側面史て何ぞ(仮題)

側面史とかいうやつが誰に、どうやって、どういう意図で書かれているか。その内幕。

少しずつ書いていく。24年2月27日現在、完成度13%。

大綱(一口に言えば側面史とは何か――とりまここだけ読んでくれればよい)

さる理由によりウクライナのげんざいに多大な関心を有し、さる理由によりロシアの侵略戦争を極度に憎悪している人間が、たまたまロシア語ができるので、ロシア語メディアで戦争の経過を追い続けており、そこで得た知見を日々、日本語で皆様におすそ分けしている。

一口にいえば、それが側面史である。

願うのは、第一に平和、第二に正義。第三に、少なくとも、認識すること。
側面史は、残念ながら、平和にはほとんど貢献すること零である。だが正義と公正には、少しは貢献できる。皆様の認識を深めることには、明らかに貢献ができる。

何丘て誰

何丘とま申す。

★半生

ロシアとの関わりから話すのが良いだろう。2002年にベアーズキッスという映画を見て良いなと思った。2004年、日本の学生がロシア語でロシア演劇やるという妙なサークルに入った。それで狂った。流れで大学でもロシア語とかロシア文学を専攻した。

2012年から2016年まで4年半ロシアに住んだ。ロシア語でめしくった。前半は能天気だった。後半は修羅だった。2014年のクリミア併合が余りに許せなかった。一人のルサフォブが仕上がった。

2016年に結婚した。結婚相手の郷里はウクライナのオデッサであった。その人を日本に持ち帰って2年ほど住んだ。

2019年夏にオデッサに移住して、同年秋に子供が生まれた。22年2月にロシアが攻めてきて、妻と子を連れて日本に逃げ帰った。以来東京の三鷹に住んでいる。

★ブログ

オデッサにいるとき何となくブログを始めた。22年1月に「ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情」という記事を書いたところバズった(1日2万人くらいに見られた)

それで味をしめた、というわけではない。ウクライナについて定点観測したい(私自身が)そして私みたいなやつのための一種の集会所を作りたいと思い(いや、はじめて聞く説明だな?)「側面史」というプロジェクトを立ち上げた。それを今日まで更新し続けている。

★年齢と職業

年齢は、お恥ずかしい、39である。情けない。

一応、ロシア語で飯を食っている、ということになっている。あまり言いたくない。下らない。

★ロシア語

ロシア語は歴だけ長いが大した実力もない。検定は受けたことがないが、ロシア語検定1級相当の実力は、さすがに持っていてくれよと自分に願っている。

ロシア語話者とそれなりにどんな話題でも持続的な会話が可能(とはいえ間違うし言いよどむし訛っている)、ニュース記事読むときほぼ辞書は引かない(ときどきネットで露露は引く)、映像コンテンツも字幕なしで見てだいたい分かる、みたいな感じだ。

★その他

翻訳は好きだ。そもそも日本語の文章を書くのが好き。あと、人にものを教えるのが好き。

あと何いおう。文学青年だった。今は大して本も読まない。文章の書き方で明確に影響を受けたと自覚してるのは漱石(高踏性)賢治(頓狂さ)中也(てにをは)秋山駿(否定と不快)筒井康隆(饒舌性)。

あと何言おう。もういいか。

あ、歌うと壊れる、踊ると直る。

側面史てなんぞ

側面史とは妙な言葉だ。正面があり、背面があって、側面がある。その「史」。

要は歴史の教科書に載らないような事実の系列である。「裏面史(りめんし)」という言葉の方がもう少し一般的であるように思う。だがその名で呼ばれるべきは、何というかもっと立派な、たとえばアレクシーエヴィチ『戦争は女の顔をしていない』のような、語らざるものをして語らしめようという、強い意思に導かれた、正史というものへのアンチテーゼとして投げかけられる言葉たちであろう。
私にはそれほどの強い意思はない。ただ、日本の大きなメディアがキエフと世界の政治交渉についてとか東部や南部の戦線とかについて語っているときに、あえて誰も見てないオデッサについて語ろう、あるいは、ウクライナの社会や人たちが経験している地味~な変化について語ろう……語ろうっていうか、それについて語っているウクライナメディアの記事を、よこのものをたてにして、伝えるということをしよう、という、受動的な、身の程をわきまえた、しみったれた、営為。それを側面史と呼んでいる。

わかりましたか。

要は、戦況とか、政治とか経済とかよりは、生活とか社会とか文化とか言語とかについて語る。キエフとかドンバスとかクリミアよりは、オデッサについて語る。

このことからくる重大な帰結:皆さまがウクライナ及びこの戦争について知るのに、この側面史ひとつでは、ぜんぜん足りない。肉だのコメだのはよそで食ってくれ。飽くまで何か他に主たる情報源(テレビでも新聞でもいい、NHKのニュースサイトでもいい)があったうえでのサブである。世界の長期的展望にとって決定的に重要な情報を、当ブログはほとんど常態的に取りこぼしている。たとえば日本の広島でG7サミットが開かれそこにゼレンスキーもやってきた。そのことを側面史はほとんど取り上げなかった。「大手日本語メディアで十分紹介されている」という理由で。

とはいえ、網羅性を全く放棄しているわけではない。なんとなれば、皆さまは忙しく、いろんなメディアをはしごして肉はこの店で青菜はこの店でとショップ・アラウンドしている時間はなく、とりあえず何丘ブログだけ見て何となく戦争の経過を追っているという人も十分想定される。だから、①日本語で十分よく紹介されていると思える話題について、とりあえず今これが話題になっていますよ(深入りしませんけど)と一言せめて言及しておく、②戦況について、今だいたいこういう趨勢ですと概略がつかめるような記事があれば、取り上げてキャッチアップを助ける。このように心がけている。

(さっきの例だと、サミットのとき、「広島でG7サミットが開かれそこにゼレンスキーもやってきた、だが日本語メディアで十分紹介されているので、ここでは取り上げない」とくらいは書いている)

(あえての取りこぼしでなく、ふつうにうっかり(その重大性を認識しそこねて)取りこぼすこともしばしばある)

記事の取捨選択の実際については次章。

側面史を綴るとは具体的に何をすることか(作業の内実)

ウクライナの露字メディアの報道を取捨選択して日本語に翻訳している。

★どのメディアを見るか

今はもっぱらウクライナ・プラヴダ(УП)を見ている。

昔はもっと色々見ていた。一番がんばってるときで4つくらい見ていた。①ウクライナ全国メディアを代表してУП、②オデッサローカルメディアからОЖ、③ロシアの独立系メディアからMeduza、④ロシアの国営プロパガンダメディアを代表してTASS。

だが、公平とか中立のためといってTASSとか見る意味は無いなと早々に見切りをつけた。「高精度ミサイルによりキエフ政権の軍事目標のみを正確に破壊(民間人および民生インフラに決して被害を出さない)」というのが本当かどうか、これは確実に嘘、これも確実に嘘、という事例を幾つか確認して、それでもう見るのを止めた。こんなものにつきあうのは全く馬鹿馬鹿しいと。

それでУПとОЖは全部見て極力Meduzaも見るという体制でしばらくがんばってたが、昨冬~昨春、人からお金を集めるのをやめて、側面史を全くお金にならない営為にしておいて、さて持続可能性をと探る過程で、まずMeduzaを断捨離した。そのあとまた忙しくなってОЖも見ていられなくなって、結果УП一本ということになった。本当は今でも、せめてОЖくらいはちゃんと見ていたい。

今は何しろ、УПを見ている。で、オデッサで何か大きな動きがあればОЖで深堀りし、ロシア本土で気になる動きがあればMeduzaを参照する、という感じでやっている。

★どのように見ているか

УП(ウクライナ・プラヴダ)の、その日一日のニュースをだーっと一覧表示するページがある。ニュースのタイムラインと呼んでいる。


このタイムラインが仕上がるのが、その日の24時である。

たとえば2月7日の全ニュース記事は、その日の24時に出そろう。

ウクライナ時間で7日の24時というのは、日本時間で8日の朝7時である。

「側面史」記者の私のまずすることは、朝起きて、УПの直近24時間のニュースタイムラインを、頭からだーっと確認していくことである。ニュース記事の見出し(タイトル)だけを、とにかく全件閲覧していく。УПのニュースは平日だと140件ほど、休日だと70件ほどある。

そのうちの5分~1割ほどを実際に開いて中身を読んで、話題ごとに分類して、ほんで翻訳していく。おこがましいが、解説も付す。昔は内容の紹介と解説をごっちゃにしてしまっていたが、ある方のご指摘を受け分離するようになり、今は「側面史」の方には専ら報道の内容のみ書き、解説だの感想については、側面のさらに裏、「ネコ」と呼ばれる記事のほうにまとめて書いている。

★「側面史」の編集方針①内容

大きな方針として、日本語であまり紹介されていないような話題をこそ取り上げたい。

戦況の変化とか、西側の支援とか、EU加盟への道とか、そういう大きな軍事・政治の話は、テレビとかに取り上げられもするし、本職の専門家の人が背景とかも含めてよく解説してくれてるから、私なんぞ素人の出る幕でないと思って、敬遠しがち。

私の領分としては、ざっくりいって、社会とか文化とか、言語とか生活とか、そういうのがあると思う。大手メディアも何かあったときにはそういうことも報じるが、何もないときでもそういうことについて語り続けている点が、何丘ブログ「ウクライナ戦争側面史」の特徴であろうと思う。あと、生活とか社会についてなら、私だって2年半の短きにもせよその内部で息をし旅をし観察した経験と肌感があるから、たぶん、人より少しは語れることもある。

というわけで、具体的には、せやな……世論調査はよく取り上げますな。むしろ、必ず紹介するようにしている。

あと、言語の話はよく取り上げる。これには地名・道路名のウクライナ語化(脱露/脱ソ漂白)の話題も含まれる。言語の問題では珍しく私に意見というものがある。その意見とは他でもない、今のウクライナ政権の言語政策は誤っている、というものである。ゼレンスキーは欺瞞に満ちているし二枚舌を使っているし、この失政が<ロシア世界>理論に付け入る隙を与えた。詳しくは別のところで語ろう。

天気の話をよく取り上げる。キエフとオデッサの週間予報とかときどき出てくるであろう。かの地で人たちがどんな気温でどんなテンションで暮らしているかが気になる。とりわけ冬場は、ロシア軍の陋劣極まる電力網攻撃の関係で、寒くないか、春はまだか、がとても気になっていた。そう、電力の話はよく取り上げる。

要人の声明を取り上げがちだ。ゼレンスキーが何をどういう言葉で言ったか。あるいはブダーノフ、あるいはダニーロフ、クレバ、フョードロフ。ここは多分に、ウクライナ側のメディア戦略の巧みさというか、私は半ば、釣られている。取り上げさせられている。「そのままニュースの見出しに使えるような、メディアがいかにも取り上げたくなるようなキラーフレーズを声明に多用する」というのが高橋杉雄氏の看破したウクライナの情報発信の特徴だった。私はもともと文学青年、一つのことを言うのにもそれをどんな言葉で言うのかということが気になる。ロシア語で読んでこれはうまいこと言うなとかこれ訳してみたいなーとか誘われて、つい長々引用してしまうことが多々ある。

オデッサの話はどうしても多くなる。集合住宅が被弾して市民が何人死んだ、という話も、他の街であるのと、それがオデッサであるのとで、私の中では、重みが全然ちがってしまう。げんに、多くの悲報をスルーした。それがオデッサのことであればまさかスルーはしなかっただろうようなことを。そういう歪(いびつ)さを「側面史」は持っている。

あとは、平和と正義の実現を現実に一歩近づけると思われる話題には、どうしても手がのびる。それが軍事とか政治とか、明らかに私の手に余る話題であってもだ。たとえば23年夏季領土奪還作戦(「反転攻勢」)には大いに期待し、その反映として「側面史」も戦況の推移を多く取り上げることとなった。あるいは、ロシアにおける部分動員とか、プリゴジンの反乱とかも、手厚く取り上げた。核超大国のロシアに戦略的な敗北ということは(人類滅亡シナリオ以外に)あり得ないから、戦争が終わるとしたら、ロシアが内部から自壊するしかない。ロシアの侵略を止められるのはロシアだけだ。だからロシアの綻び/滅びに関わる話題は、私の琴線にメッチャ触れる。ゆらい、手厚く取り上げることにもなる。

★「側面史」の編集方針②外形

もっと外形的なことをいうと、

直近10日ほどの更新をみると、平均して5つくらいの話題を取り上げていて、平均して1500字くらい書いている。いい分量だと思う。がんばりすぎると続かない。読むほうもツライ。

その作「小僧の神様」をもじって「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉は短勁を宗とし推敲のたびに文字数が少なくなっていったそうだ。私も基本的には、一字でも少ないのが正義だと考えている。推敲は基本的に文字数を減らす方向でおこなう。だが、根が文学青年なもので、明晰さへの志向と、美文(醜の美含め)への志向とをともにもち、両者の相克でときに(しばしば)後者を勝たせる。それがなければ文字数もずっと短い。でもそれだと私が楽しくない。こんなん書かんでもええやろーと思われる箇所に出会われた際には、それをえもいわれぬ贅肉と思って美味しく食べていただくか、あるいは、私がこの側面史いう営みを続けるためのコストというか必要悪だと思って、大目に見てほしい。

つづく

つづく

以下、次のようなことが書かれる。

・何丘とは誰か?
・側面史てなんぞ?
・側面史を綴るとは具体的に何をすることか(作業の内実) ←今ここ
  ∟取り上げさせられている(釣られる)
・側面史の手クセ
  ∟地名ほかのロシア語表記、人名の不明示、コロンの多用
・側面史のよいところ(メリット)
・側面史の悪いところ(デメリット)
・何が何丘をして側面史を綴らしめているのか(動機)

・おまけ:側面史の語彙集/珍言集


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