日記(9/18~20)

自分について知る

何丘イワンと申します。ロシア人妻と一歳児とともにオデッサ(ウクライナ)に暮らしています。
37歳になりました。無職無能有害、終わっているまs。

9月20日(日)

わりに暖かい日であった。

焚火をした

義父とまた焚火をした。義父の邪眼が冴えていて、私が熊手を振り上げたところ義父が邪眼を発揮すると熊手が折れた。また火が意図せず熾になってしまってなかなか燃え上がらないでいたところ、義父が邪眼で凝っと見つめたら燃え上がった。極めつけは、向こうの闇を(やや霧に煙っていた)義父が邪眼で見つめたところ、馬が出てきた。「霧の中のハリネズミ」だ。見たか、馬を生成したぞ、今日の私は邪眼が冴えている、と義父。私もさすがに驚いた。闇から馬を生成するというのは私も初めてそんな現場に立ち会ったから。「闇の中の黒い馬」埴谷雄高。「ちなみにそういう私だから、これしきのことは容易だ」と言って義父、余技のように、叢の中から蛇を召喚した。「お願いですお義父さん、今晩は私のことを見ないでください」私はそう義父に懇願した。これほどの邪眼に視られたら精神を破壊される、と恐れたのである。

卓球した

その義父と食後ピンポン2戦交えたのだが、2戦とも私が勝った。
妻とは3戦した。妻が2回勝ち、私は1回だけ制した。

トランプした

そのあと子供を寝かしつけて、外の四阿で四人で(私、妻、義父、義母)トランプした。例によってклаберыである。私=妻チームの惨敗。テルツもベッラもジェッドも来ない、マスチ選択も一度もイニシアチブを取れない、カード運だけで一方的に痛めつけられる、私としては面白くない勝負であった。一口で言って、義父の邪眼が冴えたのである。

シュティールリッツとミュラーのアネクドート

義父母からシュティールリッツとミュラーのアネクドートを立て続けに5個も6個も披露された。このジャンルのアネクドートは初めて知った。ソビエト時代の白黒映画が元ネタ。パロディだ。今でいう「ボケて」の世界である。2つほど私の持ちネタにさせてもらった。日本語にしても全く意味が通じないのだがあえて訳す。

シュティールリッツの書斎に隙間風が吹き込んでいた。シュティールリッツが窓に近づいたところ、銃口が引っ込んだ。

シュティールリッツがアウトバーンを走行中、道路脇にミュラーの姿が。手を掲げ停車を求めるのだが、シュティールリッツはこれを無視。20㎞ほど走ったところ、再びミュラーが現れ、手を揚げて停車を求める。訝しみながらなおも20㎞ほど走ったところ、またしてもミュラーの姿が。シュティールリッツは思った。「環状道路だ」

一個目はロシア語の言葉遊びので当然ながら日本語にしても全く意味をなさない。「吹き込む」の三人称単数過去形と名詞の「銃口」が同音異義語なのだ。

二個目のやつは、一応意味は通じると思うが、落ちのコノテーションが汲み取れないと笑えない。四角四面で寡黙なシュティールリッツは映画の中でいろいろなことを「思う」、そのパロディなのだ。宿敵ミュラーの再三の出現という薄気味悪い状況が語られたあとで「あ、そか環状道路なのか」と下らない解が、映画のスタイルでシュティールリッツが「思う」という形で与えられるところが味噌なのだ。ということだ。

9月19日(土)

例によって地味な、内容の薄い日であった。涼しかった。

半沢直樹を見終わった

2013年版の半沢直樹を見終わってしまった。あまりに意外な結末に私も妻も唖然とした。唖然アゼルバイジャン。論功行賞間違っていないか。1500億の損失出して銀行を半壊させ、もってトップを追い落とし自分がその座に据わろうとした大和田は軽い降格処分、その全てを阻止した半沢は島流し。「どういうことなんだ?これで本当にドラマ『半沢直樹』は終わりか?」「本当はどっかにもう一話くらい隠されてるんじゃないのか?」「この結末をどう理解したらいい?」「2020年の我々は続編(半沢直樹2020)があることを知っているが、このドラマをリアルタイムで楽しんでいた2013年の人たちは、この結末をどう納得したらよかったんだ?」
妻「頭取は、半沢が大和田に私怨を持っていたことを密かに知って、それで、半沢が私的動機に基づき行動したことを咎めたのではないか」
私「いや純粋に組織人として半沢は有害大和田は有益というドライな、非情な経営判断が下ったんじゃ」
妻「もしかしたら頭取は大和田が実はもっと深い闇を抱えているのではと疑っていて、それを探るためにあえて大和田を手元に残しておいて、半沢には外から大和田のことを探らせようとしたのでは」
私「半沢は窮地に立つほどものすごい力を発揮する――そう見込んだ頭取が、半沢をさらにもう一回り成長させるために、あえて千尋の谷から突き落とした。将来を嘱望していればこそ」
見終わったあと、こう論を交えた私たちである。
2020年版の半沢直樹(今まさにTVで放送中のやつ)は、半沢が出向先で「銀行さん銀行さん」と虐められているところから始まるのだろうか?近藤のように……(近藤?どうして近藤の名が急に……)そんな半沢絶対に見たくない、し、半沢はそんなことには絶対にならない。半沢は近藤とは全く別モノだ。
何しろ眼福だった。半沢直樹。すごい面白かった。ドラマなんか私は37年の人生でほんと数えるほどしか見たことない。「金第一主義少年の事件簿(堂本剛)」とか、「銀郎怪奇ファイリング(堂本光一)」とか、「鳥たちが飛び立ってくよ。高い空へと。僕らもいつかあんなふうに飛べるだろうか?」を主題歌とする、堂本剛と堂本光一のドラマなど、大昔それこそ小学校の頃に見たのが多分最後だ。そのあと私はNBA(アメリカのバスケットボール)にハマって、TVをつけたらバスケしか見ない、そうこうしてるうち文学にかぶれてTVを全く見なくなって、大学で東京独居中、卒業後のフリーター時代、モスクワ時代、第二フリーター期、そして現在のオデッサ生活を通じて、TV、ドラマ、ゲーム、TSUTAYAといった文化からは全く遠のいていた。
それがここ1年ほどYouTubeというものを見るようになって、私の好きなYouTuberそれこそ中田敦彦が半沢半沢ハンザ半沢ザワザワザワと騒ぎだし、ほーうそんな面白いのなら見てみようか、とて、2013年版の半沢直樹をとある筋から手に入れて(合法ですよ)、見た、見た、見た。というわけだ。
わが妻は、最後の大和田の土下座がいたく気に入ったようだ。あの演技はすごい、と。たしかに全く奇妙な異常な、関節をおっかきながら、つまり肉で骨を畳んでいくような物凄い努力の果ての土下座であった。あんなに苦しみながら土下座してくれたから半沢も少しは報われたであろう。「あ、はい、じゃ、これで」つって飄々と形だけの約束履行をされたら(そんなこともしかねない奴であった)さすがの半沢も拳が出ていたであろう。「メーン!」スパーンと会心の一撃を加えてさすがに重役暴行で懲戒免職。
最終話で一か所だけ泣かされた。この最終決戦vs大和田の涙の訴え(いやーものすごい演技であった。誠実、迫真。素晴らしい俳優だ)の場面ではなく、また近藤とのメーンメーン打ち合いの後の、赦免の場面(半沢おまえなんていいやつなんだ……この場面も実に心に沁みた)でもなく、花ちゃんです。奥さんの。「人間としてあなたのこと尊敬します」これにホロリときてしまった。こんなふうに言ってくれるならもう何も怖くないよ、本当にあとはもう力いっぱい当たって砕けるだけだ。いちばん身近な人の理解と肯定。探偵ノートよりもお弁当よりも、これが一番の内助だ。
尊敬というのはあまり対人の場面であなた(二人称)に対しては使わない言葉だ。私はあの人のこういうところを尊敬しています、と三人称でいうのが普通だ。尊敬の念が真率であるほどそれを当人に面と向って言うのは口はばったいと言うか、気恥ずかしい。敬慕は恋情だから。尊敬の告白は校舎裏に呼び出してするのが相応しい。
その珍しい二人称での尊敬告白が最終回で相次いだのはまことに奇遇だった。何かの示唆だったのだろうか。花ちゃんが直樹に「尊敬してる」と言った、その数十分後、頭取が大和田に「私はね、銀行員としての君を尊敬していたんだよ」。なんかひっかかる。なんなんだろうな。人間は屑だが銀行員としては優秀だ、だから留任させる。しかしむしろ人間はともかく銀行員として絶対にやっちゃいけないことをしたではないか。「銀行員としての大和田」て何?そして尊敬「していた」という過去形も気になる。かつてしていた、今していない。なら今留任させる理由はないではないか。意味深すぎる。
まぁドラマだから、いろいろ脇が甘いというか、展開とか描き方とか、突っ込みだしたら切りがない。たとえば、半沢家には子供がいるらしいのに、4話くらいで一度ちょっと登場したほかは全く登場しない(言及はされるが)のは気持ち悪かった。半沢はどう考えても尋常じゃない激務なのに、わりに帰りが早いなと思いながら見ていた(だいたい9時頃には帰っている?)のだが、そういう時間に晩飯食いながら夫婦で普通の声量で会話をしているのに、子供が出てこないのはどういうことか。起きてるなら出てくるだろうし、寝てるなら声量を落とすだろう。まー中田敦彦も言ってたがこんな大事な秘密の話こんな衆人環視環聴下で大声で話しますか?とか、この場面多くの人に見られてるけどこの見てる人たち何考えてんだろう?とかそういうのは枚挙に暇がないのでおいといて、あといっこだけ指摘すると、半沢の亡父の笑福亭鶴瓶、さすがに、いくらなんでも、滑舌がひどすぎる、何言ってるか分からなすぎる。べえべえべえ、べべえ、べえべえ!べべええ!!!大和田「離してください!」この意味わからんやり取りを何度も何度も見させられて、そのたび「もういいよ、もう分かったから先進めてくれ」と思っていた。
半沢が好き。とにかく半沢直樹(という人)が好き。半沢をもっと見たい。続編が存在するというのは、嬉しい……!!!しかし見られるのはいつの日か?

ワイン造りを手伝った

義父のワイン造りを手伝っていた。車庫の上の赤ブドウ、「オデッサ土産(Одесские сувениры)」という品種を、収穫からмезгаにするとこまで全部一人でやった。

焚火をした

義父と焚火をした。レジャーの焚火ではない、果樹園の折れ枝とか雑草とか、要らんものを燃やす、純然たる「用の焚火」だ。燃すものはふた山になっていて、そのうちのひと山を、土日のふた夕かけてやっと半分片した。火はいい。よきもの二題――焚火、そして半沢直樹、the two things that’s great.

9月18日(金)

1か月くらいブログをストップしてしまっていたわけか。やおら再開しようという。気負わず、シンプルにいこう。まずは日記だ。

半沢直樹を見ている

ドラマの半沢直樹を見ている。2013年のやつだ。全10話のうち9話まで見た。
妻と見ている。
一日一話、晩飯のとき見ている。今日は見ない。明日見る。最終回だ。

髪を切った

今日床屋行った。一々説明するのが面倒なので前回(2か月前)担当してくれた人を指名した。「ごくふつうに、短く」と言ってあとは職人を信頼して終わるまで目をつぶっていたそうだ。そうして終わると封筒に入れた三千円をお渡しするのだ。
ケラスターゼ置いてるような少しは意識高い系の若者向けの床屋だ。450グリヴニャ≒2000円というのはこちらとしてはかなりいい値だ。私の担当は、寡黙、無駄口を叩かない。のが気に入っている。口より手を動かす。のわりに、作業が遅い。時間がかかる。男一人のカットに1時間10分かける。なに別に複雑なオーダーなどしていない。「ごくふつうに、短く」それだけだ。いやもう少し複雑ではあった、「2か月前と同じ感じにしてください、つまり、両サイドと後ろはバリカンで短く、残りはまぁ動きを出せるようにやや長めに」。要するにごく普通のツーブロックにしてくれと。それに1時間10分かかりますかね?かかりきりで。無駄口叩かずに。無駄口を叩かないということが既に当地では得難い美質。技術が要するに……ないのだ。日本人の千円カットの美容師(三千円や五千円レベルは言うに及ばず)ないしペニーレイン(ビートルズ)の床屋が横で見ていて呆れかえる。でもま、仕上がりには満足している。満足というか、すごく気に入ったわけでもないんだが、まぁ無難に形を整えてくれた。しかし鏡を見て、こんなに頭はこざっぱりしたのに、どうも鏡の中の男は、爽やかでない、むさくるしい、これはやはり、私は肥えているからだ、私の顔面がしゅっとしていないからだ、ダイエットしよう。ダイエットをしよう。そう冷凍庫から出した甘いお菓子(私はチョコなどは冷凍庫で冷やして食べたい派だ)をむしゃむしゃ食べながら思った。決意した。その決意したとき私は食べていた、お菓子を、甘い。

団地からダーチャに移動した

団地からダーチャに移動した。週末はダーチャで過ごす。ダーチャというのは別荘のことである。別荘というと葉山や軽井沢に金持ちが持っているというイメージだろうか。ダーチャというのはもっと庶民的で割と中産階級なら誰でも持っているような片田舎のボロ屋とその庭だ。庭では通例トマトなどを栽培している。リンゴとか。

卓球もトランプも勝った

私たちのダーチャには卓球台がある。妻を相手に2戦して2勝、義父を相手に5選して4勝した。妻は正直もう相手にならない。義父だ。しかしまぁ慎重にやれば8割方勝てる。だが本当は慎重になどやりたくない、リスキーにプレイしたいのだ。
食後、妻と義父母とクラーベルィ(トランプゲームの一種)をして、奇数日は私と妻が、偶数日は義父母が勝つというジンクスだったが、それに反して私たちが勝利した、それも大勝した(私たち千点のとき相手750点ほど)。猫どもが妻にまとわりついていた。ヨージク(はりねずみ)も出た。鈴虫はもう鳴いていない。夜十時で気温12度。秋だ。星がよく見えた。義父にあれがベガあれがデネブと教えてもらった。私は子供の時からプラネタリムが好きでよく通っていたが、だからベガもデネブも名前はよく聞いている、それがどこにあってどの星座の一部であるかも何回も何回も話としては聞いているのに実際の星空を前にして義父のように指呼できない、これは要するに、言ってしまえば端的に私は頭が悪いのだ。認めればラクになる。もうこれ以上ラクになりようもないのだけど。私ぁ頭が悪い。だからなのだ、何も知らないのは。下手に早稲田など出ているから自分も一応全人類の上位1%には入る頭脳の持ち主だなどという固定観念を拭い去れない。誰かがそう言っていたので……

明日の予定は

明日は午前ワイン造りを手伝う。義父の。といって義父自身はワインでなく下水道の整備を行うそうなので別働で私が何かの品種のブドウの収穫を行う。ブドウの収穫は楽しい。房から実を捥いで潰してメズガーにするまでをやるだろうか。その一連を単身行うのは少々骨だが。てか少々めんどくさいが。ハエはもう流石に今日のくらいの気温だと飛びが少ないか。だといいが。ハエは、蝿はね、ハエの一番の好物はうんこではない、ブドウであると知っていますか。飛びますよー、たかりますよー、あいつら。ブドウをこましているときはね。作業場にハエトリガミを一巻き設置しているが。
あと、妻の女友達が一人で遊びに来ることになっている。一人ならどってことない。郎党を連れて5人くらいで押し寄せることがあってそういうときは私も結構精神的にストレスなのだが一人なら。割と私も会っている奴だし。こちらに子がいるのでそう長くも滞在しない。
そうして夜は、いよいよ半沢直樹の最終回だ。これを楽しみにしたい。何かを楽しみにするという精神状態が、心が腐ってしまっているので、なかなか頑張らないと形成されないので、少し頑張ってみよう、何をどう?

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