毎日なんかしらYouTube見ている。たとえある一日にYouTubeを全く開かなかったとしても、一週間の平均をとると、毎日何かしらYouTubeを見ている計算になるだろう(?
というわけで先週見て印象に残った動画をまとめる。同好の士が得られると嬉しい。
【音楽】Bilal: Too High
こんなものがあるとは知らなかった。BilalのToo High? まさか? と思ったらそのまさかであった。Stevie Wonderの名盤Innervisionsの名曲Too Highのカバー!
なんやThe Retrospecionと題して何年か前に配信した作品群の一つらしい。素晴らしいの一言。Bilalらしいというのかな、現代的というのかな、不穏な感じ。ゆらぎの感じ。アンビエントの感じ。これしかないという選曲。まぁ正直他にBilalのStevie Wonderカバーないもんかと探してしまったが(なかった)、やっぱBilalがどれかひとつ歌うとするならToo Highをおいてないだろう。と思わせる。
私は原曲主義者で世にいいカバーは少ないと思ってるのだがコレは私的に稀有な例外。(ついでにいうとカートコバーンのAnd I Love Herも)
【音楽】D’Angelo & The Vanguard: Back to the Future (Live 2015)
これも今週ずっと聴いていた。D’angeloのBlack Messiahの中でもともと好きな曲。その2015年のLiveがなんやYouTube「君(You)管(Tube)」におススメされたので聴いてみたら首が踊った。好きだー。もう最初のclap your handsが下打ちな時点でD’angeloが愛しい。この人の舞台はいつも祝祭感あふれてる。
歌詞がいい。しみじみいい。こういうのを好ましく感じるのも私が年くったからだ。レトロスペクティヴ。優しい。愛しくて懐かしくて優しい。
Seasons may come and your luck just may run out And all that you'll have is some memories..
ドミートリイ・カラマーゾフがアメリカに亡命して肌を黒く塗って歌ってるとしか思えない。D’angelo、あんたも色々あったもんな。若くして頂点に立ち、それからドラッグに溺れぶくぶくに太って事件を起こし。
しくじった人のはにかんだ微笑の優しさ。そう、全てが終ってしまったあとは、晴れ晴れした明るい寂寥があるばかりだ。「それでも人生は続くのだ」(冬目景『イエスタデイをうたって』)そして「麦稈真田を敬虔に編み」中也。
【音楽】Common feat. Black Thought & Seun Kuti: When We Move
Commonの新しい曲、When We Moveとかいう。feat. Black Thought。例によって歌詞を見ないのだがWhen We Moveというタイトルとあと聴こえてくる片言節句からするに社会派。それはともかく音がいい。好きだー。相変わらず裏切らん。Commonの気合入った速めのラップのかっこよさ。
Black Thoughtの方はやっぱ声の劣化が気になってしまうな。良くいえば渋みが増したというのか。まー私がThings Fall Apartの頃のBlack Thoughtの声が好きすぎるのだ。逆にCommonが体形も美声も保っていることを驚くべきかな。実際この歌の一番(Common)と二番(Black Thought)聴き比べたらまぁ10人が10人前者の声の方がカッコいいと言うだろう。Black Thoughtのヴァースが終ったところで私的にはこの曲は終わり。Seun Kutiという人は知らない。
【音楽】The Isley Brothers: Tiny Desk (Home) Concert
Tiny DeskにIsley Brothersいわゆる愛擦りが出てきたので見てみた。往年の名曲をうたう。変わらぬといえば変わらぬ声。でも今やシルキーとは形容できまい。声は消えもの。声は生もの。
私はブラックミュージックが好きというよりヴォーカルフェチで気がついたらブラックミュージックばかり聴いていたクチだ。だから、声の経年変化(劣化または洗練、覚醒)に人一倍敏感な気がする。たとえば、おじいちゃんになったポールマッカートニーを追いかけられる人というのが、私にはちょっと理解ができない。聴いていられないのだ。だって声出てないやん! そんなのもうヘルタースケルターでもなんでもないやん! エレカシだって私は今はもう聴いていられない。まぁエレカシは声もそうだが音も詞も鼻についてきたのもあるが。奥田民生も今はもう聴けない。
Isley BrothersのTiny Deskも最初数曲はへー今こんななってんだという興味で聴けたがFor the Love of Youさすがに聴いていられなくて途中でよしてしまった。
その伝でいくと、前回のYouTube日記で取り上げた落語もヴォーカルアートとして聴いている気がする。志ん朝は声がいい。談志は(私的に)声が悪いので聴いていられない。たとえば古今亭菊之丞という人もすごく上手いと思うのだが声がアレなのでずっと聴いてはいられない。
【ロシア語】Микитко сын Алексеев|СТАРОМОСКОВСКОЕ ПРОИЗНОШЕНИЕ
妻が最近ハマってるYouTuber。若いお髭のロシア語学者。勧められて見てみた。なるほどー。「古モスクワ方言の発音」というマニアックなテーマ。今の標準ロシア語ではこう読む単語を昔はこう読んでいたんだよ、しかもそういう読み方は意外に最近まで残っていて、ソビエト初期の映画だのなんだのにその痕跡が見られるよ。ということで膨大な例を引きつつ。
ロシア語は国土が広大なわりに方言が少なく、西の果てから東の果てまでほぼ均一なロシア語が行われている。狭小なくせに方言が多様を極めている日本とはその点対照的だ。なんでそうなるか。日本は山がちの国なので、集落間の交渉が少なく、孤立した人間集団が幾世紀かかけてガラパゴス的に言語を進化させる。一方のロシアには山による国土分断がほぼなく、またロシアが今日の広大な版図を得たのはせいぜいこの2世紀くらいのことで、要するに言語のガラパゴス的進化が生じる地理的条件も時間もなかった。――そう我々ロシア語学徒は学校で教わります。
たぶんロシア人自身も常識的にはそう思っている。だから方言の話は面白い。祖父母ないし曾祖父母の時代に(それもモスクワで!)ある人々はロシア語をこのような音で話していたのか。多様であることの豊かさに目が開かされる。ひるがえって普遍・均質ということの貧しさよ。
【芸能】アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会
アメトーーク特別編「雨上がり決死隊解散報告会」という動画を見たのだが、その動画自体はYouTubeから取り下げられたようなので、代わりにその後日宮迫が出したアフタートーク動画を掲げておく。なんかイヤーな話だ。なんの芝居を見せられているんだろうか。大の大人たちがよってたかって何をしているのだろうか。結果ご覧のように大の大人が動画で泣いている。なんなん。
私は宮迫に何の悪感情もない。私の好きで信頼している中田敦彦が宮迫さんは何も悪いことしてないというからその通り信じた。中田が口を極めて宮迫さんは本当に凄い人、超1流のプレイヤーだと激賞する、そのリスペクトぶりが好きだった。ついでにいうとヒカルの宮迫リスペクトぶりも聞いていて気持ちよかった。宮迫のファンになったとまでは言わないが、WinWinWiiinは全部見てるし、宮迫チャンネルのほうの動画もちょいちょい見ている。なるほど口達者で芸達者で、顔もよくて(最近の整形手術はイヤだったが)、感じのいいおじさんだと思っていた。
その宮迫がこんなふうに泣いているのが嫌だし、おまけに何やYouTube活動休止だとかいう。宮迫がずっと追いかけていたアメトーーク復帰・司会席で蛍原の並びに立つという夢がこんな中途半端に叶ったのも嫌だった。
終始YouTubeが置いてけぼりだ。私は今こうしてYouTubeの動画を好んでいろいろ見てるが人生でテレビの民放というものはほぼ見なかった。アメトーークというのも(存在はもちろん知ってたが)ちゃんと見たことはない。私はあくまでYouTuberの宮迫のファンだった。
とはいえそのテレビ復帰という夢を心で応援はしていたのだ。だが飽くまでそれはYouTube上のストーリーであってほしかった。「雨上がり決死隊解散報告会」はテレビ局側のしかけであった。げんにこうして公開二日でもう当該動画はYouTubeからは引き上げられてしまっている。残されたのは宮迫のYouTubeチャンネルの方のこの陰惨な事後報告動画だけだ。YouTubeは完全にテレビに鼻を明かされた形だ。なんで私たちが、いや誰よりも宮迫が、こんな仕打ちを受けねばならないんだろう。むなしーい気持ちだ。もうこの話は誰からも聞きたくない。宮迫のことをフォローするのもやめる。最後に中田敦彦のコメントだけ聞きたいが兄さん沈黙を守っている。
【ビジネス】新R25|箕輪厚介インタビュー
この箕輪厚介という人が好きで、というのは喋りがうまくていいことを言う、会話の呼吸がいい、こういうのを座談の名手というんだろう。んでこの新R25のインタビューで言ってた内容は特に刺さった。
8分~からの話なのだが、「自分に値札を貼る」「自分を市場に出す」。多くのサラリーマンはそういうことを考えもしない、会社員という枠内での役職の上下だの給料の多寡だの気にするに終始してるが、その自分を丸ごと(会社員でありながらにして、同時に)外の世界(市場)に出してみると、意外な買い手がつくかもしれない。買い手がつかなかったらではどうしたら買い手がつくか、どうしたらもっといい値で自分が売れるかを考えて、その属する小社会(会社)の内部でなりまた別のところでなり自己を鍛える。
正直私の生きる道はむしろこっちにしかない。たとえば私は今ウクライナのオデッサという街に住んでいて、私の知る限りこの街には日本人が(私を含めて)5人しか住んでおらず、それだけでも希少価値である。それだけでもうまくすれば値札がつかぬものでもないはずだ。「自分に値札を貼る」「自分を市場に出す」。でもそれってどうやるのって話なのだが。箕輪のように、Twitter……なのか?
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前回のYouTube日記 ⇒ 8/15号:メンタリスト DaiGo、中田敦彦、落語
前々回の ⇒ 8/8号:中田敦彦、徳井義実、ネイマールJr.