十四(4)

憂鬱である

憂鬱である

憂鬱である。ただ体は動いている。やることは多く、今朝したことでいうと、食器も洗うし、洗濯もするし、片付けも、掃除もする。これをすれば人が確実にラクになる、いずれ行われねばならないこと、私がやらなければ人がやるしかないこと、それを私がやることにより、人はそれをやらなくてよくなる、人をラクに、このしごとひとつ分、人をラクに、その一念で、体を動かし、しかし、心はない。そこに心はなく、何か心が入るべきしごと、その筆頭は、子にかまける、子に愛と顧慮をふりむける、子のしたい遊びを子のしたいように半時間なりと、あるいは、これをすることが子の成長に資すると私が信じる億劫だが意味のあること、に打ち込む、そうした心の仕事には、赴けない、憂鬱が座らせる、昨夕の憂鬱は、けさ家事が可能なまでには回復したが、育児は、そら、赤子のむつきをかえるとか、赤子にめしをはむらせるとかは、する、可能事である、そして、赤子がファーストステップス、これからあゆむサウザンド・ステップス・アンド・モア・・のその最初の数歩を、あゆみだすのを、目睹して、目に涙がたまったりもする、圧死、という言葉が湧き上る、

時局(状況!と君は言う)

時局への発言でもしてみようものか。JICAの件は残念であった。アフリカ諸国のホームタウン構想の件。これで、SNSで排外主義キャンペーンに加担して、俺たちが日本を守った!などと「成功体験」を誇る人が、もし何丘ブログの読者にあるとしたら、言い渡す、シンプルに、あんたは私の読者ではない。私はあんたを軽蔑する。あんたは私の敵である。立ち去れ、二度と来るな。同様に、その排外主義的言辞に同調して、先の選挙で参政党なんぞに投票した者、あんたも私の読者ではない。

自民党の総裁選やらに興味皆無。まともそう、というだけの理由で茂木という人を推す。それより今日投開票のモルドヴァ議会選が気になって仕方なく。もはや公正さなどどうでもいい、サンドゥの政党の勝利という結果(の確定)だけが望みだ。その逆を考えるとまた吐気。

自分は凡庸な、良識派で、当然に、平和を愛し(だから戦争やテロの意思決定者また遂行者を憎み)、みんな仲良く暮らしていけるのが一番だと思っている(だから対立や分断をあおる奴またその言辞を憎む)。実害に対する防衛・抗議の声には別に場所をとっておくが、そうでない限り、言葉や文化や肌の色が違う色々な人が日本の景観美や食や安全性を好んで来訪して住まうのは、素敵なことでしかない。異貌のコンビニ店員さんにはより丁寧にと心がけるようになった。日本を選んでくれてありがとう、滞在が快いものになりますように。

外出した

以上を朝に書いて、そのあとみんなで外出した。4だいのチャリで――子Lは自チャリで、私は赤チャリでこれをフォロー、で人と子Rは電動アシスト付き自転車。子Rは前籠に乗っての自転車移動を気に入っている様子できゃっきゃはしゃぐ、私は、この陣容で、東八を一路、走っていて、楽しく、「私、憂鬱じゃない!」と人に。人、よかった、と安堵。

東八をずっと下っていって、天文台(国立天文台三鷹本部)とこの図書館に入って、そこは、もと天文台職員の寮舎であった古い日本家屋を改築した禁帯出の閲覧専用図書館、「星と森と絵本の家」とか称す、Rは好きに這い回り、Lは何やドミノで遊んだり中庭で昔遊びしたりして、私はぱらぱら絵本眺めて、なんだかんだ3時間くらい過ごして、

それで家帰ってきてなんとなくまた憂鬱である。コメは高い。ゴリラが喋ってた、ゴリラが喋ってた(ごりら・ごヴぉりーら)

ふつうの世界

ふつうの世界でふつうの人たちと生きている。クネクネしながら駆けてきて、「私は、ふつうの、元気な、馬よぉん♡」というギャグが子Lにある。そうです、子L、ふつうの馬たちと仲良く暮らしてる。ふつうの世界では、私は、自分が、少々、はみ出しているなと感じることがある。私だけがこうも違う、と感じることがよくある。だが本当にはみ出した人、そういう人たちだけで構成されている社会(各ジャンルにある)、そういうところへ出れば、私など実につまらぬふつうの馬骨。だが私を石で打ち、私を死なしめた者は、閉じゆく私の意識に同期して、世界に世界大の緞帳が下りつつあるを気取って周章、最後に聴かれるそいつの言葉は、「しまった、こいつが神であったか……」

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