特に理由もなく長期更新を怠った。単なる怠けである。
皆さんも怠けるだろう。私も怠けた。皆怠ける。
子(1)
子Lは、過去である。たえず過去へと開かれていく。今日をともに生き、明日もともに生きることで、かれは過去方向へ、厚みを増していく。すでにその厚みは、どうしても私が、かれを失えないほどに育ち。
子(2)
子Rは、未来である。この子が言葉をしゃべりだし、砂場で遊びだし、何かいっちょまえに、創作したり、歌を歌ったり、何か私に語り出すのを聞くまでは、私は死ぬことができない、絶対に。
1855日
KLammerが1855日沈黙したんだから自分が100日くらい黙ったって問題ないと思った。(To Pimp A Butterflyをこのかん100周した)
自分は内容なんてない。本当に何も持たない者だ。20年前に考案したキャラクター・内容のないパンマン(無餡症のアンパンマン)みたいに空っぽ。八方の師友に顔向けできぬ。横山、藤原、杉、伊東先生、ナタリヤ先生、きくっちゃん、もっちー、辻、もといくん、ただおくん、磊、大久保、This is me、At the age of 40、仲間内で一番の失望株、ついに何にもならなかったじゃねえか、
それでも、これがあるから、生きていたいという事由は、いつも欠けることなく、生は続いており、このごろは、とみに、Rが、砂場で遊びだすのを見るまでは、死ねないと思い、また、Lが、義母ターニャから受け取るはずであった愛を、私がかわりに渡しきるまでは、死ねないと思う。
ウクライナ
私のウクライナについて、書きたいと思う、それを本にしたいと思う、のだが、眼高手低の呪い、書けない。このブログが、ひとつの、触媒となれば、と思って、再開するのである。てらいなく、まっすぐに、書くべきことのみ、書けたら。(言うのは簡単。)
「私のウクライナ」か。それがまず違うだろう。私はオデッサという街に2年半住んだだけ。私は秩父にも2年半住んだ。私の秩父、を書いて、本にするのか。誰が読みたいか。本になんかなるか。なんの価値があるか。
昔から言っていること、最近言うようになったこと
昔から言っていること。
・私は、書くことによってしか、考えることができない。
最近言うようになったこと。
・私(の外貌は、醜く、衰えていくが、一方で、私)の内容は、記憶である。この記憶によって、私の内容は、美しくも、豊かにも、なっていける(はずだのに。なのに……)
私は記憶しない。LがRくらいだったころのこと、もう何も覚えていないようなのだ。
だから、書きたまえ、私。好きだったのじゃないのか。書いて、考えろ。書いて、思い出せ。Pomera買え。なんでもいいから、いやなんでもよくないよ、考えて、もの書きぃ。
本
最近読んだ3冊の本、坂口恭平「生き抜くための事務」、岩崎う大「この複雑な世界が僕を鬼才と呼ぶ」、ハンター・デイヴィス「ビートルズ」、いずれも、ハードワークが大事だと言っていた。傑出した表現の母体に無数の反故(「事務」、ネタ作り、曲作り/ライブパフォーマンス)があると。
嘔吐と水瓶
個々のニュースはもうあまり見ておらず、УПの論考とか読んだり、Meduzaのポッドキャストとか聞いてる。発表や共有の当てもなく、ただ手元に、それらのメモをとっていっている。最近の、世論調査とか、おもしろかった論説とか、そういうのを、かいつまんで訳して、ブログに置いていこうと思う。
Meduzaが財政的にピンチらしいので、助力したいが。
そして、また、冬が来るな、と思っている。
このかん、繰り返し繰り返し、千度も、万度も感じていたのは、嘔吐であった。ドライゲロを無数に吐いた。
不思議の感とともに、いつ水瓶がいっぱいになるのか、見守っている。ニュースサイト開くたびに、それがついに溢れたというニュースが、今度こそ赤字で踊っているのではないかと、期待している。が、なかなか訪れない。水瓶ががついにあふれるための、ひしゃくの最後のひとすくいが、今度こそ、注がれたか?と思う(たとえば、一晩に800超の飛翔体とか、政府庁舎にイスカンデルとか、ポーランド領空侵犯とか)、今度こそ、この一件こそ、それであってくれと祈るのだが……。
Outro
人は変わる。猫が好きだったが、もう別に好きじゃない。
きょう、子に話した。記憶というのは、ほっとくと忘れてっちゃうものなんだ、毎日新しい印象があるからね、古いものから消えていくよ、だからね、これは忘れたくない、このことは忘れちゃいけない、と思うことがあったら、戦うんだ、抗うんだよ、何度も何度も思い出して、忘れないように努めるんだ。「たとえばね、死んでしまった人のことね」……

