好きな漫画についてただ語る。
「中田敦彦のYouTube大学」の筆記版やってみる。
今回取り上げるのは少年ジャンプ漫画「封神演義」。
制限時間は1時間。記憶だけを頼りに語る。
古代中国を舞台にした幻想叙事詩
「封神演義」は古代中国を舞台にした幻想叙事詩だ。同名の小説……「小説」でいいのかな、に基づいている。つまり「原作つき」漫画だ。あるじゃん、デスノートとか、ストーリー作るのと画ェ描くのが別の人っていうパターン。この場合は原作がその古代中国を舞台にした「封神演義」という中国の古い物語で、それを大胆に翻案して漫画に仕立てたのが藤崎竜(ふじさき・りゅう)という作家だ。かなりクセの強い画風で、私は好きだが最初アレルギー起こす人も少なからずいるであろう。スクリーントーン多用、絢爛豪華、様式美のある画風。何か堅苦しそうに聞こえるかも知れないがポップだしギャグもてんこもり(かなり面白い)だし少年漫画らしいバトル要素あり。てかバトルはかなり重要な要素だ。宝貝(パオペエ)と呼ばれる武器を駆使した異能・超能力バトルが繰り広げられる。万単位の人間を薫香で意のままに操るパオペエ「傾世元禳」(おお、一発で変換された!こやつ封神演義知っておるな!)、半径数百メートルを攻撃範囲とするムチ「禁鞭」、一万倍の重力を発生させるパオペエ「盤古旛」、核融合を起こすパオペエ……名前なんだっけ、等々、スケールもでかい。
言ったように舞台は中国であり、具体的には紀元前の中国、殷(いん)王朝が打倒されて周(しゅう)王朝が興されるという時代の節目を描いている。そうわけで中国らしいディテール、垂直にそそり立つ岩山とかね、そういう中国ならではの「吉林省!」「少林寺!」て感じの大自然が背景に描かれていたり、当然ながら登場人物や宝貝の名称(このパオペエという言葉そのものがエキゾチックやろ)は中華な漢字表記だったりと、他の漫画とは一線を画す世界観。
主人公・太公望
太公望は「仙人」
主人公は太公望(たいこうぼう)。画的には25歳の青年、いや18歳でも通るか、しかし実際は60歳とかのジジイである。にも関わらず若々しい風貌なのは、彼が「仙人」だからである。(正確には「導師」。導師が武芸に卓越して弟子をとると「仙人」に昇格する。太公望は実力は高いのだが弟子をとっていないのでステータスは導師)(ちなみに「導師」は「スース」と読む。太公望は皆から敬意と親しみをこめて「太公望導師(たいこうぼうスース)」と呼ばれる)(仙人と導師の関係はSTAR WARSの「ジェダイマスター」と「パダワン」に類比的)
このように、古代中国で実際に起こった殷周革命に取材し、実在する人物も多く登場するのでありながら、「仙人」等のファンタジーな設定・キャラクターもバンバン出てくる。この虚実入り混じりの感じが封神演義だ。(ちなみに、太公望も実在の人物らしい。周に太公望という名の軍師がいたことは史実、それを仙人として描いたのはファンタジー)
(いま15分経過)
太公望は「風」の人
つうわけで主人公・太公望は仙人。で、仙人は宝貝(パオペエ)と呼ばれる武器を使う。てか、宝貝を操れることが仙人の定義というか条件ともいえる。常人が宝貝を手に取ると、うまく扱えないどころか、生命エネルギーを吸い取られて干からびてしまう。いろんな宝貝があるのだが、太公望の宝貝は打神鞭(だしんべん、神を打つムチ)と呼ばれるもの。形状はまんま教鞭。この打神鞭という宝貝は「風を起こす」。たとえば、突風を起こして敵を攻撃することもできるし、「風の壁」を作って敵の攻撃から味方を守ることもできるし、またそういうバトル用途以外にも、なんだろね、なんかちょっと小粋なイタズラをいろいろできる、使い勝手のいい道具である。
この「風」というのが絶妙なのだ。「風」は主人公・太公望の性格を端的に象徴している。太公望は風のように飄々としてとらえどころがない。自由である。風来の人。正しい心を持っている、実は胸中熱い想いを滾らせていないこともない、しかし外見は、いつもおちゃらけている、脱力している、頼りなくさえ見える。ゆえに慕われる。おのずから人が集まってくる。「支えてやらなくちゃ」と誰もが思う。人をひきつける。
太公望はルフィではない
実際のところ、太公望って、戦って強いキャラじゃない。バトルの際はあまり戦力にならない。むしろ味方の足を盛大に引っ張ったりする。私(何丘)も最初7、8巻くらいまでは読んでいて何か釈然としなかった。なんだこいつは? 少年漫画の主人公のくせに弱すぎる! 腑に落ちなかった。少なくともワンピースでいうルフィのポジションでは全くない。ボスは必ずルフィが倒す、「おれルフィ!敵の一番強い奴担当!」みたいなことは全くない。5番目に強いくらいの奴をやっとこ倒し、あとはすんません楊戩さんお願いします!哪吒さん頼んます!天化さんイっちゃってください!て感じに、敵と相性のいい味方キャラをうまく当てて倒す。そういうやつである。
「参謀」というユニークなヒーロー像
そうである、太公望の性質として言い落とせないのは、「メチャクチャに頭がいい」ということ。バトルの第一線で活躍はしない。後方から指示を飛ばして、味方をけしかけて、あるいは何かトリッキーなことをして巧妙に敵の戦力を殺いで、気づけば自陣が形成有利になっている。「参謀」「司令塔」という、少年漫画としてはユニークなヒーロー像。おちゃらけたふうをしながら、常に考えている。あり得ないようなことを考えている。「どうやったら勝てるか」はおろか「どうやったら戦わないで勝てるか」「この戦いにおいて勝つとは何か」「こうすれば多分勝てるけどあいつ死ぬかも知れないからええい仕方ない私が片腕失っておこう」。風のように自由に、とらわれず、いつも策を練っている。知謀の将。武力にまさるどの豪傑(敵・味方問わず)も口を合せて言う、「太公望の悪知恵にはかなわない」。
先に「太公望は人望がある、人を惹きつける」と言った。少年漫画で人望あるやつは王になる。ルフィもあれで謎に人望があることになっているので海賊王に彼はなるのであろう結局。しかし太公望は、決して王の器には収まらない。文王・武王の側近で終わる。元始天尊の名代で終わる。「武力において味噌っかす、地位でいってもナンバー2どまり」のヒーロー。それが太公望だ。
物語の大枠:殷周易姓革命と「仙界大戦」
主人公・太公望についてはひとまず語り終えたこととしよう。ここで物語の大枠を説明したい。繰り返しになるが、本作は古代中国、殷王朝から周王朝への易姓革命を描いている。これは人間世界の話。史上の事実だ。その一方で……つまり、人間界でそういうことが起こっている一方で、仙人たちの世界(ここからは無論フィクション)では、また仙人界を二分して相滅ぼし合うような大戦争が起きる。仙界大戦とこれを呼ぶ。
「仙人」と「妖怪仙人」
仙人には二系統ある。人間が仙人に成り上がった「仙人」(太公望もその一人)と、物・動物が仙人に成り変わった「妖怪仙人」である。
そのそれぞれのhomelandが、人間たちの角逐の地上世界の上空に、二つの「島」として浮かんでいる。
ひとつは仙人たちの住まう崑崙山(こんろんさん)、ひとつは妖怪仙人どもの棲むこんごう……列島?金……やばい、漢字が分からない。仕方ない、仮に妖怪山と呼ぼう。
(40分経過!やば!)
妖怪仙人「妲己」による人間界支配
で、人間界のエスタブリッシュメントである殷は、実は妖怪山の傀儡王朝なのである。現王である紂王(ちゅうおう)の妃が妲己(だっき)という妖怪仙人であり、こいつが裏で殷王朝を支配している。現王ばかりではない。もう何十年何百年も、殷の王は妲己に操られており、王宮中枢は妲己とその眷属に牛耳られている。というのも妲己は妖怪山でも指折りの仙女であり(前身はキツネ)、借体経世の術とかいう秘術を体得している。これすなわち、キツネという自身の本質を人間の肉体に潜りこませ、その人間を内側から支配し、使い倒した挙句に、別の人体へと移っていくことができるのである。そのようにして妲己は、殷の歴代王妃に憑依し、時の王をたぶらかし、民の生き血を(文字通り)すすりながら王宮内で豪奢の限りを尽くして、国を荒廃させた。
人間界を仙人の支配から解放する
ところで主人公・太公望は、仙人となる前、人間として人間界にふつうに暮らしていたころ、殷の権力にひどい目にあっている。当時太公望は、名を呂望(りょぼう)といった。呂望は姜族(きょうぞく)という辺境の少数民族の頭領の息子か何かであった。この姜族が、何も悪いことしてないのに、やってきた殷の軍によって蹂躙され、滅ぼされているのである。
その殷を陰で操っているのが妖怪仙人どもだと知った太公望は決意した。「仙人のいない人間界を作ろう」。これが太公望の原体験、原動力なのである。
(太公望にとって「自由」は至上の価値だ。風の自由。)
「周=太公望=崑崙」vs「殷=妲己=妖怪山」
というわけで構図としては、腐敗した殷を打倒し新たに周という国を興そうとする人間たち、それを支える太公望。太公望の背後には崑崙山の仙人たち。対するは、殷王朝、王朝に巣食う妲己と妖怪仙人たち。
こういう構図で、人間と仙人、二つの世界にまたがる、壮大な戦いが繰り広げられるのである。
言い忘れたけどジャンプ漫画です
言い忘れたが、「封神演義」は週刊少年ジャンプで連載。90年代~00年代初頭くらいか。単行本20巻くらいで完結(円満終了)。
殷の打倒・周王朝樹立は17巻くらいで終わる。残りの3巻、物語はさらにディープなところに入っていく。「自由」を求める太公望たちの戦いは、もはや中国を出て、地球全体へ、さらには宇宙へ。時間の尺度も大幅に広がる。百年・千年の単位から、万年・億年というスケールへ。……
以上、1時間。
ウェブコミュニティ、プログレス。
後記
以上、「1時間で書ききる好きな漫画」第一弾、エクストリーム封神演義。
信じてくれなくて結構だが基本的にマジで時間厳守・記憶だけ頼りに語った。
「基本的に」と申すのは、章・段落を分けたりとか、重要な情報を太字にしたりだとか、読みやすいように体裁を整えるのは、時間外でやらせてもらった。
いろいろ語り落してるが、ちょっとだけ捕捉させてもらうと、
①多彩なキャラクターが魅力
話が太公望に終始してしまったが、本作は脇役が綺羅星のごとし。味方(哪吒、楊戩、黄天化、武成王、崑崙十仙……)も悪役(妲己、聞仲、趙公明、申公豹、十天君、特に王天君……)も、実に多彩で魅力的。
②名場面てんこもり
物語が進むに連れて作者フジリューの場面演出の技量が明らかに上がってくる。壮大な歴史ロマンという題材そのものが漫画家の才能を開花させたのだと思う。
聞仲の最期、夕陽の場面なんか、味わい極上の絶品である。聞仲は人間上がりの仙人であるが妖怪仙人どもの番を張っており殷側最強格の強敵。その聞仲がある日思い立って「そうだ、仙人界ツブそう。」と心に決め、スックと立ち上がり、まっすぐ敵の本陣一丁目一番地に出向いていって、そこでムチャクチャに暴れまくって誇張でなくたった一人の力でほぼ仙人界を滅ぼす。「儂は仙導のいない人間界を作ろう」とは太公望の言だが、同じ理想を殷側の仙人として掲げたのが聞仲だ。ただし、太公望の理想がおそらく飽くまで平和裡に仙界と人間界を「分離」することだったのに対し、聞仲はもっと過激に、不要な仙界は「滅ぼす」、仙人・導師は「皆殺し」にすることを志した。そして自ら実行した。独力でそれをなし得る実力が(太公望と違い)聞仲にはあった。ええと、何の話だっけ。聞仲の最期ね。夕陽の。名場面。黒麒麟。
そうして全てが終ったあとの、作中たった一回だけ、太公望が見せる涙。あとにも先にもこの一回きり。全てをきちんと片づけてから、誰もいないとこで、そっと。「いろいろ、あったもんね……」全読者が黙ってその肩をさすってやったのだ。
「ご主人……」
え?
③四不象に全く言及していなかった。