日記(8/3~8/9)

自分について知る

ブログの裏話とか、オデッサ(ウクライナ)での生活とか、妻(ロシア人)との交合体位報告とか、息子(一歳)の発育報告とか、私(何丘)の終わっている日々とか、そういうのを毎日語る。

※「チコ’s diary」ではありません。何丘日記です。「サムネは常に真実を語っている」と思ったら間違いです。

8月9日(日)

この「日記」の記事は全然読まれないなあ。誰も私に興味がないのだろうか。
おかしい。チャンネル登録者100万人など秒で達成すると思ったのに……。
本日もなんとなく怠けてしまった。やばいね。昨日と同じように、これまでの人生を振り返っていた。ら楽しくて、止められなかった。何言ってるかわかりますか。この33歳の何丘という終わっている男は、終わっているに事欠いて(?)、二日も三日も「自分の人生を回想する」ことに費やして、それでブログもツイットーもサボったのだ。「これでなんとかこの終わってる人生を挽回してやるぅ!」と意気込んでいたブログを。
もう明日は回想の魔に憑りつかれませんように。
回想から得られた重大な結論は、①私は終わっている、ということ。半生を緻密(「緻密」の変換候補に「ち密」とあるのは、これは何だ!?「ち密」てどういう言葉なんだ、「処方せん」式の、常用外漢字を平仮名にするという天下の愚策がこんなところにも及んでいるのか!?冗談じゃない、「ち密」なんて日本語は存在しない!!)に振り返ってみて改めて、俺、終わってんなあと確認できた。終わってる終わってるいうが、「終わっている」何丘というこの形容詞は到底飾りではない。が、このブログ上でも、きちんとそのことは表現できていないと思う。ともすれば、「オイ、終わっているとはいうけど、お前なに、ロシア語できるんじゃんか。ロシア人と結婚してんじゃんか。それじゃお前終わっているとは言えませんよ」と言われそうだなと私じしん思う瞬間がある。「オイ、お前、文章じょうずだな。……お前の文章、おもしろいよ。終わってないな。お前、言うほど終わってないよ、見上げてごらん、希望の光が見えてるよ。」そう言われそうだな、と思う瞬間がある。(幸せな野郎だ)
回想から得られたもうひとつ重大な結論は②妻を愛し抜かねばならぬ。ということだ。とにもかくにも唯一残された……いや、この人生で唯一私に得られたよきものが妻だ。この妻を得たことだけは悔いることができない。この妻を得たことひとつが私がこの失敗人生をそれでも肯定しえる根拠である。
▼ブドウにネットをかぶせるのを結構手伝った。義父のワインを一番飲むのが私なので。果物ぎらいの私がろくに食べもしない林檎だの梨だの桃だのはとにかく、ブドウだけは手伝う義務が私にある。
▼卓球は、vs妻が1勝1敗、vs義父が2勝。なんか音楽流したいといつも思うのだが、何をかけてもなんか合わない。本日はエゴラッピンとキリンジ試してダメだった。

8月8日(土)

なんだろうな、私は。一体どういう奴なんでしょう、何丘という男は。
今日、別に何があったわけでもない。ただ何となく、ブログを全く触らず、ついっとーを全く触らなかった。
ただ日記を書いていた。日記っていうか、自分の半生の自伝みたいなものを書いていた。16歳から33歳の今日まで、つまり、自分の33年という人生を二つに割って、16歳までの前半生と16歳から33歳までの後半生に分け、前者はいったん捨象して、後者だけを入念に検討した、どこでどう間違えたか、等。
それで何か賢くなったか。教訓でも引き出したか。……否。ただ振り返って楽しかった。それなりに充実した。
だから今日は私は2020年の今日を生きたという感じがしない。2004年から2008年くらいまでの私を生きていた。甘い追想。
現実逃避というやつだ。
▼夕方、卓球、vs妻、1戦1勝。つづいてvs義父、3戦3勝。
▼晩飯後、клаберы。まぁ、トランプでする麻雀だと思ってください。「私と妻」vs「義父と義母」。「私と妻」の圧勝。
▼果樹園のブドウがいよいよ。防護ネットの設置(鳥についばまれないよう)を手伝った。

8月7日(金)

「何もしなかった。ぼーと過ごした。ついっとーもブログもやらなかった。
「ついっとー」という言い方が私と妻の間で定着しつつある。
▼妻と卓球。かなり高次元まで進化してしまった、二戦二敗。とくに妻が強くなりすぎている。まぐれ敗けでなく明らかに実力で劣っている。
▼義父母が合流。久しぶりに豪華な食卓となる(義母が腕によりをかけたロシア料理)。ロシア料理とはいうが、豚の角煮と焼き芋、というふうにも呼べる。それを何で受けるかといえばそこはやはりワインなのだけども。義父のね。
▼非常に暑い日であった。最高気温37度。いま深夜1時だが熱帯夜ぽい。暑いと水道の水の出が細くなる。村でひとつの水甕の水を分け合っているのだが、暑いと村の皆が畑のために水を使うので、各戸にいきわたる水の量が減るのだ。という話だ。これは妻の説。しかし気温と水の出には明らかに相関関係がある。
▼Twitter見ると(今日は見てないのだが。昨日までのTwitter体験によると)皆コロナのことを語っている。悪いけど、興味ないんだ。コロナなんか全くどうでもいい。芸能人の結婚離婚浮気くらいどうでもいい、興味がない、私に何の関係もない、仮に私がそれに罹患したとしても、年間一二度ある「体調を崩して数日ダウンしてました」ということになるだけの話だろう。と思っている。下らぬ取るに足らぬことで皆騒いでいる(ばかじゃないのか)という感想を私が持っている、ということではない。価値判断はしない。ただただ興味がない。余りに自分に関係がない(と自分で思っている)事柄については、その事柄の内部でいかな爆発的な事象が起きようと、人は眉一つ動かさないであろう。その爆発が生起している土台、時空、そのものに関心がないのだから。こんな私がTwitterに出ていって時局について何が言えますか。
▼私が今日本にいないということは幸運なことかもしれない。おびただしい不快を回避しえているのかもしれない。味噌汁とカレーと天ぷらを食えないことと引き換えに。
▼いま私は「リベンジ夜更かし」をしている、ということですか。昼間ぐうたらした人が夜寝るべきような時間になってからやおら克己心をおこして生産的なことをしだす、でもそれは見せかけというか主観的な「生産的」であって、実際にはもう寝るべきような時間に起きているので脳はよく働いていない。そしてその偽りの「生産的」によって睡眠時間が削られ翌日果たして非生産的に過ごす仕儀に至る、いわば人間生理からリベンジされるのである、と。この「リベンジ夜更かし」という言葉は私が一昨日フォローしたついっとーの人のつぶやきなのだ。あるいはその人がリツイートした他人のつぶやきなのだ。<「リベンジ夜更かし」しちゃってませんか?>云々。これに大量のいいねとかリツイートがつく。どんどんついっとーの世界を転がっていく、拡散していく。皆こういうのが好きなのだ。「リベンジ夜更かし」とはよく言った!あるある、自分もそれしちゃってるぅ!気をつけなきゃぁ!てか。私は下らないと思うよ。リベンジ夜更かしという名前が嫌いだよ。そのようにあえて名前をつけることで問題が可視化されて人の行動変容を促しますか。嫌いです。そのような促しが嫌いです。そのような可視化はおせっかいです。誰かには役に立つのかも知れませんが私には不要です。私の日本語の世界に勝手にきて着席しないでください。私の聖なる語彙の末席を勝手に占めないでください。村上春樹は「語彙を増やさないよう努力している」そうだ。たしかにこのようなゴミ語が入ってくることは私の語彙にとってケガレである。(しかし多くの人はこの語を歓呼したのだ。いいねがつくとはそういうことだ)(このような私がどうしてついっとーの世界で楽しく泳げる?)

8月6日(木)

昨日の日記(今朝書いたものだけど)にも書いたが、昨日わたしは一日Twitterに張り付いて、他人のツイートを見ていた、絡んでもみた、うち8割が無視され2割につきリアクションがあった。
ついったー。そこではついったらーたちが意気軒昂わがものがおに言論表現創作活動を行っていて、ある人は政権批判を行い、ある人はコロナについて「健全な理性に基づく誤謬の是正・正しい情報発信」を行い、ある人は美しい写真を掲げ、ある人は面白い動画を載せ、
それを見ていて私、凹んでしまった。「この人たちが(私と違って)いいねをつけられ・リツイートされ・フォローされているのは当然だ!私とダンチで面白いもの!なんというかちゃんとしてるもの、表現として!」
そう卑小を感じて、ふてくされてしまった。このブログのこともやんなってしまっていた。
しかし、持ち直そう。心を立て直す。私の主戦場はあくまでこのブログだ。私について言えば、ブログとTwitterなら圧倒的に前者が主で後者が従だ。そこ見誤るな。
ブログに人を呼ぶためにTwitterをやっているのだ。Twitter見て、その隆盛殷賑から自分が決定的に取り残されているのを悟って、まぁ少々凹む、それはいい、しかしそれでこのブログやる気まで沮喪するのは本末転倒だ。
私は将来的に金を儲けるために(広告等で)このブログをやっている。そのためにはなるほど客が必要だ。つまり訪問者、閲覧者が。そのテコ入れのためにTwitterもやる。たしかに頑張らなければならない。
だが一方で、私は書くのが好きだ。だからブログをやっている。色々書きたいことがある。なら書けよ。
たとえば私のブログで今一番読まれている「今週見ておもろかったYouTube動画13選」てやつ、この中で私はアリョーナというYouTuber(ロシア人、美女)を割とコキ下ろしている。
もし私がこのアリョーナのTwitterをフォローしていたら、アリョーナがこきおろされているような記事を宣伝できるだろうか?「何丘ブログ更新しました!今週のYouTube10選です!」とかいって、その中でアリョーナがこきおろされている。そういう宣伝を私はできるか?
もちろんできない。それでもアリョーナはフォロワーが多いからつながっていたい。ではどうするか。「記事の中でアリョーナをこきおろすのをやめる」。
いや、だからそれが本末転倒だというのだ。「こきおろす」てさっきから人聞きが悪いが、当該動画はしっかり視聴して浅薄だと思ったから浅薄だと言った。その浅薄さが印象的で、それが私がある記事を書く発条になったので、だから取り上げた。
▼突然この話題がいやになった。話頭を転じる。
▼人の悪口など言うべきではない。ものいうて唇寒し。同じ記事でエレカシ宮本を悪く言ってるがこれは流行りの誹謗中傷にあたるだろうか。ミヤジという呼称から私が古いファンで古いエレカシが好きな一種の類型的保守頑迷固陋であることは一応わかるようになっていると思うのだが。なまじ私の記事としてはよく読まれているものなので(33view)責任を感じる。エレカシについてはそのうち記事を書かねばならぬ。
▼本日具合が悪くなり数時間横臥した。例の「世界が回る」だ(先週の日記参照)。インターバルが短すぎる。死ぬのか?「いいのかい、何てさ。死ぬのかい、オレは」
▼翻訳のバイトが入った。3時間くらいがんばって1万4000円。おもしろい題材、こんな仕事ならいくつでもやりますよ。
▼横臥とそのバイトでほぼ一日が終っちまった。妻との卓球は2戦2勝。接戦である、低レベルなりに実力伯仲で面白い。
▼食事は、朝は私はソーセージとトマト(庭の)を炒めて炒り卵と。昼はスパゲティボロネーゼ。夜は例によって手抜き、肉塊とチーズとトマトを切って黒パンと食べつつポテチ。義父の赤ワインと。
▼今日は具合が悪くなって死ぬのかなーとか思ったのもあってTwitterはお休み。明日またブログにTwitterにがんばろう。なんかまだ頭が本調子でないので、すごくがんばろうとは言わない。ほのめいてがんばろう。

8月5日(水)

これ書いてるのは6日の朝である。
昨晩は日記を書く気にならずボイコットした。寝落ちしたわけではない、脳力は充溢していた、でも「馬鹿野郎、日記なんか書くかこの野郎」と言ってわざと書かないでやった。ポテチを食べ麦酒を飲み寝転んで漫画を読んで2時半に寝た。「終わってる」?あれ知らなかったんですか?終わってるという自己診断からそもこのブログは出発したんですよ?
なんで日記書かなんでやったかというと、どうせ書いても誰も読まない、とふてくされた気持ちだったから。でも今見たら、6日になってこの日記が3回閲覧されていて、一応覗いてくれる人いるんや。申し訳なく思う。
なんで「どうせ何書いたって誰にも読まれないよ」と思ったかというと、昨日は一日(昨日「も」か)Twitterにへばりついていまして。皆ちゃんと面白いこと呟いていて、フォロワーとかいて、自分だけがみそっかす、自分だけ低クオリティ、一人のファンもいない、そういうこう自己否定感情に落ち込んで自棄になっていた。
なんでTwitter見まくっていたかというと。全部このブログのためなのだ。当ブログは訪問者が日本一少ない。一日宛て5人くらいしか訪れていない。だがTwitterのフォロワーが100人になればこれが全然違ってくるかと思った。仮説と検証なんて立派なもんじゃない。「PDCA」?わたくしは大学でロシア文学を専攻したようなノンポリノンビジノンテク30代男ですぞ?なんとなーく聞きかじりの知識をもとに「Twitterを攻略すればブログの訪問数が伸びる」と予想し、うなぎをつかむような話だが、「まずは100人フォローする」と志し、昨日実践し(ようとし)た。100人フォローしてそのうち2割がフォロバしてくれる、という目算。
しかし……Twitterで100人をフォローする、というのは、やってみると大変に手間のかかることであった。手あたり次第にアカウントを覗いて、まずはそのアカウントを研究しないといけない。フォロバしてくれそうか。私のブログの内容と親和性があるか。タイムライン(使い慣れない言葉を使うのは緊張するぜ)をそうさな100件くらいさかのぼる。んで「脈なし」と思われたら離脱する。「脈……ありか?」と思われたら、フォローし、手近なツイート(最近の)にコメントする形で「フォローしました!当方、何者です!これこれの理由により御(おん)アカ面白そうだと思いフォローさせていただいております!」と(そうするものだということだから)律儀に挨拶して、(またそうしたほうがフォローバックされる確率が高いと思い)、そんで稀には会話が成立する。つまり私の返信に対して向こうさんも返信してくれる。私がまたそれに返信する。しかし5人に一人だ。
結果、昨日、10人をフォローした。
一日へばりついて10人だった。目標の「100」には全然届かなかった。フラストレーションのたまる作業であった。最後のほうなどかなり適当に「ええい何でもいいや数だ数!」つって拙速に事を行った。なんだかだ無言フォローも多い。フォロワー数とフォロー数で前者の方がケタがひとつふたつ多いような人には私のような無名人の挨拶などうざいだけであろうと思い、すみませんねと胸に呟いて無言フォロー。実際昨日見たアカウントはほとんど「脈なし」であった。著名人は一人もフォローしていない。せいぜい石川一洋NHK解説委員、やまももちゃんレベル。津田大介とか茂木健一郎とか覗いてみた。ホエリモンとかひろゆきも見てみた。あと内田樹とかリベラル論客。金ばら撒きという驚くべきことやっている前澤なんとか。絵師。なんかしらんが面白いこと呟きまくるバズ屋の方々。だめだ、こんな人フォローしてどうするのだ。この人の歩く道の片隅に私のようなジャリ石一つ置いてみたところで……
てか、こうした内容を、記事に仕立ててしまえばいいじゃないか。「Twitterフォロワー100人への道」とか言って。(そうだそうしよう)
▼あとはそうさな、昨日という日はどんな日だったか。例によって夕方8時くらいから二階で妻と卓球。三戦して二勝一敗。素人なりにもう長いことこうしてやっているので私も妻もいつか結構なレベルに達してしまっている観がある。温泉卓球なら中学んとき卓球部でしたって奴以外にはほぼ勝つであろう。高速ラリーが数往復したときなど「どういうレベルなんだ俺たちは!」と自ら突っ込んでしまう。「習ったわけでもないのにこんなに強いのおかしいだろう!」と。
こうして卓球を楽しめるのもベビー(一歳児)が少々成長して割と一人で遊ばせておけるからである。一緒に二階に上がってそこらで遊ばせておくのだが、まぁブロックなどでお利巧に遊んでいて可愛い。ぺたんとお座りして一人で大人しくいっしょけんめ遊んでいる子供ほど可愛いものは無し。と書いているこの今も居間で一人で豚の人形で遊んでいる。助かる。
飯は、朝例によってлавашки、昼はジャガイモをガルニーラに、義母先週末作り置きの肉(写真とってTweetした)。晩は、先週土曜に市場で買った冷凍のскумбрияこれは……サバ? 鯖を解凍して玉葱ピーマンと一緒にアルミホイルに包んでオーヴンで焼いたもの、これを白米と食べた、まぁ和洋折衷な感じ。ビールと頂いた。安定のЛьвовское(светлое)。これが500ml瓶一本約60円と思うと笑う。ふははは。

8月4日(火)

一日Twitterにかかりきりになっていた。
Twitterのフォロワー数、このブログの閲覧数、どちらも全然満足できる水準にない。テコ入れしないといけない。何をどうしたらいいか分からない。とりあえずTwitterのフォロワー数を増やそう。知らんけど、誰かれ構わず絡みまくり、私のこと認識してもらって、こういうブログがあるんだなと認識してもらって、読んでもらって、ファンになってもらって、拡散してもらって、
Twitterなんか本当はやりたくないのだ。私の神聖な「なう」を何で見ず知らずの他人と共有しなくちゃならない。見ず知らずの他人じゃなくたって、たとえば(私には友人がいないのだが)友人が私にいたとして、その友人と「今どこどこなう」「今何してるなう」共有したいか?その欲望を想像できない。親・兄弟と共有したいか?全く。
TwitterやFacebookやInstagramは「承認欲求」を満たすものだという説。承認欲求、いつからか人が言い出した現代語、私にそんなものがあると認めたくない。私のリアルはわが妻との愛の日々だ。そして一歳児の日々の成長だ。あとは私自身の心の平安。多少の刺激。それ以外に何が要るか?
私は書くことが好きだ。そして将来のためにお金が必要だ。だからブログを始めた。なんとか収益化を達成したい。それに向けてブログを育てている。しかし閲覧数が全然伸びない。だから、ブロガーならまぁ悪いことは言わない宣伝の具としてTwitterをやっておけとイケハヤとかいう金持ち成功ブロガーが動画で言っていたから、それでTwitterを始めた。こんなん心底どうでもいいよと思いながら、私の日常にある、そしておそらく皆さまの日常には存在しないだろうような文物を写真に撮ってコメント添えて投稿した。誰もいいねをつけない。誰も私をフォローしない。
本日、一体いくつTweetしたのだろうか。いっぱいした。
ロシア界隈の人たち。ロシア、たとえばサンクトペテルブルク在住の商社マンとか、留学生とか、または大学でロシア語教えてるような人たち。私より全然ロシアの言語・文物に詳しい人たち。互いにつながっている。芋づる式にどこまでもずるずるずるずる引っ張り出せる。この一群の人たちに絡みまくった。返信したりリツイートしたりいいねしたり。私を認識せよ、私をフォローせよ。
ロシアは別に私のアイデンティティではない。なるほど私は大学でロシア文学をやった。ドストエフスキーで卒論を書いた。卒業後こんにちまでロシア語圏で都合6年暮らしている。何丘の妻はロシア人である。
だが別にロシアという国を好きではないし、ロシア語もできるっちゃできるがそれを使って是非何か仕事をしたいというほどの気もない。この私からロシア的なるものをごっそり根こそぎ除去するかわりに一億くれるというなら是非おなしゃす!ただし何丘エヴァと何丘太郎、すなわち我が妻と子は奪わないでくれるよな。
だから別にTwitterの世界でロシア好きロシア通ロシア在住者などとばかり繋がりたくもないのだ。何丘ブログで今いちばん読まれるコンテンツは「今週のYouTube」だ。つってもいって30viewなのだが。そういうロシアと関係ないことも全然やっていきたい。やっていたい。
なんかムシャクシャする日であった。Twitterの海を泳ぎ疲れた。そう、疲れる日であった。他人と関わること稀なる私、今日はヴァーチャルにもせよ人間たちと触れ合ったのだ。ひとつのTwitterアカウントをよく見てそれがどのような人間であるかを噛み分けて、彼にメッセージを送り、場合によっては返事をいただき、そういう対人活動を行って脳が疲弊した。
私ほどフォロワーの少ない人を一人も見なかった。私のフォロワーは今9人である。少なくて数十、多くて一万を超えていた。みな平気で千くらい持っていた。私が全然使いこなせていないテクノロジーをこの人たち平気で……。
そして私のように無様にハッシュタグとかつけないようなのだ。もう十分数の村人を抱えているので、その村人向けにオラークルを発していればそれで足りる。いわゆる承認欲求が。
私ももうハッシュタグをつけるのやめよう。ハッシュタグ意味ない。村人を増やすことに力を注ごう。明日は(また疲れるが)100人フォローしよう。そのうち2割がフォロバしてくれればたちまちフォロワー計30人だ。そんなこんなしてフォロワー100人目指そう。100人いれば私がブログ更新をTweetしても反応が全然違ってくる。と予想。何しろリツイートという機能はヤバい。
一日そればかりしていたものだから他に日記に書くこともない。朝は例によってлавашки昼はトマトパスタ……このトマトは庭のだ。パスタ自体は肉なしだが別添で義母が週末作り置きしてくれたотбивныеとкотлетки。このотбивныеとкотлеткиを「あとびぶぬいえ」「かとれとき」とあえて超日本語発音で呼ぶのが私(たち)の今の流行りだ。晩飯は聞いて驚けポテチであった。肉塊とチーズをスライスしてトマトも切って、あとポテチで、ホームパーティの軽食みたいな。作るの面倒なときはこういうこともする。作るのめんどいね、いっかポテチで。このノリを共有できている私たち夫婦は強い。そして義父のワインね。岐阜のワインじゃないよ。岐阜県でワインを製しているとは寡聞にして聞かない。「人間の搾り汁」という言葉を昼思いついたのだがそのような思いついた言葉までこの日記に書くことはないか。

8月3日(月)

「今週みてオモロかったYouTube13選」という記事を書いた。この種の記事は書いた後Twitterで芸能人の名前でハッシュタグつけまくって更新報告するのでパッと読まれる。初速がよい。即日19人に読まれた。私の記事としては記録だ。「YouTubeソムリエ」このまま名乗ったろかしらん。だがそれを仕事にして研究的にYouTube見るなど御免だ。これが好きこれが嫌いとハッキリ言いたい。嫌いなものはバッサリ斬って捨てたい。興味ないものはそもそも取り上げたくない。今の気ままなスタイルでやれないのであればこんなことそもそも続けても仕方がないのだ。
夜はフィギュアスケートについて書こうと思って少々頑張ってみたのだが多分これは無理だ、諦めることにする。ネタは何かというと、先月末の新聞ダネで、「コストルナヤがトゥトゥベリッゼのもとを去ってプリュシェンコんとこへ移籍した」とかいう話。トゥルソワの前車の轍を行ったのだ。トゥトゥベリッゼから才能の流出が止まらない。プリュシェンコによると「まだまだ来まっせ!本当のセンセーショナルはここからだ」。いや面白いテーマだとは思うのだが、なぜトゥトゥベリッゼは嫌われるのか、なぜ駆け込み寺がプリュシェンコなのか、深掘りすんのが正直めんどい。まぁ大方こうじゃないのという予想はある。大学でもサッカー続けようとサッカー部に入ったが練習がキツく、ここまでやらなくてもなと退部、でもサッカーは続けたいものだからサッカーサークル入ることにした。あまりレベル低くてもつまらないから、いくつかあるサッカーサークルの中では一番レベルが高そうなところに入った。と、こういうことなんだろう。プリュシェンコんとこはアイスショーに強い。何しろ奥さんがプロモーターか何かだ。コロナ・パンデミックで次いつ大会があるか分からない、モチベーションも上がりませんよというときに、それでもトゥトゥベリッゼは猛練習を強いる。ここまでやんなくていいんじゃないの。てか、アイスショーとか出てみたいし。てか、プリュシェンコせんしゅ・・レジェンド・・あたし憧れてた・・。
みたいなストーリーはしかし想像の域を出んのである。やめたやめた、私が書かでも日本のメディアですでに十分報道されてるわ。
今日、うちの親とスカイプした。太郎を画面ごし見せた。熱狂する。会いたい会いたいという。すまないね。うちの親にとっても初孫なのに、妻方にいっぱなしで全然ふれあわせてあげられてない。
ちなみに晩ごはんは何食べた?と聞くと、サバの竜田揚げに、麻婆豆腐だという。うっく・・!食べたい・・!

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