学研のおばちゃんなら、そこの道端でたふれているのを見たよ。
大使とその妻
読了、すばらしかった、水村美苗、なんという筆力、トランプとコロナという汚らわしい二の名詞の一が一度だけ使われた一文の衝撃、何かあるなら貴子の身にとまんまと関心が誘導されていた、
人の一生の重みと厚みの森閑(緑々しき)追分、その際の際の、薄皮の際限、「待つしかない」現在の光芒!
ビートルズ
好きなものについて読む、時をかけ、少しずつ、「好き」を深めていく。しじゅうの男が、今さらに、そういうことをし始めようとしているのか、滑稽な。
自分は中学一年でビートルズを聞き始めて、……自己伝説によれば、自分は音楽と文学には正門から入門しており、最初に読み始めた日本文学が漱石であり(つまり意識して、自分で図書館でこれは文学というものだこれを読むぞと借りて読んだのが)、最初に買ったCDがビートルズであった(中1のとき。なんだか色々入った3枚組のアンソロジー)
それから実に四半世紀が過ぎた。I wanna tell her that I lover her a lot, but I gotta get a belly full of wineとはすらすら歌えるようになったが、歌詞を熟読吟味し分析考察解釈してみるとか、曲の背景について知ってみるとか、いかなる方向へも、「好き」を深める努力をしなかった。「好きこそものの上手なれ」世阿弥(テキトー)。何につけてもそうだ。今でこそヒップ北方が好きだよというのは普通のことだが、中3でBoyz 2 Menからブラックミュージックに入門したときそれはいかにも異様な趣味であった。その頃からこれまた四半世紀近く時が経っているが、自分は到底古参ヅラできない。知識も何にも獲得していない。趣味を深めることをしなかった、ただずーっと好きなもの繰り返し聞いてきた。
それが、ここへきて、ビートルズ学の古典(ということだと思います)、ハンター・デイヴィスの「ビートルズ」など読んでいる。明日から下巻(先日、さも読了したかのようにこの書名に触れたが、実は上巻読んだだけ。私によくある見得張り)。
ケンドリック・ラマー
KLamarについても少しは研究的になってみようと思う。岩波新書の「ブラックカルチャー」なる本も購入しまして手元にござる。「好き」を深める。この人生で私(この個体)に生じた「好き」をもそっと可愛がる。
いろいろ聞いたがNot Like Us含め、1855日の沈黙後のLamarの曲を自分が好きになることは多分ない、声が違う。自分はラップのヴォーカルアートとしての側面を重んじる。宮本浩次もウォンヤ・モリスも吉増剛造もケンドリック・ラマーも同列にヴォーカルアートとして享受した。
そんな自分にはやはりこれである、To Pimp a Butterfly、「完璧」。声が何しろ素晴らしい(がなりすぎのThe Blacker The Berry除く)。もちろんヒップ北方はまたサンプリングアートであって、本作のコラージュ(編集、構成、引用、反復)の妙、神がかってる。
ブラックミュージック四半世紀聞いてきた何丘が挙げるベストアルバムは、歌ならD’angeloのVoodoo、ラップならKLamarのTo Pimp a Butterfly。ただし、深めない私なので、どちらも、詞の意味は全然分かってない。
エレファントカシマシ
今回は音楽のこと書く感じなのか。
エレカシの古い曲を聴いていて、(聴く、と聞く、を、区別しないで使っている。変換がめんどくさいので、スペースキーおして出てきたやつをただ使っている)、ひまつぶし人生、という曲を超久々に聞いて、快哉、その歌は、こう言う:
天皇が死んだ。
新聞は書いた。
「時代は変わった。」
変わったんだろうねぇ!!
この憂鬱、このresentment、これほどラディカルに青春の鬱憤をぶちまけた人が、いま「歌王」の座におさまりかえってる様子は、見るに堪えず、だが人様のことを悪く言うのはやめておこう、時間切れだ、
太宰治
時間切れだが、もうひとつだけ書く、今年も6月に、19日だったか、太宰の忌日、桜桃忌に、禅林寺(という寺が三鷹に)の津島墓前を見舞った、それに合わせ、はじめて、太宰についての本をちゃんと読んだ、井伏鱒二の太宰伝と、加藤典洋の「太宰と井伏」という本、そのあと、東京八景とか、いくつか鍵となる短編を再読。こういう深め方も今までしてこなかった。好き、を深める、そういうことを、まだそこそこ人生は長いから、少しずつ、時間をかけて、していこうと、しているのかな、俺は。
