日記⑦アンチ巨人の信条を枉げるときは今(7/23~25)

その他

日記は毎日書いてこそ意味がある、多年続けてこそ意味がある。だから(と私は言う)この日記には価値がある、ということに必然的になる。愛と憎悪と塩と塩、それがこの日記にはたっぷり込められているのだから。(錯乱した記述ですネ、と君は言うのか?)

7月23日(金)

2021年の7月23日といえば今後30年間くらいは「オリンピック開幕の日」として記憶され続ける日だ。「記憶され続ける」?なんという日本語だ!(錯乱した記述ですネ!)
日記は毎日書いてこそ意味がある、というが、ことは逆であって、毎日書くことによって日記が自動的に意味があり価値のあるものになるかというと、決してそんなことはなくて、毎日書くことによってその日記が価値あるものになる可能性が凡人でも開ける、つまり天才の日記は別に毎日書いてなくても(天才というのはランボー「地獄の夫」にいう天才だ)価値とせられる。だが凡人の日記はそれが毎日のものであろうがなかろうが基本的に価値はない。だがそれが価値あるものとなるためにはせめて毎日書くということが必要だ。毎日書くということはつまり凡人が天才となるための条件を開く、のだ。「条件を開く」?なんという日本語だ!
また多年続けてこそ意味がある、という、このほうは私はすでに満たしている。「常に」満たしている、と言ってもいい。今しているなにごとも、つまりそれが何であれ今それを私が、他ならぬこの私がしているのであれば、それは私において多年にわたり行われてきたことがらなのだ、ということに自動的になる。ならざるを得ない。
不思議な写真を見た。それを見たのは軽井沢でであった。私はワーグナーと軽井沢というこの上ない取り合わせを意外にこの地帯に多い苔(フワッフワのビリジアンの苔だよ)ふむ足裏にpiquet換装していた・・その一葉の写真には、明治初期のものと思しい、白黒写真として撮られたのだがのちに彩色されたのだ、洋装の貴婦人が森の中に四人
2021年の7月23日、どるがじゅだんなや「五輪」がオープンした。開幕、開会。その開会式を見た。テレビで妻と太郎と見た。ところで太郎というのが私のういご(初子)の本当の名前だと考える向きがあるらしい、「んなわけねーじゃん」。なんで私が私の聖なるういごの真名を君たちに教えなければならないんだ。私はよろず聖なるものとそうでないもの(俗にいう、うんこ)を峻別して厳分けする。げんわけ、youknow。さて開会式を見た。いい加減記述を進めさせてくれ。「文飾を、文飾を、文飾を収めろ」
開会式を見た。よかった。

7月24日(土)

午前、私の妻であり妹である人が「パンジーワード」を発して、私と義父母(つまり妻の父母)は3時間も、もういちど言うが3時間も沈黙を強いられた。3時間のあいだ(もう一度いうが3時間)一言も発することができない、昼の日中にだ、という仕儀に至ってオイーと思った。太郎にはむろんそんな禁制は及ばない。「太郎はさような禁制が及ぶところではない人だ」蛙鳴パンチ!
昼、というのも午前といい昼といいまたあとで私が夜にというのは一日を午前・昼・夜という三分に割することを私が思ったからで。昼、私たちはあれをした。
夜、義父母と太郎が動物園に行った。すごかった。まるで見てきたように言うが、しまうまが見ているまえでうんこをしたのだ。むろん私の見ている前ではない、私は実際にはその場にいなかったので。したがって私の眼球もその場にはなかった。
もうひとつの夜、私は肉を焼いた。同じころ「ペスト」の街では男女の遺体がひとつの練炭のうえで・・焼けていた。(錯乱した記述ですネ、と君は言うのか?)

7月25日(日)

美人になりたい。美人になって、カラスの声で喋りたい。そう強く思った日だった。
机のうえにこの十日間毎日使ったワンデーアキュビューがかぴかぴに乾いて並べられていた。
誰かのことがひどく嫌いになったのでその人に金を貸した。また、火曜日を貸与した。
一日ウソをついていたので本当のことを言いたくなった。それでこの「日記」を開いたわけだ。こんな下らない言葉ばかりしか並べられないのであれば「毎日書く」意味などむろんない。だが見てくれ、私はここから始めるのだ。ともかくも私は始めたのだ。これが私の最低線、それをご照覧いただいた、その上で見守ってほしい、この私に今から何が可能か。

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