子育て日記

その他

太郎、my love。おまえと生きている。

恐怖心

子供というのは元来恐怖心というものを持たないのではないか。私の観察ではそれはむしろ社会的みぶりとして習得されていく。うちの子はかつて幽霊も暗闇も虫も恐竜も怖くなかった。星明りのない日のダーチャの庭など夜は漆を塗りこめたように暗いが2歳の太郎は庭の(闇の)奥へ奥へとずかずか進んでいって頼もしい限りであった。その太郎がだ。最近は色々なものを怖がる。たとえば鹿児島で桜島の恐竜公園というところへ行ったのだが、実物大だかなんだかの恐竜像がいろいろ立ってるなかで、彼の知識で肉食恐竜であることが知れているものだけを怖がった。ブラキオサウルスとかステゴサウルスの体には平気でよじ登るのだがティラノだとかスピノには触れるのもおっかながった。彼の理性はむろんそれが命なき人形であることを知っている。これは「怖がる」というプレイでなくて何だろうか。だが、直感というよりは知識(観念)に由来するものであることがほぼ確実なこの恐怖心は、では偽物か、演技にすぎないのか、と言われると、うーん。見ているとどうも本当に怖がってるとしか思われない。無理にティラノに手を触れさせようとすれば泣き出したであろう。

昨日保育園で公園へお散歩に出かけてテントウムシを見つけて「他の子は怖がって遠巻きに見ていたけど太郎くんは全然こわがらないでテントウムシが自分の二の腕を這っていっても全然平気でえらかったです」と先生に言われてハァ?と思った。テントウムシ怖がるとかさすがに軟弱すぎん?

太郎がほんの赤ちゃんのときから我々が気を付けていることがある。大人がもっている恐怖とか嫌悪、つまり不の感情を伝播させないこと。たとえばわが人は犬が嫌いで蝙蝠を怖がる。だが太郎の前で犬の悪口は言わせないし、蝙蝠が出ても太郎の前では努めて毅然とさせる。子供というのは教えなければ(大人から出る恐怖の放射に被曝させなければ)なにも怖がらない、と思えばこそ。

逆に、子供の前で自分が持ってる恐怖とか嫌悪を不用意に口にする人がいて、うわ、と思うことがある。ごきぶりのことをすごくあしざまに言ったりだりとか、羽虫の群れをすごくけむたそうにしたりだとか、そういう人の、そういう態度・言説に遭遇すると、あわてて太郎の注意を他に向ける。古くは義母がいつもの癖で子供のいる場でついアメリカを悪罵するのを「あなたがアメリカを蛇蝎と嫌うのは勝手だけども子供にそれを押し付けないでほしい」とたしなめたことがあった。生理的不快とか、危険とか、ある種の根源的恐怖とか以外には、きらいなもの厭わしいものを持たないでほしい。そのために、大人にはこの世はあたかも快いもの好きなものばかりであるようにふるまっていてほしい。世界はおもちゃとお菓子とお友達でできている、と信じていられる太郎の黄金時代の延命に、世の人よ協力しちくり。(4/26記)

ランドセル/〇〇らしさ

朝日4/23天声人語。

時流わきまえてますよアピールが鼻についた。何もここまで自己統制しなくていい。「女の子がよく選ぶ色かもよ」くらいは別に言っていい。実際女の子がよく選ぶ色であろう。子供は保守的だ。高学年にさしかかるころ真っ赤なランドセルのことでイジられる可能性は十分ある。そのリスクを回避してあげることは親の親切であろう。小学校の6年間に本人の色嗜好の変化に合わせて何度もランドセルを買い替える財力があるなら別だが。

僕の感覚では(「私」が急にいやになったので今日は「僕」でいく)、服はともかく、ランドセルについては、今は色々な色がありますが、紫までならOK、ピンクは危ぶむ、「真っ赤」はまずやめておけと言うだろう。こんなこと書くと未開な野郎だなと言われますか。でも世間は未開ではないか。自分らの子供時代なら絶対それでイジられる。時代そんな代わってますか。その確信がない限りは、開明派ぶって「赤でも白でも好きな色えらびなさい、今はもう時代がちがうのだから」とか言えない。

とか頑迷固陋のクソ爺みたいなことを言ったあとでいきなり革命的なことを言うのだが、ランドセルって要らなくないですか。あんまり子供にランドセル背負わせたくないのだが。リュックでよくないか。ロシアとかウクライナの子は普通にてんで好き勝手にリュック背負って通う。それでよくないか。それなら時に真っ赤なリュックをしょっていき、時に真っ黒、時に虹色のリュックもしょっていく。あと3年で社会が啓けてもう通学鞄は何でもいいよということになっていてくれないかなぁ。と期待する。(4/25)

親の言うことと先生の言うことが矛盾した場合

このほど統一地方選が行われ、市内をうるさい車が巡行したが、太郎はこの車に「うるさい、あっちいけ!」と叫ぶのが常習だった。私は別にそれをたしなめなかった。どころか、そうだねうるさいよねと相槌をうつことでそれを助長さえしたと認める。だって、私の耳は子供の力いっぱいの肉声よりも大人の声がスピーカーを通してする候補者氏名の連呼の方をうるさく感じる、また単純なデシベル比較でいっても後者の方が大音量なのは明らかなので、子供にはうるさいと叫ぶ権利があるし、そう叫ぶ子供に対してうるさいと言う資格は誰にもないと思った。

それが軋轢をうんだ・・というと言いすぎだが、在園中、保育園のそばを選挙カーが通ったとき太郎がいつもの伝で「うるさい、あっちいけ!」をやったところ、新任の男性の先生がこれをたしなめたということで、まぁありそうなことよな。「ふじいせんせいは、そんなこといっちゃいけないっていったよ!」と子供が報告するのでそれではじめてこちらはそういうことがあったと知る。親と先生の言うことが矛盾した。さあどうする?

私は、太郎は理屈のわかる子供(しゅみが論理である子供)だが、これは分かるかどうか微妙なライン、というかある種これは世界観の変動にかかわることかもしれない、と危ぶみながらこう述べた:おとうさんはあの車は本当にうるさいんだからあなたはうるさいって言っても別にいいと思うよ、でも先生はそんなことを言うのはよくないって思うんだね、お父さんの思うことと先生の思うことがちがっているんだね、それはふつうのことだよ。そういうことはわりとよくあるよ。

で、子供はその後も選挙カーに対して毒づくのをやめなかったのだが、別のときにママにロシア語で「Нельзя кричать на машины, так говорит воспитатель, а папа говорит что можно」(先生は車に向かって叫んじゃだめっていうけどパパは別にいいっていう)とか報告していて、でママが「太郎はどう思うの?」と問うと、「Я думаю что нельзя, потому что воспитатель так говорит!」(だめだと思う、だって先生がそういうんだもの!)と言っていて、ママはなんか落胆した。内容はともかく、パパと先生のいうことが矛盾した場合に、もうこの年齢の子供は、先生のいうことのほうを信じるのか、もうそれほどまでに社会的に訓練されてしまったのか、このようにして情操や思考が平準化してしまうのか。

「正直、あなたがそんなふうに選挙カーに子供が叫ぶのを笑って見てるのはどうかと思う。でも、なんか、がっかり。」と妻。

だがその後も結局、太郎は選挙カーに毒づくのをやめなかったのである。ママに話したそのときたまたまそういう気分だっただけのことか。そうこうするうち選挙期間は終わった。

親のいうことと、園または学校で言われることが異なる。今後こういうことは色々出てくるだろう。私はあまり標準的でないことを思ったり言ったりしたりしがちな親なので。家庭の言語と習慣の半分が非日本である時点で標準からは常にはみ出ていくことが約束された人生である。私の希望は、「正しさ」に対して変に潔癖にならないでほしいということだ。また、正義を属人化させないでほしい。「この人が言うんだからそれが絶対正しく、そうあるべきだ」というふうには考えず、AはこういうBはこういう、色んな考え方があるものだ、だがことこの問題に関しては、自分はBの側にくみする、というふうに、あくまで是々非々に、また根拠をもって態度を決めてほしい。4/24記

しゅみは「論理」

相変わらず太郎の際立った特徴は言語能力の高さで、特に「論理」が得意のわざであるらしく、「〇〇が●●したから××なのだ」という筋道を見つけては、得意になって発表し、また反芻する。

たとえば。いま毎週日曜日に畑に行ってるのだが、これは市内で行われている子供農園というプログラムで、子供に土に触れさせようという意図のもの。先日とうもろこしの種蒔きをしたあと、畝を白いシートで覆っていて、「これは何でこうするのですか?」と私がスタッフに問うと、スタッフ氏は「鳥がきてついばんだりするので、それから守るのです」と答えた、その一連の会話を太郎が脇でじっと聞いていて、スタッフの説明はまだ終わっていないのだがそれを遮りかき消すような胴間声で「わるいとりがきてとうもろこしをたべちゃうんです、だからしろいシートをかぶせるのはせいかい!」とかしゃべりだした。「笑、うん、正解だね」とこちらが相槌を打つと勢いを得て同趣旨のことを何度でも繰り返す(なぜか演説口調で)、わるいとりがきて、はたけのやさいをたべちゃうのはえん・じー(NG)、だからシートでおおうんだよ、とりがたべないようにね!

この「論理」の元祖は(この記事にも書いたかもしれないが)約1年前に上野のカハクで太郎が今に続く恐竜趣味の芽生えを経験した、展示を見進めるに恐竜はかつていたが今ない、それは隕石が落ちて恐竜が絶滅したからだ、という論理を体得して、それに自身いたく感動して、「きょうりゅうはね、もういないんだよ!むかしいたけど、いんせきがごごごごごごぉとおちてきて、きょうりゅうはめをつぶってよこになったんだよ、だからいまいないんだよ!」と在館中も退館後も何度も何度も反芻していた。そのとき太郎はふたつのものを見出したのだ。恐竜、そして、論理。ふたつのゆたかな世界が太郎の前に開けた。

歯?

例の子の口だか歯だかがまた太郎の頭部に接触したらしい。なんかもう、わからん。

同じ子の同じ歯の禍がこれでもう3度目になる。1度目については本記事「咬む」で伝えた。2度目は「子供の身体の聖性」で。今回は別に歯型がついてるわけでもない。「太郎くんが振り向いたところにちょうどその子の口があってぶつかった」という2度目と全く同じ説明を受けたのだが……

Scene1 昨夕

順を追うと、昨日妻が子供をお迎えにいくと、太郎はお2階にある自分の組の教室ではなく、入口すぐの園長室にいて、園長先生に額に氷を当ててもらっていた。何でもお友達と頭と頭でごっちんこしたらしい。それでちょっと泣いたりもしたらしい。帰宅した妻からその報告を受けた私は当然すぐ太郎の頭にその痕跡を探すのだが何もない。たんこぶらしき膨らみの芽生えのようなものあり、だが痣にもなってない。これは別に大したあれじゃないなと思って太郎に「頭と頭がごっつんこしちゃったんだね~」と確認すると、ううん、という。え、では何があったの。と問えば、ちっちゃいてってをわぁっと開いて自分の頭を鷲掴みにするようなジェスチャーをして「こういうふうになったの」という。え、それは何、アイアンクローみたいなこと?と問うと「ちがうよ、あいあんくろーでわない。お口でわぁあっとされたんだよ」と。お口。このキーワードには私は敏感である。「噛まれたってこと?」「うん、かまれたよ」「だれに噛まれた?」「Rくん」←まさに1度目と2度目(2度目については諸説あり)と同じ子である。

少し間をあけて聞いてみた。「太郎はRくんのこと好き?」太郎、考えて、「あんまりすきじゃない」「なんで?」「いじめるから」「だれを」「Rくん」「Rくんが、だれを、いじめるの?」「おともだち。りんちゃんのこともいじめたよ」

というわけで、私の中で、Rくんの親との直接対決はもう不可避になった。それから、園とも対決せざるを得ないと思った。場合によってはもう退園だ。だってウソ言うんだもの。歯が当たったことを隠して頭と頭がとか言うんだもの。3歳児の言うことと大人の言うことどっち信じるんですかというのは酷な問いだがこれだけ明瞭に断言するのだもの疑えないよ、私としてはそら太郎を信じるよ。

Scene2 今朝

だから①Rくんのフルネームを下駄箱のところで見て苗字を認識する(Rくんが近所に住んでることは分かってるが並びの家のどれだかは分かってないので苗字が知りたかった)、あるいはその場にたまたまRくんの親がいればその場で話す、②園長先生に虚偽申告への失望そして園への信頼感の喪失を言い渡す、その2つのインテンションを懐中に本日朝の登園。太郎を担任に預け、園長先生に出てきてもらう。本当は園長に昨日の説明を繰り返させた後太郎にも昨日の自説を述べさせて「どうです矛盾していますよね、ところで先生はびっくりなさるかもしれませんが、私は自分の子供の方を信じるのですよ!」とこういう展開をもくろんだのだが妻に子供を巻き込むな、あと「頭に血が上りそうになったら私の顔を思い出してね、その顔はくちをつぼめてこう言っているよ:calm down, honey, caaaalllm dawnnnnn….」と言われていたので、子供を使うことはよした。で園長先生に「昨日頭と頭がごっちんこしたそうで」と低いとこから話しかけ、先生ははじめきょとんとしていたが「ああ、はいはい、昨日ですね」とピントがあうと「昨日は椅子に座ってるときに太郎君が振り返ったところにちょうど隣の子の口があって歯が当たる格好になってしまいまして、でもお迎えのときには腫れも引いていたので大丈夫かなと思いました」と一息にしゃべった。え、それ、昨日妻から聞いてた話と全然ちがう。むしろ太郎が言ってた話に近い。

藪の中!そしてユージュアル・サスペクツ。妻だったのか、妻の証言こそが虚偽であったのか?

私はなんかもうわからなくなり、とりあえず3度までも同じ子の同じ口だか歯だかで自分の子供の首から上が傷つけられたのだから親として黙っていられないのはわかるでしょう、1度目のほっぺたに噛み痕くっきりの衝撃はいまだ記憶に新しいですしね、おまけに昨日太郎にRくんのこと好きかと聞いたら(以下略)、要するにRくんというのは、攻撃的な子なんじゃないですか。大丈夫ですか。親には話していますよね。話していますか。じゃいいですけど。4度目はないように願いますよ。さようなら。今日もよろしく。といって、私は退散した。わからない。なんかもう、わからない。ただ平生お世話になってる園の園長先生の前でごくいやな感じの人間になった数分間をもったということの苦みで1時間ほど何か行動不能に陥った。ただ呆けて道端の鈴蘭の露を飲んでいた。

Scene3 今夕

で、お迎えの時間までに、しかしまぁこれだけはやっておかないとなと思いが定まって、お迎えは妻の番だったが代わってもらい、園で①Rくんの苗字を確認した。それから、②園長先生に、その説明が前日の妻からの伝聞と全然矛盾していることを打ち明けた。妻は頭と頭がごっちんこと説明されたと言う、先生はふりむいたらRくんの口があってそれに当たったという。あまりに話がちがう。妻は日本語が「それなりに」わかる人だ。こんな簡単そうな話がここまで食い違うというのは得心がいかない。つうわけで園長先生、とりわけ今回のような子供が怪我したり危険なめにあったときにはですね、うちの妻には平易な言葉で、ちゃんと伝わるように、話してやってください。分かりやすい言葉で話せばちゃんと理解できますから。妻には妻で、何か不明点あればおざなりにせずにちゃんと聞き返すようよく言っときますから。正直今回は妻が聞いた説明と子供自身の証言が矛盾しているのでウソを言われたと思って園への信頼が揺らぎました。と、全部ぶっちゃけた。で気分くさくさで帰った。あまりに苦虫汁がくさいので鈴蘭の露をやはり少し舐めていかねばならなかった。

妻(N1保持、歴20年、MGUISAA修士(日本近世史))に確認すると「ふりむいたらそこに口があった」なんてことは絶対に言われなかった、そのくらい言われたらわかる、と。それはそうなんだよなぁ・・。(4/5記)

水泳(featuring 習い事)

まずこれ見て。朝小3/10。

水泳やると頭がよくなるんですって! ……みたいな言い方が小2から小5までイトマン通った私が大して賢くもなってない証左だが、もともと水泳は習い事の王みたいに思っていて、というのも①海難事故での生存率が上がる②体が鍛えられる③学校でプールが始まっても困らない④何より人生の楽しみがひとつ増える、とメリットが多すぎる。ここへさらに「空間認識能力が高まる」可能性が加われば、最早やらない選択肢はない……だが、ちょうどこの間に、市民プール教室4・5・6月期の応募を私は逃してしまった。人が教えてくれてたにもかかわらず、億劫がって、調べようとしなかった。

ぼーっと親やってんじゃねえ!!!

3歳である。「〇〇ができるようになった、すごい!」とばかりも言っていられない。のちにその分野で一家をなしたようなたちは結構3歳くらいからもう何か始めている。やばい。3歳か。「もう」3歳か。という視点がそろそろ出てくる。

運動系と、あと音楽。いろいろ試させた方がいい。あとで本人が選べるように。どうかなぁ。こんなことブログに書くのもどんなもんかなぁ。私が一番好きなのは人に凄いとか偉いとか思ってもらうことで、二番目に好きなのは人を安心させることだ。あんまり好きじゃないのは人に焦慮を与えることだ。こんなこと書くと人を「あっ、やばい、私も何かしなきゃ!」みたいな恐慌へと駆るかもしれない。それはあまり望まない。健康でいてくれればそれで充分、みたいなおおらかさも素敵だ。何もかもやろうとして何もかも間に合わない子育ては苦しい。だが水泳と音楽。これには近いうち手を染めようと思う。私は、この「私」もいい加減はなについたね、僕は、習い事は4つやっていた。当ててください。プールと、あと何。

・プール
・水泳
・泳法
・川泳ぎ術

正解は、プールとピアノとお習字とサッカーだ。どこぞのお坊ちゃんだ。よくもこんなにやらせてくれたものだ。いずれも小学校入ってからだが、やはりなにがしか人生の糧にはなっている。太郎の習い事、少しずつ考え(また実践し)始めないといけない。(3/23記)

落下

以下、「戦記」より転載(一部記述を改め)

いやな夢を見た。夢見の気分支配力は強く今日は一日「いやな夢を見た男」として過ごす。1年前の太郎つまり2歳児くらいの子供が果敢にうんていを登っていて、それを今の太郎(3歳)が脇で見ていた。うんていは6段上がったくらいのところで途切れていてそれ以上上がったら危ないなーと思いながら見ていると、あにはからんや、存在しない7段目をつかもうとしてバランスを崩し頭から落ちた。あなやと駆け寄り(そのとき私のblameは不条理にも太郎3歳に向かった、お前もう大きいのに、おにいちゃんなのに、なんで受け止めてやらなかった、支えてやらなかった、注意してやらなかった!)その子を抱き上げてみると首がぐだんとしている。死んだ。慌てて大声あげる、「救急車を!」

落下は一種の根源的恐怖である。藤本タツキ先生も言ってはる。マリオの死因の8割は落下である。それは不意に襲う。太郎は近ごろ身体操縦術に自信をつけて高難易度遊具へも果敢にトライするようになった。それを頼もしく感じ、妻がすぐに添え手しようとするのを待て、行かせろ!と制止したりなどするのだが、やはり落ちるときは落ちる、そして落ちた先には深淵があるかも知れない。地面に巧みに自己を偽装した深淵がね。だから、兼ね合いが難しいが、子供にいたずらに依存心を起こさせず、子供の勇気を鼓舞し……つまり、具体的には①子には手を触れない②親の存在を子供に気取らせない、かつ、致命的な帰結をしっかりと予防するようなセーフティネットを用意しておく、具体的には、「子供は落ちる」を前提に、いつでも飛び出していけるよう身構え・心構えをとっておく。遊具の高所難所においては常に。

「チェンソーマン」落下の悪魔の描写では、アパートから人たちがタナトスに駆られて流星群のように陸続と落下していく。その中にひとり子供の姿があって、ものすごくもやっとするのだが、ついそちらを見てしまう。見ては目を背ける。そこは描いてほしくなかった、そこは手心を加えてほしかった。エリック・クラプトンのTears in heavenは死んだ実の子を想って書いた、その子はタワマン上階から転落死したという話だったよね。あとホワッツ・マイケルだか動物のお医者さんだかで、アパート高階住みの人が飼い猫をうっかりベランダに出してしまってその猫がベランダの手すりの上を優雅に伝い歩きしているのだが飼い主は見てて気が気でない、風が吹けば猫はよろめく、でも持ち直してけつぺたで座ってうしろあしでかっかっかと後ろ頭かいたりするのだがそんなこと悠長にしてないではよ降りて~!と祈るように叫ぶ。これらすべての表現・先例が私らに教える。落下はやヴぁい。子供から目を離したらあかん。(3/21記)

折り紙の本

皆さんこのシリーズ知ってますけ。

厚紙を束ねた本で、その厚紙から部品をくりぬいて、んで組み立てるとこうなる↓

太郎の呼び方によれば「折り紙の本」。シリーズでいっぱい出ている。私らはこれをぜいたく品として3か月に1冊あて買っていて、今のこの魚のやつは4冊目だ(恐竜→鳥→巨大ティラノ→魚)。

何しろ面白い。ぽっちゃんからすると、紙の中から立体が組みあがる驚異。魔法である。誰よりも、作る私が面白い。くりぬくのはぽっちゃんだが組み立てるのは基本わたしがやる。難しいところもあるからね。木工用ボンドとかも使うよ。一冊買ったら1日3体あて(朝に1体、夕べに2体)作って、それだけで1週間もつ。で、できたらできたで、またこれですげー遊ぶ。買ったのは先々週だがいまだにヘビロテで遊んでる、さっきも遊んだよ。そして何より、お勉強のきっかけになる。太郎はもう上記写真の魚は全部言える。リュウグウノツカイ、エンジェルフィッシュ、ホオジロザメ、カスザメ、ネコザメ、ヘコアユ、ナガヅエエソ、シルバーアロワナ、シイラ、オーストラリアハイギョ。で、ちょいちょい動画も見せる。ヘコアユてこれどないやねんと私でも思うので、ちょい動いてるとこ見てみようかといって、YouTubeで探してみる。そんなこんなで関心が促進される。すばらしい、まったくすばらしいアイテム。

一冊1000円ちょっと。これからも買う。今度は爬虫類・両生類の巻を買ってみようか思ってる。あと、この魚ブームを逃さず、一発どっか水族館行こうと思ってる。江の島のやつ再訪か? いや、ふっふっふ、4月半ばにもっとすごいやつ計画してる。ふっふっふ。ジンベエ。(3/20記)

ライオンちゃん

前も書いたが、あまりこういうことをする親は多くないと思うが、公園とかで偶然会った子とすごい相性よくてすごく楽しく遊べて、親(多くママさん)も良い人そうだったら、その出会いを一期一会のことにせず、連絡先を交換したり次会う約束したりとかしてキープする。

基本的には、次会う約束だけでは足りない。とかく子は体調急変するのでどちらかの都合で約束の日落ち合えないということは全然あり得る。するともう次の偶然の邂逅に期するしかないのであるが、そうそう同じ人には会えないものだ。典型的な会話:(すごい合うなと思った子の親に)ここよく来ますか。はいよく来ますよー土日とかしょっちゅう。なら次また会えますねー、で会えない。永遠に巡り逢わない。

たぶんさらにさかのぼると、原体験として、やはりオデッサで仲良くなってまた会えるかなー会えるわなーと思った子ともうほぼ確実に再会が望めなくなったことのトラウマがある、かもしれない。生の不確実性を悟った。

話を戻す、だから「次また同じ場所で会える」ということに期待するのははかない。もっと具体的にいつの日にどこでと約束するだけでも片手落ちだ。連絡先を交換してしまうのが一番いい。それでこれまで2人LINE交換した。一人はバングラデシュ人のベハルジャ君4歳のママ、一人はライオンちゃん5歳のママ。後者とは今日も会った。楽しく遊んだ。ライオンちゃん実に実にいい子。そして太郎がこのライオンちゃんを好きなこと!「らいおんちゃぁあん!」と広い公園でゆくえが分からなくなったその子に呼びかける(相手は5歳なので行動スピードが合わずしばしば公園内で離ればなれになる)、するとぴくっとライオンちゃんは顔をあげうちの太郎を探してくれる、「はぁい!」そうして合流してまた一緒に遊ぶ。

あと一人いれば完璧なのだ。その一人とは、二度出会って二度とも良かった陰矢(いんや)君3歳。うちのと歳も同じだし、マジで良かった。相性最高だった。二度目のときママ氏と連絡先交換しておかなかったことが心底悔やまれる。私らの主戦場の公園で出会って、向こうも先日その近くに引っ越してきて今はここが主戦場と言っていたから、さすがに余裕で会えるだろうと思って連絡先聞かなかった。だがこうして2週間会えていない。次は逃さぬ。我は狩人。

ぼく

太郎の一人称は長らく「わたし」だった。だが昨日くらいからはっきり自分を「ぼく」と言うようになった。ああ。幼いこいちゃんが(こいつをこいちゃん、あいつをあいちゃんと呼ぶ呼び方もいずれなくなろう)自分のこと「わたし」と呼ぶおかしみ、もう帰ってこないなぁ。

毎日集中しよう。全力で向き合おう。子供の今を私自身楽しむこと。そして、妻の日本での生活を快適かつハピーなものとすること。それより優先することは何もない。何一つない。(3/1記す)

子供の身体の聖性

何につけてもモンスター〇〇ではありたくない。人間でありたい。人間の限界の内側であらゆる難事を処理していきたい。だがときにもう人間やめていいですかという気持ちになる。ごめんなさいもう無理です、持ちきれません、モンスターになってしまわせてください、許してくださいもうラクにならしてください……と言いたくなるときがある。

だが今回は、多分、なんとかギリ人間の埒内に踏みとどまることができた(と思う)。まぁ順を追って話そうよ。一昨日、保育園のお迎えで、ふーみん先生が、「じつは今日、ここなんですが(太郎のえりぐりをおし広げて)この肩口のところ、この傷は、太郎くんがちょっとお友達にしつこくちょっかいを出しまして、そこにちょうどお友達のクチがあって、歯でこう噛むというか、削る?ような格好になってしまいまして、……止めることができなくて申し訳ありません」太郎はあっけらかんとしているのだが「そのとき泣きましたか」と問うと「はい……」と先生。また噛みか。実は先年11月末に「太郎がお友達にしつこくちょっかい出してお友達に噛みつかれる」という事件があって、本記事「咬む」の項でも取り上げたのだけども、その噛まれた場所というのが頬っぺたで、いくらなんでも人間の顔を噛む(それも数日噛み痕が残るほど強く)というのはちょっと異常であろうと、かなり私や妻の内心はざわついたのだった。「前ほっぺた噛まれたときと同じ子ですか」とふーみん先生に聞くと「はい……申し訳ありません……」ここで私は内心のモンスターがざわつくのを覚えた。異常性。二度までも。人間に噛みつく子ども。一度あったことなのである。それが繰り返された。どんな親なんだ。どんな親がこんなことを子供に繰り返させる。ものを言うべき相手は子供の保護者であるはずだったが、とりあえず目の前のこのふーみん先生を打ち据えて(言葉でね)やりたい暗い衝動が滾った。

子供の身体は親にとって聖なるものである。その身体を傷つけられて、血を見るほどにだ、それも二度まで。「太郎がしつこくちょっかいを」というが、それで二度までも噛みつかれて血を流しても応分といえるようなちょっかいの出し方など想定できるものか。

「同じ子ということは、Rくんですね」「……そうですね」「前のときRくんの親には言いましたか」「……」」「今回、言いますか」「……はい」「言ってください。強く言ってください。異常ですよ。お友達に噛みつくなんて。一度ほっぺたに噛みつくということがあったわけじゃないですか。それで結局直っていないんですよ。二度と繰り返されないように、その子の親にきつく言ってください」こう書き出してみるとそうモンスターじみたことも言っていないと思うのだが、語調は相当に険しかったろう。どうしてもふーみん先生をいたぶる格好になった。帰り道そして帰ってからも気持ちがくっさくさくさくさした。それで妻と話してて、これがもし本当にRくんなら近所だから、親に直接言いに行った方がいいと思う、と言った。園にとって子の親は客だから強く言えないかもしれない、モンスターにはなりたくないが、菓子折り持ってにこやかにおとのうてしかし言うべきことは言おう、と。

だが、結果的には、早まらなくてよかった。のだと思う。翌日の連絡帳で園長先生にあててことのあらましを述べて、こういうことがあった場合に加害側の子の親にきちんと連絡をしているのか、現場で物理的に暴力を阻止できなかったことについては何ら先生方を非難する気はない、少ない人数で多くの子供を見て目が行き届かないことも多々あろう、だが親にきちんと言っているのか。こうして繰り返された以上は、その伝え方は足りなかったと言わざるを得ないのではないか。とこう書いて送った。そんでお迎えのときふーみん先生が相当おどおどした様子で出てきて、もうこのひと気の毒だから園長先生に直接言おうと思って「園長先生いますか」と言ったら「います」、で事務室に入って相当長い時間ごにょごにょして、したら園長出てきて「今回は前回の子と同じ子ではない、太郎が入口で立ちはだかっていたところへちょうど駆けてきた子の歯が当たった、止められなくて申し訳なかった」との説明であった。それなら全然話が違ってくる。「それなら全然違う話ですね」。てか文字通り、「話が違う」。ふーみん先生の言ってたことと今回語られたストーリィ。「それから、こういうことがあった場合には、傷をつけてしまった子のほうの保護者にも、きちんと報告をしています。前回もしましたし、今回もしました」……そうですか。

これを帰って妻に報告したらあまりに話が違うので唖然として「そんなことあるか。現場で見ていたふーみん先生がRくんだと言ったのじゃないか。口裏合わせたんだよ。話を捏造したんだよ」とまぁ当然といえば当然の反応だが、私は園長先生説を信じることにした。理由はいくつかあるのだが、一昨日お迎えのとき「誰にやられたか、Rくんか?」と太郎自身に問うと「ううん。Aくん。」との答えであった。私は大人のふーみん先生の証言のほうを重くとったが、太郎にもいい加減一定の証言能力は認めてやってもいい。ふーみん先生の方こそ昨日は蛇に睨まれたカエル状態だったので圧にのまれて虚証してしまったかも。あと、太郎の肩口の傷は、たしかにどうとでもとれるありようだ。噛まれたのでなくぶつかった、当たった、と言われればたしかにそう見える。何より私は今回半ば獣人化して、結果的に先方にそれなりのプレッシャーをかけた。「加害側にも伝えた・伝えている」との言質も得たので、もういい。(3/1記す)

他者を尊重する

難しい場面がある。太郎がよくないことは確かなのだが、何が問題の本質なのか分からない。たぶん複数の問題が複合しているのだが、それをどう腑分けすればよいか。そうして、シンプルで分かりやすいメッセージにまとめて子供に届け、確実な学びとなるようにしたいが、何をどういう言葉でいえばよいか。

case1:子ども食堂

月に一度の子ども食堂、好きなNさんとこの三姉妹に会えるので私自身たいへん楽しみにしているイベントなのだが、この日のメニューはカレー、もこちゃん2歳は隣でいい子に食べてるのに、太郎3歳は「にんじんないと食べたくない」とか「ごはんぽろぽろ落ちる」とかうだうだ言って全然食べ進まず、それで横からママが手伝おうとするとНельзя!(だめ!)とかヒステリックに叫んで拒否る。「帰るか?」と私が厳しく言うとしばらく食べるのだがまた手が止まり、しまいにゃ「おいしくない」とか心にもないこと言い出す。全てを否定したいモードに入ったのだ。このモードのときたとえば「もこちゃん偉いね一人でいっしょうけんめ食べてるよ」と水を向けると「えらくない」どころか「たべてない」と明らかに事実に反する断定をする(もこちゃんは現にたべているのである)。もうスプーンは全然止まってしまって、世界否定の呪語をうだうだうだうだ口から垂れ流すだけの不快なマシーンになってしまった太郎に、ママがЕсли ты так себя вести то мы никогда не придём на карри-парти, потому что маме СТЫДНО!!(そんならもう子ども食堂には二度と連れてこないよお母さんはあなたが恥ずかしい!)など言うと太郎も売り言葉に買い言葉で「うん、もう来たくない」とか言う、ああそう、ならいいですよ!ここへ至って私がキレてしまい、太郎の食べかけの皿をひっさらって残りをかきこみ、とっとと片付ける。太郎も情勢の変化を見て取って「お皿返してぇまだ食べたいよぉ」と泣きすがるのだがもはや聞く耳持たぬ、太郎をひっ抱えて会場を後にし、自転車に乗せて家へ走った。後部座席でずっと喚いていた。おうち帰りたくないよぉ、カレーパーティにもどりたいよぉ!!

case2:朝のあいさつ

朝の太郎は天使である。にこにこにこにこして、おとうさんおはよう!という。同じ天使でママにはДоброе утро, мама!(ママ、おはよう!)と言わねばならないのだが、なぜかママへの挨拶だけしたがらない。ママがなんか(むろんロシア語で)話しかけても無視して「じゃあおとうさん何してあそぼっかぁ?」とか私にばかり日本語で話しかける。「ママに挨拶しなさい」と私が促すと、その瞬間に例のスイッチが入って世界の全てを否定したいモードに入った。「挨拶しなさい」「あいさつしない」「ママに謝りなさい」「あやまらない」「挨拶しないならおとうさんもお前と遊ばないよ」「遊ぶ。遊ぶの。ういぇええええんんん(涙)」これで平和な朝は完全に壊れた。もう朝ごはんも食べようとしない。朝の排尿すらこばむ。ママはママで子供に無視されたことに傷ついてしくしく泣いている。さてここで問題です。何が問題の本質ですか? 何の問題と何の問題が複合してる場面ですか? 私は子供に何をどんな言葉で言えばよいでしょうか。シンプルな言葉、わかりやすいメッセージ。とりあえず私がしたことは太郎の強制撤去である。だって保育園には行かねばならないんだもの。親は仕事せねばならず、いつまでもこの平行線を楽しく歩いていられないんだもの。自転車の後部座席でずっと喚いていた。保育園行きたくないよぉ、おうち帰りたいよぉおお!!

皆にとって気持ちよくする

これが正解ですとかいって提示するわけではない。とりあえず私が思う結論は、問題の本質は、つまり何をこの際子供に教えねばならないかは、つまり伝えるべきシンプルなメッセージとは、「みんなにとって気持ちよくしなさい」ということだ。

もちろん説明がいる。説明します。(という時点ですでに「伝わりやすいシンプルなメッセージ」ではない。)第一のケースでは、皆が気持ちよくカレーを食べている場で、少なくともパパもママも楽しみにしており現に楽しんでいた場面で、ごはんつぶが落ちただの些細なことで気分を害して、周りの人間たちの気分まで害してはいけない。そのような権利はあなたにはない。そして第二のケースでは、朝はパパもママも気持ちよく過ごしたい。気持ちよくなり得るはずだった。私はおはよう、おとうさん。といわれてとても気分がよかった。ママも同じことを求めた。でもお前は拒んだ。そうしてすべてを否定して、ごはんもたべず、私たち(お前自身を含む)の朝を台無しにした。そのようなことがあってはならない。これがすなわち、皆にとって気持ちよくする、ということです。

私は問題の本質をこうとらえて、こう子供に伝えているのだけど、どうでしょうか? と敬慕する子育ての先輩であるNさん(9歳・5歳・2歳の三姉妹の母)に後日聞いてみたら、「笑。子供をひとつの人格として尊重しようとしている姿勢はすごく何丘くんらしいなぁと思って微笑ましいけど、でもね、わたしの経験からいって、3歳の子供にはそれは早いよ。そんな複雑なこと理解するよう強いるのは酷だよ。届けるべきシンプルなメッセージは、第1のケースでは『ごはんは黙ってちゃきちゃき食べる』、第2のケースでは、『朝は必ずあいさつをする』。これだよ」とさとされて、うへぇそうかぁ、と結構くらった。私ってやっぱ歪んでいるのかなぁ。隘路に隘路に入っていく私。

その後どうなったか

この経験のなかで一番有効だったのは結局、物理的な強制退去であったようだ。子供の世界否定モードは「親の忍耐力の限界との危険な戯れ」である。親の言葉のすべてをひっくり返しながら、子供は親の忍耐力の限界を試している。しかし親はその戯れにいつまでも付き合ってはいない、ある臨界点を迎えると楽しい時間・いたい場所・続けたいことが強制終了される。そのことの学びは手痛く骨身に刻まれたようだ。試みることそのものが少なくなった。(これ書いてる時点で上記case1、2の発生から約1か月が経過している。そろそろ次の子ども食堂だ)

Nさんの助言にもかかわらず、私は基本的に方針を変えなかった。人は一人で生きてるのではない。お前とて例外ではないよ太郎。私たちはお前が気持ちいいように努力している。だからお前も私たちが気持ちいいように努力する必要があるよ。お互い様なんだよ。ほぼこのような言葉で繰り返し繰り返し言ってきた。そのことと、物理的な強制退去の、どちらが結局効いたのかはわからない。だがとにかく、今では朝のДоброе утро(おはよう)は欠かさない。先月の時点ではもう子ども食堂は金輪際連れて行かないと決めていたが、こんどある今月の子ども食堂にはふつうに連れていくつもりである。そこで気持ち悪い子にならないかどうかが試される。大丈夫だ、と……思う。

1月読んだ本

今年は100冊本を読みたい、と言っていた。ただ適当な100冊でびゃーっと目を洗うのでなく、気に入って何度も読み、寝物語で目をつぶってても克明に絵が浮かび、お話を順を追って思い出せるような本を100冊もつ、ということだ。とりあえず今月はこの6冊。

「たのしいふゆごもり」は雪が降る前にふゆごもりの支度をしましょうねといって熊の母子が木の実を集めたりはちみつを集めたり魚をとったり綿(わた)を集めたりする。ほんでおうちへ帰っておいしい焼き魚たべてあったかはちみつドリンクを飲んでふと窓を見たら雪が降っていた。よかったね間に合ったね。お友達のカエルやヤマネのお人形を母グマにこしらえてもらってはい、おやすみなさい。

「どうするどうするあなのなか」は野ネズミ3匹と山ネコ2匹が走ってたら(後者が前者を追いかけていた)、皆仲良く深い深ーい穴に落ちちゃって出られなくなった。山ネコはすぐに野ネズミを食べようとしたが野ネズミはいう、ちょっと待って、今私たちを食べたってどうにもならない、一瞬お腹いっぱいになってもすぐまたお腹すいて果ては白骨死体になるよ。それより今いるこの計5匹で穴から脱出する方法を考えたほうがいいんじゃない? それであーでもないこーでもないと5匹で頭ひねってたら雨が降り出して終いに穴が水でいっぱいになって、必死でもがいて気が付いたら皆穴の外に出てた。一息ついたらまた議論が再燃して、いったいどうやったら5匹は穴の中から出ることができるのか、その方法をいつまでも話し合っていたのでした。穴の外で、5匹仲良く。

「ダットさんうみをはしる」これはとんでもない本だった。シリーズの中の一冊なんだと思う。主人公は赤い車の「ダットさん」で、いろいろ意味わかんないのだが、何しろ海の家でシマネコはかせとボウイくんがスイカを食べてるんですよ。んでスイカ畑に泥棒が入って追いかけたらスイカ爆弾を用いて攪乱してきて、さらに追いかけたら孤島に秘密基地があって悪いやつらはそこでスイカ爆弾を作っていた。ボウイはシマネコはかせに電話して応援を頼んだ、たくさんの車が出動した、ほんで魔法の言葉「ルネントマパッオ!」を唱えたら車たちは空飛んで、そうしてスイカ爆弾を全部運び出して一か所に集めて爆発させたらスイカ爆弾花火になった。それをシマネコはかせとボウイはスイカ食べながら眺めたのでした。了

「とんかちくんとのこぎりくん」。シュモクザメとノコギリザメはともに海の暴れん坊だったがある日老亀に「人の役に立つことやったらどうか」と促されチョウチンアンコウが現場監督を務める工事現場で①ノコギリザメが材木切る②シュモクザメが釘をうつ、で織姫様の竜宮城が建った。お姫様から感謝されもてなされ、「人の役に立つっていいなぁ」と思ったし、シュモクとノコギリは仲良しになった。おしまい

「ゴムブタボート」これは確信犯でナンセンスな話。ある日カラスが子豚のとこにきていう、「お前はピンク色でみっともないから空を飛んで冷やしてこい」。ブタちゃん言われるまま崖から飛び降りたら思いのほか上手に空を飛べて、飛んでるうちに体がどんどん大きくなって、ほんで町に降り立ったところへ例のカラスがまたやってきて「お前は体が大きすぎてみっともないから川に入って冷やしてこい」という。言われるまま川に入ったらそこには「スイカのしまうま」とか「ゴーヤのわに」とか野菜と動物が融合した謎生物がいっぱいいて、そいつらを全部のせてゴムボートと化したブタが川を下っていった……もういいか。

「ねこはるすばん」これ素晴らしかった。飼い主が出ていって家にひとり残された猫はたんすの中に入っていく。したらそこには猫の世界があって、カフェで茶は飲むわ、トコヤで整髪するわ、映画は見るわ釣り堀いくわ寿司くうわバッセンいくわ銭湯入るわ、ほんでそろそろかなーとかいって猫の世界から人間の世界へ帰る、たんす、そのときガチャリ玄関あく、猫駆けてって「にゃあ(お帰り)」(1/31記)

覚えておくとよいこと

17歳のジョニー少年はアナログ時計が読めない、小学校で習ったときちゃんと聞いてなかったから。そういうことはある。脳がやわらかいときそこだけ妙にさぼってしまって以後いつまでもできない・覚えられないこと。

逆に、脳がやわらかいときそこだけ妙にがんばって覚えて、その後一生できてしまう技能、忘れない知識というものもある。そういうものをなるべく多彩に持たせてやりたいと思う。

たとえば私は、干支を言える。ねうしとらうたつみうまひつじさるとりいぬい。これ、言えない人は言えないと思う。むかしNHK「みんなのうた」で干支の歌というのがかかって、「ねーうしとらうーたつーみー、うまひつじさるとりいぬいー」と歌うのだが、それが耳にこびりついて今もとれない。

また、たとえば私は、数の単位を無量大数まで言える。一十百千万億兆京がい、ここから字がわからないのだが、じょじょうこうかんせいさいごく黄河砂あそうぎ那由他不可思議無量大数。間違ってたらゴメンナサイ。これは小学校低学年の算数のテストで、当時私は神童だったから全問一瞬で解いてしまうのだが、私のような神童向けに「早く解き終わってしまった人が読む暇つぶしコラム」つうものが答案用紙の隅にあって、そこに数の単位の話が載っていた。それで覚えてしまった。その一回きりの機会で覚えこんだムダ知識をその後一生覚えているのである。脳が柔らかいとはこういうことだ。

で、ムダ知識とはいうものの、「太郎にも、無量大数まで言えてほしい」と願ってしまう親心。干支ももちろん言えてほしい。いろいろ、将来のひとネタのために、持たしておいてやりたいのだ。

逆に自分が時宜を失して覚えられなかった(覚えられない)ことでいうと、星座。星の名前とか星座の位置関係とか、ぜんぜん覚えられない。私の地元の図書館には小さいプラネタリムがあって、100円で見られるから高校生のときとかよく行ってた。たぶん人生で30回はそこのプラネタリウム見てると思う。でも何度聞いてもだ、「〇〇座の肩のところ、夜空にひときわ赤く見えるこの星は……」と前フリを聞きながらえーっとえーっとと力むのだがやっぱり出てこない。どれがシリウスでどれがベテルギウスだかわからないのだ。これも、もっと脳が柔らかいうちにばばっと覚えてしまっていれば、一生の財産にできた。

こういうのはロシア語にもある。虹の七色、言えますか。ロシア語に覚え方があって、Каждый охотник желает знать, где сидит фазан(猟師は皆知っている、どこに雉が隠れているかを)という。この順に、外側から、赤オレンジ黄色緑水色青紫なのである(красный, оранжевый, жёлтый, зелёный, голубой, синий, фиолетовый)

あかさたなはまやらわ、の順にも妻の考案した覚え方があって、А коса – то не химия(おさげ髪は天然ものよ)これは名作だと思う。妻が生徒に日本語教えるときはこれで五十音順教えてる。

ABCの順番が言えない人もいると思う。こういうのも覚えておくと何かと便利だ。で、時を失すると覚えようとしてもなかなか覚えられないもの。私、ロシア語のアルファベットの順迷うことあるもん。研究社は分厚すぎるため腹のとこにぜんぶアルファベットが書いてある、だから引くのに困らないが、

それに甘えて覚え方が曖昧である。今試しにаからそらで言ってみたが案の定зからкに飛んでしまった(иを飛ばした)。

知っていないと困ること、知っていればたぶん何かのときに役に立つ(かもしれない)こと、いろいろ仕込んでおいてやりたい。将来への手土産。花の名、木の種類、犬の種類、鳥の種類、星座、いろんなこと。(1/30記)

ロシア語をいかに支えるか

妻が日本に在住するロシア語を話すママたちのFacebookコミュニティで「子供が日本にいてもロシア語の能力を維持向上できるようにするにはどうしたらいいですか?皆さんどういう取り組みをしていますか?」と質問投げてみたら猛烈な勢いで多数の回答が寄せられたということで、この問題がいかに多くのママたちの深刻な悩みのタネであるかが明らかになった。

一番多かった回答は、Мама должна говорить и говорить по-русски、ママは子供にロシア語で話かけ、話しかけ、また話しかけるべきであると。たとえ子供が「ママは日本語がわかる」ということが分かっていたとしても、二人きりでいるときは、必ずロシア語で話しかけること、そうして子供に対し、ロシア語での語り掛けにはロシア語で応じるよう根気強く要求すること。生活の他のすべての部面が日本語ひとつで済むところ、どーせママも分かってるんだからママに対しても日本語でいーや、と子供は省力しようとする。だが行かせない、ラクな道は。

また、ロシア語の読み物を手に入れて、読み聞かせること。ママの口から出る言葉が野菜ちゃんと食べなさいとかうんこしなさいとか歯を磨きなさいとか生活密着の言葉に限定されないよう、いろんなテーマでロシア語を聞けるよう。本だいじ。

家族の協力も大事。ロシア語は二流の言語なのだと子供に決して思わせないよう、たとえばパパの口ぶりから子供がそういう示唆を受けぬよう。これはたとえば、想像だが、パパママ間の語学力にうちほど対称性がない家庭、たとえばロシア語ママは日本語達者だが日本語パパはロシア語ほぼ分からないという場合に、ママと子供がロシア語で長く話しているのにパパ氏が横から口出して「おーい分からないぞぉ日本語で話してくれー」など言う。こういうことがあってはならない、――というような話ではないか。いや、決してバカにならないポイントだと思う。ロシア語の尊厳を、非ロシア語話者の側が傷つけないこと。ロシア語が家庭内でリスペクトされてあること。

もうひとつは、日曜学校とか、オンラインのなんかスクールとか、そういうサービスを利用する。語人の集まりに出かけたり。とにかくアンテナ張って、機会をつくって、出かける、顔を出す、サブスクライブする。まぁざっと、こういうアドバイスをいただいたそうです。

一人だけ天邪鬼みたいな逆張りみたいな「むかうむきになつてるおつとせい」みたいな奴がいて、ロシア語なんかできなくなってよくないですか、ずっと日本で暮らすんでしょう、できなくて何か困ることがあるんですか、と発言し、皆から大バッシングを受けていた。それも含めて色んな意見が見られて面白かった、と妻申しておりました。

3歳児健診

3歳児健診を受けてきた。まず目の検査があって、乱視かどうかチェックした。乱視じゃなかった。次に問診というか、問答があって、これは知能とか会話能力とかを見るものだった。名前なに、とか、何歳、とか、今日はここまで何できたの、とか、いろいろ聞いてくる。隣で私は黙ってるのだが、子供のパフォーマンスがいまいちなのでやきもきする。どうした太郎、自転車だろうが、自転車、そのくらい言えようが!すげえ気持ちつんのめるのだが、隣で黙って座ってる。んで心で言い訳してる:あのねアンタ、審問者よ、太郎がまごついてるのはね、あんたが初対面で若干緊張してんのと、あんたがマスクとアクリル板の二重の障壁越しにしゃべってて聞こえ方明瞭でないのとそのためですからね、本当はうちの子そのくらいおちゃのこさいさいなんですから!(親バカ)

ほんで身体測定。パンイチになって身長体重、頭囲測定、聴診、口あーん。脱衣はお手のもの、衆人環視のもとパンツねこやるチャンスだぞ、と拍車をかけると、自分でするするシャツ脱ぐズボン脱ぐ。三歳児健診なので周りの子も皆三歳児とその親、どーだ、うちの子は自分で服脱ぐんだぞ、誰か見てくれてないかな、すごいねあの子と指さしてなどいないかな、と探してる。密かに周囲に目を走らせた自分を告白する。親バカ。

すべて問題なし。だがいろんな人から言われた、予防接種の履歴は?なんで母子手帳空白なの?「もしかしてワクチン接種しない主義の人?」いいえ私は平成理想主義の人、実は長く海外に行っていまして母子手帳というものは最近もらったんです、予防接種は一通り受けているはずなのですがどれとどれとどれとは今ちょっと名指し難い、そうして接種歴が記されたカルテは事情があって回収不可能なのです。

母子手帳は長く使うもので予防接種の記録はやはり持っていた方がいいということなので、従う。といって、現地のカルテが回収不能だというのも本当なので、残された手は一つ、私たちはウクライナ保健省の定めるこの時期にこれを接種しなさいというのに完全に準拠して接種してたはずなので、そのウクライナ保健省の2歳児以下のガイドラインを見ればそこに即ち私らの接種歴があると見なせる。

ほんで最後に歯科検診。乳歯は20本全部生えそろっていますね。……え、それだけ?「それだけ!」ちょっと歯ブラシとか上手くできてるか自信ないんですけど、問題なさそうですか?この調子で磨いてればひとまず大丈夫そうですか? ……まず大丈夫でしょう。

というわけでひとまず万事大丈夫そうなぽっちゃんでした。これからも見守ってやってください。

保育園行きたくない問題

保育園行きたくないゆうねん。どうしよ?

まず朝起きるのが遅いというのがある。その前にはまず夜寝るのが遅いというのがあって、その前には昼寝すぎるというのがあって、あるいは朝起きるのが遅いというのがある。

とにかく朝起きるのが遅い。7時半とかだ。で、8時半には保育園行かせたい。9時には絶対行っててもらわないといけない。「7時半起きて、8時半に保育園へ? 1時間あれば余裕っしょ?」そう思うやんな。でも、хорошо забытое староеて言うでしょ。新しいものとはよく忘れられた古いものの別名です(новое – это хорошо забытое старое)て。30過ぎると時間たつの早いというが、逆にいうと、3歳の子供は大人の想像を絶する超濃密な時間を生きているから、昨日の夜のことなんかもうはるか遠い、忘れ去られた過去になっている。んで、朝起きると昨日遊んだおもちゃが新たな輝きを帯びてめちゃめちゃ魅力的に見えている。だからそれでひとしきり遊んでから保育園行きたいのだ。それにプラスして朝食の時間などもあるから、1時間では到底足りないということになる。

モーニングルーティンはひととおりつつがなくこなせる。お腹すいてるから朝食たべるし、しっこ溜まってるからおしっこもするし、パジャマから服に着替えるのも朝の自然として受け入れてくれている。だが「ではさて保育園へ出かけましょうか」というのが呑み込めない。そこだけ「なんで!」という感じがするらしい。強制という感じ、好ましい時間の流れからの脱線。玄関出るとき泣いてる。靴履くのに泣いて抵抗する。泣きながらママに拉し去られる。んで自転車の道中は泣き止んでいる。んで保育園ついて先生に預けるときにまた泣く。これが月・火と続いている。

子供が泣きながら運ばれていく様子は聞いていてつらい。そんないやなら明日一日休ませようかとか考えてしまう。だが実際私も妻もやるべきことがあり、子供には保育園行ってもらわないと困るのだ。だから結局は持ってきかたのartが私たちに足りない、話の持ってき方、流れの作り方。それが弱い。たとえば時計の読み方をもっと教え込む。この長い針がこの6のとこに来たら絶対に行かなきゃいけないんだよということに馴致させる。いろいろ技巧を凝らせると思う。

行った先では楽しんでいるのは確実なのだ。迎えいくといつもご機嫌だし、本人および先生の報告でも園ではめちゃめちゃ楽しく遊びまわっている。

まず改めるべきは生活リズムなんだと思う。9時とかに寝て6時半とか7時に起きるのが理想。だから夜の寝かし方も含めてパッケージだ。

悩ましいのは、彼の世界観に干渉すべきかどうかという点だ。つまり、根本的に、世界はお前を中心に回ってるんじゃねえ、ということまでこの機会に教えるべきか。いま太郎はふつうに世界は自分を中心に回っていると思っていると思うのだが。お前の生活とかお前のとある一日がお前の意に染まぬ展開を見せることもある、なぜならお前はお前の人生の主人公であるそれは本当だが、同時にお父ちゃんにはお父ちゃんの世界というものがあって残念ながらその主人公はお父ちゃん自身なのだ、そこではきみは一人の登場人物に過ぎんのだよ。同様に、お母ちゃんにはお母ちゃんの人生がありその主人公はどうしたってお母ちゃん自身でしかありえない、きみは一人の客体に過ぎん。すべての人が自分の人生の主人公かつ他人の人生の脇役という二重性を生きているのであり、皆少しずつ他人の人生にお邪魔している存在なのだ、だから他人の芝生をあまりに踏み荒らす権利は、君にはないのだよ。皆ほどほどでやっているんだよ。諦めなさい。妥協しなさい。私や妻や保育園の先生方のつつがなき人生のために、君はここでは折れて、大人しく保育園に行きなさい。

だが、いつかは知らねばならないことだとして、その知らねばならないときを、少しでも先延ばししてやりたい気持ちがある。たとえば歯磨きとかは、さしあたり気が進まないのは分かるが長期的にはお前の利益になるのだとこちらは分かっているので強制しますということだけど、保育園に行かせるというのは、純粋に大人(私たち両親)の都合でしかない。それを強制するのに際し、「これは大人の都合だから。お前にはお前の都合とかやりたいこととか好ましい流れとかあるかもしれないけど、こっちにもいろいろやることとかやりたいこととかあるから。すべてはその兼ね合いだから。」とか、そんな言い方は、できればしたくない。そんな言い方を極力せずに、子供自身の気持ちをさりげなく保育園行きたいとか行かなきゃまぁしょうがねえかという方へ方向づける。そのためのartはまだ磨く余地がある。(1/17記)

Тоска – это что?

子供がこの域に達することを夢見ていた。「〇〇ってなーに?」と聞く。たとえば本を読み聞かせている。あるいは私と妻が何かしゃべっている。その片言隻句をとらえて「〇〇ってなーに?」と聞く。これはあるひとくさりの話に出てくる語彙の大方が既知でないとできない聞き方だ。この語が理解できれば渋滞が解消されてどっと理解がすすむ君、その肝心かなめの一語を突く、これって結構高度な業じゃんね。語学でいえば、「辞書の引き方が分かる」という段階だ。基本の文法構造は体得した、あとは語彙を無際限に増やしていける。

だが、親の技量が試されるフェーズでもある。なんか散歩かなんかでお墓に出くわしてこれお墓だよっつって、お墓ってなーに?と聞かれたときに、私が答えたのは「石がいっぱい置いてあってね、その石には文字が刻まれていて、ときどき人がそこへ来てお花を置いていったりする場所だよ」とかなんとか言った。わが人(妻)は横で「うまいね」とほめてくれた。だが、死、への直面を極力避けようとする私のこのやり方はどうだろう。では「死って何?」と聞かれたときどうするのか。死ぬってのは、いなくなることだよ、ほらゾウの花子さんはいつ行ってもいないでしょ、でもあるときまでいたんだよ、でもいなくなったんだよ。それは死んだからだよ。私も死ぬんだよ。私、このお父さんね、お父さんも死んでいなくなります。今当たり前のような感じでいますけども。死んで、いないのが、むしろ当たり前になります。死ぬとそのあとはもうずーっといません。

太郎の大好きな恐竜というテーマでも私は絶滅とか死とかいう語を避けている。隕石が落ちてきて恐竜たちは皆目をつぶって横になった、という言い方をする。その同じ私がユーチューブで動画の字幕にどうやら「殺す」「死ぬ」という語を出してはいけないルールになってるらしい(よく〇ぬ、〇す、という表記を見る)のにグーグルの糞欺瞞、とかむかついたりしてるのだから救えない。

〇〇ってなーに?の聞き方はロシア語でもする。先日晩方私が憂鬱だったときに憂鬱の話を妻としていてтоска(愁い)という語が出たのを太郎がとらえて「Тоска – это что?(愁いって何?)」と無邪気な、むしろ野太い声で聞いてきたとき笑ってしまった。あなたの可愛い三歳のくちびるから愁いという語が出るとはね。(1/16記)

重宝なおもちゃ

コスパのよかったおもちゃ2つ紹介す。子育て友達から「これめっちゃいいね!どこで買ったの?」と聞かれたことあるやつ。

①切り紙セット

折り紙セットかと思いきや、裏面に線が書いてあって、二つ折にしてその線にそって切って開くとこういういろんな形ができる。楽しい。うちは簡単なところ(直線ぶとか大きな曲線)は子供と一緒にやって(一緒にというのは、大人の鋏の持つところにまず子供が指を入れ、その上から大人が指を入れる)、難しいところ(細かい曲線)は大人が一人でやる。で開くのは子供。んで子供と一緒にマステで壁に貼る。マスキングテープ。

これが、表紙とっといたらよかったんだけど捨てちゃったか見当たらない、なにしろ40枚セットとかで、300円とか400円とかだった。文房具屋さんで買った。1日3枚ずつくらいやって長く遊べた。すげーコスパがよかった。

※追記。おなじ文房具屋で確認した。260円だった。30種類入り。↓



②じゅずつなキューブ

紐でじゅずつながりになってるキューブ。四谷のおもちゃ美術館というとこのミュージアムショップで300~400円くらいで買った。普段は触らせずどっか隠しておいて、電車でお出かけのときだけ出す。すると電車乗ってる間けっこうずっとこれ手元でこねくりまわして遊んでる。なんかそれらしい形ができると「なんとか!」といって見せてくる。たとえば下段のこの直方体は「冷蔵庫」ないし「かばん」だそうだ。(1/14記)

子育てと動画、という大問題

動画ちゅうのは重宝なものだ。スマホ持たせてアニメ見させておけば相当長時間子供をくぎ付けにできる、その間に親は仕事ができる。だがそれは一面、危険なことだ。アニメは子供にあまりにおもしろく、中毒性がある、ともすればそればかり欲するようになる。引き換えに周囲環境への関心を失う。禁断の果実だ。とはいえ、しばしばアニメ・スマホの力を借りざるを得ない家庭もあるだろうと思う。たとえば片親の家。だが私たちは幸い、その例には当たらない。で、アニメの力に依存せざるを得なくなるほど、私たちのどちらかまたは両方が忙しくなることがあってはいけないと思っている。私たちが忙しくなることで得られるどんなものより、それによって子供が動画漬けになる弊害の方が重大であると。動画漬けというのはまた過激な言葉だが、そのようには言うべきでないのかもしれないが・・ともかくひとつ確信していることは:子供にどれだけ動画を見させるかということは子育て上の一大問題だ。

この方面には正直、反面教師も多い。あまり人んちのやり方に容喙したくないが、たとえば電車でまま見る光景、うちのたりろうと同等あるいはもっと小さいようなやつにベビーカーでずーっとスマホを見させている。それはどうであろう。必須の場面だろうか。そうしないとそんなに子供が騒ぐだろうか。スマホに頼らずかつ子供を騒がせない方向で鍛えることができなかったか。ていうか少しくらい騒いだっていいではないか。で親の方も、子供と出かける以上は、電車の中では子供にかまける以外のことは基本的にできないものと観念しておくべきではと思う。身をかがめて話しかけて(あ、すいてる電車の想定です)、屋根が見えるねとか遠くにお山の影が見えるねとか、いま特急とすれ違ったねとか、車窓を楽しみ、外部世界への関心を育くむ。むしろそういう好機と思うんだが。なんでスマホ?

アニメ、動画、スマホ、インターネット、こうしたものとの付き合い方の問題には、2つのフェーズがある。第一は、どれだけの量・時間を見ることを許すかということで、このフェーズでは、「何を」見せるかは一応限定されている。つまり、親の検閲を通ったコンテンツを見せる。第二は、「何を」見るかの自由を子供にどれだけ与えるかということで、おそらく小学校中学年くらいには、親がどれだけ目を光らせようとも、インターネットの世界には非常に味の濃いものが存在するということを、子供は知る。そうしてそれを閲覧・視聴することへの欲望を掻き立てられる。

私たちは第一のフェーズにいる。基本的にこのフェーズで、私たちは勝利していると思う。動画の視聴は私たちのルーティンにはない。たまにあえて何か見せるときもあるが、視聴時間は一週間で計30分とかそんなもんだろう。で、これについては、自分たちの正しさを確信している。もしも動画へのaddiction惑溺を回避できていなかったら、太郎が今あるように周囲のいろいろなもの、植物だとか夕焼けだとかLEGOだとか折り紙だとか本だとか、またお話をする・お話を聞く・歌う・踊る、こうしたいろいろなことに興味を持っていられたかどうか怪しい。動画ばかり見ている子供。第一の欲望が動画を見ることである子供。動画を見るために泣いたり駄々をこねたりするような子供。これらははっきりと、私たちのそうはなってほしくない子供の像である。てか本来的には太郎もそうなのだ。そのサガを私たちが無理やり封印している。

ひとつ徹底しているルール。交渉は絶対にさせない。これは動画だけでなく、欲望一般についてだが。あれをしたい、これがほしい、といって、それを(させて)くれなければ歩かないぞとか歯を磨かないぞとか野菜を食べないぞとか、自分の欲望の充足のために何か必ずしなければいけないことを人質にとるような交渉は、絶対にさせない。アニメを見させるときは不意の贈与として与える。何らの交換条件もなく、一方的な恩恵として与える。つまり、子供が見たいというときにはむしろ見せない。見たいとも何とも言ってないときに見せる。必ずこちら発信。で、これを見ましょうかといったものを見終わったあとには、はい終わりといって、決然とパソコンを閉じる。交渉の余地というものを微塵も感じさせない。

動画の効能はもちろんある。うまく使えばすごくいいものだ。たとえば本でフクロウナギというのが出てくる。それが実際にどう形態変化するのか、細長いウナギが対敵時にどうフクロを広げて凄んでみせるのか、これは映像を見ないとちょっとわからない。映像を見れば一発でわかる。だから一緒に見て学ぶ。だがひとつ見させると「もっと見たい、もっと見たい」「見せなければ泣くぞ、暴れるぞ」と、こういうエスカレーションが、油断すると必ず起こる。何度も経験した。マネージメントが必要だ。横文字ばかり使うやつ。

だが子供が自身の欲望により自覚的になり、また自己意思の表出と、その実現のために用いる術策が複雑精緻化する第二フェーズ(小学校中学年くらいを想定)をうまく凌げるか。9歳とか10歳の子供が無制限にインターネットにアクセスしていいとは私には思えない。ふれる量も、ふれる内容も、厳重に管理する必要があると思う。私は厳格すぎるだろうか。stubborn kinda fella? あんま共感を得られないことを言っているかもしれない。

私から見てうまくいっている例。9歳の女の子のいる友人宅は週に2回ある「燃えるゴミの日」をYouTubeの日と定めて、その日は1時間好きにYouTubeを見ていいことになっている。視聴する部屋は居間であり、画面は親のいる方を向いている。つまり、子が何を見ているか、親はチラ見すればわかる。そのうえで本人に好きに見るものを選ばせている。私の見た場面はこんな感じであった:まず子供の方から「今日YouTubeの日だよ」と親にリマインドし、ああそうかいじゃあいいよ1時間だけねつって許可して、子供はルンルンでパソコンへ。んでマインクラフトの実況かなんか見て、親は私と話し込んでて1時間の経過に気づかず、1時間20分くらいしたところで「もう時間だよ」とアラームすると子は大人しくパソコンを閉じた。いい習慣を培ったもんだと感心した。

インターネットの中には蛇でも住まう。何丘ブログのごときエログロコンテンツも存在する。付き合い方は長い課題だ。(1/13記)

あたらしいおともだち

ふしぎだ、文化会館から着物の女子がぞろぞろ出てくるかもしれん(成人式だので)といって文化会館に行くことがなければ、今は午後の部の式典の真っ最中なのでとうぶん着物女子は出てきませんよ、と言われてでは裏の公園で少し子供を遊ばせてからもういっぺん来てみようかと裏の公園に行くことがなければ、みほちゃんとは出会わなかったのだ。みほちゃん4歳。太郎3歳。太郎はやや大柄なので、んでみほちゃんは4歳としては小柄なのかもしらん、二人のサイズはほぼ同じ。言葉の力はみほちゃんが上、(恐竜の知識は太郎が上)、社交性というかコミュニケーション能力は圧倒的にみほちゃんが上。みほちゃんはすごい優しくてお姉さんで、太郎にキックボードの乗り方を教えてくれる、滑り台いこうと誘ってくれる、シーソーしようと誘ってくれる、あのぐるぐる回るやつ乗ろうといって誘ってくれる、そのぐるぐる回るやつでぐるぐる回りながら「絶対手を離さないでね(危ないから)!」と注意してくれる、太郎が無軌道に明後日の方向に走り出したら追いかけてくれる。今日のいま出会ったばかりだが、同じサイズのやつが二人くっついて楽しそうに笑ってる。かわいすぎですよあなたたち。「ちびまる子ちゃん」にもそんな話があった気がする、キホン狭い町内で知った子と遊んでるのだが、ふいに紛れ込んだどこから来たとも知れない謎の子と伝説的に楽しいひとときを過ごす。なんて面白いやつなんだろう、この子と遊ぶのなんて楽しいんだろう。でも鐘が鳴って、もう帰らないといけませんよと引き裂かれて、んで二度と会えない。全然関係ない人生を送る。一瞬の交錯、閃光、そして暗転。だがポローニアス(ハムレット)「こいつはホンモノだと思ったやつは鉄の輪でもて己が魂に繋ぎ留めよ(Grapple them to thy soul with hoops of steel)」。この公園よく来ますか。ふだんどこで遊んでますか。ん、それどこですか。〇〇公園とかは行かないですか。××とかは? もう一度また会えるように、みほちゃんとぽっちゃんが友達になれるように、みほちゃんのママに鉄の輪を投げまくった。

ほんでとりあえず15日にまた遊べそうな感じになっている。2023年も太郎に新しい友達がいっぱいできますように。子供同士にも相性がある、珍しく馬が合ってるなと見て取れば積極的に二回目狙ってく。赤い糸たぐり寄せる。(1/9記)

2022年ぽっちゃん10大事件簿

まだこういう話題も許されるだろう。2022年中にぽっちゃんの身に起きた事件ちゅうか出来事、10個くらい選んでみる。

移住

一番大きな出来事はオデッサから10日間の東欧遍歴を経ての日本帰国で間違いない。何もかも変わった。はじめ埼玉県北の何丘実家で10日(だっけ?)隔離生活し、そのあとなんだかんだあって東京三多摩に落ち着いた。環境一変。軟着陸ではあったと思う。太郎の移住を軟着陸にしたのが私の2022年最大の殊勲だといっても過言でない。まぁわからんけどね、私らがどう骨折っても折らんでも、この年頃の子なら大概のことはああそういうもんかぁと自分のなかで納得してくれるもんなのかもしれない。ともかく、永訣という感じはなかった。悲壮ではなかった。慣れ親しんだもの/こと/場所/人からの「断絶」という感じはなかったはずだ。気が付けば会えなくなっていた、大好きなじぃじとばぁばにも。かわりに、同じように……とはいかないけれど、同じくらいに……とも言えないかもわからないけど、まぁ自分を愛してくれる、日本のじぃじとばぁばというものが現れた。つぅか、スカイプでときどき会っていた「画面の中のじぃじとばぁば」がリアルに立ち現れて、かわりにリアルな立ち現れであったリアルじぃじとばぁばが画面の中へと後退した。じぃじとばぁばだけでない。あらゆるものが入れ替わった。気候もかわった、食べ物もかわった。大きなひとつは、言語環境の変化であったろう。

日本語

世界の人はロシア語を話す。そのなかでパパだけが日本語を話す。パパといるときだけぼくも日本語を話す。

これが相転移。世界の人は基本的に日本語で話す、その例外がママである、ということになった。これは大きな変化だ。公園とかで知らん子に話しかけるとき、はじめはロシア語でアプローチしていた。そらそうだ。だがそのうち分かってくる、こいつら日本語だ。右を見ても左を見ても、口という口からパパの言語が出てくる! 日本語の洪水、日本語のシャワー、スーパーに入っても電車に乗っても降ってくる降ってくる。これは何? 何が起こった?(ほんとうに、このことを子供の小さい脳髄はどう理解したらいい!)

そのうち保育園にまで行きだすと自分にとって死活的に重要なのはむしろ日本語であるという認識から第一には日本語の能力が飛躍的に伸長し、第二には、悪いことにママも日本語を解することは解するので、もう日本語だけしゃべっとったらええやんみたいな態度になりかかっている。つまり、ママといてさえロシア語でなく日本語を話す。これ書いているいま(夜の9時)私が自宅でなくコメダ珈琲にいるのもそのせいである。私はしばしば家を追い出される。家に私がいるとママと遊んでてもパパに気が散って日本語を使いだすので、もう完全に私をいなくして家にロシア語ネイティブしかいない状況を作って、太郎のロシア語を強化する。そういう試みを少し前からしている。それで週に1、2度、私はコメディアンになるのである。

教材はいろいろあるのだ。YouTubeには何でもある、ロシア語で歌を聞かせたければ聞かせるものはよりどりみどりだ。また、オデッサのじじばばといつだってテレビ電話くらいできる。だが違うんだよ、生身がそこにあるかどうかということ、リアルタイムかつインタラクティブな言葉の交換があるかどうか。これが決定的に重要なのだ。(このペースでやってると終わらない、以下記述をつづめる)

保育園

2022年、太郎は保育園に通いだした。親でも祖父母でもない人たちと一日の多くの時間を過ごすようになった。これが大変化でなくてなんだ。入園したてのころはたいそう興奮していてねぇ、朝なんか嬉々として入っていった。走って先生の腕へ飛び込んでいったよさ。今ではもう当たり前のことになって、あ、今日保育園いく日? ふーんそう。じゃ行ってきます。てなもんだ。正月休みで一週間あいて、入園以来一週間あくというのははじめてだったが、「今日保育園だよ久しぶりだね」といって送り出すときも、別に感興もなげだった。だがその朝のお出迎えがたまたま大好きなふみこ先生だったので、用意した「あけましておめでとう」のせりふをすっと言えなくて、つっかえちゃった。緊張したんだね。

友達

ステディな、つまり、たまたま公園に居合わせて、そのとき楽しく遊んで、じゃーねっつって別れて、あの子と馬が合ったなーまた会えるといいなーと親は願っても、もう会えない。なかなか会えるものではない。2歳まではそういう経験しかなかった。そういう「偶然の友」じゃなく、ステディな、わかりますかまだカッコは開いてますよ、太郎がちゃんと名前と顔を一致させ、認識し、思い出とイメージを持ち、たまに会って遊べるという関係の友達が、この1年ではじめて持てた。それも、少なくない数。2022年はいわば友達の年だった。以下に挙げる誰一人、2021年には知らなかったのだ――未来ちゃん久遠ちゃん充溢ちゃん三姉妹、「光の素足」ちゃん、メンブレンちくわぶ、炭子型鍬式、チェンバレン、ジョナサンふりっぷ、扁桃腺×偏平足=∞。この面々のことは追々このブログでも紹介できればと思っているが。

おむつ卒業

2022年はおトイレ部門では革新に次ぐ革新であった。日中のおむつは多分2歳なったくらいでもうとれていたと思うが、今年はまず夜のおむつがとれた。また用便について、こちらが誘わなくても小便したいとき自分でおしっこしたいというようになった(自己申告制)というのが第一段階、次いで第二段階として申告するだけでなく、したくなったら自分で便所いってズボンとパンツおろして用を足すようになった。うんこについては、ほっとくと2日も3日も便をためてしまってあとで泣きを見る(宿してる時間が長いほど腸内で便が水分を失って硬化する。んで出すときすごいがんばんないといけない。そして痛い)。一度痛い思いすると排便恐怖症みたいになってしまって、ますます排便をいやがり、うとんじ、でまた宿便して硬便になる。こういう困難な時期がしばらく続いたが、親もいろいろがんばりまして、まぁなんとかうんこっちゅうもんは毎日するもんやという認識に当人を導くことに成功した。今ではもう親がなんも言わなくても自分でうんこつって便所行ってうんこ出す。もうこれに関しては褒めてやって。ただもう褒めてください、いい子でしょ。

一日泣かなかった

よく泣く子でしてねぇ、オデッサにいたときは、つまり2歳と数か月までは、1日、これを24時間といっても一昼夜と呼び変えてもいいですけど、なにしろ1日に1回も泣かないという日は1日だってなかった。1日に少なくとも1回は必ず泣いていた。妻とよく話していたのだ。このにんげんが1日に1回も泣かないという日がいつかは来るんだろうが、それはいつ来るんだろうか、と。泣かせないようにするすべなどないように思われた。2歳くらいだとマストで昼寝するじゃないすか、んで昼寝したあと絶対泣くのだ。たまに昼寝しない日は夕方体力の限界にさしかかり機嫌が悪くなって泣く。少なくともこの理由で1回は必ず泣く、あとはその他細々した理由でまた泣く。

でも最近じゃよくありますよ。一日泣かないなんてこと。むしろふつうか。ふつうでもないか。まぁわりかしある。その「最初の日」というのは私たちの中でははっきりしていて、6月某日、埼玉県北から「光の素足」がわざわざ遊びに来てくれて、一緒にいっぱい遊んだ日。あの日は楽しくて、泣くひまもなくて、んで寝入ったとき「そういや今日、泣いてない!!」と気づいて、妻と手を打ち合わせたのだった。

恐竜

2022年以前は、恐竜を知らなかったのだよなぁ。マジで隔世の感がある、恐竜のきょの字も知らなかった太郎。そんなやつがこの世にいたんや。今もう太郎から恐竜とったら何も残らないよ(おい)。

太郎の最初のオブセッションは車だった。はたらく車。月並みだよね。正直2歳までは、趣味らしい趣味は車以外になかったんじゃないか。それが日本にわたってきて、しばらく車の続きがあって、そのあと魚にハマって、ほんで恐竜だ。ティラノ・ブラキオ・ステゴ・トリケラ・プテラノドンこのあたりから始まって、今ではもうエオシノプテリクスとかマイアサウラとかランベオサウルスとか、もうちょっとお父ちゃんにはよくわかりませんという次元にまできている。

太郎の恐竜熱が爆発したきっかけは上野の国立科学博物館である。ツウの人がカハクと呼ぶそこをある日親子で訪れまして、その恐竜フロアに、まぁバカでかい化石竜たちが展示してありますわな。それ自体すでに異様であって子供には相当なインパクトであろうが、脇のテレビで説明的な映像を流していて、それにいわく、なんでこの動物は骨だけになっているのかわかりますか。それはね、隕石が落ちてきて恐竜は絶滅してしまって、いま存在しないからなのです。ということを言っていて、太郎はそれにガーンとショックを受けたらしい。ガーンていうか、ギャギャギャギャギャ・ビリリイィイイ!という電撃系のあれだったかもしれない、感電系の。太郎は反芻した。「おとうさん、あのね、恐竜はね、いないんだよ!隕石が落ちてきて、恐竜はみんな目をつぶっちゃったんだよ!それで化石になっちゃったんだよ!」いや知ってるけど。私も横で同じテレビを見ていたからね。「おとうさん、知ってる、恐竜はね、もういないんだよ!別のときいたけど、今いないんだよ!隕石が落ちてきて、ドゥゴワワゴゴォズワアアってなって、そうして恐竜たちは目をつぶっちゃったんだよ!」何度でも何度でも繰り返した。

思うにこれは、太郎にとって、因果関係というものそれ自体の発見であったかもしれない。隕石が落ちてきた。それで絶滅した。だから今いない。このすじみち、論理というもの、因果関係というものに、太郎は美を感じ取ったのかもしれなかった。今でこそよく「なんで〇〇は××なのか知ってる?それはね、△△だからだよ!」みたいな話をしてくるが、それ以前はしてなかったかもしれない。恐竜熱と論理熱、ふたつの熱をカハクから持ち帰ったのかもしれないです。といったらお読みのカハク関係者の方うれしいですか。


以上、2022年の10大あらため7大事件。書いててしきりにぽっちゃんに会いたくなったが、もう寝ているだろうな。22時のコメダ珈琲から。(1/8記)

2023年の目標

2022年は多くのことができるようになった。まずトイレ。小便も大便も、便意を催すと自分で便所に行って自分でズボンとパンツを下ろして用を足すようになった。宿便の問題には子も親も苦しんだが、これもほぼ解決したといっていい。排便を先送りしてもいいことないと本人が悟った。便意を感知したら早め早めに攻めの排便をした方が後で硬便ひりだしに苦しまなくて済む、と理解した。もう相当安心な軌道に入ったと思う。

夜のおむつがとれたのも2022年中だった。そうさな、夏くらいか。3歳になる少し前というタイミング。朝起きたらおむつが乾いてるというのがしばらく続いたので、もうこれ必要ないやんということで、要するに自然に完全卒業した。その後何回かおねしょがあったが、それも夜間に少量だけ出してしまって、すぐ自分で気づいて「おしっこしちゃったよぉお」と泣いて我々を起こすので、したら便所に連れてって残りを排尿させる。という具合に何しろこの方面ではすごく助かる子であった。

とかこんな話をしだすとキリがない。実にいろいろなことができるようになった。言葉の力も運動能力も社交の力も飛躍的に伸びた。そんな太郎が今課題とするところ、2023年には克服してほしいこと、また2023年に新たに獲得してほしい能力は。

まず、お箸でものを食べられるようになったらいい。スプーンでは上手に食べるが、補助つきの箸でお箸トレーニング、必ず始めたい。

イライラして物を投げる/ママをぶつ癖を完全に卒業させたい。昔から続いている問題なのだが。あと一歩克服できない。

あと、自分より小さい子をいびる悪癖も根治したい。自分より格下とみるとずかずか近づいて行って示威する。

はなをかめるようになるといい。はなをかむ、ということを教えたい。はなみずへの対処は今のところすするかこするかの弥縫策しか知らない。かむ、吹いて出す、ということをぜひ覚えてほしい。生きるのがだいぶラクになる。

本を100冊読む。こんなのは全然数ではない。数にこだわるのはおかしい。だが量は大事だと思っている。んで数は量の目安になる。私と太郎はかなり高頻度で図書館に行く。んで行くたび3冊~5冊くらい本を借りてくる。中には太郎の琴線に全然ふれないものもあるが、それなりの打率でお気に召し、筋書だの本文の語句だの覚えこむものがある。こうした大なり小なり太郎の琴線にふれ太郎がよく認識するところとなった本、これを2023年中に100タイトルつくる。(1/7記)

明けましておめでとう

元日目を覚ますと寝室のツリーの足元に大量のプレゼントがあった。

私・パパ・何丘・土居土竜は、靴下7足セットを手に入れた!セーターを手に入れた!

妻・ママ・妻丘・土居三沢楼は、『チコちゃんの素朴なギモン365』を手に入れた!部屋うちを歩くほどに床がきれいになるハリネズミ型モップスリッパを手に入れた!

太郎・子・坊やボーイ・土居禿若は、①消防署+消防車セットを手に入れた!②ボールプール用ソフトボール100個を手に入れた!③自宅キャンピング用テント・焚火・双眼鏡・各種食材セットを手に入れた!④付属ペンで文字をタッチすればその文字がしゃべる英語の本を手に入れた!⑤動物のペーパークラフトセットを手に入れた!⑥型にはめて骨格も仕込んで作る粘土恐竜キットを手に入れた!


そんで正月中遊んでた。私の両親の家にも皆で行って、そこでも本などもらってきた。

子供のお年玉って、皆さんどうしてますか。着服しちゃっていいのでしょうか。「くれてありがとう、でもこれどうしたらいいんですの?」「これを容れるためにこいつの銀行口座を新たに開設すべきですか?」「いや、事実上君たち(親)にあげたんだよ、これで子供たのために何か買ってやってね」思うに、たぶん、子供がもう少し意識の存在になって、自己所有の概念、お金の概念というものがはっきりしてから先は、もう子供のものは子供のものとしてとっとくべきだ。だが今は、まぁ親と兄からしめて3500円もらってしまったのだが、これはちゃくふくします。

なんだかんだ一番遊んでるのはこいつである。

このシリーズ実は4冊目なのだけど。恐竜、鳥、巨大ティラノ、そんで今回動物。パーツをミシン目でくりぬいて、それを組み立てて、動物の形にする。くりぬくのと、あと簡単な差し込む作業だけ太郎は自分でやる。あとはパパないしママにやらせて、それを横で見ていて、んで出来上がったらその動物についての解説を読んでもらって、そんで遊ぶ。のが大好きなの。

太郎は義父の孫であるから立体造形が好きなんだと思う。上図の中ではマンドリルとアイベックスとヤマアラシが好きかな。ジャコウウシも名前が気に入ってるらしい。屁をこくスカンクは別格。

あと、小兄からもらったキャンピングセットのこの一人用テントがお気に入りで

この中にこもって本など読んでいる。本読むつうか、音が出る系の、しかけ本で遊んでる。たとえばオデッサから先日届いた荷物の中にあったこのソビエトアニソン10曲集、これでウィニー・プーの歌とか子マンモスの歌とか聞いてる。ひとしきり聞いてテントから出てくる。

初詣はこのへんで一番大きいとこといえばまぁここかなということで、調布の深大寺に行ってきた。といっても人混みを冷やかしただけで別にお参りはしなかった。元日の昼から長い行列に子供と1時間並ぶ酔狂は持ち合わせない。とはいえ、それほどの混雑とも見えなかった。いかにも東京の田舎といった感じで好印象だった。私は実はその昔、やはり元日の昼に、うっかり鶴岡八幡宮の初詣に行ったことがある。どういう流れだったのか、家族で行った。当時私は小学校低学年だったが人の多いことにたまげた覚えがある。ついでに思い出語りをすると、学生時代に浅草寺に初詣に行ったことがあるのだが、これは特殊な体験で、大晦日に私は馬場の某ローソンで夜勤バイトをしていて、それが6時に終わるとそのままチャリで浅草に向かった。ほんで元日の朝の8時とかそういう時間の浅草寺がガラガラであることを知った。二年参りの波が終わって元日の初詣の波がくるまでの谷間の数時間は東京を代表する初詣の名所といえども人はまばらなの。知ってました?そらそうやろて話か。今はまた違っているだろうか。

そんで深大寺からの帰り道、ちんとんしゃんてんとんと聞こえて、おや。これは……коляда? それとも小島よしお?と思ったら、ししまいのご一行だった。ししまいを先頭に、鉦と太鼓と笛の一行が、ご近所めぐりして新年を寿いでいた。私らがほぉほぉと言いながらそばで見ていたら太郎に気づいてくれて、誰かがししまい役の男に「待ってるよ」とささやき、すると男(ししまい)がこっち向いて、「かみましょうか?」というので、私が「ぜひ!」とうけがうと、男はししまいをかぶり、こっちへやってきて、太郎はそのとき泣きましたさ! あの大きな赤い口がぼくをかみにくる! でも本当に(本気で)かむわけではもちろんなく、太郎の耳元で「かつ、かつ、かつ」と三度歯を鳴らして、はいおしまい。「おわったよ。ぽっちゃん、ししまいに噛んでもらったから、今年もこれで元気だよ」。

そんでそのあとの帰り道は太郎はししまいが、まちがえてちょっとびびってしまったが、実はよきものであったことをしって、え、なに、お正月に近所をめぐって子供たちを元気にしてるの? あの真っ赤な顔の大きなクチのやつ? かっこいい! ということで太郎の中でししまいの株が急上昇、「わたしねぇ、大きくになったら、ししまいになりたいなぁ!」というので大爆笑してしまった。新年初笑いいただきました。(1/6記)

お正月・クリスマス・新年祭

なんだかんだクリスマスプレゼントをほうぼうからもらってしまった。

二人の兄からそれぞれ大きな小包が届いた。大きな小包? 子供へのプレゼント。

あと、うちに小さい子供がいるのを皆さん知ってるので、同じアパートに住むいろんな人がピンポンしてきて、子供にちょっとしたものをくれた。

受け取りのとき子供がいればすぐ開封したが、子供不在のとき受け取ったやつは、あとに残した。妻のほうの伝統では新年祭(正月からクリスマスにかけてのひとつづきの祝祭)のプレゼントはクリスマスというより正月のアトリビュートであって、元日の朝起きると新年祭ツリーの下にプレゼントの箱がいっぱい置いてある。子供は起きて「うゎわぁあ!!」と大喜びする。そのプレゼントは「マローズ爺さん」が届けてくれたものなのである。

で、その新年祭のプレゼント(новргодние подарки)、自分たちで買ったのと、「クリスマスプレゼント」としてほうぼうからもらったのを合わせると、ものすげー大量になってしまった。

子供にいちどにたくさんのおもちゃとか本を与えるのはよろしくないと思ってる。だが、「たくさんある」ということのインパクトを演出したくもある。だから、ひとまず出し惜しみせず、あるやつは全部ツリーの下に並べることにした。新年祭の特別感。酔い痴れろ子供!

もちろん、最初のインパクトだけで、プレゼントの9割は早々に隠してしまう。7割か。んで2か月くらいかけてちょっとずつ出していって遊んでもらおう。わかったか太郎。これは2か月は何も新しいもの買わないぞ宣言ととってくれてよいぞ。

んで、そうそう、つい一昨日オデッサから荷物が届いたのだ。段ボールの中にじぃじとばぁば心づくしのプレゼント(子供と、あと私たちにも)がみっちり詰まっているはずだ。これも元日の朝に開封ということになる。明日の朝どんな祭りになるか想像してほしい。

しかも、同じ日の午後、私たちは埼玉県北の私の実家にかえる。実家という言葉も変だな、要するに私の両親の家へ行く。そこにもまた日本のじぃじとばぁばが買ったプレゼントが待っているはずなのだ。やばくないですか。子供の感受性はオーヴァーあれして、オーヴァーフロウ?して、破裂してしまわないだろうか。ツイッターとかで使える頭爆発してる絵文字ありますよね、あれみたいにならないだろうか。

ちなみに俺は、失礼、私は、私はっていうか先生はっていうかだが、

いわゆるクリスマス、私にいわせれば降誕祭、これロシア語でРождествоというのだが、その語が「生まれる」という言葉から来ていて、ふつうに誕生日をいうдень рожденияと音が似てるので、子供はРождествоのことを誤って「たんじょうび」と呼んでいる。つまり子供のなかでは、まず(12月25日に)クリスマスがあってサンタさんがプレゼントをくれて、そのあと(1月1日に)новый год=お正月があってまたプレゼントがあって、んで最後に(1月7日に)「たんじょうび」があるが、この日はべつにプレゼントはない、という整理になっている。

んで、そのたんじょうびという言い方に触発されて、お正月というものについて私は太郎向けにこんな説明を考案した。「お正月というのは世界の誕生日なんだよ。ぽっちゃんいま3歳でしょ。このまえまで2歳だったけど3歳になったんでしょ。世界はいま2022歳なんだよ。それが明日誕生日で2023歳になるんだよ。世界の誕生日は世界のみんなで祝うんだよ。それがお正月だよ」

どうだろう、ちょっとうまいこと言ったと思うのだが。だって子供にはわからないじゃないですか、今年というものがあって来年というものがあって、今年というのは今日までで、明日からは来年なんだよと言っても。「誕生日」というものは理解しているようなので、そちらに寄せた形。

という感じで「子育て日記」今年の更新おわります。見守ってくださりありがとう。来年もよろしくにゃん。(12/31記)

マスク有害説

これから言うことはあなたの感情を傷つけるかもしれない。何丘そんなこと言うやつだったのかと思われるかもしれない。

と見せかけて大したことは言わないのであるが。たとえば2歳とか3歳とかの子供にとって周りの人間がマスクで顔を覆ったやつばかりという状況は情操の発育にものすごくよくないことなのではないかと思った。先日保育園でクリスマス発表会というのがあって子供たちが出し物をしてくれたのだが1歳とか2歳児クラスの中にはギャラリー(観衆)の存在にびびって泣き出しちゃう子もいた(この解釈は先生による)。これはしかし、もしやして大人たちの表情がマスクで半分隠れていたことも少なからず影響したのではないか。のっぺらぼーたちがこっちを見ている、と思ったかもしれない。と考えて、いや待て、外でいきあう人間たちがそろいもそろって半覆面なのは子供目線にも今に始まったことじゃないよな、と思い直した。だがそう、そここそが一番の問題じゃないかとまた思い直し直した。つまり、この幼い子供たちは、いま、人間の表情から感情とか意図を汲み取るレッスンを行う大事な時期だ。それがどうであろう。接してくる大人・ちょっと年長のおにいちゃんおねえちゃんたちは顔面の下半分を隠したやつばかり、園の先生たちからして常時マスクonだ。この状況が乳幼児の、たとえば社会性の獲得にどういう影響を与えるか。その点は掘り下げられているのだろうか。この子たちに与えられた「教材」が質・量ともに私たち自身の幼少期に比べて圧倒的に乏しいこと、これはこれで大問題だと思うのだが(そして個人的には、マスクを外せる場面はもっとよっぽどあるのではないかと思いますが)。12/27記

子供が親をなんと呼ぶか

かもめんたるというお笑いユニット?にハマってしまった。笑わせ役の人は「う大」という妙な名前の人で、それでこの人には子供が3人いるのだが(13歳、8歳、6歳)、この子らは全員父親のことを「う大」と呼ぶのだそうだ。

たしかにそういうことはある。子供が父親(多くは父親な気がする)を下の名前とか愛称とかでぞんざいに呼び捨てする。うちのいとこも父親のことを「たけるくん」と呼んでいる。んで、そういう習慣は、幼少期に確立するものであろう。

うちはふつうに、私のことは「おとうさん」母親のことは「ママ」である。お母さんを呼ぶときはロシア語で呼ぶわけなので語としては当然「ママ」となる。私と日本語で話しているときにママのことを何かいうときは「おかあさん」と言ったりもする。逆も然りで、母親とのロシア語の会話の中で私に言及するときは「パパ」と呼ぶ。

太郎は1歳半くらいまでは私のことをパパと呼んでいた。ご多聞にもれず、うちの子も最初の発語は「パパ」「ママ」であった。ていうか子供にもっとも発音しやすい音を選んでパパママにその名がついたのだろうから当然だが。んで、私は太郎にパパと呼ばれるのがうれしくてねえ、絆を感じて。もう私の真の名はパパでいい、それ以外にもう名前を持たなくていいとさえ思った。

それがいつのまに「おとうさん」になったか。これは実は「となりのトトロ」の影響である。うちは映像は基本見せない方針だが(今も。TVも動画もほぼ見せない)オデッサ住んでるとき日本語強化の目的でよくポータブルスピーカーからトトロを聞かせていた。パソコンで映画のトトロを再生してその音だけ聞かせるいうことね。で、サツキちゃんメイちゃんが「おとうさーん!」ていうじゃないですか。それを「おとうさんていうのはパパってことだよ。太郎のパパは私でしょ。でサツキちゃんメイちゃんのパパはこの人(静止画示して)なんだよ、それで『おとうさん』て言ってるんだよ」と言ったら覚えた。で私に応用して「おとうさん」と言うようになった。

もともと私んちは「おとうさん」と呼ぶ家庭だった。I mean、私自身は自分の父親のことをお父さんと呼んでいた。小学生時分、同級生にまれにパパママ呼びの人があって「ダサ」と思っていた。「欧米か」と思っていた。時代がだいぶ下って今ではパパママ呼びもわりと普通な気がするが、でも自分の子には基本的には「おとうさん」と呼んでほしいなぁと思っていた。だが実際に子供に生まれてはじめての意識的発語として「パパ」と呼ばれてみるとあまりにもそれがうれしくて、それを別の何かに取り換えようという気は完全に霧消した。だが前述のような次第で自然に太郎が「おとうさん」と言い出したので、そんならまぁ、いっかと思って、んでおとうさんということになっている。

ついでに「かもめんたる」のお笑いを紹介する。めちゃめちゃ好きなやつ3つ。下のサムネで右側の人が「う大」

この話題もう少し続けたい。いったん終わるが(12/25記)

パンツねこ/一人でできるもん

「パンツねこ」というキャラクターがいて、下図でゾウの下キリンの隣にいるやつなのだが、

太郎の代表的ないたずら行為のひとつが、自ら服を脱ぎ去ってパン一になってこの「パンツねこ」のポーズをとりつつ走り回るというものである。先日義父母とテレビ通話したときもこれをやってЯ – パンツねこ!(僕はパンツねこだよ!)とか言う、それだと義父母には何のことかわからぬ、ロシア語で名付いていないものがあると義父母と話すとき不便なので恐竜の名前にしろ何にしろ太郎が日本語で獲得した語彙はいやでもそのロシア語における対応語を覚えるまたは作ることになる(あるいはその逆)、妻の作った訳語はтрусокот(そのまま)である。

で、ほとんどこのパンツねこをやりたいがために太郎が覚えたのが、自分で服を脱ぐことである。秋に3歳になった太郎、もう一人でいろいろなことができる。着る・履くほうはまだ難しいが、脱ぐ分には上も下も自分で脱ぐ。トイレは自分のタイミングで便所に行って下半身脱衣して出すもの出して下半身着衣してflush(水洗)するところまで一人でできるもん。一人でできるもん。(12/19記)

一人遊びできる時間も伸びた気がする。

クリスマスはいつ来るの

パソコン新しくなってからこちら一度も更新していなかった。謝る。ペッコォオオ

12月入ってすぐくらいだったと思う、妻と話した、「クリスマスはいつ来ることにする?」この疑問の意味は実は深く、ほれ、妻の家はクリスマスを1月7日に祝う。というのもだいぶざっぱくな言い方であって、正確にいうと、1月1日に新年祭というものがあって、その日にプレゼントとか祝宴とかがあって、んでその少し前~1月7日の降誕祭にかけての数週間のあいだ、いわゆる「クリスマスムード」的なものが続く。ツリーを飾ったりなんだりする。

クリスマスはいつ来ることにするのか、という問いは、要するに、クリスマス的なやつを日本式で祝うのか、ロシア/ウクライナ式で祝うのかということである。

私は日本のクリスマスというものにそんなに執着がないので、基本的に12月24・25日はスルーでいい。だが悩ましいのは、私は日本の正月というものには執着がありありなのだ。関東の元日はまず晴れる。クリスマスの小うるさき光や色彩が一切剥落した、「憑き物が落ちたような」清廉の気の満ちた正月の雰囲気が私は好きだ。

でまた、12月24・25日はスルーでいいです、とはいうものの、たとえば子供の通う保育園がそれを許さない。やれクリスマスだサンタクロースだいろんな言葉と概念を吹き込まれてくる。サンタの紙細工を作ったりだとか、先日はクリスマス発表会というものがあって親も呼ばれた。これに抗議なんか言えないではないか。「うちは降誕祭は1月7日ですし降誕祭をクリスマスだなどという謎の英語で呼ばないし、サンタクロースは『マローズ爺さん』なので妙なことを吹き込まないでください、信教の自由、そして暦法選択権!」なんてどんなモンスターペアレントなんだ。

というわけで、日本に暮らしている以上は、12月24・25日はクリスマスということに、どうしたってなる。よほど頑強な抵抗をすれば別だが、それほどまでのこだわりも、私にも妻にもないのだ。まぁ大事なのは子供が楽しむことよ。この先どうなるかわからんが、とりあえず今年にかんしては、一家の行事としては12月24・25日はスルー。サンタさんには基本的に言及しない。プレゼントたちは1月1日の朝に太郎を待つ。んでツリーはしっかりめに飾ることにした。(12/17記)

パパはレモンの搾り滓

私のパソコンは12月2日に発送だそうなので、手元に届くのは12月4日とかだろうか、それまでrとyと4と8と9が私の押下をシカトする「機械の反乱」にあっている私は文字数をセーブして本部尾久を、ブログをね、更新すう。すう。すうr。する。

私は太郎の伽をする。いろいろな話をして太郎を寝かしつけるのは基本的に私の役目である。私の話はおもしろいから。自分でいうのもなんであうが。あるが。ただ多くの場合、私は先に寝てしまう。タオルは、タオル、太郎は、体力に非常に優れているので、保育園でがっつり2時間とか昼寝した夜は10時なってもギンギンであう。あう。あう。ある。それで私がお伽ばなしをしても、たいていは私自身がその催眠効果をより強く受け、太郎に先駆けて自分が寝てしまう。そのときに太郎はどうするか。ママを呼ぶのだ。パパが落ちたから今度はママが私の伽をしなさい、と和室から居間へ呼ばわる。そのときの決まり文句が

Мама, папа – выжатый лимон! Иди сюда!
(ママ、パパはレモンのしぼり滓だよ!こっち来て!)

(12/2記)

咬む

今日は誤字脱字を修正しない。読みにくいと思うがご寛恕願いたい。いや、ゆyるさなくていい

たおるが頬に疵をつけて帰ってきた。どうしたお前それ!というとぶたれたとかいう。妻がお迎えのとき先生に聞いたところでは「ぶたれrた」ちおうことだった。だが本当は、どうも構えたらしいのだ。咬まれた。そう、咬まれたらしいのだ。そんなことあう?

なんでもといとおい名前の出てくるrくんに他王がとっかい出したとこお逆鱗にふれ、振り向きざまにほっぺたを噛まれたらしいのだが「そんなことあう?」それで今朝は私が送りにいって玄関先で出迎えたのがちょうど担任の先生だったので「昨日なにがあったんですか?」と聞いた亞r案の定「咬まれた」のだという。そえを阻止できなくてすみませんと亞余れる。いあ謝ら得ても……謝るということはなに、あなたがたにも落ち度というか、なんとか防止するすべがあったんですか? 少ない人数でたくさんの子供を見ている以上はそら目もとどかないのはわかる、だからこちらははなから先生になんとかいうつもりはないのだけども。

なにしろほっぺたに一晩きえない赤い咬み痕がある、親として心尾田垢でない、私として何ができる。「逆にその子の親御さんにはこういうことがあったという話をしましたか?」と聞くと話していないという、つまり咬み痕が残った方のオアにだけ報告したのだ、「もし額のことがあったら、つまり、太郎が誰かをぶったり泣かしたり傷つけたりした場合は、必ず教えてください。必ず」と請うた。他王にはそして何がいえうか。「おともだちがいあがっることしないんだよ」と諭す。添え以上何ができる。内心穏やかではない。だがこの件はこえで終わり。あまい先生に頭下げさすのも悪い。太郎自身は全然気にしてない。「しかし顔面を咬むというのは少し異常じゃないですか」というと先生、2歳児クラスは少し前から咬むのが流行っているんですという。絶句したが、……まぁ、絶句した。11/ 記

※rとyが3回に2回はスカる。あと()が3回に1回出ない。テンキーが基本的にとうしわっるい

3歳と4歳は全くの別モノ

同じアパートに住んでる4歳のリータ嬢を招いて太郎と遊ばせた。1歳差。これを見ていて、また近所のフナちゃん4歳に徴しても3歳と4歳は全くの別モノやなぁとの念い深し。何回かの革命があるらしい、それを経て太郎も1年後ああなる。太郎は3歳として言葉の力が並外れて発達してる、これは人からよく指摘されるし(私の観察の範囲内では)他の同年の子と比べてもそう、だが4歳なると皆もう当然のようにしゃべる、それも瑕疵なき完結した文章をだ。今突出した言語能力も1年後には横並びか。情操の面でも、4歳なると遊び相手のことをちゃんと慮ることができる。和をもって尊しとなす。2人いてそれぞれ別個に遊んでいるという感じでない、協和・調和が生まれてる。少なくとも4歳の側からは虹の橋をかける試みが明らかになされている、3歳の方ではそれを渡ったり渡らなかったりするのであるが。親(大人)としても4歳児はもう相手にとって不足なしという感じ(に見える)。会話の成立。精神交流。すごい。どうやってあのようなものになる?でも結局は育ってあの高みに至るのだ。不思議。ふりかえると2歳と3歳の間にも遥かな懸隔があった。それを超えて結局ここまでのものになっているのだもの。私たちが何かしたわけでない、勝手にそうなっていく。違うか。やはり親たちの日々の努力が少しずつ育てていくのか。啐啄同時というやつ。(11/28記)

ひきょうものたろう

商店街を歩いているとき向こうから同じ年恰好の子供が母親と歩いてくるのに太郎が「こんにちわぁ!」と大音声してびっくりした。

太郎は「人見知りしないねぇ」「物おじしないねぇ」と言われることがある。だが実際どうなのだろう。親としては逆のことを思うこともよくあって、人見知りなのかそうじゃないのかよくわからない。ひとつ言えるのは、子供は子供なりに相手との力関係というものをすごくよく見ている。自分より大きいか、強そうか、それとも小さくて弱そうか。で、太郎の意外に陋劣なところは、自分より格下と見定めた相手にすげえオラついてみせる。むやみに詰め寄って至近距離でティラノサウルスを演じて威嚇するなど。「こら、人の言葉をしゃべりなさい」「自分より小さい子には優しくするんだよ、ほら〇〇ちゃんも△△ちゃん(年長の友達)もおまえには優しくしてくれるだろう」こう何度さとしてもたしなめても治らない。んでもうひとつこれはどうにかならんかと思ってるのが、自分と同格以上と見た相手の前で、突如ロシア語で独語しだす。これは相手に分からないと分かってやっているのだ。相手に了解可能な言語=日本語でつっかかっていく勇気がない、だがなんかして互したい、自分の力を誇示したい。それで力が妙な方向に噴出する。

要するにビビりなのだ。弱い者に対しオラつくのも、ふだん互角以上の相手に対してヘコついてる反動だ。ちょっと情けなく、頼りなく思う。だがそうかと思うと最初の例のような、突発的にあり得ないようなオープンマインドぶりを発揮して親を驚かすことがある。

私はたぶんロシアとかウクライナ生活が長かったのもあって知らん相手に話しかけるのが得意な方だ。こんなのも結局は親の背中だと思うので、私が人間って怖くないよ言葉で・コミュニケーションによって関係を構築したり状況を打開したりしていくんだよ、という姿を堂々と示し続けることだ。日本での生活では妻にはどうしても言語障壁があるので私がその役を担わなければならない。知らん人に大きな声で朗らかに挨拶しよう。太郎よりもまず私がだ。麦稈真田を敬虔に編み。(11/25記)

おとうさんの日本語、ママのロシア語

オデッサに住んでたとき私は日本語をめちゃくちゃがんばった。ほっとくと太郎は容易にロシア語だけ話すがきになりそうだった。日本語も話すがきになってほしかった。分かるだろうか、分からないかもしれない、国際結婚の夫婦でも言語に無頓着な人もある。だが私はいやだった。太郎が私と二人でいるときにもロシア語をずっとしゃべっているというのがいやだった。戦いだった。太郎の脳髄のヒダヒダに各言語がどれだけ浸入し領土を拡げ得るかという(←これは今の当座のだいぶきもい比喩であるが)。

その後事変ありて私たちは居を日本に遷した。インプット量の逆転に伴い太郎のなかで段々と日本語が優勢になっていくのか、それともどうだか、注意深く観察していたが、2歳半までみっちり鍛えたロシア語の基礎は相当に堅固で、語彙の豊富さとか構文力とかでみると何だかんだロシア語の方が得意みたいだという状況が相当長く続いた。

だが10月くらいにはっきりとこれは日本語の方が得意になり出したなという兆候が見られた。私と遊んでるときロシア語が口をついて出ることより、ママと遊んでるときに知らず日本語に切り替わっていることの方が多くなった。ンでひとたび日本語モードが太郎の中で始まると、すぐ目の前にいるママより、少し離れたとこでパソコン触ってるおとうさん(私)と遊びたくてならず、おとうさんおとうさんすげえ絡んでくる。ママがСо мной не хочешь играться?(私と遊びたくないの?)とか聞いてもНе хочу!(やだよ!)とか言う。それでママがひどく悲しむようになった。

日本語を話すことがより快適になり、日本語の力を伸ばすことの方がより願わしくなったことが先で、その結果として私につくようになったのか、それとも逆か、あるいは全然これらは別個のことなのか、分からないが、とにかく①日本語の方が得意になり②私にやたらつくようになった。「おとうさんっ子」になった。んで、私と太郎がイチャラブで日本語ばかり話しているのを妻がみて大変さびしく思うようになった。

それで私は最近、夕方ときどき家を留守にするのである。保育園の後の時間を母子でゆっくり過ごせるように。パパがいるとどうしても坊ちゃんはパパと遊びたがるから、ということで。一人で外食してもつまらぬのでひたすら近所を歩いたり公園でぼーっとしている。友達に電話して「妻に家を追い出されました」といってびっくりさしたりとかしている。(11/23記)

記事タイトルを「子育て日記」に改めた。

もともと「虚構」とつけていたのは、ウクライナから日本に帰ってきたことになっている何丘が、実は日本に帰ってなどいなかった、あるいは日本に帰ったあとしばらくして再びウクライナに舞い戻った、いずれにせよ今何丘ファミリーはウクライナにいて、そこで子育て日記を綴っているのだ……という設定で書いていたからだ。

そんで、この幸せなファミリーが、ある日ロシアの蛮ミサイルを受けて、愛しき日常を破壊される。そのような一大展開を考えていた。それをうまく描ければ、遠いウクライナの戦争に慣れっこに・無感覚になってしまった読者に、再度の衝撃を与えることができるだろう……みたいな企図であった。

だがその企図は放棄した。理由は色々あるが、自分には仮構の中でも太郎を不幸な目に遭わせる勇気がない、と見切りがついた、というのが一番だ。

もともと書いてる内容じたいは全部真実であった。舞台だけ日本かそうでないか分明でないように虚実皮膜でやっていた。もうその必要もないから、ふつうに日本でのこととして語ることにする。「虚構」と銘打つ理由もなくなったので、シンプルに「子育て日記」として以後綴る。ややこしくて済みません。

夢Ⅱ

おとつい寝起きの太郎に「夢見た?」と聞いたら「あの!あたしはねぇ(←最近の口癖)、すなばであそんだんだよ!」という。時制の表現がまだ稚拙(認識レベルもしくは表現レベルで混乱)なので本当に夜みた夢の話をしてるのか過去の思い出を語っているのか確かめようといくつか質問する、「パパとママと遊んだの?」「パパとママいなかったんだよ」「他にお友達はいた?」「いなかったんだよ」ときて、そのとき何か思い当たったように「あ!あたしはねぇ、はだかで遊んでたんだよ!」といって笑う。はだかで遊んだというのは夢らしい非現実だ!やはり子供はまさしく夜みた夢を報告してくれているらしい。

で今朝、やはり起き抜けに「夢見た?」と聞いたら、少し考える様子で「あの!ぜんぜん見なかったんだよ!」と力いっぱい否定した。そうか。そうだよな、夢は覚えてたり覚えてなかったりするものな。認めよう、お前は夢の報告者として信に足る!

けさ起き抜けに「ねてるときゆめをみたんだよ!」と報告してきた。「きょうりゅうのゆめ」だそうだ。「とおくできょうりゅうがうたっていたんだよ!」

夢を見たか・どんな夢を見たかは本人の申告を待つしかない。見ることは胎児の頃から見ていたのだろうが報告が上がったのは初めてだ。公式記録:タロウ初めての夢は「遠くで恐竜が歌っていた」夢。(10/19記)

戦争のせの字

太郎と公園で遊んでいたら妻から電話、気落ちした声でいつ帰るかと問う。「そろそろ帰ろうかと思ってたけど、なんで」「……ウクライナめちゃめちゃやられてるから……」「……わかったすぐ帰る」

それでスマホでУП開いたらトップニュースは「キエフ中心部で複数の爆発、死者あり、他の地域でも爆発つづく」というもので、以下「ドニエプルで爆発」「フメリニツキーおよびジトーミルでも爆発」「リヴォフで爆発、市内は停電、電話も通じず」と続く。全土への攻撃だ。橋の一件の報復だ。これが奴らのやり方だ、キエフまで再びやられた!

クソ!!

と叫んで携帯もつ手を振りかぶったがなかなか携帯というのは投げられないものだ。掌の中にとどまった。周りの人は私が突然叫んだので驚いたと思う。太郎を自転車の後部座席に乗せて帰った。太郎は「どうした?おとうさんどうした?」とパニクってるが何も反応できない。頭の中は陋劣ロシアへの怒りでいっぱいだった。ニュースの見出しに目を走らせただけだったから事態の詳細がわからない。だけに頭の中は悪い想像でいっぱいになる。ゼレンスキーの死亡。おびただしい機影。都市部への絨毯爆撃。オデッサは? オデッサはどうなっている?

迎えた妻は暗黒の面持ちであった。ニュースにかまければ私までそうなるのは目に見えていたので太郎が起きているあいだは携帯パソコンに触れることを自らに一切禁じた。先ほど太郎に与えたであろう異常な印象を払拭するために太郎にかまけにかまけた。折り紙と迷路と恐竜と魚。台所で妻がしきり溜息ついていた。いやな想像が頭を駆け巡った。

太郎が寝てパソコンを開いた。あまりにひどい想像を繰り広げていたので少しほっとしたというのが正直な感想だ。そのあとでまた鬱勃と怒りが萌した。民間インフラと市街地に80発のミサイルを撃ちこんでそれが「報復」として正当化されている。それを言う奴、また信じる奴。この非道を前に俺は本当に何もできないのかよ。

これまで、この醜悪な戦争が太郎の身体および精神に一指だに触れないようにと心を砕いてきた。太郎の視界・認識界からその種の図像や映像、話題や術語を徹底的に排除することに努めた。だが今回、戦争のせの字のs音くらいは触知してしまったかもしれない。ますますものが分かるようになっていく太郎。よほど気を付けていなければ。(10/11記)

排便習慣

いま妻からこれはパパ(私)のVICTORYだと激賞されている事柄がある。また自慢かと思われそうだが言っていいすかいいよ。

太郎は排便についてトラブルがあった。これは1か月くらい前だが、3日ほど便をためてしまって、便というのは出さないでいればいるほど硬くなり出すとき痛苦(der Zug)をともなうようになる、でその3日分をひり出すとき案の定苦しんで、いきんでもいきんでも出ない、10分は格闘したか、体感1時間くらいだが、そんでやっと出たとき尻が切れて血が出た。その体験で排便にトラウマを持つようになってしまった。明らかに排泄欲求が高まっていて足踏みしたりそわそわするのだがあの痛みを繰り返したくないので我慢するようになった。「したいんだよ、おなかは出したいんだよ、出してやりなさい」とかおなかに共感してみたり「出たいんだよ、うんこは出たいって言ってるよ、出してやりなさい」とうんこの側に共感してみたり、果ては「おまえのうんこはおまえにしか出せないんだよ。他の大抵のことはお前に代わってパパとかママがしてやることもできるんだけどうんこだけは、そううんこだけは、おまえの分はおまえが出さないとしょうがないんだよ」「おまえはそうして一生、おまえのうんこを出し続けるんだよ」「そういう運命なんだよ、人はみな(諦めなさい)」と生の哀しみみたいなことに話が及んだりもした。しかし太郎は説得されず、宿便し、そうして3日分とか4日分をまた苦しみとともにひり出すことになった。

これは医者かなぁと相談していたところちょうど子供が風邪をひいてウンコがゆるくなった。これはかえっていいことだった。数日はいやでも出た。苦しみもなく出た。このかんに創傷が癒えてくれるといいなと思った。だが、風邪が治ると再び宿便が始まった。ことは本人の気持ちの問題だった。出したいのに我慢するということの無意味さ。流行りの言い方をすれば「誰も幸せにならない」というやつ。意識改革が必要だった。

そんで私が意識改革を行った。妻は医者に行って便をゆるくするような薬を貰うしかないだろーと言ったが8月9月は保育園からいろいろもらってきて医者にかかることが多かったしPCRで鼻ぐりぐりされるのも2回も経験して(2回とも陰性)ちょっと医者の方にもネガティブなイメージがついちゃってるみたいだしうんこと病院を変に結びつけるとなおトラウマが深まるような気がしてここはなんとかうんこの問題は飽くまで生活とか意識とか習慣の問題という枠内で解決してやりたかった。なんのことはない根気強い説得あるのみである。おなかをマッサージしながら「うんこはね毎日するものなんだよ、そうしたら体がうんこの仕方を覚えて忘れないんだよ、おまえはもう3歳なんだからこれまで1000回くらいうんこをしてきたんだよ、だから基本的に体はうんこのしかたをちゃんと知ってるんだよ、でもしばらく、そうね3日もしていないと、体がうんこの仕方を忘れちゃうんだよ、だからうんこが出なくて苦しい思いをするんだよ。お父さんは毎日してるよ。お母さんも毎日してるよ。だからうんこの仕方を忘れないんだよ。太郎(太郎てダレ)もそうしたらいいんだよ」これを1日3回くらい毎日毎日執拗に繰り返す。そんでちょっとうんこしたそうなそぶりを見せたらすぐつかまえて便所やって試させて、その波をつかまえられなければ一旦撤退して、また波がくればすぐひっさらって座らせて、出るまで何回でもそれを繰り返す。そんでついに出たら、激ホメする。鬼ホメする。小躍りして喜ぶ。ママも巻き込んで喜びのダンスをする。

結果、昨日・一昨日・その前・その前の前、毎日しています。全く痛みもない。むしろ得意がっている。「これはパパのVICTORYだ」と妻が讃えてくれている。(10/7記)

髪切った

はじめてトコヤで髪切った。すんげー可愛くなった。

Aから始まる有名なアニメをタブレットで見せながらちゃちゃっと15分くらいでカット完了。「くせあるからあんまり短くしすぎないほうがかわいいですよね」つって可愛さ本位で切ってくれた。耳まわりのもじゃもじゃが解消されてホントすっきり。今まではママが風呂場で切ってたのだがそれについて「ママじょうずですね!」とお世辞ももらった。

フルメンバーで参戦した。つまり私とママと太郎。太郎はパワフル小僧で世界は優しさにあふれていると思ってるので基本人見知りしない感じなのだが謎に「知らない男の人を怖がる」という報告も各所であって、初対面の美容師さんが怖かったのだろうか、ずっとパパの手を握っていたがった。だから私はずっとそばに立ってた。んで一緒にAから始まるアニメを見てた。右側カットのときは私が左側に立ち左手を握り、左側カットのときは右側に立って右手を握った。ママはその一部始終を隣の椅子で見てた(二席しかない小さい店で、その時間は私たちの貸切だった)

料金は2歳までと3歳以上で(日本円にして)1000円ほど落差があって、電話予約のとき思わず「2歳です」と言ってしまった。隣で妻が「3歳でしょ」と尋常のトーンで突っ込んでいて、それが先方に聞こえたか聞こえていないか微妙なラインだった。行ってみたらすごい雰囲気のいい店で夫婦でやってるこぢんまりしたいい感じのいい店で、ふんいきもよくて、それで奥さんの方から顧客情報すんませんが頂戴しまーすといって子供の名前・生年月日の記入を求めてきたとき妻が困っていた(私は太郎に手を握られて動けなかったので妻が記入する流れだった)。どうする、真実を書く、それとも太郎は2歳で通す? と目で聞いてきたので私はНапиши правду(真実を書け)と命じた。それで妻は真実を書きこんだ。それによれば子供は3歳である。(事実3歳なので)

だが何も言わずに2歳料金で会計してくれた。私たちはこれから1か月半に一度この店で子供の髪を切る考えである。そのくらい気に入った。次回はもちろん3歳料金を払う。「前回3歳だったのに2歳料金だったですよね」と指摘されたら言われるまま差額を払おう。言われなければすいません、私は電話口でつい間違って2歳と言った(そして後で自分でそれに気づかなかった)のですし、お会計のときも自分が2歳料金を払っていることを認識していなかったのです。こんなこと書くと「炎上」するだろうか?(10/6記)

お誕生会

いつとは言わないが、太郎はさいきん誕生日をむかえたのだす。

それで9月末日の昨日、保育園ではその月生まれた子の合同お誕生会をやることになっていた。太郎は6月入園なのでこれまで3回その様子を客席から見ていて、今日はじめて自分が壇上に立つ。おともだち皆から拍手され祝福される。たろうくん(仮)、おめでとう! なんか王冠みたいなものかぶせてもらう。ちょっとした何かプレゼントももらえるようだ(過去の例を見ると)。

だがその前夜、発熱した。いやな咳も出た。うわあ……。「明日、お誕生会だね、たのしみだねっ!」と煽ってしまったことを後悔した。

だが朝起きると熱はだいぶひいていて、36.7度と微妙なラインであった。咳も出るには出るがまばらであった。本人の機嫌はいたってよく、食欲ももりもりであった。すげー迷った。

それで保育園に朝の連絡。うちの園は現代的ィで連絡はアプリで行います。「今日誕生日会で行かせたいのですが体調これこれこういう具合(※正直に)で迷ってます。もうちょっと様子みて大丈夫そうだったら10時(※本来だれば8時半に連れてくところ)に連れてきます、だめそうだったら別途また連絡します」と書いて送った。私には重大な予断があった。誕生日会は午後、おひるねのあと、15時くらいに行うものと。夏祭りだとかこれに先立つもろもろのイベントがそんな時間に行われてたこととか、あとケーキを食べるというからおやつの時間であろうとか、わかんない、とにかくそう思い込んでいた。

で、太郎はマジでばりばり大丈夫そうなので、ならいくべぇと決めて、10時に連れてった。道中「今日お誕生日だね、〇〇ちゃんと一緒だね、楽しみだね!」と煽りに煽った。ほいで出迎えの先生に(※コロナだなんだで保護者は園内には入らず入口のところで子供受け渡し)「きょうお誕生日ですね」つって太郎渡したら、先生の顔がサー曇って、「誕生日会なんですが……もう……終わってしまいました」



私の落胆を思ってほしい。

よかったのは、太郎がどうやら心に食らわなかったらしいのだ。なんとも思わなかったらしい。そのようにしか見えない。妻は今日は出勤の日だったのでLINEで「誕生日会朝やったんだって 最悪」と書いて送ったら妻は「なんてかわいそう 涙出てくる」「この保育園やめようか」と返事してきて、まったく同感だった。皆さん。私が悪いんですよ。前もって時間たしかめなかったんだから。いつも朝行われてるらしいんですよ。お昼寝のあとにというのは私のただの思い込みであった。でもね、……でもなんか泣いちゃうよ。かわいそうじゃん。あまりに不憫じゃん。朝は人はいろんな事情で遅刻してくるんだから、なんでそれに限って朝なんだよ。全学年合同だから一人欠席で予定ずらせないのはわかるけど、それでもさ、連絡はしてたわけじゃんか。せめてクラス内だけでも別途やってくれたりしないの?小規模でもさぁ。皆から祝福されて。祝福されさせて(?)やりたかったよ。

夕方のお迎えは妻の担当であったが(午後はかわりに私が用事で外出であった)、園長先生が出てきてふかぶか謝られたらしい。「あなたもしかして朝のときよっぽどがっかりしてる様子みせた?」と妻、はい多分、私はそういうときあまり感情を隠せない。何しろ振り替え措置として10月末に10月の子供たちと一緒に太郎もお祝いするそうなのだ。んな忘れた頃にやられてもねえ。でもお願いします。家帰ってそれ用に用意していたおめかし姿の太郎を見てやっぱり泣いてしまった。太郎、太郎、太郎てダレ、ほんとはそんな名前じゃないけど太郎、好きだよ。お誕生日おめでとう。(10/1記)

すげえ可愛い

なんか胸糞の悪い意味わかんない記述で更新が止まってしまっていたので内容はないがなんでもいいから更新しとくという更新をしておく。

鬢を、鬢(びん)て分かりますかね、それを、太郎が耳にかけて、そしたら超美少女になった。今ちょっと髪が伸びている。耳まわりの毛がじゃまっけだ。うざいなーこの耳まわりの髪、となんとなく思いながら散髪面倒だし基本的に太郎は長いとき可愛いので手をつけていなかったのだが、その耳まわりの髪を集めて耳にかけてみたら(眼鏡のつるみたいにね)、したら超美少女になった。

おい太郎(という名前ではないんですよ本当は、言っとくけど)こっち見て。といって、こっち見させた。で、かわいい!と思った。もう一回「おい太郎」と言って、こっち見させて、かわいい!と思った。そんだけ。(9/30記)

殴る蹴る

この記事の作者はすげえいいパパぶってるな、と思った。本当は日夜殴る蹴るの暴行を働いている。太郎くんのお尻はどうしていつも真っ赤なのですかと保育園の先生に聞かれてヒヤリとしたこともある。この世に存在する最悪の外道パパ、それが私だ。

というのはさすがに虚構として、ちょっとどうにかならんもんかと思うのが、最近讒誣すること覚えて、讒誣(ざんぶ)って分かりますかね、太郎がね。太郎の奴めがそれを覚えてそれがちょっと人聞き悪いなと思うのが、まぁ順を追って話しますわ。

たとえば例によって太郎が苛々して物を投げて(最近は少なくなったが)、で妻がそれをきつく叱ったとする。もちろん言葉でですよ。すると子供は泣きますわな。そのときに、うわーん、眠いよぉ、と言ったりする。もちろん眠くなどない。ただ叱らないでほしい、怖い顔・怖い声しないでほしい、優しくしてほしい、という一心で、「論点のすり替え」を行っているのだ。

同じ感じで、先日実際あった事例だと、たとえばママと二人でお出かけします、太郎はもうズックを履いて土間でママを待ってる、しかしママがなかなか支度しあがらないので、待ちかねてズック履いたまま上り框から上がって二三歩廊下をこっちへ歩いてくる、それをママがこら、土足で上がらない!と叱る、すると太郎、声をあげてうわーーーーああ、おとうさん痛いよぉ!!!!痛いよぉおとうさんん……と言ったりするのだ。さすがに「痛い」はやめてくれ。

これが日本だったら親切な隣人に児童相談所に相談されて、係員が私たちを訪ねてくるところだ。「何か子育てで困ったこととかないですか?」とか遠回しな聞き方で探りを入れてくる。「え、なんでですか」「いえね、よく泣いている声が聞こえる、というような連絡があったものですから」「子供は泣くものですよ」「ええわかりますわかります、けれどもね、一応そういうご心配の声があったものですから」。何か言いたいことがあるのなら直接言いにくればいいものを。日本人、よろず直接対決をきらうよねーと、思ったことであろう。ここが日本であったなら。ここがウクライナであったからよかったが。(9/27記)

パパとママ、どっちが好き?

特定のおもちゃ、特定の遊び、特定の場所へのおでかけについては、ぜひパパと行きたい、そこはママではいけない、どうしてもパパとでないといけない、あるいはその逆。前回それをパパと(あるいはママと)したとき楽しかった記憶が鮮烈なあまり、それ以外の選択肢は認められないのだ。

だが最近はそれを超えてパパとばかり遊びたがるふしがある。ママとロシア語で遊んでいてもちょいちょい抜け出して私に日本語で何か話しかけたり遊びに誘ったりする(ほれ今も)。それで昨日、私がちょっと忙しくてママが太郎を担当していたのだが、Я с папой буду играться(パパと遊ぶ)といってきかぬ、挙句にЯ папу больше люблю, чем маму(パパが好き、ママよりも)とか言うに及んで、ママことわが妻は台所へ立っていってさめざめ泣きだしてしまった。ママのほっぺにチューしなさい、Мама, я тебя люблю, очень очень люблю(ママ好きだよ、大大大好きだよ)て言いなさい、とうながすと、その通りにするのだが、知ってるよ。お前が本当にママを好きなこと、お前が本当に一番好きなのはママであること。しかし「パパとママ、どっちが好きか」という質問の下らないこと。ママはママを好きなように好きで、パパはパパを好きなように好きなのだ。そんな質問してくれるな。誰も誰にもそんな質問すんな。(9/24記)

クイズ

「二本ある恐竜はこれだーれ!」「何が二本ある?」「ティラウルノだよ!」

というクイズを今出されたのだが、太郎はクイズが好きだ。たぶん「足が二本ある恐竜はだーれ?」と言いたかったので、というのも恐竜はたとえばトリケラトプスなどは足が四本あるけどティラノは二本に見えるからね、んで答えが「ティラノサウルス」なのだが太郎によるとティラノは「ティラウルノ」サウルスなのだ。そんで、クイズ出すのはいいが、すぐ答えを言いたくて仕方ない、こちらが答えるのが少しでも遅いと先答えを言ってしまうし、また間違えは一回までしか許容されない、ひとつ間違えるとすぐ答えを言われてしまう。幼い。待てないのだ。

私は谷崎潤一郎の教えに忠実になるべく主語をはぶいて文章書くのだが直上の一文は誰が何言ってるのかちゃんとわかりやすいようにかけているだろうかしりません。

で、太郎のお得意のクイズは次のようなものだ。わかりますかな。分かった人にみかんを一つあげよう。季節外れにおいしいこのみかんを。(食べながら)

そとはみどりで

おうちはあかい

これなーんだ!

男の子らしさ

ウクライナは男は男らしく女は女らしくがわりと強い国で義父母も太郎の髪が伸びること・太郎が赤系(紫さえ)の服を着ることをいやがった。私からすると太郎は私に似て癖っ毛なので髪は少し長めなくらいが可愛いと思ってるしいろんな太郎を見たいので赤でもピンクでも、まぁ時には花柄の服でも着たらよい。花を愛ずるもよい、おままごとで遊ぶもいいし、シルバニアファミリーでぜひ遊びたいというなら誕生日に豪華セット買ってやるにもやぶさかでない。

ところが気づけば太郎の趣味はザッツ男の子である。くるま。昆虫。恐竜。バイオレンス(バトル)。お下劣。

どうしてこういうことになっていくのか。「やっぱり男の子は車が好きだねぇ」というが、車に関しては、義父母や私たちのそれとはなしの導きがあった気がする。まず最初期に与えるおもちゃの中にクルマ的なものは必ずある。それで子供がよく遊んでいるのを見て、「やっぱり男の子は車が好きなのかなぁ」というこちら側の予断も手伝って、次から次へと車的なもの、本、など与えていくうちに、すっかりそちらの方向へ枝が伸びる、というところがある。続く昆虫とか恐竜に関しては、むしろ社会が、というよか、商品たちの導きがあった気がする。たとえば今次の(もう数か月続いているが)一大恐竜ブームの発端は、この一本の水のみボトルであった。

もう絵柄がカスッカスになってるが、各種の恐竜が描いてある。これにある日、太郎が興味をもって、これは何?「ティラノサウルス」ふうん、ティラノサウルス(音節の多い未知の単語を発音するのが好き)。ではこれは?「トリケラトプス」ふうん、トリケラトプス。このようなやり取りから全ては始まった。何が言いたいかって、子供の服とか身の回り品には、恐竜とか昆虫とか車の意匠のものが多い。そもそも私はキャラクターもの(アンパンマンとか)が好きでなく、それを避けようとすると、自然にこういう絵柄のものが集まる。ずっと接触してるうち、子供としても興味に火を点けられないではいない。昆虫と恐竜についてはこれで説明できる。

太郎のお下劣趣味については、これは太郎がオナラとかウンコの話をしたときに私たちが不快がったりたしなめたりする、その反応を楽しんでいるらしい。だからこれも私たち自身が育てた趣味といえる。子供は親を験すものだ。赦されるギリギリ、という線を見つけようとする。

分からないのは、暴力趣味だ。これは一体どこから来たのだろう?これこそ「男の子本来」の特性なのだろうか。たとえばうちに可愛らしいうさぎととりのぬいぐるみがいるのだが(むぎ、ぴぃぴと名付けた)、こいつらをばちーんと叩いたりして痛がらせる。「むぎ痛くしたの!」とか言って誇る。なんでそんなかわいいものを痛めつけねばならないか。もっとひどいのは、公園とかで自分より小さい弱そうな子(特に女の子)を見かけると、近づいていって、示威して、こづく。これはマジで最悪。決まって自分より小さい子というのが、何丘用語でいえば、陋劣である。そんなことは絶対に教えなかった。太郎が読んできたどんな本にもそんな場面はない。太郎の知ってる話で一番暴力的なのは「さるかに合戦」だろう。猿……猿か?

つう次第に「男の子らしさ」が形成されていく過程を目にしている。(9/20記)

子供の困ったところが2つある。苛々したとき①ものを投げる。②ママをぶつ。これは私も悪かったがレゴを子供のやつ(デュプロ)でなく、ふつうの大人のやつ買っていて、というのは私自身が遊びたかったからだが、やはり年齢に合っていないらしく、うまく嵌らなかったり、嵌めが半端ですぐ構造が崩れたりして、苛々トラップが多い。「えー、なんでこわれちゃうんだろう」とか言いながらしばらくはがんばって取り組んでいる、しかし苛々ゲージは溜まっていっていて、である瞬間、それこそ「キレる」という感じで、顔をくしゃくしゃにしてわーと叫んで立ち上がって作りかけのその構造物をばちーんと床にたたきつける。そのときママが近くにいればママをぶつ。

↑太郎の最新作。

なんでも自分でやろうとするのはよいことだ。意欲はある、イメージもあるのだが、しかしそれが実現できない、手先がまだ不器用だったり、物理がまだよく飲み込めていないことによってね。その苦しみは過小評価できない。私たち大人はもう世界に対して多くを期待していない、世界に対する大いなる失望・絶望をすっかり経験し完ったあとのすれっからしだ。だがかつては多分、私たちにイメージがあるとき、そのイメージの実現を、世界の側も少しは手伝ってくれることを信頼していた。大人たちにとっていまや世界はもっぱら自分たち自身が主体的能動的に改変していくものであるが、かつては多分、世界はもうすこし優しくて、私たちが望めばその望んだとおりに、くぼんだりふくらんだり変色したりしてくれるものであった。

つまり子供は、いま世界の反逆、世界の裏切りにあっている。それは憤ろしいことだ。信頼していたのに、世界はその信頼に応えなかった。そんなもんなのか、これが私のうまれおちた世界か!?

妄想を中断して現実にかえる、実践的な話をすると、苛々したかて物を投げてはいけません・ママをぶってはいけませんということを、どう教えたらいい。なるべく反射的にこちらも声を荒らげたり物理力をもってママと子供を分離したり「もうじゃあこのおもちゃでは遊ばせない!」といっておもちゃを奪って隠したり、といったことは、したくない。「苛々しても、ものを投げちゃだめ」「イライラするのはわかる。でも、そこをぐっとこらえることを覚えなさい」「どうしてもがまんできずに投げちゃったら、あとで自分で拾いなさい/どうしてもがまんできずぶっちゃったら、あとで謝りなさい」このように言う。だが、あまりに痛そうにママをぶったときは、やはり強制的にママと子供を引き剥がして「ママをぶつな!!」と強く言う。また、(さすがにしないが)じいさんが作った粘土細工を投げて壊すようなことがあれば、それこそものすごく強くしかる必要がある。「あのな太郎、こわすのは簡単、でも作るのはすごく大変なんだよ!」といって。

それでもなかなか治らない。苛々して①ものを投げる、②ママをぶつ。だが子供のがわに大いなる哀しみというものが想像される以上、この問題にはしぶとく取り組んでいかないといけないのだろうなと思う。(9/11記)

本復

お坊はようやく回復したようだ、咳が少し残るが昨夕から熱がない、夜も熟睡であった。保育園は大事を取って今日も休み、今週は全休みになった。明後日某人気ミュージアムのチケットとってるのだがどうしょう。もうすぐ子供の誕生日、泊りがけでどっか出かけたかったが、これもどうしょうか。予定の立たぬことだ。泊りがけの旅行など久しくしていない。この5か月、すべての夜を同じ布団で寝た。こんなことは今まで人生で一度もなかったはずだ。(9/9記)

虚構

先日の「替え歌」の話にも通ずるが、わざと事実に反することを言ったり、名詞を捏造したり入れ替えたり、筋書を改変して楽しむ。つまりは虚構を、不条理を楽しむ。

「はらぺこあおむし」のパズルを前にして太郎が「はらぺこあおむしたべるよ!」という、「何を食べる?」と私が問うと、いたずらっぽく笑ってなんと答えた思います。

ちなみに本来の筋書だと、おひさまさんさんのある日曜日に生れたあおむしが月曜日にりんごを一つ火曜日に洋ナシを二つ水曜日にプラムを三つ木曜日に苺を四つ金曜日にオレンジを五つ食べ、土曜日はチョコレートケーキオレンジのアイスクリームきゅうりのピクルス穴あきチーズ、サラミ、ぺろぺろキャンディ木の実をふんだんに使ったケーキソーセージカップケーキ西瓜を食べる。乱脈の限りを尽くす。でおなかがしくしく痛んで、でもはっぱを食べたらすっきりして、もうはらぺこあおむしははらぺこあおむしでなくなって、はらいっぱいあおむしになって、そのとき「ウ!」という顔をしたかと思ったら、さなぎにこもる。んでさなぎから出てきたときには蝶になっていた。ぱたぱたぱた~。(完)

もちろん太郎は本来の筋書を知っている。何万回も読んできたからね。しかし今、「なにをたべたの?」との私の問いに対し、

「ちょうちょをたべたよ!」

――それから?

「たいようをたべたよ!」

――それから?

「もじをたべたよ!」(←題字をさしながら)

――それから?

「パズルをたべたよ!」(←漠然と全体をさしながら)

このノンセンスの徹底とメタ展開のすさまじさ。この子……逸材や。(9/8記)

風邪

子供がまた風邪ひいた。今週は保育園行ってない。前回同様コロナは陰性。

子供というのはこんなによく風邪をひくものなのでしょうか。2歳までは病気らしい病気もしなかったが、やはり保育園に行き出してからだ。

むかし同僚に小さい子のいる女性がいてその人が子供がまた風邪ひきましたと言って休んだり在宅勤務ばかりしていて私はずるいと思っていた。嫌味を言ったこともある。悔いている。(9/7記)

難しい言葉

近所にマンションの2階部をなす慮外に巨大な商店があってぶちぬきの大空間に家具だの食器だの衣服だの文房具だの果ては子供のおもちゃだの売っている。子供は一度来ているのでどこかにおもちゃのコーナーがあることは知ってるのだが入口からそこにたどり着くまでに洋服のコーナー食器のコーナー文房具のコーナーと抜けていかねばならず……というなかで、前を歩きながら私にも聞こえない小さい声で「ふくざつなみせだなぁ」と独語したとかで傍に立っていたおばちゃんの笑いが爆発した。「笑、いまねこの子、『ふくざつなみせだなぁ』って言ってたよ」

小さい子供の不相応に大人びた発言というのは微笑をさそう。それでいうと、うちの子は、難しい言葉をいろいろ知ってるほうな気がする。なんで知ってるって私とかが教えたから知ってるわけで、まぁ言ったら自分の微笑のタネを自分で太郎に仕込んでいるつうことになるか。

たとえば「回転」とか「構造」とか言う。「基礎」とか「擬態」とかいう。

音節の多い単語を明瞭に発音することにかけては定評があり、自身、新しい長ったらしい言葉を新たに知り・巧みに発音することを楽しんでいるふうだ。昔だと「コンクリートミキサー」とか「こうしょさぎょうしゃ」「ごみしゅうしゅうしゃ」といったはたらくくるまの名前、最近だとまぁ恐竜か、「タニストロフェウス」「パラサウロロフス」「アノマロカリス」「ユーリプテルス」「テリジノサウルス」それから「サーベルタイガー」「ダンクルオステウス」といった古生物。別に強いて覚えさせてるわけではなし、太郎の方から「これなんていう?」と聞いてくるので、私自身聞いたこともないようなその恐竜の名前を、まぁ仮にイザヤベンダサウルスとしよう、「これね、イザヤベンダサウルスて書いてあるよ」と教えてやると、さも知ってたけどド忘れしちゃってた・でも言われて思い出したという感じで「あー、イザヤベンダサウルスかぁ」と詠嘆長で復唱する。その復唱がまた見事というか、いま聞いたばかりの語であるはずなのに、一音一音実に正確に再現する。んでわりと覚えているのだ。

あと、最近だと、「不正行為(ふせいこうい)」というのがある。私と太郎でパズルどっちが早く完成できるか競争ということをするのだが、太郎が50ピースくらいのやつ一枚、私が99ピースのやつ3枚とかだと、(太郎のやる気がちゃんと持続すれば)けっこう実力が伯仲する。私は本気でとりくむ。でガチ負けしそうになってきた時に私が歌う歌というのがあって、〽負けたくない負けたくない、負けたくない負けたくない、不正行為をやっちゃいそォ~、不正行為をやっちゃいそォ~、という歌なのだが、これに対して太郎が「だめだよ!ふせいこういやっちゃだめだよ!」と憤慨気味に突っ込む、というくだりがある。(逆に、太郎がナチュラルに不正行為をやってきて、私が「ふせいこういだめだよ!」と突っ込むパターンもある)

太郎を保育園に入れるとき先生に言ったのが、(市役所から聞いてると思うけど)うちの子はハーフですし生まれも育ちもウクライナでしたけど日本語はふつうにわかります、ただ「あんよ」とか「まんま」とか幼児語を言っても伝わらない可能性が高いです、それは私がそういう言葉を教えなかったから(いきなり大人の言葉を教えたから)で、でも日本語がわからないということではないんです、と、こういうことを言った。実際私は幼児語を教える意味というのがあんまりわからない。

あと、太郎の発音が明瞭なのは、やはりロシア語やってるので(やってるってのも変だが)口の筋肉がだいぶ鍛わってるんだと思う。ただ一点、ちょっと鍛わりすぎかと疑われるのが「ハ行」(はひふへほ)で、これを太郎はロシア語式に喉の奥からかなり強く息を出して発音してしまう。л(l)でもр(r)でもないところの日本語のらりるれろは問題なく自然な感じに仕上がったが「はひふへほ」と「хахихухэхо」の間の隠然微妙な差異には気付かれなかった。これは私も悪い。私はもと演劇人なのでもともとハ行の発音がロシア語のそれに近い(私自身がロシア語の発音から影響を受けている可能性もある)。いささか風趣・情緒・詫び寂びに欠ける太郎の強すぎるハ行はいつか矯正されることがあるのだろうか。(9/6記)

植物

みんな見て。おじぎそうが花をつけたよ。

おじぎそうはマジ癒される。さわると葉を閉じる、うなだれる。童心にかえる。夜は寝る。しゅんとしている。朝になると葉をいっぱいに広げる。つぼみがつく。「あ、これ花だよ、花さくよ!」と話したのが昨夜、けさもうこんなに咲いている。生き物。生き物がうちにいるというのはいい。

埼玉の実家には猫が5匹いる。私たちの今のアパートは無菌状態だったが、近所の花屋さんの軒先におじぎそうがあって通るたび子供に触らしていて(触ってもいいけど3回までね!と注意書きしてある)、こんなんうちにあってもいいな、私好きだし、と思って買った。ひと月前とか?

子供のときは多分クラスで育てていたやつを夏休みの間だけ引き取ったのだと思うがカブトムシとかクワガタとかを水槽で飼っていた一時期があった。鈴虫とかも飼ってたことがあった。それが植物であっても、朝顔とかヒヤシンスとか、手元に置いて成長を見守ってたあの感じのこと、よく覚えている。わりと強い印象として残っている。生き物を身近において生活をともにする、というのは、子供の情操にとってとてもよいのだと思う。切り花を飾っておくのとはまた違う。(9/3記)

替え歌

いま太郎が隣室で「いーとーまきまき」のメロディで「スピノふみふみ、スピノふみふみ」と歌っている。スピノとはスピノサウルスのことである。本で見た、ブラキオサウルスがスピノサウルスをふんづけてる図に想を得た替え歌と思しい。

うちの子はけっこう替え歌をする。もともと私がとなりのトトロの歌(だーれーかがー、こーおっそりー)のサビ、「となりのトットロー」というところを「アラビアのトットロー」と替え歌して、それに太郎が「アラビアじゃないよ!となりのだよ!」と突っ込むというくだりがテッパン化したところから始まり、そのうち太郎自身が「長谷寺のトットロー」とか「あらくれのトットロー」とか歌い出すようになった。長谷寺とかあらくれとかいうのが3歳児の語彙としておかしくなければだが。

で、先日は、「ぶんぶんぶん、ハチが飛ぶ」のこのハチのところを、ぶんぶんぶん、ガラヴァ(голова)とり、おいけのまわりにガラヴァのとりがあかいじてんしゃペダルをこいだらチェーンがまわって推進力がうまれちゃう。と替え歌したら太郎が「ちがうよ!ハチがとぶだよ!」と突っ込んで結局替え歌が好きなのは私だ。(9/1記)

↑ガラヴァとり(poki

珍言

私が大口あけてニャンチュウの声で「あったまかた・ひざ・ぽん」を歌ってみせたら太郎おもしろそうに見ていて、歌が終わるとたたっとママの方へ駆けていってПапа зубасто пел! とご珍言、あっはっは。(8/29記)

⚡唐突にロシア語講座⚡
一部の名詞は~астыйの語尾をつけて「当該名詞のプレゼンスが際立っているさま」を表す形容詞を作れる。たとえばглаза(目)→глазастый(目がでかい、目が利く)、уши(耳)→ушастый(耳がでかい、耳が利く)、зуб(歯)→зубастый(歯がぞっくり生え並んだ)。たとえばスピノサウルスはзубастый динозавр(歯ァのゾックリ生えた恐竜)であると言える。
мясо(肉)→мясистый(みっちりした)というのもある。基本はウシ・ブタとか魚について言うのだが果物とか野菜がいかにも果肉がぎっちり詰まってそうなさまを言うのにも使える。このмясистыйには「肉肉しい」という素晴らしい訳語がある。本当はぜんぶその方式でглазастый目目しい、ушастый耳耳しい、зубастый歯歯しいとしたい。それが許されるなら上掲珍言Папа зубасто пелは「パパが歯歯しく歌った!」と訳せる。

音楽

市の文化会館で「0歳から楽しめ!炎のクラシック講座」と題するコンサートやってたので皆で聞きに行った。実によかった。太郎にとっては人生はじめてのコンサート。楽しむだろうか行儀よく座り通せるだろうかと危ぶんだがよくできたプログラムで1時間あっちゅうま、古今東西のいろいろな音楽に触れながら最後までとても楽しく過ごすことができた。太郎も大満足の様子。皆さんとても上手で迫力があって、私などには言えないが、きっとものすごくレベルの高い演奏家の方々だったんだと思う。場内あちこちから絶えず赤子の叫喚が聞こえていて結構カオスな空間だったが、それも私には大変に心地よかった。これが普通の大人向けのコンサートだったら赤子連れてくんなよ引っ込めろよと舌打ちも聞こえて来ようし私自身聖人君子でなければうるさく感じない保証もない、だが今度のこれはハナからそういうもだのと皆思ってるので一切気にならない。「人様への迷惑」に対する無言の禁圧が強力なこの社会にあって例外的な、ありえないくらい優しい時空間だった。こんな機会がもっとあってほしい。

音楽教育? 

何丘は一応カワイの3歳児コースで英才教育を受けて「絶対音感的なノリはある」と言われる兄がある(その弟にはそんなノリはなし)。絶対音感はともかくとして、なんとなく太郎には、音楽を愛する子供になってほしい。音楽に満ちた人生になってほしい。よき音楽はこの世のよきもの。この世のよきものにいっぱい触れてほしいという大願のなかの部分願(ブブンガン)として、よき音楽にも触れてほしい。よき音楽とはなにか?

結局は親がいいと思う音楽を(決して押しつけることなく)それとなくいろいろ聴かせることだろうと思う。でもそれが簡単なことのようで、意外にできない。家で基本私らは無音で過ごしている。たぶん妻と私の趣味が全然ちがうことが大きい。妻がよく聞いてるのはЗемфираとかГребенщиковとかで、私も嫌いじゃないがそんなずっと聴いてたくはない。逆に私が好きなブラックミュージックとか日本のロックとかは妻があまり好きでない。だから基本それぞれイヤホンで自分の音楽きいていて、家うちに何か音楽が鳴り響くことがあるとすれば子供に子供の音楽を聞かせてるときであって、それっていうのは結局ほんと子供向けの童謡・民謡・アニソンみたいなことになってしまう。「一家三人全然聴く音楽が違う」。そういう不幸なことになっている。どうしたらいい? どうしたらいいですか?(8/28記)

キス

数日前に急にほっぺにチューということをやり出した。くちさきをとがらすということを知らぬのでなんとなく顔をこっちもってきてほっぺのあたりへくちびるのあたりを密着させる。どこに何が当たったのかやられてるほうも判然としないのだが「とてもきもちいいよ、ありがとう」と言って返す。するとしばらくして「もいっかい」といってまたチューしてくれる。ママに私に交互にそれをする。かわいくてたまらぬ。(8/26記)

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