何丘の十戒

自分について知る

何丘はダメだ。終わっている。そう言える根拠をざっと4つほど挙げようか?「30代半ばにして無職である・無職歴である・無貯金である」また「友達が一人もいない」。

でも実はこれらは全て些末なことだ。もっと深刻なのは、私に心がない、愛がないことだ。また私が、死すべきものであるという自らの運命にきちんと向き合っていない、ということだ。

はじめにポエムをひとつ

私は終わった人間だ。

それはどういう意味かというと、もはや自分をよくしようという心がない。

(かつて自分がよいものであったことを覚えている。だがもう、よいものであろうとする気力の起こりが終った)

私は人間未満の存在だ。

生の1000分の999は、人間未満の存在として過ごしている。

だが、ごくまれに、「今から何が可能か?」といって、垂れていた頭をあげ、荒廃した心の地平をきょろきょろ見回すことがある。

「しまった、こんなところまできてしまった。私が顧みないでいる間に、心はこれほど荒れはててしまった……しかし……今からでも何かが可能か?」

サッカー選手になること。ピアニストになること。そのようなことが私に「今から可能」ではないことは分かり切った話だ。

私はただ、今の「人間未満」の状態から、まったき「人間」のレベルへと浮上したい。そのために何をすればよいか、10ヶ条。

①ロシア語をがんばる

私にとってロシア語の上達は徳性上の問題である。TOEICでいい点とって自分に付加価値つけたいでーす、みたいな呑気な話ではない。

私は一応、ロシア語上級者である。だが、仮にも大学でロシア文学を専攻し、その後今日に至るまで通算6年をロシア語圏で暮らし(現在も暮らしており)、配偶者がロシア人である、そういう境遇の者としては、全く恥ずかしいレベルだ。

私はずっと、妻が私に対して日本語を使うのと同じ程度に、私も妻に対してロシア語で語りかけなければフェアではない、と思ってきた。私たちのような国際結婚の夫婦の、それがあるべき姿である、と。だが既成事実として、何丘家の家庭内公用語は日本語である。ひとえに私のлень(怠惰)によって。

私はもっとロシア語に向き合わなければならない。それは即ち、妻に向き合うことである。

②ウクライナ語を知る

ウクライナに住んでるのにウクライナ語を全く知らない。住んで1年以上経つ、このあと2年くらいは住み続ける、なのに「おはよう」「こんにちは」程度の簡単な挨拶もおぼつかない。文字も全部は分かっていない。

言い訳は、こと私たちの住むオデッサという街に関しては、生活言語がロシア語だからだ。オデッサ人のほぼ100%(妻や義父母を含め)が、ウクライナ語を解しはするが、母語はロシア語である。

しかしながら、住んでる国の言語についてこれほど無知というのは、実はやはり相当恥ずかしいことだ。「ロシア語もできねえのに」「まずはロシア語をちゃんとやれ」そう思うからウクライナ語を後回しにしてきたのだが、並行して少しずつ勉強していかないとだめだ。

(実際ロシア語を知る者には、ウクライナ語は相当面白い)

③読書をする

活字を日に一字も読まない。それで何日、何か月、平気で過ごしている。

学生の頃は本を読まない奴をとことん軽蔑していた。文学青年だった。ここでいう「本」とは、ホリエモン『多動力』みたいな、そういう本ではない。埴谷雄高とか秋山駿とか吉本隆明とか鮎川信夫とか、そういう本だ。

オデッサにも何冊か日本語の本を持ってきている。全部一度以上読んだことがあるやつだ。だがナボコフ『賜物』、谷崎訳源氏あたりは読み返してもいい。ページをめくって活字をたどる小時間を一日の中に持つということが大事だ。自己回復への道だ。そう信じられる。

あと、それこそ、ロシア語の本を読むのでもいい……か。私は上級者という割にロシア語による読書の通算量が圧倒的に少ない。少し頑張ってもみよ。名前だけ知ってるオデッサ文士、イリヤ・ペトロフ、バーベリ、カターエフ、パウストフスキー。

④ノートを綴る

私の堕落と破滅の根本因はこのあたりだ。日記をつけなくなった。日記というか……いわゆるノートを。紙のノートに、ボールペンで、パンセを、つまりソウト(thought:思われたこと)を、綴る。

私は一応コクヨのB5(B罫)ノートを持ってきている。最初の3ページほどは何か書いてある。1年前、ここへくる飛行機で綴ったものだろう。そのあと色々あった。子供も生まれた。

この間、ほんの時々だが、パソコンには何か書いていた。でもダメなのだ。私の自己回復のためには紙とペンで書くということが必要だ。

私はおよそ書くことの中でしかものを考えられない。また、私はおよそ紙とペンで書くことでしか自己の魂に接近できない。

⑤妻の愛を取り戻す

出会って7年になる。結婚して4年になる。

現在のていたらくは「こんな日が来るとは」の一言である。会話はめっきり少なくなった。私はかつてのようには妻に愛されていない。

妻は私に残された唯一のよきものだ。妻の愛を失うわけには絶対にいかない。

知れたことだ。私はかっこよくない。夢と希望に溢れていない。仕事を持っていない。努力していない。だらりとソファに寝そべってスマホを見ている。

新しい話題をこちらから提供する、ということがない。提供できないのだ。どこへも出かけないし、人間関係というものを持っていないので、今日どこ行ったよ誰が何して可笑しかったよ、と報告ができない。本を読まないので、こんな面白い本読んだよ(読んでるよ)とも話せない。熱中して打ち込むことを持たないので、今こんな面白いことをしているよ、とも言えない。ものを考えないので、こんな面白いこと考えたよ(考えてるよ)、とも語れない。

すべてその逆をいけばいいのだ。

⑥子育てに真剣に向き合う

太郎への向き合い方が足りない。太郎はいのちである。私はとりあえず太郎の面にはfaceできている、直面している、とは思うのだが、太郎の愛らしい薄皮を貫いて心まで、脳まで、魂まで届くほどに向き合えているか。「と問われればまぁまぁだと答えざるを得ないのが大いに不本意だ」。

ポエム(詩作品)とポエジー(詩精神)。ポエジーは解かれる前の毛糸玉である。これを解いていくと一筋の歌が流れる。太郎はいま歌われざる「存在の歌」の毛糸玉である。分かりますか。私がいかに言葉が下手だか。

その「存在の歌」の毛糸玉に向き合うようにして太郎に向き合えているか、ということである。まぁその、分かりますか?

実践的には、まず、私がソシャゲを周回したりユーチューブ見たりしたいとき太郎がまつわりついてきてうるさい。ならばソシャゲの周回とユーチューブ視聴をやめればよい。私が至らんことすることで得る至らん気分を太郎への顧慮ですっかり代置する。

第二に、太郎の子育てについて私がよく把握できていない領域がある、その穴を埋める。たとえば食事に関して、太郎がどの時間に何を食うべきかについては、妻が私というよりは義母と(当然ながらロシア語で)協議して決めてしまう。これは父として(特に仕事していない二六時中うちにいる父として)だめだ。

第三に、子供の成長記録をつける。つけるつけるといってつけていない。二度とは帰らないこの日々を、世界が忘れるに任せている。

⑦働いてお金を稼ぐ

私の11月の収入は0円である。たしか10月もそうだ。一頃翻訳のバイトで月6~10万くらい稼いでいたがめっきり仕事がこなくなった。「あの不正行為が先方にバレて、私はブラックリスト入りしてしまったのではないか」すぐそう思ったが、胸に手を当てても思い当たるふしはないのであった。(私の永年の被害妄想。私自身の識域の内外で私が行なった”何か”によって、私のメンバーシップが剥奪され(てい)る、という……)

ぐだぐだ抜かすな。要するに私は無職だ。

ウクライナは物価が安い。今も、日本であれば家賃10万くらいするだろうアパートに3万で住んでいる。住もうと思えば2万弱の物件でも全然住めるので、要するにちょっと贅沢をしているのだ。

日本で働いて得た金であと二三年くらいは余裕で暮らせる。だからといって私が今働かないでグータラしていていいということにはならない。

もし私がそれまでの30年の人生を額に汗して働いて、懸命に駆け抜けていたなら、この外地の3年間はながい人生の休暇、「仕事はひとやすみして妻と子供に100%向き合う」専業主夫の期間として、天に(社会に、自己に)恥じなかっただろう。

だが私は日本で正社員を一度も経験したことのない、無職歴男だ。上に述べた「日本で働いて得た金」というのも、派遣社員として時給で得た金に過ぎん。人生で一度もがんばったことがない男。壮年(はたらきざかりの)男性、という言葉に引け目を感じる。そういう者が、こうして子供もいるというのに、何か月も無収入でいていいはずがない。

子供の将来のため。2年後再開する日本での生活(何しろカネがかかる)のため。でも何よりもまず、単純に生理的に、気持ちが悪いのだ。1か月に一秒も有償労働していない、一銭も稼いでいない、という今の状態が。

⑧運動をする

私は腹が出ている。走ると乳の肉が揺れる。顎肉が輪郭をたるませている。

私は義務教育時代、学年で最速の長距離走者だった。走るのをやめてからも「何丘さんはよく食べるねえ」と言われた。もとい、「何丘さんは食べても食べても太らないねえ」と言われた。

「日本人は魚を食べるから太らないのかねえ」「蕎麦かねえ」とロシア人たちからも羨ましがられた。「秘訣は何ですか?」「メラニン色素?それが全ての説明ですか?」

当時と食べる量は変わっていない。だが、一つには、30を過ぎて体が変わったのだろう。また一つには、運動をしなさすぎる。もう少しきみ痩せたまえ。運動は精神をしゃきっとさせるともいう。

⑨ギターうまくなる

ギターを触るようになって早いもので十五年になるが未だに初期ビートルズの簡単な曲も満足に弾けない。

おいおい、「何丘が真人間になるための十ヶ条」だろう? いま人間未満の何丘がどうすれば人間の水準に浮上できるか、そのための十、という話だったじゃないか? ギターうまくなることが真人間への道っていうのはどういうあれだ了見だ?

それはだな、ギターが十五年にわたり同一水準にとどまり続けているのは、私が向上・成長ということから見放された存在である、ということのひとつの象徴になっているからだ。私は、自分がよきものであるということ、光をめざして成長していくものである、というイメージを失ってしまっている。それを回復するために、ギターの上達はひとつの試金石になるのだ。そう感じている。

⑩絵を描く

私が絵を描いていない、書を描いていない、というのは、変なことだ。異常……とは言わないが、妙なことだ。だって、楽しいことが分かり切ってるのに。

楽しいと分かっているのに(明確な理由もなく)やらない、というのは妙な話だ。おいしいと分かっているのにチョコを食べない。「なんで?」「体に悪い(と思う)から?」いや、なんとなく……。

げんにギターを触るではないか。弾けもしないのに15年触り続けてるのは何でだ。知れたこと、触るのが楽しいからだ。ではなんで絵を描かない?字ぃを描かない?

私は実際、好きなのだ。水彩が面倒なら、ボールペンでほれ。げんに漫画用のノートはこっちでも一冊作ってあるではないか(去年数ページ現に描いている)。描け。それがお前の真人間への道だ(妙なこと言っていますか?私自身には自明の理なんですが)。

⑪あるいは⑴:日々成長していっている、という実感をもつ

もう「十ヶ条」は言い終えている(数の上では)ようだが、十といって十二あるくらいは私としてはふつうだ。

私は低い。身長の話ではなく、低い、低い人間だ私は。この低さが仮に数量化できるのだとして、しかし、大事なのはその低さの絶対値でなく、傾向性、変化率である。私の低さはここ四年くらい変化していない。つまり、私の人間的成長はここ四年ほど止まっている。(退化している、と言われないだけ有難いと思え)

私の今日は基本的に昨日の繰り返しである。行動の次元でもそうだが、それよりも、精神が昨日の焼き直しだ。発見、逸脱、変化。何もない。

ある人は、「こうなろう」「これが出来るようになろう」と決めて、目標からの逆算で「そのためには凹凹の手順で凸凸を鍛えていく」とプログラムを組んで、んで日々実践躬行して目標に向かって自己を成長させていく。

私は目標がない。ロシア語の力も永年同じままだし、ギターの腕も永年このまま。目標を立ててそれに向かって努力するということをしない。

何より悪いのは、そのことに自分で慣れっこになってしまっている。朝7時とか8時の時点でちょろっと「今日、覚醒が(革命が)起こるかな?」つまり起こそうかな?と(ほんのチラッと)思わないこともないことがあるのだが、結局なにごともなく13時とか15時とかを迎えて、「おそらく今日も何もないな」と見切りがつき、果たせるかな23時とかに「けっきょく今日も何もなかったな」と呟いて就眠。そういうことがもう何か月、いや何年も続いてしまっているのだ。

永遠の日曜日に安住できるのならいい。それが十分幸せなのならいい。だが私は、あきたりなく思っている。実は心底(しんてい)おだやかでない。変化、成長、を日々感じる、今日が昨日の再生産ではないと感じられている、

その状態の方が、多分いまより幸せだ。

⑫あるいは⑵:よろずのことに関心を持つ

私は何にも関心がないのだろうか?関心があるならば、調べたり、自ら赴いて実地検分したり、食べてみたりするであろう。

私はせっかく外国にいる。このウクライナという国、オデッサという街の、あらゆる細道を歩いてみないか。……いや、それは一応多分実践しつつある。太郎の散歩で日に2時間ほど歩くので。ならそれはいいとして、ではお前、スーパーで売ってるあらゆる食品を試してみたらどうだ。いろんなクラブに顔を出してみたらどうだ。あるいは単に、部屋の室温を支えている温水暖房、この温水が、どこからどう供給されているのか調べてみたらどうだ。生活の細目に関心を持ってみたらどうだと言っている。

要は、私はビビっているのだ。こんな外人顔の奴がいきなり一人で現れたらそこにいる人はどう思うだろうか、とか要らん心配。また会話の場面で、ロシア語間違っちゃいけないとか、話の腰折っちゃいけないとか思って、だんまりモード。せっかく興味を持っても、自らその興味を満たすには至らない。

ビビりの障壁をこえて敷居を跨ぎ越せるほど、あえて会話の流れを遮断して間違いだらけのロシア語で質問ができるほど、興味・関心に燃え立つこと。

続編予告

以上が私の十戒だ。改めて一覧化する。

①ロシア語をがんばる
②ウクライナ語を知る
③読書をする
④ノートを綴る
⑤妻の愛を取り戻す
⑥子育てに真剣に向き合う
⑦働いてお金を稼ぐ
⑧運動をする
⑨ギターうまくなる
⑩絵を描く
⑪日々成長していっている、という実感をもつ
⑫よろずのことに関心を持つ

次は、この「十戒」を、具体的な行動指針に落とし込んでいく。

つまり「目標」を定めて、それをクリアしていくというゲームを始めなければならない。

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