日記④語れば語れるが語らない(1/29~31)

見たものについて語る

文章が下手なんです、ごめんなさい…<(_ _)>

練習に付き合ってください。うまくなりたいんです。

毎日2000字を目指して日記書きます!継続できるかナ~?汗

見守っていただけるとうれしいです…!

※前回つまり第2週目の日記はこちら⇒日記③それは明らかにハンスが悪いв этом явно виноват Ганс(1/18~24)

1月31日(日)

アイスバーンに納豆を叩きつけた。警官が見咎めて光を光らせながら駆け寄ってくるので言い訳しなきゃと思って咄嗟に「蛇が!」と言った。「だって蛇が!」と。

本日はバーベキューした。具材は……

今日は、朝が遅かった。妻が咳が出て寝苦しいのでネグリジェで年賀状を書く、といって寝室をふらーと出ていって、そのあとなんでも居間のソファにすとんと座って、それから4時間呆然と座っていたらしい。「寝落ちもしないで4時間ずーっと座ってたわぁ」と朝になって教えてくれた。

妻よ。

妻は咳が出るので寝苦しいということだった。私は知らずにあんのんと、寝室ですぴーすぴー寝ていた。妻の方は咳で私を起こしてはならぬと思って「あたいはさむらいの妻」といって居間に移動したのらしい。すると目に飛び込んできたのはソファにべったりついた私の血のりであったということだ。私の昨晩の経血。

この日記にも書いてるが昨晩私たちは千と千尋の神隠しを見た。そのあと私が謎の出血をして、ズボンをめちゃくちゃに汚してしまった。案の定そのズボンが触れていたソファも汚してしまったらしい。「血!」と千が坊に突きつけた、あの場面でだ。

美貌の少年、異貌の花嫁。狼面の恋人たち。

今日は晴れ間もあった。だが晴れている時間帯に外に出ず、十分曇ってから買い物に出かけた。私一人で。

晩方、「坊」が戻された。もとい<太郎>が。良かった、ヨカッタ。「ヨカッタ」。そのあと太郎と遊んで遊んで、妻はまだごほごほ言ってるが、どうにか私の家族は回復しそうである。おめでとう、ひらけ真実の扉。ひらけばよい!

1月30日(土)

さ、今25時30分。今から15分で2000字書く。
朝10時、<太郎>を迎えにバスが来た。<太郎>は乗って去っていった。
残された私と妻。妻は11時に<ゾーン>が始まった。
私は隣室でブログを書いていた。何って、<反復>を主題とする記事である。今日は主にそれを書いていた。明日公開できるであろう。
昼飯はボルシチの残りとチフチェリキ、つまり、肉団子を食べた。ペンネと。
相変わらず鼻水ずるずるなので茶をしきりに飲んでいた。今回の風邪は私からだ。私から妻と<太郎>にうつった。<太郎>は人生初の風邪である。ごめんね。ごめんね。
妻のことはあまり可哀想ではない。大人なので自分でどうともしなさい。ハナを自分でちーんできない<太郎>こそいいつらのかわ。
もといかわいそう。
りっぱにかわいそう。
<印象>も盛んにおこなった。<印象>とは所謂Twitterのことだ。コメントし合える人がいるというのは嬉しい。
天気はあまりよろしくない。気温が6℃くらいまで上がって、中途半端なのだ。昨日までに降り積もった雪が表面とけて芯は凍っていて、道はところによりシャーベット、ところによりべしゃべしゃぐちゃぐちゃ、ところによりツルンツルンに凍っている。剣呑だわ靴は汚れるわいいことない。おまけに屋根から(また枝から)ずるずるずるっと落雪がある。
それでも出かけた。そのように詳しく道の状態を知ってるということは出かけたのだ。妻とふたり、ちょっと海まで降りてすぐ上がってきた。歩きにくいことこの上ない。よろこび少なき散歩。ただ健康のための運動のための散歩。だが話には花が咲いた。妻の今後の仕事のこと、今の事業をどう広げていくか、妻のビジョンをきき、私のピジョンを放ち、妻のビジョンの庭に私のピジョンを放ち、1とうしょうがとれるまでがんばらせ。
私の風邪もしかしいい加減なおってもいいころだ。治った、とみなしてもさしつかえない感じだ。さちこ。さちこ。「いいちこ・いちご・さちこ」なぜ今中央図書館入ってすぐの「中央図書館模型」がフラッシュバックしたのだろう……?「いいちこ・いちご・さちこ」と唱えると中央図書館が思い出されるように過去の自分がプログラミングしていたのだろうか。左手が図書館で右手が私たち一般学生に用のない謎の空間になっている。
晩ごはんは魚のマリネを白飯に混ぜ込んだ。白ワイン。久しぶりの飲酒だ。今週は風邪なので酒は自重していた。本当は風邪のときこそ飲んだ方がいいのかもしれないが。自分の健康のこと食べるべき食事のこと寝るべき睡眠のこと何も知らない。栄養素とかもよくわかっていないのだ。年金のことも選挙のこともよくわかっていない。
おいしいものとお酒、しかも<太郎>はいない、となるとこれは祭だ。せっかく祭だから何か映画でも見ながら過ごそう。キスをしよう。打ち上げ花火を茄子の中へ。内部へ、茄子の内部に打ち上げ花火を。
そこで私たちが選んだのは「千と千尋の神隠し」である。
私はふつうにジブリ映画が好きだ。その点で私はあなたと何ら変わらない。あなたと、あとそこのあなたと、それからそうね君。そこのあなた。君らの間に私が入るよ。ちょっと失礼、並ぶね、はい、私、あなたたちみんなとおなーじ。
ジブリで何が一番好き?と聞かれると返事に窮す。九位が全身自動機械人メイ。では首位はと聞かれると、もじもじして発熱して困る。見悶えして発汗量が十倍増して困る。トトロかな?首位がトトロ。二位がとおる。徹(とおる)ね。三位が百合子。だが間違ってもそこに千と千尋は入ってこない。
「千と千尋」! これについては何から語ったらいいか分からない。千と千尋は私はリアルタイムで見た。つまり劇場で見た。私が劇場公開時に劇場で見た初めてのジブリ作品だったと思う。だから相当気合が入っていた。ジブリってそう2年に一発とかそういうスパンですぱんすぱん新作を打ち出すようなプロダクションじゃない。私にとっては、あのトトロの、あのラピュタの、ナウシカの、豚の、魔女宅の、耳すまの、そして極めつけに、もののけ姫のジブリであった。ジブリは私の中ではやレジェンドであった。作るそばから伝説になっていく全身伝説請負人ハヤオであった。そのジブリが、新作を出す。ということはそれはつまりとりもなおさず私の目の前でいまもうひとつ新たな伝説が生まれようとしているのだ!! 私と私の当時の相棒(ハ山セ吉)はもう色めき立って、おいどうするよオイ、千と千尋の神隠しだってよオイ、どういう作品なんだよ、何が起こるんだよ、伝説はじまっちゃうよオイ、おい、おい、おい!「オイ」「オイ」「オイ」だるま首三連人みたいに(作中の)オイオイ言っていた。
私と相棒のハ山セ吉は共同出資で(CD一枚買うのに資産合同が必要だった)イメージアルバムなるものを買った。映画が公開される前にそういうものが発売されることがあるのをご存知か?サントラとはまた違うのだ。サントラ(サウンドトラック)つうのは劇中で実際に使われる曲(主題歌だったりBGMだったり)を集めるものだろう。イメージアルバムというのは、どういうのかな、映画の公開に先立ち、その映画のふんいきを伝えるような曲を集めたのだ。ジブリだけか?そういうことやるの。(むしろこの映画に関してだけ?) そのアルバムに収められた曲は実際には劇中で鳴らない。あるいは、劇中で鳴る曲の別バージョンとか、劇中ではインストで流れる曲の歌付きだとか、そういうレアトラック集となっている。
私とハ山セ吉(当時の相棒)はこれを聴き込んでね。「千と千尋」楽しみ過ぎて、そのイメージアルバムいうのを聴いて聴いて、うわーこれ絶対名作やん・・。雰囲気めっさええやん・・。もううっとりしてしまって、期待値を限界の限界まで高めてしまった。

そうして劇場で本作を見て、地獄の底まで突き落とされた。

相棒(ハ山セ吉)の方はわりに気に入ったらしい。だが私は、私は、「こんなのジブリぢゃない。」といってぷるぷる震えていた。隣の私が鼻水垂らして涙も流してぶるぶる震えているのでハ山セ吉は「こいつ感極まって泣いてらあ」と思ったことだろう。違うのよ。私は激怒していたの。ゲ キ ド していたのよ。

メロスは激怒した。何丘は塞ぎ込んだ。これ以降のジブリ作品で私の気に入ったものは一つもない。ハウルの動く城とか、崖の上のポニョ(地獄)とか、あと何、風立ちぬですか、ひとつも評価しない。駿作以外のものは見てもいない(ゲド戦記とか)。つまり私は分かりやすくファンをやめたのだ。
その後の人生でも、「もののけ」以前のものは繰り返し見た。だが「千と千尋」およびそれ以降の作品は、劇場で(それでも劇場に足を運んだのよ)一度見てのち二度とリピートしていない。
だから昨日見た(やっと時制が戻ったよ)「千と千尋」は人生二度目だった。一方の妻の方は、ガイジンだてらに、人生四度目の千尋だという。妻はわりと好きなのだ。だから妻が「ほら、こことかいいじゃん」「ほら、きれいじゃん」「名作だよぉ!」と私を説得しながら見るというヘンな鑑賞になった。
私はわりと説得された。場面場面、きれいだなーとか、幻想的な風景だねーとか、思った。てか絵は基本的にずっときれいだった。逆にうわーここ嫌いだった、ここ嫌だった、と当時の嫌悪感を思い出したりする場面もあったが、まぁ概ね、良かった。おっと「良かった」はカタカナで言うことにしていたのだった、「ヨカッタ」。ハクが名前を思い出すところなんかちょっと感動してうるっときてしまった。スカイダイビングの場面ね。
イメージアルバムで聴き込んだ曲(の別バージョンか)がBGMで流れると「あーこの曲知ってるわ・・イメージアルバムにあったわ・・」と思い出して胸が痛んだ。
最後の歌、主題歌か、「いつも何度でも」。唐突に感じた。実はこの曲はめちゃくちゃ好きなのだ。なんだっけ、それこそイメージアルバムにも入ってたんだっけ。この曲はジブリ作品のあらゆる曲の中でも多分一番好き、どころか世界のあらゆる曲(この人生で耳に触れた)の中で一番くらいに好きなのだが、それが千ちひのごとき駄作(まだ言うか)の主題歌であるということがうまく頭の中で結びついていなかった、のだろうか、最後これが流れたとき「あっ・・」と思った。あ、そうか、この曲「千ちひ」だったのかと。勿体な、と。宝の持ち腐れ、と。
そうさな結局、好きにはならないと思う。総評としては、まぁ、光るものはあるが、傑作・名作とは、また快作とも、言えない。私は言わない。
評論めいたことを言うと、これやっぱ人間の自然破壊とりわけ河川汚染への批判が伏流テーマだ。インパクト抜群の「腐れ神」……おっと、
これ別個ブログの記事にしよう。Why not。ここで唐突に記述をやめる。続きは有料版で・・もとい「千と千尋の神隠し」を論ずと題する(仮題)記事にて。

1月29日(金)

1/29の日記をやり直す。
時系列的には、まず次の章(同じく「1月29日(金)」と題する章)が書かれた。そのあとで、これで「日記」はあんまりだろうと、この章を新たに書き出した。

8時に起きた。<太郎>が覚醒あそばしたので。<太郎>が早起きしたのは理由がある。前の晩早く寝たのだ?いや、前の晩は尋常の時間(10時半)に寝た。むしろ遅めなくらいだ。むしろ昼寝である。昨日<太郎>は2時間昼寝した。ふつう40分のところ。私たちがあえてそうさせたのだ。<太郎>は人生初の風邪を召しているから。
まとめる:
<太郎>は昨日、昼寝を二時間した。夜は10時40分に寝た。それで今朝8時に起きた。もう寝かしつけるのが不可能なほどの完全覚醒だった。仕方なく私は起きた。妻は寝かせておいた。妻は8時40分くらいに起きてきた。
つまり<太郎>が8時、私も8時、妻は8時40分に起きた。
私は妻が起きるまでの40分間眠くて眠くて仕方なく、というのはなぜかと言うとまた前日に話はさかのぼるのだが、私はぽかーんとしていて1時過ぎに寝てしまった。とはいえ、それ自体はよくある。1時から8時まで寝れば十分じゃないかという説もあろう。だが私は眠くて眠くて仕方なかった。なんでだろうな。風邪をひいていることと関係があるのではないかと疑っている。
それで8時40分に起きてきた妻に8時に起きた私が「すみませんが眠くて眠くて仕方ないので少し倒れてきていいですか」と問うた。妻も私が風邪をひいていることはもちろん知っているので、それにしても長い(月曜日からずっとこの調子……熱があるでもなく、ただずるずると鼻水を出してそして「ぼーっとしている」……)とは思っているだろうが、その通りさせてくれた。私は寝室のドアを閉めて「きゅう。」と言って死んだ。妻は子供に食事を与えてそうして自らをも食餌した。
長い時間が経った。ガタリが立って語った。座った。ガタリが立って便所に行った。帰ってきた。帰ってきた、ガタリが帰ってきた!
9時51分に私は起きた。妻「悪いけど、夫よ、何丘よ、起きて!私もうすぐ<ゾーン>だから!」そうであった言っていた今日は10時からゾーンであった!「はいぃいはいあい!起きます!」私はガバリ起きた。熟睡していたのだ。寝足りたのだろうか、それはこれから起きて生きて活動してみて分からなければならないことだ。
まとめると:
私は8時に起きた。8時40分までうとうと<太郎>に付き合っていて、妻が起きてくるなり入れ替わりに寝室に入った。8時45分から(としよう)、9時51分まで寝た。そう急角度で深いところまでストーンと落ちていけるものだろうか。だが事実、私は、かなり深いところまで眠った。かなり深いところにしか落ちていないはずのストーンを握りしめて浮上してきたから。妻見て「あれれっかなり深いところの石!そんな深く潜ってたの?」

寝て起きた、何時に起きた、誰が何時に起きた、という話だけでもう1200字書いてしまっている。なんということだ。ペース配分がクソ。仕方ない、残り800字で今日の残りを描破するぞ。

わりと天気が良かった。散歩に出た。今週初めての散歩だ。出不精ならぬなんというの、居不精の私が、つまり家にじっとしてられない外出たがりの私が、月火水と一歩も家を出なかった。風邪ひいてたのとあと、雨だったり吹雪だったり道が悪そうだったりしたので。木曜日さすがに馬鹿野郎、ゴミも溜まってきたしゴミ出しに行くぞこの野郎、といって、ここで注釈が必要だが、日本とウクライナではゴミの出し方が異なりますねん。異なり、ますねん。

日本:決められた曜日に決められた場所に決められた種類のゴミを出す
ウクライナ:いつでもどんな種類のゴミでもどこにでも捨てていい

「どこにでも」は少々言い過ぎた。道歩いてるとぽつぽつバカでかいゴミ箱がある。基本的にその周辺に住んでる人の家庭ごみのためのゴミ箱だが、別に通りすがりの人が適当に捨ててってもいい。そういうゴミ箱のうち自分ちから一番近いのを各人勝手にうちはこのゴミ箱と決めて捨てたいときに捨てに行くのである。分別は一切しない(ごくまれにペットボトル専用のゴミ箱もある)。

んで木曜日に両手にゴミ袋を抱えてゴミ捨てに行った。ゴミ捨てた。よかった。ぽーっとした。ヒトデの死体を手袋替わりに両手に嵌めてる人とすれ違った。「オイ」と思わず声をかけてしまった。「ああん」振り返ったその男の目は、明らかに、魚眼だった。

整理すると、
私は今週風邪をひいており、月火水は家から一歩も出なかった。
木曜日、ゴミを出しに行った。
そして金曜日、今日である。今日は相変わらずはだみずは出るのであるがもう風邪でもないだろうお前、それはただの鼻水だよ、ですぎる鼻水だただの、とて散歩に出かけた。海に降りて、ポチョンゲを踊って、右筋から左かなめに切り通して、自刎しつつかごみをはねかした。「これって常設ですか?」と問うと「ああん?」と答えが返って(また魚眼だとやだな)と思ったがさすがに反復しなかった。ん反復?

そうだ反復だ!!と閃きが走った。というわけで次、「反復」を主題とする記事を書きます。

1月29日(金)

また週末か。普通人なら「また月曜か」といって仕事行くのだろうが私は左右が反転していて明暗が反転していて自分と他人が反転している世界に生きているので「また週末か」と言う。
ここではイタリアはタンザニアである。なぜなら左右が反転しているから。
ここでは月曜日は週末である。なぜなら自分が他人だから。
ここでは場所が時点である。なぜなら明暗が反転しているから。
「おおおおお!!!!」すみません突然叫びましたが意味はありません。意味はこもっていません。また感情も全くこもっていません。「また週末か。」呟きました。週末です・・週末です・・!
今週は何もしなかった。
週に一本「日記」と題する記事をブログ上に立てる、という新年の誓いを破ってしまった。この「日記④」という記事は本当は1/25(月)に立てられなければならなかったのである。それが今日はどうだい。もう1/29(金)だ、もう週末だ。だが「今から何が可能か」、遅れてもやらないよりはマシ(メリオ・タルディ・ケ・マイ)ということで、今からやる。今からがんばる。今からすべてのことをする。なぜなら私に可能なすべてのことは今からのみ可能だからだ。同語反復してるように聞こえますか、道後温泉つかりながら? 違うんだが。どうもうまく言えない。「私にまだ可能なことがあるとしたらそのすべては今からしか可能ではない」分かりますか?伝わりますか?聞こえてますか?寝てますか?
つまり「今」てありますやん。今より前のときにさかのぼって何かをすることは絶対にできない。絶対に無理。なぜならそれが「絶対に無理」であることが時間という言葉の定義だから。えっ!?
時間(じ・かん)・・今より前にさかのぼって何かをすることが絶対に無理であること。】
「そんな定義は聞いたことない!」「信じないぞ薔薇漢!」「それより私という花に音楽というなの水を与えてくれ!」
▽今週は何もしなかった。
理由は3つある。と言った時点で一つも思いついてないのであるが。まぁ語りながら掘り当てよう。第一に、いやこれはあとで言おう、第三の理由から言おう。
第三に、私は風邪をひいていた。
第二に、私はやる気がなかった。先の第三の理由に関係があるかもしれない。
第一に、天気が悪かった。これも第二の理由に関係があるかもしれない。
▽だが、重要なのは、今から何をするか、であろう。今からやるしかないのだから。というこの「今からやるしかない」の「今」と「やる」のうち、力点は「今」の方にあるのだ。今から何もやらないこともできる。だがその「何もやらない」ことも「今」からしかできないのだ。
なぜなら今から何をやることもやらないことも、いずれ「今」からしか可能ではないのだから。(ぴえん、これもただの同語反復にしかなっていなそうだ・・。)
▽。日記。
▽96年フジテレビのドラマ「ロングバケーション」木村拓哉主演、を見ている。妻と。驚くことに妻(えーと、何丘の妻はガイジンです)のほうが一度これを見たことがある。私はなかった。妻にとっては8年ぶりの二周目。いま8話まで見た。みなみちゃんは瀬名んちを出ていった。瀬名は本当にぶんなぐりたくなる。このガキ。カメラマンは誠実な男だ。あんたよりよっぽど。カメラマンがバツイチそして子供がいることを黙ってたのは普通に人間的に理解可能な言いにくいこと言いだせなくて、また言ったら嫌われちゃうかと思ってまずは懐入ってからという最低限の(ごくありふれた)ずるがしこさであり弱さであり、いずれ人間的に全然理解可能なことだ。そしてちゃんと言ったじゃないか。その言ったタイミングは全然遅すぎない。そして自分からちゃんと言った。言う勇気を集めて言った。出張の前に「戻ったら話したい事ある」つって、出張中たぶんずっと考えてて(どう言おうか、とか)、帰って来るなり面と向かってこちらから切り出して言ったではないか。むしろ鑑だよ。俺は気に入ったよ。それをよぉ、おめぇ、このガキ、瀬名、いくらキムタクだからってよぉ。本当お前何様だよ、自分を何だと思ってんだよぉ。みなみちゃん怒っていいよ。殴っていいよ。出てって正解だよ。
でもみなみちゃんの出ていきっぷりは良かった。道を隔てての最後の会話。うん、みなみちゃん悪くない。いい。素敵。キムタクはクソ。滓。
もう圧倒的にみなみちゃんの愛らしさで持ってるドラマだ。あとは久保田利伸。いい歌よ。ばあいじゃないから、のとこのリズムの刻み方が好き。声ものびやか~。てかフィーチャリングNAOMIというそのNAOMIって誰、そして、この曲において何してる?女の声でなんかうしろでガヤガヤやってる、あれか?それがNAOMIの貢献分か?それでフィーチャリングとか言ってもらえるのか?(単にフィーチャリングって言いたかっただけか?)

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