「マウント取る」とか言いたくない~使いたくない日本語2~

国語

以前「マウントをとる」とか言いたくないという記事を書いたが

論旨不明である」との批判を受けた。(鏡の中の私から)

のでパート2を書く。私が嫌いな言葉パート2。

※第三章に性的な表現が含まれています。閲読注意。

「マウントを取る」という言葉をなんで使いたくないのか

基本的に前回と立場は変わらないんだが、今回もっとスマートに説明してみる(できっかな~・・)

「マウントを取る」という言葉は、否定的なニュアンスで使われる。

すみませんねマウントを取るようなこと言って。

あいつあんなこと言ってマウント取ろうとしてるだけですから。

でもこういうふうに言うことでこいつ自身がマウントを取ろうとしてないか。

「マウントを取る」という言葉で何か(誰か)を否定しようとすると自己矛盾に陥る。
なんでそうなるかというと、この言葉が流行りの言葉だからだ。流行りのイケてる言葉で、マウントを取るというダサい行為を否定しようとすると、そのことによって自動的にマウントを取ってしまう。

私はそれはダサいと思うのでその言葉を使わない。少なくとも流行りの言葉であるうちは。

「パワーワード」という言葉をなんで使いたくないのか

Twitterとかで誰かなんかうまいこと言ったのに対して「パワーワードw」と指摘する。褒めてるつもりだろうか。
私が言われたら胸倉つかんで「ナメてんのか?」と凄んでしまいそうだ。使われたくないし、むろん使いたくない。

パワーワード。要はパワーのある言葉、巧みな言い回し、言い得て妙な表現、てことだ。これがなんでムカつくのか。

まぁ多分……これも……パワーワードって言葉それ自体があたかもパワーワードであるかのように振る舞ってるから、つまりパワーワードって言葉の構えが偉そうだから。その偉さに、その語の使用者がどっかり依存してる感じがするから。

そやな、何か言葉を見て、それをいいなと思ったときは、「パワーワード」なんてカッコつけた言葉を使って「マウントを取ろう」とするものではない。つまり、張り合おうとするんではねえ。

そこはお前、一歩下がれ。へりくだれ。「いいな、と思いました」「うまい表現だな、と思いました」でいいじゃねえか。なぁにを「パワーワード」てそれ自体パワーありげな言葉をぶつけて拮抗しようとするのか。誰かをホメながら「かくいう私もなかなかの豪の者ですけどね!」などと名乗りを上げようとするのか。非礼ぞ。

「オナニー」という言葉をなんで使いたくないのか

※本項18歳未満閲読非推奨。猿の画像が見えているうちにお引き取りください。



その表現はお前ジコマンだよオナニーだよ、のオナニーね。ジコマン(自己満足)はともかくオナニーは、これは他人を批判して言う場合と自分を卑下して言う場合とあるのであるが、どちらの使い方でも私は絶対に使わない。

※もう一度言いますが以下の記述はかなりexplicitです。いやな方ご退場を。

「オナニー」という言葉は汚すぎる

非常に汚く感じる人もいる言葉だ。高度に性的に帯電した言葉だ。

皆さんはゆきずりの婦女子の衣服に体液を付着させるという性的嗜好があることをご存知ですか。何フィリア(性愛)と呼ぶのか知らんが。この行為のポイントは、相手の女性が自分との性交渉に一切同意していないということにある。性的に無垢な状態の女性を、その人格を無視して、その生の文脈を一切尊重することなしに、強制的に性化する。そのこと自体から快楽を得るのである。

人の文章とか絵とか音楽とかに対し「オナニー」との評言をぶつけるのはまさにこれではないのか。こっちはそのつもりもないのに、問答無用で場面を性化。それは表現者の最低限の尊厳を踏みにじる行為ではないか。またそれ自体(「オナニー」という言葉を表現者に塗付する行為じたい)が悪質オナニーではないか。

そもそもアナロジーをなしているのか

(「オナニー」より「自慰行為」のほうが何丘の感じではボルテージが低い。いわば語感にモザイクがかかっている。いま語感の好悪を捨象して、評言としての妥当性を考えたいので、以下いったん「自慰行為」で話を進める。)

メモや家計簿、ギターやピアノの運指練習は自慰行為か。いや、こういう「用の行為」は、むしろ性交である。役に立つ、上達する、という未来時点の事象をパートナーとするセックス。

ただこれが、あとで役立てることを一切目指さない、それをすることが現在時点でただ楽しい、ということで家計簿をつけギターの練習をするなら、それは「自慰行為」にあたるかもしれない。ほんらい別に目的をもつべき事柄を自体目的的に行っている、ほんらい別に補完されるべき事柄を自己完結的に行っている、という意味で。

では、はじめから見せよう/聞かせよう/読ませようという意図で行われた表現が「自慰行為」であるとは、それはどのような意味でそうなのか。

結局誰も主観の檻から出られない

なるほど、当然払うべき最小限の顧慮さえ払われていない一人善がりのセックス、「あなたは私の棒で/穴でオナニーしているだけだ」、こういう言い方はたしかにある。

でも相手のほうはどうしてどうして相手への顧慮で一杯だったのかもしれないから(下手なだけで)、やはり「あなたのそれはただのオナニーよ!」と批判する際には慎重を要するぜ。

まして、不特定多数に向けられた表現ともなれば、あなたにとってはオナニーでも、他の受け手においては十分「セックス」が成立しているかもしれないぜ。

人みな単一の主観の虜囚であるというときに、あるひとつの表現に関して、それを「オナニーだ」と決めつける権利が一体どこの誰にあるんだ?

何丘はセックスが下手である

かくいう私自身がセックスが下手なのだ。つまり表現が下手なのだ。
だから届くと思って語ったのに、しばしば届かない。「ひとりよがり」に見える(のだろうと思う)。

でもそれを「オナニー」みたいなきつい言葉で言われたらたまったものではない。あ~あ、私はそんなにもだめかぁ……と思ってしまう。セックスは皆さまの専権であり私は一生ここでオナニーかぁ……はぁ……と落ち込んでしまう。

結局それだな。色々言ったが要するに私は、私自身が「オナニー」と言われたくないのだ。だから他人の表現に対しても、その言葉を絶対に言わない。

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