日記(8/10~16)

その他

あいどーも、Kenです。Ken日記、始まるよ。
葉山の赤辮髪ことKenの、ワイフとの二重生活、一歳ベビーとの折半生活、義父母との城塞間正魂願陀児について語りぁーす。

8月16日(日)

今日はかなり「生産的に過ごした」というのか。ブログに記事を新たに3本立てたからな。でも一銭も稼ぎ出さない「生産的」。このブログはいま生まれて2ヶ月だがそうさな、このまま半年続けていって、ついに一銭の収入にも結実せず終わる。そうなった場合、今日3本記事を書いて公開したことの何が「生産的」だったのか。
わりとショッキングなこともあった。私のついっとーのふぉろうぉーはいま29人、順調に増えている。15人が一週間で29人になることが「順調」なのかは分からんが。しかしその29人に対してブログ更新を、今日3本記事を新規公開したわけだからその都度、計3度にわたってブログ更新を報知したものの、訪問者はゼロ・1・ゼロである。
全く馬鹿馬鹿しい。ブログ訪問者増加に資さないならTwitterなど直ちにやめるべきだ。ん、田立?
田立ニャメ郎?(これは珍名辞典案件だな……)
話を戻して、なんだ、私が……

え?????

眠い。え、眠いんだけど???非常に眠いので唐突に終わる。尊師に弥栄。尊師に弥栄。Jai guru de va。

8月15日(土)

土日は義父母に家事の全部と育児の半分を預けられるのでブログ書き進めるチャンスなのだが土日は義父母に家事の全部と育児の半分を預けられるのでブログ書き進めるチャンスなのだが土日は義父母に家事の全部と育児の半分を預けられるのでブログ書き進めるチャンスなのだが。
3時に寝て8時に起きたので一日眠くて眠くて仕方なく、昼食後仮眠しようとしたのだが私、寝なきゃと思うと寝られないんだ、歯磨かなきゃと思うと歯磨けないんだ、創世神話に語られているとおり……月曜日、神様は、今日はさすがに何もしなくていいやと思った。手慰みに大地をこしらえた。(中略)……日曜日、神様は、今日こそは何かをしよう!と思いたち、その思いたったことがたたって、結局何もしなかった。だから日曜日は何もしないで休む日になった。
「お父さん、どうして蛇はあんなににょろにょろしているの?」「息子よ、どうしてあれのことをにょりにょりと言わないのか?」
「お父さん、どうして蛇はあんなに気持ち悪いの?」「息子よ、どうして君には目が二つしかないんだい?」「目が二つあるのは普通だよ」「とんでもないよ!すごく気持ち悪いよ!どうして私や母さんのように目が十四コついていないんだい?」
▼Twitterにへばりついていた。ブログがおろそかになっている。とんでもないことだ。何のためにTwitterをやっている。ブログに人を呼び込むためだろうが。なにを楽しくなっているのか。終わりに拍車をかけるのか?死に体の人間が乾坤一擲起死回生の企てとしてブログを始めたのであっただろうが。そのブログ繁栄の方策の一つとして始めたTwitterが死んだ私をさらなる死の深みへと死なせるのか。にこっ!
▼友人宅に遊びに出かけた。皆で出かけた。私、妻、義父母、そして息子。遊びに出かけた。皆で出かけた。どこへ。友人の家へ。友人といっても私の友人ではない。妻の友人である。また義父母の友人である。つまり家族ぐるみの付き合いがあるご家庭に遊びに出かけた。家族ぐるみの付き合いがある家族が全部で6家族くらいある。社交的な人たちだね。今回はそのうちの2家族と集まる、私たちを入れれば3家族が久しぶりに集まる、そういうイベントであった。(やれやれ、やっと前置きを言い終わったのか。これがKen日記でなく何丘日記であれば「Мельникのダーチャに皆で行った。Бойкоも来た」とフタコト言えば済む話……)
▼要するに沢山の人たちと会って、3時間ほど過ごした。多くが私と同世代の人たち。まったく惨めだった。私はロシア語が下手だし、また引っ込み思案なので、一人だけ蚊帳の外だった。あいつ何なの、と白い目で見られていた、いや、完全に眼中外だった。あ、なるほどなるほど、そゆやつか。何も喋らないやつね。いるだけのやつね。
▼言い訳なんか何もない。私はいるだけの奴なのだ。ロシア語が仮にできたとしても、つまり仮定としてここが日本であり参加者が全員日本人であったとしても、私はさざめきの輪に入れなかっただろう。よほど絶好調なときはガンガン入っていってむしろ私が会話を回す。5回に1回そういうことがある。でも残り、80%の確率で、ぼくは味噌滓。
▼何も言い訳なんてない。私は喋らないで3時間過ごした。所在なく庭をぶらついたりしていた。「つまんない奴」と皆から思われた。一瞬思われて、あと忘れられた。3時間経って「あ、いたの」という具合に再び見出されて、握手されて、「今日来てくれてありがとな、また来いよ!」と社交辞令を言われ、そうして退散した。帰りの車の中では寝たふりをしていた。悔しくて情けなくて、ひそかに一人涙を流していた。というのは真っ赤なウソだ。涙なんか流れていない。悔しいとか情けないとかも思っていない。これがふつうだから。これが私だから。と諦めてしまっている。終わってるでしょ。この「終わってる」も形骸化している。終わっているのだろうな、本当に俺は。と心なく思っている。心、失くして久しい。
▼私には心がない。「オズの魔法使い」のかかしのように。違うかかしは脳だ、脳もないのだが、ブリキ男。大魔法使いオズよ、グレートマジョリタンよ、この私・ブリキ男に心をください……植え付けてください……点滴してください……てか返せ。
おい神。私から取り上げた心を返せ。

8月14日(金)

やれやれ。
最初に言っとくが私はKenではない。この日記は「Ken日記」ではない。冗談は顔だけにしてほしい、冗談はよし子ちゃん、マイケル・よしお・ジョーダンさんいらっしゃいましたらどうぞこちらの部屋へ→珍名辞典
本日は、本日も、ほぼ何もしなかった。
本日も4874字ほど「半生を振り返る」してしまった。まだ振り返り切れてない部分があるので明日もやってしまいそうだ。
だがこれでもセーヴしたのだ。がんばって半生を振り返らない努力をした結果、ある程度それ以外のことにかまける時間を生み出し、その余剰かまけ時間を利して何をやったか。ついっとーに張り付いた。
文字通り張り付いていた。「あー、これずーっとやってられるわー」実際日がな一日ついっとーの何、タイムラインというのかな、を見て過ごしている人は相当数いるのではないか。よく呟く人を100人もフォローしておればタイムラインはどんどこどんどこ更新されていく。それ見ながら適当にいいね押したりりついっとー押したり気が向けばコメントしたりして、余裕で何時間も潰せる。これか。これがSNSというやつか。今日は主にロシア界隈を逍遥した。詳しい人。知ってる人。事情通。こんなにいっぱいいる。うじゃうじゃいる。毎度のことに卑小を感じる。ひるがえって俺って何。終わってるとしか言えない。こんな何年もロシア語圏に住んだりして配偶者もロシア人だったりして、それでこの何も知らなさ、情勢勘のなさ、何なの……何なの……。
SNSは承認欲求満たす場なんて誰に当てはまる評言なんだ。私は深入りするほどに自己卑下をひどくする。
つながりをたどっていくと知ってる奴にたどりつく。ロシア専門家の世界は狭い。いや、逆か。お前今のそれ言いたかっただけやろ。実際は思ったより全然知ってる奴に当たらない。もっと世間は狭いと思っていた。知らない奴ばかりだ。当たり前か。たとえば30人見ますでしょ。そのうち知ってる人が一人もいないんですよ!あ~あビックリ。てどんな村人だ。どんな寒村の出身者なんだよ。30人人間がいてそのうち知ってるやつが一人もいなかったあ~あビックリってお前どんなナイーヴな鄙の者。人だかりが見える。オ~イ!って胴間声で呼ばう、あんだけ人がいれば一人くらい知ってる奴がいるだろって決め込んで、でも振り返ったやつら全員知らない。「え…………?」てオイオイお前どんだけ世間ずれしていない純情少年瓜実顔実朝、みなもとの実朝なんだよってオイオイ俺は同じ内容のことを何べん繰り返して言うのかな?
しるべなきみちお。標名城美智雄。ああ、これいいかもしれない。珍名辞典に採録しようかな。
卑小。卑小。卑小。しかし本当にそれを苦に病んでるわけではない。そこが一番の終わってるポイントだ。Nothing’s gonna change my worldってレノンが言ってた。これは優しく柔らかき精神を守るための護符、自己催眠の言葉であった。私にあってはそれはただ固化した私の心への冷然たる診断だ。深更2時、もう寝ろKen。いやKenて誰よ。

8月13日(木)

だめだな。全く話にならない。
8/13の日記だが、書いているのは翌8/14の朝だ。というのさえウソだ。昼だ。いやそれも嘘で、今は8/14の午後20時18分である。
「毎日書く日記」だそうだ。「Ken日記」だそうだ。Kenて誰やねん。
それでもこの「日記」がせめて「毎日分書いてある日記」であるようにと、いま書くわけであるが、にしてもこの8/13がどんな日であったか。どんな日でもなかった。何もしなかった。
All I did was 半生を振り返っていた。
だからその「半生を振り返る」て何やねん!?いや、そら人は時に昔のことを思い出すよ。「昔のこと思い出す」「追想に耽る」てフレーズ自体が理解不可能・共感不能なわけではないのだ。にしても、お前その「半生を振り返る」てやつを、おとつい(8/12)もしてたやんな!?さらにいうと先週も数日間「今日は半生を振り返る以外何もしなかった」という日があったやんな!?
お前どんだけインテンシヴに半生を振り返っとんねんという話である。
私は終わっているのだろうか。
「終わっている」と断じるのにいささかの躊躇もない。
ふつうもう前見てても仕方ない前にあるのは死(老死)ばかりであるという老人が後ろを振り返って「うふ」という。
こういう言い方は老人に失礼かもしれない。老人の中でも選ばれた(選ばれなかった)者だけが日がな一日(どころか数日)「来し方を振り返る」ただそれだけをして過ごす。過去のみが彼に優しい。過去のみがその中で彼が憩える布団である。
そのような境涯はなるほど30代半ばの青年よりは老人にふさわしい。
私は精神的にもう老人である。それほどまでに私は終わっているということか。「いやさまだ終わりではない」「このまま終わってたまるか」「今からでも何か可能なことがあるはずだ」「今から何が可能か」つってこうして昨日の日記を今日書いているんだけどもよ。せめてブログの更新だっつってよ。
便利な言葉だ「今から何が可能か」。どの終わり(終わっている状態)からも立ち上れる。この呪文が唱えられない状況は原理的に存在しない。「終わっている」と唱えられるクチがあればその同じ唇から「今から何が可能か」と唱えられる。
悪魔の言葉だ「今から何が可能か」。どの終わりからもその呪文によって立ち上れるからこそ容易に終わる。ザオリクで生き返れるからいーやと思って簡単に死ぬ。死に癖がつく。千度死に万度生き返る繰り返しの中でいつか人生が猿芝居と化す。

ちなみに「半生を振り返る」だが、私はただものを考えるということができない、考える(あるいは単に物思う)には書くということが必要だ、昨日はwordに7864字書いていた。

8月12日(水)

どうなっているんだ私は。
本日もブログ・ついっとー全くやらなかった。半生を振り返っていた。先週やったやつだ。

ジジイみたいだ。「今を懸命に生きてる人」菊池。「未来を見つめて頑張ってる人」福田。これら菊池や福田に対し、過去ばかり見つめて何日も過ごしている私。そうなのだよ皆さんよ、何丘はこのレべルで終わっているのだ。何丘が終っているというのは伊達ではない。



8月11日(火)

だめだな。全然だめだ。
何も行われなかった。何も起こらなかった。ただカナブンがブーンと飛んだ。その飛んでった方角に二人の男が立っていて涙していた。うちの一人は私だ。またの一人がKenである。Ken日記、始まる。
海!人気のスコーン店!ラクロアの勇者たち!そうだね何を言っても「農業、校長そして手品」は超えられない。任意の名詞を三つ上げてみい。「味噌、カツオ、子煩悩」はいダメ!「うんこ座り、銀座、脱糞解脱」うーん、何だろうな全然だめハイ次!「葉山、赤辮髪、Ken日記」ってオイそれこれのことー!(コレ・この日記のことー……)
要するに私は眠い。
晩飯でビールを飲んだ。
нефильтрованноеと表示のあるビールが好きなんだがこれは日本語でいうと何なんだ?フィルターされてない、つまり漉されていない、したがって雑味のある……その雑味が好きなんだが……そういうカテゴリーてあるだろうか?少なくとも一般的ではないよな。
しかしウクライナの一本60円のビールが日本の麒麟の一番搾り、たしか250円くらいと記憶する、にそこまで劣ると思えない。後者は前者の4倍くらいおいしかったのか?味を思い出して比べるというのは困難だ。南葛FCが食べた早苗のレモン砂糖の味なら(食べてないのに)思い出せるが。また「カードキャプターさくら」で風邪のさくらちゃんがお兄ちゃんに作ってもらった「あったか蜂蜜ミルク」の味も。
▼エクストリーム漫画「キャプつば」さらに「キャプさく」、やんなきゃな。
▼Twitterに適当に反応した。それ以外は実のあることは何もしなかった。
▼ブドウに袋をかぶせていた。袋ってホレ葡萄を鳥害虫害から守る防鳥防虫ネットですわ。なんかすごい、炎天下で必要以上にがんばってしまって、義父にいいかっこうを見せたかったのだ、あなたの義息子(ぎすこ)は自分が飲む分の労働はちゃんとしていますよと。飲むってその葡萄から作るワインをね。結局、あるだけの袋は全部使ってしまった。義父に言って買い足してもらわないと。
作業しながらジャミロクワイのヴァーチャルインサニティを口ずさんでいて長閑なウクライナの農村でブドウの世話してる自分とVirtual Insanityという謎の取り合わせ。なおVirtual Insanityは「ヴァーチャル狂い」と訳すのが圧倒的に正しいのだが(あるいは「ヴァーチャル狂の時代」)既存訳は全くトンチンカンだ。これでプロですって。
ワインに袋をかける作業は知恵を要しない。まぁ知恵の輪みたいになってるとこもあるけど。基本的に、私は上智大卒だが、そのような学歴は必要とされない。そういう仕事は給料が安い。高校生でもできるような単純作業ですって高校生ナメすぎであろうが。まぁ実った葡萄に片っ端からネットをかけてくだけの仕事だからラクなもんですよ。肉体的にはまぁ高所作業だったりもするし神経張り詰めない場面もないじゃなし(ぼろっと一房欠け落ちてしまわぬよう繊細な注意が要される場面も)。でもまぁひとつひとつしらみつぶしにしていけばついには終わる。きちんとゴールというものがあって、それに至る道筋がちゃんと示されている。
という作業を遂行しながらこのブログについて重要な思いつきをなした。まさにそのしらみつぶしをこのブログで行うのだ。私の脳髄、私の精神、私の知識の中の、語るに足ると思える部分を片っ端から表出していく。つまり、記事にしていく。それが必要なことで、それでまた十分なのだ。そういうことをしようとしているのだ私は。太宰の作品集「晩年」である。20代(だろう)の若造が自殺を志して、でも死ぬ前に私の脳髄の中のよしなしごとを吐き出しておこう、文章にまとめておこう、といって数編の短編を書いた、それに「晩年」という皮肉な総題をつけた、んで死のうとしたら見出されたのだ文壇に。「オイちょっと待ったキミ面白いぞ!」そうして自殺未遂青年は小説家太宰治として第二の人生をスタートさせた。言うまでもなく私に太宰の才覚はない。しかし私の脳髄も少しくらいはしぼったらおいしい汁が出る。それを出し続ける。搾り続ける。何がうけるか分からない、どだい人間さまのことなんか俺にはわからない、ただこの脳髄にたしかにまだ語られていないことがある。なぁに難しいことじゃない、見えているあの葡萄この葡萄に片っ端からネットをかけていけばいいのだ。思いつくはなから記事を書いていく。差し当たり今書きかけの「使いたくない日本語2~改めて、マウントなんか取りたくない~」を書き上げ。んで「ロシア人妻と北方領土問題について平和に普通に話し合ってみた」これも。あと「日露どうぶつ鳴き声比較~犬はガフガフ猫はミャオ?~」これも。タイトルは今即興で適当につけている。あと上述「エクストリーム漫画キャプつば/キャプさく」やろ。んで「何丘ブログの現状を振り返る」もしばらく前からやりたくなっていた。何度でも立ち止まる。そして何度でも立ち上がれよ。「わたくし何丘ウクライナのどどど糞田舎に住んでると申すのは実際にこういう感じの住環境です」これもやりたい。先日チャリで村まわり家々の写真を撮ってきた。あとわれらの住まいの見取り図(義父作)も見つかったので、こんなんまじえて「何丘、こんなとこに住んでるんだよ」をまとめておきたい。誰を癒すの?誰が楽しいの?
あたぁそうさな、ベラルーシ情勢か……まぁ正直めんどくさいが、んーさぁどうかな。ロシアのワクチンがしばらく話題をさらいそうだがコロナ関連は基本的に扱いたくない。
あとアネクドートの話か。アネクドート、ロシア小話、ロシアの政治ジョーク。間違った紹介のされ方をしている。文脈ありきの話芸だ。そこだけ切り出しても意味がない。目で読むものでなく耳で聞くものだ。味噌汁だ。キムチだ。家庭によって味が違う。つまり「耳で聞く味噌汁」それがアネクドートだ。なぁにがロシアの政治ジョークだ。
あと「現代ロシアの口語表現」。いわゆるMATの話ではない。MATをおもしろおかしく(知ったかぶって)紹介しているブログを見たが、それによるとMATは教科書に載っていないそして載ることが決してないいわゆるお下品な言葉であるがこれを覚えておくことでロシア人との心の壁を爆砕点穴!会話のスパイス!ということだが非常に危険なミスリード誤導である。MATなんか覚えなくてよいし覚えない方がよい。私かてロシア語圏に暮らして長いので汚い言葉も知らないではないが、私自身は決して使わない。私が使ったら妻や義父母がかなしむ。「あーあ、どこでそんな汚い言葉覚えてしまったのか……」。私は自分が汚い言葉を使えないことを誇りに思うしそのように私を教育してくれたことにつき妻に感謝している。そのような私だから現代ロシア人との活き活きしたコミュニケーションのためにMATを覚えとけ!という主張にはカテゴリー的に反対する(すまそロシア語直訳的表現)。もっと普通の良識ある一般ロシア人が使う言葉でまぁ教科書では教わらないような口語表現がいっぱいある。そういうのを特集した記事を書きたい。それこそ会話の場面が活き活きするような表現たちだ。
アホ、ここにそんなに書いてどうするか。もう寝れ、何丘。1時。

8月10日(月)

先週ふいに「自分の半生を振り返る」というモードに入ってしまいブログとついっとーを完全にサボってしまった反動だろうか、今日は猛烈にブログとついっとーをやった。「おこなった」が正しいか。ついっとーはやるものでなく行うものだからな。行った。そしたら大反響があった。なんと!私のブログに記録的たくさんの訪問者が!というのは勿論冗談で、まぁまずまずそこそこの推移であった。ブログはえー今日は4本の記事を上げたのか。「親しき中にもゲップあり」「ついっとー100フォへの道」「ヘキソン人何丘」「YouTubeソムリエ、首傾げてる何丘」以上4本。いずれも訪問者「多くて2人」「最低0人」という絶好調の滑りだしだ。ジコマンでブログやってるつもりはないのだが。10万人に一気に読まれる心の準備もない(はしばしで至らぬことを書いてしまっている。どこかで「どうせ誰も読まないし」とたかをくくってタガネをゆるめてる節がある)が、千人くらいには普通に届けたい、届けていい、届き得る内容だと思っているのだが。その感覚からして全然ずれている、「だからお前は終わっているのだ何丘」という話だろうか。Kenて誰よ。Ken日記って何だよ。葉山の赤き辮髪しらねえよ、俺は何丘だよ。オデッサのウクライナというところで(逆だ)ロシア人妻とロシア人・日本人ハーフもといダブルの子供(そうですよねTwitterのあの方)と暮らしてる何丘の終わってる日々をつづる日記だよ。でも、終わってはいるけど、まだすべて滅びたわけではない、今から何か可能なことがある、その何かとは何か。さがしにいこう。「迎えに行こう愛の日々を」そういうブログだよ。そういうブログの裏話とか恋バナシとかする日記だよ。で何だっけ。私はそう悪口を書き過ぎるかもしれない。今週みておもろかったYouTubeという記事でもなんかこう人をこばかにしたようなことを書いている。私はたかびしゃで、上から目線なのだという。人生で何度もそう言われてきた。それがいやで実際に私を去っていった人もいた。何人かすぐ名指せる。とりわけ先週後半「わが半生」を綿密に振り返っていた、あけて今日月曜のわたくしには。あいつとあいつとあいつ、私が「人を内心こばかにしている」「自分だけがかしこいと思っている」その返報として罰として、私はあなたがたに去られなければならなかった。ビートルズ「きのう」という歌。「俺お前に何か変なこと言っただろうか(だからお前は去ってしまったのだろうか)」。私は常に変な言葉を撒き散らしているのだ。毒素を撒いて歩いてる、ゴーストバスターされるべきような人間が私だ。コロナコロナで騒いでる皆さん!どこを検討ちがいなところを探しているのですか、ここですよ!このわたくしがコロナです!さてついっとーも今日はさかんに行った。「行った」で合ってるだろうか。誰彼構わずいいねしまくり(本当にいいねと思ったもの限定)、何人かの方にお声をかけさせていただいて、有難くもお返事を下さった方もいた。あと自分からの発信もかなり行った。先週後半私が半生を振り返っている間、妻が私に送っておいてくれていたロシアメディアのおもしろニュースを、ちょい遅ればせではあるが私が改めて面白い(伝えるに足る)と思ったものを抄訳してついっとーした。普通に面白い内容だと思うんだが、私に16人しかフォロワーがいないのでどこにも響きわたっていかない。鳴り渡っていかない。1000人フォロワーがいれば多分60人くらいがリツイートしてくれて、そのリツイートが新たないいねと拡散を呼んだ。ああ、拡散希望。私はわりに面白いことを呟いていると思うのだ。ただ世界の片隅であまりに小さい声で呟いているためにあなたたちの耳に入らない。あなたたちの耳に入らなかった音はこの世界には鳴らなかったのだ。そういうことだ。あなたたちに最後まで認められなかった私はこの世界に存在しなかった。

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