【週刊YouTubeレビュー】ムリチク修行Ⅱ(ソ連アニメ)

その他

YouTube視聴記録。11/15~21の分。

【ソ連アニメ】ヴルンゲリ船長の冒険

前回(先週)のYouTubeレビューに続き、今週もムリチク(ソ連アニメ)ばっか見ていた。なんでソ連アニメばっか見てるかは前回ガッツリ語ったから今回はパス。

ソ連アニメ『ヴルンゲリ船長の冒険』(Приключения капитана Врунгеля、1976-1979)。すばらしかった。1回10分×12回で、全2時間。ぜんぶ見た。ネクラーソフの同名作品のアニメ化だという。海の男たち・ギャングたちによる無骨・ハードボイルドな世界。可愛い女性キャラのひとりも出てこない。”華”がない。でも全然見疲れないのは、作風がアヴァンギャルドといいますか、切り紙アニメーション・ふつうのアニメーション・実写の複雑な組み合わせで、演出も派手、展開がまことに破天荒だから。めくるめく大冒険て感じ。

【ソ連アニメ】ドレミ

ソ連アニメ『ドレミ』(Дореми 、1986)。子牛にドレミの音階を、つまり音楽を教える。「ド」なら「ド」、「レ」なら「レ」から始まる(その音を含む)いろんなロシア語の単語を覚えられる教育的アニメ。ドって何?へんなの!レって何、変なの!と言ってた子牛が最後の最後に「あ、音楽か!」とアハ体験するところ、ちょっと感動。

【ソ連アニメ】絹の筆

ソ連アニメ『絹の筆』(Шелковая Кисточка、1977)。人形アニメ。モンゴルかどっかが舞台。サムネ右の清らかな心を持つ「絹の筆(ショールカヴァヤ・キースタチカ)」と呼ばれる少女が病父を救うために山獄に入って奇跡の力をもつ不思議の花を手に入れる。サムネ左は強欲な悪いやつ。

【ソ連アニメ】マスリョンキノ村のブリョンカ

ソ連アニメ『マスリョンキノ村のブリョンカ』(Буренка из Масленкино、1973)。人形アニメ。ブリョンカと呼ばれるウシが迷子になっちゃって見知らぬ場所に逢着しちゃった、でも善良なオオカミがもときたマスリョンキノ村に案内してくれて事なきを得た。ブリョンカののーんびりおっとりした感じ、声うつくしく歌うその声(歌)、嫌われもののオオカミが実は心優しい「本当はイヌに生まれたかった」オオカミであること……まこと牧歌的。まこと宮沢賢治。「俺は本当はイヌに生れたかったんだー!」という狼の魂の叫びを歌った「狼それは犬」という曲をTwitterで紹介した。

【ソ連アニメ】ラマーシコヴォ村の汽車

ソ連アニメ『ラマーシコヴォ村の汽車』(Паровозик из Ромашково)。ラマーシカромашкаてのは花の名前で、日本語だとなんとかいう菊の仲間なのだが、カタカナでいうと「カモミール」だ。紅茶の。つまり「カモミール村の汽車」。

お花の好きな汽車で、花が咲いてるとつい足を止めて(足の)匂いをかぐ。もとい花の。「おい、駅に遅れちゃうじゃないか!」と怒られてもどこ吹く風、「だって花がせっかく咲いてるのにこれを愛でないなんて、そんな人は駅に間に合っても春には間に合わないんだよ」

実際人生において本当に間に合うべきものは多くの場合それに間に合わないとと言って私たちがあくせくしている/させられている事柄ではない。「ナミさんの病気を治してからアラバスタへ、それがこの船の最高速度でしょう!?」――ネフェルタリ・ビビ。

【ソ連アニメ】この世界のすべてのものが

ソ連アニメ『この世界のすべてのものが』(Про всех на свете、1984)。なんかソビエトアニメっぽくない、バタくさいタッチ。ソビエトアニメの中にはおよそバカバカしい意味も何にもないようなものもままあるが、これは教訓もの。「道徳」の時間あるいは「生物」の時間で教材にさえ使えそうな。どんな話かというと、猫が大嫌いな犬が「この世から猫なんか消えてしまえ!」と願うと猫が消える。この世からすべての猫が。すると花が涸れるのだ。「なんで猫が消えると花が涸れてしまったんだろう?」それはね、猫がいないと鼠が増える、鼠が増えると蜂が減る、蜂が減ると……「そうかぁ、この世界のすべてのものは<必要>なんだね。」

【ソ連アニメ】シンデレラ

ソ連アニメ『シンデレラ』(Золушка)。ソビエトアニメの中にはこのように皆知ってる世界的古典児童文学をアニメ化したものもままある。だが通例は換骨奪胎で、有名な『ブレーメンの音楽隊』も先週のYouTubeレビューで取り上げた『長靴を履いたイヌ』(←デュマ『三銃士』)も原作に相当な創意を加えて、ほとんど別モノに仕立てている。

そこいくとこのソ連版シンデレラは、皆知ってるペロー版まさにそのまま。まま娘(先妻の子)が家庭内の地位が低くほとんど下働きみたいなことになっている、ところで結婚適齢期の王子様が花嫁選びのために舞踏会を開くという、腹違いのお姉さんたちは嬉々として出かけていくが……カボチャの馬車……12時の鐘……ガラスの靴片一方……この靴がぴたり足に合う者をきさきとする……きーっ、シンデレラのくせにぃ!

このシンデレラストーリーそのままなので、ロシア語知らない人でも十分見れる。そもそも台詞はほとんどなくて、あれば歌である。その歌もまたいい。何よりアニメーションがすばらしい。ソ連アニメあなどらないでねの標本になる作品。

【ソ連映画】みんなに教える内緒の話

ソ連の子供向け実写映画『みんなに教える内緒の話』(По секрету всему свету. Все серии、1976)。実にどってことない、子供たちの間で喧嘩したり、廃自転車バラして部品集めて新たに一台自転車組み上げたり、調子のいいおばさんにどこそこ連れていくと約束されて楽しみにしてたのに当日連絡もなく来なくてすごいガッカリして泣いちゃったり、実に他愛のないエピソード集。だがキラキラしてる。ソ連のベルエポック感ハンパない。総じて、今やってるこのソ連時代の音声/映像作品集中鑑賞では、ソ連の善・陽・光の部面の印象があまりに強い。今のロシアと周辺国(ウクライナ含め)の人たちのソ連時代への郷愁が分かる。郷愁の「色」(いわゆるセピア色)を目の当たり見ている。この反面に暗黒も同時進行していた、この光を享受していた人たちばかりではなかった、ということは服膺しつつ。

【ソ連ドラマ】会合場所変更不可

’79年の伝説的刑事ドラマ『会合場所変更不可』(Место встречи изменить нельзя)。会合場所~というのは即興の愚訳で、本当はどう訳すのか知らない。カッコいい定訳があるのだろうか。

前回のYouTubeレビューでも取り上げたが、このほど最終回(第5回)まで見切った。いやー、すごいよね。シャラーポフのカメレオンぶりが凄まじすぎる。シャラーポフのことを「こいつはやはりмусор(マッポ)に違いない」と内心確信し「だからこそ盾に使える」と密かにもくろんでいるマフィアのボス(Джигарханян!)と、死に筋だと半ば観念しながらも飽くまで潜入捜査員ではない単なる金目当てのゴロツキであるというテイで通すシャラーポフの、この薄氷感。これほど長く緊張を持続させるとは監督サン人が悪い!何よりそれを可能にした俳優たちの演技がすばらしいのだが。そして緊張が長く続いたからこそ、シャラーポフの身の安全が保証された(あの鉄扉にかくまわれた)瞬間の、あの安堵感!(この俺に安堵を「安ど」と書かせるなど二度と提案するんじゃない馬鹿IME)

ジェグロフの存在が宙ぶらりんで終わったという印象があったが、違う、今回見返して、あれでよかったのだと思う。シャラーポフの中で、ジェグロフの物語は終わったのだ。これからは全く別の、光ある、愛と平和の物語が始まる。その暗示が例のあの鉄扉であり、そこに例の肖像写真を貼ったのが他ならぬジェグロフであったという事実だ。

まず、鉄扉にシャラーポフ意中の女性の肖像を貼るというジェグロフのその創意そして思いやりの深さ繊細さを思うと泣ける。事前の取り決めも何もないなかで、この中は安全だ、この中には憩いがある、そしてこれは他ならぬ俺ジェグロフからのメッセージだ、と確実に悟らせるための、考え抜かれた方法。シャラーポフの人格と心情への限りなく深い洞察があってはじめて可能なわざだ(ならびにシャラーポフならこのメッセージに確実に気づき・読み解く筈だという、盟友の判断力観察力行動力への信頼の表れでもある)。ただの剛腕、鬼畜、悪魔でなどあるものか。「人間」であり、人間を知っていればこそこんなことができる。

しかしその後のさらなる展開で、やはりジェグロフは外面の行為においては飽くまで冷酷冷厳であることを証した。逃亡者を問答無用で射殺。いや全く正当なことではある。むしろ、これを肯んじることができないシャラーポフこそ、やはりこの過酷な闘争から降りるべきなのだ。

私はこの黒猫の一件をシオに、シャラーポフは引退すると思う。過酷な戦場から服役直後の組織犯罪対策室内特攻、こんな戦い続きの人生を降りて、愛する女性と新しき命と、平和の道を歩んでいく。時代そのものも、戦争および戦後が超克され、これからいよいよ明るい平和な時代が到来する。それこそが暗示されてると思う。

だからジェグロフとの一種の世代間相克は「宙ぶらりんで終わった」というより、「決着を見ないまま解消された」のだ。ジェグロフはあの鉄扉をくぐらせることで、自らのくびきからシャラーポフを逃がした、別のレーンへと盟友を乗せた。お前は光の道を歩めと。

何丘
何丘

と、俺は見たんだけど

あなたどう思う?

妻

私はシャラーポフ引退すると思わない

全然してほしくない

シャラーポフは戦い続けてほしい

【中田】福田萌のもえチャン|回転寿司スシロー

中田敦彦が好きで、本人のメイン及びサブはもちろん、中田の妻である福田萌、中田の相方である藤森慎吾まで見ている。今回は中田敦彦・福田萌の夫妻がシンガポールのスシローに行くという話。中田がふつーに酒飲んでてオイ!と思った。

中田といえばいまだに16時間断食(ファスティング)を行いヴィーガン・サステナビリティ・カールフォンリンネで主食はナッツだと思い込んでいた。得意の朝令暮改いつ発動したんだ。

まーいいけど。私は中田の影響をモロに受けて16時間断食はまんま自分の生活に採用した。かれこれ半年、晩飯を19時半に食べて、つぎ翌13時半まで何も食べない。でも中田が断酒宣言したとき、それはさすがに俺は無理だなぁと思って、これは華麗にスルーした。

スルーしておいてよかった。やっぱ無理なんだよ、酒飲めるやつ(好きな奴)が酒を断つのは、こればっかりは。16時間食べないことはわりとカジュアルに可能でも、酒はむり、いわゆる「酒は避けられない」。

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