十四(6)

友達

自分が過去に何を書いたかなんて覚えてない。だがそのどれかを読んだらしい友人がなーんだ、きみが長らくブログの更新を止めてたのは、忙しいからでなくて、怠惰だったからなんだねと言われて、ぶっ殺してやろうかと思った。

ここには断絶があると感じることがよくある。子供のいない人を前にして。自己の自由になる時間など原則的に無いのである。どうしてもそれが必要なときには誰かに何かを押し付けるとか余分なお金を使うとか犠牲または対価を払って捻出する、それじたいがひとつの労苦である。要は:少なくともお前よりは暇じゃねえ。

と、一面からはいいうるが、とーんとーんと原位置ジャンプを二三して、肩の上にふりつもった憤懣のチップをふりおとしてから改めて見直せば、なるほど、見える見える(眼帯とれたあとのゴン)、たしかに私は、時間はじゅうぶんあったのに、ただ怠惰によってbの更新を滞らせていたぽいなあ。と言ってお茶を濁しておこうか。はは、友達だいじだもんな。

ノーベル賞

たまがふか、は、手に入るまい、手に入ったところで、何ほどのことがあろうか、

御仁が、何を言ったかということへの、耳目の聳立が、やんだのは、だいぶ夙い、それが言葉であるうちは、意味がない、なにの意味もない

それがあの怪物(非人)を鼓舞して、露の侵略を制する力となるのであれば、ノーベル賞など安いものだ、メダルの一つも首にかけてやれ、と思ったが、

本当は私たちは、プーチン大統領にノーベル平和賞を贈らねばならないのだ、ということを思いだした。その指先三寸でキエフの意思決定機関に100発核ミサイルを撃ち込み一瞬で戦争に勝利することができるのに、それをしないでいてくれる、「核が使われない世界」を護持してくれているのだから、その驚嘆すべき自制に、人類の感謝のあかしとして、メダルの一つも首にかけてやらなければ!

アーチャーの死

朝、先に起きて、コーヒー淹れて、あとから起きてきた人に向き直り、「アーチャー死んじゃった・・」と私は言ったことだ。

もうそのcreationを楽しめないのだ。from the alpha of creation till the end of all timeというラインが脳裏で鳴った。戦う者は1度死ぬ、だが怯懦の者は千度死ぬ、とのラインも。

「薬?」とすぐ人は聞いた。ミュージシャンが若く死んだらそらそれを疑うのだ。「云、それもあったろうと思う」と私。いうてバイオグラフィー全然知らんのだが、生活の荒廃について仄聞してはいた。

キャリア30年でアルバム3枚だから寡作の天才との評ももっともだ。だがそのそれぞれの余りの雄弁ゆえに10年に1声なけば十分の鶴ではある(ゆえ、寡作を恨みはしない)。だがあと10年でもう1枚、もう10年あればさらに1枚が得られたかもしれなかった。それを惜しむ。

私のおもう、アーチャー青年は、

ライブパフォーマンスとか見るに外に向かうエネルギーも大変なものだったが同時に大変な含羞の人。楽曲中の間(ま)とか沈黙・余白にはじらい・はにかみそして繊細さをいつも感じていた。死への恐怖は大変なものであった。「ヤハウェとヨシュアは怯懦の戦士をよみしたまわず」こんなラインを余人は歌わぬ。死の恐怖とアフリカ回帰願望の吐露という点Lamarとも通ずる。音へのこだわりはまこと変態的。と思えば、単なる佳曲(つまりは、捨て曲)も、意外に作った。容姿が大変に美しく、声は実は私の好みの系統ではない、だが、例外的に、この声は、愛せた。

好きすぎてふだんは聞くのを禁忌にしているPlaya PlayaとThe Rootを、久しぶりに聞いた。涙は出なかった。鼻血も出た。

こんな言い方を思いついた! 私がアーチャーを失ったかなしみは、君たちが、冨樫義博を失ったかなしみに近い。失っていないのであるが、失ったとしてみい、あす。

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