ウクライナに住んでますと言うと「治安は?」とよく聞かれる。その回答の試みとして、移住してこの2年の間に実際に私が体験した<怖かった思い出>を3つ語ってみる。
恐怖体験①手斧で脅された
まずは軽いのからいく。アパートのエレベーター前で酔漢に斧を突きつけられた。
正確に言うと、手斧を持ってる目の血走った男がいて、私がその傍を通ろうとすると(私は一階に住んでるからエレベーターそのものには用がない、だがそこを通らないと自分のドアに辿り着けない)立ちはだかって道をふさがれ、「おい中国人、こんなの見たことあるか?」と問いを発するとともに
手斧の柄(え)の部分からナイフを引き出して見せた。「仕込み杖」ならぬ、「仕込み手斧」だ。
仕込み杖は凶器じゃないと見せかけて実は凶器という代物だが「仕込み手斧」は外観があからさまに凶器でありしかもその中のかろうじて非凶器的な部分(柄の部分)に実はもう一本凶器が潜んでいるという狂気の沙汰の凶器である。
ところでこの男は私に「おい中国人」と呼び掛けていたのであった。私の住まうオデッサという街はアジア人が稀であり、いればまず中国人ということで、中国人と断定してかかられることはよくある。一般にここらの人が中国人を二等人種と見ていて日本人を名誉白人くらいに思っているのは知っているのだが、その差別に加担したくないから、「何を言う俺様は日本人だ」みたいなことはなるべく言いたくない。だが今こそは、そのように身の証を立てることで降りかかる災厄から身を衛ることができるケースなのかもしれない。口の中でモゴった。「何を言う俺様は・・」
そのときうしろからもう一人べつの男が現れた。私はこの人がまともな良識あるふつうの人で、このようなあからさまな威力誇示を見咎めてくれるものと信じた。
しかしオルズ、この第三の人物もべろべろの酔漢であった。先の男との関係は知らないが、ようブラザーみたいに声をかけ、その手に「仕込み手斧」が握られてるのを見てとると、「へへ、カッケーなその武器!」と淫らに笑った。ダメだこいつは。私は観念した。
そのときエレベーターが到着した。凶器の男はなお数秒私と対峙したのち、のそっと動いてベータ―に乗り込んた。あとから来た男も一緒に。私は通せんぼが外れたのでやっとそこを通って自分のドアに辿り着くことが出来た。妻に今しがたのことを話して聞かせた。
妻は青ざめていたが、私はというと……
私は終始、なんかピンと来ていなかった。ぜひともピンとくるべき場合だったのかもしれない。考え事をしていて、ぼーっとしていて、冷兵器を誇示されたときさえ、まさかこれがこれ以上何かに発展するなど思いもしなかった。結果的には私のいかにもピンときてないぺろーっとした顔が敵をドッチラケさせ、私を危難から救ったという気もしないではない。
怖かった度
★★★☆☆
恐怖体験②強盗未遂にあった
夜の11時にドアがノックされた。子供は寝ていた。私と妻は起きていた。すでにして明らかに異常事態である。当然だが細めにすらドアは開けない、ドア越しに誰かと問う。「警察だ」と返事。
果たして警察であった。制服の警官が二人(もちろん手帳も示させた)それからパジャマ姿のお隣さんが二人。なんでも強盗が現れたらしい。現れたどころじゃない、すんでのところで私たちが襲われるところであった。
ことの次第はこうだ。同じアパートの上の階に住んでる人が夜の10時半くらいに3人組の若い男が我々(何丘宅)のドアをこじ開けようと鍵穴カチャカチャやってるのを目撃したらしい。明らかに怪しかったのだがそれを今見咎めてしまうと3人に襲い掛かられて自分が死ぬと思ったので、そこはいったん通り過ぎておいて、自分のドアをくぐって施錠してからすぐ通報したらしい。んで警察が駆け付けたときにはその3人組はすでに姿をくらましていた、と。
「何も気づかなかったですか?不審な物音とか?」そう聞かれるのだが全く何も心当たりがない。しかし考えれば考えるほど妙な話である。私と妻はふつうに起きていた。電気もあちこちついていて、外から見て明らかに(繰り返すが私たちは一階に住んでいる)無人ではない状況だった。してみると少なくとも空き巣狙いではなかったのだ。
ヒョロヒョロのアジア人(私)と女と子供という家族構成を知った上で、起きてたって構やしないと開き直っての強盗だったのか? とすると背筋の寒くなるような話である。
この一件を受けて私たちがドア周りのセキュリティを強化したのは言うまでもない。
怖かった度
★★★★☆
恐怖体験③白昼のカフェで凶行
これはマジで怖かったし世界観がこれで変わったが、聞くとどってことない話かも知れない。
上はとあるカフェの見取り図である。気に入ってよくWiFiで作業するのに使ってた。赤丸は私と妻。上の青いのが出入り口。入ってすぐカウンターがありここで注文する。3連黒ポチは店員。テーブルはわずかに4つ。こぢんまりした店なのだ。ただし詰めれば4人~6人くらいで囲める大きいテーブルではある。
私たちの他に2つのテーブルがそれぞれ2人組によって占拠されていた。図で、私たちの左隣りのテーブルに異変があった。
もともとこのテーブルには2人の男が座ってたのだが、そこへ別の2人がずかずかやってきて、なんややいのやいの騒ぐ。にぎやかだな、お誕生日かな? と私はのんきに思ったのだが、どうも様子がおかしい。と思った瞬間、兵器が使用された! ペッパースプレーだ。粘膜を攻撃して呼吸を困難にし目を開けてられなくするやつ。胡椒のにおいがします。(以前モスクワに住んでた時に知人がこれでやられたのでその存在は知っていた)
↑黒コショーとチェブラーシカ。
まー要するにあとからやってきた男2人が先に座っていた男2人にペッパースプレーを噴射して抵抗力を奪っておいて、あとは警棒で滅多殴りよ。男の一人の顔面がみるみる血に染まる。妻は恐慌にかられ私の胸へ頭を隠して震えている。うしろのテーブル(さっきの図でいう右下のテーブル、女性が2人で座っていた)も異常事態を察知した様子。店員はもとよりカウンターの内側で身を寄せ合って震えている。私は事態の推移の観察に余念がなかった。私の頭にあったのは「あれか、これか」の二択である。
・これは因縁と怨恨に基づく暴力なのか?つまりその、内輪モメなのか?
・それとも無差別の暴力なのだろうか。
私は前者を期待していた。前者であってほしいと願っていた。もしそうなら、私たちは変に逃げようとして大きい動きをとって悪目立ちして、暴力を誘発すべきではない。なるべく大人しくして暴風の過ぎ去るのを待つべきである。しかし後者であれば……その場合はもちろん、一刻も早く、全速力で逃げ出すべきであった。なるべく巧みに。というのも、そのシナリオであれば、私たちの逃げていく姿は、それこそ彼らの暴力を誘発するだろう。妻をかばって一撃をくらうことも覚悟しなければならなかった。頭を打たれたら動けなくなる。あの人みたいに血に染まる。いやな未来であった。
そんときまた動きがあった。
うしろのテーブルの女性2人のうちの1人がヒエエエ~ッと叫びながら、テーブルづたいに逃亡をはかった。私たちのテーブルも土足で踏んづけていった。見ての通り、図の右側のテーブル2つは右端が壁にドンなので、常識で考えたら左側、すなわち凶行の行われているテーブルの脇をすり抜けていくしか逃げ道はないのであるが、屋根伝い・・もといテーブル伝いの逃亡に活路を見いだすとは。ウクライナ女性は強いね。
と、感心している場合ではない。私(の本能)はこれを合図ととった。つまり、いまの女は、この暴力がやはり無差別のものであり、今に自分たちにも危害が及びかねないという何らかの兆候を、私は気づかなかったが、見てとったのに違いない。では私たちも逃げなければ! 私は妻の腕をひっとらえ、妻の述懐によると「どこにそんな力があったんだというくらいムチャクチャに強い力で腕を引っ張り」、妻を先に立たせてやにわに出口を目指した。無事に私たちは逃げおおせた。
この頃にはTwitterやってたので、その日にこんなtweetしてる。
すぐ続けて私の中のさとるくんも次のように日記を書いている。
私たちが出て少しして、犯人たち自身も店を出てきた。やることやってケツまくって逃げていく姿をばっちり見た。
少時のち、残してきたPCその他を回収しに、私一人店内に戻った。ペッパーの臭気が充満した店内に血だらけの男が倒れていた。以後この店には二度と立ち寄らない。まぁ私たちが無事逃げられたことを思えばやはり怨恨に基づく暴力だったのだろう。
この事件が私の内心に与えた余波は2つだ。
まず第一に、私はちょっと自分を見直した。こういう場合に自分が案外落ち着いて妻の身の安全を第一に考えて行動できるということは発見であった。私は終始危難から目をそらさなかった。時点時点で判断と行動を間違わなかったと思う。
第二には、やはり警戒心が強くなった。間近で見た暴力と血の印象は強烈で、続く数夜は夢にも見た。危ない奴というのはいる、ということが身に染みて分かったので、その後は周囲の状況とかそこらの人間とかによりよく目を配るようになったし、電車の中とか閉ざされた空間では「あすこに座ってるあの男がもし牙を剥いたらこう逃げる」などシミュレーションをするようになった。
怖かった度
★★★★★
番外編:ドラッグ
これは「番外編」としとくが、ウクライナではドラッグの問題がごく身近で、リアルだ。このことに最初ちょっとびっくりした。
- ある景色のいいところに車をとめて空気を吸い眺めを楽しんでいたところ、足元に何本もの注射針が落ちている。妻がいう。「ああそれはね……ごめんね、びっくりすると思うけど、наркотикиだよ」
- あまり言えないが、義兄の職場では、
- これもあまり言いたくないが、ごく近い家族(4親等以内)に、中毒で治療を受けた人があり
私はマリフアナ程度のことはとやかく言わない。個人が楽しむ分には別に構わないと思う。私も誘われたが、そのとき落ち込んでたので、落ち込んでるときやるともっと落ち込むと聞いたので止した。でもそうじゃなかったら吸ったかもしれないし、今後吸うかも知れない。
私が言っているドラッグというのはもっと中毒性があって身体と精神を蝕むようなやつだ。残念ながらこの国ではそういうものが割に簡単に手に入るようだ。そしてその影響下にあると見られる、白昼あやしき素行の人。彼らが自分でわけもわからず私たちの前に何をしでかさないとも知れないことには、よくよく注意を怠らない必要がある。
後記
ウクライナ移住2年で怖かったことベスト3をお届けした。細かいのはもっと色々あるが、一番怖かったのはこの3つだ。
今さら何ぬかすと思われるかもしれないが、別にウクライナは治安が悪いとは思わない。オデッサに旅行に来て一週間やそこらのうちに上記のような怖い思いをする確率はゼロに近いと思う。
こういう事件は、オデッサの街なかの観光一等地みたいなところでは起きないような気がするし、逆に思い切った田舎(私たちが夏の半分を過ごす某村みたいな)でもまず起きない。全部その中間の中途半端に人が多いエリアで起きた事件だ。そういう場所にはおそらくふつうの観光客は迷い込まない。
なお、先日、「モスクワとオデッサでどっちが治安いいか」との質問を受けた。私は答えた。「モスクワにいたときのほうが色々怖かった気がするが、にもかかわらず、深夜とか早朝によく出歩いていた。オデッサはわりと平和で安全なように感じるが、にもかかわらず、深夜早朝に出歩くことはまずない」
あとで考えたのだが、これはやはり警察への信頼だと思う。モスクワはテロ謀議のやまぬ魑魅魍魎うごめく都市だが、それゆえに治安機関のプレゼンスが強い。何かあれば彼らが黙っていないという感じはひしひし感じる。対するオデッサは、まーおまわりさんは油を売っている姿しか見かけないし、金属探知ゲートがショッピングモール入口にも鉄道駅にも一切設置されていないことはロシアに慣れた人を驚かすことだろう。(いまだに不可思議)
オデッサでは2年でこれだけのことを経験した。モスクワには4年半いたが私も妻もこんな怖い思いはしたことがない。自分の体験に則する限り、オデッサはモスクワより治安が悪いと結論せざるを得ないと思う。
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