あの猫のすべて

日記

私の愛したあの猫のことを一日ひとつずつ思い出していく。

一、黄金の毛並みの猫であった。

二、威風堂々の猫であった。「世が世なら猫の王!」とかれを讃えていた。

三、Non、王というほどの猫格でもなかった。のんきな性格で、傍らの王も気を許しそうであった。改めて――「世が世なら猫の王の親友!」

四、お前はわたしのねこだった――と言うとき、私は深い欺瞞に陥っている、と指摘する権利が、たとえば我が兄にはある。一度だって爪を切ってやることもなかった。東京でおもしろおかしく遊び歩いてるわたしに代わってその爪を切っていたのは兄であり母だ。

五、誓っていう。黄泉でお前はわたしを見分かない。

六、それでもおまへがわたしの猫である、といえるわけは。

七、あるいはそれは、おまへを飼うという決断のauthorが、他ならぬ私であったためか。(生き物の命を、十年や二十年という、ながき不定の未来にわたり、受け入れるという、大それた決断を、一家を代表して、年弱の私が下したのだということは、我が家の公認された事実であった)

八、あるいはそれは、私がたまの帰省の折、お前の大好きな猫紐で、二階から一階、一階から二階と、どたどた駆け回り、お前を遊ばせたから――そのような激しい遊びをする者は私をおいていなかった、からか。あのときお前は楽しかったと、は、私も思っていいよな?……

九、このわたしも死ぬのだ!嘘だろう、無になるのか、この、これ(精神)が?とふるえていた私に、お前は、ただ在るということで、にゃあ(いるよ)と言ってくれた。あなたの存在は単純で澄んでいて、だけにそのみなそこの死もよく見透せた。お前のそのたんじゅんな存在の底にもかがやいて見える死の黒真珠。そのときつながったのだ、私とお前は。死に友。生き友。世界の知れざる深まの、ひとつの悲哀の泉から茎をのばした、ふたもとの蓮華。覚えていないか、あの瞬間を、二階の廊下で?(すべては私の、勝手な思い込み。)

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