ウクライナ南部に住んでる「箕川實力(みのかわ・じつりき)」と申します。
毎日5分だけ日記を書く、ということを10年続けております。
てわけで箕川日記、「ミノ記」、はじめぁーす。
※私の名前は何丘イワンと申します。箕川實力ではありません。この記事では何丘の、愛妻(ロシア人)、愛児(一歳)、義父母との生活。それから当ブログ及びTwitterの運営秘話など綴ります。
8月23日(日)
何もおっつかない。おっつかないってわかりますか。追いつかない、つまり、処理できない、タスクを消化できない。タスクってロシア語でも言いますよ若者は、たとえばIT屋さんの某B、タスキタスキ言ってるよ。
下らん日銭稼ぎの翻訳仕事に今日の私のプライムタイムが(も)ごっそり奪われた。ブラウザ上で作業させられる。翻訳支援ソフト?とかいうのを使わせられる。このプログラムが重たくてねえ、作業が全然捗らん。レスポンスが遅い。カーソル移動、文字消去、一々の作業がコンマ数秒もたつく。コンマ数秒のことではあるんだけども、これが膨大量積み重なると相当な時間ロスそしてストレスである。私は少なくとも今回の案件につきその翻訳支援ソフトから一切便益を受けていない。Wordにベタ打ちさせろ!オフラインで作業させろ!という要望を、一応伝えておこうか、まともに取り合ってはくれまいけども、「また狂気の何丘・終わってるザ何丘がホザ!」「ホザいてけつかる!」「何丘さんがまーた何をか言ってらっしゃるねえ!」私を爪弾きにする人間連合。君もその一員であるところの人間連合。私だけが連座していない包括結社。You、キミも、ミカドも、皆それに入っているのだよ、私を嗤うために。はい、私に翻訳仕事を斡旋する翻訳斡旋会社も当然人間連合という人間なら誰しも入って当然・人皆が、生まれながらに持っている何丘を嗤う権利
▼Wordで作業させろ、私の翻訳作業を邪魔しかしないで何が翻訳支援ツールだ、という批判と要望を「所感」という言葉で優しく包み、「ご検討」とさえ言わず「ご参考にしていただければ」なんだというと思う、ご参考にしていただければ、私は「幸いです」とまでへりくだって、そんなことくらいで人間が幸せになったら世話がない、心にもない安売りの「幸」の字だが、ともかく伝えた。伝えきった。
▼少しはワインも手伝った。昨日のカルディシャハ(赤)ムスカト(白)に続き、今日はカドリャンカ(赤)。でぃしょんでぃしょんに指先が粘った。
▼活字を読まずにもう何年か。16年前の私が見たら鼻をつまんで逃げだす。「ひぃ、本も読まない人間がいるゥ!」ケツまくって逃げ出すさ。本を読まない人間はゾンビである。ゾンビーズ、グールズ、エァンド、モンスターズ。その群れをマイケルジャクソンの立ち位置で率いているのが私だ。
▼妻の愛があればそれでも私は死なない。
▼私が死んだとき私の横たわるムクロから乳白色の妻の愛がひょろっと漂い出る、エクトプラズマだ、と指さして小学生が。
▼その小学生は黄色い野球帽をかぶっている。通学帽というのか。ミノ日記。
▼日本の私の実父母とスカイプした。「何を話したか」と事後義父母に聞かれるのだがハテ困った。何を話したのか思い出せない。「たぶん会話に参加してたのは私じゃないんだと思います……」と言うと「ハテ?」という顔。当然だ。それを言ったとき私の鼻にはハエが止まっていたのだから。
▼スカイプした。何を話したか。私は母から、「農業でもやりなさい」と言われたのだった。はーーーい、と思った。また父から、「土に親しむのはいいことだ」と言われた。これも、「うーーーーんそうでしょうかぁああ。」と思われた。つまり私の肉親は、私が嫁の実家でマスオさんの立ち位置で、マスオならそれでも会社勤めで昼家庭に存在していないところ、私は二六時中在宅であり、そして仕事というものを一切していないと思っている。その理解はそして正しい。実際には私は翻訳の仕事をチョイチョイ請け負っていなくもなく、それで月間10万円程度は稼いでいるのであるが、と言いながら実は私はまたカッコつけていて、そういうことを始めたのはようやくここ3か月くらいであり、この3か月に関してはたしかに平均すれば月そうさな9万円とは言わなくてもまぁ7万円いや5万円くらいにはなっているのかもしれないが、それが今後どうなるのかは分からない。
▼ともかく肉親は、私がこんな30代半ばといういいトシにもなって労働をしていないということを知っていて、それでも言うように嫁の父のワイン造りを手伝っているのであれば、うん、それもよし、そちらにいる間はせめて農業をしなさい。そういう時期があってもいい。そのかわりあれだよ、ぼけなす、日本に帰ってきたら額に汗して働きなさいよ、家族を養うんだよ、お前には勿体ないような嫁と子供がいるんだから。そう私にあれしたのだ。
要望したのだ。
▼私は「はーーーーい」と答えた。それから母がまた問うた。「ところでお前、まだ文章を書いてるのかい」
▼私は「え、文章て?」 母「お前文章書いてたじゃないか、なんというの、その」 私「ああ、うん、まぁ、……書いてるよ」 母「(にっこり)そうかい、そうだよねぇ」
▼かつて私には「芸術家」の自恃があった。ああ中也、「人には自恃があればよい」。私は不遜であった。いけずぅずぅしく人中で俯いていた。自意識の高峰だ、とひとりごちていた。十何年前の話だ。
▼Twitter。くだらない。こんなものをちょっとでも面白いと思うようなやつは私の定義による「気違い」に完全に該当する。皆さまの定義によればまともな人間、Twitterを面白いと思うやつTwitterをやってるやつまたやってないやつ面白いと思わないやつ、みーんな「まともな人間」なんですよね。さようなら。
「さようなら」だ、本当に。それが最強の一語だ。最後の一語だ。反ガガーリン。幽脱していく宇宙へと。
▼昼食でビールを飲んだ。義父と。それで意識を昏くして、「少し寝る」と言って倒れ伏し、その倒れ付した瞬間ロシア語で「ぷりゅっつ!」と音がしたのだが(オノマトペは日本語の専売特許でもないのだぞよ)、とはいえ私は昼寝が下手糞だ、寝よう、寝ねばと思うと寝られない、つまり意識の力で意識を眠らせる、意識の自己否定、というのはどうやるの?それが始まってしまうともう永遠意識が眠らないのだけど。人はどうやってこの不可能事を可能にしているのか。それでも自分を寝かしつけるために、過去へと少し戻ってみた。「半生を振り返る」をノートなしで(書記行為の外で)やってみた。選んだ時空は「高校1年生」だった。
▼そうしてたらいつか寝た。それでおそらく、夢の中で、高校1年生の時空に遊んだ。
▼そうして妻に「いい加減におきろよー」と起こされたとき、私は「!!!」非常に
(ここで唐突に終わる)
8月22日(土)
10分でこの日記を終わらす。よーいどん
本日は義父のワイン造りを手伝っていた。外でそういう生産的(文字通り)なことをして過ごすのは気持ちのいいことだった。千ある防虫防鳥ネットがもう全部ハケてしまっていたのだが、一部のもう熟したブドウを収穫してしまってワインを作ってしまって、そうして空いた防虫防鳥ネットをまだそれをかけられていなかった房にかけていく。そういう、作業も、した。
なんてつまらない記述だ。書いてて面白くないから読んでても面白くないだろう。
私は今そのワイン造りのときの精神状態からかなり遠い精神状態にあるので、昼間私自身が行った事跡を振り返っているということなんだけども余所余所しく空々しく身が入らない。身が入らないような記述をあえてしたくもない。やめよう。馬鹿々々しい、何が日記だ。
夜は卓球、vs妻は2戦2勝、vs義父は2戦1勝1敗。私のこの点とられて叫んでしまうクセ改めよう。みっともない。
あとはくそつまらない翻訳のアルバイト、実に実に空しい、このようなことのために人生の数時間を。ああ、私、でもそれでなくても、平気で自分の人生の時間をどぶに捨てているのであった。ああ、ああ、どうしたら
私は東京を知らない。見たことない建物、降りたことがない坂、しかしある桜の日に目白を歩いていたのだった。このひとつの思い出の中に眠ろう。
8月21日(金)
夕方、団地から村に移動した。父の車でね。もちろん岐阜ナンバーのね。
週末は義父母とダーチャで過ごす。月曜がなんかの祝日なんだよな。だから三連休。そのあと火曜の朝にまた団地戻って、金曜夕方またダーチャ戻る。なに言ってんのって話だよね。なんかガチャガチャしたこと抜かしよんなって感じでしょうか。まぁそゆこと。
ええと、昼飯はツナパスタ、刻み海苔もかけた、なんちゃって和食、冗談じゃない、糞不味い。おっと失礼。ただこっちのツナ缶はなんかべちゃべちゃしてんで生臭いんだよな。日本のツナ缶と同じものではない。さらにいうとモスクワで売ってるツナ缶とも違う気がする。記憶の美化が起こっているかも知れないが、モスクワ時代にそうさな通算30食くらいперекресток売りのツナ缶食ったが、もっとマシだったような気がする、あーなまぐせえなと思いながら食ってはいなかった。私の舌が肥えたのか?いや、だから舌が肥えるの使い方おかしいって。
今日は30度越えた珍しい日。私はポンニチ人なので30度くらい屁でもないがsorry for the below、尾籠で恐縮、妻はこたえていたようでぐでーとしていて、私ががんばらねば!とキカイダーのようなことを思った。
それでゆうがた 義父の車であれして、
そう車中、ビートルズとクイーンを聞いていたのだが、まずビートルズに関して、Let it beとGolden slumbersを続けて聴いたときに、やっぱビートルズのポールは天才だなと。天才としか言いようがない。「天才と鹿」そして「言いようがない陽一」。というのも、義父セレクションの曲集にはポールのビートルズ「ご卒業」後のソロの曲が一杯入っているのだが(義父はポール贔屓)、もうこれが揃いも揃ってSorry for the belowであって、全く目も当てられない。ついでに耳も。ひどい。すいませんが才能の枯渇、武者小路実篤「泉の嘆き」。たとえばポールのソロのクリスマスソングがあるのだが、曲名は知らんが、鈴がしゃんしゃん鳴ってるやつだ、これを天秤の片側に、もう片側にソロのレノンのWar is overを載せてみい。地殻までメリ込むぞ。どっちが。後者がじゃ。やめよう、もう今日は早く寝たいのだ、文脈を戻そう、要するに義父の車中ではポールのソロのクソ曲を一杯聞かされているので、久しぶりにちゃんとビートルズのポールの曲を同じカーステレオで聞いたときに「あー、ちゃんと天才。」と思ったん。で次にクイーンか。クイーンは全然知らないんだけどどれもよさげだなー。いやすごくいいよ。ボヘミアンラプソディー入ってるアルバム。フレディーマイベイビーボーイの、力強さと色っぽさとさらにあと若干の滑稽さも兼ね備えてる声、最強。
それでダーチャ着いて義母のжаркое頂いて、あと季節外れのоливьеも頂いて、階上で妻と卓球3戦して1勝2敗。クヤシス!そのあと皆でклаберыつまりトランプゲーム、まぁ大貧民みたいなものですよ、厳密にいうと全然違うが、この「厳密にいうと全然違う」という表現を私に伝授してくださった先輩、元気ですか。
鈴虫が鳴いている。広瀬すず蟲。い~い声で鳴いてる。
翻訳の仕事を一件受注。今回は英語。楽勝だ。傾向として、ロシア語はちょい大変だがおもしろい、英語は簡単だがつまらない。んで前者は量が少なく後者はいつも分量が多い。どちらにしろ搾取されてるのだ翻訳斡旋会社に。そう思うとつまらない。
今週末は、例によって義父母が家事の全部と子育ての半分を私たち夫婦から肩代わり担ってくれるのだが、私はその翻訳のなにをしばかないといけないのと、あと義父がいよいよブドウの収穫を始めるというので、なるべくこれを手伝いたい。あと月曜(先述のように、祝日。何の日?)は皆で車でpicnicに出かけようという話にもなっている。一番やらないといけないのはこのブログの更新(いい加減にせよ何丘!)なのだが、何にどこまで手が回るものか?
8月20日(木)
卑小を感じて……つまり、こんなブログなんかやってても意味ない、Twitterも全く全然ダメだ、もう何もやるもんか、「では何をするのかね何丘?」
卑小を感じて、やさぐれて、けっきょく無為に過ごしていた。無為な一日を飾るためにあとから発明された言葉か、「卑小を感じて」は。
ついっとーはわりと頑張りめ?
しかしブログに関してひとつ掴んだような気がするのだ、明日からは猛烈に更新が行われる……はずだ。
▼昼はカルボナーラ(ついっとーした)、夜は簡単ごはん。散歩に二回出た。朝と夕方。夕方はHUMANAという古着屋に行った。何も買わなかった。全てのアイテムに全く食指が動かなかった。
夕食時、歴史の話で少し盛り上がる。妻と仲が良いと嬉しい。
8月19日(水)
これを書いているのは8月19日の夜である。
今日は、今日も、何もしなかった。ドラえもんって昔「のら」って言ってなかったっけ?
全然だめだ。輝きがない。硬度がない。
子供の頃俺は毎日精一杯生きていつの日か誰かのためにカッコよく死にたいとそればかり思って涙を流していた。
それがどうだい。人生は、パンドラの、そしてノーラの箱。
大江健三郎「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」。大江先生あの日はサインをありがとう。
私はもうだめだ。バトンタッチさせてくれ。「後続の者が誰もいません!」なぬを?ならもう少し走るしかないか……。
▼本日は7時に起きた。嘘だろうか。7時半かも知れない。太郎が起きた。太郎が起きたらイワンもエヴァも起きる。イワンは朝から炒め飯。エヴァは例によって「トヲロジョク」を食べた。太郎は今日機嫌が悪い。何をしても楽しくなさそうなので仕方ない散歩に連れ出す。エヴァが。残されたイワンはさて何も、何もしなかった。
昼食は先週末のビーフストロガノフ(義母の)の残りを冷凍してたのを解凍してまた冷凍して解凍して、レンチンしてまたアンチレンジでアンチンして、アンチン清姫、五重塔、それを「バーバチキ」ことファルファッレと食べた。本当は「バンチキ」というのだが。つまりロシア語としては多分一般的にバンチキという(少なくとも義父母はそう呼ぶ)のだが、私えーと私じゃなくてイワンとエヴァの間ではこれをファルファッレもしくはそれをロシア語訳してバーバチキと呼ぶ。を食べた。
かまどで豆が煮えた。
▼14時くらいから1時間半ほど停電があった。ウクライナ第三の街、100万都市オデッサでは、わりと普通に停電があります。特に予告もなくバスっと電力が切れて、気紛れに復旧する。計画的な停電だったことがあとから分かることもある(ローカルメディアTIMERで)が、住民への周知努力は全く払われていない。頻度は、毎日とは言わないが、まぁそうですね、どんなもんだろ。毎日に近いのかな。村のほうがこの点はちゃんとしてる。ダーチャにいるときは停電は、あまりない。そうさな1か月に一ぺんくらいだろうか。
▼宵方散歩に出かけた。並木通りは19時ごろ夕陽で美しい。で20時はもう結構暗い。だいぶ日が短くなった。気温はうちの温度計だと日中でも28度だったがウソじゃないのか、かなり蒸し暑かった。噴水広場でナツグヴァルヂヤつまり国家警備隊?そんなものものしい訳になるだろうか、まぁ正直警察および軍との違いが分かりません。何であれ火器で武装した男たちが例によって3人組(бригада три гада)でパトロールしている。おやおや街ではカランチン最盛期によく見かけたが団地では初めて見るぞ?やはりカランチンの守られ具合を見ているのだろうか。しかし二密までなら皆余裕だぞ?見ていると、噴水に面したベンチに座って瓶ビール飲んでたおっさんに歩いてって、注意を行った。野外でアルコール飲料を摂取するなというごく一般的な注意。え・・?そんな仕事のために銃火器で武装して3人組行動を……?
▼晩飯は昨日のカレーの残り。リベンジ。梨(ダーチャの)をすりおろし、トマト(ダーチャの)も加えて、酸味と甘みをプラス。さらにあれもして、あれ、あの、アオパゴス?もおこなって、さどーだ!食う!すくって食う!うまい!
▼食後、妻と、ベラルーシ情勢。お互い余りにベラの国を知らない。しかしとりあえず夫婦で認識を共有しといた。いろいろ言いたいことはあるが外野から門外漢が言いにくい。だがまぁそれでもいうと、まず、ベラルーシ国民は驚くべき人たちだ。プロテストの参加者たち、ロシア人ウクライナ人からは考えられない行動をとる。どうして?同じようにロシアの兄弟国、同じロシア語(あるいはその方言)なのに、ウクライナ人とベラルーシ人でこうまで違う?それと関連して、ルカシェンコ及びクレムリの、プロテスト勢力の背後に「外部からの介入・干渉」ありとする、そのレトリックのトンチンカンさ。「民衆の自発」という言葉は彼らの辞書にないのか?それで自分たちは「集団安全保障」チラつかせ、どちらが「外部からの干渉」だ。そして一番気持ち悪いのは、ルカシェンコが恐らくクレムリの入れ知恵で(石川一洋氏の見方に同意)プロテスト勢が「ロシア語のステータス格下げ」を主張していると虚偽の指摘を行ったこと(実際にはそんな主張は行っていない)、言語をテコにした分断だ、アンチロシアのプロテスト勢力(その背後には西側)とプロロシアのエスタブリッシュメントという構図を作り「ロシア語人保護」の名目でロシアの大手をふった介入を招こうというのか、それこそ14年マイダンだ、ああロシア。ロシア。私の大嫌いなプーチンロシア。
8月18日(火)
これを書いているのは8月19日の朝である。
つまり8/17も8/18も日記を書かなかった。8/19になって二日分書いている。これで「日記」とは笑わせる。出来損ないのアリバイ工作。馬脚ミエミエで馬でござい。
さてこの8月18日という日は、つまり昨日だが、何をしたか。朝、ダーチャから団地へ移動。このへんの位置関係も一度整理しておくのがいいか。私のファンのために。私がどういうところに住んでいてどういう移動を行っているのか。私のファンなら知りたいだろう。私なら知りたい。もし私が私のファンであったなら私が「何丘@ウクライナ僻村」あるいは「今日から3日、町で過ごす」というとき、それがどこを指しているのか、村に住んだり町で過ごしたりというその生活形態は何なのか、ライフサイクルは、と気になる。大変に気になっていらっしゃる方がいるに違いない。人間?
これが人間の言うことだろうか。鏡の中の人、存在しない人、影を持たない人の言い草ではないのか。
言い草。わるくない言葉だ。「草が生える」とネットスラングで言いますが。言い草が生い茂っているその茂みの中ほとんど見えないほどに覆い隠されている私の姿。
姿!
▼ですからこの日は朝、義父の車でダーチャから団地へ移動。これはいわば京都府の京都市外から京都市へ(ただし観光客のイメージする「いわゆる京都」ではない。観光地図には北は金閣南は伏見稲荷大社までしか載らない。西は嵐山東は東山。この観光地図の範疇からだいぶ外れた、特に見どころのない住宅街へ)という移動である。オデッサのような半壊の街を千年王城に例えるのは烏滸がましいが。「それは烏滸の業ぞ!」
京都のアナロジーは分かりやすいかも知れない。オデッサ州=京都府、の中に、オデッサ市=京都市がある。ただし京都市といってもいわゆるザ☆京都と、観光マップ外のわりと風情のないところとあるように、オデッサ市にもエカテリーナ/ポチョムキン/プーシキンのオデッサと、まぁつまりhistorical center中心部の歴史地区と、その周縁の風情のない比較的新しい地区、まぁベッドタウンですわ、ロシア語でпосёлок。に分けられる。分かりましたか。どう「分けられる」のか分かりましたか。言い換えが重なりすぎてこんぐらがったんじゃないですか。一つのことを色々な言葉で言い換えているうちに迷子になるからひとつの決定版の言葉でバスっと言い決めてほしかった、というのが正直なところじゃないですか。
▼義父の車……当然岐阜ナンバーである……で朝、ダーチャから団地へ移動。次の週末(正確には金曜の夜)まで団地で過ごす。まず散歩をした。久しぶりに町に来たので(町городとは言うが、いわゆる街городではない。だが村との比較では都会городなので町городと呼んでいる)人の多さにびっくり。車の多さにびっくり。車が右ハンドル・右車線走行なのにびっくり。公共交通機関というものの存在にびっくり。信号というものの存在に。また車道をふつうに山羊とかウシとか子づれ鵞鳥・野犬の類が歩いていないのにびっくり。以上全部ウソ。1年くらいダーチャに蟄居していたなら別だが2週間やそこらで群衆だの車だの忘れるものか。散歩はたっぷり1時間。ベビーカー押してるので横断歩道でさすがに車が停まってくれる。しかしそのとき運転手が手をそっと差し伸べて「渡ってどーぞ。」と道を譲ってくれる感じであるなら会釈してササッと渡るのであるが腕をブンと振って横柄な感じで「目ざわりだからとっとと渡って去ね!」と言わんばかりならこちとら会釈もせず傲然と渡る。むしろ悠然と、わざとゆっくり渡ってやる。こういうコミュニケーションは日本ではまず経験しない。というような考察を帰ったらついっとーしてやろうか?など考えながら家帰る。どう考えても140字に収まりそうにない。息の長い思考を自分に返信する形で連投で語る人がいるがついっとーの本義に反している、そういうのは無理してついっとーで言わなくてもよい。
▼昼飯はトマトパスタ。晩飯は、カレー!! だったのだが、今回は失敗した。薄っぺらいカレーになってしまった。カレールゥなどという便利なものはないので(本当は実家から送ってもらいたいのだが某感染症の影響で国際郵便が不全)粉から作るのであるが同じレシピで以前はもう少しうまく作れていた気がするのだが舌がこえたのか。この場合の舌が肥えるというのは、同種のものを食べ続けることにより違いが分かるようになるというより、逆に全然カレーというものを食べていないことによりカレーに対する要求が異常に高まり食べる前から味覚が減点方式の評価態勢になっているという意味である。その意味でなんで「舌が肥える」という言葉が使えるんだ、全然違う意味のことを言い表すには全然異なる言葉を使うべきだ。
▼あとは何をしたか。半生を振り返っていた。「出た!またお前のその<半生を振り返る>か!」はい出ましたよ。実は前日(8/17)も結構な時間これをやっていた。今回は振り返りの起点をもう少し深めた。高校3年生からの自分を振り返った。前回(先週および先々週)は大学1年から振り返っていたので、1年(正確には半年だが)振り返りの起点を早めた形。それで17日は4時間18日は3時間くらい振り返っていた。書いた文字の量でいうと(私は書きながらでないと凡そ考えるということができない)17日は3775字、18日は4905字。思ったより少ないな。その分密度は濃いが。ちなみにこの「日記」(箕川實力日記)の密度が1だとすると、私の本当の日記(純粋に自分のためだけに書く日記)は多分3くらいある。言い換えると、私の自己自身のための純粋日記記述が8密だとすると、この箕川實力日記は2.6密程度だということで、これは唐招提寺の盧舎那仏の仏身座高と蓮華座高の比率に相当する。それで半生を振り返って何を得たかということだが、何も得ていない。何かを得るために振り返っているのではない。しかし何かを得るために振り返っているのかもしれない。何かを求めている。それはそのはずだ。当たり前だ。何かをする際に何もその何かから求めていないということがあるか。ない。いや、ない。あるだろうか。いや、ない。「色彩のない田崎つくる」のように、何か、過去の何かが、今の私を決定的に狂わせ、病弊させている、その何かを、剔抉する(えぐりだす)(エグリ・ゴリ)ために、過去の闇中に手を入れているのだ。そういうことであるには、一応、ちがいない。
8月17日(月)
これを書いているのは8月19日の朝である。
毎日必ず日記を書く、という誓いを早や破ってしまった。
さてこの8月17日という日は何をしたか。ダーチャに残ってYouTubeの練習をしていた。私はYouTubeをやる。そのために自撮り棒とピンマイクを買った(安物だ)。妻と二人で画角など調整して色々吹き込んでみた。なぜYouTubeか。周回遅れでブログを始めた私が、全然viewを増やせないので、テコ入れのためにこれまた周回遅れでTwitterを始め、全然フォロワーが増えないので、テコ入れのために今度はまた周回遅れでYouTubeをやろうという。「今から何が可能か」といって、やることが、それか。お前に「可能」なことはたったそれ式のことか。てかそれ本当にお前に可能なことか、今から可能なことか。いずれも「今からでは(そして私には)不可能なこと」なのではないか?今からでは、そしてお前には、不可能なことのみをお前は選び取って「今から何が可能か」という問いへの回答であるかのように振る舞っている滑稽?
「今から何が可能か」という問い自体は正しい。適正だ。ちょうど私に必要な問いを私はプロジェクトの総題に掲げた。しかしその正しい問いに対する回答が、ことごとく間違っているとしたら、欺く神よ、改めてあなたのみわざに驚嘆する、矢折れ刀尽きた(逆か)私が「あああ、こんなにも、
こんなにも深く、私は終わっていたんだなあ。」
▼何かやっているふり。私の日々の唯一の仕事がそれ。その一環で、YouTubeをやっているふりをした。妻まで巻き込んで。ブログは更新しなかった。Twitterはわりと見ていた。ちょいちょいハートマークを押したりリツイートをしたりしていた。全くムダで無意味な時間だ。見も知らぬ他人。全くの他人。人生の他人。どう言えばいいのだろう、SNSというこの壮大な玩具、おもちゃおもちゃで俺は楽しいんぞ、中原よお前ならこの状況を何と呼ぶ?