貧山と負山、無の野、富海と勝海。鮑に接近、焼き網に接吻。貧山負山無野富海勝海、鮑接近焼網接吻。
声
私はつまらんvoiceの持ち主だ、この声を自ら好んだこと一度もなし、誰かに褒められた記憶もない、
声。
太一君の声はよかった。(一通り思い出してみる。中村の声、伊藤の声、菅井の声、河原の声……)あとは全部だめだ。いい声の人は少ない。私もまたいい声に恵まれなかった。
Y山
あんたの夢を見た。今も夢を見るのはあんたくらいだ。不思議な意味を持った人だ。それであんたに手紙を書こうと思ったのだが、夢を見たのが昨日のことで、その昨日、疲れてすぐ眠ってしまった。今日になったらもう書く理由がなかった。
その手紙を昨日脳内で作文していたのは楽しかった。それは次の一節をもつはずだった:知っての通りの自分の舌禍や思えば後悔ばかりの人交じり、ひとりひとりに許しを請うて回ることも叶わぬならば、今はただ、よく生きることのみ……よく生きて、よく生きることで、償っていくほかはない(と思っている)
忘れない
コリスのこと忘れんでね、と牛木はいった、富山湾、古志の松原。
忘れていた人が思い出すというのは感動的だ。トムハンクスのHEREという映画にも最後にその種の感動があった。古くはFinal Fantasy Ⅶというゲームでクラウドが偽の記憶を破って本当の自分を取り戻すさまに震えた。より感動を呼ぶこと少ない、地味な闘争が、そもそも忘れない、思い出し続けるということだ。
忘れないでくれ、と他人から言われたことが何かあったろうか。あったのかも知れない。覚えていない。この未来には持ち越さなかった。約束は守られなかったのだ。だが少女牛木が、古志の松原で、私に云った、コリスのこと忘れんでねという約束は、それから30年、私はどうやら、この未来に持ち越したと言っていい、もうコリスと呼ばれたリスの人形の形姿は忘れてしまったが、その名のそういうものがあったということ、熊谷に帰っても次の夏休みまた会う日まで覚えていてくれときみが言ったこと(その富山弁の抑揚まで)私は忘れなかった。忘れずにここまで生きてきた。
私はさしずめ、今ある何を、次の未来へ持ち越そうか。たとえばそう、今から20年後のわたくしに(私は私に、何を忘れるなと、いおうか。私は私に、何を忘れないと、誓うのか)
さしあたり、忘れたくないな、私の猫がいたこと。私の猫。その鎮魂に失敗し続けている猫。その名を聖別している猫。私の猫。わたしのねこ。
それから、オデッサの、私たちの猫、白猫のカズャーヴァのことも、忘れたくないな。忘れないというのは、その日、その幹のひま、姉らしき色、きみはありにし、君の名も目の色もふわふわ感も爪たてたときの痛みも、覚えているということだ。今あるこの強度で。
結びに・・
何を話しても結局はそこへ逢着してしまうのだが、
そうして自分は、ときの、あらゆる癒し、宥める、ときのちからに抗って、この瞋恚と、憎悪を、未来に持ち越さねばならぬのだろうな、と思っている。みんな許す。みんな忘れる。すごい国だ。大きくて強い。必ずまた台頭してくる。ビジネスがはじまるよ。おかねもうけだ。みんなでゆたかになろう! だが私はすみっこで冷眼している。忘れてねえぞ。
ДЕТИと書かれていた。
ロシア語は呪われろ。дети(children)と発語するとき、そのたびに、思い出せ、マリウポリドラマシアター、貴様らのしてきたことを。
