日記(11/23~29)

自分について知る

日記はブログ「今から何が可能か」のメインコンテンツではない。

本来このブログには多彩な記事が踊る筈なのであるが眼高手低の何丘は書きたいと思っている記事をなかなか書き出さない。

それでも何とか毎日に近くブログが更新されていってほしいから、だから日記を綴っている。

11月28日(土)

転居から一週間が経った。今のところ生活は非常に楽しい。そしてこれからも益々楽しくなっていくと考える根拠がある。3つある。
第一に、願わしくは明日、遅くとも明後日に、アレが届く。「えっ・・、ついに、あれが?」そう、あれだ。無彩限のファントム・ワールド、もとい、ムサシボウル。て、何。疑問その一、無彩限のファントム・ワールドて何ですか?「むさ」からの予測変換なんですが。どこの世界の何の用語ですか?
疑問その二。「ムサシボウル」て何ですか?「むさしぼう」からの予測変換なんですが。ちょっと面白いんですが語感?
第二に、これも通販がらみなのだが、モスクワ生活と異なりオデッサライフは調味料が少ないー!とんかつソース手に入らんー!かつおぶし手に入らんー!と嘆いていたのだが、井の中の蛙の井底都市知らずというやつか、井戸の外出たいー出たいー言ってないで周りを見てごらん(馬鹿!下らん!やめだやめだ!)
第三に、えーと第三はなんだったかな。こうっと、忘れた。
私は今でも文学青年崩れのそういう感覚というか人間観としてドストエフスキーも読んだことないやつとは話ができん、本を千冊も読んでないような奴は人間ではない(ここでいう本は、「ビジネス書」とかいう薄い本の類ではないですよ)、という選民眼を今に伝え残しているのだろうか。えっ、ゲーテもダンテも読んだことないの?うそ?それで人間を自任しているの?恥ずかしっ・・。
ウソだな。それは嘘だ。私はそんな学生時代の感覚は今は全く捨て去りが完了している。十年かけて捨てた。もう糸一本燃え残っていない。
ところで、「日記」を綴ろうか。え。これ「日記」なのだろうが。本日も鬼のように散歩した。中原中也のように散歩した。嘘だ。それは全然まったくひどい虚飾だ。それでも時間だけ見ればそうさな、3時間くらいは歩いていたろう。うち2時間半は子供と歩いていた。子供に海を見せ、うーみーはーひろいーなー大きいな、を歌っていた。海辺に住むということがこんなに素敵なことだったとは。人生で初めていま海辺に暮らしている。バッハ。
海は毎日ちがう。今日は霧が出て、実は遠いのだが、有名なオデッサの灯台からのぐどく(ぐぢぇにえ?)がぼーとずっと聴こえていた。ここから灯台まではかなりある筈なのだが、こんなによく聴こえるものかと。まぁ秋冬のオデッサの名物である。去年はもっと灯台に近いところ(市の本当の中心)に住んでいたので、
(記述がつまらなくなると私は改行して話頭を転じる)
昼は妻が牛乳ソースのグラタン?のようなものを作った。夜は私ががんばって唐揚げを作った。はるあんちゃんレシピ。困った時ははるあんちゃんだ、実際お世話になっている。簡単なはるあんレシピをさらに簡略化する。すりおろした生姜と忍辱と醤油(あと本当は酒を加えるらしいのだが)に肉をつけこみ常温30分、でカタクリ粉をえいやっとまぶして(※全て目分量)(てか計量器具――あらゆる形態の――カップであれスプーンであれ――は我が家に存在しない)んで温度も適当な油でジュワッ揚げる。大丈夫。ふつうにおいしかった。
油はジャブジャブにして肉を泳がせるなんてことしない、なんてことだ・・・なんてことだ・・・←この「なんてことだ・・・」も「なんてこと」からの予測変換である。いったいどういう言説が世に行われているんだ?私は浦島太郎、もとい浦島党太郎か?
揚げ焼きである。
それで近場の地場産ワイン売り場で一本200円くらいのを3本買ってきて、私は赤、妻は白、という具合にそれぞれ色分けつぎ分けて乾杯チーン、ぶっはぁあああああ
唐揚げうめえ!
という話はともかく、昨日ついにギターの弦を張り替えた。あーもう張り替えてーと言いだして実に半年は経ったであろう。いま、ギターの音色、なんとも甘美……甘美……
今、わりと幸せなのであるはずだ。私は。
それを彩るためにこそ、何かoccupationを持とう。今から何が可能か。どうせそうくるだろうと思ったよ。ブログを書け、ということだ。

11月26日(木)

さて、今、朝の9時半。まだ一日をいかようにもデザインできる。
昨日まで100日、私はサボった。101日目の今日いきなり強く清く正しく生きだせる理由はない。だが without rhyme or reason 事実として今日いきなり強く生き出すのだ。私にはそれができる。私は心の翼を持っているから。もとい、私は呪文を持っているから、「今から何が可能か」という。なぁにがファラオ・デリュージョンだ馬鹿。のび太も言っていた。正確には「のび太の口の中でドラえもんが発語していた」。全くなぁにが私は心の翼を持っているだ。朝顔を洗う習慣がない。朝・歯を磨く習慣がない。そのことで義兄と義父が驚いていた。日本人は朝では何をしますか?と聞かれて「朝から血眼で頁岩探していますよ」。
朝早速ソシャゲAを触った。何やらイベントが始まっている模様だが当面無視しよう。デイリーは果たした。今日もう触らない。誓願:わたしはソシャゲAを今日もう触らない。今日というのはここでは26日の21時(ウクライナ時間)のことである。それ以降は触るかも知れない。「明日」のデイリーをこなすため。所要10分。
ソシャゲBは触っていない。昨晩「今日」のデイリーをこなしたので、今日(ここでいう今日は上に同じ、26日午後9時まで)はもう触らない。宣誓:ソシャゲBも今日のうちは触らない。
あと何であろう。実に多くのことを行わなければならない。皮切りは大便である。便意が兆している。面倒なことだが、便所まで赴いて、便座にあれし、onし、そして(実に面倒なことだ)丹田に力を込めてぶふふっ!と一発(もしくは数発)ひり出さなければならない。大儀!そうして(おお大儀!)紙巻きから紙を巻き取りおっとここでいう巻き取りというのはfoldでなくunfold、そしてミシン目三つ目でペーパーを切り(噛み切り)おけつにちょちょいっとやって、そうして便壺まできれいにしながら水洗を繰り返す。「自らに繰り返す」。瀬戸内寂聴、ファニーフェイス、勤行、切迫感。「笑い感」の勃起。そうして便壺をお鉢巡りした挙句にソップで手まで洗って(さらに極めて大儀なことに)閉めていた便所のドアを開けなければならない。挙句の果ては開けたそのドアをまた閉めねばならない。実に多くのことがなされねばならない。この目の前のコーヒーカップの珈琲も一応飲み干さねばならないし。そもそも寝巻を着替えなければならない。少なくとも2度の散歩が控えている。子供の気分の硬化(硬便化)を防じるためだ。午前中は海へ行く約束である。午後は駅の方へ行く。ぷりぼず、その近傍のてるつ。それ自体は楽しいことだ。行く前から今もうすでに楽しみである。ちなみに大便も楽しみにしている。実は何も大儀なことではない。なるほどやらなければならないことであるが、それがやらなければならないことであることは私にとってさいわいである。
そのように多くのことをなすのであるからブログ更新を怠ったとしても一応御寛恕いただきたいのである。「こんなに頑張っている人にさらに無理をしろとはちょっと言えない」そうであろうが。
さて、便所にでも赴くか。
▲便所で出すもの出してきた。ヨカッタ。というのは嘘だ。殺菌してくれ。私はヨーロッパ人ではない、皆さん、私を殺菌してくれ。
▲前回の日記の記事に書いたが、私は直近で次のような記事を書く予定である。
・食器洗いについて(制作中)
・Twitterフォロワー100人への道
・最近見ておもろかったYouTube
・何丘イワン真人間への道
・日本語における外来語のカタカナ表記について
・「ロシアについて思ふこと」
・ロシア人の人名について
・ロシア語における De と Te について
・ウクライナ統一地方選について
・ウクライナの紙幣および貨幣について
・ウクライナの観光名所について
・住まい探し in ウクライナ(オデッサ)
あとオデッサについて網羅的な記事も書きたい。書かねばならぬ。

11月25日(水)

今日も何もしなかった。
やりたいこと、またできる(可能な)こと、のイメージはあるのだが、ありありとこう思い描けてはいるのだが、実現しない。「これどうなてますかー?」
これどうなてますかーで思い出したのだが、今日ひとつ上の句を思いついた、それというのは「ときどきは/思い出してね/俺のこと」というものなのだが、それに下の句をどうつけたらいいものか考えてください、皆さん考えてください。といってTwitter上でコンテストをやろうかと思ったがいやいや、反応なんかあるわけない。見てくれの悪いへどろのさむらいが通りがかりに一瞥をくれるのみだ。そこで仕方ない自分で考えたのだが、次のようなのはどうだろう:3たす3かけ3は18。
ときどきは 思い出してね 俺のこと
  3たす3かけ 3は18
こういうとすぐ「3+3×3は18やのうてな、18やのうてな、12じゃ」とこう揚げ足を取る人が現れようが今朝は8時半に起きた。晩の酒が少し尾を引いているような感じがあった。でも混ぜ物のない自家製のワインだので微弱なぱふめりえ、じき抜けた。午前の散歩は私一人で担当した。駅の方へ出かけた。太郎を「高い高い」してどぅぶ(樫)の葉を触らせたら喜んでいた。昼はえーと私のオムライスか。私がロシア(ウクライナ)で手に入る食材で私というオーセンティックな日本人が現地食材だけでどうかこうか日本食らしいものをどう作る。という様子をユーチューブ動画にしたらどうであろう、わりとロシア人によく見られるのではないか。
午後の散歩は皆で。つまり、私こと真正日本人こと何丘イワン(外人)それからその妻・何丘エヴァ。そしてイワンとエヴァの珠の子・太郎。
今日は海の方へではなく勝利公園へ行った。歩いて25分くらい。大変いい公園だった。そこで妻と話したのだが、私はオデッサを最近よい街だなと思うのだが、それは私の基準が下がったのだということだ。
オデッサに移り住んで1年3か月(当てずっぽう)になるが、つまりこの秋は私の2度目のオデス秋なのであるが、第1回目のオデ秋のときは「おデッサの秋は紅葉とかあんまりきれいじゃないね。どうした?」と周囲の者に吹聴していたが、それは
全く馬鹿々々しい。下らん記述だ。
今日は3時間以上歩いていた。夜は大きいスーパーに米と牛乳とパン粉と子供用の水(6L)を買いに行った。それで葦がやや疲れている。足がね。
私はニートだが引き籠りではない。またニートではあるが、労働というものを軽蔑していない。自分のように健康な30代男性は働いていることが自然だと思う。その自然な状態に今いないことを恥ずかしく感じている。だが平気といえば平気である。妻の目を気にしなくていいなら一日ソシャゲしてYouTube見ているだろう。
どうしたらいいんだ。どうしたら変われる?どうしたら私は覚醒するんだ。この男は。
明日こそはブログを書きたい。書けるといいな。それが真人間への小さな更生の一歩ではないかと思っているんだけどどうだろう。それも一体どうなんだろう。

11月24日(火)

「明日が楽しみだ」という気持ちを毎日持てている。実際毎日楽しい。引っ越しの効能だ。新しい家。新しい散歩コース。新しい生活習慣。
人生が楽しいとTwitterみたいな下らないことにかまける気が起きない。だが一応と思って今日は二件呟いた、そして他人どものツイートを目にしたが、Twitterって本当に下らないな、という以上の感想はない。純粋な軽蔑。
Twitterは一応様子が分かったのでインスタグラムでもやってみるか。なんでもやってみよう。どうせ私は写真ばかり投稿するのだから。もっとも写真なんてそもそも下らないが。
今日は太郎のむずがりとともに6時に起きた。太郎が寝ないので、ギターでしばらく寝かしつけを試みたが諦めて、もう7時に起こしてしまった。それで何丘一家は狂った。のち妙な時間に眠くなり、私も妻も妙な時間に妙な時間ずつ仮眠をとった。散歩は例によって午前中1時間午後2時間の計3時間。天気がいいので(また暖かかった)海の方へ。太郎は生まれて初めて海というものを間近に(砂浜から)見た。黒海だ。息子よこれが。口をついて出る古唱。うみはひろいなおおきいな、つきはのぼるしひはしずむ。うみにおふねをうかばせていってみたいなよそのくに。私はよその国に出かけて異人さんと結婚した。そうして異人の子をなした。異人の子? 私の子だ。
朝は餃子、昼はブロッコリーとオリーヴのパスタ、晩は生ハムとブリーチーズを残りのオリーヴと食べた。義父のワインと。話に花が咲き、チップスも半袋食べてしまった。テーマはスキーだった。妻と私、お互い子供のころのスキーの思い出。太郎はどんなスキーの思い出を得るだろうか。私たちがプロデュース(演出)するのである。
指が痛いのがようやく癒えたようだ。
ソシャゲBをわりとやってしまった。よくない。(Aの方はデイリー以外全くやらなかった、えらい)

11月23日(月)

新居周辺を楽しく歩いた。昼前と夕方、合わせて3時間以上歩いていた。
朝食に昨晩タヴリヤで買ったGYOZAを食べてみたら、まさしく餃子であった。これは有難い。
ネットがようやく開通した。二日ぶりにメールチェックしたが誰からも何もない。NHKニュースWEBを見てみたがニュースも特に何もなし。
ネットが開通したからといって何するでもない。音楽をかけた。新居に音楽を流してみた。マライアキャリーの90年代の古い歌。Underneath the starsこれぞ90年代の音。たまらなく愛しい。
スマホは極力触らない。二日のネット離れでソシャゲへの心理的癒合もやや剥がれた。この機を活かす。
義父がコロナの疑いがいよよ高い。義母も咳が出始めたそうだ。私たちは間一髪感染を免れたか?私は今のところ全く平気だが。
実のところ全く何も恐れていないのであるが。
実につまらない日記だ。

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