(虚構?)子育て日記

その他

太郎、my love。おまえと生きている。

髪切った

はじめてトコヤで髪切った。すんげー可愛くなった。

Aから始まる有名なアニメをタブレットで見せながらちゃちゃっと15分くらいでカット完了。「くせあるからあんまり短くしすぎないほうがかわいいですよね」つって可愛さ本意で切ってくれた。耳まわりのもじゃもじゃが解消されてホントすっきり。今まではママが風呂場で切ってたのだがそれについて「ママじょうずですね!」とお世辞ももらった。

フルメンバーで参戦した。つまり私とママと太郎。太郎はパワフル小僧で世界は優しさにあふれていると思ってるので基本人見知りしない感じなのだが謎に「知らない男の人を怖がる」という報告も各所であって、初対面の美容師さんが怖かったのだろうか、ずっとパパの手を握っていたがった。だから私はずっとそばに立ってた。んで一緒にAから始まるアニメを見てた。右側カットのときは私が左側に立ち左手を握り、左側カットのときは右側に立って右手を握った。ママはその一部始終を隣の椅子で見てた(二席しかない小さい店で、その時間は私たちの貸切だった)

料金は2歳までと3歳以上で(日本円にして)1000円ほど落差があって、電話予約のとき思わず「2歳です」と言ってしまった。隣で妻が「3歳でしょ」と尋常のトーンで突っ込んでいて、それが先方に聞こえたか聞こえていないか微妙なラインだった。行ってみたらすごい雰囲気のいい店で夫婦でやってるこぢんまりしたいい感じのいい店で、ふんいきもよくて、それで奥さんの方から顧客情報すんませんが頂戴しまーすといって子供の名前・生年月日の記入を求めてきたとき妻が困っていた(私は太郎に手を握られて動けなかったので妻が記入する流れだった)。どうする、真実を書く、それとも太郎は2歳で通す? と目で聞いてきたので私はНапиши правду(真実を書け)と命じた。それで妻は真実を書きこんだ。それによれば子供は3歳である。(事実3歳なので)

だが何も言わずに2歳料金で会計してくれた。私たちはこれから1か月半に一度この店で子供の髪を切る考えである。そのくらい気に入った。次回はもちろん3歳料金を払う。「前回3歳だったのに2歳料金だったですよね」と指摘されたら言われるまま差額を払おう。言われなければすいません、私は電話口でつい間違って2歳と言った(そして後で自分でそれに気づかなかった)のですし、お会計のときも自分が2歳料金を払っていることを認識していなかったのです。(こんなこと書くと「炎上」するだろうか?)10/6記

お誕生会

いつとは言わないが、太郎はさいきん誕生日をむかえたのだす。

それで9月末日の昨日、保育園ではその月生まれた子の合同お誕生会をやることになっていた。太郎は6月入園なのでこれまで3回その様子を客席から見ていて、今日はじめて自分が壇上に立つ。おともだち皆から拍手され祝福される。たろうくん(仮)、おめでとう! なんか王冠みたいなものかぶせてもらう。ちょっとした何かプレゼントももらえるようだ(過去の例を見ると)。

だがその前夜、発熱した。いやな咳も出た。うわあ……。「明日、お誕生会だね、たのしみだねっ!」と煽ってしまったことを後悔した。

だが朝起きると熱はだいぶひいていて、36.7度と微妙なラインであった。咳も出るには出るがまばらであった。本人の機嫌はいたってよく、食欲ももりもりであった。すげー迷った。

それで保育園に朝の連絡。うちの園は現代的ィで連絡はアプリで行います。「今日誕生日会で行かせたいのですが体調これこれこういう具合(※正直に)で迷ってます。もうちょっと様子みて大丈夫そうだったら10時(※本来だれば8時半に連れてくところ)に連れてきます、だめそうだったら別途また連絡します」と書いて送った。私には重大な予断があった。誕生日会は午後、おひるねのあと、15時くらいに行うものと。夏祭りだとかこれに先立つもろもろのイベントがそんな時間に行われてたこととか、あとケーキを食べるというからおやつの時間であろうとか、わかんない、とにかくそう思い込んでいた。

で、太郎はマジでばりばり大丈夫そうなので、ならいくべぇと決めて、10時に連れてった。道中「今日お誕生日だね、〇〇ちゃんと一緒だね、楽しみだね!」と煽りに煽った。ほいで出迎えの先生に(※コロナだなんだで保護者は園内には入らず入口のところで子供受け渡し)「きょうお誕生日ですね」つって太郎渡したら、先生の顔がサー曇って、「誕生日会なんですが……もう……終わってしまいました」



私の落胆を思ってほしい。

よかったのは、太郎がどうやら心に食らわなかったらしいのだ。なんとも思わなかったらしい。そのようにしか見えない。妻は今日は出勤の日だったのでLINEで「誕生日会朝やったんだって 最悪」と書いて送ったら妻は「なんてかわいそう 涙出てくる」「この保育園やめようか」と返事してきて、まったく同感だった。皆さん。私が悪いんですよ。前もって時間たしかめなかったんだから。いつも朝行われてるらしいんですよ。お昼寝のあとにというのは私のただの思い込みであった。でもね、……でもなんか泣いちゃうよ。かわいそうじゃん。あまりに不憫じゃん。朝は人はいろんな事情で遅刻してくるんだから、なんでそれに限って朝なんだよ。全学年合同だから一人欠席で予定ずらせないのはわかるけど、それでもさ、連絡はしてたわけじゃんか。せめてクラス内だけでも別途やってくれたりしないの?小規模でもさぁ。皆から祝福されて。祝福されさせて(?)やりたかったよ。

夕方のお迎えは妻の担当であったが(午後はかわりに私が用事で外出であった)、園長先生が出てきてふかぶか謝られたらしい。「あなたもしかして朝のときよっぽどがっかりしてる様子みせた?」と妻、はい多分、私はそういうときあまり感情を隠せない。何しろ振り替え措置として10月末に10月の子供たちと一緒に太郎もお祝いするそうなのだ。んな忘れた頃にやられてもねえ。でもお願いします。家帰ってそれ用に用意していたおめかし姿の太郎を見てやっぱり泣いてしまった。太郎、太郎、太郎てダレ、ほんとはそんな名前じゃないけど太郎、好きだよ。お誕生日おめでとう。(10/1記)

すげえ可愛い

なんか胸糞の悪い意味わかんない記述で更新が止まってしまっていたので内容はないがなんでもいいから更新しとくという更新をしておく。

鬢を、鬢(びん)て分かりますかね、それを、太郎が耳にかけて、そしたら超美少女になった。今ちょっと髪が伸びている。耳まわりの毛がじゃまっけだ。うざいなーこの耳まわりの髪、となんとなく思いながら散髪面倒だし基本的に太郎は長いとき可愛いので手をつけていなかったのだが、その耳まわりの髪を集めて耳にかけてみたら(眼鏡のつるみたいにね)、したら超美少女になった。

おい太郎(という名前ではないんですよ本当は、言っとくけど)こっち見て。といって、こっち見させた。で、かわいい!と思った。もう一回「おい太郎」と言って、こっち見させて、かわいい!と思った。そんだけ。(9/30記)

殴る蹴る

この記事の作者はすげえいいパパぶってるな、と思った。本当は日夜殴る蹴るの暴行を働いている。太郎くんのお尻はどうしていつも真っ赤なのですかと保育園の先生に聞かれてヒヤリとしたこともある。この世に存在する最悪の外道パパ、それが私だ。

というのはさすがに虚構として、ちょっとどうにかならんもんかと思うのが、最近讒誣すること覚えて、讒誣(ざんぶ)って分かりますかね、太郎がね。太郎の奴めがそれを覚えてそれがちょっと人聞き悪いなと思うのが、まぁ順を追って話しますわ。

たとえば例によって太郎が苛々して物を投げて(最近は少なくなったが)、で妻がそれをきつく叱ったとする。もちろん言葉でですよ。すると子供は泣きますわな。そのときに、うわーん、眠いよぉ、と言ったりする。もちろん眠くなどない。ただ叱らないでほしい、怖い顔・怖い声しないでほしい、優しくしてほしい、という一心で、「論点のすり替え」を行っているのだ。

同じ感じで、先日実際あった事例だと、たとえばママと二人でお出かけします、太郎はもうズックを履いて土間でママを待ってる、しかしママがなかなか支度しあがらないので、待ちかねてズック履いたまま上り框から上がって二三歩廊下をこっちへ歩いてくる、それをママがこら、土足で上がらない!と叱る、すると太郎、声をあげてうわーーーーああ、おとうさん痛いよぉ!!!!痛いよぉおとうさんん……と言ったりするのだ。さすがに「痛い」はやめてくれ。

これが日本だったら親切な隣人に児童相談所に相談されて、係員が私たちを訪ねてくるところだ。「何か子育てで困ったこととかないですか?」とか遠回しな聞き方で探りを入れてくる。「え、なんでですか」「いえね、よく泣いている声が聞こえる、というような連絡があったものですから」「子供は泣くものですよ」「ええわかりますわかります、けれどもね、一応そういうご心配の声があったものですから」。何か言いたいことがあるのなら直接言いにくればいいものを。日本人、よろず直接対決をきらうよねーと、思ったことであろう。ここが日本であったなら。ここがウクライナであったからよかったが。(9/27記)

パパとママ、どっちが好き?

特定のおもちゃ、特定の遊び、特定の場所へのおでかけについては、ぜひパパと行きたい、そこはママではいけない、どうしてもパパとでないといけない、あるいはその逆。前回それをパパと(あるいはママと)したとき楽しかった記憶が鮮烈なあまり、それ以外の選択肢は認められないのだ。

だが最近はそれを超えてパパとばかり遊びたがるふしがある。ママとロシア語で遊んでいてもちょいちょい抜け出して私に日本語で何か話しかけたり遊びに誘ったりする(ほれ今も)。それで昨日、私がちょっと忙しくてママが太郎を担当していたのだが、Я с папой буду играться(パパと遊ぶ)といってきかぬ、挙句にЯ папу больше люблю, чем маму(パパが好き、ママよりも)とか言うに及んで、ママことわが妻は台所へ立っていってさめざめ泣きだしてしまった。ママのほっぺにチューしなさい、Мама, я тебя люблю, очень очень люблю(ママ好きだよ、大大大好きだよ)て言いなさい、とうながすと、その通りにするのだが、知ってるよ。お前が本当にママを好きなこと、お前が本当に一番好きなのはママであること。しかし「パパとママ、どっちが好きか」という質問の下らないこと。ママはママを好きなように好きで、パパはパパを好きなように好きなのだ。そんな質問してくれるな。誰も誰にもそんな質問すんな。(9/24記)

クイズ

「二本ある恐竜はこれだーれ!」「何が二本ある?」「ティラウルノだよ!」

というクイズを今出されたのだが、太郎はクイズが好きだ。たぶん「足が二本ある恐竜はだーれ?」と言いたかったので、というのも恐竜はたとえばトリケラトプスなどは足が四本あるけどティラノは二本に見えるからね、んで答えが「ティラノサウルス」なのだが太郎によるとティラノは「ティラウルノ」サウルスなのだ。そんで、クイズ出すのはいいが、すぐ答えを言いたくて仕方ない、こちらが答えるのが少しでも遅いと先答えを言ってしまうし、また間違えは一回までしか許容されない、ひとつ間違えるとすぐ答えを言われてしまう。幼い。待てないのだ。

私は谷崎潤一郎の教えに忠実になるべく主語をはぶいて文章書くのだが直上の一文は誰が何言ってるのかちゃんとわかりやすいようにかけているだろうかしりません。

で、太郎のお得意のクイズは次のようなものだ。わかりますかな。分かった人にみかんを一つあげよう。季節外れにおいしいこのみかんを。(食べながら)

そとはみどりで

おうちはあかい

これなーんだ!

男の子らしさ

ウクライナは男は男らしく女は女らしくがわりと強い国で義父母も太郎の髪が伸びること・太郎が赤系(紫さえ)の服を着ることをいやがった。私からすると太郎は私に似て癖っ毛なので髪は少し長めなくらいが可愛いと思ってるしいろんな太郎を見たいので赤でもピンクでも、まぁ時には花柄の服でも着たらよい。花を愛ずるもよい、おままごとで遊ぶもいいし、シルバニアファミリーでぜひ遊びたいというなら誕生日に豪華セット買ってやるにもやぶさかでない。

ところが気づけば太郎の趣味はザッツ男の子である。くるま。昆虫。恐竜。バイオレンス(バトル)。お下劣。

どうしてこういうことになっていくのか。「やっぱり男の子は車が好きだねぇ」というが、車に関しては、義父母や私たちのそれとはなしの導きがあった気がする。まず最初期に与えるおもちゃの中にクルマ的なものは必ずある。それで子供がよく遊んでいるのを見て、「やっぱり男の子は車が好きなのかなぁ」というこちら側の予断も手伝って、次から次へと車的なもの、本、など与えていくうちに、すっかりそちらの方向へ枝が伸びる、というところがある。続く昆虫とか恐竜に関しては、むしろ社会が、というよか、商品たちの導きがあった気がする。たとえば今次の(もう数か月続いているが)一大恐竜ブームの発端は、この一本の水のみボトルであった。

もう絵柄がカスッカスになってるが、各種の恐竜が描いてある。これにある日、太郎が興味をもって、これは何?「ティラノサウルス」ふうん、ティラノサウルス(音節の多い未知の単語を発音するのが好き)。ではこれは?「トリケラトプス」ふうん、トリケラトプス。このようなやり取りから全ては始まった。何が言いたいかって、子供の服とか身の回り品には、恐竜とか昆虫とか車の意匠のものが多い。そもそも私はキャラクターもの(アンパンマンとか)が好きでなく、それを避けようとすると、自然にこういう絵柄のものが集まる。ずっと接触してるうち、子供としても興味に火を点けられないではいない。昆虫と恐竜についてはこれで説明できる。

太郎のお下劣趣味については、これは太郎がオナラとかウンコの話をしたときに私たちが不快がったりたしなめたりする、その反応を楽しんでいるらしい。だからこれも私たち自身が育てた趣味といえる。子供は親を験すものだ。赦されるギリギリ、という線を見つけようとする。

分からないのは、暴力趣味だ。これは一体どこから来たのだろう?これこそ「男の子本来」の特性なのだろうか。たとえばうちに可愛らしいうさぎととりのぬいぐるみがいるのだが(むぎ、ぴぃぴと名付けた)、こいつらをばちーんと叩いたりして痛がらせる。「むぎ痛くしたの!」とか言って誇る。なんでそんなかわいいものを痛めつけねばならないか。もっとひどいのは、公園とかで自分より小さい弱そうな子(特に女の子)を見かけると、近づいていって、示威して、こづく。これはマジで最悪。決まって自分より小さい子というのが、何丘用語でいえば、陋劣である。そんなことは絶対に教えなかった。太郎が読んできたどんな本にもそんな場面はない。太郎の知ってる話で一番暴力的なのは「さるかに合戦」だろう。猿……猿か?

つう次第に「男の子らしさ」が形成されていく過程を目にしている。(9/20記)

子供の困ったところが2つある。苛々したとき①ものを投げる。②ママをぶつ。これは私も悪かったがレゴを子供のやつ(デュプロ)でなく、ふつうの大人のやつ買っていて、というのは私自身が遊びたかったからだが、やはり年齢に合っていないらしく、うまく嵌らなかったり、嵌めが半端ですぐ構造が崩れたりして、苛々トラップが多い。「えー、なんでこわれちゃうんだろう」とか言いながらしばらくはがんばって取り組んでいる、しかし苛々ゲージは溜まっていっていて、である瞬間、それこそ「キレる」という感じで、顔をくしゃくしゃにしてわーと叫んで立ち上がって作りかけのその構造物をばちーんと床にたたきつける。そのときママが近くにいればママをぶつ。

↑太郎の最新作。

なんでも自分でやろうとするのはよいことだ。意欲はある、イメージもあるのだが、しかしそれが実現できない、手先がまだ不器用だったり、物理がまだよく飲み込めていないことによってね。その苦しみは過小評価できない。私たち大人はもう世界に対して多くを期待していない、世界に対する大いなる失望・絶望をすっかり経験し完ったあとのすれっからしだ。だがかつては多分、私たちにイメージがあるとき、そのイメージの実現を、世界の側も少しは手伝ってくれることを信頼していた。大人たちにとっていまや世界はもっぱら自分たち自身が主体的能動的に改変していくものであるが、かつては多分、世界はもうすこし優しくて、私たちが望めばその望んだとおりに、くぼんだりふくらんだり変色したりしてくれるものであった。

つまり子供は、いま世界の反逆、世界の裏切りにあっている。それは憤ろしいことだ。信頼していたのに、世界はその信頼に応えなかった。そんなもんなのか、これが私のうまれおちた世界か!?

妄想を中断して現実にかえる、実践的な話をすると、苛々したかて物を投げてはいけません・ママをぶってはいけませんということを、どう教えたらいい。なるべく反射的にこちらも声を荒らげたり物理力をもってママと子供を分離したり「もうじゃあこのおもちゃでは遊ばせない!」といっておもちゃを奪って隠したり、といったことは、したくない。「苛々しても、ものを投げちゃだめ」「イライラするのはわかる。でも、そこをぐっとこらえることを覚えなさい」「どうしてもがまんできずに投げちゃったら、あとで自分で拾いなさい/どうしてもがまんできずぶっちゃったら、あとで謝りなさい」このように言う。だが、あまりに痛そうにママをぶったときは、やはり強制的にママと子供を引き剥がして「ママをぶつな!!」と強く言う。また、(さすがにしないが)じいさんが作った粘土細工を投げて壊すようなことがあれば、それこそものすごく強くしかる必要がある。「あのな太郎、こわすのは簡単、でも作るのはすごく大変なんだよ!」といって。

それでもなかなか治らない。苛々して①ものを投げる、②ママをぶつ。だが子供のがわに大いなる哀しみというものが想像される以上、この問題にはしぶとく取り組んでいかないといけないのだろうなと思う。(9/11記)

本復

お坊はようやく回復したようだ、咳が少し残るが昨夕から熱がない、夜も熟睡であった。保育園は大事を取って今日も休み、今週は全休みになった。明後日某人気ミュージアムのチケットとってるのだがどうしょう。もうすぐ子供の誕生日、泊りがけでどっか出かけたかったが、これもどうしょうか。予定の立たぬことだ。泊りがけの旅行など久しくしていない。この5か月、すべての夜を同じ布団で寝た。こんなことは今まで人生で一度もなかったはずだ。(9/9記)

虚構

先日の「替え歌」の話にも通ずるが、わざと事実に反することを言ったり、名詞を捏造したり入れ替えたり、筋書を改変して楽しむ。つまりは虚構を、不条理を楽しむ。

「はらぺこあおむし」のパズルを前にして太郎が「はらぺこあおむしたべるよ!」という、「何を食べる?」と私が問うと、いたずらっぽく笑ってなんと答えた思います。

ちなみに本来の筋書だと、おひさまさんさんのある日曜日に生れたあおむしが月曜日にりんごを一つ火曜日に洋ナシを二つ水曜日にプラムを三つ木曜日に苺を四つ金曜日にオレンジを五つ食べ、土曜日はチョコレートケーキオレンジのアイスクリームきゅうりのピクルス穴あきチーズ、サラミ、ぺろぺろキャンディ木の実をふんだんに使ったケーキソーセージカップケーキ西瓜を食べる。乱脈の限りを尽くす。でおなかがしくしく痛んで、でもはっぱを食べたらすっきりして、もうはらぺこあおむしははらぺこあおむしでなくなって、はらいっぱいあおむしになって、そのとき「ウ!」という顔をしたかと思ったら、さなぎにこもる。んでさなぎから出てきたときには蝶になっていた。ぱたぱたぱた~。(完)

もちろん太郎は本来の筋書を知っている。何万回も読んできたからね。しかし今、「なにをたべたの?」との私の問いに対し、

「ちょうちょをたべたよ!」

――それから?

「たいようをたべたよ!」

――それから?

「もじをたべたよ!」(←題字をさしながら)

――それから?

「パズルをたべたよ!」(←漠然と全体をさしながら)

このノンセンスの徹底とメタ展開のすさまじさ。この子……逸材や。(9/8記)

風邪

子供がまた風邪ひいた。今週は保育園行ってない。前回同様コロナは陰性。

子供というのはこんなによく風邪をひくものなのでしょうか。2歳までは病気らしい病気もしなかったが、やはり保育園に行き出してからだ。

むかし同僚に小さい子のいる女性がいてその人が子供がまた風邪ひきましたと言って休んだり在宅勤務ばかりしていて私はずるいと思っていた。嫌味を言ったこともある。悔いている。(9/7記)

難しい言葉

近所にマンションの2階部をなす慮外に巨大な商店があってぶちぬきの大空間に家具だの食器だの衣服だの文房具だの果ては子供のおもちゃだの売っている。子供は一度来ているのでどこかにおもちゃのコーナーがあることは知ってるのだが入口からそこにたどり着くまでに洋服のコーナー食器のコーナー文房具のコーナーと抜けていかねばならず……というなかで、前を歩きながら私にも聞こえない小さい声で「ふくざつなみせだなぁ」と独語したとかで傍に立っていたおばちゃんの笑いが爆発した。「笑、いまねこの子、『ふくざつなみせだなぁ』って言ってたよ」

小さい子供の不相応に大人びた発言というのは微笑をさそう。それでいうと、うちの子は、難しい言葉をいろいろ知ってるほうな気がする。なんで知ってるって私とかが教えたから知ってるわけで、まぁ言ったら自分の微笑のタネを自分で太郎に仕込んでいるつうことになるか。

たとえば「回転」とか「構造」とか言う。「基礎」とか「擬態」とかいう。

音節の多い単語を明瞭に発音することにかけては定評があり、自身、新しい長ったらしい言葉を新たに知り・巧みに発音することを楽しんでいるふうだ。昔だと「コンクリートミキサー」とか「こうしょさぎょうしゃ」「ごみしゅうしゅうしゃ」といったはたらくくるまの名前、最近だとまぁ恐竜か、「タニストロフェウス」「パラサウロロフス」「アノマロカリス」「ユーリプテルス」「テリジノサウルス」それから「サーベルタイガー」「ダンクルオステウス」といった古生物。別に強いて覚えさせてるわけではなし、太郎の方から「これなんていう?」と聞いてくるので、私自身聞いたこともないようなその恐竜の名前を、まぁ仮にイザヤベンダサウルスとしよう、「これね、イザヤベンダサウルスて書いてあるよ」と教えてやると、さも知ってたけどド忘れしちゃってた・でも言われて思い出したという感じで「あー、イザヤベンダサウルスかぁ」と詠嘆長で復唱する。その復唱がまた見事というか、いま聞いたばかりの語であるはずなのに、一音一音実に正確に再現する。んでわりと覚えているのだ。

あと、最近だと、「不正行為(ふせいこうい)」というのがある。私と太郎でパズルどっちが早く完成できるか競争ということをするのだが、太郎が50ピースくらいのやつ一枚、私が99ピースのやつ3枚とかだと、(太郎のやる気がちゃんと持続すれば)けっこう実力が伯仲する。私は本気でとりくむ。でガチ負けしそうになってきた時に私が歌う歌というのがあって、〽負けたくない負けたくない、負けたくない負けたくない、不正行為をやっちゃいそォ~、不正行為をやっちゃいそォ~、という歌なのだが、これに対して太郎が「だめだよ!ふせいこういやっちゃだめだよ!」と憤慨気味に突っ込む、というくだりがある。(逆に、太郎がナチュラルに不正行為をやってきて、私が「ふせいこういだめだよ!」と突っ込むパターンもある)

太郎を保育園に入れるとき先生に言ったのが、(市役所から聞いてると思うけど)うちの子はハーフですし生まれも育ちもウクライナでしたけど日本語はふつうにわかります、ただ「あんよ」とか「まんま」とか幼児語を言っても伝わらない可能性が高いです、それは私がそういう言葉を教えなかったから(いきなり大人の言葉を教えたから)で、でも日本語がわからないということではないんです、と、こういうことを言った。実際私は幼児語を教える意味というのがあんまりわからない。

あと、太郎の発音が明瞭なのは、やはりロシア語やってるので(やってるってのも変だが)口の筋肉がだいぶ鍛わってるんだと思う。ただ一点、ちょっと鍛わりすぎかと疑われるのが「ハ行」(はひふへほ)で、これを太郎はロシア語式に喉の奥からかなり強く息を出して発音してしまう。л(l)でもр(r)でもないところの日本語のらりるれろは問題なく自然な感じに仕上がったが「はひふへほ」と「хахихухэхо」の間の隠然微妙な差異には気付かれなかった。これは私も悪い。私はもと演劇人なのでもともとハ行の発音がロシア語のそれに近い(私自身がロシア語の発音から影響を受けている可能性もある)。いささか風趣・情緒・詫び寂びに欠ける太郎の強すぎるハ行はいつか矯正されることがあるのだろうか。(9/6記)

植物

みんな見て。おじぎそうが花をつけたよ。

おじぎそうはマジ癒される。さわると葉を閉じる、うなだれる。童心にかえる。夜は寝る。しゅんとしている。朝になると葉をいっぱいに広げる。つぼみがつく。「あ、これ花だよ、花さくよ!」と話したのが昨夜、けさもうこんなに咲いている。生き物。生き物がうちにいるというのはいい。

埼玉の実家には猫が5匹いる。私たちの今のアパートは無菌状態だったが、近所の花屋さんの軒先におじぎそうがあって通るたび子供に触らしていて(触ってもいいけど3回までね!と注意書きしてある)、こんなんうちにあってもいいな、私好きだし、と思って買った。ひと月前とか?

子供のときは多分クラスで育てていたやつを夏休みの間だけ引き取ったのだと思うがカブトムシとかクワガタとかを水槽で飼っていた一時期があった。鈴虫とかも飼ってたことがあった。それが植物であっても、朝顔とかヒヤシンスとか、手元に置いて成長を見守ってたあの感じのこと、よく覚えている。わりと強い印象として残っている。生き物を身近において生活をともにする、というのは、子供の情操にとってとてもよいのだと思う。切り花を飾っておくのとはまた違う。(9/3記)

替え歌

いま太郎が隣室で「いーとーまきまき」のメロディで「スピノふみふみ、スピノふみふみ」と歌っている。スピノとはスピノサウルスのことである。本で見た、ブラキオサウルスがスピノサウルスをふんづけてる図に想を得た替え歌と思しい。

うちの子はけっこう替え歌をする。もともと私がとなりのトトロの歌(だーれーかがー、こーおっそりー)のサビ、「となりのトットロー」というところを「アラビアのトットロー」と替え歌して、それに太郎が「アラビアじゃないよ!となりのだよ!」と突っ込むというくだりがテッパン化したところから始まり、そのうち太郎自身が「長谷寺のトットロー」とか「あらくれのトットロー」とか歌い出すようになった。長谷寺とかあらくれとかいうのが3歳児の語彙としておかしくなければだが。

で、先日は、「ぶんぶんぶん、ハチが飛ぶ」のこのハチのところを、ぶんぶんぶん、ガラヴァ(голова)とり、おいけのまわりにガラヴァのとりがあかいじてんしゃペダルをこいだらチェーンがまわって推進力がうまれちゃう。と替え歌したら太郎が「ちがうよ!ハチがとぶだよ!」と突っ込んで結局替え歌が好きなのは私だ。(9/1記)

↑ガラヴァとり(poki

珍言

私が大口あけてニャンチュウの声で「あったまかた・ひざ・ぽん」を歌ってみせたら太郎おもしろそうに見ていて、歌が終わるとたたっとママの方へ駆けていってПапа зубасто пел! とご珍言、あっはっは。(8/29記)

⚡唐突にロシア語講座⚡
一部の名詞は~астыйの語尾をつけて「当該名詞のプレゼンスが際立っているさま」を表す形容詞を作れる。たとえばглаза(目)→глазастый(目がでかい、目が利く)、уши(耳)→ушастый(耳がでかい、耳が利く)、зуб(歯)→зубастый(歯がぞっくり生え並んだ)。たとえばスピノサウルスはзубастый динозавр(歯ァのゾックリ生えた恐竜)であると言える。
мясо(肉)→мясистый(みっちりした)というのもある。基本はウシ・ブタとか魚について言うのだが果物とか野菜がいかにも果肉がぎっちり詰まってそうなさまを言うのにも使える。このмясистыйには「肉肉しい」という素晴らしい訳語がある。本当はぜんぶその方式でглазастый目目しい、ушастый耳耳しい、зубастый歯歯しいとしたい。それが許されるなら上掲珍言Папа зубасто пелは「パパが歯歯しく歌った!」と訳せる。

音楽

市の文化会館で「0歳から楽しめ!炎のクラシック講座」と題するコンサートやってたので皆で聞きに行った。実によかった。太郎にとっては人生はじめてのコンサート。楽しむだろうか行儀よく座り通せるだろうかと危ぶんだがよくできたプログラムで1時間あっちゅうま、古今東西のいろいろな音楽に触れながら最後までとても楽しく過ごすことができた。太郎も大満足の様子。皆さんとても上手で迫力があって、私などには言えないが、きっとものすごくレベルの高い演奏家の方々だったんだと思う。場内あちこちから絶えず赤子の叫喚が聞こえていて結構カオスな空間だったが、それも私には大変に心地よかった。これが普通の大人向けのコンサートだったら赤子連れてくんなよ引っ込めろよと舌打ちも聞こえて来ようし私自身聖人君子でなければうるさく感じない保証もない、だが今度のこれはハナからそういうもだのと皆思ってるので一切気にならない。「人様への迷惑」に対する無言の禁圧が強力なこの社会にあって例外的な、ありえないくらい優しい時空間だった。こんな機会がもっとあってほしい。

音楽教育? 

何丘は一応カワイの3歳児コースで英才教育を受けて「絶対音感的なノリはある」と言われる兄がある(その弟にはそんなノリはなし)。絶対音感はともかくとして、なんとなく太郎には、音楽を愛する子供になってほしい。音楽に満ちた人生になってほしい。よき音楽はこの世のよきもの。この世のよきものにいっぱい触れてほしいという大願のなかの部分願(ブブンガン)として、よき音楽にも触れてほしい。よき音楽とはなにか?

結局は親がいいと思う音楽を(決して押しつけることなく)それとなくいろいろ聴かせることだろうと思う。でもそれが簡単なことのようで、意外にできない。家で基本私らは無音で過ごしている。たぶん妻と私の趣味が全然ちがうことが大きい。妻がよく聞いてるのはЗемфираとかГребенщиковとかで、私も嫌いじゃないがそんなずっと聴いてたくはない。逆に私が好きなブラックミュージックとか日本のロックとかは妻があまり好きでない。だから基本それぞれイヤホンで自分の音楽きいていて、家うちに何か音楽が鳴り響くことがあるとすれば子供に子供の音楽を聞かせてるときであって、それっていうのは結局ほんと子供向けの童謡・民謡・アニソンみたいなことになってしまう。「一家三人全然聴く音楽が違う」。そういう不幸なことになっている。どうしたらいい? どうしたらいいですか?(8/28記)

キス

数日前に急にほっぺにチューということをやり出した。くちさきをとがらすということを知らぬのでなんとなく顔をこっちもってきてほっぺのあたりへくちびるのあたりを密着させる。どこに何が当たったのかやられてるほうも判然としないのだが「とてもきもちいいよ、ありがとう」と言って返す。するとしばらくして「もいっかい」といってまたチューしてくれる。ママに私に交互にそれをする。かわいくてたまらぬ。(8/26記)

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