「ダフニスとクロエーみたい」とはどういうことか

国語

「まるで ダフニスと クロエーみたいだね」

会話の場面でそう言ってみたいとは思わないだろうか。

「まるでナウシカみたいだね」「桜木花道じゃないんだから」とは誰でも言える。きみはもっと詩的でインテリな、もののたとえを覚えなさい。

この記事を読めばダフニスとクロエーのことが九割方わかる。

序章:「ダフニスとクロエー」と私

何丘は文学部の出身で、学生時代は文学書などわりかしよく読んだ。

だからもちろん知っている。ダフニスとクロエーは、フランスの。とある詩人の。とある詩作品に登場する架空の人物であろう。

ダフニスは男性、クロエーは女性だ。若い二人が、その、をする。しかし色々としがらみがあって、二人はなかなか一緒になれないのだが、ついには一緒になる。あるいはどちらかが死ぬ。死んで、より高い次元での結ばれを結果する。

て感じだろうか。知らんのだが。要するに知らんのよ。なに、ダフニスとクロエーって一体なに??

第一章:「ダフニスとクロエー」て何よGoogle

Googleで「ダフニスとクロエー」と検索してみよう。

上から順に10記事見た。いやー驚きましたね。以下、学んだ内容をお伝えします。

①何丘の事前予想は大筋合っていた

まず驚いたことに、私の予想は大体合っていた。

ダフニスという名の少年と、クロエーという名の少女の、恋の物語であるらしい。

②むちゃくちゃ古い物語であった

「ダフニスとクロエー」は、2~3世紀に、ギリシャで書かれた物語だそうだ。

書いた人は、これは別に覚えなくていいが、ロンゴスという人らしい。

19世紀フランスあたりで書かれた作品という気がなんとなくしていたのだが、どっこい、1800年も前に古代ギリシャで書かれた作品とは。

③二次創作がいっぱいある

この古代ギリシャの物語をもとに、バレエが作られている。曲を書いたのは有名なラヴェルという人で、だから「バレエ作品」「クラシック音楽の作品」としてダフクロを知っているという人も多い。

また、三島由紀夫が、ダフクロをもとに『潮騒』という小説を書いているそうだ。

また、ダフクロは、先ほどからダフクロダフクロすみません。「ダフニスとクロエー」のことですよ。

そのダフクロは、また、美術のモチーフにもなっている。たとえばこんなのとか↓

ラファエル・コラン「ダフニスとクロエ」/Wikipediaより拝借

こんなのとか↓ ある。

ジャン=ピエール・コルトーの作品『ダフニスとクロエ』/Wikipediaより拝借

第二章:「ダフニスとクロエーみたい」とは要するにどういうことか

さて、この記事の主題は、会話の場面で「それってダフニスとクロエーだよね」と言いたい、それを言うために「ではそもダフニスとクロエーとは何か」を知る、ということだった。

具体的に、一体どういう場面で、「ダフニスとクロエーみたいだ」と言い得るか。

いろいろ荒筋とか見てみたところ、この物語の特徴というか、オイシイところは、次の2点であるようだ。

ダフニスとクロエーがものすごい純情。ピュア。爪の垢を煎じてイザナミに飲ませたい。そんな二人が、牧歌的な環境(エーゲ海の島)で、理想的な両想い期を過ごす
そのあと波乱万丈あるけど最後にはしっかり添い遂げる。幸せな結婚

というわけで、「ダフニスとクロエーみたい」という表現は、男女のペアに対して使われるのが適当だ。二人がものすごくウブで、ピュアで、二人きりで絶対的な世界を築いているように見えるとき、苦笑いとともに「ダフニスとクロエーか」と呟くがいい。

もっと分かりやすいキュー(きっかけ)を与えよう。ラブラブな二人をさして誰かが「見てるこっちが恥ずかしくなるよ」と言った。そのときだ。すかさず言い添え給え、「まさにダフニスとクロエーだな」。

あるいは、幼馴染からゴールインした二人の結婚式にお呼ばれしたときに、会食のテーブルで「いやーこういうのをダフニスとクロエーって言うんですかね」と言ってみてご覧。「え、それ何?」「いやね、幼くして出会った二人がこうして終いにゃ結婚するっていう、古代ギリシャの純愛物語ですよ」


※とっさの場面で「ダフニスとクロエーみたい」という比喩が出てくるようにする練習として、男女と見ればとりあえず「ダフニスとクロエーだ」と言ってみる、というのがあるかもしれない。漫画で男女のペアが出てくれば「ダフニスとクロエーだ」、街でカップルを見れば「見よそこをダフニスとクロエーが行く」、とりあえずそう言ってみる。比喩の適否は事後的に検討すればよい。そういう練習を繰り返すことで、「ダフニスとクロエー」という句の初発の位置が「肚底から「喉元」くらいまで上がってくる。

第三章:「ダフニスとクロエーみたい」という表現を完全にものにするために

こうして君は、詩的で知的な「もののたとえ」の引き出しをひとつ得たわけだ。

だが、ハンター試験には実は続きがあった。本当に免許皆伝するためには、君は元ネタになった本を読み、かつ、ラヴェルの交響曲を聴いてみなければならない。
(てか原典に触れもせでこういう言葉を使うのは卑しい)

ロンゴスの「ダフニスとクロエー」は岩波文庫で読める。
ラヴェルの「ダフニスとクロエー」はYouTubeで聴ける。

Ravel // Daphnis et Chloé Suite No 2 | Sir Simon Rattle

おまけ:何丘版「ダフニスとクロエー」

皆してるんだから私だって「ダフニスとクロエー」で二次創作してみるわい。

大きな沖縄女がおった。名を波国映児嘉代、と言った。
それはともかく、奄美諸島に連なるとある小島に、美しい男の子がおった。名をダフニス。15歳だった。

ある日ダフニスが卜占をいとなんでいたところ、波打ち際を向こうから駆けてくるものがある。
「嘉代……?」
大きな女が大きな足うらで砂を蹴る音、その音、ラヴェルを参照している。ラヴェルに影響受けている。

ところで、ここに一人の少女があった。名をクロエー。基本的に何もしらない。人生で一度も何かを知ったことがない、というと言い過ぎか。好きなアニメは「きんとうんが出てくるやつ」。常態として一糸纏わなかった。14歳。

気が付くとクロエーはダフニスの腕の中にいた。ダフニスのほうも一糸纏わずの態(かまえ)であった。目を閉じる。目を開く。すると不思議なこと、いつのまにかクロエーは、ダフニスを自らの白い胸に抱きとめているのであった。「あんれまぁ主客が!」

目を開けば昼、目を閉じれば夜であった。「こうなってくると人生はおもしろい」。そうダフニスが内語したかどうだか。ダフニス。ダフニス。ダフニス。

そんなある日のことである。「そんなある日にすみませんね!」ガサツな声がきこえて目を覚ますと、ダフニスはクロエーの腕の中にはいない。ダフニスが頬寄せていたのはあの白い胸、拍動する大理石の胸板ではなく、浅黒く豊満な大おんな、嘉代。
YES、かの波国映児嘉代の爆乳のなかであった(ダフニスの顔面が沈じていたのは)。

ダフニスの童貞は奪われた。

「ごっそォーさまでしたッ!」嘉代の黒ずんだ歯列が合唱した。

このようなことがあって以後、ダフニスがクロエーを見る目は変わった。クロエーのからだの、いままで注目していなかった一部に目が行くようになり、「いかん、いかん」「クロエーはそういうんじゃない。クロエーは」「クロエーのあれはそういうあれじゃないから」「違う違う違う違う、咄! 鎮まれぼくの乾屎橛……」

そんな状態だったから、沖合いに姿を見せた五分山林造、通称ゴブリンが、またたきするまに波打ち際まで押し寄せて、割れたアゴをぐらぐら震わせながらクロエーを担ぎ上げ、そのまま拉し去ってしまったのは、ダフニスにとって幸運だったかもしれないね。

つまり、自分の心をまどわすクロエーという裸体の美少女が、つかのま自分の眼前から消え失せたことが、ダフニスの心をあるいみ落ち着けたかもしれません。

神話の時代のはなしゆえ、海の向こうに拉致されたクロエーは、神助ありて、無事ダフニスのもとへと還されました。2年くらいがしかし、経過したのかな。この間にダフニスとクロエーは互いに心身両面で成熟し、あるしゅ、<合法>なかんじになっていましたので、

結婚しました。目出度し。いと目出度し。

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