Twitter日記(11/7号)

その他

毎週やってるTwitter振り返り。11月第一週。

どういう向き合い方だったか

総じてこの11月1日~7日の週、私はどういう心的態度でTwitterやってたか。

「いいね」の数をなるべく気にしないようにした。一頃こそバブルだったのだ。私をフォローしてくれてる300人のうち、ほんの10人程度がいいねしてくれる。その割合は他と比べても実は決して低くない。絶対数では考えぬこと。また、割合でも考えぬこと。

要するに数を気にせぬこと。ただたんたんと、質の高い、自分の心にかなうtweetをなせ。そして他のユーザーたちの、よき隣人であれ。①誰のタイムラインも汚さない。②コメントくれたら明るく返事。③気が向き・よき言葉思い付き・勇気が出れば他人様へもコメント。

どんなtweetしてたか

実際に私は11月初週、どんなtweetしてたか。

↑まず月初恒例の、ウクライナ語で〇月は何といいます、をやった。「落葉月」なんて美しいと思うけど、というか月名にそんな詩的美称がついてるなんて素敵ネということでもっと反響があってもいいと思うのだけど、考えない考えない。私の届け方がまずいだけ。てか届ける私がまずいだけ、言う人が言えば拡散拡散で2万いいね。

↓同じ朔日、10月末日にダーチャの鉄棒が完成したのを一日遅れで報告した。この鉄棒スレッドの最初の一発、すなわち「今からこれやります、完成したら拍手くださいね」のtweetに20ほどいいねがついていたんだから、いざ完成の暁には少なくともその20人全員がいいねをくれなければ嘘だ、……だが予感としては、3人くらいしかいいね(という名の拍手)をくれないだろう。だが報告しないわけにも。……などと及び腰でツイートしたが、

結果は「いいね」11件。まず十分な数字であった。(おい、すげー数気にしてるじゃねーか)(大事なのは数ではない)(しかし、そうか?)(では何のためにTwitterやっている?結局は「いいね」を貰うためではないか)

何人かがコメントをくれた。コメントをもらえたtweetはいいtweet、と私が感じてるのは確かだ。少なくとも、呟きが誰の耳朶にも触れずに虚空に消えた、みたいな空虚感はない。誰かには届いたのだ。言ってしまうと、自分の感覚では、コメント1つと「いいね」5つが嬉しさ等値な感じだ。もちろんこんな言い方してしまっては憚譚さんやしーまん、しか子さんに悪い。もちろん数量化の度外の喜びはある。

わりに、こういうのは……いいねがつく。そうだ、いいねの数を気にすることはある意味で悪いことではない、というのは、これは人間心理の実験場だから。人間の心理、行動の動因、を考えてみる機会になる。

「いいね」には様々な含意がある。それは「おめでとう」を意味するかもしれないし、「ドンマイ」「よかったね」「へー」「知らなかったよ」「かわいいね」「わろた」「同意!」「あるある」えとくえとく。さまざまな「つもり」で人はいいねを押す。

それでいうと本tweet(荷物到着の)は、含意の異なる様々な「いいね」を集めそうなtweetではある。つまり、引っ掛かりが多いのだ。ある人はオメデトウのつもりでいいねを押すだろうし、ある人はへーそんなにかかるんだねで押す、またある人は本文でなくむしろ写真の方を見て、おお美麗な梱包だねとか、トルストイはやっぱ新潮文庫よねとか、カレールゥ嬉しいよねーとかでいいねを押すかも知れない。

つまりいいね収集の観点からは、このtweetは次の2点で優れている。①情報量が多い=引っ掛かりが多い。誰かしらの何かしらの琴線に引っ掛かり、引っ掻く。②絵文字など使って、ちゃんと私が感情を見せている。つまり、「喜んでいる」ことを明示している⇒共感しやすい。

↑それでいうとこのtweetなんかは私が感情を出さな過ぎた。だが本気でヘコんでるとき知らん人に感情を表に出すとかムリなんだけど。いいや、いったん数の話は(いいねの数の話)、本当によそう。心理研究は今回は以上。以下はも少し日記的に。さらっと。

ベビーカー盗難事件はマジでヘコんだ。うそぉ!!て感じ。オデッサ駅近くの跨線橋で太郎に電車を見せてやってた。場所柄ちょっと心配だなーとは思っていて、ちらちら橋のタモトのベビーカーの存在は確認してた。だが長い電車がきて、それを夢中で見ていた、その数分のあいだにやられた。ふと見るともうない、もうない!!わたしたちのベビーカーがない!!!

私は物に愛着を抱いてしまうタイプなので、太郎のケツの重みが浸みたベビーカーがむくつけき知らん他人の手に落ちたことがやる瀬なく、また下の籠に入ってた私のマフラー(おととし誕生日に貰ったもの)、可愛いぽんぽんがついた太郎の帽子(日本の両親から送ってもらったやつ)も失って、気分はどん底でした。と今さらながらに。ベビーカーは、それなしには済まされないので、同じモデルのやつを新たに買いました。

ぼっつぁt行った。「え、なんて?」いやだから、ぼっつぁt。ботсад。しかし黄葉さえもう終わり。日本はこれから紅葉がたのしい季節。たのしむがいい。オデッサはひとあし先に冬に入ります。

以下数件の自己tweet、あまり埋め込みが多くなると記事が重くなるので、キャプチャー画像を掲示する。(画像クリックで当該tweetに飛べる)

↑わりにウケたtweet。異国の風俗習慣文化。日本にもありそうな話、「私の地元にもそういうのあった!」の声期待。

↑月初恒例、憚譚さんの前月作品総覧→紹介。これがどうしても自己満足に終わってしまう(結果的に)。だが憚譚さん及びその作品の認知を極小にもせよ増やしているのは確かなのだ。だからやらないという選択肢はなくて、やる。そのうえで、どうしたらより魅力的なアピールになるかを考える。(それが面倒だったりそこまで手が回らない場合には、今回のように、それでもやらないよりはマシであるから、ただやる)

↑ロシア語みんなのうた100選、相変わらずやっている。てか今週こそはやった(vol.18森の鹿からvol.27メドゥニーツァの歌まで10曲)。やはり年内100曲めざす。今の時点では50曲までしか貯えがなく、残り半分は新たに知っていかないといけない。とはいえ、多分、本当に探せば知ってるものだけで60はある。本当に新たに知るのは40くらいだ。まー、いけるっしょ。

今はこの通り全然評価されない企画だが、本スレッドの最初のtweet(「企画始動します」の)が今週何回かリツイ―トされて、それは「よい企画」「ロシア語学習者におすすめです」の意味だと解している。これを声援ととる。年内百曲完走のあかつきには、さすがに拍手ももらえるだろう。Twitterの世界になかなかこれほどまとまった形の有益教材もないもんだ。

そもそもを言うと、この企画は「いいね」を集めること以上の目的を持っている。だから目先のいいねが少なくてもやめない。日本一、ないし日本有数にムリチクに詳しいやつ、と目されるべき人に目されることが狙いだ。「先」へつながるかも知れぬではないか。

↑これは今週一番「いいね」を集めたtweetだが、これも、目先の面白さ(いいねの大半がそれによってきたるところの)ではなく、見るべき人が見て「こいつ翻訳うまいな」と思ってもらうことが主眼だ。だが後者の確率は、前者による「いいね」「リツイート」によって上がる。だからこれこそが私としては本当に「よいtweet」ということになるな。

いつになく分析的な振り返りだった。あと、こう見返すと、なかなかトピックの多い週だったな。

ひと様のtweet

タイムラインの大河から砂金を掬って乾して展示しておく試み。

本の話

↓『岩波講座 世界歴史第1巻 世界史とは何か』。「四半世紀ぶりの通史刊行第3期」だそう。「レジャー旅行者にとっても視座を高める土台になる」だなんてアマチュア読書人の鑑みたいなことを言う。だいすけさん何者。

↓現代思想2021年12月臨時増刊号 総特集=ドストエフスキー 3,080円ですってさ。たか。でも……買うかー。現代の日本の知性がドストエフスキーをどう語るか見たい。時流から遅れること夥しいので。だが執筆陣見ると亀山郁夫の独壇場て感じで少し引く。

↓高橋誠一郎『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』。今さら堀田善衞でもないだろう。大審問官の現代性ねえ……。

食い物の話

↓しか子さん。無敵漬け やわらか鶏チャーシューですて。これはさすがに作れる。

↓楽たまさんの「たまごといちゃいました」ですて。これは新機軸。

よその土地の話

↓ふぃとんさん。魔法陣グルグルのマンホール! どこかといえば、九重“夢”大吊橋ですて。大分のすいません糞田舎に06年オープンした歩行者専用の長大な吊り橋、とのこと。そういえば衛藤ヒロユキは大分の人!

↓ルクセンブルクのARINAさん。素敵な秋色だ……

コルジノワさんのイリフ=ペトロフのブログをようやく見た。これから色々見させてもらう。

今週は以上。

タイトルとURLをコピーしました