OFUSEくださった皆さんへ(お礼と近況報告)

オデッサ/ウクライナ/ロシア

例の記事でOFUSEくださった皆さんへ、お礼とご挨拶と近況報告。あと今後のこと。

経緯

ロシアの侵攻マジあるかも知れないということで具体的な備えを始めた1月19日から、侵攻の始まった2月24日を経て、最終的に私たちがウクライナから出国した3月8日までの50日間のことを「手記」と題する(全然題さない)記事に綴っていて、その記事上でOFUSE(おふせ)というものを募っていた。こんな具合↓

有難いことに、実に多くの人が投げ銭とメッセージを下さった。原則的にすべてのメッセージを東欧遍歴中(3/9~18)に読んでいたのだが、陋劣な私は、それらメッセージを舐めるように三読しながら一日宛て0~数件お返事するということを2ヶ月にわたり続けて、このほどようやく全件返事し終わった(と思っておるのです。漏れがあったら大変申し訳ない)。

とはいえ、したくても返事できないケースも多かった。このOFUSEというサービス、ログインして投げ銭するのとしないでするのと二流あり、後者の場合は仕様上、お返事ができない。前者の場合でも、返事には200字の字数制限があって、しばしば頂いたメッセージに対して不均衡に簡素なお返事になってしまった。だから、お返事できなかった人たちに対して、またお返事に書ききれなかったことを、一筆したためておきたいと思った。この記事はそういう記事です。

お詫び

はじめに、お詫びというか、いくつか心のつかえになっていることがあるので、書き出しておきたい。

まず、……なんというかな、不幸な被災者一家に寄付を下さい、という言い方はしなかったと思う、基本的には「クリエイターへの応援+ファンレター」というOFUSEサービスの本旨に則り、飽くまで自分の文章が面白いと思ってくれた人、何か学びがあったと感じられた人に、まぁその私の一種の労働に対する対価というものを投げてくだされば励みになりますと、そういうつもりではあったが、そうは言っても現在のように支援先に関する情報が出そろう前のタイミングのことではあり、私らが置かれた状況への憐憫あるいは同情から私たちへの「支援」の意味でお金を投げてくださった方もいたと思う。本来なら赤十字とかUNHCRとかに向けられるべきだった「ウクライナのためにできることをしたい」という気持ちを私らが搾取してしまったかも知れない。

それから奈良のこと。いただいたお金は「奈良に古民家を借りて住む、という夢の実現」に充てたい、と述べていたが、いま現に奈良に住んでいないし、目下奈良移住のために動いてもいない。帰国後は埼玉の親元にいったん身を寄せた後、東京都下にアパートを借りて、これ書いてる今もそこにいる。

一応釈明すると……、要するに、奈良はさしあたり遠すぎた。埼玉の実家が人間5人と猫5匹には手狭であり、異国で配偶者の両親と同一空間に暮らすストレスは私も自分の体験としてよく知るところ、おまけに子供に(私と同様)猫アレルギーがあることが発覚し、お掃除頑張るのだが子供のくしゃみ鼻水目のかゆみが止まらず、やはり無理だなと思った。折しも都心に仮(飽くまで仮)の仕事が見つかり、また短期だが部屋を貸してくれるという人があったので、拙速に東京に移ってしまった。

が、何も口から出まかせを言ったわけではない、ということも言わせてほしい。ご多聞に漏れず私も京都奈良が大好きで、妻は十数年前にモスクワ国立大からの交換留学で1年間龍谷大学深草キャンパスに学んだ。では京都なのかというと、それが奈良なのだ。むかし京終の親友とチャリで天理とか薬師寺・唐招提寺あたりを走り回ってやまとはくにのまほろばというのはマジだなと思った。数年前に妻と再訪したときはいわゆる奈良町の雰囲気にたまらんものを感じ、夕暮れの若草山で東大寺の梵鐘など聴いていて心底「ここに住みたい」と思った。そこらにシカがほっつき歩いているというのも子供の情操にとってなんていいことだろうと思う。


私たち夫婦は旅で恋した土地に移住するということを人生ですでに一度叶えている。奈良は若干ハードルが高いが、自分たちにできないことではないと思っている。でもそれがひとまず今ではなかった、ようです。

そして改めて、OFUSEのお返事が遅れたこともお詫びしたい。ただ、こればかりは拙速に「処理」したくはなかった。一件一件のメッセージにきちんと向き合って、一つ一つお返事を謹製したいと思った。その間にも役所の手続きが色々あったり引っ越したり労働したり子供が突発性発疹にかかったり他のウクライナ避難民を手伝ったりなどしていて、というと聞こえがいいが、その一方で秩父に出かけてソバ食ったり東京タワーに出かけて鯉のぼり見たりとかもしていたので、まぁ釈明のしようがない。すいません。

お礼

で、いよこそお礼の段だ。まず、メッセージをありがとうございます。ご心配、お気遣い、情報、共感、励ましの言葉、お褒めの言葉……本当に痛み入ります。

多くの人が使ってくださった「祈り」「願い」という言葉。こういうのを空虚な言葉だとは全然思いません。祈るとあるからには祈ってくれているのだとまんま信じていました(います)。で、祈るとは何事かであると思っています。岩を動かすとは信じないが、無意味なことだとも思いません。全然。

お叱り下さった方、ありがとうございます。特に小さいお子さんを抱えるお母さん方にとって、私の狐疑逡巡(逃げるか留まるか)は解しかねるものであったようで、それはよく分かる気がします。ただ、子供のために残るというのはウソじゃないか、本当は自分が動きたくないだけなのに、「子供の幸福」を盾にそのことを誤魔化しているのではないか、という指摘は、よくよく考えてみたのですが、全然正しくないようです。ともあれ、考えさせられました。

概して、コメントを三読すること、また返事を案文することを通じて、自分のことながら色々気付かされました。とりわけ有難かったのは、……なんというか、妻を大事にしないとな、と思った。これは「手記」の全体的な読後感としてもあり得ると思うが、どうも自分は意識が子供に向き過ぎていて、妻への配慮がおろそかになりがち。長期間かけて少しずつ返事していたので、出国・放浪・帰国・生活基盤の確立の期間を通じて折々、妻に優しくあらねばという思いを新たにすることができた。こればかりは遅筆の思わぬ功徳でありました。

あとひとつだけ言うと、拙ブログの意義について教えられるところがあった。今度のことでウクライナとかオデッサという地名をはじめて意識したという人たち、「戦争」がウクライナのほとんど唯一の連想であるという人も少なくないだろう中で、ウクライナとりわけオデッサの、全然戦争と関係ない部分を照明する、ということが、ひとつ本ブログの使命としてあるなと心づいた。

金子(きんす)については、改めて言うまでもなく、でも言うべきなので、言うと、大変ありがたいです。これは言いたくないし、言いませんが、でも言いますが、やはりそれなりに物入りです。「太郎ちゃんに何かおいしいものを」「おもちゃを」与えることができているのは、まことにお陰をもってのことです。深々と、ありがとうございます。

近況報告

お詫びとかお礼とか長々書いたが、OFUSEくださった皆様の前に私が何よりも強く感じる責任は、換言すれば、これをすることが一番皆さまの心にかなうだろうと愚案することは、次のように言うことだ:

私たちは、つまり何丘と、妻丘と、太郎は、
元気で、幸せに、日本で暮らしています。
義父母もかの地で健勝です。猫も。

私たちのその後(今)

3月9日に出国し、モルドヴァ・ルーマニア経由で19日に帰国した。経過は「流亡の記(ウクライナ~モルドバ~ルーマニア)」に詳しい。帰国後しばらく埼玉県北の実家で私の両親と暮らしたあと、ご縁をいただいて、東京都下のアパートに移った。

それで、写真をいくつか、見ていただきたいなと思って。
元気に走り回っとる太郎少年を中心に。

↑宝登山山頂。桜の満開のころ。

↑富山。松川べり。

↑立山連峰。

↑『おたすけこびとのまいごさがし』。溝にこねこを探してる

↑高坂の動物園(にはブラキオサウルスがいます。埼玉ナメないでね)

↑東京、仙川。

こんな具合に元気でやっております。

義父母のその後(今)

オデッサ北郊某村ダーチャの義父母は今も健勝だ。この2か月半、ともかくも、村は安泰であった。それでケツまくって逃げ出したことを後悔していませんか、こうと知っていれば逃げ出さないでいたのじゃないですか、と問う人があれば、私はこう答える、全然後悔していないし、今まだいれば今から逃げるであろうし、義父母を日本に呼ぶことも未だ諦めていない。

義父は会えない太郎のために相変わらずちこちこ粘土を捏ねている。ニズナイカシリーズ(小人のニズナイカの話、邦訳もされているようです→Amazon)を完成させるプロジェクトに取り掛かっているもよう。

↑左上から時計回りに、音楽家のグースリャ、画家のチュービク、医者のピリューリキン、機械技師シュプーンチク。上段2体は最新作なのであれだが、下段2体とあと数体の近作を同梱した小包を、いま航空便で送ってもらっている。無事届くのだろうか。日本では入手困難なロシア語の本も何冊か入ってる。あと愛と、オデッサの空気と、平和への祈りが(多分。

↑これも義父の仕事。ダーチャの舗道を色レンガで縁取りした。義父はただ何もしないでいることができない人なので、ないところにも仕事を作り出す、お籠りのダーチャでも何か労働する。

↑さっきのは実はちょっと前の写真で、その後桜(вишня)の花など咲きまして、

↑これが最新、5月14日の写真。しゃくやくとさくらんぼ(черешняのほう。最近知ったが「アメリカンチェリー」というらしい)、啓蟄のハリネズミ。

↑そんでこれはパスハ(復活祭)のときの写真です。私らがいたときはこの5倍盛大に祝ったが、今年もつつましく、クリーチ買って、パスカ焼いて、ゆで卵に彩色して、「卵戦争」(一人がひとつ卵を持って、おけつもしくは頭をぶっつけ合って、割れずに残った方が勝ち)を演じたそうだ。

という具合に、義父母は元気です。あ、そうそう、

猫も元気です。

今後のこと

以上、むちゃくちゃ遅ればせながら、OFUSE下さった皆さまに、お詫びとお礼と、あと「その後も元気でやっています」というご報告だった。

で、この何丘ブログの今後なんですけども、とりあえず目下「オデッサ(ウクライナ)情勢、現地報道まとめ」という記事を毎日更新しているのだが、いい加減戦争と全然関係ない明るい下らない記事を書きたい。とりあえずすぐ書けそうなのは、浦島太郎&花子の珍日本紀行というやつで、要するに3年留守にしてその間コロナとかあった日本に浦島太郎状態で帰ってきた何丘とその妻の困惑ポイントとか。これはウクライナ社会と日本社会を比較するものにもなると思う。あと、今それに向けて素材を集めているのが、何丘の自分あまやかしプロジェクト其の一「なつかしき駄菓子を食い尽くす」というやつで(題は適当です)、要するにおっとっととかパイの実とかカラムーチョとかを食べて涙を流す。食レポ。あと、最近「魔女の宅急便」を子供とよく聞いてるので、色々感想が湧いてきた。つい最近テレビでも放送したそうですね。その感想文をまとめてみたい。過去に「千と千尋の神隠し」の感想文を書いたことがありました。

で、デデデ大王、お返事を全部しきるまではと封印していたOFUSEボックスなのだが、これをまた設置することを容してほしい。使ってみて分かったが、このOFUSEというシステムは私の性に合ってる。例の「手記」を有料化してはという声もいただいたのだが、それよりは多くの人に読んでもらった方が嬉しいし、基本的に無料で楽しめるものが世界にいっぱいあるほうがいいと思ってる。無料で誰でも読めて、中に奇特な方があってこれにはそれだけの価値があると思ったならば思いの価額で投げ銭できる、それが八方によろしい形だと思う。価額の1割をシステムが吸収して9割がいわゆる「クリエイター」の取り分になるというのも良心的と感じる。今は前者の半額がウクライナ支援の寄付に転じるらしい。

この私が職業ブロガーになぞなれるものだろうか。もしなれたなら、住むところも選ばないし、それこそ奈良にも行ける。目指してみようと思います。応援してください。

何丘に「投げ銭」してみる

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