東京オリンピックと私

その他

2021年、東京オリンピック。いろいろ言う人はいるけれど、ともかくも歴史年表に記されることが決定している事象に生きて際会している。生者このわたくしがそれをどのように迎えたか。リアルタイムで記しておきたい。(随時更新)

8/8(閉会式)

なんか閉会しちゃった。

最後の方は全然見なかった。ピークはサッカーのスペイン戦だったな。結局そのスペインは負けて、ブラジルが優勝したそうだ。

最後に見たのは例の体操の個人総合ということになる。てっきりロシアの双子(ジーナおよびアリーナ・アヴェーリナ)が金銀独占だと思ったら、私が見たのは実は予選だったみたいで、結局この子らは金を取れなかったらしい。イスラエルの何とか言う選手が優勝だって。そのことで体操王国ロシアはお冠だってさ、ロシアが金メダルでないわけがない、不可能な事態だ、ということは何か不正があったのだ、ロシアにどうしてもメダルを取らせたくない隠然たるパワーが評点の操作を行ったのさ、云々。ロシアはこういう陰謀論が好きだから。

せめて閉会式見るかと予定の14時(日本時間20時)からTVつけてたが、三々五々踊ってるだけ、何一つ面白くない、何か起こるかも知れないから一応TVつけっぱにして極小音量で(隣で子供が寝てたので)スカパラを聴いていたら、何か盆踊りみたいになってきた。そういやお盆ですね。アイヌ。エイサー。いや、何見せられてんのこれ。日本各地の踊りが、何? 五輪と何の関係が・・今さらニホンブンカのPR?

ちびまる子ちゃんふうに言えば「一体・・」て感じで顔にタテ線。したら次回2024五輪開催地であるパリのPR映像になって、この2時間ではじめてお~っかこいいー!と思った。やるんじゃなかったこんな五輪!やっぱり返上しておけばよかったんだ!さすがに俺たちんときは大丈夫だろう、ハッピー、待ってまーすてなフランス人たちを見て、改めてそう思った。

国別メダル数で日本は3位だって?その話題が嫌い。その話題が嫌いである自分が好き。五輪、幕。

8/6(芸術種目)

空手が見たかったのだが私たちに視聴可能なチャンネルで映(や)ってくれなかったので昼飯時てきとーにつけたら映ってた芸術系の種目を見た。

まず「アーティスティックスイミング」を見た。これはかつてシンクロナイズドスイミングと呼ばれた競技だ。シンクロっていうか・・もうアーティスティックだよね?ということで新たに呼称を「アーティスティック」としたらしい。

全競技種目の中でも珍妙さで際立った競技だ。太郎にも見せてやった。うちの2歳児を太郎と呼ぶことにも飽きたのでこれからは「ジュン」にする。もうアーティスティックスイミングにならって使い古した呼称はどんどん新しいものに改めていこう。ジュンに対して私たちは、テレビのなかで笑顔の女性たち(水着姿の)がしていることを、どう説明したらよかっただろう。「この女の人たちはね、この女の人たちはね・・お風呂に入っているんだよ」とより他に。

お風呂の中で上下さかさまになって足をバタバタしている女性たち(言い忘れたがアーティスティックスイミングの「チーム」であった、ペアでなく)を見ながら、そしてそこで鳴ってる音楽に合わせて、ジュンは激しく踊った。ダンス・ダンス・ダンス! 私と妻は10点をつけた。これがオリンピックだ。私たち自身の生活がオリンピック化すること。

そのあと新体操を見た。個人総合。これは再放送で、金銀を独占したロシアの双子姉妹の演技だけ見た。真に驚くべき種目だ。好きだ・・。フープ、ボール、クラブ、リボンの4種あり、この順で放送されたが、特にフープとリボン、どうしてこんなことが人間に可能なのか。人間にというか、時間に。私になじみの時間とは、私がそのうえで尋常に鼻をほじったり茶をすすったりする時間である。同じ時間が流れているというのか、そこでも。なんか時間の上に生起可能な以上のことがそこで行われてるとしきゃ見えないのだけど。

特に美しいのはリボンだ。「この種目を考えた人は天才」と妻。芸術系の種目は見ていて面白い。空手の型、見たかったなー。

8/3(サッカー準決)

サッカー男子準決勝、日本vsスペインを見た。見ようと思って見た。

今の私たちの環境では4つのチャンネルで五輪を見れる。某国放送(TV)が2つと、あと有料放送(PC)が2つ。で、たとえば卓球女子ペアで日本が勝ち上がっていてもう純潔、いな準決だというので見たいと思う、4つもチャンネルありゃどこかでやるだろうと思う、だがやらねえ。どうでもいい(失礼)ビーチバレーとか自転車とかばかりやっている。某国放送のほうは某国選手が出場してるやつをやる(それがマイナー種目の予選であっても)、で有料放送の方はどうやら欧州人の趣味にあう種目を選んでやっている。せっかく興味を起こしてこれが見たい!と思っても、それをやってくれる保証は何もない、なんど期待を裏切られたことか。いかに五輪は多くの種目が同時に行われているか、だ。網羅するには12チャンネルくらい必要になるだろう。

そんな中で、サッカー男子が純潔まで上がってるときき、さらに相手はスペインだときき、これはさすがに見たいだろう私よ!と思い、時間を待つと・・おお、放送してくれる! お聴きください、椎名林檎で「真夜中は純潔」。

スタメン紹介で吉田麻也が出てきてビビった。さすがに誰も知らんだろうと思ったらバリなじみの顔が出てきたから。現実感の崩壊。ここは仮想現実なのではないか、ずいぶんまえから自分はそこに暮らしているのではないか、と疑った。だがすぐに理性を回復した。オーバーエイジ枠というやつだろう。(やめよう、こんな調子で語っていたら日が暮れる)

目当ては久保だった。神童がいる、カンテラからバルサに上がってそのあとレアルマドリードに移った、日本人としてまったく規格外の才能、そんな話をもう5年くらい聞きながらそのプレイしてるとこは一度も見たことなかった。その久保が五輪ジャパンの中心で活躍してるというふうに仄聞してたので。

実際カメラは久保を多く抜いたが(ベンチに下がってからさえ)、正直あんまよくわかんなかった。何がどうすごいのか。素人目に輝いて見えたのはDOANという前衛の選手。堂安か。いつもにこにこしてるふうなのもよかった。逆に久保はいつも深刻そうだった。

地味な試合だったのかもしれないが、他にはどんな選手がいるのかな、という認識への欲望と、日本は負けないで済むのかなという興味は、延長まで持続した。実況も「日本は点を取られないという戦略目標のもとに十二分に規律的に働いているという点で★★★★★+」と評していた。一方のスペインのことはぼろくそに言っていてやはり実力でスペイン>>>>>>日本という認識なのが透けて見えていたが。だけに、これはもうPKだな、PKになればどっちが勝つか本当に分からないぞ、「PKはじゃんけんみたいなもの」(©かっとび一斗)だから、と思われた最後の最後にぽこっとゴールされて、残念なことだった。別に美しくもないゴールだった。

決勝はスペインvsブラジルだそうだがこんなスペインなら別に見なくてもいーやと思った。もちろん日本とメキシコの3位決定戦ももはや興味ない、てか多分放送しない。この日これだけガッツリ五輪を見たので、もうしばらくオリンピックはいいやと思った。いったん満足。

8/1(ほそぼそ見ている)

ダーチャから団地に移った。TVでオリンピックが視聴できる環境になった。

ほそぼそ見ている。相変わらず昼ごはんと晩ごはんのときに、そのときやってるものを見る。これを見ようと意識して何かを見るということはない。TVは常に何かしらは映している、この間五輪専門チャンネルと化しているスポーツチャンネルがあるので。

私たちが全くオリンピックに冷淡でこれを等閑視しているというのは間違いだ。気にはしている、楽しめるものなら楽しみたいとさえ思っている。たとえば昨日晩飯のさい妻が「何か旅行番組とか見る?」と問うのに答えて(ふだんは食事中旅番組・・Orel i Reshkaとか・・を見てるので)、私は「いや、今はやっぱりせっかくオリンピックやってるから、オリンピックを見よう」と言って、といってどうせウクライナ時間の夕食時は日本の深夜だからもちろんLIVEでなど何もやってない、その日のダイジェストとか再放送をやってるだけなのだが、それでもスポーツチャンネルをつけた。

バスケ男子ウルグアイvs日本やっていた。八村という人をはじめて見た。そういう人がいて何やらスターであることは仄聞していた。見ていても何がどうすごいのかは分からなかった。スラムダンクが私のバスケ知識のすべてである。TVつけた時点で第3クォーター残り4分で15点差、こっちは外すが向こうは決めるという展開で第4クォーター半ばで20点まで差が開いたので、もう見るのをやめた。これだけ見るとなんだ日本くそ弱えーじゃんということになるのだがそれだけ見てそんなこと言ってはもちろんいけないのだろう。

あと女子の体操・段違い平行棒をやっていた。これももちろん再放送。アメリカ1人とフランス1人、ベルギー1人、ロシア2人、中国2人見て、ベルギーが最高得点で金メダルだったのだが、見てすごいと思ったのがまさにベルギーだったので、よく知らない競技だとえっ何でそうなるのということが多い(てかそればかりだ)中でたまたまにせよ私たちの印象とプロの評価が一致したのでこう「正義が行われている」という理不尽な感想を抱いた。

他にこの両日見てちょっと印象に残ったものに女子BMXフリースタイルがある、いろんな技があっておもしろかった。

あと、昨日ウクライナvsロシア珍名五輪という記事を書いた。その伝で、どこか欧州の国の何かの選手がポーパ(Popa)という名前で、それはロシア語的にはあんまりだと思った。「おしり」の意味だから。あとロシアの選手でUrasovaか何かそういう苗字があって、そういえば日本の浦沢という姓はロシア語的だな、と心づいた。(五輪はけだし世界の珍名博覧会である)

7/30(卓球決勝)

今大会はじまって以来はじめて、意識してこれを見ようと思ってそれを見た。卓球男子シングル決勝、中国人vs中国人。ウクライナ時間で午後3時から。

義兄が卓球のファンなので、義兄に今やってるぞと声かけて、「どこでやってるっていうんだ全部有料だろうが」(※ウクライナは、もちろんウクライナ自身も五輪に参加しているわけですが、無料のふつうのテレビ放送で五輪を放送していません。貧しくて放送権を買えないのだと理解している。)とレスがあったので、私たちの加入している有料放送のことを教えたら、1分後には「加入した」とWiberが来て、「俺はMalongを応援する」と。
そこで私たちも急遽そのMalongなるのために心を痛めることにした(boleti)。見てると手堅くMalongが勝ちを収めたので、私たちはむしろ義兄のために喜んだ。

それから、同じ時間帯に、男女混合400mリレーも見た。どうやら新しい種目?これも見ていてなかなか面白かった。男って、速いねー!なんだろうね男って。「男は速い」そんなことがオリンピックを見て学べたよ。

それから、これはたしか何だっけ卓球の前か後かに、1万メートル走というのを見た。見る気もなかったのだが、スタートをちょっと見たら、キッサという黒い選手が他を圧倒的に引き離すものすごい爆走をみせて、こいつの運命がどうなるのか、こいつはペース配分をまちがえたただのバカなのかそれとも天才(豹)なのかと気になって、ついには果たして中盤でキッサが脱落したあと(バカだったわけだ)最後まで見てしまった。これがスポーツ観戦の罠だな。見はじめると見ちゃうのだ。

7/29(ちょいちょい見始めた)

7/27の項に書いてるように現住地にテレビがなく、見れないとなると興味も持てないもので、私のなかでほぼ五輪は開催されていないことになっていたのだが、ふともしやと思って調べてみると先日EURO2020(サッカー)を見るために一時的に加入した有料放送が私たちの思い込みに反してサッカー専門チャンネルでなくスポーツ全般チャンネルで、五輪も放送しているようだったので、この両日ちょいちょい見ていた。

難点は、妻のパソコンでログインしないと見れなく、また妻のパソコンはいつもオキュパイドなので、見たいものを見たいとき見るということが難しい。そもそもEurosportというそのチャンネルが私が見たいと思うものを放送してくれる保証がない。というわけでまったく受動的。昼飯どきにそのときやってるものをLIVEで、夕食時にやはりそのときやってるものを再放送で(もしくはその日のダイジェストを)見るということがしかできなかった。なんか山道を自転車で走るのとか、バスケ女子とか、水泳とかを断片的に見た。さいわいアナウンスはウクライナ語でなくロシア語だったので私にも見やすかった。

見ながら思っていたこと3点ほど。まず、こういう機会でもないとその存在を知ることもないような競技を見て知ることができるのが五輪のありがたみだ。そのようにしてソチでカーリングを知って以後それひとつぶん私の人生は確実に豊かになったのだし。ただし、その存在をつとに知ってはいるが、こうして見ててもどうしてもその魅力がわからない――てかこれぜってーつまんないだろ、と思えてしょうがない種目というのはある。それは競泳だ。

思ったこと2点め。えーと何だっけ、そうそう金メダルの国別獲得数競争とかいうのは本当に下らないし、とは前から思ってたし、とりわけ今回に関して日本がメダルラッシュだ金メダル一位だーとかいうのは本当に図太いというか、単一指標で「強さ」を比べたがる低脳はお前ら小学生かと言いたくなる。気候(暑さについていろいろ言われてるみたい)にしろモチベーションにしろ、もうホームアドバンテージとアウェイディスアドバンテージの乖離がひどすぎる大会だと思うので。

3点目。ロシアいじめがひどすぎる。なんだよROCって。ほかのすべての参加者が国名と国旗しょって笑って走ってしてる中で・・選手が不憫というか、なんかバカバカしいなと思う。ロシアに対してなら何やってもいいのか。「それだけのことをしたのだからこうなって当然」という言葉をロシアという宛先ぬきに本当に言えますか。「いやげんにロシアしかそういうことをしていないのだから」本当にそうだろうか、それも疑うし。

7/27(見ていない)

大会は進んでいる。各種競技が行われている。らしい。

先にも書いたが私と妻は開会式を見た日の晩に団地からダーチャに移ってきた。で、ダーチャにはテレビがない。だからオリンピックは見れない。

ちなみにダーチャというのは……言い忘れたが私たちはウクライナに住んでいる。ここで二拠点生活を送っていて、週替わりで「団地」に住んだり「ダーチャ」(別荘みたいなもの)に住んだりしている。今週は私たちがダーチャに住む番で、今週一週間はテレビがない、したがってオリンピックは見れない。見れないとなると興味も湧かない。今日もニュースサイトは開いたしTwitterのタイムラインにも目を通したが、その中でいまオリンピックは私の興味をひくこと最も少ない話題の一つである。

7/23(開会式)

7月23日金曜、開会式。何丘一家はこれをテレビで見た。面白かった。満足した。

事前の予想

私と妻は事前に「開会式のショー、どんな要素が盛り込まれるかねぇ」と予想していた。予想では「桜、富士山、伝統芸能(特に歌舞伎、おそらく海老蔵)、カワイイ(きゃりーぱみゅぱみゅ)、ハイテク(チームラボ)」それから復興五輪とのことなので映像等で震災および復興のことを表現、ならびにやはり映像等でさすがにコロナとそれとの闘争、勝利への希望も描くであろう。

概して世界における日本のイメージ/ステレオタイプに媚びる総花的なもので、日本人自身は見ていてやや気恥ずかしいものになるだろう、と予想していた。

実際

ところが見てみると、江戸の大工とかいうニッチでマニアックな題材をしょっぱなに持ってきて、意表をつかれた。面白くはなかったが。キャスト大勢で踊りまくってにぎやかす感じはオリンピックってなんかいっつもこうだよねって感じ。でも、ドローン2000体で大会エンブレムと地球を表現するとか、例のピクトグラム全種完全再現芸とか、おもしろかったし美しかったし、日本人おもしろいこと考えるな、日本人すごいアホやな、日本人すごい技術もってるな!と世界のみんな思ってくれるやろなーと何だか誇らしい感じがした。

海老蔵(やっぱ出た!)と上原ひろみのコラボも画力つよ!!と興奮した。妻はというと、何丘の妻はロシア人なのだが、劇団ひとりのコミカルな芝居が気に入ったらしい(妻はもちろん劇団ひとりなど知らないが)。ユーモア、それは日本人にただひとつ期待していないものであった、と妻。それがいい意味で裏切られた、と。

事後

その晩私たちは団地からダーチャへ移動して義父母と一緒に夕食をとった。その席でも東京オリンピック開会式がいかに素晴らしかったかを私と妻ふたりして語った。

だが「みのミュージック」で「オリンピック開会式について思うこと」なる動画が上がっていて、なんやらみのさん「がっかり」しているらしい。見てみた。

言われると一々なるほどもっともな感じがした。面白かったーとか言ってた自分が恥ずかしくなった。おれ文化のこととか芸術のこととか表現のこと日本のことなーんにも分かってないんだなー・・と寂しい気持ちになってしまった。
言われるとたしかに思ったよ、イマジンかかったとき。他にないのかな日本の曲が、と。しかも本当みのさんおっしゃる通り、「国境はない」とか謳ってる歌、国境主義の最たるものである五輪の開会式に持ってくるセンスってどうなんだろうね。ふわっと平和、ふわっと友愛、でかつ世界の皆が知ってる歌、てだけで選んだ歌。なるほど、その通りなんだろう。

ひろゆきも「つまんなかった」て言ってる。過去大会と比べてテーマ性がないんだって。

Twitterのタイムライン見てても、開会式は「クソだった」とするのがメインストリームみたいな感じがした。少なくとも「開会式は叩いて大丈夫」「安全に叩ける」ような空気を感じた。

面白かったーとか言ってた私って一体。いちおう弁明すると、過去大会はどうだった、とか、日本には他に何がもっと可能だったか、とかといった、「比較」の視点は全く私にはなかった。私はただ与えられたものを見た。テレビをつけてそこに映ってるものを見た。その中におっすげーとかきれーだなーとか思うものがあった。そうした場面場面の個々の得点の総和で、ふだんそうテレビも見ない私には十分「おもしろかった」。

開会前

私は基本的に五輪に反対だった。理由はたぶん多くの人がそうであるように「コロナがやばい/さらにやばくなる」からではなくて、感染の状況とは直接に関係なく、うーんどういうのかな、

五輪反対だった理由①反対の人が多いから反対

ひとつは単純に民主主義の原理から言って、どうも開催に反対の人が多いみたいだから、そういう場合には開催しないという判断をするのが当然なんじゃないのと。にも関わらず、てか「どうあっても」催行せずんばやまず風なのは、それはやっぱり経済合理性(違約金とかなんとか)それから決定権者の方々の一種のわがまま(ぜひともわが代で五輪を開きたい、という)なんだろうと思ったから、そういう力の論理に対しては民主主義の原理が勝ちを占めるべきだと思った。

じっさい、不安の声や反対の声をなみして「開催」へ向かって着々黙々と何か巨大なものが進んでいくさまは見ていて奇妙な感じだった。民主主義がいかに幻想であるかを人たちは思い知ったのではないかと思う。

五輪反対だった理由②いま中途半端にやるのは勿体ない

あとは勿体ない精神みたいなものもある。こんなぐじゃぐじゃの状況でも開催は開催であり、ご存知のように五輪つーものは一度開催されたら次またお鉢が回ってくるまで数十年を待たねばならない。自国開催は一生に一度、だからこそ、どうせやるならいい感じに最高の大会にしてほしい。それなのに・・もうあらゆる方面からケチがつきまくって、昂揚もなく祝福もされないまま催行される運びとなってしまった。

こうなるよりは、いっそ中止になった方がよかった。というのも、うまいことこう、「不可抗力で開催できませんでした、経済的にも大損こきました、自分たちはマスクからソーシャルディスタンスから全部ちゃんとやるべきことやったのですけども何しろ世界全部がちゃんとしてくれませんことにはどうにもねえ!」みたいに自己演出して同情を集めたら、もう決まってる次回2024パリと次々回2028ロスは動かせないとして、次の2032年オリンピックどこで開きましょうというときに、東京再招致これ十分成る、と思われた。いやさすがに成るでしょうよ?

つまり、いま無理してやらなくても、次また10年後というごく近い未来に五輪<リベンジ開催>は可能であった。とすれば、今こんなぐじゃぐじゃの状況で不完全な形で開催など、むしろしない方がよかったんじゃないの、と。一生に一度の五輪開催権をこんな形で使ってしまわない。温存する。いまの小さな勝利を捨ててのちの大きな勝利をとる。肉を切らせて骨を。一粒の麦地に落ちて死なずば。

大丈夫、2032年の東京五輪は正式名称を「東京五輪2020」としてよい。ロゴなど新たに開発する必要はない。2021年に五輪2020を開くのはただの強弁であり未練執着だが、2032年にまでなってなお「五輪2020」を称するのはもうひとつの態度であり、思想だ。スローガンは「ありがとう東京・ごめんね東京」でどうだろう。その謂いは、ありがとう東京あのとき開催しないでくれて。ごめんね東京あのとき開催させてやれなくて。さぁ今度こそ君たちの番だ、ありがとう、ごめんね!・・という。

五輪反対論者には五輪を楽しむ権利がないか

私はしかし結局五輪は開かれそうだとなったときに、はて、果たして私のように五輪反対を言っていた人が五輪を観戦して何か感動を覚えたりすることは一貫性を欠くだろうか、五輪反対論者にはもはや五輪を楽しむ権利はないのだろうか、と自問して、いや、ある、全然あるよと思った。どころか、開幕前には五輪に反対した人が、いざ開会したとなるとその五輪をポテチとビールで楽しみ、閉会式まで見届けたあとでなお「五輪は開催されるべきではなかった」と主張する権利さえある、と思った。

というのも、(管見では)民主主義は蹂躙されたので、このうえ人民は居間のテレビでやってる面白そうな番組(五輪)を見るという楽しみさえ奪われなければならないだろうか、いや、むしろ人民は奪われたものを少しでも取り返すべきである。そうしてその取り返し行為は、彼がのちに改めて批判者として立つ権利をいささかも毀損しない、てかむしろ、そのことを理由に、被批判者たちは批判を免除されるべきではない。

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