細不明だがキエフはじめ15州に多種ミサイル・ドローンによる複合攻撃。わたしよ目を覚ませ。本当にお前というやつは何丘。呆れたやつだ、ここまで何もしないとは。もう何も待つな、今日から何かしろ。記事でも一つ立ち上げて、何もしなければ読者に対して恥ずいという状況を作り、自らを追い込め▽露の言い分はわかっている。クルスク州の「テロ行為」に対する報復というんだろう。露の狂ったロシア語文法によればウクライナ侵略戦争はSVOこと特別軍事作戦でありK州めぐる戦闘はATOこと対テロ作戦だそうだから。どうでもいい。N先生、俺はこんなこと知るためにロシア語習ったのでしょうか(泣けてくる)。俺のぼろぼろの研究社。ロシア研究の多くの先達たち。なるようになって、今は核武装した一人のテロリストとその一億人の忠僕たち。そうです、驚くでしょう、ロシアと呼ばれた国の、あれが成れの果てなのです▽そんな修羅みたわたしの帰りみちにちょっとだけいいこと。となりの人、百年の孤独よんでる。文庫。巻頭の相関図ちらちら参照しながら読み進めてる。萌え!▽ここ数日、就寝前に封神演義読んでた。ジャンプのアプリで44話無料キャンペーンやってたので(昨日まで)。滋味深い。十年ぶりか。太公望は待つ人。そりゃ千年の寿命が前提だもの、人間とは桁違いに待てる。ブキチが投獄されて、それを救けに現れるのだが、絵としての登場の何コマか前から、ホーホーふくろうの鳴きまねして、気づかれるのを待ってる。その悠長さに今更ながら微笑。せいはくこうきしょうとの邂逅もただ待つ(名場面!「釣れますか?」「大モノがかかったようだのう」背景の滝の表現が美麗。中国の雄大な自然、この背景画力こそ広大な天地乾坤を舞台にした大河ドラマのスケール感を演出している当のもの)唐突だがここで終わる。荻窪ついたのと、あと、電池きれそ▼おはよう。俺だ。のぼりの電車車中。昨日の経験でわかったことがある。俺は自分が電車で書くものが好かない。のぼりくだりでそれぞれ書いたものを夜自宅のパソコンで見返して内容的にくだらないのはいつものことして、文章がなってない、リズムがとれてない、と感じた。それが電車のせいなのかテーマ設定のせいなのか、電車であることがそのテーマ設定を強いた(だから結局は、電車のせいな)のか。という自註の入り方が、すでに、調子を失している気がする。パソコンだと、もう少し、書く前のプレ編集(プレ校正、検閲)が入る。書く前に、これは、いや、よしとこか、と思える。スマホ書きのほうが放恣に書いてしまう。ちなみに、フリック入力。入力自体は早い。だが変換が馬鹿すぎるので(ほうしと書いて、変換候補から放恣を見つけるまでの所要時間が、パソコン書きの時より格段に長い)ので、そのロスを取り返そうと逸って、フリック入力を特段に急ぐ心理がある(か)。もひとつ、昨日の経験でわかったことは、だが、このように行き帰りの電車を書くことに費やせば、なるほど、二千字は余裕である。わたしは嘱目のものからいくらでも言葉を紡いでいけるので(古舘伊知郎の書き言葉版と思ったらいい)紙とペン、ここではスマホ、1台あれば書ける量は無限である。(といって、書くことが涸渇したことに心づき、暫時スマホ持つ手をおろして、えーっと?と思い泥むのであった。)新宿。となりの女性、ごめんね見えるので、細胞が生き返る奇跡の脂食革命、か、ふ。ちなみにあしからず、私とて、書名は二重鍵でかこむ通則くらいは知ってるよ。それを外して地の文に埋め込んだりあえて著者名を示さないで破調を楽しんでいるだけ。わたしの破調好みを「間違いだらけ」「文章が下手」「小学校から出直してこい」とかくさされてもちと困る。わかってやってるのだもの。でもそんなこと言って、意図せずふつうに言葉を間違えてることもある(多い)のでそのときはめちゃめちゃ恥ずかしい。あとでそっと書き直したりしている。最近だと、本記事で、数日前の更新において、何か掴まるもの!何か掴まるもの!と連呼したことがあった。落っこちそうだったので、何か掴まるもの!と心の叫びだった。だが、初手、何か「捕まる」もの!と誤記していた。違和感は覚えたが、これでいい…よな?とそのまま更新(公開)してしまった。トリッキーなことをしている場面だったので、話芸で言えば絶対「噛みたく」ないところ、盛大に噛んでしまって、つまり誤字してしまっていて、はっず!と思い、すぐ直した。こういうことは随所でしている。ただ、断っておきたいのは、わたしの「手記」とか、歴史的現在からのナマの報告系の記事は、その資料的価値に鑑み、修正しない。げんに修正してないし、尊重すべき理由により例外的に修正をほどこしている場合は、どのような理由でどのような修正を施したかを別に明記している。それ以外は、故意の破調でない明らかな誤字脱字、事実誤認、エモくなりすぎているところなど、もろもろかっこ悪く恥ずかしく、修正したい箇所があっても、修正してない。ここはわたしの良心を信じてもらいたいところ。もうちょい書けるかな?今日はコンディション劣悪である。昨晩はジョニーに長文のメールを書いて、難しい内容なので誤解のないようにかつ互いの心に近い/より深く刺さるように日本語でまず書いてそれを大略ロシア語に訳して解釈に齟齬が生じた場合は日本語版が正などと条約みたいなかたちで送った。それにジョニーから渾身の返信があり、これで一件は落着した。わたしたちは彼を見限る。かれは四月にせっかく入った学校を(そのさいにはわたしも少なからぬ尽力をした、とは言わせてくれ)をやめ、私たち(私と妻)から見て下らない、かれの夢の実現に少なくとも捷径とはならない事業に手を染める。だがかれの人生だ。もう知らん、ボン・ヴォヤージュ。そんなこんなと、あと子供が例によって急に熱を出しまして、その看病やら、深夜の輾転反側やら、不眠であり、疲れている▽よう、俺だ。帰りの電車。急がないけど時間あるときやっといてと言われた恐ろしく気の乗らない仕事を放置の限界もう放置の限界と思って一日かけてやって、ほとんどそれのみに一日費やして、不出来だが、とにかくできたことにして、それを頼んだ人に送った。わたしの評価は下がるだろうな。だが評価を下げるという対価を支払ってでもこの億劫な仕事から解放されたかった。もういい。帰ってビールを飲もう。心のビールである。妻が妊娠してるので飲酒は控えている。週に2日、金曜と土曜の夜だけ飲んでいいことにしている。本当は毎日でも飲みたい。もっと本当は、酒など金輪際飲まなくてもいい。気持ちよく酔っ払うということが久しく無い。それでも飲むのだ、妙なものだね。わたしは日本酒が一番酔う体のようだ。でも千円以下の安いやつしか買わないから(ただし醸造用アルコールが入っていないものに限る)美味しいとか思うこともない。美味しくなく、酔いの効果も得られない。要するに不味い水である。臭くて不味くて健康に悪い水。それでも飲みたくなるのだからふしぎだ。げんに週5で節制できているのだから中毒とも言われないだろう。さてこの話はもうひとしきり語ったよ、あと何書くん?御苑前?じかーん?うつろわないでよ、ねえ。そうさな。子供の誕生日が近い。5歳になる。その日をどう過ごすか、プレゼントなにあげるか、妻丘と宵な相談している。子供がいちばん好きなおもちゃはボーネルンドの青いトリケラトプスのぬいぐるみ(青ちゃん)である。もう一年以上すごく仲が良い。この青ちゃんのパートナーの、赤いブラキオサウルス、まあ赤ちゃんとなるか、秋に生まれてくるにんげんの赤ちゃんの伏線じゃないが、これを買ってやろうと思っている。これを本尊として、あと脇侍を固めていく。ひとつは、オデッサから小包が届いていて、これを誕生日に開封する。じいさんの粘土人形が2体ほど入っているはずだ(某絵本より、アンキロサウルスのアルマと、モササウルスのショーマ)。またこれと別に、こないだ上野のかはくで買った、バージェス動物群フィギュアセット(アノマロカリス、オパビニア、ピカイア、ハルキゲニア、マルレラ、ウィワクシア他)これも脇侍なす。あと、それと別に、古生代の生物が現代の日常に溶け込んでるっちゅう加工写真をふんだんに配した絵本っちゅーか、これも脇茄子、脇に茄子を挟んだ猿。さて、ここでハタと思う。古生物一辺倒が過ぎるのでわ?大丈夫かこれで?しかもこれら誕プレとは無関係に、いま俺は、この今日の今である、いま電車を降りたら、三鷹の駅前図書館寄って、予約してた古生物の絵本を二冊借りて帰って、子供に読み聞かすのである。大丈夫か?子供の興味関心を伸ばしてやりたいといえば聞こえはいいが、むしろ興味関心の多様性を奪うのでは?深みもだいじだが広がりも大事であろう。今はだいぶ深みに淫している。吉祥寺。次もう三鷹だ。楽しんでいただけましたか。読者のあなたよ。あなた、すなわち、数字の神様。▼おはよう。きょうはわたくしが担当します。紗和子です。昨晩はグロい画像をたくさん見てしまい精神が荒廃した。グロい画像を千枚見たあと鏡で自分の顔を見るとどんなぶおとこもこの世で最も清浄な優男に見える、と読んだので、先にヴィパッサナー瞑想を試したときの伝で、試してみた。したら、心の底の泉みたところから紗和子が出てきて、天上から「この人と交代しますか」と問いが下ったので、する、と答えた、ら、果たしてわたしは紗和子になった。ブログタイトルが「令和の紗和子ブログ」に変わったのにお気づきか。さて、水曜の朝である。正直しんどい、堂本剛。こんだけやってまだ水曜かよ。一週間が長い!とか書いてたら、畜生、乗り換え逃しちまったじゃねーか!いま腋窩(わきくぼ)かよ!紗和子。仕方ないわ、このまま四谷まで乗る。遅刻ギリやし。昨晩はまた受難であった。子供はどうも手足口病らしい。手足に発疹出てきた。かかりつけが昨日休診だったのできょう病院いく。困るのは、口の中にも発疹ができてるらしく、おなかはすくのだが、たべると痛い。かわいそうに。それで、夜寝てからも何度か起きて泣いた。昨日も今日も保育園休み。身重の我が人こそ受難である。受難の長男をわたし次男を妻が養育しているという状況だ。で受難の長女を太郎が受肉していると、これでだいぶ整理がついたのじゃないかな。紗和子。何か掴まるもの!という動画を、昨晩も見た。これを見つけたとき(数ヶ月前)、長生きはしてみるものだ、と思った。こんなものが見られるとは。曲自体は古い。だが、円熟の極みのなかよしおじさんたちの、この名演。クエストラヴもグラスパーも個々すばらしいがなんといってもアンサンブル。クエストラヴをメインに聴きながらビラルを極上の背景音として垣間聴く、という贅沢なこともしながら何巡も聴いている。カメラワークもすばらしい。この上四谷まで逃したら話にならんのでいったん書くのやめる。紗和子でした。▽英書読んでるやつのハリポタ率なんなん?英書読んでるなーと思うと必ずハリポタなんだけど。紗和子でーす。(どう、面白い?数字の神様。)四谷でぶじ乗り換えた。中央線のこのあたりは緑が多くて好き。俺は、東京が、好きだ。て、いつかの野音のガストロンジャーで宮本が絶唱してたが、どういう心持ちだっただろう。何を指して人は東京が好きと言う? ところでその日比谷の野音はわたしの職場から程近い。わたしはエレカシの野音に参加したことがない。YouTubeでならさんざ見た。だいぶ離愛(раз-люб)してしまったが、ついに一度も野音でエレカシを見ない人生よりは、一度でも見た人生でありたい。次やるとき参加したいが、人気だろうから、ぐずぐずしいのわたしには、無理かな。どうせチケットとれないだろうな。いままさにエレカシが好きな人が見るべきだろうし、最近の曲とかぜんぜんわかんないけど、冥土の土産に、ひとせき分けてくれないものかな。以上、桜子でした。▼平安が待ってはいない家に帰る。手足口病患者が痛い痛いとしじゅう泣いているらしい。帰っても楽しいことはないだが早く帰りたい。8月28日、帰りの電車。と書いて心づいた、今日は兄の誕生日だ。あの兄が生まれなければわたしが生まれることはなかった、その意味で兄はわたしの母親だ。おかあさん、誕生日おめでとう!▽何丘ブログのメインの記事はウクライナ戦争まとめの記事である。それはたぶん客観的にも主観的にもそう。何しろこの記事がいちばん読まれるし、これを更新することにわたしは責任を感じている。ウクライナにかかわりを持った者としての責務のミニマムを、ともかくもこの惨禍と闘争から目を離さない、見守り続ける、ということに置いている。ニュースは何しろ毎日見ている。今は見るものをウクライナプラヴダとメドゥーザに絞っているので、そのぶん意識して、長めの論説や解説も読むようにしている。読むことは、隙間時間の累計で、まぁなんとかなっている。だが書くほう。かんじんの、ブログへの反映が、なかなか追っつかない。いろいろ読んで、メモを作って、そのメモが、溜まっている。書く内容が決まっているならすぐ書けそうなものに思われるかもしれないが、それをいい感じに編集して記事に仕立てるというのは、それはそれ、少しは大変なことのです▽メモを取るときに、作業効率のために、我流速記じゃないが、極端な略称をいろいろ用いる。プーチンはP、ミサイル/ドローン攻撃はミド、平和サミットはへいさみ。今なら、ドゥーロフはD、テレグラムはT、クルスク州はK。だが、略の禁じ手というものがある。ゼレンスキーをZとは表記しない。必ずZeと書く。われらが大統領を汚らわしい露連のZ一文字なぞで呼べるものか。それから、露連の糞弾で無辜7人死亡、47人負傷というときの、この人(にん)という、助数詞。いかに効率化のためといえ、これらを省くことはできない。数だけさっと書いてメモを先に進めたあとに、後ろ髪ひかれ、わざわざ立ち戻って「人」と書き足したこともある。人は数ではない▽うまれくる太郎のきょうだいに、なんと名前をつけようか。なんと光輝にあふれたしごとだろう、いのちに名前をつける。およそ人間の(それも、自分のような者の)権能の及ぶところとは思えぬ。太郎というのは、信じてた人ごめんね、うそなだよ。そら、そうでしょ。ちな、何丘という筆名も、うそだよ。あほみたいな名前だが、この名と一緒にウクライナから逃げ帰ったので、もはや愛着もあり、しっくりもきている。由来は言うほどのこともない。本名がたんぼの田のつく苗字なので(山田、川田、吉田、どれでしょう?)田のつかない名前にしようと思った。それで、「丘」。では、「何」は? これは、それこそクエストラヴ(?uestlove)とか、村上春樹の「1Q84」とか、そういうのの影響だと思う。ミスティフィカシオン。名前の中に疑問詞が入ってるのがいけてると思った。ちなみに、俗説に、何丘というのは「何をかいわんや」から来ている、というのがあるが、とんだ謬見である。至らん揣摩する暇な人もいたものだ。何丘の名の由来とか考えてる暇があったら、君ね、働きなさい。働いて、国家経済に貢献なさい。8月29日朝の電車、また書き出す。手足口病は恐ろしい病気だ。ずーっと泣いている。おなかがすいても食べられない。口の中がいたい。わーい何何だ!とて勇んで大口開けて何か口放り込んで大泣き。この(傍目には間抜けな)あてむぷとを繰り返して、ついにはもの食べることを恐れるように。たべたし、でも、たべるのこはし、どうしてよいやらわからない、そら、泣くわ。せめて何か食べてほしい、なんでもいい、甘いもの食べさすにはかなり慎重な親であるが、まんじゅうあたう。まんじゅうもこわがってよう食べず。NHK高校講座地学基礎いっしょに見ながらやっと食べる。甘いものたべた日の晩にはよーっく歯を磨く約束、だが歯磨きおろかぐちゅぐちゅさえ痛がるので、歯磨きは強行できてもうがいは強要できない、仕方ない、歯磨き無しで眠らせる。恐ろしいことだ。最も恐ろしいことは、このコミカルな名の病気、医学にほとんど処置なしだという。医者行ったがろくろく薬も出ず。二三日待てば治りますので。それだけ。わたしは名前だけ知ってて実際にかかったことのないふたつの病気とこの夏あいついで際会した。エコノミークラス症候群と、手足口病。まんますぎてアホみた名前だからてっきり雑魚と。とんでもない、どちらも災害級に恐ろしい病患であった。あのおしゃべりなたりろうちゃんがくちなか辛さにしゃべらない、話しかけても返事しない、遊びに誘っても本読んでも気もそぞろ、突発的に大声上げて泣く。家庭にとってこれ災害でなくて何。やっと寝かしつけて11時、労働力再生産のために何丘人体を入眠させなければならない、Bilalきいて寝るより外にわたしの夜は?中野坂上。中野坂上に住んでるアホがいていまプルデンシャルの保険屋だが戦ったなー、中野坂上で。土手のところで。「中野坂上の戦い」と呼んでるよ。ほかに「学女坂の戦い」というのもあった。学女坂とは、学習院女子前の坂(諏訪通り、馬場→早稲田)のこと。何しろけんかや口論のことは、それがoccurした地の名をとり、「〇〇の戦い」「✕✕の乱」などと名付けて自分史に登録してしまうことをすすめる。ヒストリー(he-story)へと外部化す。したらそんなくよくよせんさ。新宿。あと何書いたらいいかわからん。子供本人が一番だろうが、妻も相当疲弊している。ミヘーエフ。ミヘーエフってドストエフスキーの何か作品に出てきませんでした?あと、ミヘーまで書くと、わがスマホ、「ミヘーエフ憎悪」という変換候補を出してくるんだけど、これ何?こはいんだけど?①そんな言葉あるのか?②わたしが過去にそんな言葉を使ったのか?まるで記憶なし。妻が疲弊している。ミオマもつ、身重なるわぎもが。あの間歇的叫喚に一日付き合ったらそら疲れる。とるものも手につかぬ。この生活に何か少しの光をさしたくて、誕生日に開封の予定だった、オデッサからの荷物をあけた。じいさん謹製の粘土人形や新しいロシア語の絵本や色々入っていたが元気なとき望み得たような驚喜は流石になし、だが、いささかの慰謝にはなったもよう。昨日済ますはずだった買い物も出来なかったし週末予定のお出かけもキャンセルで、いろいろ計画練り直しだ。子供がいるということは家庭内に自然がいる、フォルス・マジョールの発生源がいる、ということだ。その自然はときに太陽としてときに台風として発現する。▽乗り換え。隣で扇子を使う(って、望まぬ風を寄越してくる)オッサンとようやくオサラバ。▼さて8月29日かえりの電車。ノープランで書き出す。パンツ履いてないことをノープランという。計画性のないことを、ではさて。いま銀棒さわったらめちゃ冷たかった。冷房ががんばっていて、かつ冷気直撃の場所に銀棒があるということだ。わたしは吊り革よりバーに掴まるのが好き。そっちのほうがあまり人の手が触れてなさそうだから。いっちょまえに潔癖症なのだ。またそれも、嘘なんでしょ、何丘さん。▽何か掴まるもの。今日はわりとがんばったと言っていいのではないか。寝不足のわりには、それを言い訳にせず、今日はもう、捨てた!といって諦めてしまわずに、めんどうなことにもちゃんと向き合った。「めんどうなことにちゃんと向き合う」。こういうのが座右の言葉であるのがいいな。四字熟語とか格言とかじゃなくていいぜよ。でも「好きな言葉はなんですか」と聞かれたときの答えかた、は、だれもそんなこと聞く人はないのに、なんか準備しちゃうんだよなぁ。一時期は、座右の銘はなんですかと聞かれたら「こんにちは」と答えることにしていた。「座右の銘は、こんにちは」というのが面白いと思って。また別のときは、「好きな言葉は、beer & wine」と答えようと思っていた。聞かれた場合にはね、好きな言葉なんですかって(そんなこと聞かれることなんてないんだけどよ)。で最近は、好きな言葉はなんですかって聞かれたら、「廃部」て答えようと思っていた。妙なことだね。一回も聞かれたことない。吉本隆明と埴谷雄高を特集したとある古いムックで、吉本に50問50答というのをやっていて、好きな言葉はとの問いに、吉本「月天心さびしき村を通りたり 蕪村」と答えていて、かっけえええ!とふるえた。(いま調べたら、さびしき村でなく、貧しき町だったが、まぁいいや)同じインタビューに、自分を一言で言うと?との問もあって、それには「戦闘的受動性」と答えていた。また「生まれ変わったら何したい?」というファンシーな設問があり、それには「もう二度とごめんだ!!」と突っ張っていた。そんな吉本が好きだった。吉本さんには二度お会いしたことがある。というのは完全に嘘で、そう言ってみたくなっただけだが(いい加減にしろ)。もちろん、一方的に読んで、好きだったのである。言語にとって美とはなにかとか、そういうのもひととおりは読んだと思うが、耽読したのは詩と詩論それから対談(膨大にある)。とりわけ「初期ノート」という正方形の本を一時期どこへ行くにも常に持ち歩いていた。秋山駿「地下室の手記」と並ぶ学生時代の愛読書だった。▽なんや空いてんな、もうそんなきたか。と思ったらもう新高円寺だった。明日はテレワークにさしてもらった。妻のワンオペがしんどそすぎるので。でも子供はだいぶよくなったみたいだ。ものが食べれてる、でも黙って歩いてる(おしゃべりなのに、口の中違和感あって、しゃべらない)らしい。黙って歩いてる四歳児!こんなかなしいけしきがありますか。よし東京は瓦礫のちまたとなるも、子供は歌うとうて歩け。うーたをうたうなら、ぼくらに、まかせろー。まることたまえが歩いてくわ。明日はテレワ。まることたまちゃんは前向いて歩き、わたしはテレワ。テレワの前の日は、それもそのテレワが金曜だったりすると、その前の木曜の帰り道(まさに今)なんか、もう「勝ったな」という気持ちだ。ビールなんか買って帰りたくなんかもある。が、よしとこう。我慢しろよお前、酒丘。気にしない、そうあの歌を名付けても、よかった、民生は。すいません再構成しますね、奥田民生は、あの「マシマロ」という歌を、「気にしない」というタイトルでラベリングしても、別によかった。いい女の歌をいい女と、ガッツだぜの歌をガッツだぜと名付けたあのバンドだったら、同じ曲を定めし「気にしない」と名付けていた。だがそれをマシマロと名付ける。それが奥田という人であった。そこがいい、そこが珍しい、そこが好き、そこが、みたか、みたか。三鷹につきました。埼玉のみなさん、わたしは三鷹につきました!▼今週は毎日二千字書くぞと言っていたが昨日はテレワークで行き帰りの電車というものがなかったので何も書かなかった。六時まで家で働いて、買い物して、晩飯たべて、旧友としゃべりたくなって、夜の三鷹の畑のあいまを練り歩きながら1時間19分しゃべり、家ついて子供と遊んで、ほんで寝かしつけたら寝落ちしてしまった。爆睡。そんで今朝起きて「何かやるⅡ」更新して、で今である。佐和子でございます。佐和子的には、昨日けーたいがウィーンウィンウィーンウィンいってたので、多摩川とか野川が、いまどうなってるのか気になる。ここらには何本か川が流れてる。大雨で増水して市街に水があふれる危険がありますというので、三鷹市内の大沢とか牟礼とか、井の頭とかに警報が出ていた(それでケータイがウィーンウィンウィン鳴った)。大沢は野川、牟礼は仙川、井の頭は神田川であろう。いま晴れてるので、出かけたい。ちびまる子ちゃんで人と成った私は、大水という現象がとても気になる。増水した野川を見に行きたい。それで、チャリ乗って、みんなで見に行こかというところでおます。子供の手足口病はだいぶ快癒。月曜からほとんど子供外出てないので、外へ出したい。だが家にいすぎて、だまぼーいになっちゃって、なんか出渋ってる。なんじゃくなこというな、いくぞぼうず、出かけるぞ!うふ、佐和子。▼しばらく更新を怠った。今日は9月3日火曜である。いま都心から三鷹へかえりの電車。もてきた本行きで読んでしまったのでそれでこれ書く。基本的には電車では本を読んでたい。わたしはニュースにうとい。ニュースにはうとくありたい。政治家の誰彼とか知らないでおりたい。石丸なにがし旋風というのも知らない。都知事選は、無視してもよかったが、一応小池百合子に入れた。投票したことが立派だともなんとも思わない。大人の当たり前の義務とかそんなことも言いたくない。わたしが投票所に足を運んだのは投票所と化したコミセンがどんな様子か見に行っただけ。これ以上言うと怒られるか嫌われるかしそうだからやめとこう。わたしがニュースに触れるのは、そうはいっても朝日新聞を朝夕刊取っているのと、あと、スマホのホーム画面を左フリックで芸能ニュースとか出てくるので何が話題になってるとか誰にスキャンダルが出来してるとかなんとなくわかる、だが話の中身まで確認することは稀である。お笑い芸人のやすこという人がなんやいろいろ言われてるふうなのをうっすら認識していて、今日ほどようやくなんの話か知った。例のツイッターだかどぶいったーだかいうあれで、やす子という人が「みんな生きてるだけで偉いよ、優勝。みんな優勝」と心温まるポエムを書いたところ、その友達だか同業者だかの別のお笑い芸人・フワちゃんという人が、やはりドブ板上にて「(みんな偉いか知らんが)少なくもお前は偉くないので劣敗や、死ね」とかなんとか、かなりどぎつい悪罵をなして、それはないよ、ひどいよふわちゃん、ふわちゃんひどいよ見損なったよそんなこと言うなんて、と大バッシング。ふわ氏は活動自粛に追い込まれたということだ。でもわたしが読んだ記事によると、ふわちゃんは何も悪意があってこんなこと書いたのではなくて、友人といるときに(その友人というのはわたしの好きなAマッソの加納ちゃん)こんなん書いて送ったろかーとノリで作した文案を誤って実際に投稿してしまい、すぐ心づいて削除した、そういうことらしい。なら、いいじゃん。何をがたがた騒ぐことある。こんな些事とらえていじめ抜いて活動停止とかに追い込む社会は終わってる。人間だものうんこちんこまんこおっぱい、最も稚拙で愚劣な言葉で冗談のひとつも言ってみたくなることあるらむ。人間をどれだけ純粋なものにしたいんだ。手元を誤って実際に投稿してしまったとして、すぐ気づいて削除したんだから、それは見て見ぬふりしてやるのが大人というものじゃないの。…というのを昨日電車で書いていた。今もう翌9月4日の上り車内である。▼また持ってきた本を行きの電車で読んでしまい、読むものないので書く、帰りの電車である。金曜の夕方だから、昂揚(解放感)も感じているし、傷心してもいる。何かやる、のあれで、何かやらねばとは思い、何かやりたくもあるのだが、何もやらない自分が情けない。何かやっているうちには未だ入らないこのかんの二、三の書き送り、これにぽつぽつ返事が来はじめるのだが、案の定、ゼロ回答、とりつく島なし、言下の一蹴。そらそうだ、こんな中途半端なやつの中途半端な妄想的言辞に付き合う人こそばかにされる。そのかんにも露の暴虐はいよいよ深まりポルタワで55人、リヴォフで7人、クリヴォイ・ログで5人。うわあ!…このままわたくしは、中年の鬱に入っていくのかなあ「否、否。お前は鬱落ちしない、お前は沈まない、お前の腐れ浮力。」そう…なんよなあ。わたしの自己イメージと、わたしのじっさいの、懸隔。わたしは鬱病になるのが似合いそうな者だなぁ、いまになるぞ、いまに入るぞと思うのだが、ついぞ入っていかない、鬱の森。あつくもつめたくもない、犬も食わない、ぬるいやつ。とは俺の事。とか書いてたら、あー、中野新橋。この電車は方南町行きであったから中野坂上で乗り換えなばならなかったのに何丘のばか、ばか、死罰。乗り換えのファッキンマヌーヴァーを演じなければならない。次で降りて、階段登って降りてホームかわって、ひとえき戻って、また階段登って降りてホームかわる。耐え難い無益。でも鬱落ちしない。▽わたしがいかに下らないことを考える下らない人間であるかを示すためにあえてお話するのだが、しょくばの男性用立位便器を使うときに、ある人はジッパーをあけてぼろりなにを取り出して用を足すのだが、わたしはベルトからボタンからぜんぶ外して前をはだけてでないとピィできない。それで、わたしがその方式で小便している最中に部長が(自身の用を足しに)隣に来て、ああ何丘さんはそのスタイルなんだねと指摘したら(※仮定の話)、こう返そうと思ってるのだ:「巨根がわざわいして社会の窓で足りず社会の玄関からなにを取り出さざるを得ぬのですよ、ハッハゝゝ…」▼通りすがりの方ありがとう。一千万字はさすがに終わってるよ、はじまる前から終わってる、無理だよ。そう思われるのはごもっとも。だから始めたのだよ。そう思ってくださるなら嬉しいよ。励みになります。この記事一本で、一千万字を達成する。この記事の中に一千万字を書きこむ。たぶんあんまりないはずだ、あるウェブページが、一千万字の文字を含んでずしり重いという事態は。あるいは技術的に、そんなページは、存在が難しいか。もちろん一千万字かくというのはアナロジーである。体力一千万の敵を倒すということの。エイチピーが1000万ある敵、それがそもそも、なにのアナロジーか。人口1億4000万、地球の陸地の8分の1を占め、あぶらもガスも豊富に出てくる、人類を7回滅ぼせる核兵器を武器庫に蔵ってる、あの国だよ。……と、ここまで書いてあとが続かなくなった。書けるようなことはいっぱいある。て、おかしな言い方か。書きたいようなことはと言おうか、それは、少なくない。たとえば……(どうするか?)ああ、これひとつ書いて今日は終わりにしよう。昨日、……いや、だめだ、しんどいわ。もう眠ってしまってよいか。窓の外でむしが鳴いている、いま心があのかなしい声にとても近い、同じ周波数だ、いそいで飛び出して紛れれば、むしになれるかな。虫になったらよろしく。虫になったらよろしく▼佑くん。優くん。悠くん。裕くん。幽くん。輔くん。祐くん。雄くん。侑くん。ユウくん。悠宇くん。悠祐くん。悠佑くん。優羽ちゃん。友くん。憂くん。游くん。“揖”くん。――いま、チャネルがつながった。そうかこの字が鍵であったか。揖くん、たすけてくれ。夢から覚めることができない。幻影のような電車に乗って、幻影のような人たちと、幻影のような仕事をすることはできる。だがウクライナの死と破壊に向き合うことができない。それがウクライナだから、ことが死と破壊だから、向き合えないのではない。たんにわたしが✕✕✕だからだ。ここにどんな言葉も入れるといい。めんどうなことにちゃんと向き合う。これが自分の座右の銘だ(で、あるべきだ)とかつて書いた。その後、また一つ、芯の芯、という言葉も座左にしたがえた。意味は、成程いまお前の生の時間はかつかつだから、やるべきことの、芯の芯をつけ。ということだ。それでどうなったか。針の筵、みたいな感じにはなった。右からも左からもちくちく刺されて落ち着いて座っていられない感じにはなった。毎日がちょっぴりだけ幸せでなくなった。何を見ても何かを思い出す、ヘミングウェイ、わたしの場合は、何をしててもいま本当にすべきはそれじゃないという気がする。してげんにそれは、そうなのだ。▼幼児性が抜けない。先日子供の運動会があり保護者参加の競技があって、そこではっちゃけてしまった。三十組かの家族の前で踊り狂った。直後、妻が恥ずかしかったかどうか気になり、わたし大丈夫だった?と問うと、うん、面白かったよとのこと、だが、別の機会に、同じアパートに住む奇人の話になり、こないだのわたしの運動会でのふるまいは、あの奇人とそんな変わらないのじゃないのと問うたら、妻は黙った。確かに、と思ったのであろう。黙って、そのまま、何も言わなかった。わたしはあと、埼玉県民というと首都圏外の人にはほとんど東京じゃんと思われるそうだが、でまた実際通算そうさな十年は東京に住んでるが、いまだ、都心の摩天楼の下へくると、わーっと、見上げてしまう。ビルのわたしの目の高さから始めて見上げていき見上げていきその頭頂が空と接するところを認めて、わーっ、でっけー、と驚嘆してしまう。良識ある大人は、足元ばっか見て歩く。あるいは手元(スマホ)を。そうするべきなのだ。摩天楼がどの角度で蒼穹にぶっささっているかなど、大人はとっくに面白くなくなっているべきなのだ。わたしとて、あ、俺、見上げてらあ。と思わないでもない。首の角度を傾けながら、あ、今、大人の常軌を逸脱しつつあるなあ。と思わないものでも。だが毎度、結局は最後まで見上げてしまう、というのは、畢竟、それがわたしにはそんなに恥ずかしいことではないので。あるいはここには、都会人の驕りというものがあるかもしれない。ほんとの地方出身者(ほんとの地方出身者?)は、おのぼりさんと思われるのがいやで、努めてビルの先など眺めないようにするのかもしれない。この問題について、先日、課を同じくする2年目の女の子に、見上げちゃうんだよね、といったら、わたしも見上げますよ。と言ってもらえた(うれしかった)。その子は神戸。神戸も都会だが、さすがに摩天楼の高さと密度は都心に匹敵すまい。しかし待て、大学出たてのこの人と、自分のようなしじゅうまぎわのおっさんは、やはり同列に論ぜらるべきでない。その子には許され(かわいげがあっ)てもわたしのは見て苦しい。明らか観光客ふうであればまだしも、おっさんスーツに身を包み、それでいて見上げてるのは。見上げてるとき若干顎も落ちていよう。とか言いながら、明日からもう見上げませんかと迫られても、さあ、いや、たぶん、見上げるでしょう、としきゃ。自分でそれを許してしまう。幼児性というのはそこである。許ししろをつい広くとってしまう。このまま話題が横滑りしていくが、都会の巨大な建物群は、ありゃ、美でないかね。わたしはしばしば視界にひしめく建群のリズムとコンポジションに見惚れる。一つの建物というよりは、その近隣の建物も含めて、群れとして、その描くスカイラインを含めて、いいなあ、と。わたしが動けば建物と建物の重なり方が変わってまた別の良さが発するので都心を歩くとき美を貪るのに忙しい。そこへくうを斜めに切って辮髪の格闘家、キックのポーズで降り立った。ラーメンマンだ。違う、適当を言うな、お前は誰だ。「粒立てることではない。」粒立てるところではなかったみたいだ、続けると、誰かはまるいものばかり好む。ハローキティやポムポムプリンの中に直線の要素を見つけることのほうが難しい。その点あのビルの群れは、みごとに直線ばかりである。こういうものに美を見出すには修練が要る。修練もしくは、目から入った光がうまいこと屈折して脳の特定受容体を励起して美感が発するようなそういう偏光をもたらすうす膜を一枚眼球に設置する必要がある。わたしは昔モスクワに住んでたときに、ジェイケイ(女子高生。もとい、じろい・こんぷれっくす、ЖК、大型集合住宅)を眺めていて、ある瞬間に美感が兆し、以後、あちこちのЖКを見ては、美くしいと思うようになった。その延長でいま、東京都心の摩天楼を見ても美しい。あの日以来ずーっとコンタクトレンズが入ってんのである。それ越しに見ると建群(の中のあるもの)が美しく見えるような、そういう膜が、鱗が。鱗といえば蛇鱗(じゃりん)、また急に話が変わって申し訳ないが、わたしがそう教え込むことで、子供に、「蛇とにらみ合うと、そのへびがぼくになる」と信じさせることができるだろうか。もちろん気の毒なので、そんなことはしないが。蛇と目が合ったことはないはずだ。まだいろいろなことが起きていない人生である、こども5歳。いま藪からヘビが出てくる、その蛇と両睨みになる、かれはきみをみる、きみはかれをみる、しだいかれは、むくむくと、きみになっていく。そう信じさせることができるか。できてしまう気がする。蛇というものをたいそう気味悪く思うだろう。このようにしてロシアはロシアの子供たちにウクライナを嫌いにさせるのである。▽人は人生に何度爆笑するのだろうか。ちんげがはえてから10回もあればいいほうではないかと思う。ちんげって、仙人山にそういう草が生えてるが。わたしはさいごになにで爆笑したろう?あなたはさいごになにで爆笑しましたか?爆笑は人生に十度も咲かない花である。人が爆笑すると仙人谷に白い花が咲く、仙人はそのを花を摘んで食べる(ので、老いない)。考えてみる、ほんとに。わたしは最後に何で爆笑したか。…子供がらみでひとつあった。なんだったろう。可笑しくて、せっかくの爆笑の開花だから腹に力入れて自己に鞭打って爆笑を続けた。つまり人工性はあったと認める。人工性はないと無理だろう、爆笑なんてのは異常なおこないだから。シマウマが爆笑するかね?生物の自然に反することなのだ。自然界に爆笑なんてものはない。言うことがころころ変わるよ。本質的にどうでもいいことだと思ってるから。わたしが本当にしたかったのは、宇宙人ペナペナの話なのだ。知ってる人いるだろうか?そういう漫画があったんだ。ありゃ一体、なんだったんだ?なんの媒体から出てきたものか。その単行本の一巻のみがなぜかむかし家にあって、そのどこかに、たしかにわたしを爆笑させた一コマがあった。してみると、仙人谷の白い花くう仙人にとって、ギャグ漫画家とかお笑い芸人というのは、まこと助かる存在である。彼らがいるから仙人は飢えない、彼らがいなくても仙人は飢えないのだが、彼らがいるから寿命がいやましに伸びる。仙人谷は花ざかり。いま、少し考えてみて、ギャグ漫画のなかで、わたしを一番多く笑わせたのは、うすた京介の一連の作品だと思う。なんの場面か思い出せないが、マサルがチーンぽくぽくぽく考えて「カレーライス」と一言述べた場面で爆笑した。ハマーの本名が浜渡満浩と判明したときの「さんずい多っ」はツッコミ史に残る名作と思料。ほか、肥後もっこすちゃらワイのことじゃき、グリバンバー・ベーコンさん、ゴロンボー、むやみに多い白砂、すこんぶじゃないほうのサスペンダー、オーストラリア早移住。人生で大切なことはみんなうすた京介が教えてくれた気がする。!ここで空を切って拳法家蹴来。何か叫んでいるが声が小さい。その口元へどこまでも近く耳を近づけていくとやっと聞こえだした。歌え!と言ってるらしい。「歌え!」何を。「歌え!たたえろ!アンサング・ヒィロォ、たたえらるべくしてたたえられざる、あのヒィロォたちを、頌歌え!」あぁ、そゆこと?◇〜unsung-a-ichiban〜◇うすた京介の代表作はマサルさんだがフードファイターたべるもマスターピースに数えてよいと思う。BOYZⅡMenは2ndの「Ⅱ」が最高傑作とされるがわたしは断然3rdの「evolution」が好きだ。サッカー漫画というとキャプテン翼が神格化されてるが、塀内夏子がことあげされなさすぎでは?オフサイド、Jドリーム、すばらしいと思うが。わたしは薬丸くんが好きすぎて、いまだに「◯丸」という苗字の人に会うと萌える。エレカシの最高傑作は「風」。扉のあと、まちおかの前。エレカシの本質を宮本のヴォーカルアートと見たときに。〜以上〜。ずいぶんからっぽなこと書いた。まだ当分つかない。実はいま、長い移動中である。ハニーでべとべとの、たぬき。ハニーだぬき。つまり、ハニーという言葉から、たという文字を抜き取る。持ってないものを盗む泥棒。真に恐るべきはそいつよ。わたしが持ってるものを盗む泥棒はふつうの泥棒。わたしが持ってないものまで盗むのがルパン。荒野にあなたが立ってる、手ぶらである、無理な想定だが、想像せよ、いまからきみのところへルパンがきて、あなたが持っていないものを盗む!こんな恐ろしい想像があるだろうか。「想像ができないので、怖くもありません」▽科学というのは世界の学者たちが英語で論文書く、その膨大な論文の集積こそが科学だ。だが明日銀の円盤飛来して地球のすべての論文を吸い上げて持ち去ってしまったところで、わたしたち人類が科学をもたないものになるわけではない。それでも科学の基盤がほしさに、いちど書かれて今は失われた論文たちを、再び英語でリライトするだろうか、記憶を頼りに、世界の学者が協力して?科学にとって論文とは?は、ともかく。科学の世界では他の論文に引用される論文が偉いとされる。科学というのは論文の総体だから、多数の論文の根拠となる論文はそれだけシステムへの貢献が大きいということだ。それでいうと、ビートルズの楽曲の歌詞の中で、わが人生に一番多回に引用されてるのは、いちご畑よいつまでも、の、living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see (目にする全てを誤解したまま目をつぶって生きるのは容易い)、の句だ。わたしがやるべきことをやらないまま漫然と労働していた日々もしきりにこの句が鳴っていた。このように生きるのは容易い、このままこうしていつまでだって生きていける、生きていけてしまう、と。この句のために、いちご畑の曲がわが人生におけるMVPということになるか。次点は、わたしの人生をいろどった人たちという曲の、次の歌詞である。少し長いが、but of all these friends and lovers there is no one compares with you. and these memories lose their meaning when i think of love as something new.けれどもどんなともだちも恋人たちも君にはくらぶべくもない、どんなよき思い出も、きみへの愛を新しいものとして思うときその意味を失うのさ。この曲は簡単なのでギターで弾ける、この箇所を歌うとき、わたしはもちろんわが妻のことを想うのである。もう一曲挙げるなら、宇宙のむこうがわへという曲の冒頭、words are flowing out like endless wind inside a paper cupことばは漂いだす、永遠の風のように、紙コップの中の、永遠の風のように、言葉は漂い出す。この曲はことに弾き語りが楽しく、Dを押さえてジャイグルーデーヴァー(尊師に栄光あれ)と永遠うたってるとまこと瞑想的である。ビートルズからこの3曲、わたしの殿堂に入れる。ビートルズであと2つしたい話がある。女王陛下ちゃん、という曲で、ポールが早口にi wanna tell her that i love her a lot, but i gotta have a berry full of wine君が好きだよって言いたいけど(気恥ずかしさを紛らすために)事前にたらふくワインを飲んどく必要がある。この箇所を、カーラジオから不意にこの曲が流れた時に、力まずさりげなく、見事にすらすら唱和できたらカッコいいと思って、何度も聞いて歌詞覚えて練習して、じっさいマスターした。今はいつこの曲かかっても大丈夫な口に仕上がってる。同じように、もうひとつマスターしたい体技があって、それは、アリーシャ・キーズの「落ちていく」という曲、あの冒頭のi keep on fallin, iiiiiiiinnnnnnn(and out)このinの箇所の複雑なフェイクを完コピする。まだ果たさない(難しすぎる)。ビートルズでもうひとつだけしたい話。ビートルズの最後のアルバムの最後の曲の最後の歌詞は次のようなものである。「人間の与愛量(どれだけの愛を他者に与えることができるか)は、最終的には(in the end)、その人の作愛量(何回セックスしたか)によって決まる」。これが音楽史上最も重要なロックバンドの最後の言葉である。まったくふざけた、お下劣な冗談だ。こんなことする連中である。ちなみにPマッカートニー。それはともかく、わたしの提案は、make loveを、作愛と訳すことである。BOYZⅡMenの代表曲にI’ll make love to youというのがあるが、これなどは「我は汝に作愛す」で決まりである。異論は認めぬ。読者は以後英語の歌でmake loveときたら「作愛」と自動で脳内翻訳すること。以上、ビートルズの話。▽太宰の「やってきたのはガスコン兵」は有名だが、わたしも謎フレーズ(太宰よりもっと謎な)がいくつかあって、結局はこれらを抱えて墓に入るのである。べんぱつのえいへいたいし、というのがそれである。ぎゅうけつきだいまおう、というのもそう。ばんぶつそうせい・ばんしゃびんせい、というのも。いずれも、どういう字を書くのかすら知らない。辮髪の、はいいとして、えいへいたいし?大魔王、はいいとして、ぎゅうけつきとは?ぎゅうは牛、けつは猖獗の獗であるような気はしていて、では牛獗き大魔王。この「き」は何か(そもそも、それは何か?)。万物創成、それはそうなんだろうが、ばんしゃびんせい、とは?ばんしゃは万者であるような気がしてる。だがびんせい、はちとムリそうだ。こんな珍語が果たして本当に君らにはないのだろうか?(こんなことをわたしは書くべきではなかったろうか?辮髪のえいへいたいし、牛獗き大魔王、万物創成・万者びんせい、この3語は、わたしの生命生存霊魂の根幹にかかわる秘語であって、知られると、わたしは、存在の根が握られて、早い話が、死ぬ。のでは。最良の場合でも、操られて、いいように踊らされるのでは? でも君にあげる。君ならいい。この3語、うまく使って、わたしを踊らせてみてご覧?) ラピュタの話でもすっか。ラピュタには軍隊が出てくる。戦車や大砲や鉄砲が出てくる。いずれも人が人を殺すための道具である。そんなものがそもそも存在するということを、子供に知らせたくない。実体としても観念としてもだ、知らなくていい、そんな異常なきしょく悪い唾棄すべきこの世のじじつは。それでラピュタの映画は子供には見せない。だがわたしらのわりとカジュアルにフランクに行く場所に三鷹の森ジブリ美術館というのがあって、その屋上にラピュタのロボットが立ってる。それで、物語のあらましくらいは知ってていいかとおもって、まずわたしが語り聞かせた。そのあと、熊谷の実家に、わたしが子どものとき読んだラピュタの絵本(絵を映画から切って貼ったやつ)を見いだして、これを子供と読んだ。あれ、この話、したっけ? 前このはなし書いたかも。ともかく、じっさい読んでみて、軍隊だの戦車だの発砲だの、出てくるわ出てくるわ。やっぱり子供に見せるものじゃなかったと後悔。だが時すでに遅し、子供は暴力シーンにたいへん感化されて、レゴでも戦車を作るし、ごっこ遊びでも発砲だの繰り返す。暴力の魅力、悪の魅力。力はそれは魅するさ、悪は、だから教えたくなかった。たいそう気に入って、何度も読まされた。読むときは、こちらは、暴力描写と暴力用語(軍隊、戦車等の言葉)を極力排除し、発砲にはあえて「ぽちょーん」とか間抜けなオノマトペを使う。それで何度か読んで、本自体は隠した。他の本をいろいろ図書館で借りてきて印象を中和しつつ関心をすり替えて。だが、それはそれ、わたしが物語の最後にいつもエンディングテーマ「君をのせて」を歌ったので、子供がその曲を好きになり、なかば覚えた。YouTubeに違法アップロードとおぼしい原曲が見つかったので、聴かせたら、ハマって、もう百回くらい聴いた。いまもうわりかし上手に歌う。わたしは父さんが「遺した」と母さんが「呉れた」を逆に覚えていたが、いい加減正順で歌えるようになった。いい歌だよね。いや、ほんーに、いい歌。▽子供は、いま5歳の太郎は、日々の言葉や体験のうち、何を将来へ持ち越すだろう。繰り返し反芻され、もはや願っても忘失することかなわず、一生のともないとなるもの、反省的自己史を織りなすもの。どの言葉、どの視像が、そこへ加わるだろうか。5歳はもう記憶を一生の未来へ送りやれる年齢だ。逆に、今ある少なくとも何かは、確実に不定の未来へと向かう。わたしの最古の記憶はなへん?やはり5歳あたりのことだ。兄と連れ立って小学校の校庭へ遊びに行った、その砂利道から車道へ出るところ。その一瞬、その束の間、額縁に飾られたその場面。だがその前後は無い。すっかり抜け落ちた。宇宙みたいに何もない。ほんのところどころ、記憶の小島がある。どうして他ならぬその場面が選ばれたろう。わたしが選んだのではない。いや、わたしが選んだのか。意思は関与していない。太郎においては、ほとんど偶然のように、どの場面が選ばれるだろうか。あこよあこ、わたしは毎日お前にいろんな話する。新しい言葉、新しい概念、新しい視像。こないだはものの質の高い低いの話しした。多く、買う時にお金が高いものは質が高い、安いものは質が低い。質が高いというのは、たべものであればおいしい又は栄養が多いということで、ものであれば、丈夫で壊れにくいとか使いやすいとかそういうことだ。人間については質が高いとか低いとか言わない。動物も同じ。質が高い低いというのは基本的にものについてだけいう。そんな話をした。吹き込んだ。奥まで注入されたか知らない。自然排出されたかも知れない。ならまた吹き込むまで。こんなことはわざわざ教えないだって勝手にどこぞで覚えてくる。だが、こんなことも太郎は知らないであろうと思うと、わたしは話し出す。すべてのことにつき、それを初めて教えた人は、わたしであってほしいのか?そういう、我欲?独占欲?さあ、そうも思わんが。ものは言いよう、にしても、全然当たっているように思えんが。くそがきになるよ、と言われる。いまにくそがきになるよ、と。5歳にはなったが、全然、今のところ、くそがきのようでない。かわよい。生まれてこの方、常に、今が一番可愛く、その記録、更新中だ。ふりかえればそのときどきの状態のたりろうが懐かしいが、どのときにも戻りたいとは思わん。そら知恵はつけた。だが「血は、血はむしろ、そなたを清めた」。いよよ可愛い。ここらが限界か?MAXか?もうこれ以上、さすがに可愛くならんか?愚問だ。当然否でも、当然然りでもなく、ただ愚問なので、愚問。雄大な天山山脈愚問。ホンジュラスと呼ばれるべきはその国ではない愚問。赤羽、またの名をベイン(Akabane a.k.a. bane)愚問。パチンコすんなら公文いけ!という強烈なせりふがちびまる子ちゃんにある(ない)が、実際ぽちろうの級友には公文いってる子もいるし、将来への遺産となら、習い事でもさしたらどうか?英語をやらせたらどうか、ピアノをやらせたらどうか、バレエを習わせたらどうか。そんなふうに詰められるとへこむ。何もやらせていない。口ほどにもなく、親としての責任を果たしていないという気になる。芸事はすでにはじめるには遅い。黄金年齢とかいうよね、もう過ぎた。しゅん。たちまち元気がなくなる。「どうして3歳からわたしに英才教育を施さなかった?どうしてわたしに絶対音感がないのか?どうしてわたしは英語がぺらぺら喋れないのか?あなたがたの怠慢のせいだ。あなたがたは、オヤ、しっかくだ!!」こんなふうに未来、前指さされたら、私ら(私と妻)二人並んで「しゅん。」か。▼まだ生まれていない。もうじきのことである。私はこのかんブログを本当にさぼった。座右の銘とは「めんどうなことに、ちゃんと向き合う。」とか、そういうシンプルな言葉であるべきだ(気取った、実感のない、四字熟語や故事成語や英語のことわざとかでなく)と前に書いた。その伝で、「やるべきことの、芯の芯。」という座右の銘を開発して、それを暫く拳々服膺していた(これも、前に書いたのだったか?)。いわく、大人だもの、やることはいっぱいあり、何かは常にしている、常になにがしか稼働状態ではある。だからこそ、何かはやっているぞという慢心の中に自没して心が滅びがちである。ただ何かやっているという状態に甘んじず、本当の本当にやるべきことは何かと常に自問し、本質的でないと見えた部分は削ぎ落としていく。そうして、「やるべきことの、芯の芯。」を突く。そうして、私はブログを更新しなくなった。なんの断りもなしにだ▽私は破壊されてしまった人生であり、人格である。もう戻らない。歩道橋の意義がわからなくて自分は人間失格だと嘆いた太宰、その太宰の跨線橋が三鷹に残っているのは運命の皮肉「あるいは、ぽかぽかお風呂。」その跨線橋を維持するのに1億円かかるから壊してしまいますと三鷹市が決めた。もう去年のことだが。それで跨線橋の渡り収めというのがあって(昨年12月か)、それには参加しなかったが、その少し前くらいに子とふたりでプライベート渡り収めした。太宰は慕わしい人格だ。私は、こう見えてミーハーなところがあって、いけばなにごとか感じられると思って行ってみるということをするのであって、広島にも長崎にも、その爆心地というのに行ったことがあるし、東北の震災のあと、11年の7月かに、ボランティアとかでなしに、純然たる見学として、見られる範囲を見にいったりもした(気仙沼と大島、釜石とかそのへん)。そういう自分だから、文学者の生地(聖地)巡りというのもわりに好んでする、それで、津島くんの金木というところも訪れた。中原の湯田というところも訪れた。ヤースナヤ・ポリャーナだとか、ピチゴルスクだとかも訪れた。話を戻して、太宰の肖像写真で有名な中央線三鷹武蔵境間の跨線橋を、その維持費が1億円だというので(どういう計算か知らんが)そのお金もないので取り壊しますといって、取り壊し工事が始まった(今年1月か)。以後ちょいちょい見に行くのだが、全然取り壊されない。橋はいまだかかっている。だが、橋にのぼるための、階段が、撤去された。ふぅん、どういうものだろう。そこで考えたが、三鷹市にとって、太宰の経済効果とはどんなものだろう。春の桜桃忌というのに人がくる。ほか、太宰グッズがいろいろあって、私もTシャツを一枚買ってるが(斜陽の一節がプリントされたの)、その売り上げもある。また、太宰の名を冠したコーヒーが某喫茶店にあって、そんなのも私みたいのはせっかくだからといって一杯くらいは飲んでみる。それで年間、1億円くらいは売上を出しているのではないか。であれば、橋くらい遺せそうなものに思う。だが、行政へのこごとは、はじめ楽しくてあとで寂寞▽子供が、ビートルズに、開眼、しつつあり、というのは言い過ぎで、ビートルズの数ある楽曲から3曲、イエロー・サブマリンと、ストロベリー・フィールズと、エリナー・リグビーに、具体的に、ハマっている。このんで聞き、また、その一節をくちずさむ。We all live in a Yellow submarineという歌詞と、Let me take you downというフレーズと、Ah look at all the lonely peopleというところ、よくくちずさんでいる。エリナー・リグビーは私の替え歌(ああ、君は僕の・僕の・Hero)から入ったので除外して、イエローサブマリンとストロベリーフィールズは、曲の中に変な音が出る箇所があるので、そこがフックとなった。そんななかで、子供のハマりを逆輸入じゃないが、私じしんもこれら楽曲と改めて向き合ってみたくなった。それで、分不相応にも私が持っている1万円するいいイヤフォンで、ちょっと大きめの音でストロベリーフィールズを聞いてみたら、とてもよかった。今まで知らなかった音がいっぱい聞こえた。あわせて、歌詞の意味が実は全然わかっていない(ほとんど暗記してたにも関わらず)ことに心づいたので、解説コメントが優秀なGenius.comで歌詞を研究してみたら、非常に発見が多かった。なるほどそういう歌だったのね!ジョンの幼稚園か何かの名だというのは知ってたが、StrawberryがLSDのstreet nameだというのも初めて知ったし、このころのロックをなんでも薬物の幻覚に結びつけるのは好きじゃないが(解釈として貧しい)、なるほどこの曲の虚実皮膜の感じはおくすりのにおいが濃い。第2verse(より幻惑が深まる)前にシタールが鳴る意味も腑に落ちたし、とにかくこの曲を構成する音と言葉が全部腑に落ちた。ジョンの天才に改めて叩頭する(推敲前、Let me take you downはLet me take you back、No one (I think) is in my treeはNo one.. is in my wavelengthだったそうだ。なんと適切な推敲か!)。一方で、これほど狂ったアイデアに適切なドラムスを当てていくリンゴの天才も改めて称揚したい。……こんなことを書くのは明らかに「やるべきことの芯の芯」ではない▽私は自分の妄想からも影響を受ける。ある帰宅の電車で、私は、これも前にどこかで書いたが、基本的に優先席に座るようにしている。誰か譲るべき人がきたとき譲るために私が座れるなら座っておく、という、正しいかどうか分からないが、自分はそうする。あるとき、優先席の3並びを、3人のおばちゃんが占めていた。顔立ちから、ロシア人だと思った。耳に聴こえてくる片言から、やはりそうだと思った。私は眺めて小面憎かった。私の一般ロシア人への憎悪から。本国で戦争経済にいくら納税して、うちいくら余剰が出たから、日本で散財することにしたのかい、そうしてまた本国にかえって、戦争経済に納税するために働きまた消費するのだろう、という目でしか見られない(私の病んだ目、病んだ脳髄)。だがのち、なんかの折に大きな声が出た際に、この人らがしゃべっているのが本当はウクライナ語であることがわかった。同胞であったか! わさわさと、その人らは、下車支度をして、新宿三丁目だったかなぁ、降りていったが、私は、(ここからは、妄想だが、)あなたがたウクライナ人ですねとロシア語で話しかけて(私にはそれしかできない)、何もできない私たちを許してください、幸福な日本滞在を、皆さまがたに平和の空を。と言う。そう妄想した。ドアは閉まり、電車は走り出した。「あなたがたのことを忘れていない、日本はあなたがたとともにある」と言うためには、私は本当に忘れておらず、ニュースもきっちり追っていて、何か活動すらしているべきであった。だが実際には、ブログも更新せぬし、ニュースも、見ない日もあるし、ただ絶望して、失望して、やさぐれていた。ウクライナの現実から逃避していた。こういう妄想事件があって、ブログを、更新しようと思った。それを通じてウクライナとまた向き合おうと思った。私は自分自身の妄想から強い影響を受ける▽米大統領選が終わったことも、いいシオだと感ぜられた。北朝鮮のことでは、あまり食指が動かなかった。北朝鮮の関与が明らかになるにつれ日本のマスメディアもいろめきたち報道が分厚くなり勝ったが、このことにかんして、ゼレンスキーの評言に共感する。ゼロである、と。西側は国連安保理常任理事国が化外の賊徒と堂々徒党を組むグロテスクにドン引きし・あれこれ騒ぎ立てるが、その実害ある行動に対して対抗措置をとるに、ゼロ、皆無であると。政治がゼロであるなら、軍事、すなわち、とりあえず侵略戦争に投じられた戦力であるからはウクライナ軍として対峙せざるを得ず、対峙してどうなるか、様子を見るほかない。ということで、本件(北朝鮮の参戦)は当方、静観の構えであった。だが米大統領選は、さすがに、以前と以後を画する大事である。これについて俺は何を思うのかということを、自分のために書き出しておきたくなった。私は、もちろん、6日の夜は、大いなる落胆とともに寝て、7日の朝、大いなる失望とともに目覚めた。現実なんだ、ここはもう、トランプが選ばれてしまった世界なんだ、と。だが、そのあと、不思議だね、きもいね、唾棄すべきことだが、「前向き」になった。トランプにもいいところがあると思うようになった。このようにして露のこともいつか俺は許すのだろうか。パラダイムが変われば、新しい現実で生きていくために、少しは相手のことも見ねば、と頭が切り替わるのだろうか。ともかく、ハリスであれば、ウクライナ支援は続くが、それでかえって、ウクライナは長く苦しく戦い続けることになる。だがトランプであれば、苦しみはそう長く続かない、ことも、期待できる。のではないか。ここからは薄氷のロビイングである。ゼレンスキーとウ大統領府がトランプの意識をどう方向づけることができるか。▽今度の選挙キャンペーンでイーロンマスクは見下げ果てた。醜悪な糞虫。こんなやつが持っているツイッターとかいうのを喜んで使っているのは本当に恥ずかしいことだ。近況報告、きのきいたこと言うの、ちょっとうまくとれた写真を投稿するの、今すぐおやめなさい。アカウントを削除なさい。といいながら自分がそれをしないのは、マスクが導こうとする方向と逆方向へ世論を導くてことして、まだ使いでのある道具だからだ。その目的で、今後まだ、使う可能性があるからだ。実に、いやなことばかり。▽やるべきことの芯の芯。▽オデッサは無事でない。連夜ドローンが飛んできている。日本はウクライナを忘れた。日本人はウクライナ戦争を忘れた。三鷹にも武蔵野にも電飾がともる。私は敗北した。戦わないことで敵に勝利を献上した。敵?▽私は終わっている人格、終わっている人生である。この認識を基盤に、生を再生できないか。と、何の内圧もなく、言葉が滑る。言葉の滑りをひとしきり演じた。そのシュプール。▽書いているといつも最終的には神を呼んだ。O雅彦教授は、露に留学にでもいって、宗教はと問われたら、アテイストと答えなさい、それが多分君らの心情に一番合致してるから、と言っていた。そのような質問を実際受け取ったこともある(ああ、モスクワ)。そんとき自分はどう答えたか――神の存在を積極的に否定するものではないが、わが風土と自己史は、神を必要とはしなかった、ゆえに神を得ていない、だが、今後、不定の未来に、神を得ることに対しては、飽くまで自分を開いている。みたいなことをむにゃむにゃ言った筈だ。今の私は、オッサンになって、厚顔無恥が増しているから、上記のむにゃむにゃから、少なくとも後段の部分は、削除するであろう。堂々と、恥じらいもなく、私は神を信じていない、私は神を必要としなかった、今もしていない、恐らくは今後も、必要としない、と答えるであろう。それが私の本当なのだから、まったくしようがない▽私は一見、ぜんぜん終わっていない人間だ。もうすぐ二人目も生まれるという。二人目が生まれる人が終わっているとはどういうことだい。だが、私当人には、ようくわかっている。誰にも知られない形で、自分がすでにロボットになっていることを。あの魂は、死んだか、よほど奥深くに、封印することに成功したのだ。あの魂、見どころのあるやつであった、好きだったなぁ。だが深く葬ったので、もう出てこれないと思います。出てきたく思い、また、出てきても、もう帰り道は分からないと思う。猫が死んだ。その死を悼まなかった。そうして私は滅んだのだ。それしきのことでゆうに魂は滅びる。やるべきことの芯の芯が、笑わせる。▽毎朝出勤して毎夕帰宅する。これを毎日毎日続ける。25日に30万の給料を得る。簡単なことだ。この世にこんな簡単なことはない。▼やっていることがぐちゃぐちゃになってしまって、これは私の生活がぐちゃぐちゃになってしまったことと対応しているのだが、ずぼらな私でも、さすがにこれは気持ちが悪い。何丘ブログを大改装したい。とりあえず、どの記事が廃記事で、どの記事が現在更新中の記事なのかを、分かりやすくしたい。ここで言ってしまうと、現在更新中と言える記事は、このブログに数だけはやたらある記事の中で、3本だけである。この記事(千万字)と、「何かやる」と、戦争記事(今どうなってる)である。「今どうなってる」は「観察日記」の後継記事であり、観察日記のほうは、もう更新しない。あと、そのことと並行して、カテゴリーを整理したい。数だけはやたらとある本ブログの記事を、少数妥当なカテゴリーに、分類・整理する。さしずめ、「ウクライナ戦争」「ウクライナの生活」「ロシア語関連」「日記」とかか。この4つのカテゴリーに既存記事を振り分けて収納する。このときに、今ちょっと思ってるのは、また有限不実行に終わる可能性もあるが、「世界の豊穣とであう」「よりよく生きる」という2つのカテゴリーを新設し、それらテーマの関連記事を量産していく。前者は、それの何が面白いのと言われそうだが、「コンビニスイーツを食べる」「昭和の名曲100曲きく」という記事を、さしあたり、考えている。後者は、さしあたり、「屁こき我慢日記」というのを考えていて、これも、言うと、何丘は大丈夫か、何丘はもう終わりだ、と思われそうだが(書いてみて自分でそう思った)。いずれにしろ、本質は変わらない。このブログのメインの記事は、戦争の記事である。メインというのは、どういう意味だろう。社会的意義が大きいもの。私の使命であろうこと。私が書いてて一番楽しい記事ということはまさかない。そもそも戦争の記事が書きたくてこのブログを立ち上げたのでもない(本当にやりたかったことは、それこそ「世界の豊穣にであう」「よりよく生きる」といったテーマで記事を書いていくことである)。だが結果的にそうなっている。何丘ブログといえばウクライナまた(にゃんこ)戦争のこと。その本質とやら、メインとやらを、しかし、随分とまぁ、さぼったことだ。このほど久しぶりに更新してみる気になって、ただ、もう「観察日記」とかいう不謹慎なタイトルの既存記事に書き足していくのもいやだったから、新たに「今どうなっている」と題する記事を立ち上げて、ウクライナ戦争の現在位置について、2日続けて書いてみた。すると、さっそく、なるほど、これはたしかに、一般日本語メディアであまり伝えられないような、わりとエクスクルーシブな内容を扱っているわい、と自慢の気持ちになった。が、その数時間後、その自分の自慢の気持ちの最大の根拠になっていた、何丘自身の「考察」めいた部分こそ、いちばんダメで浅はかであったことに思いが至って、こんなものをイケてると誤認した、けっきょく下らない、俺がやることはすべて、と自棄の念がさした。自分を愛せないやつがどうして他人を愛せますか?とジョンレノンが歌っていた。私は自分を愛していない、もう何年も。最後に私が自分を愛したのはいつだろう?多分だが、他人をもっとも愛していたあのころ、あの、シルミオーネのころだろう。イタリア北部になんとかいう湖があってそのほとりにシルミオーネというまちがある。そこに2週間逗留した。めちゃくちゃに、他人を愛していた。てことは自分も愛せていた。空手すら有段だった。宇宙の全知を4カテゴリーに収納していた。11本屹立していた。11を4等分することくらいわけなかった。あのころから遠く来た。こないだ自分はしじゅうの峠をこえた。小太郎が呼んでいるのでいなくなる。皆さん、私はいなくなる。3、2、1でいなくなる。3、2、1▼改めてカウントしてみるとこの記事はこれまで5万3140字書いているらしい。指差し数えたわけでなく、Wordさんに数えてもらった(Wordにぺっと張り付けて「文字数(スペースを含めない)」の数字を見た)。ウ軍は戦争1000日で露兵を74万人ほど無害化したそうだ。殺すか重傷にさして戦線から離脱させたという意味。「死傷者」74万人という。死ぬか傷つくか、この傷つくというのは、左頬に十時傷を負いました程度のことではなく(その意味では無傷なやつなどいない――無疵な心がどこにある、ランボオ)、もう戦えないくらいの傷を負った、つまりは重傷、ということである。露の人口は1億4600万人(日本よりちょっと多い)。うち半数が男性で、その半数が徴兵適齢(18~60歳)と雑に計算すると、5230のわる2だから、2615万人。ここからエッセンシャルワーカーやビジネス/政治エリートや障碍者やなんや除いて、負けに負けて、1000万としよう。露の潜在的兵力、1000万。この1000万から、74万だけ削った。何かを思い出しませんか。何かに数字が似ていませんか。そう、私のこの記事である。1000万字書く(書いたら戦争終わる)とうけい(宇気比)してひとまず5.3万字書いた、「祈りの一千万字」。つまりは、そういうことである。「終わらない」「果てしない」ということの絶望を、自分で追体験してみるために、この「一千万字」というやつを、やりはじめた。でも、その志は、とんざしてるといっていい。ウ軍が毎日こつこつ1500人ずつ死傷さしてってやっとこの74万という数字に達したのに比し、私は、書いたり書かなかったり、てか大体の日、書いてない。少なくてもいいから、もう少し、コンスタントに書いていって、まだ減らない、まだ遠い、あまりに遠い、と喘ぐのでないと、類比をなさない。追体験ということにならない。「表現」にならない。げに、これは、私ひとりが体験するのでなく、見てる皆さまもあーなるほど、これはたしかに、と何事か感じることのできる、アートなので。――と、ネタ晴らしをしたところで、――や、もう少し補足する。ウクライナが削った74万という数について。まず、これを7がけした程度の数が、ウクライナ側でも削られている。ウクライナの人口は戦前時点で4000万、露のざっと3分の1である。戦争始まって600万が国外流亡した(男性はそのなかにあまり含まれていないが)から、今は3300万くらいになっているだろう。それから、露兵74万というが、うちの相当数は、外国人の雇い兵(東南アジアとかから金で釣ったやつ、中央アジアの不法移民にほとんど無理やり制服着せたの等)であり、あるいは囚人であり、あるいは地方の「非国家形成民族」すなわち非ロシア民族であり、言ってしまえば、これら、二級市民たちである。露の世論形成に力ある本質部分はあんま削れていない。この2事実を指摘して、絶望をさらに深めておきたい。果てしない。――さて、それはそれとして、わたくしは台西を得た。めでたい私が、死のにおい濃い、戦争の話を、なぜこうして、しているのか。生と光と愛とに集中したら?死のこといったん休んだら?――第一に、私はそれでなくても、休む。じゅうぶん休み過ぎた。第二に、私がウクライナとのかかわりを手放さないのは、子への責任というおもいが強い。戦争について何か書き何か考えることは、それはそれとして、とても大事なことと思っている。自分自身にとってね。皆さん全員にとって大事なことであるべきと言っているのではない。▼私には猫がいた。それは大事なことのはずだ。あんなに大見得切っておいて、冬の到来前ついに一台の発電機を送ることもしなかった私。その更新を止めれば私の人性は終わるとまで宣言しながら、1か月や2か月も、戦争記事を止めていた私。これからも止めるであろう、これからも何もやらないであろう。では私って何。そんな私に残された最後のものって何。いや、最後まではまだだいぶある。だいぶ何かつまった個体ではある。私って何。もちろん、恥ずかしいことだ。すまないとも思う。もう少し何かであると思っていた、この何丘というやつは。そう期待させて落胆させてしまった人に、申し訳なくは思う。と書いていて、つまらないなと思った。こんなことは私でなくても書ける。私から出た言葉ではない。まだきみが元気だったころ私はこんなことは言わなかった。――きみはまだ元気だった。2011年。(猫に呼びかけている。)わたしの猫よ。なんだこれわホームレスなんか死んじゃっていい野良猫を救いたい、とうそぶいたあの蓬髪の青年のグロテスQじゃないか。猫。猫。猫。猫への思いが深まると私は酔う。酒に酔う人夢に酔う人権力に酔う人(アリーシャ・キーズ)、私は猫に酔う、それも、ここにいない猫、他界の、彼岸の猫に。にゃーお!違う、ニヒト・ディーゼ・トーネ。猫はこんな人間みたいな声で鳴かない……本当の猫は……鳴かない……。(ご覧に入れているのは、世にも珍しい、猫を触媒にした、ディープ・トリップ。)一転、する必要がある。一転、して、青空である。蒼穹。「そら」と読んで、「蒼穹(そら)は、ない。」と言うための、この蒼穹という言葉。早い話が青空である。そを見上げてる。(そーは、青いそらー。)れーはレモンのれ、じゃないんだよ。だってドレミのレはReだけどレモンのレはLeだから。と言ったのは、誰あろう、わが師、伊東一郎先生である。それでいうと、露語では、音階は、どれみふぁ「ソリ」「リャ」しど、どーでもいい。気づいた人は気づかなくていい、私は侵略国を露と呼び、被侵略国をウと呼びまたウクライナと呼ぶ。私はインターネットの海にウクライナという語を多く置きたい、露から始まる3文字の言葉をあまり置きたくない。私には3文字の国号は汚らわしい。なるべく口にもしたくない。どうでもいいことを書いた。こんなことこそどうでもいい。こう浮き上がってしまうと、だいぶ浮き上がってしまった、だいぶ下降していかないと、地に足がつかない。地に足がついてからが猫の話だ、それまで何かしてあそぼう。そうだ、あれをしよう。谷川俊太郎の話をして盛り上がろう。これは私の過去にもつながっているいい名だ。三好達治が序文を書いた詩集「二十億光年の孤独」が52年刊行だそうだから詩業実に70年にもおよぶ、やつがらも折々その作品に触れてきたが、あまりに言葉が平易でしろうとすさびくさいので、好きにもならず、関心もしなかった。荒地の同人こそ現代詩の本流と思っていた。鮎川、田村、黒田、木原、吉本、ちょっと下って飯島、大岡、入沢、天沢、吉増、荒川。別枠で、吉岡実、西脇順三郎。もう猫に着地できそうなところまで降りてきたが、せっかくだからもう少し続けようか。わたしが谷川の言葉に一番親しんだのは実はピーナッツ・ブックのスヌーピーのマンガである。余技だか小遣い稼ぎだかでこのシリーズを谷川が訳していた。この古い漫画が親父の蔵書にあって、私も愛読していた。チャーリー・ブラウン@おたんちん(パレオロガス)。スヌーピー@屋根の上の仰臥者(犬小屋の中は実は地下に深く、ゴッホの絵が収蔵されている)。ウッドストック@天地反転飛行。ルーシー・ヴァンぺルト@女ジャイアン。ライナス・ヴァンペルト@安心毛布。シュレーダー@おもちゃのピアノでベートホヴェン。好き。みんな大好き。魔法でいちごクッキーにして、みんな食べちゃいたい。蒼穹はない。「蒼穹は、ない▼風のつよい日だ。疾風に勁草を知る。「やるべきことの、芯の芯。」をモットーにしてしばらく生きてきた、とはいうものの、それを実行し得たかといえば、実は、全然そんなことはないのである。ちゃんとそれをできる人もいる。たいそうな標語を座右に置かないだって常にやるべきことの芯の芯を突く、そうしていないとむしろ心持が悪い、という、心の正しい人もいる。たとえばうちの妻などがそういう人である。私はその対極だ。どこから道を間違ったのだろう。その起源はおそろしく深い。小学生時分にはすでに芯や芯の芯をいかに迂回して生きるかということに血道を上げていた。やる「べき」ことと見えるとたちまちやりたくなくなった、どうしょもなく億劫になった。ヘミングウェイ「何を見ても何かを思い出す」という書名を駅裏の熊谷市立図書館に見出したとき即座に「何をしていても本当にやるべきことはそれじゃない(他にある)という気がする」というパロディを思いついたのだった。私が、本当に、そのときすべきことをしていた時期というのは、人生で何回もない。それは私の勝利的な(триумфальная、輝かしい)思い出である。「手記」に書かれている日々の後期、露糞軍が侵攻してきて、2歳の子を連れていかにウクライナから出亡するかを考えていたときなど、さしずめ、正しく生きていた。生の調律が正しく利いていた。今しているべき外ならぬまさにそのことをしている、という感じで充溢していた。また、たとえば、5年前オデッサ州立第n病院、太郎が生まれ、その黄疸の治療で、入院を延長し、妻とかわりばんこ、2時間おきに起きては、太郎の目を光線療法のブルーライトから保護する帽子をかぶし直していた、その数日も、そのときしなくてもよい/すべきでないことなど何ひとつ含まれていない、純粋な「すべきことなしつつある」日々であった。まだいくつか思い出せる。あれは2012年モスクワ渡航の少し前、完全な暇人・高学歴ニートであった私は、上熊谷の珈琲館で、一冊のノートと一本のペンで(All I need is One Mic)、現存在分析に余念がなかった。半生文学徒として生きてきたのだが永井均とヴィトゲンシュタインで哲学に開眼し、哲学、面白!!と思って、夢中で哲学し、筆記していた。あのときも、わが生に例外的な、生の充実を謳歌していた。これら、たぶん数えて十指にみたない例外時を除き、わが生は、常に、せでものことにかまけている時間であった。今もだ。こんな「一千万字」とか綴っているのは、他のもっと悪いことよりはましなことなのかも知れないが、全然、いま一番自己と家族と社会と世界に必要なことではない。「やるべきことの芯の芯」として思いつく、今本当にやっているべきことが、ざっと3つ4つ即座に思いつくが、それらに着手するとしても、どうせ、その中で一番順位が低いこと(やるべきことの芯ではあっても芯の芯でないこと)から取り組むに決まっている。この一文、相当な悪文だと自覚しながら、あえて直すこともしない。もう全部いやになった。ひょうそくなど合わなくて結構。おーい、K、きいてるか、K。お前とは絶交して久しい。だが、お前は、やるべきことからの逃避癖という、どうしようもない宿痾をもつ点で、俺の深い意味の同類であった。だから愛したのだよ、俺はお前を、多分はお前も俺を。よくよくaimして矢を放ったつもりでも、自己の心のもつ謎の係数がわるさして、矢はかならず芯の芯を外れるようにセットされていた。その心の嫌味な定数を、どうにも取り除くことができない。自覚は間に合わない!認識しても追いつかない!死ぬまで「こんなことをしている場合ではない」と焦慮し続けるのだろう。不幸な生だよ!ディア・パッセンジャー。プリーズ、……お、もうそんな時刻かい?オーケー、黙ります。……▼サーティワンアイスクリーム。一度も食べたことない。セブンティ―シクサーズなら知ってるよ。アレン・アイヴァーソンやろ。いまちまたでAI、AI言ってるが、私からしたらAIとはアレン・アイヴァーソンのことである。180㎝の短躯でダンク決める超ジャンパー、全身バネ男、一説によればモンキー・D・ルフィのモデルになった。またKG、KGちまたで言ってるが、私からしたらKGとはケヴィン・ガーネットのことである。同様に、いまJK、JK言ってるが、これはジェイソン・キッドのこと。私が深夜のBSでNBA見てたのがどういう時期だかこれでお分かりいただけただろう。あのころ一番テレビを見ていた。その一番見ていたときでも、ほとんど専一に、NHKしか見ていなかった。だから松本人志とか言われても、「世代です」「ぼくらの世代はみんな見てました」とか言われても、「ガキの使い」「ごっつええ感じ」とかいうのは、名前だけ知ってるが、多分確実に、一度も見たことないはずである。少なくともどういう番組であるかの認識は何もない。そんな私だから、NHKをぶっ壊すとかいう人が出てきたときには、びっくりしちゃった。私からしたら、くだらないテレビの中の唯一いいものがNHKであったから。というのが大いなる脱線で、サーティワンアイスクリームの話に戻ると、とはいえ、サーティワンアイスクリームの話など、ほとんどしていなかったも同然だし、そもそも、何かが語りたくて、サーティワンアイスクリームの語を出したわけでもない。完全にノープラン、出まかせで書いている。谷川俊太郎の扱いが大きくて驚いた。連日多くの紙面を割いてる。朝日は谷川さんが好きだな。私がよく読んだのはむしろ谷川雁のほうだが。吉増のコメントがあって、相変わらずの語り口にほっこりした。吉増が死んだとき、新聞はまさかこれほど大きく扱ってはくれまい。もう85歳か。吉増が健在で、今も詩を書いてくれているということが、私を深いところで支えている。吉本さんがいなくなったことは私には喪失であった(だいぶ前だが)。にしても今年も死は豊作であったことだ。松岡正剛も死んだし、あの火野正平という人もこないだ亡くなったじゃないか。個人的にも、去年に続いて、今年も喪中だ。ひとり生まれるとひとり死ぬのである。死にたくない。谷川俊太郎、死に好奇心という、ふしぎな心の持ち方。私など、見まい見まいとしている。見えてしまったとき気が狂うような感じがする。神にも依らず、個人として死に面接し、対峙あるいは対話する。この強い心の持ち方があれば、私は、たぶん、今よりも、たぶん、……ブラックホールのへりのところ、ブラックホールとそうじゃない空間とのキワのキワのところで、粒子と反粒子の対生成ということが起きて、無より対で生じた二つのものの、一方がブラックホールに落ちて、他方がブラックホールじゃない側に落ちることにより、結果的に、なんだっけ、その素粒子ひとつぶん、ブラックホールの目方が減るのであったっけ。そんな感じで、死から出てくる微弱な光(ほんらい何ものもそこから出てくることはできないのだけど)によって、生を賦活する、という技術があるよ。だから天皇の一族は心うらぶれると熊野にこもったの。めちゃくちゃ言っている。Let me take you downではじまる有名なJレノンの歌、の和訳を考えている。きみを連れ下ろさせてくれ、ぼくもそこへ行くから。”いちご園”。こう始まる。「連れ下ろす」は妙な言い回しだが、これがちょうど、take downという英語に(おそらくは、やはり異風の)対応する。このところの歌詞は推敲前のヴァージョンだとtake backだったということである、とは以前どこかに書いた。いちご園というのはサルヴェーション・アーミー(救世軍)のサマーキャンプの名称つまり固有名詞で、ジョンは少時ここに通いここを愛した由である。愛通、というのかな、愛して通った、通って愛した。そんな言葉はないし作る必要もないのだが。さて、そのあとの、Nothing is realというところが、翻訳がむずかしい。アドリブで子供のために訳しながら歌ったとき口をついて出たのは「ぜんぶ、嘘。」という句であった。そのあと自分で思弁的にひりだした便(べん)案は「無物は有(むぶつはゆう)」というものであった。前者をとろう。ここまで通しで歌ってみる。「きみを連れ下ろさせてくれ、ぼくもそこへ行くから。”いちご園”。ぜんぶ、嘘。」だから何にも心配いらないよ。とつなげたい。Nothing to get hung aboutこのハングアバウトというのは動詞+前置詞というニュアンスの世界、非ネイティヴにはいちばん難しいところだが、ニュアンスとしては要は、いちご園は幽明の境でありそこでは全てが嘘(無物が有)であるから、逆にいうと、現世の悩みや苦しみも、そこではぜんぶご破算になっていますよ、ということらしい。というわけで「なんにも心配いらないよ」。で、最後の一句、Strawberry fields forever、直訳すれば「いちご園よ、永遠に」。この永遠にというのは、子供の耳には、何の意味だかよくわからない。永遠という概念は子供にはつかみにくい(経験的に)。そこでシンプルにこのようにする――「いちご園、いいところ。」これで出そろった。通して歌ってみる。「きみを連れ下ろさせてくれ、ぼくもそこへ行くから。”いちご園”。ぜんぶ、嘘。だから何にも心配いらないよ。いちご園、いいところ。」これを私のヴァージョンの決定稿としたい。このあとのverseたちもおいおい訳していきたいところ。私はこの歌がこのごろとみに気に入った。ジョンレノンは一度こうと言ったことを即座に打ち消してみたり曖昧、両義のあわいを進んでいく。危ういところ危ういところへと戯れながら歩を進めていく。言葉による言葉の否定、を通じて示す(語らず、示す)言葉への強度の肯定。この精神の在り方はたしかに谷川俊太郎に通ずる。逆に吉増には存在しない、言葉に対するある種のラディカルな態度である。そんなジョンレノンの命日がもうすぐでございます、その日は一日レノンを聞くことにしています、といった仙田学さん元気ですか。12月8日、ダコタ・アパート。その1階部にいま入居している、サーティワンアイスクリーム。▼戦争記事がメインのブログ(と自称)を書き綴りながら子供には戦争のせの字のにおいも嗅がせたくない(戦争のせの字からは戦争のにおいがする、という異常な警戒心、潔癖)この親は故に三鷹の森ジブリ美術館いうものを近所にもち実際市民枠で過去5回ほど子とそこを訪れながら、ジブリ映画でも子に見せるタイトルは非常に限定している。これまで子と見た作品は3つ、となりのトトロ(2歳)と、魔女の宅急便(4歳)と、崖の上のポニョ(4歳)、これ以外の作品は逆に相当長期にわたり見せる予定なし、例外あるとすれば「耳すば」だが子にそもこれ面白いかなぁを疑う。戦車や大砲や発砲の描写があるからラピュタやハウルやナウシカは無しである。10歳くらいまで見せたくない(この数字はテキトウ)。このほど徳間書店のポニョ大判本(アニメの場面を切り貼りして絵本じたてにしたやつ)を図書館で借りてきた。前に一度借りて読んでいるのだが、このかん子が古生代の生物に開眼して、なんとかルピスだの無顎魚類やら肉鰭類やらやたら詳しくなったので、世界水没後ポンポン船で旅しおるなか宗助が古代魚指呼して「あれは、〇〇。あれは、××」と幼時に似合わぬ該博な知識を披歴した場面、あそこで言われている魚の名前が今は私たちにもわかるのではないか(ちょうど子はいま、劇中の宗助と同じ5歳)と子と話していて、ただ人気の本なのでいつも図書館にあるとは限らず、こないだいったらちょうどあったので(予約という便利なシステムも、ありますが。)借りてきた。で、おとついくらいから読んでいるのだが、改めて、この作品、好きじゃねえー。子供に説明するのが非常に困る。余白が多くて。相当補いながら読んでいる。フジモトがなんでさいしょ宗助やリサらの前に、水撒く人として立ち現れたのか、にもかからわず、その前後、宗助単独に対しては、挨拶なしの強襲強奪戦術をとったのか。この変わり身は何?など。いちいち説明しないでは子供に読み進められない。設定にそもそも色々無理があるのではないか。月が近づいてくる(月が近づけば少しはましだろう)あのこともどう説明すればいい?実際恐竜の時代には月が今よりだいぶ近かったそうですが。この作品がどうして私は嫌いなのか、まだ分析し切っていない(何かを分析しきることなど私にはおよそない)が、今ひとつはっきり言えるのは、世界水没という大災害のファンタジー化が不当であることだ。このご都合主義はマジで許せない。自己に持ち扱い兼ねるほどの魔力を持って生まれた魚の子が、見染めた一人の人間の子供に会いたいというそれだけの理由で、世界を水没させた。崖の上の一軒家より下の港町ぜんぶが水没した、ガキの手前勝手な心ひとつでだ、相当な数の人間が死傷し、少なくとも、膨大な財産が台無しになった。食料・文書・書物など再生不能な損傷、大量の廃棄物、おびただしい経済損失。それが美談になっている。水没後の世界ちれーだなー、うつくしいなー、げんそーてきだなぁ、じゃ、ねえ。これは災害だ。災害をこんな美化していいですかね。子供の願いがかなったよ、ポニョは宗助にあえたよ、よかったー。それで万々歳というのは、あまりに主人公に中心化された世界じゃないですか。作品の世界構成法として、そんなの許されますか。その点で、この作品の、この展開は、クソだと思います。ということまで含めて、子供には、語ってしまうのだ。全部そういうことも言う。自分がどこに得心がいかないか。すべて語る。ちなみに、逆に、DNAとは何かということも、デオキシリボ核酸、生命の設計図、細胞核中の二重螺旋、など自分が知っていることは全部しゃべる。一冊のポニョ本を徹底解剖、一冊の本の潜在能力を完全に引き出す。無限刃の全発火能力を解放→カグヅチ、というやつである。このようにして私は、私は、こんにちは。あと3分でしゅったつします。国分寺というところへ行ってくる。たぶん、降りたことのない駅である。椎名誠、さらば国分寺商店のオババ。会いに行ってくる、婆に。ババアに会いに、国分寺へ。▼私は実は納豆が好きではなかった疑いが生じた。それは言わないで何丘サン(いくらなんでもヒドすぎる)と言われそうだが、聞いてくれ。私は終生納豆を愛した、と思っていた。倦んだ時期など人生に一度もない。熊谷の実家でも西早稲田の下宿でも高円寺でも、ずっと納豆食っていた。モスクワ住んでたときも大葉と生納豆が手に入ればどんなにいいかと思い納豆を自製したという人の話をきいてはあー、それはぼくにはむりだー、と思ったりしていた。今でも納豆はたべている。だが、いま、私が食べているのは、もっぱらひきわり納豆である。ひきわりとはなるべく納豆くささを殺した納豆、もはや納豆と言えるか微妙なくらいの稀釈版であって、このままいくと、むしろ納豆を食べないということのほうがわが嗜好にとっての正解である、という数学的結論に立ち至りかねない。さかのぼれば、もともと熊谷のうちで常食していたのは「おかめ納豆・極小粒」であった。3パックのやつ。ここで気が付く、「納豆と私」の題で、私は、微に入り細を穿ち、いくらでも語ることができる――添付の和辛子の廃棄量が人生通算で1トンほどにも上ってしまっているだろうこと、味変に何を使っているか(大葉、長葱、かつぶし、卵、醤油、こんぶつゆ、ゆずぽん、山形のだし……)――だが今は、粒の粒径に話をchevrolet(絞ろっと)。私の初恋の相手でありついこないだ別居始めるまでずっと連れ添っていたおかめの極小粒は、そも豆くささを軽減して古来伝統の納豆がニガテという人にも食べやすいというコンセプトで開発された商品のはずだ。本製品を入口に、道は二手に続いている――粒径を大きくしていって古来伝統の豆くさい納豆に出会うという道(納豆の森)と、粒径をむしろ小さくしていき豆くさくないほう豆くさくないほうへ逃れていく道(納豆の平原)。果たして私の選んだ道は後者であった。では畢竟、私は納豆が好きでなどなかったのである。このまま金輪際納豆を食べなくなるほうへ私は進むのである……?いや待て、では、今たべているひきわり納豆を、食べなくなることができますかと問われると、いや、それはできた相談ではない……。ひきわり納豆を刻み葱(既に刻んだ状態でパックで売っているやつではだめだ、自分で今そこで刻んだ長葱に限る)と手ちぎり大葉で食べる、これに代わる口福などない。【ここでCM。面白いですか、数字の神様?私が今書いているようなこと。】だが、このひきわり慣れした口に、今さらおかめの極小粒は、豆くさぁて敵わん。こないだ間違って妻が買ってきたのだが、閉口した。というほどではないが、うーん、やっぱひきわりのほうがんまいな、と思った。ところで妻である。妻はコーカソイドいわゆる白人種であって、一般に白人種は納豆と硫黄泉を好まない。ケフィアは好んで飲むけど。だが妻はかなり年季の入った納豆好きである。その妻も今は専らひきわりを食べる。秩父に住んでたときは一緒におかめの極小粒を食べてたけどな。してみると、妻も元来「納豆など好きではなかった」ということになるか?なんだかめちゃくちゃである。あるいは、全世界的に、味覚の変調が進行しているのだろうか。全人類が同期的に、納豆の納豆らしさを嫌悪しはじめている?読者の皆様のお声をお聞かせ願いたい。皆さんは今でもおかめの極小粒を食べていますか?近年、ひきわりに切り替えたのではないですか?いや思えば、売り場では、ふつうにメインで極小粒を売っている……扱い的には、ひきわりの方がサブの感じだ……。謎は深まる。ところで納豆をロシア語でなんというか知っていますか。ферментированные бобыというのだそうだ。いま試しにこの語でG検索したらНатто(Wikipedia)というのがトップで出てきた。読んで字のごとく、фермент=酵素を効かせたбобы=ダイズ、つまり発酵豆のことだ。これを聞いた太郎5歳児は、案の定、ферментированные бобры(酵素を効かせたビーバー)ともじって、自分で爆笑した。たしかにちょっと面白い。納豆の話でした。▼人間は数ではない、然り、何人死んだとか殺したというとき、その一人一人に固有のミクロコスモスが、人生がまた家族があった(ある)ことを忘れるな。とはいうものの、敵が100万いて、その数が0になれば敵は負ける(私たちは勝つ)という数学的現実が一方にある。同様に、敵に1000のミサイルあり、その数が0になれば敵はもう撃てない(私たちは脅かされない)、また、敵に100兆円があり、その数が0になれば敵はもう戦えない(私たちは戦わなくて済む)。ゆらい、ウクライナ軍は、今日は敵兵n人を戦場から退場させましたということを欠かさず発表するし、敵からの大規模ミサイル攻撃があると、これらミサイルを造るのに敵は総額いくらを費やしましたということを、ウクライナメディアはしばしば報道する。数は慰謝する。数はまやかす。羽交い絞めにされ、今からお前を千発殴ると言われ、一発、二発、三発……その一撃一撃はたしかに痛い、肉体的苦痛、まぎれもない現実である、だが、かれ(打たれる者)は数え始める、千からの減算、あと〇発を耐え抜けば、この苦しみが終わると。現実の痛みの抽象化による紛らし、朧化。さてわたくし。この、終わらない「数」との格闘、または、その数がしかし着実に減っていっていることの慰謝、をシミュレートしてみむと、一千万文字を書きだした。それがこの(一千万字、という記事の)試みの正体である。いまウクライナ軍は1日に1500人ほどの露兵を無害化即ち第200貨物(死体)か第300貨物(重体)のどちらかに変えて本国へ送り返している。そこで私も、一日1500字を目安に、連日書き綴っているというわけ。「というわけ」とか言いながら、ウクライナ軍とちがい、さぼりさぼりやってしまっているので、これは本当によくない。そうしてしまうともはやシミュレーションにならない。少量でも毎日やることにこそ意味がある。そうでないと何の意味もなさない。それはそれとして、戦争と全然関係ない記事も、このブログには書いていきたいものである。実はひと記事、書いたけどお蔵にしたものがある。「放屁がまん日記」という。私は家で放屁する悪癖があるが、これを妻は快く思っておらず、「親しき中にも礼儀あり」の精神から、私自身もこれじゃだめだと思っていて、それでこの記事を立ち上げて、今日は我慢できた、今日はうっかり一発こいてしまったと、日々報告する。まじめな記事なんだよ(トンボの口調で。飛行倶楽部、「まじめな集まりなんだよ?」)だが書いて楽しくてもいざ公表という段になるとやはり阿呆らしくなってやめてしまった。阿呆くさいなSky News、納豆。このフレーズ欲しい人!「500円!」「510!」「なにお600!」「790!」「しーん」OK、ではそこのあなたへ、790円で、「阿呆くさいなSky News、納豆」。この系統で、もうひとつ、「妻愛撫日記」というのも考えている。私は妻をないがしろにしがちである。それってDVである。Tell me when was the last time you brought her roses home from workとJoe Thomasも歌っているわい(Treat her like a lady)。妻を愛撫したか、どんなふうに愛撫したかを(言葉とか、態度によって、という話ですよ)日々つづる、というもの。放屁と妻愛撫に共通するのは、その目標を自分の内心で飼っているだけではつい怠りがちなので、ブログに外化して、日録するということを通じて、奮起励行するという目的である。ところで、日録し・励行していないにも関わらず、先般からひとつ、よい習慣を続けている。プチ断酒中。私は11月15日を最後にお酒を飲んでいない。もうすぐ3週間になる。ちんげが生えてからこんなに長く酒を飲まなかった期間はない。このまま少なくとも12月9日まで飲まずにいたい、また、いられるだろうと思っている。12月9日は会社の飲み会があるので一杯くらいは飲んでよし(そこでだって別に飲まないことはできるが、タダ酒であるし、別に生涯断酒しようと思っているわけではない)。そのあとは年末までふつうに週2-3くらいで飲むのだと思う。これまでずっとそうしてきたように。お正月は当然、飲むであろう。そのあとのことは知らない。とにかく、12月9日までは酒を飲まぬのである。何の意味もないが、そうしようと思って、げんにそうした、という事跡を、ひとつ作ってみる。こんなことの繰り返しにて、人生を織る。▼もっと納豆のこと。私は家でカレーライス食ったあと、同じ皿で納豆ご飯を食うのが好きである。カレー食った皿で、カレー食ったスプーンで食べる。すると、自然、カレーの味が納豆メシに混入する。これ「が」いい、とは言わない(ゆえに、納豆カレーというものは食べない)が、これは許容可能である。納豆にカレーの味が混入するのは許容可能。わたくしに納豆カレーを教えたのは善光寺の長野のカレーの名店「山小屋」である。まだやってるのだろうか「山小屋」。初めて訪れたのは武田さんがしんまい(信濃毎日新聞)にいた頃だから、こうっと、2008年とかそんくらいか。もっと早いかも知れない。ちなみにBookOff裏のあのこきたねぇBARで私はシャンディガフ(ビールとジンジャーエールのカクテル)というものを知ったよ。私は埼玉県北民だからもちろん長野とくに北信は好きだし馴染みがあるし、尊敬している。長野はまったくずるい。善光寺の長野があり、松本があり、佐久だの小諸だの上田だのあって、そのうえ軽井沢まで持っている。神奈川が箱根を持ってるのと同じくらいずるい。こういう話は関東の人でないと分からないのかもしれない。が、関東でない人が、こういう話は関東の人にはみな伝わるのだと思うとしたら、それもまた間違いだ。話を戻そうか。「山小屋」。ちなみに同じ長野駅周辺に「山と渓谷」というやはりカフェふぜいのごはん屋さんがあるが、こちらには入ったことがない。こういう店も、あるうち入っておかないと、すぐ閉まってしまう、ごはん屋さんの命ははかない。西早稲田で私が好きになるラーメン屋とカレー屋は必ずつぶれるというジンクスがあった。「山小屋」。永遠にたどり着かないのだろうかそこへは。「山小屋」の話をしたい。だがこんどは武田さんの話をしたくなってきている。武田さん、覚えていますか、高円寺の喫茶店VIVACE(ヴィヴァーチェ)で語り合って飽きなかったよね、遊星、バッハ、零(ゼロ)のこと。だが<やる可きことの芯の芯>!さて「山小屋」納豆カレーの話。「山小屋」にはランチでもディナーでも頼める1200円のカレーセットがあって、1200円でなかったかもしれない、体感(体感というのも変だが)1050円くらいのものなのだが、そんな安いわけはないという配慮から、忖度というのかな、1200円とした。このセットの内容というのが、まずメインが納豆カレーであって、それにミニサラダと食後のミニアイスがついている。ふるっているのが、これにさらにワンドリンクがついてきて、そのワンドリンクを、無難にホットコーヒーでもいいのだが、追加料金なしでグラスワインにもできる!あの2008年、武田さんに会いに長野へきて、もちろん当時のことだから、新宿からバスで2000円とかで来たのである(体感1200円、だが、ンな安いわけがない)。それで昼ぃ蕎麦たべて、晩ゃ「山小屋」でカレーを食べた。納豆カレー。大粒の納豆である。赤ワイン。バニラアイス。完璧な夜だった。私はその晩、武田さんに愛されたのだった……。後年、妻ともこの店を訪れた。そうさなぁそんな昔のことでないよ、んっとね、2018年とか。東山魁夷の美術館に行きたかったのだが(そこを訪れたのはそれこそ私が小学生のときだ)改装工事か何かで閉まっていて残念だった、今やってるのだろうか。妻は北斎(こと、画狂人「卍」)が好きなので、小布施に足を延ばしたんだった、栗の小径で、えげつない接吻をした。それはともかく。私の好きな長野をこの人に全部見せてやりたいと思って、「山小屋」で納豆カレーを食わせ、BookOff裏のなんとかいうこぎたねぇBARにも連れていってシャンディガフを飲ませた。納豆カレーは大した感銘を私に与えなかった。恐らくは妻にも。あのときと同じに、赤ワインと白アイスといただいたのだが。ふーん、俺、もう終わってんだ。と思った。爾来何にも感動していない。埼玉へ帰ってきたらもう廃人だった。納豆も大して好きではなかったことがこのほど判明した。私は終わった人間。玉ねぎの皮を剥きながら、玉ねぎの皮を剥きながら。▼昨日は酒が飲みたかった。It wasn’t easy getting used to this, I used to scream(Benjamin Clementine “Conerstone”)私が12/9まで3週間にわたり断酒するぞというとき、それを楽勝案件とおぼしめすな。私のような「血管をワインが流れている」人間には容易なことではない。昨夕、お酒飲みたくて飲みたくて、妻に、お酒が飲みたいよう、というと、妻は「聞きなさい」とおごそかに言って、端座し、目をねむって、「モージュナ」と宣った。可なり、の意味だ。便乗して太郎まで「モージュナ、モージュナ!」と私を使嗾する。それでも俺は、敗けなかった!最寄りのローソンに札幌を買いにいくこともしなかったし、窓辺のカザフスタン・コニャックに手を出すこともしなかった。そんなおり、ちょうど今日の朝刊(朝日)に、酒は飲めるけど飲まない、ソバ―キュリアス(Sober Curious)という思想体現者のことが載っていた。ほぉ、なんとか名のついている現象だったのか、同類がいっぱいいたのか、俺とて世界の潮流と無関係ではなかったわけか! そう悟って、がぜん、ばからしくなって、今日は朝から酒を飲んでいる。きょうは12/7である。3週間がまんして、あと2日で目標達成であった、昨晩の危機もせっかく乗り越えたというのに、今日もう朝から酒を飲んでしまっている。破天荒、破滅型、俺ってこういうとこあるの。いい気分でさて何を騙ろうか、語ろうか。「地雷グリコ」読んだ、おもしろかった。軽薄だが、娯楽として。こんなの創作するのは大したものだ、私には逆立ちしたって無理。これは漫画にも映画にもなるだろうしキャラクターも立っていて、こういう作家が現代はお金を儲けるのだろうなと思ったら、案の定、白泉社から漫画が出ているらしい、ちらと覗いてみたが、真兎の造形がいやで、こんなん俺の真兎じゃない、と思って、読むのやめた。椚先輩もこんなんと違う。好きな対戦は地雷グリコと「だるまさんがかぞえた」。真兎の無双展開が快感なので。読書というと、サガンの「悲しみよこんにちは」を読んだ。初めて読んだ。そもサガンという人は初めて読んだと思う。私にこの本を教えたのは上白石萌音という人である。この人の名はなんとなく聞こえていて、現代を代表する美人、私の世代の広末涼子にあたる人だという認識であった。という認識の根拠になったのは、千と千尋の神隠しの舞台をロンドンで上演したときに、千尋の役をダブルキャストで橋本環奈と上白石萌音がやったというニュースをだいぶ前に見て、橋本の名と顔は絶世の美女との触れ込みとともに知っていたので(動いているところは見たことがないが)、要するにこの二人が現代を代表する日本の美人ということなのかなと心づいた。珍名コレクターとして、上白石という苗字と、おそらくもねと読むのだろう萌音という名の取り合わせに、「上等の、白色の、石であり、萌えを催させ、またよき音がするもの」これは相当完成度の高い名前だなと食指が動いたのもある。で、このほどYouTubeで、その上白石が動いてしゃべっているのをはじめて見て、なるほど、めっちゃ可愛いな、と思った。それは「東京の本屋さん」というチャンネルの、【上白石萌音】世の中が嫌になった人にオススメの本という動画で、そこで上白石が、好きな本を3冊とか紹介している。その語り口が実に好ましかった。このように率直かつ的確な言葉で、好きな本について語れるだろうかを自問して、たとえばドストエフスキー「罪と罰」、と思って、そういえば先日、「罪とスペイン人性」(Crime and Spanishment)という冗談を思いついたのだった、ロジオーニ・ラスコリーニョ青年の懊悩と微発光そして世紀の大土下座。みたいな戯言に終始してしまうひねくれた私に、上白石の図書語りは実にまぶしく、清新で、あこがれすら覚えた。それで、ここで上白石が挙げている本をとりあえず全部読もうと思って、さっそく三鷹市立図書館で予約して、借りて、さくらももこ「もものかんづめ」やら、子供の絵本の「こんとあき」やら、「ぼく、馬、狐、犬」やら、「バムとケロ」やら、そしてサガン「悲しみよこんにちは」も、読んだ(書名、正確でないかも知れず、ご海容)。サガンすばらしかった。悲しみなら悲しみというひとつの感情をこんなに丁寧に感じ尽くし語り尽くす、私は人生のあるときまでそういうことをしそうな方向に生きていて、だが、徹底せぬまま中年になってしまって、今から追いつくとしも思われぬ。実に繊細な才能である。私は自分が書くものが恥ずかしくなった。ともかく、すっかり上白石のファンになってしまった?私は、男性向けファッション雑誌のメンズノンノ(そんなもん、まだあるんやね)のチャンネルでやっている連載動画、世界をガブリ!シリーズ(都内の各国料理を食べに行く)も、ちょいちょい眺めているこの頃だ。もうひと話題くらいいけるだろうか。いけるという意味は、数字の神様が、飽きずに聞いてくれるだろうか。「まちがいさがし」て、あるだろう。よく似た2枚の絵を並べて、だが右の絵と左の絵に異同が5か所ある、ことごとく指摘せよというあすび。その「歌」ヴァージョンを考えて、子供に出題した。子供のよく知ってる歌の歌詞を途中何か所かだけもじって、その異同箇所をあとから指摘させるのである。お題は、トレロカモミロ。知ってるだろうか、NHK「みんなのうた」、らんらららんらんらんらんらんらんから始まる。「敵は黒牛、凄い鼻息、五人がかりで、連れてきたが(オレ!)、牛と闘う、男はどこだ、お客はどなる、『はやく出てこい!』(オレ・オレ・オレ!)その名高き、トレロ・カモミロ、男の中の男だけど、トレロ・カモミロ、とてもねぼすけ、闘いよりも、昼寝が好き」。コリーダというやつだ。闘牛、マタドール、ドラえもんにも出てきたよね(「ドラえもん マタドール」で検索。)。私はあれはなんという町だったかなーマドリード郊外だったかアンダルシアか……古代ローマの水道橋がものすごい峡谷にかかっている小さな町で、コリーダ(の建物内)を見学した。闘牛は動物虐待だという考え方があると思うが私はあんまりぴんとこない。その極端な人は動物園にも反対する。なんともいえない。私は動物園も水族館も好きだが犬猫をホームセンターその他で売るのはどうかと思う、のと、ハリネズミカフェとかふくろうカフェとかは正直かなり動物虐待の疑いが濃いと思う。一方で、その昔NHKで太地町(和歌山)の捕鯨をシーシェパードが妨害するのを見たときはっきり不快であった、番組の作りがそうさせたのか、「白人種の横暴」としか思えなかった。自分に定見があるとは言い難い。どういう理屈であれはOKでこれはNGなのか(自分の中で)。とにかく、深い思慮も自省もなしに、闘牛は文化であり、そう否定さるべきものでもないと思っている。という言い訳が果たして必要だっただろうか否。トレロカモミロである。この歌で私は「まちがいさがし」をやった。本来の歌詞を、5か所だけ、いじる。ひとしきり歌ったあと、その5つを全部指摘せよ、と子供に問う。では、歌います。「らんらららん……。敵は金牛(きんうし)、凄い鼻息、百人がかりで、連れてきたが(オレ!)、牛と闘う、ねこはどこだ、お客はどなる、『はやく出てこい!』(オレ・オレ・オレ!)その名高き、トレロ・カモミロ、オルドビス紀の男だけど、トレロ・カモミロ、とてもねぼすけ、闘いよりも、うんちが好き。」こう歌った。子供の好きなものを入れ込んだ。ポイントは、最後にうんちを持ってくることで、印象を塗り替え、その前に出てきたあれこれの異同を一挙忘失さすという、アテンションの誘導(見よこの狡猾、大人の男のいやらしさ)。歌い終わって、さぁ、5か所ちがうところがあったよ、全部指摘してみな。と誘うと、果たして子供は、うんちと、最初の金牛は指摘しえたが、あとはなんか思い出せなかった。ほんならもういっぺん歌うわな、といって、もう一度うたい、さらにもう一度うたって、3べん目でようやく、5か所全部を指摘し得た。そういう遊びをした。子供の受けはさほどよくなく、もっと問題出してとせがまれることもなかった。が、思いついたらまたやってみようと思う。以上(へべれけ)▼今日ウォルラス忌。朝からJL聴いている。時代精神の一身宿り。昨日の後半、そう、トレロ・カモミロの話をしたその日の午後だ、小金井公園で偶然スペイン人のパパ友と会って、コリーダ(闘牛)のこと色々きいた。動物愛護のあれで、あれですか、もうスペインでは一切闘牛やってないとかありますか?「バルセロナではやってないけどそれは動物愛護というよりはあれですわ、カタロニアはスペインならずというあれで、何かにつけスペインと異なりたいという慾動にドライヴされての、いつものあれです。昔はモンジュイックの丘の麓で行われていたものですが。マドリードでもやってますし、私の地元のマラガでもやってますよ。おおい、川へはいっちゃいけないったら。」ペロペロ言いながらこのようにスペイン語でまくしたてた。私はほんやくこんにゃくを食べて臨んだのでその言うことがぜんぶわかった。「私らみたいに40くらいになったら引退するのか?まぁそんな厳密なあれではないですけど、やはり、ウシに突き飛ばされたとき、30の体なら耐えられても、40だと耐えられないということはありますわな、サッカー選手と同じですわ、40くらいにはまぁ大概引退してる。何しろ“敵は黒牛、すごい鼻息、5人がかりで連れてきたが”。300キロありますからねえ。(Say Whaaat!?)いやさ、300キロですよ。300キログラムの漆黒の肉塊です。それが“角を振り立て・突いて”くるのですから、それなりの靭性・弾性がまぁ要求さるわけですな。何を隠そう私の姉の里子の両右手の姪がですね(※この箇所不明。ほんやくこんにゃくの機能不全か)スペインではそれなりに名の知れたマタドールでして、え?女性のマタドール、いますいます、その両右手の姪がですね、顔面を口から頬へと角が貫通しましてね、それでも2か月後にはまた闘牛場に立っていましたよ。“Baby 用意された舞台へまた出かけていく”。サッカー選手なら怪我しても脚がなにするだけですが闘牛は即座に命とり。」「逆に(年齢の)下限もありまして、18歳でデビュー可能ですが、最初は牛も軽めのもの、180kgとかそのくらいのやつを相手どります。んで徐々にヘヴィ級にランクをあげていく」「毎週末やってるか?競馬みたいに?いや、どちらかというと相撲に似てますな、シーズンがあって、やってるときはやってるし、やってないときはやってない。でもやってないときは季節が逆のアルゼンチンとかラテンアメリカのやつを見てたりしますよ、テレビでね。テレビで、まぁ、やっている、といえばやっている……が、いうてスモウほどの人気はありません。アイドルマタドールの出る試合とかなら皆見るが。概して私の世代より上の、まぁおじさん・おじいさんおばあさんの趣味って感じかな。若い人はよう見ませんわ」おおよそ以上のようなことを一人のマラガ男性から聞き出した。これだけの情報を聞き出すのに私はなんの対価を支払ったか。もちろん、うたである。かれの知らない日本のうた、ア・ラ・イスパーニャ、かの「トレロ・カモミロ」を、人のそれなりに多い小金井公園で、一番から三番まで熱唱した。玉置浩二とか歌うま人士はピアニッシモでもピッチを正確にとるそうだが私にそんな技巧はもちろんないので、だが初めてそれを聴く人にちゃんと正確にメロディを届けたいという善意から(そして多分に幼児性から)、メゾフォルテくらいで朗々と歌った。かれはよろこんでくれた。闘いよりも昼寝がすき、ピカソよりもラッセンが好き、か、それはまんまスペイン人のメンタリティですな、がっはっは。というような好ましい珍事があった。▼11月15日にプチ断酒してから15と9で24日、3週間ぶりに酒を飲んだ。キン冷えの札幌が林立していて、私は手酌で次々杯を改めては飲み干し、また誰かがアルゼンチンのワインというのを持ってきてたので、それも小盃でちびちびやって、大変に心持よくゑうた。札幌もアルゼンチンもとてもおいしく感じた。秋は虫の声で酒は十分うまいと比古清十郎が云っていた。と思ったが(調べたところ)これは記憶違いで、本当は満月だそうだ。「春は夜桜、夏には星、秋には満月、冬には雪。それで十分酒は美味い。それでも不味いんなら……」と続く。秋が暦通り9・10・11月だとしたら満月は3回しか訪れない。その3回のどの日か(また全部でも)たまたま夜天が晴朗で月がよく見えたならそれは酒も美味いはずだ。わたくしはまた酒を愛し始めようと思う。今度はもう少し繊細さをもって……Next time I’ll try a little tenderness(Musiqsoulchild “Bestfriend”)。本当は、今日をさかいにまた断酒して、大晦日の夜にまた二週間ぶりに呑む、というのが、結構がよろしく、また、デリカシーのあるたしなみ方(満月をさかなに酒のむような)と思われるが、私にはむりだろう。今日が月曜、このあと火水木とがんばって、金曜夜には飲むであろう。アルデバラン。飲むであろう。私にソバ―キュリアスの語を教えた朝日土曜版の記事では、「お酒飲んでいますか?」の問いに対し、はい70%、いいえ30%。「いいえ」の理由に挙げられているのは、「おいしいと思わない」「飲まない方が健康」「酔っ払いになりたくない」「お金がもったいない」「しらふの時間が大事」「飲まない方がよく眠れる」「飲むと太る」と、全部ごもっともである。完全に思い当たる。いま列記しただけでも早速お酒をやめたくなった。おいしいと思わずに飲んでることが多いし、飲まない方が健康に違いないし――というのも、酒は百薬の長とは自身酒飲みな奴が考案した手前勝手な嘘八百の出まかせであるに違いなく、げんに飲まない方がよく眠れる(飲むと夜中へんな時間に起きる)し、また、げんに飲むと太る。そして何より、お金がもったいない。いや、それよりも何よりも、時間がもったいない(「しらふの時間が大事」)。よーするに、馬鹿のすることである。飲酒はバカのすること。飲酒してますか、してる?はい、あなた馬鹿。お金を無駄にして、健康を損ない、人生の時間を、両面から――主観的時間(体感)客観的時間(寿命)の両面からぎっ縮めている。棚から落としてる。棚からトスしてる。タナトス。私は秋田県男鹿市に住んでいた時分は一日に500ml缶2本をかならず飲むぞと心に決めて、実際にそうしていた。そうして順調に腹の肉が出てきたので、いいぞいいぞと思って、比内地鶏をおごってくれた小林さんといったと思う大型二種免の、あのおばさん(今の私よりは若い筈)に、Tシャツまくしあげて、アンチシックスパック(全然われていない腹筋)を誇示した。見て、俺、若いのに、こんなにぜいにくつけてるよ、このふせっせい、(えらいでしょ!)。元気かなぁ……あのTシャツ。今頃どこで何してるだろうか、あの日俺が来てた、Tシャツ。観光地でTシャツを捨てるという娯楽を読者はしっていますか。「今の若い人はしらないかなぁ。」私はわりとあちこちでTシャツを捨てている。ユニクロとか古着屋でTシャツ買って、1か月くらいかけて5回くらい着て愛着を育てたのを、旅行に着ていって、旅先で捨てるのである。それで倉敷にも捨てたし、なんだっけ錦帯橋の、横山地区にも捨てたし、梅錦のほら、愛媛の、なんとかでも捨てた。日本に限らず、それこそヴェネツィアに捨てましたよ。着てったTシャツを水の都ヴェネツィアの街なかのゴミ籠に捨てた、大変にいい気分がした。スロヴァキアのコシツェにも捨てたし、うそつきばかり住むというギリシャのクレタ島にも捨てて牛の王に捧げた。「旅先でTシャツを捨てる」。皆さんにお勧めです。より古くは、「天然記念物で野宿する」という活動をシリーズで展開していた。高尾山とか、城ケ崎とか、鳥取砂丘とか、⻑⾨峡とか(中原中也の詩枕巡歴の折)、名だたる名所で野宿してきた。無装備である。ぶらっと野宿。寝袋もテントも持っていかない。着の身着のままでただ横になって、寒くて眠れなかったり雨にふられて閉口しながら、ただ一晩を耐え抜き、払暁に感謝いたす。そんなこんなで私という人間が出来上がった。「あの眠れぬ夜々が俺を鍛え上げた――邪魔だ!」これはドラゴンキラー剣術を鍛えすぎて人間形態のゾッドを一蹴するまでになったガッツ(ベルセルク)のせりふ。酒の話をしていたのだった。うまくつきあいたいもの。金麦とかを毎晩のように飲むのが一番だめで、ビールなら札幌より下にはランクを落とさず、エビスとかプレミアムモルツを、週に1度、キンキンに冷やして、よきつまみとたのしむ。その域に至りたい。(ワインは、毎日飲んでも可。)▼P.Diddyという人なら私も勿論通っている。ていうか、Late ‘90s~00年代にブラックミュージックきいててP.Diddy(Puff Duddy)だのJermaine Dupriだの通らないのは不可能であった。今さらセックススキャンダルだ言われても何も思わない。遠い世界の話すぎる。いまだ色褪せぬ彼のアピアランス3つ挙げろとなら、B2K“Bump, bump, bump”、feat.Usher”I need a girl“、Pharell WilliamsとLenny Kravitzと演った”Show me your soul”を。それで、もろもろの関連ニュースの中で、このほど、Jay-ZがDiddyのとあるパーティで13歳少女を強姦した(00年頃のこと)というのが出てきて、これも、自身を神聖四文字になぞらえてJ-Hovaとか呼んで神様気取りだった当時のショーン・カーター君なら、さもありなんという話で、今さら何とも思わん。きょうは1200人無害化したというから1200字くらいは書いておきたい。猫の話でもするか、猫について綴っているところだから。私は高校生のとき中野孝次という人の文章を今思えばいぶかしいほど耽読していて、「ハラスのいた日々」など読みつつ、私も将来犬を飼うんだ、そうして死んだら庭の杏の木の根方に埋めよう、とか夢想していた。そのときの私に「猫派か・犬派か」と月並みな問いを立てていたら、恐らく犬派と答えたのだろう。今でも犬は嫌いではない。いや、今ではだいぶ犬は嫌いである。こういうのは単純なからくりで、猫を飼った人は、猫派になる、犬を飼った人は、犬派になる。それはもう、自動的に決まる。また、どちらも飼った(飼っている)人には無効な質問である。この質問が意味を持つのは、どちらとも無縁に生きてきた人に対してだけだ。私の人生は猫と結びついた。一匹の猫によって。生涯かはることはない。私は猫派で死んでいく。町田康(まちだ・やすし)さんは熱海あたりで猫も犬もいっぱい飼っているそうなだ。汝・我が民に非ズというバンドに愛犬スピンクの死を悼んだ歌があって、そこで町田はスピンクを「あなた」と呼んでいる。人がペットに使う二人称ではない。でもそれが町田のスピンクとの距離感だったのだと思う。どーぶつに……それも死んだどーぶつに、幸せというものがあるならばだが(ないのだが)、このような歌を捧げられたスピンクは、幸せだと思う。ちなみにだけど私はそのかみ渋谷に汝を聴きに行った。38度の熱が出ていたがスペイン坂を登っていった。立っているの辛かった。ワンドリンクなど要らぬ世話であった。町田はすてきだった。この町田も死ぬのだろうか。気づいて愕然とした。きょう出た人間の名に、死んだやつしかいない!死んだやつのことしか語っていない!死んだか、それか、死ぬやつのことしか……。(まだか?まだ1200字いかないか。)忘年会の話をしよう。昨日の忘年会の集金が事後的に行われ、私は4000円払わされた。偉い人たち・年かさの人たちは、実に7000円も払っていた。だが何より愕然としたのは、参加しなかった人からも3000円とっていることであった。うそだろう!ホワイトな職場だと思っていたのに!そんなことってあるのかな、と思って、思わずグーグルで、「忘年会 不参加 3000円」と調べてしまった。すると、驚いたことに、「不参加でも、まぁ、寸志と申しまして、3000円くらいは、払うものです。」みたいな考えの人が、いるみたいなのだ(有名な、非常に信頼性が高いとされる、やふう!知恵袋というサイトに書いてあったのだから、間違いない)。私は、こんなの、まじでくそだと思うよ。私だったら、誰に嫌われてもうしろゆびさされても、白い目でうしろがわにまわりこまれて指まで突き立てられても、自分が不参加だったなら、ぜってーに3000円なんか払わない。300円もしくは3000テンゲなら払ってもいいが!それで、これは通報案件だなと思って、えーと、こういうときの窓口はどこなんだろうと、調べて、なんかよくわからなくて、うー、誰かに言いたいが、誰に言えばいいの!と思ってもんもんとしていた。うまく言えたら、そうして、この不合理な会計システムを是正しえたなら、また小欄で報告いたします。▼私は人と話すときはお座なりは言っても嘘は(あんまり)つかない、が、書くときは、息をするように嘘をつく。たとえば本記事でも、12/7に自分は3週間ぶりに酒を飲んだといい、12/9にも自分は3週間ぶりに酒を飲んだといっている。同じ一人の人間がある日に3週間ぶりに酒を飲みその僅か2日後にも3週間ぶりに酒を飲むというのはアインスタインの一般相対性理論に矛盾する。一般に、一般相対性理論に矛盾する全ての事柄は一般相対性理論と整合しないのであって、ゆえに私は、12/7か12/9のどちらか、あるいは両方で嘘をついていることになる。私の場合、見分けるポイントは、適示されたある事実が、その後の記述(それが複数また多数であればなおよい)の前提になっているかどうかで、そうなっているのであれば、たぶん事実と見てよい。この場合だと、12/12付で、月曜ひさしぶりに酒を飲んだときに……という記述があり、直近の月曜というのは12/9のことだから、恐らく本当に3週間ぶりに酒を飲んだのは12/7でなく12/9なのだろうと推定できる。同じ論法で、私は第二子を迎えた、とある場所に書いたが、その後、その事実また生まれた子についての言及がどの記事にもひとつも見当たらないところを見ると、恐らく、嘘なのだろう。何丘に第二子が生まれたという事実はない。むしろ、もし第二子が生まれたというのが本当であったなら、セビリオこと何丘は、例のバナーを設置して、ご祝儀に「おふせ」を頂戴したい、いろいろ物入りでありますから、といって、お金を集めようとしたことであろう。いかにもかれのやりそうなこと。それをしなかったということは、ちなみにセビリオとはお金せびり男のことだが、即ち「第二子が生まれたなど嘘っ八だ」と判断することができる。こういうのを母の中に海をもつかの言語ではミスティフィカシオンという(そして、海の中に母がすむ言語では、韜晦といい、見よ、この語の中にも小さな母がいる)。あるいはシェルシェラファムといい、あるいはペルヂモノーコリという。ところで、ひとつ、小さく後悔していることがある。――が、やめた、書くのをやめた、同時に、後悔するのをやめた。後悔という語の中にも小さな母が棲んでいることを認めて瞑目しよう。ありがとう、後悔がひとつ消滅しました! 今、行きたい場所ですか? 急に聞くよねぇ、わかった、列挙してみる。その一、お前は一体どういう奴なんだと言われそうだが、東京都庁に、週末、ゴジラのプロジェクションマッピングを見に行きたい。むろん、太郎を伴ってである。太郎は、私が教えたので、モスラーヤ・モスラーの歌を歌える。モスラー、ヤ、モスラー、ドンガンカサークヤ、インドンムゥ。その太郎に大迫力のゴジラを見せてあげたい。そうして骨の髄まで震撼(しん・かん。震え上がること)をさせたい。行きたい場所その二、クニタチ。先日国分寺というところへいって、殿ヶ谷戸庭園というのを見て、ふるえるほど感動した、というのは嘘だ、善光寺の長野のカレー屋「山小屋」で納豆カレーを食べて以来何にも感動していない。感動は嘘であるにしろ、「良い」とは思い、同じように「良い」と思いたいので、国分寺に続き、今度はくにたちに行ってみたい。そこへも崖線が続いているそうだ。国分寺崖線(コクブンジ・ガイセン)。この下に湧き水が湧く。お陰で、三鷹あたりでは、大沢でわさびを作ったり、深大寺の蕎麦がうまかったりするのである。行きたいところその三。ペルー。アルパカをもふもふしたいから。行きたいところその四。よみうりランド。イルミネーションがきれいだという、子供がそのポスターに魅せられていた、見せてやりたい(私も見たい。行ったことない)。その五、柿生。小田急線の柿生。ずいぶん行ってない。昔はわりとよく行っていた。何もないところだが、それがいい。歳末のからっとした空気の柿生を歩きたい。全部、年内に実現したく、実際に実現できそうで、喜んでいる。きょうは12月11日、国際山岳デー。▼私の、とは。吉本さんが死んだとき高橋源一郎が無数の人に「私の」吉本隆明があった(吉本とはそういう人であった)と書いていて、本当にそうだと思った。また吉本については秋山駿の「病者の友人」というエッセーがある。私の、とは。ウラジーミル・ゼレンスキーは私の大統領である。キシダやましてやイシバなんて(テレビやましてやビデオなんて)全然信じる気にならないが、私がその麾下にあり、それを信じることが誇らしいと感じるリーダーは、この人である。この人をおいていない。私の、とは……私が特別な仕方で理解している(と自分で思っている)、深いところで共感し・共苦していると思える人、中原中也、宮本浩次、ジョン・レノン。そして、あの猫、〇〇は私のねこだよ、と呼びかけていた、あの猫▽岩波文庫のロシア文学史というのを初めて通読した。来年の目標、これをもとに、ロシア文学のれきしを原初年代記からポストモダンまでさらう。全然知らない。全然読んでない。理想的には、露語原文とくびっぴき……といかなくても、適宜参照しながら、読んでいきたい。それを1年間でやり通すためには、私は、計算上、1日8時間の睡眠時間を、15分まで減らす必要がある。1日に15分寝るだけであたかも8時間寝た人のように元気いっぱい活力いっぱいで過ごせる、そういう人間でないと、この目標は達成し得ない。私が何周も何周も周回遅れしてしまった分を取り戻すにはそれくらいの特殊能力を身につけないとむりだ。ワールドトリガー村上コウの強化睡眠学習。今の私に純粋に自己のためのみに使える時間は1日に(よくて)2時間。これに7時間45分が加われば勝ち直せる。「人生を勝ち直す」。なーにを言ってるんだか。できるわけもないことばかり考えてしまう▽漫画など読んでいても特殊能力が出てくるとこの能力を自分が持っていたらどう使うかと必ず考える。神龍に何願う、デスノートどう使う、時間停止できたら何する、時間のループに嵌ったらどう利する。このうち、デスノートについて言うと、そのノートに名前を書かれた奴は不可避の死を迎えるのであるが、細則に「ノートに『何某は、あれをしてこれをした挙句に死ぬ』と記せば、その通りになる。つまり、事実上、そいつの死の前の行動を、意のままに操れる。その操れる期間は、23日間に及ぶ(24日以上の長期にわたっては、その行動を操ることができない)」という恐るべきものがあり、このルールを、アタマいいふうに描かれてるアイツが、社会正義の実現(社会浄化)のためにノートを使うとほざきながら、どうして活用しなかったかをいぶかる。私などむしろここにノートの神髄を見る。私の憎悪はノートを用いて1000~1万人のロシア人を殺害するであろうが、誰一人として心臓麻痺でぽっくり逝かせなどしない。有益な事業に徹底的に専従さしてから死なせる。たとえばセルゲイ・ラヴロフという人は、有力西側国家に亡命させて、その国の情報機関に自身の持てる限りの機密情報を譲渡し、(莫大な)私有財産を現金化してウクライナに寄付させたうえ、23日間満期にわたって政権暴露のメモワールを書き・反戦・反政権の言辞を公にわめきちらしながら落命さす。また、いまウ侵略戦争に参加している名と顔貌の判明している露軍の将校には、上司同僚部下に気取られぬ(阻止を受けぬ)限りにおいて最も魯鈍な方法で手持ちの軍事的リソース(武器弾薬、カネ、兵員)を空費させ、相手方(ウ軍)と通牒させ、造反的言辞を公にさせて、露戦線の物理的また倫理的な破綻に極限まで貢献させてから死なす。こうした局所的破綻を戦線の無数の箇所で同時に引き起こし、露の侵略軍を徹底的に弱体化させ、混乱させる。一方のモスクワ・クレムリ周辺では有力者の奇行・発狂・変節・造反が異常大量発生。そうして疑心と不安で精神崩壊しかかったVVPに、いよよ死の救済を恵んでやろう。その名をしるす私の手は震える。V・V・P。かれは死臭にみちたその生涯の最後の23日間で終戦・撤兵・領土返還・賠償に関するあらゆる法的actを外観上完全な理性のもとに粛々と行い(その際、南クリルと南サハリンに対する日本国の領有権を認めることも忘れずに。ついでにカリーニングラードも放棄してもらおう)、最悪の恐怖と絶望のもとに、考えうる最も陰惨で滑稽な方式で死んでいただく▽堀口大学という大学があると思ったり、ダイバーシティという名の街があると思ったりする。太宰治「人間失格」の主人公は跨線橋だか歩道橋というものの意味をあれは人が道がただ平らに続くのもつまらないからここらにひとつHelter Skelterでもこしらいてやろうと遊び心で作ったものだと思い、あとから人からあれは人が道のこちら側からあちら側へ渡るためつまり「用」のために構造したものであるよと聞かされて愕然、おれは人間というものが全然わかっていない、人間、失格。と自らにらくいんを押したとかいう。そういう話があるが、そのくらいのピント外しは誰にもあるよ。何につけてもピントが合いすぎる(ように見せる)人間て逆に哀しいよ(つまらぬよ)。おっしゃレッツ☆おっしゃレッツ☆おっしゃレッツせかーいせーいふくだっだっだ。私がはじめて三鷹を訪れたのは高校生のときで、開館まもないジブリ美術館に来たのだった、そのかやり、鬱蒼とした森みたいなベルトが街なかを通っていてそれが玉川上水という、え、これがそれなの!?と驚いた。太宰が入水したというその川、え、これが!?川じたいはちょろちょろした流れであり、むしろ玉川上水の森の中に迷子になるといったほうが自然だ。どうやってこんなところで人が水に溺れる(て、死ぬ)ことが可能だろう。ともかく死んで、そこの禅林寺に津島家の墓というのがあり、そのはすむかいに森家の墓というのも立っている(鴎外森林太郎の墓)。津島のほうにはいつも花や何や飾ってあり(桜桃忌には大量のさくらんぼ)、森のほうはいつも閑かである。▼私はもういやになった。すべての関係がいやになった。この女の夫であるという関係。このがきの父であるという関係。すべてすべていやになった。鳥居をくぐっていきたい。第四の鳥居をくぐったらもうこの世の人でない。「顔がこの世に向いてない。」という漫画がある。読んだことはないが、いいな、と思っていた。タイトルの言葉が、私が思っている通りの意味だとしたら、名作だな、と思いつつ、たぶんそうではないので、幻滅するのもだるいから、読もうとしないでいる。どだい私はこの世の人ではないのだ。私はいない。いませーん!いない。とんびがとんでいく。と思ったら死んで落ちてきた、からすであった。落ちてきた死体のそいつを見たら顔がからすであった。顔がこの世に向いてない。俺はいない、俺はいない、存在しませーん、えへ、私はいないよ!和田達朗。いない人です!嘘の存在。偽(ぎ)の。鏡に百度申し渡した。お前はいない、お前はいない、お前はいない。そのとき本当にいない気がした、言えば言うほどそんな気がしてくる、その募る感じは快感であった、だが、言うのをやめると、いや言ってる最中も、その快感を感じてる当の者は、いるのであった。私はいない。歯を磨いてきた。おなかが少し痛い。私はいない。耳の中でちぐさが歌ってる。和田ちぐさ。あはっこれはいい、オナニーでもして寝るか。※これはファイアパンツという漫画の引用である、安心せよ。上記は全部漫画の引用であるから安心せよ。私がそんなこと言うわけないじゃないか、あは・・楽しいまひる。最悪の朝。かがやかしい夕ふつ方。おなか痛い晩方。クレーヴの奥方。さてこんにちは、こんばんは、話題が必要ですか。あの聖貴婦人教会というのは行ったことがある。シテ島。おもしろい街だったよなあ。どれが何区というのは忘れてしまったが、住むように旅したいという……やめた。もっと全然つまらない話をするべきだ。先日とこやで空虚な会話を楽しんだ。方法的に生きてないが、ときどき、かつてのように、方法的にひとくさりの時間を過ごしてみることがある。とこやの人と「空虚な会話する」ということを楽しんだ。駅前におふろやさんできたの知ってますか。サウナね、友達に誘われることはあるんですけど、また、「ととのう」というのがどんな感じだか、体験してみたくもあるんですけど。「なら、行ったらどうですか。」いえね、これは私の性格の不幸な(損な)ところなんですが、初めて何かするところを、人に見られたくないんです。だから何事も、人と行く前に、たいてい一人で何回か、陰練(かげれん)してから行くんです。見栄っ張りなんですよ。さも知ってるぜ、というふうに、ふるまいたいんです、何事につけても。スノボも、友人たちと行くと決まったとき、昔ザウスってあったの知ってますか、屋内スキー場のザウス、あっこで何回か陰練しまして、で迎えた本番、くろうと風ふかして、俺、けっこう滑るぜって顔して、調子のって、いきなり一番高いところの上級者コースに上がっちゃって、手もなく木立にGekitozして顔面を七針縫いました。「そんな人だったら、都心で、見上げられないんじゃないですか、摩天楼とか」?みーん?「私は東京長いんですけど、今だに都心に出ると、高い建物とか、見上げちゃうんですよね。でもそれって、おのぼりさんっぽい、ジェスチャーじゃないですか。見栄っ張りだったら、そんなこと、しないんじゃないですか」いや、それは、全然しますね。全然見上げますよ。――それでもう全部いやになった。馬鹿野郎、そんなら、お前と話していた時間は何だったんだ!一貫してないやつと会話するのはつまらない。ガーラ行く前ザウスで七回滑る男が都心で摩天楼見上げるのは本当サムい。失格だ、びよーし失格!以来、すべてのものがつまらなく、愛をすっかり失った状態で、一週間を生きた。▽私と酒を飲むのはつまらない。不機嫌になるだけだから。よきひとは鈴のように鐘のように笑ったりするのであろう。私は飲めば飲むほど不機嫌になる、その方向へしかいかない。トルストイ確か「幼年時代」に佳人でなくも大抵の人は笑うと美しいが笑うとむしろ醜くくなるのは魔人である、との一説あり、私はいつからか本当の魔人になっている。私の破顔は醜く直視しがたい。これを魔相という。にこっ、でもないし、にたっ、でもないし、にやにや、でもない。ぼぼしゅ、げぉげぉ、魔ぁー、婆ぁー、どんどぼぉ。人は笑うと喉の奥から「海老茶色の憎悪がわぁっと飛び出してくる」といったのは中原中也である。▽もっと不機嫌になりたくて、ローソンで魔ビール買ってきた。魔かにかまと魔マシュマロも。どんどんだめになってやる。呪いの言葉を撒き散らして消滅してやる。ヤハウェ、ヨシュア。怯懦の兵士は欲したまはず。怯懦の者は千度死ぬ。一度死ぬのみにて死ぬるもの、そは兵士、そは兵士なり(D’angelo “1000 deaths“)▼昨日はブラック何丘を出してしまって恥ずかしい。心の膿を出した。それで浄化されて、今日はより清い内容を、語るか、との予期に反して、わをかけて黒い内容を、吐露しようと思います。昨晩も結局はしらふだったのだから、酒精が入ってる入ってない・一昼夜のどの時間帯に書くかなど関係ない。あ、Keith Jarrett!(私はカフェ・ヴェローチェに座ってる。フローリングがすてきだー。皆さん、知ってますか、Veloce(ヴェローチェ)というカフェを、赤い看板の? まだの人ぜひ入ってみてください、フローリングがすてきですよー。このフローリングのステキさと、店内ミュージックでキース・ジャレットがかかったことにより、私の心は瞬間的に浄化されて、マッソコブレッシュ・エスボ・グリバンバー・ベーコンさんというやつだ、今から清い内容語ります。松本、出まーす(だっけ?))いつからだろう、神社の鳥居をくぐるとき、やたら叩頭する人を見るようになったのは。橋を渡るときその材質が石であるかを確かめるためにコツコツ叩いて渡る人は聞いたことがあるが、鳥居をくぐるとき自分の頭を叩くというのは聞いたことがなかった――が、最近とみに、よく見るのである。というのは冗談で、神社の鳥居をくぐるとき、その中心線を通るのをさけて、しかも、ぺこりとお辞儀をする。そういう人が多い。私の職場は都心の有名な神社が近いので、NHK放送センターのある愛宕神社とか、さんようさーん、よう!こと山王日枝神社とか、昼休みちょいちょい行くのだが(おにぎりを食べに)、若い人でも、やたら敬神くさく、鳥居くぐるたびぺこりとする。私こと令和の何丘は、ゆうて昭和の産、人生の大半を昭和で過ごしたゴリッゴリの老害だから、「昔は……」といって語り出すのだが、昔は、こんなに人は、ぺこぺこしていなかった。なんだろう。私は神社の鳥居をくぐるとき、ぺこりとなんかしない。私はたぶんアニミストだが、神社神道を別に奉じてはいないので、境内の雰囲気が好きだったり建物の造作に感心したりはするが、作法には従わない。参道の正中線も平気で踏んでいくし、ろくろく賽銭も投げない。かなり無遠慮に内堂・奥処をガン見したりする。寺でも神社でも同じである。先日こないだ太郎と深大寺いったときは(紅葉を見に)、太郎がお金なげしたいというので、一緒に5円玉を投げて、ぺこりとした。そのときも、二礼二拍手一礼とか、よく知らんが、正しいとされる作法は、守らない。気にしない。気が向けば、手をあわせて、何かよきことアタマに思い浮かべることはある。それは私が勝手にする。そういう奴である。神も仏もない。清いこと語るぞといってこんなこと語ることになった今日だ。私は正教会の堂内にたくさん入った。ウクライナでも、ロシア(という、道徳的に今は滅び去った国)でも。厳かに打たれて信じるようになるのかなぁなど心の未定を賭けながら、森閑の堂宇で、目を瞑ってみたりした。だが十字を切るという所作は、私には無理であった。私の体の文法・語彙には、そのような所作はなく、それをあえてするのは、かなり横車押しであった。だから、無理はしなかった。かたわらの女性(のちに妻となる人)には断った。私には十字は無理だから、切らない、ただ、私には、手を合わせて、頭を垂れることなら、できる、それをもって、代えさせてほしい。そうして、そうした。同じ理由で、鳥居でぺこりとお辞儀もしない。私の体に無理だから、しない。(それを見る人が不快に思うとか、考えないんですか?)考えない。そのとき、私は、自分がガイジンであると思う。ガイジンだからしょうがない、と思う。だが「ちゃんと税金は払ってるゼ」。▼Stevie Wonderに「I believe when I fall in love with you it will be forever」という曲があって、そのフレーズがとても好きだ。曲も好きだが。Forever(永遠)というのは好きなテーマである。始原(アルファ)とか極限(オメガ)とか出てくるのも好き。D’angeloの(この人のことをある記事で「ブラックミュージックがこの半世紀に産み出した最大の天才の一人」と讃えたのだった)Voodooというアルバムの平方根(The Root)という曲に次の歌詞あり「In the name of love and war took my shield and sword, From the pit of the bottom that knows no floor, Like the rain to the dirt, from the vine to the wine, From the Alpha of creation ‘til the end of time」。この歌詞が好きすぎて20代はパスワードというと大体vinetothewineであった(今は全然違うので言ってしまう)。愛と戦争、盾と剣、雨と泥、とイメジャリ豊かな対句並びの末の「創造のアルファから、時の終わりまで」が泣かせる。Dの作品には時の完成(への憧憬と畏怖)というテーマが繰り返し出てくる。まやくのこととエッチのことばっかり歌ってるという評を目にしたことがあるが、分からない人には分からないのだ。というのは「分かる人には分かる」ということで、分かる自分を誇っている。私は特別な仕方でDを理解しており、共感・共苦をともにしている、と思っている。のちのアルバム「救世主は黒ン坊(Black Mesiah)」の「未来へ逆戻り(Back to the future)」という曲の、次のリフレイン「Seasons may come and your luck just may run out and all that you’ll have is a memory」天運尽きたのちにも季節ばかりは巡ってくるのでしょうことなしに思い出ばっかり歯噛んでる人、これも泣かせる。国破れて山河在り、この底抜けに明るい滅びの感じ、たまらなく好き。そうだ、永遠もさることながら、永遠の終わり(時の完成の失敗)も好きなテーマだ▽もう一人。Benjamin Clementineという人がいて、この人も果ての果てまでを想う人。弔いの辞(Condolence)という曲に次の歌詞あり「Before I was born there was a storm, before that storm there was fire burning everywhere. And everything became nothing again. And then out of nothing, out of absolutely nothing, I, Benjamin, I was born. So that when I become someone one day, I will always remember that I came from nothing」産前嵐、嵐前火、火後無、無後我(Benjamin)、我後彼、彼想無。たまらんね。I, Benjamin,のところがいい。四元の嵐舞のただ中に自分の名を入れ込む大胆さ、または、自己の始原に四元を巻き込む構想の雄大さ。同じ人の、過ぎ去る(Gone)という曲も好き。すべては過ぎ去る、という無常観に満ちた歌で、さび部分で「All will be gone, after all. Before we all get to the knowing all will be gone」すべては過ぎ去るよ、すべては過ぎ去る、という智慧に到達する前に、誰もが逝ってしまうよ。と繰り返す。ついでに、同じ歌の、次の箇所も好き。「The road I used to cross to school is now full of prostitutes. No wonder why the priest is dead, no wonder why the priest is dead」ぼくの通学路だった大久保公園が、立ちんぼの巣窟になっちゃった。これじゃ坊主も死ぬわけだ、これじゃ坊主も死ぬわけだ▽英語の歌の話ばかりしているが、日本語の歌でいうと、「千と千尋の神隠し」主題歌「いつも何度でも(Why Don’t We Do It in the Road)」がどんぴしゃである。特に次の箇所――「はじまりの朝の静かな窓、ゼロになる体、充たされてゆけ」。少々デリカシーに欠けるのではと思われるくらい直接に琴線に触れてくる(あの歌う人のハープと歌声もあいまって)。非常にメジャーな歌なのだが聞き流せない、謹聴不可避、思わず正座をとって聴いてしまう歌、という意味では、ジョン・レノンImagine(極度想像(しなさい))と同じである。なお私、この「いつも何度でも」という曲、いま聞くと、ウクライナのこと思わずにいられない。「繰り返す過ちのそのたび人はただ青い空の青さを知る」「悲しみの数を言い尽くすより同じ唇でそっと歌おう」「粉々に砕かれた鏡の上にも新しい景色が映される」。夥しい鏡が割れ砕けた。その鏡が空をうつす。その空をミサイルが横切っていく。▼Aマッソ加納ちゃんもちびまる子ちゃんが好きなんだそうだ。わたし実は好きなんです、ちびまる子ちゃん。という動画を見た。嬉しいな、好きな人が自分が好きなものを好きであること。浦飯幽助も言ってた。国王が好きなものは臣下の私たちも好き、逆に、国王が嫌いなものは、臣下の私たちもなんとなく嫌いです、「それはなんかわかる」(※この鍵カッコ部分が浦飯のせりふ)て。加納ちゃんは動画で、(まるちゃんの)このせりふがたまらなく好き、というせりふをいくつかあげていて、中に「可哀そうだよズボンのおなら、右へ左へ泣き別れ」の都都逸があったらいいなと期待して見てたら、本当に取り上げてくれて、最高にうれしかった。私はここで加納ちゃんが言及してる場面や台詞は全部わかる。私も繰り返し繰り返し読んだし、アニメも大好きで見ていたからね。子供のときも見てたし(それこそ私が小学三年生のとき、ああ、いま、わたし、まるちゃんと同じ9歳なんだなぁ、でも、テレビのなかのまるちゃんは年を取らないけど、わたしはそのうちとしをとって9歳じゃなくなっちゃうんだよなぁ、今だけ、今だけ、私とまるちゃんは同じとしなんだなぁ、と思った)、長じてのち、モスクワで(今の)妻と同棲してたとき、YouTubeに違法アップロードされてたちびまるアニメ版を晩飯のときいっつも二人で見てた。それで妻もちびまるのファンになって、のちさくらももこの訃報に接したときは、「なんだかまるちゃんが死んじゃったみたい」と寂しそうであった(この名言忘れがたい)。それにしても、お笑いが本職の人が読んでもおもしろいんだなぁ。「他山の石」の話を加納ちゃんが本当に面白そうにしゃべっていて、改めて、たしかにレベル高い、と私なんか言うのは変だが、やっぱあれは(繰り返しになるが)お笑いの本職の人が見ても面白いんだぁ、と今さらながら自分の中で株が上がった。なにより、嬉しかったのだ。加納ちゃんが、自分が読んで・面白く・好きなものを、同じように読んでいて・面白く思っていて、好きだということ。ちびまる子ちゃんを通じて私と加納が間接キッシン(cousins kissin’, that’s taboo)をしている気がした(それはタブーなのに)。まず私がまることキスをし、そのまるこが加納とキスをする、というスキームである。国王。「国王が嫌いなものは、私たちもなんとなく嫌いです」わかるわぁ、これわかるっていった幽助の気持チわかるわぁ。繰り返しを恐れず、同じことどんどん言っていこう。花輪クンの名台詞としては、インド哲学とか宮内庁御用達よりも、自分としては、ライダーカードの一件で男子女子大戦争になったとき、ぼくはどちらの陣営にもくみしないよ、ボクは平和の使者なのさ「クルックー」、と鳩の口真似してみせたところ、あすこを期待した(が、取り上げられなかった)。しかしおもしろきことおもしろそうに語る加納ちゃんいいなー。加納ちゃんの笑い声ていうか笑い方が好き。「国王がそう言われるなら、臣下の私たちも、なんとなく好きです!」そーかそーか、お前らもか。いつも何丘が一人で語ってると思わないでね。今日は五十人ほどうしろに引き連れて語ってます。引き連れてるといえばだが、昔NHKのBSで世界遺産についてのシリーズがあって、ナビゲーターは松岡正剛とあと女優のなんとかさんだった(杏?)、そのある回で、松岡が「うしろの百太郎みたいに」と謎の作品名を引用していて、のち誰か別の人からもその名の言及をきいて、「うしろの百太郎」てなんぞと思ったまま、しじゅうの峠をこえてしまった。五十人引き連れている。うしろの百太郎。四十の峠をこえてしまった。「まるこだった」。ちびまるこの作者・さくらももこはエッセーの名手としても知られ「さるのこしかけ」「うしろのひゃくたろう」「くちばしにちぇりー」などを書いてます。とはいうものの、上白石萌音に勧められて読んでみた「もものかんづめ」は、私のような美文家には正直しんどいものがあった。こんなのが文章がうまいとか洒脱だとかいうのは、いったいどの水準の話なのだろうか。私は平仄が合ってなかったり言葉の意味を間違えてたりするのにすごい厳しいので、だいぶ我慢して読み通した。あ、いとこ同士がキスしてる(cousins kissin’)、それはいけないことなのに(that’s taboo)!▼電車に乗った、今日、電車に乗っていた。アナウンスが鳴った。アナウンス、ウンス、▽アナウンス▽それはこう謳った「中野駅でお客様同士のトラブルが発生したため、安全確認を行った関係で、この電車は5分遅れで運行しております」ハテ。私にはわからなかった、意味が▽太宰治「人間失格」の歩道橋のエピソードじゃないが、まともな大人が皆とうぜんに分かっているのだろうこと(の、多く)が、わいには、わからず、年金のしくみとかも全然わかってない。たぶん世の人と私は同じ時間軸で生きてないということだと思う。私は千年の寿命を前提に生きている。皆は80年とかそのくらいかと聞く。驚くべきことだ。こんだけ人数がいて、人群よ、ことごとく、80年やそこらの寿命を前提にしてるのか。この画一、驚嘆に値する。大隈重信が人生125年とかいったらそれだけでなにか凄い大それたこと言ったかのようにことあげする。私からしたらたかだか平均+50%やそこらの偏差がなんだ。こんだけ人間がいて一人として同じ顔の人がいないという事実は、造化の神は創造力が豊かでおわすなぁでなく、造化の神は同じものを創るのが下手だなぁ(無能だなぁ)とこそ思うべきだ、と漱石「猫」の無名猫児▽電車のアナウンスの話であった。今日、電車に乗っていたら、中野坂上で人身事故があり、とアナウンスが流れ、おかしいな、地下鉄で人身事故というのは、と思い、調べたら、なんと、人身事故というのは、必ずしも、線路内に人が立ち入り、走りくる電車とその人が、接触、そういうことだけではなく、いろいろあるのだということだ。「他にもいろいろある」(たとえば、こちらのサイトを参照)。こういうのは、太宰治「人間失格」の歩道橋のエピソードじゃないが、また、に・ふ・とー・ごーるら・ぱしろー(それでない方の喉に入ってしまう)といって、水なら水、ポカリならポカリが、ほんらい通るべき喉の道とは別の、それと並行する、もうひとつの喉の道(喉の道B)に入り込んでしまい、むせかえるということがある。そのように、人生が、本来普通の人が進むべき路ゆきと、あまり知られていないが、実はそれと並走関係にある、もうひとつ別の進路へと、入り込んでしまい、おや、ここはどこ(どこー)と惑乱する仕儀に立ち至る、そうなってしまった人には、およそ色々のこと――歩道橋の意味、年金のしくみ、マイエルの家の壁の染み――いろいろなことが、わからないまま終わる(わからないまま終わる、「そんなのはいやだ」。ここにもオメガの思想がある)。今日、電車に乗っていて、少し遅いなと思ったら、アナウンスが鳴り、中野駅でお客同士のトラブルがあったから「安全確認を行った」ゆえにこの電車は遅れている、とのことだった、私にはよくわからなかった、お客がもめた、それは色々あり得るだろう、あきとこん、痴漢と冤罪、それこそ、痴漢と次元(大介)とお歯黒べったりの緊急座談会がお茶の水で行われたかもしれない、あるいは、暴力男性/ふくみのある言辞/デモグラフィ(人口動態)。それはよいとして、しかし、そのことが理由で「安全確認が行われる」とは? 安全確認というのは、爆発物をしかけたぞというボイチェン電話を受けたときに、対策班の人がとる行動だ。客同士の悶着と、安全確認を行うことと、どうつながるのか。それで思ってみると、私は実は、太宰治の歩道橋のエピソードじゃないが、世の中に行われる色々なことが実はよくわかっておらず、選挙のしくみとか、ふるさと納税とか、株とか、円安とか、まるで分かっていない。そのうちの一つとして、人身事故というものもよく分かっていないのだと思う。5歳の息子は、電車が遅れるのは、誰かが何か線路にものを落として、係の人がそれを拾っているのだ、というふうにしか、思うことをしらない。かれの無垢な世界に私は赤の絵の具で何か描き入れたいとは思わない。だが、こういうこともある:その一、昔、モスクワメトロが何周年かのときに、人気俳優が車内アナウンスを読んだことがあって、オレンジ線・赤線・緑線のユーザーだった私は、悪魔祓いのニキータ・ミハルコフの声(いま思い出すと虫唾が走るが)などよく聞いていた。その二、天竺鼠でございまーすといって二人の男が出てくる、なにか楽しい話が聞けるのかなと思ったら、うちの一人、川原というのが急に声をひそめて、実は今日、ちょっと残念なお知らせがあるんです、という、なんだなんだ、と耳を傾けると、そいつはこう言うのだ、実は、今日お集りの皆さん、また私はですね、裏のスタッフも含めて、皆、いつか死んじゃうんです。私たち皆、いつか死んじゃうんですよ。百年なら百年後、ここにこうして集まってる人の、誰一人として、生きていないんです……という。これはどうであろう。あっはっはと笑ってこの世の憂さをしばらく忘れることを期待して集まったのに、この世の憂きことの中でも最悪の憂きこと、<わたしは死ぬ(死して無になる)>という事実を突きつけられ、不意にうしろアタマつかまれて深淵覗き込みを強要された気分、客席は一瞬しーんと静まり返る。このその一とその二というのが、要するに何になるのかというと、ある日、いま毒にも薬にもならない男の声と女の声で聞こえている車内アナウンスが、人身事故というものの内容を、ことつまびらかに語りだしたらどうなるか。「この電車は、さきほど、中野・大久保間で人間が線路に立ち入り、その人間が電車と接触して即死、肉片が飛散し車体や線路また沿線住宅に付着、これを係の者数名で清掃しました関係で、10分から15分ほど、遅れが生じます見込みです」▽本日のこの記述を読み返してみて、5歳の息子が……のところで中也のある詩編を思い出し(調べても「文豪ストレイドッグス」ばかり出てくるので閉口&苦労したが、それは「また来ん春」と、「或る女の子」の二編であった)、そういや文也君は何歳で亡くなったのだったかと思い、見てみると、2歳であった。もちろん2歳の愛児を失った者は悲傷のあまり狂い死ぬべきである。じっさい春日狂想など書いて、その翌年には自らも死んだ。なお、長男文也が死んだとき、中原の妻君は臨月であった。だがこの第二子(次男)も、中也の死後まもなく死んでしまう。わずか2年のうちに中也は自分と二人の子の全員が死んだ。中也は・死んだ、自分と・その2人の息子が。筆まめの中也にして文也の死の前後一週間日記が空白であるという事実が泣かせる。「なんにも書かなかったらみんな書いたことになった」いや、この引用は不適切か。私は中也が文也の死後日記に記したと言う「文也の一生」という一文を読みたい(読んでいるはずであるが。もう一度)。私は凡人であるが(あるからこそ)すでに中也より長く生きている。そうして、太郎は未来の40歳凡夫の単なる35年前の姿であるから、やはりどっこいふてぶてしく長く生きるであろう。その私が(お前もやがて。太郎よ)文也の一生という一文を読む。▼世の中には二種類の人間がいる。自分が旨いと思う限り食べて、飽きたら「おら」といって隣の者にポテチの袋を押し付けるやつ、そして、それを有難く頂いて内心ラッキーと喜んでぱくぱく食べるやつ。私は後者である。根っからの乞食。Never持ち余れる。天与をただ待つ。前者は強者である。有り余る、ので与える。さしあたり金力であろう。だが金力はどうやって得るか。活力である。活力あるやつが金力を得て、金力あるやつが有り余り、その有り余るものを与える。私は活力がない。ゆえに金力もなく、never有り余り、人に分け与えることもない。だが私の人生には、いつもだいたい、隣にジャイアンみたいなやつがいて、空き地でコンサートやるから聴きに来いといって聞きたくもない少年少女を20人から集めて半時間やそこら座らせておくほどの活力をもつやつ、そういうやつに、食べかけのポテチやら、肉まんやら煙草やら、押し付けられるのを、有難く頂戴してきた。お陰で、食いっぱぐれることがなかった。え、くれんの、ラッキー、と思った回数が人生で多い。むしろ私のほうが幸せでないか。飽食のあげく与える者、かの限界効用逓減の寂寥から逃れん逃れんとあくそくする者よりも。いろんな人がいるもんだ、の例でいうと、私などはよく、殺される夢を見るのだが、中高大と私の親友であった某君は、むしろ殺す夢を見るのであった。人はダルシム(誰しも)殺される夢を見るものです(ヨガフレイムで)とカール・グスタフ・ユングに言われて信じた、そこへ「俺なんかは寧ろ殺す夢を見ますなァ」とうそぶく強者の出現で、人間は本当に色々だと思った。なお、私の趣味としては、こう妄想したい:私の夢へたびたび登場して私を迫害し殺そうとした(そしてときに殺した)そいつは、他でもない、わが親友であった(そして、親友の殺す夢で殺されていた者とは誰あろうこの私であった)。こういう超次元交叉を妄想するのが好きである。こないだも、「赤とんぼ」の歌、夕焼け小焼けの赤とんぼ負われて見たのはいつの日か、の三番に、十五で姉やは嫁に行き、とある、この十五で嫁いだ嫁というのが、「大きなのっぽの古時計」の二番に出てくる、「何でも知ってる古時計、おじいさんの時計、きれいな花嫁やってきた、その日も動いてた」の花嫁である、とかんがえて一人悦に入った▽また爆殺があった。張作霖以来人はしば爆殺した、そんな爆殺史の新たな一ページ、露高級軍人のサモカート(電動キックボード)爆殺。この件でいろいろ思いめぐらした。テロは無条件に否定し非難さるべきものであるはずだ。だが大悪の前の小悪といって私はこれを是認しそうである。安倍晋三のときもその行為自体は決してがえんじなかった。卑劣な行為に数える。テロとはなんであろう。思うに、昨日のような今日があり、今日のような明日があるであろうという、時の連綿性への信頼、の暴力的絶断である。そうして、それを見たものをして、このように私の生の連続性も、あす、招かざる外力によって、それに気づく間もあらばこそ、問答無用・無文脈にも切断されるかもしれないという恐怖を抱かしめるものである(恐怖=terrorによる支配)。今回の被殺者は軍人であるが戦場にいたのではない、自宅にいた。制服も来ていなかったであろう、私人として過ごしていた時間であったと仮定しよう(傍らの補佐官氏も爆死しているのであるが)。祈るひまもない。あちぬれば(очнулся в)黄泉。告解・懺悔も間に合わぬ。この者に家人があったと想像しよう。自宅玄関口での爆死という。家の中には妻がいて子供たちがいたと仮定しよう。パパが帰ってきたと思った。大音と激震。煙もくもく。何が起こった。見ちゃだめ。肉片と化したパパ氏。以上は私の勝手な想像だが、何かこれに類することが起こったのである。平和なモスクワ。この平和なモスクワのまちにこんなことが起こるなんて。やったやつ許せない。実行したやつ、裏で糸引いたやつ、絶対に赦せない。思うのが当然である。翻って。ここで翻るのである。西へと大きくまなざしを向け変える。まなこを、なまこに。まなこの穴からなまこが生え出てその2本のごくぶとなまこがいっせいに西を向く。「平和なモスクワ」から放たれた命令、そのことだまが、砲身に宿り、航空機のジェットエンジンに宿り、数万本の火の矢となって、西をめがけて飛んでいく。露による千日テロである。破壊された4000万市民の生活、家庭。男のいない街。ハリコフの地下鉄構内で学ぶ小学生たち。あるオデッサの家庭は、生後数か月/3歳/5歳の子供とその母が一撃で死に、残されたパパは菓子職人から軍人に転職し、その1年後戦場で死んだ。このような非情な未来はイワン・カラマーゾフでも想像し得なかった。(疲れたのでいったんもうよす)▼(露軍の将校がモスクワの自宅で爆殺された件につき)2本ほど補助線を引いてみたい。ひとつは、因果応報という考え方である。死ぬべきか、またどのように死ぬべきかは、そいつのウクライナ侵略への貢献度によって測られる、とする。こんど爆死したのは露軍の化学兵器の開発や使用に関わった高級軍人、ということは、戦場におけるウクライナ兵数十人の死に濃厚に有責であると考えるのはそう強引なことではない。だから、死んで当然、業罰が下ったのだ。そう考えてよいか。もうひとつは、ごめんなさい、先ほど二本の補助線といったとき、これは予定していなかったのであるが(だから、都合3本の補助線が引かれることになるが)、やはり、効果、という考え方である。殺すことによる効果、正の影響。これをお読みの方に露語学習者があればだが、ウクライナ戦争をめぐるキーワード(学校では決して習わないやつ)にненаказанность無罰性、вседозволенность全許性というのがある。どちらもゼレンスキー以下ウクライナ高官が、VVP以下露の戦争責任者について、しばしば使う。久しく悪を行いながら誰からも罰せられないので罰せられるとか誅されるとかいった理法の埒外に自分は存す、自分には(人はいさ)全てが許されているのだと盲信してある状態をいう。目を覚まさせなければならない。ока за ока, зуб за зуб、どこへ逃げようと、モスクワだろうと地球の裏側だろうと、必ず追いかけていって殺す。そのメッセージとして、今回の殺人は、有効なのではないか。(今回の殺人がウクライナ軍の特殊作戦であることを所与の前提のように語ってしまっているが。)モスクワ必ずしも安全でない、わが身必ずしも安泰でない、と、露のエリートどもに、思わせることができたのではないか。政権の現在のコース(主戦)は必ずしも正しくないのではないか、こんなことをいつまでも続けておれば、そのうち自分や自分の家族がネメシスの毒牙にかけられるのではないか……そんな認識のひろがりが、侵略戦争の抑制圧力になる、との考え方には、それなりの理があるのでは。その限り、今回のテロは、正当化されるのではないか。余談一、それにしても、外国人を金で雇って殺させるというやり方に持続性があるとは思えない。報酬は10万ドルだそうである。だが露の捜査当局は事件のすぐ翌日にも実行犯のガラを上げた(ということになっている)。露当局に拘束されたやつがどんな運命をたどるかは皆知っている。拷問、虐待、超長期収監、存在しないはずの第二第三ロシア軍のリクルーターというのがやってきて、サインすれば恩赦すると持ち掛けられ、サインしたらあれよというまに戦場に駆り出されて挽き肉になる。それでも遺族に約束の金が振り込まれるのであればよしとするか?これを割に合うと思う人がどれだけいるか。余談二。すべては許されていると主張してぶっ殺されたキリーロフというのがドストエフスキー「悪霊」に出てくるが、今回爆死した将校の名が同じキリーロフである。余談三、雪隠詰めでぶっ殺す(テロリストはどこに逃げても必ず探し出して殺すよ)とは、往年のVVP自身の言葉である。さてようやく三本目の補助線を引く。「目的は手段を正当化するか」。これもドストエフスキー的な問いだ(罪と罰)。先ほど述べたような効果(支配層に恐怖を植え付け主戦の傾斜を制動する)をあげるためには殺人だって許されるか。だが、人間の生命が至上の価値であるならば、殺人を正当化するような目的なんてものはないのではないか。あるいは、あたかも目的は手段を正当化するといわぬばかりに、露は自身の遂行する侵略戦争について、その深淵高邁な「目的」を鼓吹し続けている。目的があるから、この手段(侵略、破壊、殺人)も正当化されるよと言っている。私たちはこれにNoといいたい。どんな目的があっても戦争しちゃだめだ、殺しちゃだめだといいたい。その同じくちびるで、今回のことについては、戦争を止めるという目的に資するのであれば、殺人という非常手段も正当化される、という、これは明らかに矛盾撞着、二重基準では。この批判にどう回答したらいい。ひとつは、このような相対性を消去する、絶対性という概念の導入である。露の侵略戦争は絶対悪である、この絶対悪の消去のためには、全ての手段が自動的かつ絶対的に肯定される、とする。だが、露が今やってる侵略戦争よりももっと悪いこと、というのはいくらでも想定し得る。たとえば在日ウクライナ人たちがやくざと結託して武装しパルチザンとなって露極東にわたりハバロフスクでガステロを行う、無辜千人を殺す。これすら許されるだろうか。絶対悪の消去に資する行為だから自動かつ絶対的に肯定されますといって。いや、さすがにそれはちょっととなるだろう。どこまでも相対性的である。悪と悪との比較衡量、この悪に対してはこのくらいの悪をぶつけてもまぁ許されるよねという相場観の話でしかない。のだろうか。▼私は子供にめちゃめちゃに歌を歌う。自作の曲も歌うし、文部省唱歌、みんなのうた、ジブリ、ビートルズ、何でも歌う。私は男性としては(義母によれば、こういうのは女性こそよく覚えているものだのに、男に似つかわしくなく)例外的な?くらい、童謡の類いをよく覚えている。有名な曲は大概そらで歌えるだろう思う。どんぐりころころ、いぬのおまわりさん、おもちゃのちゃちゃちゃ、もりのくまさん、めだかのがっこう、あかとんぼ、しゃぼんだま飛んだ、屋根より高いこいのぼり、今日は楽しいひなまつり、もういくつねるとお正月、大きな栗の木の下で、ぞうさん、赤い鳥小鳥、お馬の親子は仲良しこよし、海は広いな大きいな、翼をください、ドナドナ、小さい秋見つけた、夕日が背中を押してくる、(今なら)あわてんぼうのサンタクロース、赤鼻のトナカイ、ジングルベル、きよしこの夜、余裕である。ほか、ジブリなら、トトロ(さんぽ&トトロ)、魔女の宅急便(ルージュの伝言&優しさに包まれたなら)、ラピュタ(君をのせて)、紅の豚(時には昔の話を)、耳をすませば(カントリーロード。ジョン・デンヴァーの英語原曲も)、余裕である。熊谷の人間なので、直実節と青葉の笛も一番からn番まで全部歌える。そんな自慢をしたかったのではなかった。筆が滑った。アイアイの話をしたかった▽アイアイの歌を歌っていて、すげえ歌だな、と改めて思った。意味を理解するより早く少時に暗記してしまった曲も多く、大人の理性で歌詞を玩味してその幽玄に陶酔することあり。アイアイは情報量の少なさで突出している。「アイアイ。お猿さんだよ。アイアイ。南の島の。アイアイ。しっぽの長い。アイアイ。お猿さんだよ。」たった一文!これだけで歌になっている。すごいことだ。欧文にすると情報量の少なさがよくわかる。Aiai is a long-tailed monkey on the southern islands. 意味内容的にはこの一文が歌詞の全てである。このon theのところを本当はin the とすべきなのかはたまたof やfromとすべきなのかは私の語学力ではちとわからない。Aiaiのスペルもこれでよいのか。「アイアイ 童謡」とグーグルで調べてみる。するとこの歌のWikipediaが出てきた。その記述にびっくりしちゃった。「歌詞ではアイアイが、南の島に生息する丸い目と長い尻尾を持った樹上性の猿であることが説明されている。しかし、中指が非常に長いことや、大きな耳や指を庇いながらの特徴的な歩き方などアイアイの独特で特徴的な点についてはあまり言及されていない。」なにこの後段!これ書いたやつ性格わっるぅ!ネットの世界にいるのだよなー、知識持ってる自分が偉い・正しい・かっこいいと思って、上から目線でおためごかしに知識ひけらかしてご満悦。続く記述もひどい。「作詞者の相田裕美は、可愛い動物の歌を頼まれた際にアイアイという猿がいることを知り、名前が可愛いため、図鑑で見た特徴をそのまま歌詞とした。彼女はこの動物がマダガスカルでは「悪魔の使い」として気味悪がられていることや、アイアイの名前が現地人がこの動物を見て上げた驚きの声に由来することを知らなかった。そのため、現地においてもその不気味さから不吉な動物として忌み嫌われているアイアイが、遠く離れた日本では明るい曲調の童謡で親しまれることとなった。」知らねえよ!どうでもいいよそんなこと!そんなことは歌に一切関係がない。「アイアイ(動物)」の項に書いてあればいいことだ。このWikiの記述を書いたやつ、この事実を知ってる俺は、この歌の歌詞を書いた相田よりも偉い、とでも思っているのではないか(だろう)。ださ!さむ!うざ!▽好きな歌をふたつ。みごとな歌詞だなー、と思う。ひとつは、「あめふりくまさん」。メロディも詞の世界もやさしくて。「お山に雨が降りました。あとからあとから降ってきて、ちょろちょろ小川ができました」これが一番。二番「いたずらクマの子、駆けてきて、そうっと覗いて見てました。魚がいるか(な?)と見てました」。三番「何にもいない(な)、と(思った)くまの子は、お水を一口呑みました。お手々ですくって、呑みました」。四番「それでも、どこかに(お魚が)いるようで(いるような気がして)、も一度、覗いて見てました。魚を待ち待ち、見てました」。五番「なかなか止まない雨でした。傘でもかぶっていましょうと、頭に葉っぱを乗せました」。私がたまらなく好きなのは、五番で、それまでしばらく子熊を大写ししていたカメラがすっと遠のき、雨の森の遠景が映し出される、この展開だ。ここに熊はもういない。傘のかわりに葉っぱを頭にのせた主体はくまのこには違いないのだが、もうその姿は透明になって見えない(主語としても明示されない)。詩情だけが揺蕩している。点景を置いてそれを消去しあとに詩情だけを残すというのは中原中也の理想とした詩法である。ほとんど同じ理由で、「赤とんぼ」の歌も好きだ。夕焼け小焼けの赤とんぼ(を)負われて見たのはいつの日か?山の畑の桑の実を小籠に積んだは幻か?十五で姉やは嫁に行き、お里の便りも絶え果てた。夕焼け小焼けの赤とんぼ、止まっているよ、竿の先。この最終聯への移行がやはりぐっとくる。先ほどの雨ふり熊の子が「遠→近→近→遠」だとすれば、こちらは「近→遠→遠→近」である。今そこに見えている赤とんぼ(実景)から、遥か遠くの記憶遡行・時間旅行を経て、またとんぼの実景に還ってくる、このまなざしのリターンは一瞬にして行われるのだが、その一瞬にして行われる移動の遥かさ!非常に長い距離が一瞬でゼロに、非常に濃い夢が一瞬で破裂。二世界性の一方の消滅と同時に起こる二世界構造そのものの消滅、泡の弾け。泡は弾けてもたしかに弾けの残響が残っている。ふたたび無になった、しかし何も無かったのではない、その証拠に、何か感じるものがある、何かけしきが違って見える。無と有のいきき、その玄妙が、どちらの歌にもある。▼麻布台ヒルズに「ポケモン×工芸」展を見に行った。見たことないものが見たかった(後付け)。その思いは満たされた。ポケモンといってピカチュウくらいしか分からぬ私が十分たのしんだ。▽帰りの電車で恐怖を感じた。その延長には発狂とか鬱病がありそうな恐怖心だった。私はいつものように優先席に座っていた。(説明しよう!何丘は優先席に座るのである――批判もあると思う。私は別に障碍者ではない)私の前に女が立った。その目が怖かった。山岸涼子の「天人唐草」みたいに突如「きえーっ」と叫びだしそうな感じだった。予め狂ってる、こんな電車になんか乗り込んでくるべきでない。それと目があい、波長があってしまった(か)と思い、そわそわした。すがる気持ちで隣を見やったら、その者も、どうも予め狂っているらしい男だった。ああ、見れば、優先席の周りには、予め狂っている目つきもしくは服装・風体をした者しかいない。どうしてしまったのだ●の内線は。世界の人間がすっかり入れ替わってしまって全員と意思の疎通が不可能になった。帰ったら妻や子まで私の理解の埒外にいる。墜ちていく!墜落の感じ。人類がそっくり異星人に置き換わってしまったと言ってもいい。(ふつうの人であること。話しかければにこやかに、理解可能な対応をとる人であること。そうありたいものだ!と、かく強く思うのは、私が(私じしんが)実は全くふつうの人ではないからなのだと思う。よい意味でふつうの人ではないのではない、最悪の意味でである。犯罪者、気違い、そういう意味の、「ふつう」でない人。天人唐草は私のことである。きえーっと叫びながらあの交差点を渡っていた頭の大きな耳の小さな男は私だよ(SNSで探してごらん、すぐ見つかるさ!頭の大きな耳の小さな男の叫喚、探してご覧、180くらいの瘦せぎすの中年男、それが何丘だ)。私が好んで優先席に座るのはそれを本当に必要とする人に譲るためである。仮押さえのつもりで座っている。主要駅で人の入れ替えがあると必ず読んでる本から目をあげて見渡す。というといいふうだが、これなんかも、私が自分の正常性を確認……いや、ほんらい私にない正常性を、アートとしてこの世に幻出させる、それを自分でみて、満足するためなんだ。狂気の世界の正常の花を、私自身が見たいからなのだ。私自身の中にもないその花を▽アゼルバイジャン航空機の一件に注目している。本件につき私の第一報(戦争記事)はわりといい仕事をしたと思う。早かったし、要点をよく押さえた。その後の経過を見ても、やはり、露が撃墜したで決まりであろう。マレーシア航空機のときと同じだ。民間人を満載した航空機を地対空砲で撃墜して二桁みけたの死者を出す、またの一例が上がった。「ウクライナ軍がチェチェンにドローンなど飛ばさなければこんなことにはならなかった、ウクライナにも非がある」と言えるか。言えないだろうと思う。対称性の原則と原則的非対称性のどちらでも説明できる。対称性原則とは、露がウにミサイルだのドローンだの飛ばしてくるんだからウも露にドローン飛ばすよ当たり前だろ戦争だぜ、とこうである。原則的非対称性というのは、露がウにミサイルやドローンを飛ばすのは能動的侵略であるが、ウが鏡像的に行うそれは、未来にとっての過去の殲滅、将来のさらなる侵略を予防することが眼目である、この点で決定的に異なる(非対称)。侵略を受けている側のウは、ここを叩けば露の侵略が止まる(弱まる)と合理的に考えられる場所に攻撃を行うのは、当然の権利である▽アゼルバイジャンとカザフスタンが政府とか首脳レベルで露を非難、いつするのか、果たしてするのか、ということを注視している。今のところダンマリである。クレムリが裏で懐柔に躍起になっているに違いない。だが、さすがに今回、露との関係も大事だからことを荒立てたくない、といって、露の公然非難を慎むとしたら、アリエフ、トカエフ、恥を知れ、である。民間機を撃ち落とされて、自国民をごっそり殺されて、それでもへぇこら尻すぼみか。属国、奴隷!とのそしりを免れまい。独立国の矜持見せろ、プーチンに謝罪と賠償を毅然と要求しろ。(1708字書いた。合計98645字。ウクライナが平和になるまで、あと、990万1355字。)

※この狂った試みについて、詳しくは→盗む

OFUSEへの返礼コメントその2

>can8さん ありがとうございます。リスキリング、という言葉が気になっている何丘です。これを「栗鼠殺し」と読み替える冗談はすでに誰か言ったのだろうか。リス、スキ(好き)、キリン、リング、キリング。目が勝手にこれら部分要素を読み取ってしまいゲシュタルト(全体像)を結びにくい、気持ち悪い文字列。意味的にも他にいくらも言いようがあるように思えて、好きになれない言葉です。

>由利烏賊さん 変わらぬご支援、感謝いたします。ユリイカという詩の雑誌が好きで学生時代早稲田の古書店でバックナンバーを買い漁っていた何丘です。駒場の近代文学館併設のカフェにそのユリイカのバックナンバーがぞろりと揃っていまして、文豪の名を冠したこざかしい(中身は大したことない)飲料をしばきながら背表紙を眺め渡すのが乙事主。近代文学館いま中島敦「山月記」展やっております、旧前田邸見学とあわせてどうぞ。

>funamushi0217さん ありがとうございます。

OFUSEの仕様で、お返事できなかった方々へ

>chillinさん ありがとうございます。そちらもどうぞご自愛を。妻はもう日本の夏に順応することは諦めているので、なるべく外へ出ず・冷房費は惜しまずの方針(それで良い)。ただ子供には少しは暑さにも慣れてほしく(長い付き合いになるでしょうから)、なるべく夕方など外へ連れ出していくつもりです。しかし、にしても、まだ8月がまるまるそっくり残っているという絶望・・!
>Mikeさん ありがとうございます。おやすみの挨拶のしっかりできるこども・太郎の日々の糧に費わせていただきます。こいのぼり、という食べ物がありまして、めざしのことなのですが、これなど焼いて食べさせてやりたいと思います。まだ日本に暮らす前から(2歳半以前、細胞の全部がウクライナの食物でできていたころから)魚やこんぶが好きだった太郎です。
>いもさん ありがとうございます。無事「盗む」ことができました。
>Nさん ありがとうございます。ピルクルと牛乳とヨーグルトが好きな太郎の、プール用・ショルダー装着型浮袋購入費に充てさせていただきます。
>いずみさん ありがとうございます。太郎が10年後に読む太宰治「津軽」(新潮文庫)の購入費に充てさせていただきます。
>neputaさん ありがとうございます。どうしても自分の話ばかりしてしまいますが皆さん各人に背景があり過去深部の闇から続く長い長い文脈があるので、大事なのはどの点で少なくとも一致できるか・連帯できるか、ということかなぁと思います。未来への責任。重い言葉です。
>anonymousさん ありがとうございます。なかなか寝ない子供・太郎に読み聞かせて寝かしつけるためのカフカ「城」の購入費に充てさせていただきます。
>palsyさん ありがとうございます。何か少しでも取るところのある読み物であったことを願います。
>くれさん ありがとうございます。どうか「有事」のなからんことを。ご夫婦くれぐれもお仲良く。またどこぞでお目にかかりましょう。
>8m8さん そのように思ってくださる・言ってくださる隣人がいると思うだけで心強いです。市内でそれらしき3人組を見つけたらお声をおかけください。「あの、もしかして……何丘さん?」でなく、「お前が何丘か!」というテンションでいきなりかかってきてくださって結構です。
>cjさん 感謝です!
>鈴木さん こちらこそです。これからも何かかか語り続けます。
>名もなき読者さん ありがとうございます。そういう方がいらっしゃるものと密かに信じておりました。これからもどうぞお見限りなく。平和になったオデッサからの、ごくふつうの街歩き報告を、また見にいらしてください。
>iridiumさん そうかい、嬉しいぜ! サンキュウ!
>通りすがりさん 済みません、ありがとうございます……!心強いです。何度も通りすがってくれる人。良きことと下らないこと書く何丘、下らないことの方の分量はなるべく9割程度に抑えまして、よき言葉ばかりをあれしていきたいと思います(ところで台西の読み方は「たいせい」で合っていますでしょうか?) いつか気にかけてくださっていたジョニーの動静、全然伝えていなくて済みません。某所で今日もがんばって絵を描いています。
>KTさん ありがとうございます。「いつも」という言葉を心強く感じます。だいにし、という言葉は、やはりこう書くのが正しいのですね。
>匿名さん(寝起きペンギンのスタンプ) ありがとうございます。太郎といく角野栄子「魔法の文学館」の入館料に使わせていただきます。
>匿名さん(左手で封書掲げてるスタンプ) ありがとうございます。太郎といく多摩六都科学館開館30周年特別企画展「ロクト昆虫図鑑」入館料に使わせていただきます。
>えりさん お心遣い痛み入ります。ありがたく頂戴いたします。世の中が変わってくれないと、例の約束の履行が、どうしても腹切り大出血になってしまい、苦しいところです。お優しい言葉もありがとうございました。まだまだ暑い夏、どうぞご自愛ください。
>Aさん ありがとうございます!好き!
>M. S.さん(ご本名かと思われるのでイニシャルにて) ありがとうございます。またご挨拶できて嬉しく思います。その後、ご案内の次第にて、無事に行って(盗んで)帰ってきております。利用したトルコ航空は28週目以降は医師の許可がないと搭乗させないとのレギュレーション、私らはまだ余裕がありましたが、チェックイン時にやはり確認はされました。本日の検診でも問題なしです。ご心配をおかけしました。
>匿名さん より良き未来を、私も願っております。子をなした以上はそのために何かするのが義務であるはずです。お志ありがたく頂戴いたします。
>何丘ファンさん そのネーミングが嬉しすぎて。そんなことある? そんな人いる? 「この疑り深い私がオルニチンを飲む理由」。ともかく、ありがとうございます。
>ymzさん まこと痛み入ります。何と申してよいやら。正直申して大変に助かります。猫のカズャーヴァにもこうべを垂れさせたい。このたびダーチャで過ごしたは僅かに6晩、うち3晩は長くこの子(猫)を膝に乗せて掻い抱いておりまして、ぐるぐる(ロシア語的には、むるむる)喉を鳴らして寛いでいるその様子を義母評して「極上のスパ・サロン」。太郎はびびりで爪牙もつけだものを基本こわがるのですがこの白猫にだけは気を許して、自らそばにより、よく頭をイイコイイコしてやっておりました。妻のおなかの半月も順調に満月へ。わたしが痛風?になっているほかは家庭は万事問題なしです。お陰様でございます。

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