日記(12/14~31)

その他

2020年もあと半月だ。どんな一年でしたか?歴史的にはコロナ、ココロノ中ノ宇宙。では「あなた個人としてはこの一年、何が新しかったですか、どの方角へ何㎝成長しましたか?」

何も新しい展開はない。いかな方角へも1㎜も成長しなかった。

あと半月、今からでも成長が可能か?せめて1㎝、何かの分野で?今から何が可能か?

12月30日(水)

もう何も可能ではない。2020年は終わる。いい一年だった。
疫病騒ぎで人生を狂わされたとは思わない。別にさしたる影響もこうむっていない。一般的に私は病気が怖くない。世の中にいろいろな病気があることは知っているが、自分はそれにかからないと思っているので。また同様に、自分は犯罪があまり怖くない。世の中にいろいろ悪い人がいることは聞いているが、自分がその被害にあうことはないだろうと思っているので。「想像力の欠如」と人は言う。そうでしょうか。あなたが想像しすぎなんじゃないでしょうか。どうも自分にはそうは思えないのです→想像力の欠如。どうも自分にはそうじゃないかと思われてならないんです→想像しすぎ。
さすがにあいつのことは尊敬しといた方がいいんじゃない?→膾斬り。
ボーイッシュすぎて逆にダメじゃない?→トンガリ。
今からしかしせめてどうすれば有終の美を飾れるだろうか。教えて一年生。ねーえ一年生の皆さん、教えて~!
寺田、という名前のバルコニーに立っていた。美しくもない街を見下ろしていた。日本はある分野では20年進んでいるが、あるあれでは20年。じつに20年の長きにわたって後進しているよ。なに言いたいかというと、緑が少ない。人心に余裕がない。
寺田、と呼ばれるバルコニーから街を見下ろしていた僕はナポリ! ここはナポリ! と心の力で目を噛んでいた。日本人は緑をどこへ隠してしまったんだ? 味噌が好きなのね。では舐めれば。右袖に隠せば。森への・ぱ・すぽぉと。
真実を言えば、それが大声であればあるほど、人の耳には聞こえない。真実は透明なので、目に見えない。認識が難しい。特別にチューナップされた感官にしか。
ですので水で薄めた「わりとホントの気持ち」を可愛くラッピングしてお届けする。というつもりで話し始めたところ、上下の唇の摩擦熱で口ぜんたいがチョコレートみたいに溶けてしまった。昨日と今日をかけて、下顎がなくなるまでになった。

12月29日(火)

あと3日で2020年も終わりか。何もなさなかった。ただ退化、老化、劣化が、一年で一年分、正しく進行したに過ぎない。
私は2020年中にいくら稼いだか。20万円くらい稼いだだろうか。心身に特段の問題もない壮年男性(30代半ばの男のことをそう言うのであろう。意味は「働き盛りの男性」だ)として、全く恥ずべき数字だ。20万円……しかしそのくらいは、一応、稼いだと思う。がしかしさてはて。
だがそんなことはさして重要ではない。もしも金にならないところで精神的な何かこう闘争が。苦闘が。労働が。あったのであればね。2020年が金を稼ぐことでなくそういうことに費やされたのだとしたら、それはそれで全然ありだ。よいことだ。
が、そのようなこともまた、何もなかった。2020年はシュリンクの年。収縮。2019年がそうであったように。
待て?

ちょっと待て、今日はもう末日なのか?
あと数時間で2020年は終わるのだろうか。いや、冗談じゃない。まだ百時間以上あるぞ。今日は31日ではない。29日であるに過ぎない。今からでも何かが可能か。IMAKARA・NANIGA・KANOUKA?
――冗談ではない。今から何も可能であるべきではない。この1年365日のうち363日を怠けた男に、あと最後の2日で何ごとか可能であるとしたら、同じ363日を死ぬ思いでがんばった人の立つ瀬がないではないか。その人たちにこそ花咲くことが可能であるべきだ。私はもうただ黙って眠って死ね。さるすべりの花の落下のイメージだ。イメージを描け。イメージを具現化しろ。

いやしかし、それでもせめて、何かが最後に可能だとしたら、何をすべきか。「君たちはどう生きるか」? 君「たち」と呼び掛けている時点で私は対象ではないのだ。複数形で呼ばれるときそのなかに私が数えられていたためしがない。
俺を勘定から外せ!(あるいは入れろ)とは、ジョンレノンの弁。この自己矛盾、自家撞着、がレノンよ。俺の好きなゼノン。ボス。レノン。ミシン。
関係ないが、今日が12月29日だとしたら、いや事実そうなのであるが、12/24だか25だかの、クリスマスが近かったわけだ。クリスマスはつい昨日のことだったわけだ。
それで、その当日、24だか25だか忘れたが、その日私たちは、同じ月の8日に物故した、凶弾に倒れた、ジョンレノンの魂を回向して、「クリスマスのうた/ジョン・レノン」を聴いた。
ジョンがうだうだ歌っているバックでおそらく小野洋子が指揮する少年少女らの「War is over, if you want it(軍さは終わりじゃ、てことでいいすかね先生?)」のチャントがある。そのチャント(詠唱)が、AメロからBメロへ切り替わるときに、言葉合ってますかねAメロBメロで、そのときに、1オクターブあがる。その感じがすごくいい。天上的な響きになる。そこで少し涙ぐんでしまう私がいる。そしてBメロの最後で、ジョンが「Let’s stop all the fight(争いは止めにしてさぁ明日を迎えに行こう)」とシャウト性に歌うとき、さっきぐんだ涙が、涙ぐんだ涙が、ぼひょっと(※寄せる気絶無オノマトペ)ほおげたを伝い落ちた。AHわたし、本当に本当に心底、ジョンレノンが好き……と思った。
それはともかく、ワールドトリガー。ここ数回はびっくりの連続だった。①さすがに今回はタマコマⅡ勝てないだろうと思ったら迅さんがヒューズに「たまこまが勝つほうにお前のトリガー賭ける」とか言いだして読者わたし「え!?てことは何、たまこま勝つの!?」②眼鏡君爆死!!③大砲ちゃん爆死!!④ユーマ爆死!!ってダメじゃん!!迅さんあんた!!
そして極めつけの⑤迅さんタマコマⅡ入ってください!ときた。
しかし今日オープンの回で、迅さんが結局はタマコマⅡに入らないことが明らかになった。かわりの戦力増強があるらしいのだが……それは何……?今回やたら推されてて結局そう華を持たせられなかったあのカゲ……何とかいう人とかかな。ユーマとツートップ組むのかな。あと誰がいる?
超級戦力だけ集めた作戦会議が開かれる。この終わり方も結構アツい。議題はなに!?明日も17時の新話オープンが楽しみ。お休み。

12月28日(月)

さあ今から何が可能か。いまは12月28日の13時01分だ。まだわりと何でも、とは言わぬが、それなりに色々のことが可能なような気がする。希望を抱かせる時間帯だ。
今日、オデッサは、黒海沿岸の、ウクライナ第三の都市(人口・経済規模において)オデッサは、霧に包まれている。不快きりに。馬鹿。深い霧に。道ゆく車は当然ヘッドライトをつけている。言葉が合っているだろうか、ヘッドライトで。部屋うちに聞こえてはこないが、恐らくオデッサ灯台(オデッサのランドマークでもある)のぐぢぇにえ、つまり、霧笛が、ぼーっ、ぼーっと街にこだましていることだろう。
ていうか鳴っているときはわりと部屋うちにいても聴こえるのであるが今日はどうした?今日はおそらく、私の耳が悪いのだ、普段より。
視力とか聴力には日によっての変動がある。のではないか。いいえ。そんな話は聞いたことないわ。
潮汐。聴力の潮汐。満潮時の聴力と、干潮時のそれ。ここでいう潮、とは、ここで潮、とは……
いわゆる生命Eの増減、バイオリズム。なぁにが所謂だ。カバ。
こんなふざけたことを書いているとマジ一日が終わる。命をかけろ。何かしろ。「今日こそは何かをしよう」とは、高橋源一郎版「ドラえもん」におけるドラえもんの台詞である。劈頭の。河東碧梧桐。
さて今日何をしよう!
何ができるだろうか。太郎の世話も当然にある。那珂太郎。あ、そうそう那珂太郎といえば。澁澤龍彦の忌日をドラコニア忌というのは皆知っている。では埴谷雄高の命日を何というか知っていますか。
アンドロメダ忌、ていうんですよ。
いやいや、それはどうでもよくて、西脇順三郎の小千谷が、おいやめろ!!
いい加減うわごとを言うのをやめろ。ただちに書くのをやめて何かをはじめろ。何ッを……ええと何ッを……
チュコフスキー童話を5作全文暗記して2021年の手土産にする?馬鹿。だが、一応、達成はできる。たりめーだ、んなもん時間かけりゃ誰だって出来るよ。いま4作暗記した。今日全部さらってみたが(1時間かかる!)全部言えている。残るはテレフォンだけだ。
Twitterがマジつまらなく、嫌悪感しかないのであるが、今日も、つか今日こそ呟きまくろう。唾を吐き散らす感じだ。10件以上tweetしよう。構うものか、品性など捨てろ。
あとは何であろう。太郎の世話は当然にする。太郎と心をこめて遊ぶ。そうさなそれで……ブログか。このブログ。当ブログ「今から何が叶うか」。何を叶えよう。
YouTubeだな。「最近みたYouTube」という簡単な記事をまず書いて勢いをつけて、そんであれだ。オデッサ関連の本質的な記事を着手しよう。を着手だって馬鹿。に着手。

12月27日(日)

2020年最後の週末だ。全く呆けた人間だ私は。トマトで頭を殴られるがいい。
晴れている。今は昼の13時だ。つまり夜の13時ではなく昼の。時計が壊れて時刻が分からないのだがパソコンを開けばそこに。時計が。
いま妻は寝室で掃除機をかけているので……あるいは……いま妻は、寝室を、掃除機がけしているので、私はつかのまの自由時間をむさぼっていると言っていい。その小さな自由「掌の自由」を手に入れるために、どんなに血で血を洗ったか。
遺伝子をしらべると任意の人の純血性がわかるという。何丘のこの血、カラマーゾフの血、魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。
妻はそれで血を調べて自分のルーツに何%のモンゴル人の血が混じり込んでいるか知りたいらしい。というのも、
(いま妻が居室へ掃除機ごと突入してきたので終わる)

12月26日(土)

12月24日(木)

いわゆるクリスマスイブか。うちは正教会のカレンダーなのでふつうに平日だが。Twitterでは皆盛り上がっていて、あー、と思った。
もちろん「うちは正教会のカレンダーなので今日はふつうに平日ですー」とか嫌味なtweetはしない。水をさす、というやつだ。こういうことをするやつが嫌われる。
でもそういうことをしたくなる気持ちは分かる。分かるっていうか、もろにそういう気持ちを持っている。でわのかみ、という言葉がある。アメリカでは、とか、ヨーロッパでは、とかいって、日本と欧米を比べて「だから日本はだめなんだ」と決めつけるのが好きな人のことをいう。らしい。私はそういうのになりたくないと思う。だがなんというか、そういうのになりたくないとか、そういうふうに思う時点ででわのかみをめぐる言語ゲームに捉えられていて不快。じっさい自分は全然ちがう土俵に立っているとも思う。ええと、一言でいうと。ていうか、Can I speak freely?自由に喋っていいですか?忖度しないでいいですか?ぶっちゃけていいですか?
馬鹿が多い。
言ってしまうとそういうことだ。私とは別種の馬鹿。私もたいがい馬鹿だが、ある分野にかんしては、私がどんなに下降しようとしても絶対にそこまでは下降できないという水準で馬鹿な人というのが、はっきりいる。うじゃうじゃいる。Twitterのことを言ってまーす。
私は引き籠りなので……というのは、毎日2時間散歩するから物理的には引き籠りでもないのだが、家族(妻と子と義父母・義兄夫婦)以外の人間と全く関わらないで1年半過ごしている。メールのやりとりをしたり年賀状を交換するような友達・先輩・後輩のたぐいも皆無。そんな私だから、外部世界との(少なくともこと対日本人、by日本語にかんして)唯一の窓口がTwitterである。私はおよそ自分のタイムラインを汚さない、かつ自分がタイムラインを汚さないであろう人としか相互フォローの関係になろうとしないので、私のタイムラインには在欧邦人のtweetが多く流れる。で、そうさな、毎日何件かよ。馬鹿だな、本当にこの領域に関してはそこまでは私は絶対に下降できないというレベルで馬鹿だな、と思わせるtweetに出会うよ。出羽うよ。一日何件か。
さて12月24日、今日は何をしたか。「つーわけできょーうは、何やったっけ。」という素晴らしい歌い出しの奥田民生の曲なんだっけ。なんつー曲だっけ。
午前はビンラディンによる盆踊り、通称盆ラディン、でなく(おいおいそっちかい)ビン踊り!の方を少々あれして、
もとい、日本の両親とスカイプして、すがしゅしょうも人気が翳ってきたようだよ、と聞いて、
それで午前の散歩は妻が(散歩というのは太郎に外の空気を吸わせる一日2時間目安の散歩のこと)担当して、その間私は……小人閑居、
昼飯は必殺のパスタ、もう一度いいます「必殺のパスタ」をこしらえて食べて、そして、そのあとで午後の散歩は私が担当した。てかいつものパターンだこれ。海へ行った。海ににんげんがいる。これおどおりかいしたらいいのか。
17時に、すなわち(時差は7時間だから)日本時間の0時に、いわゆる12月25日の午前0時だから聖クロースの跳梁跋扈のカイロス、その運命のときに、ワールドトリガーの新話オープン、楽しく読んだ。一日一話オープン。少年ジャンプ漫画「ワールドトリガー」おもしろすぎます。アプリで読んでます。
迅さんがタマコマの勝利にまたやばいものを賭けてしまってさすがに今回は勝てない、てか少年漫画でありがちな、勝って勝って負ける、破竹の勢いの新人がガツンと「勝てない敵」に洗礼浴びせられるパターンでしょこれ、と思っていたのでびっくりした。なるほど今回のサブタイトルは「迅さん」ですよ。流れ変えるなー、この人は。本当にこの人出てくると何か起こるよ。こんな位置づけのキャラって少年漫画で珍しくないか。
晩ごはんは極めて簡単なものを食べた。そして、今、極めて簡単に……

私は、シャワーを浴びてくる。

12月22日(火)

さて、今12時35分。今から何が可能でしょうか。はっきりいって午前中はダメだった。何もしていないに等しい。「等しい」て何だ。その言い方がすでに糊塗だ。文字通り何もしていない。植物のようにただそこに生えていた。置物のようにただそこに置かれて笑っていた。
わらう。この一年どれだけ笑ったか。たとえば昨日は笑っていない。一昨日も多分。思い出せる限り、最後に私が笑ったのは、ワクチンを打ってもらったときだ・・あのときは笑った・・つまり、半年前になる。
お茶をのんで、ゴー。バナナを抱いて、ゴー。まずはヘンリー8世でも書くか?いい加減片づけるか?全く無意味なことだ。意味がない。してもしかたない。誰も気づかない。世界の片隅でこっそり行われる、とある置物を持ち上げて、もとあった場所から5㎝先に置き直すという行為。行って、それを・・行ってこよう。か。
実際どうなのだろう?今日何をすればよい?
ブログ「馬場の妃が大ゴケし」を書き進めようか?この「今から何が可能か」ブログと並行して、そういう秘密ブログを綴っているのであるが。嘘だが。
軍人が歩いていく……軍人が。私の頭の中を、万能の軍人が一人。三人。
テレビの中で笑っていた。そうだ、姉にメールを書こうか。それこそテレビの中で笑っている姿を偶然見たその日から姉のことを一度も思い出してない気がする。あれは2か月前か。そうだ、まずは姉にメールを書こう。
私には姉などいないのであるが。

12月20日(日)

今日はハッキリ駄目だった。もう24時35分。だめだ。今からでは何も可能ではない。
私は「やることが一つに決まっているとそれにものすごい集中して全力でがんばってすごいいい結果を出す」だが「やることが二つ以上あると気が散ってもう何もできない」そのように小ガッコの先生に評されていた。
大人になるとやることは二つ三つなんてもんじゃない、ある任意の一日とってみぃ、その日に彼がやるべく定められていることはどんなに少ない人少ない日でも35はあるぜ。あるある、あーる。だいすき。
チュコフスキーの童話(子供向け韻文詩)を5作暗記する、とか、やらなくてもいいこともやってしまう。全力で阻止してくれ。場合によっては私の右手を斬り落としてくれ。
尿素が漂っている……のか? 空間に。
ある美人が家を出てから家に帰り着くまでに浴びる空気中の尿素の量。
あと今日なにをやったか。正直、ソシャゲAとBを結構触ってしまった。両方とも最近大きめのアプデがあり、操作感が変わったので、触っててちょっと面白いのだ。面白かった。でももうやりません。とはいかないか。一通り遊びきりました。ソシャゲAに関してはマジ触りたくない。毛皮らしい。もとい汚らわしい。Bの方は・・正直・・明日またひとエベントあるんすよねえ、それだけちょっと触らしてほしい。ちょっとで済めば世話ぁないが。
昼飯の炒飯は私が担当した。もうほぼ店よ。町の中華屋さんのクオリティ。「街」(町でなく)のエロ中華には敵わないが。はは、さすがにそこまでのレベルではないよ。
私の焼き飯はそれはもうそのあれなので、食べた妻が「生姜入ってる?」と問うた。しかし妻よ、生姜は入っていないのだよ!くくく・・というレベル。
ウィンウィンウィーンの第二段、西野なんとか編、見てしまった。さすがに結構おもしろかった。映画は断固として見ないが。なんで興味ないもの見なくちゃならない。好きでもないもの見ないといけないですか。これ見ない人は夢追い人をゴミ扱いするこころよごれた大人ですか。その枠組み自体に入りたくないのだ。その位置づけキャラ付け合戦そのものの全き局外でいたい。裏から横からどこへでもどこまででもその長い長い手を伸ばして囲い込もうとしやがって。なんかその感じが気持ち悪いのじゃ。でもとても魅力的なおじさんね。
もう寝よう。24時49分。
あとこれだけ書いておこう。私は仕事もしてない(お金を稼いでいない)しミのあることを何もしていない毎日で、その状況を変える方途を見つけることにも苦心しているが、ひとつ確実な実践として、不快の除去に努めている。たとえば尿意がある。そしたら排尿する。「えっ?」それだけのことですか?と驚かれたことだろう。そう、それだけのことよ。
不快の除去。明日もこれをするだろう、ほとんど専心に。

12月19日(土)

今日はよく生きよう。今からでもなんとかなる筈だ。今、11時42分。前半日ははっきりいってムダにしてしまった。時間を、死すべきものである私の人生時間を、はっきりどぶに捨てた。それが悪いことだとも思わずに。だが、今からなんとかしよう。
今から何が可能か。そうさな、ハッキリ言って阿呆らしいことだが、じゅうぶん阿呆らしいことでしかないが、「ヘンリー8世」について、記事を書こう。まずはそこからだ。
それが済んだら、そうさな、アイボリットでも覚えるか?
17時くらいに街に出かけることができるといい。デートだ。というのも、太郎を義父母に預けてきたので、今日まる一日と、明日半日、私たちは太郎にかまけなくていい。自分のことをめいっぱいできる。今ぞ頑張りどころは。いけ。とりあえず、ゆ・け。(エレカシ「今をかきならせ」)

12月18日(金)

いま朝の10時半。
寝坊してしまった。9時半に起きた。てか起きると9時半であった。目覚まし時計をかけない生活を1年以上続けている。しかしどの朝も、一度の例外もなく、朝目が覚めると私であった。同じ私として毎朝目覚めた。断言するが、そうでない朝は一度もなかった。(もういいよ)
昨日「覚えた」(ちーぱ)むーは・つぁかとぅーはだが、起きて早々妻と太郎を前に朗吟したところ、ちゃんと全部いえた。全部ちゃんと覚えていた。えっへん!どうだ、これが私だ。この程度のことはサッとスッとできちゃう男、デキの違う男、それが私だ(もういいよ)
もちろんつっかえつっかえ一度言えました程度のことで「覚えた」とは言われない。そんなことを目指していたのではない。完全なる肉体化。切ればそこからチュコフスキーが流れる完全なる自動録音機械。第一のステップを終えたというだけ。毎日一度は繰り返して、年内になんとか受肉を完成させる。
▽いま25時。今日何をなしたか。「何も」。見事に何もしなかった。と言うのも……午前また少し停電があり、電気がねえんじゃ仕方ねぇ。つって3人で(私と妻と太郎)海へ散歩に出かけた。いい海だった。ていうか海はいつもいい。それで戻ると電気が通っていて、「よかったね」と肩叩き合って、それから、なんか太郎の担当がずっと私「ずっと俺のターン」な感じになってしまって、5分以上連続して作業でできなかった。つまり作業は続いても5分であった。うまく言えてるかな。あることをしていてそのことが5分以上続くということがなかった。太郎がまつわりついてくるので、それを私が、ていうか妻は、妻はわりと好き放題自分のことをしていたように思う。そんなこともないか。それは全然ちがう、妻は遺伝子検査について詳細を調べていた。
そうして18時すぎに義父がきて、車にわんさわんさと私たちを積み込んで、19時過ぎに団地についた。皆で(義父・義母・妻・私・太郎)ボルシチ食べて、その際ワインをわりとしこたま飲んでしまい、gonna say again, 義父のワインを義父と私で「わりとしこたま」飲んでしまい、以後数時間朦朧として過ごした。今ようやく人心地ついてこれを書いてる次第だ。
というのはわりとしこたま嘘だが。そんな飲んでもいない。義父は病み上がりでご相伴だけだし。夕食後妻と二人で最寄りのTRZ(タルゴーヴイツェーントル)のテナントの電気屋でぺれはどにく(コンセント用アダプター)見ようとしたのだが結局子供用の飲み物ボトルを買ってしまう。さらに大量のコメと6Lの水を買ってしまう。何をまちがったのか。そうして終いには不動産を買ってしまった、というのはこれはさすがに嘘。だがあながち真っ赤な嘘でもないのだが。
太郎は久々にばーぶしかとじぇーどぅしか(つまり婆さんと爺さん)に会えて嬉しく、また気の早いことにヨールカ(クリスマストゥルィー)が満艦飾で飾り立てられていて、電飾のきらめき・色とりどりのオーナメントに大興奮、懐かしい人形たちにも再会して大喜び、それで10時にいつもどおり寝かせようとしたのだが全然寝てくれず、一旦起こして皆で渋茶を飲んで、さ、もう23時だ、いい加減よいこは寝ろこの野郎馬鹿野郎寝ろこの野郎。ということで横にして物語するのだが輾転反側いつまでも寝付かない。覚えたてのむーは・つぁかとぅーはも全文暗誦(できちゃう私)してやって、そうさな30分くらい格闘したのか、やっと眠らせた。太郎を眠らせ太郎の屋根に。
ほとんど0時近くにやっと眠らせた。それでようやくやりたかったTwitterやって、大変親切な方とのやり取りがあって、ようやく自分の時間て感じなのだがもう1時半だ。クソして寝よう。

12月17日(木)

おはよう。いま10時前。今からなら何でも可能だ。
 ①ロシア語をがんばる
 ②ウクライナ語を知る
 ③読書をする
 ④ノートを綴る
 ⑤妻の愛を取り戻す
 ⑥子育てに真剣に向き合う
 ⑦働いてお金を稼ぐ
 ⑧運動をする
 ⑨ギターうまくなる
 ⑩絵を描く
何丘の十戒のうち、太字の①と⑦にフォーカスする。まず⑦、昨日1万円の仕事を請け負ったので(英→日翻訳)、これを今日中にしばく。
それから①、やるやる言ってやらぬチュコフスキー全文暗記に今日絶対着手する。正直、私は頭のデキがよいので、こんなもん本気で覚えよう思ったらすぐ覚えられる。年内の目標と言ってはいるが、一日で終わらせられる。「やろうと思えばいつでもできる」そう思ってなかなかやらないでいる。しかし、ここには二重の錯誤がある。まず、私は、実のところ頭は全然よくない。大昔、人より頭が切れた時期があった。これしきの事がなんで皆できないのかなぁ、と思って悪びれなかった一時期が。でもその後の人生で私は徹底的に脳負荷をavoidしてきたので、いまやその後の人生まじめにやってきた人たちとの差は歴然であろう。私のこの「全文暗記」プロジェクトは、むしろリハビリのため、私が再び、記憶力において、人にすぐれる……ではなく、人並みになる、ことを目指したトレーニングの一環である。だから着手は早ければ早いほどよい。明日は今日より(僅かだが)退化している。このまま何もしなければ。一日も早く脳を賦活しておいたほうがよい。第二の錯誤は、いつでもやれるといいながらやらない、結果やらなかった、というのは、それは、つまり「いつでもやれる」ということなどはなかったのだ。「いつでもやれる」が真実であることを証明する唯一の手段は、今日やる、ということなのだ。
▽いま24時前。予告通りの一日になった。1万円の仕事(英日翻訳)を3時間弱で片づけた。時給3000円。正確に言うと1万1000円の仕事を2時間33分ほどで仕上げた。自分の人生の時間を無駄にしたくない!絶対に働きたくないでござる!とて、ムチャクチャ集中して時間も厳密に計って挑んだ。そしたら、、コケた。
そしてチュコフスキーを一作、宣言通り、一応やりましたよ、暗記しました。むーは・つぁかとぅーは。子供に何回も読んでるから部分的には覚えてたのだからゼロスタートではない、しかし、これもまぁ2時間くらいで言葉ぜんぶ研究社で引いて曲りなりにも覚えました。明日朝起きたら2割ほど抜けてると思う、が、それを補って、明後日にはもう「はい、入りました。100入りました」と自信をもって言えるようになっているのではないか。
あと今日の事跡で自分をほめてあげられそうなこととうと、ええと、食器調理器具洗いを相変わらず全面担当。あと今日は妻が「今日わたくしはりんごしか食べません。」と死神リュークみたいなことを突如言い出したので、昼と夜は自分の分だけ自分で作って食べた。昼の残りが明日の朝食になる。自分のためだけにメシ作るのは虚しいものだ。「だがそれがいい!」誰。
今日は一歩も外出なかった。珍しい日だ。太郎にはぞんぶんにかまけた。太郎が三日分クソした。よかった、いい日だ!読書(高橋睦郎)もした。初期詩篇、「夏の終わり」味読した。おお、ジェイ。君なの。
こっちへ来ねえな。おい、ジェイ、

12月16日(水)

さて、いま10時半。今から何が可能か。なんでも可能なように見える。一日はながい。いま10時半ということは、少なくとも12時間、いや14時間くらい「今日」はある。なかに睡眠時間を含まない、いわば源泉徴収のない、正味の、手取りの、14時間だ。
しかし、とはいうものの、うち2時間が食事(関連)に費やされる。食事そのものの時間と、食事を作る時間、そして食器調理器具を洗う時間。そして、別口で2時間、散歩に費やされる。太郎の散歩。「たろうは日に2じかんさんぽしなければならない」。さらに、その太郎が、ひとりで遊んでいられず、私に甘えていないと泣きべそかいてしまうそういう時間帯が、合計たぶん2時間くらいはあるだろう。2の2の2で、6。当初の14から6をひくといくつ。8。「バスケットは算数じゃねえ」
しかし、計算を終えてみて、逆にプレッシャーを受け取った。8!? そんなにあるのか。私の可処分時間は、あらゆるゾレン(~すべき)の時間を控除しても、なお8時間ザイン残存。残存ザイン。ザインを解除することを「デ・ザイン」つまり設計(design)という。まぁ待て待て。8時間あるとなると、これはもう、「子供の世話が忙しくて、また家事の半分以上は妻というより私の担当であるそういう偶然の一日であったため、自分のやるべきことは全然手が付けられませんでした」などとはもう言われない。それでも8時間あったんじゃないか。8あればオイ、8あれば、山をも動かせっぞ。
とりあえず枠組みだけ作っておいて、その中であらゆる創造行為を諸神に行わせた、そういう、神々の神。先に枠組みだけこしらえて、あと沈黙した。その後の世界のあらゆる推移に対して沈黙を決め込んだ、眠れる神。大神。
犬神。そうよ。宇宙のすべての基礎に、一匹のわんちゃんがいるの。(こういうこと書くと本当に頭のおかしいやつだと思われるだろうか)
さて、先に「何丘の十戒」という記事で、私が真人間になるための十の道を示した。 
 ①ロシア語をがんばる
 ②ウクライナ語を知る
 ③読書をする
 ④ノートを綴る
 ⑤妻の愛を取り戻す
 ⑥子育てに真剣に向き合う
 ⑦働いてお金を稼ぐ
 ⑧運動をする
 ⑨ギターうまくなる
 ⑩絵を描く
逆にいうと、この十の道を少しでも前進しない限り、私は自己評価を高められない、自分を愛せない、「自分ひとり愛せなくて、どうして他人を愛することができようか?」ジョンレノンも歌っている。(How?という曲)
今そのHow?という曲のLyrics見てみたら違った。正しくはこうであった。
「どうして愛を与える(愛する)ことができようか、それが自分がかつて一度も持ったことのないものであるならば?」
はい、それはともかく、上記「十戒」を、日々の実践にどう落とし込むか。
 ①ロシア語をがんばる→チュコフスキーを最低一作暗記する
 ②ウクライナ語を知る→一旦なし
 ③読書をする→高橋睦郎詩集ちょっとずつ
 ④ノートを綴る→自分用、共用を少しなりとも
 ⑤妻の愛を取り戻す→何かをがんばってやってる姿を見せろ。要するに何かをがんばってやれ。
 ⑥子育てに真剣に向き合う→んー、一旦平常通りでよし
 ⑦働いてお金を稼ぐ→一旦よし(案件がわりとテンポよくきてるので一旦依頼待ち)
 ⑧運動をする→午後2時間の散歩
 ⑨ギターうまくなる→一旦なし
 ⑩絵を描く→漫画すこし描こう
さ、こういうのを書いてることが既に結構時間のムダだ。さっそくとりかかれ。

12月15日(火)

あーあ。また一日が終わってしまったのか。
今日は何をした……? 午前の散歩は妻が担当した。私はその間なにをした。昼飯がカルボナーラで、午後の散歩は私が担当した。2時間超の長きに及んだ。太郎はそのうちの1時間のみ寝た。帰り道みかんを買った。「これがすっぱいやつ、これが甘いやつ」と売り子が教えてくれて、私はなぜか「すっぱいやつ」ばかりカゴに入れており、ぼーっとしていたのだ。果たして帰宅後たべたらムチャクチャ酸っぱく、なんというものを買ってしまったのだと後悔。
なんとぼーっとした男だろう。
「私はたいていの小説家より文章がうまい。一見乱調に見える私の文章は(それ言わせますか?)わざと定型を崩しているのであり……」
夕飯は鮭のホイル焼き。義父の白ワインと。
明日の朝食は残りご飯と冷凍餃子、これにマルコメ味噌のインスタント味噌汁を合せてみる。新しい。かつてない。
明日はみよちゃん。昨日はたかしくん。ぼくのイマジナリーフレンドたちがぼくと遊びたがっちゃって大変。
(こういうこと書くと本当に頭のおかしいやつと思われるかもしれない)

12月14日(月)

いま18時。今から何が可能か。
今日この時間まで何をしていたのか。いちど一日の可処分時間を全部細かくこう帳簿につけてみる必要があるな、何時何分から何分までこれをしました、そのあと何をしました誰とどこへ行って何を買いました。その買ったものを使ってあるものを作りました、そのあるものとは何でしょう。そういう時間管理(ターイム・マネヂメン)をとある会社で(私はアルバイトの身分であったが)やらされて、いやだなァ本当にいやだなぁ、これは自分の賃金労働時間の中からムダ成分をexcludeする試みなのだが、自分は文学部出身で文学部というのは、まぁ文学部の学生もいろいろだからな。ところで文学部出身のビジネスエリートというのを私は寡聞にしてあれだが。知らないが。いるのか?本質的に、文学青年というのは、実業に長けたらもうその時点で終わり、文学の徒という称号を剥奪せずんばやまずみたいな空気がある?ない?どうでもいい。
▽いま19時半。今から何が可能か。
Twitterを見過ぎる。「Twitterフォロワー100人への道」の続編もそろそろ書かねばな。Twitterには中毒性がある、というのも、私は暇人であり、孤独な人間だ。孤独な人間がTwitterなぞやると容易に中毒する。というのも、人間は社会的動物であるから、見も知らぬ相手との電脳空間におけるやり取りであってもやはり人間の脳はこれを「社交の場面」「人間を相手にしている」「愛と死が交換される現場である」と受け取り、やおら総毛だつ。見よ、4歳のみよちゃんを。みよちゃん4歳、だから同じ4さいのたかしくんのことが気になる。そういうものなのだ。猫は人間など眼中になさげだが同族つまり同じく猫であるうから、には異常に関心があるみたい。同じように犬は犬のことが、雉は雉のことが気になる。で人間は人間のことが一番きになるのだ。人間を前にしてその人間のことがまったく気にならなくなったらかれはもう人間ではない。雉だ。
だから私が妻と太郎以外に他者というものを持たない、妻と太郎はほとんど他者でなく自己である、つまり私の生活には他者がいない。そこへもってきて、Twitterというぷらっとほーーーむの上で、大量の未知者、他人たちと際会する。これをわが脳っちは、すわ非常事態!とくらいに認識して「総毛だつ」。
Twitterは私の自閉的生活の中で唯一外部世界に開かれた窓なのだ。引き籠りの私にとっての「外の世界」なのだ。だから当然、私はTwitter上での自分の言行を気にするし、その気にしをTwitterやってない時間にも引きずる。これをさして「中毒」と呼んでいる。非Aの時間帯にもAのことが気になり、気になるのでついAの時間へと回帰してしまう。ここでいう「A」とは「ももんがねっと」のことだ。
なお「ももんがねっと」とは「桃ヶ池町新田」の別称である。
いま19時41分。今から何が可能か。今晩は私はカルボナーラを食べたい、私が自家薬籠中のものにしている料理つまり10回作って10回失敗しない(過言した、9回失敗しない)と自信をもっている料理は7種ある。
うちの3種がチャーハンで3種がパスタだ。チャーハンとは、具体的には、「醤油チャーハン」「ケチャップライス」「カレーチャーハン」。パスタは、より詳しくいうと、「カルボナーラ」「ボロネーゼ」「偽アーリオ・オーリオ」。
この偽アーリオ・オーリオとは何かというと、オーリオつまりにんにくを使うのはそれはそうなのだが(ちなみに私はカルボナーラにはにんにくを使わない。本当にどうでもいい情報)、具材がこれ、何と言っていいかね。何と言うのか分からない配合、調製、座組そしてJIVE(ジャイヴ)。言うぞ:
ブロッコリー。
黒オリーヴ(骨なし)
生ハム。
以上だ。これが私の「偽アーリオ・オーリオ」。10回やって9回は失敗しない。あとひとつ私が完全にモノにしている、長年かけて技術それじたいを熟成することに成功した料理レシピといえば、なんだろうな。マサラ・ピドゥンガかな?千の中からひとつを選ぶというのは難しい。
いま19時48分。今から何が可能か?もうこれほど遅い時間になっても、今から私は何かするのだろうか。してほしいが。するような人物であってほしいが、何丘には。
ブログを……ブログを。このブログをもう少しだけ頑張って書きたい。書きかけの「ダフニスとクロエー」の記事を書き上げて公開しTwitterで告知し、「今日みたYouTube」の記事もたてて公開。これだけは必ず絶対にやろう。

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