日記⑥エロい夢が見たい(2/22~28)

自分について知る

猥談が好きでなく、日中あまり陋劣なことは考えないのだが、しかし……というか故にというか、夜寝る前にはいつも思うのである、「エッチな夢が見れますように」と。

2月28日(日)

キオウの花が咲いていた。

ワクチン接種が始まったそうだ。インドのワクチンだそうだ。
we be love forever baby だそうだ。そういう名前のインド製ワクチンだそうだ。

日本語の文法では言い表し不可能なほどの力と速さで今日をつくろうと思った。よく言う「この世の言葉では言い表せないほど君は素晴らしい」「素晴らしいという言葉では到底君のすばらしさは言い表せない」「ああ、君のすばらしさを表現するには、あまりに私の言葉が足りない(語彙力(汗」これらの言い方は、話者の操作可能な日本語の語彙の乏しさを呪っているのであるが、私は適切な語彙がなくて表現できないというできなさ(不可能性)のひとつうえに、適切な文法がないために表現できないという不可能性があると思っている。今日などはまさにそれが目指されるべきであった。私の今日をつくるその力と速さが日本語の文法限界を突き破ろうと。そう志向した。

だが日本語の文法はなかなかに、なかなかに、強靭で柔軟で、目がはやくて影がながかった。なかなかに容易なわざでなし、日本語の文法限界を突き破ることは。第二宇宙速度程度では到底かなわぬ。角度の問題か? 次はもう少し角度を鋭くして試してみよう。「3㎜バリカンを耳周りに当てるときの角度」これだ。そして心持ち後ろ乗りに、D’angeloのplay playaにおけるQuestloveのドラムみたいに。

「何を食べましたか!」
「私は何を食べましたか!兄さん!」
「あさからばんまで何も食べなかったわけじゃないんでしょうが、兄さん!」
たしかに私はものを食べた。朝は食べなかった。昼はイルを食べた。晩は右と左に分かれて、右へ行った私はご飯を炊いて食べた。左の妻はパンを焼いて食べた。ここをもう少し詳しくいおう。私は例によって片手鍋でご飯を炊いたのだがそのとき冷凍のミックスベジタブルも炊き込んだ。冷凍野菜は自身に結構水分をまといつかせているので水の量は少な目に、さもないとべちゃべちゃになる。あ、塩も少々入れておく。それで炊き上がったら(蒸らし入れて25分くらい)チーズと加工肉をサイコロカットしてぶち込み、ガーリックソースと醤油をひとかけして混ぜ混ぜして食べる。久しぶりにアルコホルフリヒで。ホット牛乳と食べた。ユー・エン・ミー・シャル・ビシャン・ビシャン。妻はフライパンでトマトと何かを炒めてオーブンで焼いた黒パンに乗せて食べていた。以上、私たちの晩ごはんを詳述した。死ぬほどつまらない。書いている私が書いていてつまらないのであれば読んでいる方も……いや知ったことか、読んでいるあなたのご健康など。読んでいるあなたのご健勝とご頌栄など私の関心事ではない。今年一年がますますよき年でありますように。あなた様とご家族ご友人によきことばかりが訪れますように。ひとくちでも多くのおいしさが、ひと耳かきでも気持ちのよい耳かきが、ひとつでも多くの笑いがお顔に、ご尊顔・ご顔面に、宿りますように。花を。耀きを。美人を。語学力の向上を。当籤を。知ってる曲を。透明台からの落下を。ことぶきを。不磨の大典を。強意を。海を・・

あなたさまにすべてのよきことがありますように。

今夜えっちな夢が見られますように。

2月27日(土)

昨日だか今日だかが満月だったらしいがわりとどうでもいい。
また、

去年は生まれた人も亡くなった人も少なくなったそうだが、それもまぁどうでもいい。
AとBとふたつあるうちB邸のほうから今日の日はスタートした。外に出ればなにがしか春っぽい、内にこもれば安堵と怒心。B邸からは人がぞろぞろ出ていく、妻はゾーンに入った、私は自分のためにコーヒーをいれることもしなかった。朝食はいつものようにむこうからやってきて振ったが空振りした。すごすご立ち去る朝食のその後ろ姿にッバー。「ッバー」。外に出ればなにがしか春っぽい、内にこもれば安堵と怒心。B邸からは人がぞろぞろ出ていく、妻はゾーンに入った、私は自分のためにコーヒーをいれることもしなかった。
「私にもいつか鳥が来るはずだ」という飾らない一文で始まるのだ、その小説は。そのあとまもなく本当に鳥はくる。窓ガラスをばりーんと割ってセンセーショナルに登場するのだ。センセーショナル? 鳥。

全生物中「正18面体」に一番近いのは「まりも」だそうだ。

お前はそこで……押し込められたその深い場所で……大人しく「美しさを磨いて」おけ。そうしてそれが必要なときにshineせよ。それが必要なときにはおまえは「いまだ」と思うまもなくshineしていることだろうよ。

場所から場所性を奪う。ある場所、現実に存在するある場所、たとえば川崎市川崎区の某所、その場所から場所性、この場合は川崎区川崎区某所性、をごっそり除去する。すると(自然は真空を嫌うので)その場所性の空虚・不在をめがけてすべてのゴリラ、名のあるゴリラ気の弱いゴリラ乳首の弱いゴリラぶさいくなゴリラぶさほうなゴリラまほでし(魔法使いの弟子)のゴリラ昨日とらえた沢蟹の消化しきれなかった一方の鋏が排泄時肛門を傷つけて痛いゴリラ……あらゆるゴリラが殺到する。

ハードリー・ダン・パーソン。hardly done personつまり、したたかに行われた人間。すでに行われた(行われてしまった)人間、それも、「したたかに」行われてしまった人間。それが私だ。名刺の表側に「ハードリー・ダン・パーソン何丘」裏側に「したたかに行われた人間。すでに行われた(行われてしまった)人間、それも、『したたかに』行われてしまった人間。それが私だ」と記す。そういえば先日↓

こんな投稿を目にした。こういうのは諸衆は好きだよね、と思って見たら、案の定ほら9万件の「いいね」だ。私の投稿がいつか9万件のいいねをつけられることがあるだろうか?と自問したら自噴してしまった。自問するととたんに吹き出してしまう、そういう種類の自問がある。あ、これなどはどうだろう?

「自問するととたんに吹き出してしまう、そういう種類の自問がある」——何丘

この投稿に9万件のいいねがつくだろうか。つく! と私は思うのだが。だって名刺の件より面白いだろうが。「世界一簡潔な名刺かもしれませんmaggie@singingbearshop.com」よりコンテンツとして優れているだろうが。であればつかないわけがない。10万件のいいねが。私はおかしいだろうか?おかしな感覚な人がおかしな言語でおかしな事項を語っているだろうか?こんな私だから10万件の12万分の1のいいねしかつけられないのだろうか。「そうです」

私は常軌を逸した存在だろうか。「そうです」。そうでしょうねそれも悪い意味で。「それも悪い意味で」ってのも変な話だ。あらかじめ悪い意味への方向付けがあって然るのちその見定めた方角へ全力で「常軌を逸しています!!」というのこそふさわしい。私はたとえば先ほどの世界一簡潔な名刺のような名刺など死んでも持ちたくない、一人の人に自分のメールアドレスとインスタアカウントとHPアドレスと名前を同時に渡すなんてそんな〇〇なこと絶対にできない、したくない。たとえばこれをお読みのあなたに私は名乗るつもりがありません。また逆に、私が名前を与えている人間に私のTwitterだのブログだのを読ませることもしない。なぜなら私は4つのもの(わずか4つのもの)のみから成り立っていて、そのうち3つ以上を一人の人に握られると死んでしまう、そういういきものだから。きんたまが4つある人間(その性別は問わない)がうち2つまでを同時に一人の人間に握られても死なないのだが3つないし4つを握られると死んでしまう、そういうあれを想像してほしい。そいつが私だ。聞くところによるとジョンレノンという人もそういう一人だったらしい。考えてもみてほしいが、3つ握られたら死んでしまうのであれば、不用意にもうひとつ追加で握られても即死してしまうことがないように、なるべくなら2つすら握られることがないように努める、なるべく一人の人には1つしか握られないように努める、それが人情というものではないか。しかしまたどうだろうか、改めて考えてみると、きんたまが4つある人間というのはふつうですか。どうでせう、これでも私は常軌を逸していませんかね。到底普通とは言えないんじゃないですか、(ジョンレノンと同じくらいに)。
おっといけねえ、日記日記。
2月27日(土)、B邸からスタートした一日は、妻がゾーンから出てきた後一緒にヒューマンゲートに買い物に行って、安物買いの銭失いして、帰って義母のボルシチを食べて、そのあとまた安物買いに出かけて、帰ってきたらもう義父は寝ていて、<太郎>も眠りこけていて、私と妻のふたりでヒソッと出てA邸に帰った。そのあと二人で昼寝しながら人生について語り合って、晩飯はピザ。妻の手製ピザ。膝って十回言って、グラスに義父のワインを注いで義母の母乳(義母乳)を数滴たらして、マッソフォ(お香の一種)を焚きしめて、その煙の中で(言っちゃいますネ、大麻の一種です。エヘ(^^♪)きもちよーくなりながら一番すきな映画「魔女の宅急便」を見た。キキがかぼちゃパンツを見せるたびに勃起してしまい、即ち103分の上映時間中76回勃起し、今夜はさすがにエロい夢が見られるだろうと思って入眠したら処罰されて76回殺される夢をかわりに見た。(この日記は翌28日のおやつタイムに書かれました)

2月24日(水)

豚の絵が描いてある白い鍋で白い恋人を煮た。

朝一で嫌な奴から電話がかかってお前も嫌な奴にならないか(俺のように)と誘われてはい、と答えてしまった。目の中からナボコフが歩いて出ていってしまった。去られてしまった私。しかも嫌な奴に誘われてしまった私。

気がつけばこのような者になっていた、としかいつも言えぬ。

今日も巨大なマグで何杯も茶を飲んだ。妻が二回ゾーンに入った。鬱丘とでも名乗りたいくらいに私の今は暗い。さいわいに私の明日は暗くない。ふりかえれば私の昨日も暗くなかった。もう一度ふりかえると私の今は、あら不思議、これも別に暗くはないのだ。見ることの光に照らされて。だが本当は暗いのだよ。

誰彼の悪口を言うのが楽しいうちは華だ。わたくしの指が磯巾着みたくそよぎ出さないのが不思議である。わたくしがまだ自らの身体をよく制御しえていることがいっそ不審だ。魂が……それこそナボコフが(笑)抜け出てしまったあとの身体が手近な壁に向かって自滅のために走り出さないことの不思議。

今日は朝イチの不快な電話を除いては妻(そして子)以外の人間と会話をしなかった。マグで茶ばかり飲んでいた。身過ぎ世過ぎのためのチンローに時間を割いていた。こんなことのために生まれてきたのか「いいえ違います。でもそうです」は?「ですから違います。でもその通りです」はぁ?「おっしゃる通りです。ではありません」

目に力をこめると眼球から拳打が出ていきそうになる。人中ではよほど力をセーブしていないとふつうは人間の身体から出ていかないような色々のしろものが全身からかがよい出てしまう。愛してくれとは言わないが、愛さないのはよしてくれ。おっと! 他人を誘ったり脅したりすることはやめようと決めたのだった。

決めたと言えば、この「日記」にはその日本当に起こったことのみをなるべく書くように努めるようにも決めたのだった。今日のはそれでいうと何点かな。億六点、いま十時(10o’clock)、もう眠じよう。今日こそは良い夢が見られますように。

2月23日(火)

眼鏡が壊れた。予備の眼鏡が一つとあと大量のコンタクトがあるとはいえ主力の眼鏡がおっ欠けたことによるダメージは大きい。大震災。精神の錯乱が始まった。人格の破綻も一層進んだ。グレープフルーツを食べるという妻を邪険にした。「絶対に食べない」と言い、にも関わらず半分以上を食い、その上でゲロまずい!と言った。全部本当の話だ。
私の眼鏡が壊れた……まぁ壊れたっつうか……のも、妻がグレープフルーツを剥いたのも、私がそれを少し食べたのも、不味いと言ったのも、まぁ不味いというか事実はクソ酸っぱいと言ったのだが、全部本当だ。私はもう(大体)本当のことしか言わないように決めたのである。日記……だってそうだろう、本当のこと書いてこその日記だろうが。
2月23日。
海行った。入道が出た。苦しみのおおい人生だった。でもホカホカ弁当おいしかった。海苔は慈愛に満ちたたべものだ。そして鹿には鹿の苦しみがある。そうかんがえた。ランボオ「ところどころにやさしき日の光の落ちたとはいえ」。12時にベルが鳴り、ロープウェーが動き出した。寝ている子供、ペロリを産んでくれてありがとうポロリ、という落書き。
ともだちの名前で近所の動物園の年パスを作ってしまった。
そうして二度目の人生で無事東京大学に入る。
五輪憲章。
真面目に語れ、か。真実?どの真実をだね?とナウシカ。私はナウシカからは影響を受けているなー、ゼロの。もちろん漫画のナウシカである。おこさま向けアニメなどではない。漫画版ナウシカ、漫画史上の絶孤の高峰、影響は絶大だ。ゼロの。ゼロの影響を受けた。つまり全く影響を受けていない。
同様に私はドストエフスキーから深甚な影響を受けた。プロコンという言葉を知ったのだが(ビジネス用語?プロコンリスト等という)そんなん聞いてもカラマ―ゾフの章立てしか思い出さない。愛読した。中毒した。人生を狂わされた。その狂わされた男と現在のこの男(何丘)は、連続していない。つまりドストエフスキーから影響を受けた過去の自分から現在の自分は全く影響を受けていない。つづめて言うと現在の私にドストエフスキーの影響は皆無である。
ダンテもゲーテも衝撃を受けたが今の私はその衝撃から立ち直って余りある。
私の血肉になったと言えるのは文体だけだ、一部の人の気息、三人を名指せる、中原、秋山、で漱石だ。この三人から影響がないとはちょっと言えない。どの一人が欠けても私ではないという気がする。
ぼくは大きなマグでお茶を飲む。画面の向こうの肉親が笑った。「なんという大きな茶わんで茶を飲むのだろうね<わたしたちの子ども>は」 わたくしが誰かの子であるというのは無理な話だ。ついに私を説得することはできなかったな。私は誰の子でもない。私は……およそ人間に関することで私に……

今夜もえっちな夢が見れますように。

2月22日(月)

私の日記はウソが2割に冗談が4割、残りの4割は「適当」であると私をよく知るある人が言った。今号からはそれを改める。本当のことが3割程度あって、ウソが2割程度、で冗談が4割程度あって、残りの6割が「適当」であるようにする。その心がけを忘れないように月面に大書しておいた。君も見て驚いたであろう、あの月面の「適当6割」との刺青は私だよ。

今日は9時に起きて体操をした。妻がいつもやってる体操というものを私もしてみた。「妻おまえ、毎朝こんなことしてるの?」体操しながら聞いてみた。「毎日じゃありません。<太郎>がまんまをよこせと急き立てるときは体操などしてもいられないでしょうが」当たり前のこと聞くなという顔をしていう。「すみません」思わず謝った。よし、条件反射がきちんとできている。顔をされたら謝る、そういう機制がちゃんとある。ヨカッタ、マダ人間ダッタ。

朝食はいつものように仏陀の顔をして抜いた。そして今朝からの新たな試み。コーヒーは、億ションで。※億ションというのはこの場合、「ミルク抜き」ということである。ブラックコーヒー頂いた。コーヒーの本質は「無意味な黒い液体」であることなので、基本的には昨日まで飲んでいたものと何も変わらない。より本質を糊塗しない状態のものを頂いたのである。もう人生残り少ない。本質的なものだけを相手にしていたい。

天気が良かった。我々は8階建ての建物の6階に生きているのだが、窓の外にはいつも野ウサギの懸命な顔、ないし小僧の「グリコのトーン」がある。「どうする、妻、天気がいいし散歩でもする?」と問うと、妻が顔をした。すぐさま私は謝った。「ご、ご、ご、ごめんなさい」。窓の外で小僧がグリコのトーンをした。

10時から妻がゾーンに入った。私は寝室で漫画を読んでいた。「進撃の巨人」と「ザ・ファブル」。進撃の巨人は二周目だがいろいろ知った上で読み返してみると伏線がえぐい。すごい作者だ。

記述を加速したい。もう25時が近い。ただいま24時45分、エロい夢が見られるように心の状態を整えるのに15分はほしく、しかも25時できれば24時半には寝ていたいのだから時間がない。今からしたい全てを実現してみせる、「今から何が可能か」だろうが、はは「今から何が可能か」。さて妻がゾーンから出てきて私らはでは出かけるかと問うに妻が顔をして「あんたがカレーチャーハンを作っておべんとうにすればいいでしょうが!」と言う。そうですね、させん!さーせん!カレーチャーハンをちゃっちゃと作りタッパーに入れて外出した。私はカレーは牛乳がないと食えんのでペットボトルに牛乳を300㏄ほど入れて冷たいものとあたたかいものお分けしましょうかはいお願いしますとばかり肩掛け鞄に冷たいものをリュックにリュックベッソンを入れて出かけた。途中、昨晩のビール瓶をゴミコンテナーの前に置いていった、妻それを見て「ちゃんとしてるね」と顔をする。「あっごめんなさい」。海。

海から帰るとえーと、えーと、えーと、何したっけ。友達の名前と顔を思い出せる限り画用紙に描いていき、その一人一人と目を合わせて「だいすきだよ」と言った。そうこうするうち19時を迎えて<太郎>が戻されて、そのあとはずーっとブロック遊びと絵本よみに付き合っていた。カラスミを舌の上に乗せてへらへら笑っていたら殺されて死んで復活した。で今に至る。24時54分。もう寝よう。寝る前に心の祭壇に向かおう。

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