ロシア人の名前の読み方(名・父称・姓)

その他

ロシアは広い、そして「ロシア人の名前は長い」。この後者の了解に楔を打ち込みたい。「長い」ことは否定しないが、見方が分かれば少なくともランダム文字列であることを止める。ロシア人の名前の読み方、教えてあげる。

ロシア人の名前、概要

ロシア人の名前は「名前・父称・姓」の三部分からなる。

父称ってなんやねん」というのが一番突っ込みたいところだと思う。ふしょう、と読む。

正直、父称なんてものがあるから、ロシア人の名前は長く見える。私はかねて父称不要論を提唱している。もしくは父称無用の長物論。まぁそれについては後で語るとして、

まぁでも一応ざっくりだけ言っとこう。父称は「父親の名前が何であるか」を示すものだ。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチならウラジーミルがその父親もウラジーミルであること、レフ・ニコラエヴィチならレフの父親がニコライであることを示している。「誰それのせがれの何々」という言い方だ。

ともかく、ここでは次のあらましだけ押さえておけばいい。

ロシア人の名前は①名②父称(ふしょう)③姓から構成される。

以下、そのそれぞれに解説を加えていく。

ロシア人の名前①名

ロシア人のファーストネームはバリエーションが少ない

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

代表的な名

ロシア人のファーストネームとして代表的なものを挙げてみる。

アレクサンドル
ドミートリイ
ミハイル
ウラジーミル
イワン
アンドレイ
アンナ
ソフィヤ
ダリヤ
マリヤ
アレクサンドラ
アリーナ

どれもわりと馴染みというか、どっかで聞いたことあるヤツばかりなのではないかな。なんも怖いことないでしょう。

名の種類は少ない

名のバリエーションの少なさを見るために、任意の人間集団における同一名の反復率を示したい。とりまロシア議会下院(госдума)議員一覧いこう。

苗字がИから始まる人15名の中にウラジーミルが3人いて、マクシムが2人いる。その他もオレグ、イーゴリ、アンドレイ、ニコライ、レオニード、ボリスと、全く恐るるに足らん名だ。

さらにいうと、上図には、15人と見せかけて実は30人分の名が展示してある。15人それぞれの父親の名が「父称」の中に封入されてるから。その30人の中に同じ名がいかに多く反復しているか、キリル文字読める人は読んでみてほしい。

ちょっと国会議員だと女性のサンプルが少なすぎるので、別の人間集団を覗いてみようか。そうさな……バスケットボール女子ロシア代表

驚きのダリヤ反復率。8人の中にダリヤが3人いる。

何しろ言いたいのは、ロシア人のファーストネームはバリエーションが少なく、同名異人が多いということ。

実際ロシアらへんに生きてると同じ名のやつに大量に出会う。私もこれまで何人のイリーナ/アンナ/マリーナと遭遇したか知れない。日本だと「岡田です」「井上です」と初対面では姓で名乗り合うところ、ロシアでは初球ファーストネームを交換するので、なおその感が強い。

「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」「ニコライ・ニコラエヴィチ」のように父子で同名というパターンもままある。少ない種類を多くの人間で使い回してる観がある。

名のネタ帳

さて、これらの名はどこからつけられるか。あと、なんでこんなにかぶるのか。

実はロシアには名前の「ネタ帳」、推奨される名前のリストみたいなものがある。святцыと呼ばれるやつで、まぁ「聖名目録」とでもしておこうか。キリスト教(ロシア正教)の聖人たちの名がぶぁーと並んでる。

ロシア人と聞いて思い浮かべる大抵の名前がここに入ってる。フョードルもイーゴリもレフもヨシフもエヴゲーニイも、アンナもマリアもマリーナもダリアもソフィヤもアナスタシヤも。(私たちもここから子供に名をつけた)

何もここから名を選ばないといけないという決まりがあるわけではない。ただ名付けに関して多くの人は保守的なので、結果的にだいたいはここにあるような名に落ち着く、ということだ。

他言語との対応

あとひとつ豆知識的なこと言うと、一部の名は英/仏語圏のより馴染みな名に対応している。

たとえばロシア人名のミハイルは、英語圏でいうマイケル、フランス語圏でいうミシェルである。すべてキリスト教の「大天使ミカエル」からきている。

ニコライ Николайニコラス Nicolas
ゲオルギー Георгийジョージ George
エヴゲーニイ Евгенийユージーン Eugene
ピョートル Пётрピーター Peter
イワン Иванジョン John
フョードル Фёдрセオドア Theodor
パーヴェル Павелポール Paul
アントン Антонアンソニー Anthony

たとえばロシア人アントンはアメリカ行ったらアンソニーと名乗らねばならないか? そうする人もいると聞く。そうしない(アントンで通す)人もいるとも聞く。日本人からすると行く先々で名前が変わる(固有名詞が翻訳される)というのは妙な感じだ。

まとめ

ロシア人の名前のうち「名」にフォーカスした本章をまとめる。

まず、ロシア人の名はバリエーションが少ない。んで、だいたいがキリスト教(ロシア正教)にちなんだ名である。さらに、多くの名がより馴染みなアノ名のロシア版である――たとえばイワンは英語圏でいうジョン(←ヨハネ)。

これでだいぶロシア人の「名」が了解可能になったのではないか。ロシア人の名前、少なくともファーストネームについては、恐るるに足らんなと思って頂ければ幸い。

補注

最後にちょっとだけ補足、以上の説明に尽きない「非標準的な名前」について。

①キリスト教的でない名
②外国ふうの名
③「ロシア人」以外の名

①「プラトン」等の古典時代からの命名、②「ソフィー」「ナタリー」等あえて外国風にした名、「アンジェリーナ」等のバタ臭い名が微妙にトレンドになってる気がする。私たち自身の観察。

③ロシアには正教世界に属さないロシア人もいっぱいいる。そういう人たちの名の意味とか由来については私は全くわからない。本記事の範疇を改めて次のように限定しておく:この記事では正教とロシア語で理解可能なスラヴ人名、つまり狭義の「ロシア人」の名前のみ取り扱う

ロシア人の名前②父称

さて父称(ふしょう)である。

父称は最もロシアらしい現象だ。ロシア人の名前の最大の特徴。そして「ロシア人の名前は長い」というイメージの元凶である。

↑エヴゲーニヤ・アルマーノヴナ・メドヴェージェワ

父称はどうやって作られる?

先に言った通り、父称は父親の名から作られる。母親の名は関係ない。

自動的に生成されるということがポイントだ。

例1:パーヴェル(男)とクセニヤ(女)のあいだに女児が生れたら、その子にアンナと名付けようとマリヤと名付けようと、父称は自動的に「パーヴロヴナ」となる。

例2:ローマン(男)とナターリヤ(女)のあいだに男児が生れたら、その子にイワンと名付けようとマクシムと名付けようと、父称は自動的に「ロマーノヴィチ」となる。

例3:日本人男性よしひことロシア人女性ニーナのあいだに長男ボリスが生れたら、その子は「ボリス・ヨシヒコヴィチ」となる。いやでも自動的にそうなる。長女ヴェーラは「ヴェーラ・ヨシヒコヴナ」。名は選べるが、父称は選択の余地がない。

例を見てお分かりのように、父称は男性なら「~ヴィチ」、女性なら「~ヴナ」の語尾をとる。

なんのために父称なんてものがある?(父称不要論)

父称などというケッタイなものがなぜ存在するか。

恐らく、そもそもは、ファーストネームのバリエーションが少なく、同名異人が多いため、「誰それさんちのなにがし」といって個人を特定するためのものだったはずだ。だが……

①その父称そのものがバリエーションの少ないファーストネームから生成されるため、「特定」の役を果たさない!

つまり、男児といえばイワンばかりの村で、どのイワンかを特定するために「イワンのせがれのイワン(イワン・イワーノヴィチ)」と言ったところで、そのイワン(父)はどのイワン(父)やねん!ということになる。子世代の名のバリエーションの少なさを、同じようにバリエーションの少ない親世代の名で補うというのは、なんとも頭の悪い話。しかもだな……

②バリエーション豊富な「ファミリーネーム」によって個人の特定は容易である!

別個に「姓」というものが存在して、しかも重要なことに、そちらは種類がめちゃめちゃ豊富で、個々ユニークである。つまり、個人を特定したいなら、名+姓の組み合わせで十分なのだ。まさに日本を含め、ロシア以外の多くの国で行われている通りに。

ゆえに断罪する。

「ロシア人の名前は長い」という不名誉なイメージの元凶、ひいては「ロシアはわからない」「なにそれ怖い」「おそロシア」の淵源となっている父称は、不要にして、無用の長物!……

↑ゲンナージイ・アルダリオノヴィチ・グラハム(ゲーナ)とチェブラーシカ。ミドルネームの「アルダリオノヴィチ」がいかにも重い。父称無用の長物論

現代ロシアにおける父称の意義(の否定)

では現代ロシアにおいて「無用の長物」父称が何かの用途で使われていないかというと、これは実はバリバリ使われている。

名前+父称で人を呼ぶことによって、目上の人への敬意を表せる。

つまり、「~~さん(様)」という言い方が、父称によって成立する。これが現代ロシアにおける父称の唯一の機能である。

たとえばウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンのことを、本人を前にして/あるいはパブリックな場所で呼び表すときに、「ウラジーミル」とか「プーチン」だけで済ますと、親近・ぞんざい・粗野に過ぎる。「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」と名+父称で呼ぶことによって、尊敬おくあたわざる感じを出せる。

またたとえば詩聖プーシキンのことを、とっくの昔に死んだ歴史的人物であるから単に「プーシキン」でもいいのだけれど、あえて「アレクサンドル・セルゲーヴィチ」と名+父称で呼ぶことで、尊崇とあと若干の親愛の情(あたかも現存の人であるかのようにあだやおろそかにしない感じ)を出せる。インテリの身振りだ。

もしかすると、父称の効能を、次のように言えるかもしれない。

父称が本来的に不要・無用であり、空虚なものであるからこそ、それをそっと添えることで、「名前じか呼び」の直接性を和らげることができる

だが実は、同じ目的を、「苗字にさん付けする」ことでも果たせる。Mr.とかMrs.にあたる(空虚な)敬称辞がロシア語にもある(господин/госпожа)。

つまり、ロシア語には「~~さん(様)」という言い方が2通りあるのだ。「名+父称」と「姓+敬称辞」。後者の方がより改まった感じ、と若干のニュアンスの相違はあるが、本質的には同じ。父称が廃止され、前者の表現が不可能になっても、それで社会が回らなくなることはない。

まとめ

「長い」で有名なロシア人の名前。名・父称・姓という三部構成のうち、一番ケッタイな「父称」について、この章でお話した。

下記に要旨をまとめる。

⑴父称は父親の名から「自動的に」生成される
⑵たぶん父称は、元来、名の種類の貧困を補い、個人を特定するためのものだった
←だが実は、それ自体種類貧困である父称は、個人の特定にあんまり有効でない
⑶父称の現在唯一の機能は、名と結びついて「敬称」を形成することである
←だが実は、有力な代替手段が存在する(姓+敬称辞)

⇒父称不要論

こんなわけのわからん無用の長物が名前の真ん中に鎮座してるからこそ、ロシア人の名前は長い。ロシア人わけわからんことするやつ、ロシアは理知ではわからない(信じることしかできない)、おそロシイ……という話にもなる。

だが、そんなわけわからんことをあえてするところが、団子より花をとっちゃうアタマの悪さが、ロシア人のかわいいところともいえる。その意味では父称こそロシア人名の真髄である。

ロシア人の名前③姓

種類貧困な名および名から生成される父称に対し、ロシア人の姓はバリエーションに富みまくる。

↑マリヤ・ユーリエヴナ・シャラーポワ

ロシア人の姓はバリエーション豊富

同じ苗字のやつに二度会うことは少ない。苗字でほぼ個人を特定できる。

・マリヤといってもどこのマリヤかわからない。だがシャラポワといえばまずあのシャラポワである。

・フョードルだけだと何のフョードルかわからない。だがドストエフスキーといえばまずあのドストエフスキーである。

・ウラジーミルはごまんといる。だがプーチンといえばまずあの人物のことをさす。

姓の種類は体感として無限である。知るヤツ知るヤツ違う苗字だ。

ゆえに、もし仮に実生活でプーシキン/チェーホフ/チャイコフスキー/ムソルグスキーと出会ったら、「もしかしてあの歴史的人物の末裔の方……?」と疑問を抱くのがむしろ自然である。全く無関係でたまたま同じ苗字というのは逆にあまり期待し得ない。そのくらい姓は人それぞれで、それぞれの姓がユニークである。

ロシア人の姓は意味がある

ロシア人の多くの苗字は自然物・人工物・職業などからつけられた。これを逆側からいえば、ロシア人の姓には意味がある。

たとえばメドヴェージェフ前大統領あるいはフィギュアスケート女子メドヴェージェワは、メドヴェージすなわち「熊」から来ていて、さしずめ「熊田さん」だ。

由来意味
プーシキンプーシカ大砲
トルストイトールストゥイ太ってる
ヴィノグラードフヴィノグラード葡萄
モロゾフマローズ寒波
ムーヒンムーハ
ベドニャコフベドニャク貧乏人
ザイツェフザーヤツ
メーリニコフメーリニク粉ひき屋
ベレゾフスキーベリョーザ白樺
チャイコフスキーチャイカかもめ

↑男性名のかたちで統一したが他意はない。語尾をア行ないしアヤに変えれば女性名のかたちになる(プーシキン→プーシキナ、チャイコフスキー→チャイコフスカヤ)

今この表を作るときに、ぱっと例が思い浮かばないのでサッカー男子ロシア代表の選手名鑑を見ていたのだが、本当に同じ苗字の反復ということがない。中には笑えるものもある。

アントン・ザバロートヌィ。「ザバロートヌィ」はза болотомつまり「沼の向こっかわ」。沼向こうのアントン。(実はこの姓は私には既知である)

これは笑ったw ウラジスラフ・カラプーゾフ。カラプーズというのは「ぷくぷく坊や」。

ウラジーミル・モスクヴィチョフ。先祖がモスクヴィチ(モスクワっ子)であったんだろうなあ。

イリヤ・ジェチョーヌィシェフ。ジェチョーヌィシ=「お子ちゃま」。40になっても70越してもこの名前。

これすごいね。スタニスラフ・ベッスメールヌィ。ベッスメールヌィは形容詞で「不死の」「不滅の」である。「不滅のスタニスラフ」。


という具合に、いろいろ面白いものがある。ちょっと数紹介しすぎたか。好きなんだよね珍名。かつてこんな記事も書いた↓

ロシア人・ウクライナ人のめくるめく珍名の世界に沈湎したい人はぜひお読みくだされ。

よくある苗字(名由来の姓)

とはいえ、鈴木山本佐藤みたいに「ありふれた苗字」というものがないではない。

↑ロシア科学アカデミー「最も普及したロシア人の苗字」トップ25。1位イワノフ、2位スミルノフ、3位クズネツォフですと。

ここで注目したいのは、トップ苗字のなかにファーストネームから派生したラストネームが目立つことだ。

イワン(名)→イワノフ(姓)
ワシーリー(名)→ワシーリエフ(姓)
ピョートル(名)→ペトロフ(姓)
ミハイル(名)→ミハイロフ(姓)
フョードル(名)→フョードロフ(姓)
アレクセイ(名)→アレクセーエフ(姓)
セミョーン(名)→セミョーノフ(姓)

多分は姓より父称の方が起源が古く、父称経由で苗字化したのだろうが、それはともかく、これによってどういうことが可能になったかというと、

イワン・イワーノヴィチ・イワノフ

ピョートル・ペトローヴィチ・ペトロフ

ミハイル・ミハイロヴィチ・ミハイロフ

このように、単一名による名・父称・姓ジャックが可能になった。現実にこういう人は存在する。コンプリートへの情熱が少なくとも2代持続しないと果たせないプロジェクトだ。頭が下がる。

ちな、私の中学の同級生に高島高志(たかしま・たかし)君という人がいました。

まとめと補注

ロシア人の「姓」の話を以下にまとめる。

第一に、ロシア人の姓は多様。第二に、ロシア人の姓の中には、一般名詞にその由来を尋ね得る(容易に連想される一般名詞がある)ものが少なくない。中には「これはあんまりだろ」と笑っちゃうようなヤツもある。ダカラ好キダヨ、汝ノコトガ、ロシア人の苗字よ。

ちなみにウクライナ人の姓はロシアに輪をかけて強烈で、オデッサに移住してから一度あった統一地方選の選挙期間中は、ビルボードに候補者の顔と名前が並んで青空珍名展覧会の観があった。

↑「ソーセージ」候補と「恐ろしきセルゲイ」候補。

第三に、ファーストネーム由来のラストネームの存在により、名・父称・姓と三部にわたる壮大な同語反復が可能になっている(イワン・イワーノヴィチ・イワノフ)。一種の滑稽味ないし音楽的効果とこれを評価することもできる(←父称不要論の緩和)

最後に一点補足というか、念を押しておくと、飽くまですべての苗字に分明な由来があるわけではない。たとえばプーチンとかドストエフスキーとかカラマーゾフとか、自称ロシア語上級者の私そしてネイティブの妻にして、一応連想可能な語はあるが、ほぼ確でこれだろとは由来をちょっと名指し得ない。(簡単に調べはつくとは思うけど)

ニコライ・ワシーリエヴィチ・ゴーゴリ
ニコライ・ワシーリエヴィチ・ゴーゴリ

これでロシア人の名前を構成する
「名・父称・姓」
この三部を三部とも解説しきった。

でも最後にもうひとつ話がある。

ロシア人の名前④愛称

名と父称と姓について語り終わったのだが、「第4の名前」=愛称について言及しないわけにはいかない。

実はロシア語の言語空間・生活空間で最も多く交換され・流通しているのが、この愛称なのである。

↑フョードル・ウラジーミロヴィチ・エミリヤーネンコ。なぜか「ヒョードル」と表記される格闘家。愛称はフェージャ

愛称=ファーストネームを簡略化したもの

愛称は一定の法則性をもってファーストネームから作られる。

簡単にいうと、ファーストネームの一字をとって、「~~ャ」の語尾を付す。

愛称
ョートルペーチャ
ョードルフェージャ
ワンワーニャ
アレクンドル(ラ)サーシャ
ハイルミーシャ
カチェリーナカーチャ
リザヴェータリーザ
チヤーターニャ
ミートリイミーチャ
ンスタンコースチャ
コラコーリャ
ウラジーミルヴォロージャ
ゲンナージイゲーナ
フィヤソーニャ

中にはエヴゲーニイ/エヴゲーニヤ ⇒ ジェーニャゲオルギー ⇒ ジョーラのような、やや理不尽な「簡略化」もある。(гとжの子音交替)

愛称が使われる場面

愛称が使用される場面は広範である。日本語(日本社会)における「アダ名」とか「ニックネーム」の感覚でいると驚く。

家族・友人・同僚

たとえばアレクサンドラという女性がいたとして、家族や友人がそのまま「アレクサンドラ」と呼ぶとしたら、むしろ奇異だ。改まった感じを出すためにあえてそう呼ぶこともあるだろうが、またまぁローカル(ドメスティック)ルールもあったりするだろうが、基本的には「サーシャ」と愛称の方で呼ぶ。職場であっても同様だ。

概して、そうさな三十路に入って社会的地位が相当に高まり「名+父称」で呼ばれだすまでは、基本的に人はほぼ専ら愛称で呼ばれる。割合でいうと愛称9の本名1てなものだろう。

自分でも愛称を名乗る

たとえば若い人同士だったり、おおよそ同世代同士だなと思ったら、初対面の人に「私は〇〇です」と名乗るときに、本名の方でなく愛称の方で名乗るのが普通だ。

ロシアの「同世代」というのはかなりざっくりしていて、そうさなプラマイ6歳くらいはほぼ同い年みたいな感覚だ。日本人はやたら「タメ」とういことに厳密で、一歳上なら敬語は必須という感じがあるが、ロシア人は21歳が25歳にタメ口をきくなど普通である。

これは学制によるところが大きいと思う。ロシアやウクライナは基本的に11年制の小中高一貫教育であって、大きいお兄さんも小さい弟妹たちもひとつ学び舎で学び、交流の機会も繁くある。あと上下関係意識の温床である「部活」というものがない。(翻って日本は)

客にも名乗る

店員ヤスオが客に対して「ヤッちゃんです」と名乗る、あるいは未希が「みきぽんです」と名乗る。どこのお水の世界だって感じだが、ロシアでは業種を問わず普通のことだ。

たとえば銀行のカスタマーサービスに電話して「サーシャが承りました」は……さすがにないか。そこは「アレクサンドラが」か。しかし、美容院で担当の美容師が名乗るときは「サーシャ」は全然あり得る。あと、レストランでテーブル担当の給仕が「サーシャが担当いたします」←これも。

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

愛称の話これで終わる。
ロシア小説読んでて、アレクセイとして出てきたやつが次の頁ではアリョーシャと呼ばれていても、もう驚かないでね。

ロシア人の名前、実例紹介

もう全部話した。

名・父称・姓、さらには愛称……と順に見ていくことで、「長い」「手に負えない」と思われたロシア人名が、ある程度了解可能なものになった(気がする)ことを願う。

仕上げとして、ロシアを代表する有名人の名前をいくつか眺めてみようか。

①ユーリイ・ガガーリン

ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン。人類初の宇宙飛行士。

名:ユーリイ(平凡)
父称:アレクセーエヴィチ(←父の名がアレクセイ(平凡)だった)
姓:ガガーリン(ユニーク。由来不明)

愛称:ユーラ(←ユーリイ)

②ユリヤ・リプニツカヤ

ユリヤ・ヴャチェスラヴォヴナ・リプニツカヤ。フィギュアスケート選手。

名:ユリヤ(平凡)
父称:ヴャチェスラヴォヴナ(←父の名がヴャチェスラフ(平凡)※)
姓:リプニツカヤ(ユニーク。由来不明)
愛称:ユーリャ(←ユリヤ)

※父称の「ヴャチェスラヴォヴナ」がいかにも重い。「ユリヤ・リプニツカヤ」なら親しみやすいが、父称が入って三段フルセット「ユリヤ・ヴャチェスラヴォヴナ・リプニツカヤ」になった瞬間たちまち漂う「おそロシア」 ⇒ 父称無用の長物論

③エヴゲーニイ・プリュシェンコ

エヴゲーニイ・ヴィクトロヴィチ・プリューシチェンコ。フィギュアスケート選手。

名:エヴゲーニイ(平凡)
父称:ヴィクトロヴィチ(←父の名がヴィクトル(平凡))
姓:プリューシチェンコ(←プリューシチ「キヅタ」※)
愛称:ジェーニャ(←エヴゲーニイ)

※↓キヅタ。蔦(ツタ)。плющ。

つまりプリュシェンコは「蔦屋」さん。

④アンドレイ・タルコフスキー

アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキー。映画監督。

名:アンドレイ(平凡)
父称:アルセーニエヴィチ(←父の名がアルセーニイ(平凡)※)
姓:タルコフスキー(ユニーク。由来不明)
愛称:アンドリューシャ(←アンドレイ)

※父のアルセーニイ・タルコフスキーは詩人。「映像の詩人」と呼ばれた子アンドレイが敬意をこめて「アンドレイ・アルセーニエヴィチ」と名+父称で呼ばれるとき、そのつど偉大な父の名がリマインドされる。父称はいわば直下一代限り存在する無形の父の記念碑なのである。

その伝でいうと、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』で、三兄弟ミーチャ・ワーニャ・アリョーシャの名が「ドミートリイ・フョードロヴィチ」「イワン・フョードロヴィチ」「アレクセイ・フョードロヴィチ」と父称とセットで呼びかけられるとき、三者三様に醜父フョードルのアンチテーゼである彼らが、けっきょくは逃れがたく「フョードルの息子」であることが、いやでも言表される。

⑤ナターリヤ・ヴォジャノーワ

ナターリヤ・ミハイロヴナ・ヴォジャノーワ。元スーパーモデルの慈善活動家だそうだ。

名:ナターリヤ(平凡)
父称:ミハイロヴナ(←父の名がミハイル(平凡))
姓:ヴォジャノーワ(ユニーク。ヴォジャノイ「水の精」※)
愛称:ナターシャ(←ナターリヤ)

これは面白い。ヴォジャノイводянойというのはキリスト教受容以前、アニミズム(自然崇拝)時代のロシアの水の精霊である。

ところで私はこの人を知らん。「有名 ロシア人」で検索したら出てきた。すごい美しい人だね。Wikipedia日本語版の表記は「ナタリア・ヴォディアノヴァ」

⑥t.A.T.u.

ユーリヤ・オレーゴヴナ・ヴォルコワとエレーナ・セルゲーエヴナ・カーチナ。00年代初頭に一世を風靡したポップデュオ「t.A.T.u.」メンバー。

名:ユーリヤ(平凡)
父称:オレーゴヴナ(父の名がオレグ。平凡)
姓:ヴォルコワ(ありがちな苗字。ヴォルク「オオカミ」)
愛称:ユーリャ

名:エレーナ(平凡)
父称:セルゲーエヴナ(父の名がセルゲイ。平凡)
姓:カーチナ(由来不明)
愛称:レーナ

⑦ウォーズマン

ウォーズマンこと、ニコライ・ミハイロヴィチ・ヴォルコフ。「キン肉マン」に出てくる超人らしい。

名:ニコライ(平凡)
父称:ミハイロヴィチ(父の名がミハイル。平凡)
姓:ヴォルコフ(ありがちな苗字。ヴォルク「オオカミ」)
愛称:コーリャ

よく知らないが、Wikipediaの記述が鬼にように充実していることからして、愛されてるキャラクターなんだろう。

⑧レーニン

最後はこの人で〆とこか。ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ、革命家。

名:ウラジーミル(平凡)
父称:イリイチ(←父の名がイリヤ(平凡))
姓:ウリヤノフ(ユニーク。由来不明)
愛称:ヴォロージャ(←ウラジーミル)

なお「レーニン」は偽名、通称。

岸田文雄
岸田文雄

以上でロシア人の名前の話を終わる。
けっきょく長いよね、ロシア人の名前。
外国人向けビザ発給、停止。


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※姓について「由来不明」としたのは、私と妻に不明というだけで、調べればたぶんすぐわかる。だが、分明なものとそうでないものがあるということを示すために、あえて調べないまま供す。
※筆者何丘は一応ロシア語上級者を自任している。「ネイティブレベル」では全くないが、字幕なしで映画を観、辞書なしで新聞を読み、ネイティブと持続的な会話が可能(わりとどんなテーマでも
という意味で。
※プラス、ロシア語理解の正確さ・ロシアにおける「普通」の水準の設定については、妻(ロシア人)に逐一確認してもらった。なので、おおよそ確からしいものと信じてくれていいと思う。
※それでも不正確・不適切な記述があれば、その責めは無論妻でなく私が負う(すべての記述につき妻の確認をとったわけではない)

※ゲーナのフルネームは虚構です。
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あわせて読んでほしい記事を下に掲げる。ロシア・ロシア文化・ロシア語に興味ある人に。

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