妻子とウクライナのオデッサに住んでた何丘の侵攻前夜~侵攻~出国に至る50日間の手記。
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- 1月19日(非常事態宣言in my family)
- 1月20日(圧倒的一人相撲感/備蓄)
- 1月21日(美容院に行ってまたゴリみたいな髪型にしてもらった)
- 1月22日(「ロシアの侵攻」はインターネットの中にしかない)
- 1月23日(日本に帰りたい!!)
- 1月24日(帰国勧告)
- 1月25日(私らは侵攻が行われないことに賭けているのではない)
- 1月26日(大使館から電話/父に心配される)
- 1月27日(団地の義父母宅に義父母・私ら3人・義兄で集まって)
- 1月28日(どっちのみんなを信じたらいいんだろう~(><))
- 1月29日(義父とダーチャ行って/私は楽観する)
- 1月30日(鬱森抜けた)
- 1月31日(なんかムキになって出国の線を否定しているようだが)
- 2月1日
- 2月2日
- 2月3日
- 2月4日
- 2月5日
- 2月6日
- 2月7日
- 2月8日
- 2月9日
- 2月10日
- 2月11日
- 2月12日
- 2月13日
- 2月14日
- 2月15日
- 2月16日
- 2月17日
- 2月18日
- 2月19日
- 2月20日
- 2月21日
- 2月22日
- 2月23日
- 2月24日
- 2月25日
- 2月26日
- 投げ銭
- 2月27日
- 2月28日
- 3月1日
- 3月2日
- 3月3日
- 3月4日
- 3月5日
- 3月6日
- 3月7日
- 3月8日(完)
1月19日(非常事態宣言in my family)
この日がまぁ非常事態宣言in my family発令の日だ。発令はこのようになされた:妻に折り入って話がと切り出して「自分は専門家じゃないから究極的には分からない、たとえば兵器の移動を示す衛星情報とやらの検証もできないし、ロシアが今そんなことする必然性というのも自分自身完全には腑に落ちてないくらいだからその点であなたを説得することは不可能だけども、こうして米国高官の誰がまた誰が今か侵攻と発言したとかしないとか、そういうニュースに日々接して不安を覚えないということもまた俺には不可能だ」そこからもう一歩踏み込んで「さてそれででは何が起こり得るか何を恐れるべきかということについて俺の考えなんだけども、①ロシア軍を恐れることはないと俺も思う、俺とてロシアの軍人が市井のウクライナ人に対して銃砲を向けるなどということは考えることもできない、しかし②14年のような社会の紊乱(соц.беспорядок)こそは恐るべきと思う、それから③サイバー攻撃による社会・生活インフラの麻痺で⑴水道⑵電気⑶ガス⑷インターネット⑸決済システムといったものが使えなくなるということも理論上あり得ると思う」そこで私たちが具体的にとるべき方策は「何しろダーチャに逃れれば地球上そこより安全な場所はないだろうと思われる、しかし大渋滞だとか交通カオスが出来するかもしれないし、上述②③の状況下で数日はここ(※オデッサ中心部のアパート)で籠城できる態勢はとっとく必要があると思う、そこで水・食料品その他の備蓄を始めようと思うんだが理解・協力願えるか」「うん」
というようなことで買い出しやら方々への連絡やらをわたわたやりだしたのがこの日だ。
1月20日(圧倒的一人相撲感/備蓄)
4時台に目覚めてしまって寝不足。朝のニュース巡回で昨晩ゼレンスキーがビデオメッセージ出してたことを知る。苦手なウクライナ語だががんばって見た、7分半。
内容はロシアのウクライナ国境付近での策動が報じられていることを背景に国民にパニックを起こさず静穏に日々を送るよう呼び掛けるもので、個人的にはまぁ驚いた。いつものやり方ならウクライナとしてはここぞと騒ぎ立ててロシアをデモナイズし内にあっては政権求心力を高め外に向かっては自国の窮状をアピって有形無形の支援を取り付ける。でも、今日にも敵が来るかもしれない早く支援を寄越せどころか、「早急かつ不可避の侵攻」の可能性を明確に否定してみせた。
もうひとつ意外だったのは、そもそも「国民を落ち着かせるための」こんな動画を必要と考える政権の国情認識だ。私の管見の外ではやはり国民の浮足立ちがちゃんと観察されるのか。不思議の念。ここオデッサは全く平熱である。少なくとも指標の一つとしての食料品の買い占め(を行わないよう動画でも呼びかけられてるが)は全く起きていない。昨日話した大使館の人もキエフは平穏そのものだよと言っていた。在住者Twitterも大体そんな温度感に見受ける。
それでも侵攻の脅威にさらされてる側のリーダーがこう明言してくれたのは大きい。安心の材料がひとつでも欲しいというなかで今度ばかりはゼレンスキーごっつぁんですと手を合わせた。
だが時系列的にはこのゼレンスキー動画の後に、例のバイデンの問題発言があったのだ。
このCNNのニュース読んでがくーんとなってしまった。バイデンて何、ポンコツだったの? 当のウクライナが侵攻なんてないから落ち着けと訴えてるときにアメリカが「たぶんロシアは侵攻すると思う」とかほんと何なんだよそれ。しかも「先っちょだけならいいのではないか、という意見も我が陣営にはある」とか素人目にも明らかに言っちゃいけないこと言ってる。ウクライナが「おいおいアメリカさんよお!」と怒るのも分かるで。
ニュース大体見たあと見るのやだなぁ怖いなぁと思いながら小泉さん他のTwitterを見る。そこまでひどいことは起こっていない様子で安心する。
在ウクライナ日本人会
つながりのある在住者3人と(つまり私含め4人で)スカイプした。ロシアの話、コロナの話、ここが変だよウクライナ、ここがいいよね日本。私が呼び掛けて昨日の今日で実現した。ロシアイシューにつき私が各地・各家庭の空気感を探りたかった(というと言葉が悪いか)のと、大使館の人と話した感触を皆様にシェアしたかったのと、あと自分は一応万一に備えて非常食等の備蓄をしています(皆さんもどうでしょうか)という話を、自分の恐怖とか不安をなるべく伝染させないような形でする・・のが狙いであったが、全然思ったようにいかなかった。皆さんあまりに気にしていない様子なので毒気を抜かれてしまい、他愛もない話にずるずる付き合ったあと、最後にねじ込むような形で「あの、そろそろ刻限なんでしたかった話ひとつしていいですかね」とかいう切り出しで、自分はロシアがマジで攻めてくることもなくはないんじゃないかと思ってる、それで在ウクライナ日本国大使館の「安全の手引き」というのを参照しながらこれこれの備えをとっています、皆さんも一応どうでしょうか、みたいに話してみたのだが、その口調が自分でびっくりするくらい暗くて重たくて、なんかめちゃめちゃ変な空気になってしまった(と思う)。しかし幸いにというか私のご高説が終ると速やかにその話題は流れ去りまた新手の軽い話が盛り上がりの兆しを見せたので、じゃ私はこれでとかいってそそくさと退室。寂寥。圧倒的一人相撲感。やはり俺がおかしいのか。センセーショナリズムを旨とする無責任なマスメディアとマイクロメディアの言説に踊らされて一人きりきり胃を痛めていてイタいのは俺か。
それで交信のあと溜息ばかりついている私に妻が私たちはどだい大状況に働きかけることは不可能なんだし備蓄とかできることをしているんだから心配しないで、心を蝕むんならもうTwitterなんか見ないで、と慰めてくれる、答えて私、ほれ病原菌も寝不足だったりちゃんとごはん食べていなかったりして弱ったオルガニズムにこそつけ込んでくるであろう、今の私がこう凹んでるのも、たぶん単純に寝不足で、あと例によって朝飯を食ってないからだと思う、今晩よく寝たら明日は大丈夫だよ。あとTwitterはやはりこの状況に対する人々の発言とりわけベンチマークしてる数人の専門家の情報は見ておきたいので見る。
備蓄
水はとりあえず45Lほど浄水が溜まったのでひとまずよしとする。一通り見渡して、モノもまぁ当座これで十分なようだ。そら安心には限度というものがない、ちがうか、何といえばいいか、石橋を叩く回数には上限というものが設定されてないので、まだ足りないかまだ足りないかと米だのパスタだの幾らでも買い足していくことはできるわけだが、それも餓鬼道だよな畜生道だよなと思って足るを知っとく。
銀行行って現金だけ作ってきた。徒歩30分の大きい銀行、行きは公園を突っ切って歩き、帰りはトロリーバスに乗って帰った。
1月21日(美容院に行ってまたゴリみたいな髪型にしてもらった)
やっぱ睡眠大事だな。よく寝たので一日全然大丈夫だった。
今日も泰平の海。
トコヤ政談
美容院に行ってまたゴリみたいな髪型にしてもらった(ゴリにしてくださいと言うわけではないが結果的にそうなる)
相客もなかったので「ロシアが攻めてくるんやないかとかいうニュースについてどう思います」と聞いてみた。その美容師は歳の頃わたしと同じくらいで10歳の子をもつ女性、生え抜きのオデッサ民。「まぁ不安がないとは言わないけど正直わが国民のメンタリティとして政治ってのはどこか遠くで偉い誰かが自らの利害関係のために演じる角逐の劇であって我々庶民にはその趨勢に寄与することもできなければその内幕を知ることもできない、だから要するに興味がない、政治は政治・生活は生活、何がどう転んでもなるようになるさって感じでもう久しくTVも見ない」私「その政治的アパシーみたいのは14年以降強まった感じですかね、それとももっと根の古いものですか」「どうだろね。何しろこの8年間さんざ聞かされてきたからね、戦争だ戦争だって、もう慣れっこになってしまいました」私「今何か起こるとしてもご自身の生活にはそんな影響がないだろうというお考えですか」「ロシアが取るとしても東の方だけだと思う。ああでもオデッサも取るかもしれないよね、リゾートだし、港があるし」私「食料の買いだめとかは」「してない」
ニュース
①ワシントンポストによるゼレンスキーへのインタビュー:⑴(最悪のシナリオとしてどこかへ攻め込まれるとしたらどこだと思うか、との問いに対して)たとえば歴史的にロシアと関わりの深いハリコフであろう。クリミアの伝で「ロシア系住民の保護」とか称して入り込んで、しかし100万都市ハリコフを丸ごとどうするとかではなくて、そこを端緒により巨大規模の戦争を展開していくのであろう。⑵(今年はプーチンが郷愁を覚えるところのソ連邦の設立100周年の年だが、プーチンはその記念碑的事業としてウクライナ吸収を図っているのではないか、との問いに)老い先長くないプーチンがレガシーのことを考えるのも分かるがウクライナの占領は短期的勝利に終わるだろう、14年以前の友が14年以後は敵になってしまった(=そんなことをすればポストソビエト空間の真の意味での統合はむしろ毀損される)⑶(軍事侵攻の暁にロシアに対して発動されるという西側の制裁について)なぜ制裁が必ず侵攻の後でなければならないのか、なぜ今発動しないのか。予防的制裁ということもあるのではないか。
最後の点に関しては、技術的に難しいのかもしれない(それによってむしろロシアの行動が刺激されるという危険と、ロシアは制裁への耐性が異常に強いという点で)が、私も激しく共感同意するところで、なんか侵攻するもしないもロシアの匙加減・ロシアにとっては良くて勝ち悪くてもノースコアドローみたいな空気になってるが、今のこの状況そのもの、すなわち隣国との国境に10万もの軍隊を置いて圧力をかけ、その主権的意思決定に対する甚だ厚顔な容喙(NATOに加盟するんじゃねえ、とか)をしていること自体に対する懲罰というのを、どうして西側は行えないのか?
②オデッサ市長、市内の防空壕を視察(露語):オデッサ市内にはなんでも353の防空壕があるんだそうだ。基本的に全部使える状態らしい。
1月22日(「ロシアの侵攻」はインターネットの中にしかない)
相変わらず「ロシアの侵攻」はインターネットの中にしかない。不思議だ、不思議だ、不思議だ。そんなものは私がインターネットを見ている時間を除いて今日一日の生活の中のどこにもなかった。
子供の散歩で(犬の散歩みたいに言うが)遊園地に入った。いつもの土日の賑わいだ。観覧車も回ってる。全く馬鹿々々しい。何がリアルか。俺と妻と子のこの生活こそがリアルだ。それ以外の空言、仮象が・・しかし、こんなにも俺の心を曇らすのは何故かよ。なるほど見える世界のうわべの泰平の方にもまた真実はないのかもしれない、コロナウイルスもこの国の人びとはなきがごとくに振舞った、そのくせしっかり蝕まれたのだ。この国の人の世界史からの奇妙な切断感。それに染まりすぎないようにとコロナについても気をつけていたではないか、今も同じことではないのか。
ツイッター
ツイッター見ていて大概軽蔑と嫌悪と怒りしか覚えない。怒りというのはたとえばこういうのからくる。
ロイターの糞切り抜きからの伝言ゲーム。下に書いてる(1月21日の記述)がゼレンスキーは「最悪の場合というものを想定するならば侵攻はどこからどのようになされるか」との質問に答えただけだ。それに歴史お宅か軍事お宅か知らないが「すわ第5次ハリコフ攻防戦!」とか嬉々として反応して、それがやたらに回覧される。逆にその前のゼレンスキーの国民向けビデオメッセージ「侵攻なんかないから落ち着け」みたいなのは全然周知されないのだ。Kがいかにも楽しんでるふうなのもそのKが楽しみながらする情勢案内を3.5万人だかが見て戦争脳に染め上げられて、おそロシアによる新次元の蛮行・戦火と流血と涕泣を期待しているのだろうなどという想像が走るのもひたすらに不快で、ひたすらに胃に悪い。とりあえず近い将来の夢は、この冬が過ぎたらKのフォローを外して「フォロワー一人減らしてやったぜざまぁ!」と青空に叫ぶことだ。実際いまKにこれほど精神的に苦しめられている日本人が他にいるかな。とはいえその能力は買うし新刊が出れば必ず読む。対照的なのはたとえばHで、文章が下手・要点抽出が下手・一方全肯定一方全否定で硬直、要するに能力精神両面で3流ジャーナリスト、こんな奴がのさばってるのは奇観。
新聞
オデッサライフという露字ローカル紙を購読してる。その最新刊に「ロシアの侵攻」のロの字もなし。10ページしかないぺらぺらの週刊紙だが市民の生活に密着した情報がみっちりいろいろ詰まってる。今号は市内某主要道路の修繕工事が遅々として進まない問題、南ベッサラビア料理の紹介、2022年はコロナ禍収束の年となるか、ウクライナの乳製品メーカー各社のプロフィール紹介(謎)、「今週のアネクドート」などなど。
義父オミクロン
義父がコロナに罹患した。オミクロンというやつ。幸い症状は軽いようだ。義父は前の冬に一度罹患して、その半年後にはワクチンも打ったが、こうして今またやられている。義父はリヴァイとエルヴィンを足して2で割らないほどの豪の者で、何があっても最終義父と合流しさえすればプーチンが攻めてきても勝てるというくらい頼りにしてるので、今このときが私たちが一番脆弱なときだ。おーいプーチン、チャンスは今ですぞー。
1月23日(日本に帰りたい!!)
わりと大丈夫な時間帯の多い日だった。夜などは「あ、俺、超えた!突き抜けた!」と思うた。(これ書いてる今1/24朝は再びどす黒い不安に苛まれてるが)
妻と子供と公園へ、その名も戦勝公園、お池の水が凍って・・いるのは知ってたが、それが十分安全安心な厚みを持っていることを誰かが最初に確かめたのだ、それからわらわら人が出て、用意のいい者はスケート靴を履いて滑る・ホッケー楽しむ。私たちも氷へ降りたよ。太郎(2歳児)の銀盤デビューは青空天然スケートリンク。
その流れで日用雑貨の店入って、こんなのは餓鬼道だと思いながら、貯え十分な筈のToペーパーとTiペーパーを1コずつ買い足す。しかしこんな餓鬼みたいなふるまいが、少しは心の慰安になるのだ。「そのために何かをしている」ということが。
何が目に触れるかわからないと思いながらニュースサイトを開きツイッターを開き、いつ水が止まるとも分からないからと食ったそばから皿洗い、早めの行水を済ませ、大便一発済ませて「よかった間に合った」など思い、またトコヤ行くことも散歩することも「一朝事あった際に身軽に動けるように」という文脈の上に一々自分の行動を置いて考えてしまう・・人生は妙な季節に入ったものだ。
神経がたかぶってるのはビタミンDが足りてないんじゃないのか、私も飲んでるこれを飲みなさい、と妻に促されて、掌に一錠を受け、諾々とこれをはみ、水で流し込みながら、「日本に帰りたい!!」と一瞬、強く思った。あまり里心というもののない薄情な人間だ。移住2年半で二度目に(だけ)思った。
1月24日(帰国勧告)
今日のトピックは大使館=外務省ラインからの帰国勧告である。①フェーズが変わった。②だがある意味では何も変わらない。③私たちはここに残る。④だがしかし……
①フェーズが変わった
こうなると私がウクライナに残留して何かあった場合にいわゆる自己責任ということになる。戦禍の異国に在住していることで「同情」されるのでなく、むしろそのことで「叩かれる」存在となる。公の言に従わなかった愚か者が悲劇的末路を辿ることを人らはむしろ積極的に待望する。たぶん私は自己の精神を防衛するために、Twitterアカウントを凍結したり、そうしないまでも、発信を大幅に削減する必要があるだろう。
②だがある意味では何も変わらない
しかし昨日と今日で、退避勧告という現象の他に、本質的な状況の変化が何かあったか。私らは初めから公の勧告など待たずに状況を見ている。見たところ状況にはさしたる変化がない、そこへ(べつだん頼みにもしていなかった)公からの勧告が出た、その一事をもって態度を急変させるべきだろうか。
こういう際の公のふるまいについて、興味ある人もいるかもしれないから、ちょっと経緯をさらってみる。はじめ私は公を大いに頼りにしていた。昨年12月半ばに在ウクライナ日本国大使館に宛てたメール。
これに対しては領事部職員の方から懇篤なお返事をいただいた。そこには「当館もメディアのみならず、あらゆる方面から情報収集を行っているところ、特に皆様の安全に関わる重要な情報に接した場合は、その都度迅速に領事メールや海外安全情報(スポット情報や危険情報)の発出を通じて、また、状況によっては在留届等に登録されている皆様の電話やメールに直接連絡する等して情報発信をして参ります」との文言があった。
しかし状況の明らかな悪化にも関わらず、その後1か月、公から何の音沙汰もなかった。それでまた突いてみたのが今月19日のことだ。
これに折り返し電話があり、領事部職員(前回メールをくれたのと同じ人)いわく、報道に一喜一憂するな、そらメディアはセンセーショナルに書き立てるけれども、大事なのは外交交渉がしっかり行われているということだから。ポイントはそこだから。で要望の安全情報については、いま外務省の方でスポット情報というのを準備中である。
それで同日午後に外務省からスポット情報というものが発出された。「平素から不測の事態に備えた準備を怠らないよう」とのことだ。あまりにお座なりではないか?
それで半分ほどはまぁそういうものなのかなと安心しつつ、もう半分はやっぱり何か腑に落ちない感じというか、外交当局がそれは外交交渉に特段の重きを置くのは分かるけれども、外交交渉の継続にもかかわらず事態が急激に悪化するということもあるのではないか、要するにこのチャネルからの情報はあまり頼みにしても仕方ないのではないかと思い、私らは私らできちんと考えて判断して行動しようということで、妻とよく話して備蓄のことも決めたし、帰国の是非についても一応検討して、結果「帰国はしない」ことに決めた。
そこへ今さら、米国の同様の措置に追随したとしか思えないタイミングで退避勧告のようなものが出て、それひとつをもって翻意する理由になどなるだろうか。外交交渉なら今だって続いてるじゃないですか?
③私たちはここに残る
私らはこれで現実的に考えているつもりなのだ。社会に激震が走っても、こと私たちの家庭に関しては、ショックアブソーバーシステムは十分であって、少なくとも衝撃を子供にまでは及ばせないことができる。そうしてその限り、いま2歳の子供が楽しくのびのび遊んで成長するためには、日本よりまだこちらの方が好適な環境である、と考えている。
まず前提として、侵攻してくるかもしれない人たちは、憎悪に燃え・血に飢えた殺戮者などではない。私たちのことを兄弟と思っているらしい人たちだ(だからこそ攻めてくるのだ)。彼らは原則的に、その戦略戦術目標を果たすべく統率された行動をとる。その中で市井のウクライナ人を殺傷するようなことがあれば、それは彼らの目的にとって、プラスどころかマイナスである。(知らない中でも特に知らない人は、核兵器を持っていて悪の皇帝プーチンが独裁支配している極悪暗黒帝国おそロシアが攻めてくる、イコール大量破壊と大量死は必至、みたいに思ってるのだろうが、それは虚像だ)
だから私たちは、ロシア軍というよりも、ロシア軍の侵攻ないし政権転覆企図に触発されて起こるウクライナ民族主義過激派の暴動とか、社会の無秩序化の方が恐ろしい。cf.14年5月2日、オデッサ労働組合会館。
それで私たちは、今住んでるこの街中のアパートの周囲を見回す。私らは街の地理を相当によく知っているつもりだが、このあたりにロシア軍の戦略目標になりそうな施設・枢要な地方行政機能・集会だのデモだのが起きるような開闊ないしシンボリックな場所は存在しない。商店街すらない。一言で特徴づけるなら「ビーチに近いエリア」である。港湾からも離れている。
さらに具体的に、地図に即して考えていくに、私らの住む場所から内陸40㎞のダーチャに至る道筋にも、まぁポロシェンコのチョコレートプランテーションとかはあるが、軍事行動の標的になりそうな施設はない。経路はオデッサーキエフの主要幹線道路を一部に含むので、道路自体が封鎖される可能性もあるが、いうて40㎞の道のり、最悪の場合はベビーカーを押して朝から晩まで歩いて歩ききったるわいと思っている。見かねて誰か拾ってくれるだろうと、女子供にやさしいこの国の民のメンタリティにも若干期するところがある。
そうしてダーチャに逃れさえすれば、そこには菜園・果樹園のひと夏ぶんの収穫を瓶詰めにしたものをはじめ、大量の保存食がある。それから千リットルの天水槽と井戸水がある。ガスも独立している。ストーヴは薪である。電気だけは供給だのみだが、最悪の場合は日の出とともに起きて日没とともに寝るわい。
今住んでるアパートの方にもすでに一週間や十日分の食料・水その他の貯えはある。これをさしてショックアブソーバーは十分ではないかと言っている。少なくとも今しばらく状況をうかがう猶予はあるように思う。
④だがしかし…
とはいえ胸は騒ぐし、絶対にこれが正しいと自信をもって言うこともできない。正確には、考えて、いや今はこれが正しいとひとたびは絶対の確信をもって言うのだけども、いろいろな情報に接してるうちすぐまた不安が萌してしまう。
ともあれこれが私たちの解答だ:外務省=大使館の勧告には応じない。帰国しない。私たちはだいじょうぶである。
言葉にするといかにも愚かしい頼りない葦のような「解答」だ。死亡フラグというやつか。叩かれそうだから、やはり金輪際、Twitterの発信はやめようと思う。ブログの更新は粛々と続けるが、これはもはや虚構と位置づけよう。私たちの肉体はやはり公の勧告に従って帰国したのだ。この日記は以後、実は日本に帰国した何丘が、現地の生活と心情を妄想し、あたかもウクライナにとどまっているかのようにして書き綴る、虚構日記となる。
1月25日(私らは侵攻が行われないことに賭けているのではない)
オデッサ15㎝の積雪。フワッフワの新雪を太郎と妻と3人で踏み分け、中庭で戯れた。……筈だ、もしオデッサに留まっていたならば。
ニュースを見ていると、不思議に、米国は侵攻の危機を声高に叫び、ウクライナはむしろ早期侵攻の線を否定する。そこが一枚岩でないのが不思議。それぞれどういう利益を追求した結果この乖離が生れるだろうか。後者のモチベーションとして、今ウクライナから外国資本がどんどん引き上げていっていて経済危機の兆候があるらしいので、国民向けと見せかけて実は諸外国向けに、事態が急迫してないことをアピールして資本流出をとどめたい、ということがあるのかもしれない。知らない。
ニュース①ウクライナ安全保障会議書記「ロシアがウクライナに大規模侵攻をかける条件は整っていない」(24日晩)
ニュース②米大統領府報道官「(上記声明に対し)否、ロシアはウクライナ侵攻の準備を整えつつある」(25日晩)
ニュース③ゼレンスキー大統領、国民向けビデオメッセージで「米国をはじめとする一部外国の大使館職員退避命令は繊細複雑な外交ゲームにおける一現象に過ぎずただちに状況の悪化を示すものではない、恐慌をきたすには及ばない、EU諸国の大半は大使館の稼働を続ける」(25日晩)
私らは侵攻が行われないことに賭けて当地に留まるのではない。仮に侵攻が行われても、そこからくる衝撃が私らの、言ったら縦深性……昨1/25の項に書いたようなこと……によって十分受け止め切れるものにとどまる、ということに賭けている。賭けてるというか、そう見越している。これは、今日明日に巨大隕石が降ってきて地球は滅びることはないだろうみたいな、不可見事象の蓋然性への感性、つまり世界観の話でしかない。私の不安は、しかしそうはいっても隕石は降ってくるのではないか、すなわち、私らの家庭に内設されている緩衝材が全くものの役に立たない想定外の事態がもしかしたら出来するのではないか(そうしてそれに気づいたときにはもう手遅れなのではないか)という考えからくる。だがその漠たる不安は、今のところ、先ほど言った世界観を覆い尽くすほどのものではない。
同じ事を言い直す(自分の整理のために):私らは侵攻が行われないことに賭けているのではない。だから、仮に侵攻があったとしても、それのみを理由に逃亡を考え出すことはない。むしろ私らは、①侵攻が行われない、あるいは②侵攻が行われてもその衝撃は私らの家庭に内設の緩衝材によって十分吸収可能なものに留まる、というより太い線に賭けている。もしも賭けが外れる、つまり、脅威が私らとりわけ私らの家庭の最内層である2歳児に及ぶ、という兆候が認められたら、私らは最善を尽くして最速で逃げる。だがそういうことは起きないであろう、という世界観である。しかしそうはいっても起きるかもしれない、という不安がある。だが今のところ後者は前者を駆逐するほどのものではない。
……というようなことを、もし外務省の勧告を聞かずにオデッサに留まっていたなら、思っていただろうなあと思います。
1月26日(大使館から電話/父に心配される)
しんどい。
が、平穏な日ではあった。翻訳の仕事が一件入ったので集中してやって5万円ほど稼いだ。Twitterをやめたことが明らかに心の平穏に寄与している。ベンチマークしてる数人の専門家のアカウントを日に3度ほど訪ねるほかTwitterに関しては何もしない。これも心の安全保障だ。Twitterやってれば少しは有益情報に触れるし楽しい・笑える・癒しの動画にも出会うし、交流の喜びといったものもある。だが今はそれ以上に、間接直接に状況にタッチするあらゆる言説が私の神経に触る。私の不快や不安や怒りが第一閾値を超えるとそれは妻に伝わる。第二閾値を超えると子にまで伝わる。今は非常時だ。私は私の心を健全に保つ努力を払わねばならない。Twitterの薬と毒を衡量して今は毒の方が強い。だから見ない。(極めて限定的に見る)
プロフィールも改めた。なんかもうほんと、さよならって感じ。小泉さんに絡んでから一気に増えた200人ほどのフォロワーよ、解散。私はもう発信しません。
ロシアへの批難とか幻滅とか、「プーチンのあたまのなか」への揣摩とか、ウクライナの問題はすなわち台湾の問題である(他人事ではない)という話でさえ、正直、ひまな人がやっといてくれという感じだ。自分の家族の存亡に関係のある情報かどうかということにしか興味がない。
それでも一言だけ私の立場(というほどのものでもないが)を表明しとくと、これは領域国家というものを巡る二つの世界観の闘いであって、この闘いでロシアは絶対に敗れねばならない。ロシアを理解することはできる、共感することさえできる、だがその上でなお、我々はこれを峻拒しなければならない。NATOに入る入らないの決定権は主権国家であるウクライナに絶対に留まるべきだ。
大使館から電話
大使館が在留邦人各人個別に電話をかけているらしい、私にもきた。24日付けで退避勧告が出たわけですが帰りますか、帰る気ありますか。「家族でよく話し合って”残る”ということを決めました」
何か質問ありますかと聞かれたので「皆さんどうお答えですか」と聞いてみた。「多くの人が帰国を”考える”とのことでした」。ちなみに今日本人どんくらいいるんです「200人ほど」オデッサは「オデッサ州で……10人弱くらいですね」
23日までは退避勧告みたいなものは出ていなく、24日になって出たわけですが、23から24にかけて何か情勢の変化がありましたか?「直接的には、やはりアメリカ大使館職員に退避勧告が出ましたので、これを重く受け止めて、ということです」(正直に有難う)
米国政府高官は臨界近しと警戒を呼び掛け、ウクライナ政府高官は臨界なお遠しと鎮静を呼びかけるというちぐはぐな状況と認識しております、どうしてこういうことになるでしょうか、どちらを重く受け止めるべきでしょう?「それはウクライナ政府としてはやはり国民に平静を求めるという必要がある、ということもあるのだと思います」(不得要領)
父に心配される
実父がひどく心配している。スカイプで話した。かなしくなる。私は父に心配をかけている。息子とその嫁と初孫の身を案じさせてしまっている。それひとつだって十分重大なことではないか。本当に帰国しなくていいのか。
なぜ帰国しない
毎日同じようなことを書いてる気がするが、みたび言い直してみる。私は2つのものを比べている。一方に、2歳児を抱えて20時間を旅して新天地日本で新たな生活をイチから樹立することからくる、当然に予想され・ありありと想像される苦労。他方に、想定内の最悪のシナリオ即ち、水道ガス電気インターネットが全て止まった真冬のダーチャで1か月籠居する苦労を、そのようなシナリオがそもそも実現しない可能性によって希釈したもの。前者の中でより、後者の中でのほうが、子供の幸福は大きい、と、(言ってみれば)こういう計算をしている。
どういうシナリオが実現しそうか、に対する感性、昨日の言葉で言えば世界観は、二本の根をもつ。一本は軍事外交政治状況に関するメディア経由の理知的インプットで、一本は、日々の生活、散歩、近しい人たちとの交流からくる、感覚的(肉体的)インプットだ。このふたつの根から養分をくみ上げて私の世界観ができる。妻やその家族は今も、現在のこの状況は8年続いている戦争がちょっとこじれた程度のことに過ぎないという考えで、破局的事象の予言には全くリアリティを感じない、という。14年を、また04年を、さらにいえば91年を経験した義父母たちのその感覚に、私も少なからず影響を受ける。どうしてもそこから養分を組んで、自分の世界観を形成してしまう。
もうやめよう。なんか全然うまく言えてない気がする。4時間しか寝てないからか。
とにかく身の振り方については毎日(3時間ごとくらいに)考えている。考えはもちろん変わりうる。明日またそのとき思ってることを書こう、おおよそ同じ内容を違う言葉で言うだけかも知れないが。今日はもうよす。
……というようなことを、私は語ったのではないかと妄想する、もし私たちがオデッサに留まっていたならば。
1月27日(団地の義父母宅に義父母・私ら3人・義兄で集まって)
団地の義父母宅に義父母・私ら3人・義兄で集まって、もしゃもしゃ肉など食べ葡萄酒など飲んだ。もともと1月25日のタチヤナの日・МГУの日に集まる予定であった(我が家はタチヤナという名またМГУモスクワ国立大にえにしが深いので)が義父のコロナ罹患で後ろ倒しになった。
義父の粘土アート新作、ペンギン3兄弟。
同じく、ロシア版キノピオこと「ブラチノ」の悪漢カラバス・バラバス。義父粘土アート史上最大サイズ。病臥中よっぽどヒマだったと見える。
大好きなじぃじとばぁばとおじちゃんに会えて太郎は大喜び。でもたぶん誰より助かっていたのは私だ。ここにはたしかに「ロシアの侵攻」などはなかった。懐かしい温かい団欒。親愛と信頼を寄せる人たちの笑顔とさざめき。昨日のたとえでいえば、私の現実を構成する二本の根、情報空間から伸びるそれと実生活から伸びるそれ、の後者から栄養がごくごく吸い上げられて、私の「現実」が浄化されていくのを感じた。
それだけに、肉と葡萄酒はもうこれくらいにして茶ァでも飲みますか、とて第二部が始まるタイミングで、義兄が「取引先のイスラエル人たちから大丈夫か大丈夫かとやたら心配されてるんだけど実際どうなん」と例の国境付近の緊張を話題にのぼして、口々に意見が言い交わされ出したとき、心底耐えがたいものを感じ、然く申した。もうやめてくれ、聞いてられんと。日本のメディアもまさに今か侵攻と書き立てている、それを私は日々刻々見ている、大使館からも毎日電話がかかってきて出国を促す、なるほどお義母さんの仰る通り米英は自らの利益のために架空の脅威を創出して空騒ぎしてるだけかもしれません、またお義父さんの仰る通り本気でウクライナに攻め込むためには軍10万じゃ話にならない50万はほしいところかもしれませんよ、ですがこれはもう理屈じゃなくてただ私一個の安心のために、何も言わずに備蓄に協力してください。備蓄にだけ協力することを約して、もう何も言わないでください。
それで土曜に私と義父でダーチャに行って予備のガスボンベと石炭を買い込むことが決まった。義父母と義兄には感謝しかない。(世のタチヤナよ遅ればせながらおめでとう、学生たちよ未来は君らの肩に)
……と、(略)
1月28日(どっちのみんなを信じたらいいんだろう~(><))
視野狭窄に陥ってる気がする。こういうときはIQをぐっと下げてめちゃめちゃ身もフタもないような言い方で自分の心を言い表してみよう。
ぼくは戦争はないと思う。みんながないっていうからだ。(みんなというのは妻とか義父母とかそれに連なる人たちだ)。でも別のみんなが戦争はある・あるというから、やっぱり戦争はあるのだと思う。(そのみんなの中には外務省や大使館や専門家と称する人たちや、実父らが含まれる)。
けっきょく私みたいな学者でも専門家でもない非・真理探究者は、身も蓋もない言い方をすれば、みんなが言ってることを信じるのだ。賢いふうを装っても仕方ない。それが私の正体だ。私なんかそれ以上のものであるかよ。
だが今のケースで問題なのは、その「みんな」が二群に分裂していることだ。一方のみんなは戦争が始まるぞそこから逃げろ!と叫ぶ、他方のみんなはいやに落ち着いた様子で戦争なんか始まらないからここにいときなさい、と慰留する。
どっちのみんなを信じたらいいんだろう~(><)と思い悩んだあげく、窮余の一策みたいにして思いついたのが第三の道というか折衷案というかなんというか、まぁ例の備蓄というやつだ。「戦争は始まるかもしれない、そしたらみんなは死ぬ、でもぼくたちは備蓄をしてるから助かる!」
備蓄こそが当地に留まるにもかかわらず戦争によって死なない唯一の道である(正解を見つけた!いちはやくぼくだけが見つけた!)とでもいうかのように備蓄・備蓄と、タヴリヤを巡りシリポを巡り、水だの紙だの乾麺だの買い集めて、買えば買うほど安心した。
私が従うべき「みんな」の分裂と矛盾に際して、一方の「みんな」に恣意的(内容は実は何でもいい、いかにもそれらしいものとして自己を納得させうるものであれば)加点・加重を施すことで、そちらに主観の内部で勝利をもたらしてしまうという、詐術。自己欺瞞。
愚か。こう言ってみると、マジでヤバいほど愚か。(だが俺などそれ以上のものであるかよ?)
私が二重拘束にこれほど苦しんでいるのは私がいやしくも家長として自己一身のみならず妻と幼子の命に対して重く責任を感じているからだ、と理解していたのだが、フタを開けてみればなんのことはない、無責任と判断中止と詐欺、そればかり。こんな奴に家長張られてる太郎とせき子こそは哀れ。
ただし①14年を(さらには91年を)経験した義父母たちの抱懐する「およそ起こりそうな/起こりそうにないこと」の感覚は、一概に正常性バイアスなどと呼んで軽んじていいものではない(正常性バイアス……下らん言葉だ。言葉ひとつ覚えてそれ一つ分馬鹿になるという類の)
ただし②オデッサ内陸40㎞にある私たちのダーチャの安全神話に対して、しかし、疑義を挟むことができない。激動の20世紀・21世紀四半を経てなお「ゴーゴリのウクライナ」の息づく鄙の里、あの閑村が戦場になる? どう考えても考えなくても、荒唐無稽な想像だ。
村はいわゆるダーチャ村(ダーチャの群落)ではなく、ふつうの村である。村人は通年で常駐していて、菜園・果樹園のほか畜産を行い肉・卵・乳製品まで自給自足している。村の一画をダーチャとして主として夏期のみ使っている私たちは畜産こそ営まないが、蔵には交換価値の高い自家製ワインが200リットルほどある。最悪の事態が出来したとて、その最悪より一日長く、どうしてここで生き抜けないことがあろうか?……
こんな「ただし」を延々つけていける。だがベースは言った通り、「みんなの言ってることに従って」残留を決めているに過ぎない。手のかかる置物ジジイ、こいつは結局人に動かしてもらわないとどけないのだ。(これが俺の底だ、認めておけ)
1月29日(義父とダーチャ行って/私は楽観する)
義父とダーチャ行ってやることやってきた。なだらかな起伏の続く南ウクライナの丘陵地帯、夏場ウシだのヤギだの放牧で草食む野ヅラも斜面も冠雪して寂しき美しきブリューゲル的自然美。はなくそ、という名の私たちのネコ、飼ってるわけではない、を膝に乗せて掻き抱いた。要するに自分を安心させ安定させるということをしてきた。食糧庫や薪炭のうずたか山の目視確認も義父とのチッターチャットも全て私一個の魂を慰安するために行われた。
義父は私の心配に半ば呆れている……というよりむしろ今のいわゆるинформационная война情報戦争(内実を伴わぬ、空虚な)に焚きつけられて私が浮足立っていることに嫌悪を催しているらしかったが、それでも黙って私に付き合ってくれた。
義父母も14年はダーチャで備蓄をしていたそうだ。ユーロマイダンに類する騒擾がオデッサで生じる、というシナリオにリアリティを感じた理由として①現に武装した軍人が随所に配置されていたこと②現に人たちが食料を買い込みに走っていたこと(※供給は十分だったにも関わらず)、を義父は挙げる。翻って今この22年の緊張が「実は大したものではない」と考える理由は、ざっと言って⑴14年に見られたような兆候が今は一切見られないこと⑵ロシアにとってウクライナへの侵攻が非合理であること⑶ロシアにとってウクライナへの大規模侵攻・ウクライナでの大規模戦争が非現実的であること。
義父の盲点はサイバー攻撃による国家機能・国民生活・情報空間の壊乱またはジャックというシナリオであろう。だが、①小泉さんのいう情報空間の一時的占拠と偽情報の拡散による騒擾の惹起というのが、今ここオデッサでどのように実現しうるのか、はなはだ疑わしく思う。親露成分の濃いオデッサだが、たとえばこの街でトリコロールのロシア国旗を目にする機会は絶対にない。一つにはそれが法律で禁止されてるから(ソ連・ロシア的なものは14年以降徹底的に抑圧されてきた(お目こぼしは5月9日の小規模な「不滅の連隊」くらい))で、一つには、市民自身が抑圧を内面化し、政治的立場の表明を忌避しているのだ。14年5月2日の労働組合会館焼き討ち事件に象徴されるウクライナ民族主義過激派の暴力行為はいまだ市民の記憶に新しい。内外両面からの強力な抑圧に8年の長きをかけて馴致せしめられたこの人々が、不時の扇動を真に受けてひょいひょい街路になど出るだろうか。あと②(←本段落一文目からの続き)私らのダーチャがインフラの麻痺寸断というシナリオにおいて高い耐久性を持っていることは再三言っている通り。
こちらの人たちの未来予想を聞くときに、14年の経験がむしろ思考の枷になっている、という可能性は考慮する必要がある。14年がいかに驚天動地であったかを妻も義父母も口を極めて語る、いわく「あのときほどひどいことは起こり得ない」「まして何ら取るに足る兆候も見られないではないか」。同様の事項に、「外国メディアはすわ戦争だ戦争だと叫ぶが、戦争ならこの8年ずーっと続いているんだ」というのがある。だがこれら主張は国境周辺に未曾有の戦力が集中しているという現実に対してむしろ積極的に目をつぶるものだ。西側も着々と対抗戦力を集めつつある。緊張が高まっていることは厳然たる事実と思う。(でなければ皆さんのお好きなプーはなんでこんな忙しく各国代表と折衝を繰り返しているのか)
それでも、とここで本項冒頭のテンションに戻りたい、いつまでも不安に青ざめていたって仕方ない。結局は家族とりわけ子供そして他ならぬ私自身の幸福のために残留を決めている。アホらし、戦争なんか起こるかいな。起こったってどうにかなるわい。蓄えは十分じゃ。
大使館から電話
賞賛の意味で記しておきたい。24日以来もう3度目だ、大使館から電話がかかってきた。土曜日だというのにご苦労様だ。懇々とお立場を説かれ(必ず戦争が起きるという話ではない、だがいつ何が起きてもおかしくない状況ではある、だから商用便が飛んでいる今のうちに出国するよう「お願い」したい)、また外国人配偶者・子の査証発給手続きが簡易なものであり出国の際の障害にはなり得ないことなども懇切にご説明いただく。アホらしいといえばアホらしいことだ。26日に1回、27日に1回、29日にもう1回。状況が変わったとか新情報をつかんだとかならわかるが、毎度ほとんど同じ話。頻繁に電話を受けたからといって立場が変わるというものでもない。だが安否の確認を兼ねているということであるし、思えば有難いことだ。
少し自分の考えというか立場というか状況を、話してみた。話しても良さそうな雰囲気だったので。日本語メディアは今か戦争と書き立てる、大使館は帰国をと訴える、でも一方には妻とかその家族というものがいて、いま物理的に一番身近なのは彼らで、一番密にコミュニケーションをとるのも彼らである、その彼らが今の状況に全く危機感を感じていない(この点に関して電話口の館員の方も激しく理解と共感を示される)。そして私はどうしたって、彼らの方により強く影響を受けるのである。一方に子供を連れて家族総出で帰国して日本で生活を打ち立てることに伴う明らかな困難というものを置いて考えてみると、帰国に踏み切るということはなかなかに難しい。とはいえ、帰国という選択肢を全く排除するわけではもちろんない、今後も状況を注視する。また、最悪(中程度の最悪)の事態に備え、むしろ自分主導で自宅とダーチャに食料・物資の蓄えを整えている。
その館員の方からは「もしもオデッサで何か危険な兆候が見られたら連絡をください」と言われた。そのときハッとしたが、キエフの大使館員もオデッサの私も、先行き不透明なウクライナに暮らしている日本人という点では、全くひとつのものである。兆候(必ずしも軍事侵攻のということでなくても、社会の騒乱・無秩序化等の)がキエフよりオデッサで先に現れるということもあり得る。連絡を取り合い、情報を共有し合い、ともに助かるということを目指すべきだ。最後の船に全員が間に合うように、私もできることをする。
私は楽観する
日本語の論考等でもそうすぐに侵攻ということはないのではないかというのが目立ってきた気がする。外交交渉も継続している。中国に配慮して北京冬季五輪中はプーチンも事を起こさないのではないかという説にも個人的に説得力を感じている(もう開会一週間前という時期に入っている)。私は楽観する。私は忘れる。この問題をすっかり忘れる。いま擱筆する、するとアアラ不思議、自分がさっきまで何を書いていたかもうまるきり覚えていない!……
あ、てか俺、日本に帰ってきてるんだった。
1月30日(鬱森抜けた)
黒海。ウクライナ。オデッサ。雪の浜辺。
穏やかな一日だった。鬱森抜けた。(と断定する)
1月31日(なんかムキになって出国の線を否定しているようだが)
晴れ。子供と近所の遊園地へ。大観覧車。青空スケートリンク。
名もなき水兵たちに捧げるオベリスクと久遠の火、海。
朝から色々読んでしまって暗い気持ちになりそれを「地に足のついた生活」によって一日がかりで払拭した感じだ。
「戦争が始まるかも知れない場所に幼い子供がいるのに留まるなんてどうかしてる」「万一の事態に備えるべきだ」「万が一のことも考えておくべきだ」・・言うのは簡単、そして言ってみればいかにももっともらしいことだ。言葉のこの粗さにおいては、はい、完全に同意。だがもっと解像度を上げて、何がどのように始まるか、それが始まる公算をどのくらいに見積もるか、これがあるいはそれが始まるとして、そのことが超個別具体的にこと私たちの家庭に対してどのようなインパクトを持つか、幼い子供にこの地とかの地で何がいかほど損か得か、備えるとは具体的に何をすることか、考えるとは具体的に何を考えることか、ということに自分の中で一々答えていくと、いつか最初の大きな問いは解体され無効化している。
ある人へ:明々白々な脅威にも関わらず身の回りの人間がその脅威を脅威と認識しないことによって私自身も認識を曇らせ判断を誤らせている、という構図は当を得ない。あなたのそのようなナラティヴが生れてくる背景の現実感・世界観そのものが相対化されているのだ。
ある人へ:国境付近に未曾有の大戦力を集めたロシアは今「やろうと思えばなんでもできる」だから「万一の事態に備えるべきだ」という、でも物理的・能力的な可能性の話ならロシアはいつだって核ミサイルを撃てたし、撃てるではないか。そうはいってもそこまではしないだろうという合理的推論による限定は飽くまで有効であるということだ。つまり「やろうと思えばなんでもできる」のうち、軍事専門家のような人たちは「なんでもできる」の方に重きを置くが、「やろうと思えば」の方への働きかけ、すなわち外交的努力が継続しているという事実も、決して軽くない。それだって在住者の残留是非の判断材料に「なる」のである。
外務省=大使館ラインの出国勧告を(大使館職員への満腔の尊敬にも関わらず)重く見ることができないのは、それはあくまで東京の外務本省の決定であって、現地の機微なる情報に基づく在ウクライナ日本大使館の決定などではないのだろうなと思うからだ。それが米国の同様の措置の模倣に過ぎないことを、第一にタイミング、第二には某大使館職員の言(1/26の記述参照)から信じる。また、思い出すのは昨年12月、コロナウィルスに関する新たな水際対策としての、外国人配偶者向けビザの発給停止措置だ。在外邦人の生活と幸福なぞに洟もかけない非合理な施策により岸田内閣は支持率を高めた。今回の退避勧告発出決定もやることはやってますよという国内向けパフォーマンス、失点回避のアリバイ施策に過ぎないのだろうなぞと、どうしても疑ってしまう。(とすれば振り回される大使館員こそ気の毒だ)(3度の電話会話の印象では大使館には本当に報道以上の情報がない)
なんかムキになって出国の線を否定しているようだが、実はそんなことはない、と思う、何かあればもちろん出国を検討する。その「何か」というのは、しかし、何度も書いてるが、必ずしも侵攻が行われ、あるいはインフラがダウンすることではない。想定している範囲であれば仮に侵攻があったとしても水道ガス電気が止まっても、私たちは残る。私たちはそもそも19年、ロシアと現に戦争中であることを承知で、ウクライナに来た。今また、侵攻の危険があることを承知で、また侵攻があったこと(未来完了形。не дай бог)を承知で、私たちはウクライナに残る。ポイントはことこの他ならぬ私たちの生活に影響が及ぶかということであり、それでしかない。
だから拙文をもしお読みの在住者があれば、私は何もあなたに残留を勧めてるわけではないです。「一般に」ウクライナ在住者が残留すべきかどうか、という話はしていない。「超個別具体的に」私と妻と子は残るべきか・残って大丈夫かどうかということしか考えていなく、その話しかしていない。
……というような妄想を続けるのが楽しくて仕方なく、せっかく帰ってきた日本での生活がなんかこう浮足立っちゃってしっくりこない。ソワソワしてしまう。私はウクライナに残してきた自分の影への共感力がめちゃ高いらしい。影をなくした男、シャミッソー。こたつと湯たんぽと猫とお風呂のある生活はいいね。水がうまいのが何より有難い。6か月かけてゆっくり体の全細胞を入れ替えていったろうと思います。なお、写真は義兄に現地から送らせてるやつで、私が撮ったものではない。(私が結局ウクライナを出国することにした経緯については1/24の項を)
2月1日
ウクライナ語で2月は「酷月(むごつき)」という。ウ表記лютий、露表記лютый。лютый мороз厳しい寒さとかいうときの「厳しい」という形容詞。
ウクライナ語は月名にスラヴの古色を残していて美しい。ロシア語はたぶんピョートル大帝の時代か何かに欧州スタンダードの「ジャヌアリィ・フェブラリィ……」式に変えてしまった。
【月名】
つまらない:現代日本(1月、2月…)
ふつう:欧米露(ジャヌアリィ・フェブラリィ…)
おもしろい:和月名(睦月、如月…)、ウクライナ(薪月、酷月…)
いきなり何の話を始めたんだと言われそうだが、全く穏やかな一日でしたので、せっかく本記事訪れてくれた人に悪いなと思い、せめて何か持ち帰れるようにと思って書いた。
子供と大きいおもちゃ屋に入っていろいろ見た。これちょっといいなと思った。モザイク、色石を板絵の穴に嵌めていく。帰って妻に写真見してどうと問うたらいいんじゃないというので多分こんど買う。
2月2日
非常に大丈夫な日だった。(以下、ごくふつうの意味での「日記」)
妻と子とトロリーバスで中心部に出かけた。とあるショッピングセンターにキッズランドみたいなものがあると聞きつけて行ってみたのだが営業していなく、営業していない理由もわからない。手がかりになる掲示物が何もない。ショッピングセンターのインフォメーションスタンドも二度通って二度無人。ウクライナ生活でよく経験するのだが、たとえば事前にHP見ていても電話で確認していても、実際に行ってみると休みだったり、あるはずの場所にそれがなかったり、ああその件ならここじゃなくてどこそこだよと全然違う住所を教えられたりする。「本当のところは実際に行ってみないと絶対にわからない」というのが私らの中での格言である。事例:某役所手続きにはその役所のウェブサイトからの予約申請が必須であり、そのウェブサイトに掲載されているとおりの書類を一式用意して予約の時間に出向いたところ、書類の種類が全然違うと言われ、「でもウェブサイトにはこう書いてあった」と抗弁すると「サイトはうちの管轄じゃない(Сайт мы не разрабатываем)」と言われた。この言葉、ウクライナ生活を象徴するものとして忘れがたい。
と、なんの話だったけ。妻と子とトロリーバスで出かけた。とあるショッピングセンターのキッズランド的なやつが謎に休業で落胆。だがその隣の本屋がすごいいい本屋で、ロシア語のいい本がいっぱい置いてある。ウクライナはロシア語の/ロシアの出版社の図書の流通にけっこうな制限をかけているので、ロシアの出版社の良書がこのように大量に集積しているさまは壮観といってよく、あれもほしいこれもほしいと目移りした……が、まぁ出費は押さえておきたい時候だったりするので我慢。そこはおもちゃ屋さんも兼ねていて、ご自由に遊びくださいのコーナーで太郎は夢中で遊ぶ、そのかんに私と妻はゆっくり物色、小さい店だが珍しいものが多く、店員にいろいろ聞いたりしながらものの1時間も過ごしたと思う。なんかサーチライトにセル画のカセットを嵌めて壁に図像を映写するやつを買って、これはすごいおもちゃだ、これは絶対よろこぶぞ、早く日が暮れないかなとわくわくして、暗くなったら待ってましたとそいつを出して、消灯して壁に照らしつけてみたのだが、図像、ボヤケまくり。子供もなんのこっちゃわけがわからず(そらそうだ)不興がってしまって、わたくしは心底落胆した。
でまた時制が戻る。妻と子とトロリーバスで出かけて、ショッピングセンターで本屋兼おもちゃ屋を見たあと、近くのお店でお昼を食べた。子供が遊べる4畳半くらいのスペースが設えられてる、こういう飲食店はままある。子供にとっては家にない珍しいおもちゃで遊べるチャンスであるし、私らは子供が夢中で遊んでる間ゆっくり茶話できるし、なんならPC持ち込んで仕事もできるし、有難いことだ。
秋になったらオデッサでの生活を畳んで日本に帰国する予定である。もともと出産と子育ての最初の数か年、目安として子供が3歳になるくらいまでを妻の親元でということで移住してきた。秋は遠いようで近い(ようで遠い)。帰国までにやっときたいこと・やっとかねばならないことなどを話し合った。妻の描く明るい未来が一瞬あまりに明るきに過ぎ、それを眩しく感じた瞬間気づくと私、声を上げて笑っていた。こんなふうに笑ったのなんかすごい久しぶりな感じ。妻よ、今の話はちょっとあまりに最高すぎる気がするけど、そうだね、そうなるといいよね、そうなるようにがんばろう。
2月3日
ふつーの日。公園。
この日も終日氷点下、ヒートテック必須、お池の水もぱきーんと凍ってる。
(え、そんだけ?)
そんだけ。多田尊々=ただ・そんだけ。⇒ 珍名辞典
2月4日
とある日本人の方と会って親しく話した。ともすると話題は「ロシアの侵攻」に振れた。私と同じ温度感の人。気にする、大いに気にする、報道も見ている、その上で残る。一方には日本語メディア他の情報の棘、一方には全く平静そのものの現・地・人(その方は私の数層倍現地のさまざまな人と密な交流を持つ)。奇妙。不可解。じつに不思議な感じ。(そうそう、ほんとそれ)
二つの現実。米英日、露、そしてウ、すべての語りにつき、こいつはこれこれの理由でウソをついているのではないかと疑える。そんな中で何が確実に汲むに足る・考慮に値する事柄か。まず、ウクライナ国境付近にロシア軍の大勢力が結集していること、この事実は疑う必要がない。他方の秤に乗せるべきは、やはりロシアが大勢力をもって隣国に攻め込むことの合理性と現実性(の健全な理性による否定)ということに尽きると思う。私にはそんな合理性・現実性があるとは思えない。それが十二分に感得できていれば今頃本当に帰国してるだろうと思う。注1:そんなものはお前の揣摩など及ばないプーチンの脳髄の中の価値観・世界観次第ではないか、という類の「プーチンのあたまのなか(はわからない)」言説はミスリーディングな部分があると思う。プーチンはそんなになんでもかんでも専断できる権能を持ってるのでしょうか。絶対専制君主プーチンによる完全垂直統治国家というステレオタイプに反して、ロシアという巨大な国家の舵を取るのは複数(少数ではあれ)の脳髄と多数の関節であるはずだ。注2:ロシアの側に合理性と現実性がなくても国境に攻撃側のみならず防衛側の戦力まで集中してきている現状では「偶発的」衝突により大規模戦の戦端がいつだって開かれかねない危険があるではないか?はい、同意。だから国境付近への戦力集中は少なくとも確実に考慮すべき事柄だと言っている。
一方、これらことがらの内部にではなく、その大外から、この全構造を相対化(中和)しているのが、平穏しごくの街と人である。もう一度いう、内部にでなく、外部から。(これをもって前段落冒頭の「二つの現実」のカッコが閉じる)
ぼくのこわいもの
こわいもの(こわい順)
⑴大規模戦争(核ミサイル、無差別爆撃、化学兵器の使用etc)
⑵局地的戦争(ロシア軍のオデッサ侵攻、両陣営によるオデッサ市街戦)
⑶暴動、騒擾(14年)
⑷生活インフラ麻痺(電気、ガス、水道、インターネット使用できず)
⑸出国したくてもできない
⑴の実現は信じない。実現したら基本的に死ぬことを覚悟するほかない。だが⑴を恐れて帰国する人は、同じ理由で、首都直下地震を恐れて東京に住むべきではない。
⑵ロシア軍は(もしかしたら一部の人が持っているかもしれない狂気の大量破壊者・殺戮者というイメージに反して)合理と規律に基づいて行動する。彼らの戦略戦術目標付近で抵抗ないし妨害的行動をとれば実力排除されるではあろうが、それ以外の理由で弾を撃たれることなど考えにくい(まして私たちは彼らの兄弟なのだ)。しかし両陣営がバチバチ砲火を交えるとなれば、がぜん流れ弾でおっ死ぬ可能性が出てくる。(オデッサがロシア軍とウクライナ軍の戦場に……考えるだに胸が苦しい。)何しろ私らは、そうした兆候をつかみとったら全力・最速でダーチャに逃げる。この「兆候をつかみとる」ことには最大限に感度を高めるべきだ。ただ現状、少なくともウクライナ軍のプレゼンスがオデッサの街中で高まっているという事実はない、と断言する。14年にはそれがあった。そのことがオデッサ市民の楽観(「緊張は14年ほどにも高まっていない」)のひとつの根拠になっている模様。
⑶軍人以外の人間がバーサク化してしかも集団化して暴れ回るという恐ろしいシナリオ。彼らは合理と規律に基づいては行動しない。おっ珍しき外貌のやつ、この中国人め、なんとなく死を!とて私に鉄槌が振り下ろされる可能性もある、なんでもあり得る。対策1:まず前提として、私たちはウクライナの独立と尊厳のためにであれ、解放者ロシアを歓呼して迎えるためにであれ(たとえばですよ)、政治的熱情にかられて街路に出るなどということは絶対にない。私にも妻にも政治的立場というものがなくはないが、そんなもの(国家だとか世界秩序だとかいう些事)よりも我が身と子供の安全の方が百億倍大事であるという点では夫婦が完全に一致している。対策2:外に一歩も出ないで沈静化を最大10日~2週間程度待てるだけの蓄えは私たちの今いる街中のアパートにもある。対策3:隙を見てダーチャに逃れることさえできれば一冬越せるくらいの蓄えはある。
なお、政治集会が開かれて、親露派市民と反露派市民の暴力的衝突が発生しかねないような場所には、ある程度の目星をつけることが可能だ。私らはそれなりにこの街の地理と地誌をよく分かっているつもりで、この近くで何かその種のことが行われるとしたらここあるいはここであろうという見当がつく。それらはいずれも陋居からそれなりに離れており、かつ、私らがダーチャへ逃れるための動線を外れている。
⑷インフラのダウン。これを想定した備蓄をしている。ただ、長期(たとえば1か月程度)にわたって生活・生命維持に直結するインフラが停止するというシナリオは排除していいと思う。インフラがダウンしたとして、ロシア側はもちろん関与を否定するであろうが、どんな否定の身振りをとったって、この状況ではロシアがサイバー攻撃を行ったということにどうしたってなる。真冬に電気やガスや温水パイプラインが停止することの破壊的影響をロシアはよく分かっているはず。分かっていてよくもこのような非人道的な攻撃を市民たち(お前たちの兄弟たち!)に対して行えるなと、国民感情は決定的にロシアから離反する。そのようなことがロシアの望みであるはずがない。ちなみに、万が一全インフラが一冬にわたりダウンした場合であっても、なお私らはダーチャで生き延びられる。
⑸航空便の欠航。大使館が「商用便が動いている今のうちに出国を」と訴える根拠だ。一時的に逃げたくても逃げられないという状況が発生することは折り込んでおかねばならない。だがそんな状況が永続するはずはない。ダーチャで耐久しているあいだに逃走手段は回復するであろう、と楽観している。
お前がそんなに頼りにしているそのダーチャの存する農村こそが川中島に、つまりは戦場になったらどうするんだ? ――そのようなことはおよそ起こり得ない、と思う。そんな予断が死を招くぞ、そんな無根拠な楽観なんかして、妻子に対する責任とか感じないのか? ――逆に問うが、君は外出の前に今日きみがおもてで気のふれた暴漢に刺されて死なない理由を10個数え上げてからでないと安心して靴も履けないのか?
(最後にもう一度言っておこうか、私の生活感情は、これらすべてのおしゃべりの外側にある)
2月5日
バカの考え休むに似たり。それが今の私に一番似合う言葉のお洋服だ。おしゃべりもええ加減にせ。
猫
オデッサは猫の街で街にも海にもいっぱいいる。カリカリだの肉魚の要らない部分など誰彼撒いてくのでどいつもよく肥えている。
五輪
北京オリンピックでも見ますかな、と有料チャンネルに加入した。※日本人の感覚だとテレビつければ五輪くらいやってるのが当たり前という感じがするがウクライナでは普通のテレビでは五輪はやらない。自国選手だって出場してるのにと実に不思議な感じがするのだが、要はお金がなくて放送権が買えないのだと思う。東京五輪もEUROのときもわざわざ有料放送契約して見た。今回も。
目当ては10日からの女子カーリングとフィギュアの男子女子シングルだが飯時に(そのときやってるものを)ちょいちょい見る。この日は女子のジャンプを見た。実に不思議な種目。いろいろ全然わからない。でもそれがおもしろい。(誰が勝つとかはどうでもいい)
珍名五輪
五輪といえば東京のときにこのブログでロシアvsウクライナ珍名五輪という記事を書いた。わりと読まれてる記事なので面白いのだと思う。
今はロシアとウクライナを戦わせてみるなど冗談でもできないのでその冬季版の記事はわざわざ作らないが、珍名には相変わらず興味がある。ロシアとウクライナの選手名鑑をざっと見てあははと笑っていた。(露、ウ)
ロシア選手だと、バイアスロンのダニール・セラフヴォストフ(Даниил Серохвостов)すなわち「灰色尻尾のダニール」とか面白いと思った。カーリングのダニール・ゴリャチェフ(Даниил Горячев)すなわち「熱々のダニール」も氷上で熱々はまずいだろうと笑った。一番すごかったのはショートトラックのダニール・エイボク(Даниил Ейбог)すなわち「おお神よダニール」。こんな苗字あるんだね。
つか下の名前ダニールばっかやん!というツッコミが当然あるかと思う。数えてみると男女212人中ダニールは6人、ただその中の珍苗字率が異常に高い。ついでに調べてみると、最もありふれた名であるアレクサンドルは13人、アレクサンドラは7人。実に10人に1人がサーシャ!
そういやロシア人名における名の貧困と姓の多様についても別途書いていたのだった→ロシア人の名前の読み方(名・父称・姓))
他に面白いと思ったのはショートトラックのヴェーラ・ラスカーゾワ(Вера Рассказова)すなわち「語り部ヴェーラ」、スケルトンのエヴゲーニイ・ルカスーエフ(Евгений Рукосуев)すなわち「まさぐり野郎エヴゲーニイ」あたり。
語るに淫した。ウクライナ選手については割愛。こんな話が面白い人は何しろ下掲2記事ご一読あれ。
2月6日
見よこの海の青。Ah, 美代子。
晴れの日に何はなくとも海に出てくるオデッソス民。
北京五輪は昼飯時にアイスホッケーの日本vs中国がやってたので少し見た。延長で決着がつかずサッカーでいうPK戦みたいなのになり、それを中国が制した。サッカーはキッカー絶対有利で基本入る、それをGKがいかにセーブするかの勝負だが、アイスホッケーはどうやら逆で、何しろゴールが狭くて着ぶくれたGKがデカいからねえ、基本入らない、そこを攻撃側がいかにシャイバをねじ込むかの勝負であるように見受けた。
こういうときにしか見ない競技種目をこれ何だろうねあれどうなってるんだろうねと推理あるいは妄想しながら見るのが楽しい。(ロシア語の実況は初心者向けにあんまりルールとか戦術とかの解説はしてくれない、そこが日本の放送と違う)
2月7日
白樺と池の氷。
飯時にジャンプ混合団体というのをやっていて日本の高梨沙羅を含む数人が失格処分で、実況はコスチュームがどうのといっていて、なんかいろいろちゃんと説明してくれないのでわけがわからなかった。あとでニュース見てようやく理解したのだが、要は……いや、いいか、こういう話は。
要はスキーのジャンプは空気抵抗のアートなのだ。葦のような人間が葦のような板を履いて、しかしそのトポロジカルには一本の棒が、可能な限り向かい来る風に対して面を開いて、いわば「帆を張って」、なるべく空気抵抗を多く受けて滞空時間を長引かせる=飛距離をのばす。足首をあんなに無理な鋭角に曲げて板を風に対して立てるのも、手の十指さえめいっぱい伸ばしてみせるのも、すべては人間というか細い葦が開かぬ帆を無理と開かせようとするいじらしき(いじましき)努力なのだ。「私は凧!」と念じながらジャンパーはジャンプするであろう。
だから想像するに、バスケとかバレーにはとにかく上背のあるやつが向くように、スキーのジャンプに向く体格とは、すなわち平たいこと、正面の面積が広いことだ。胴体の横幅が広く、上背もそれはあったほうがよく、手の平さえ広い方がよい。たとえばジャイアント馬場のような人が誰よりよく帆となることができたのではないか。もちろん一級の技術を身につけることを前提として。
でもあまり空気を含みすぎてイカロスのように舞い上がってしまってもいけないから、話は実はもっと複雑で、スキーのジャンプとは空気抵抗を極力受けつつ同時にそれを切り裂いていくという相矛盾するふたつのことを同時に行う複雑精妙なアートなのかもしれない、と呟いて私が通ります。
2月8日
長くオデッサに在住しておられる日本人のご夫妻と夕食をともにした。「二つの現実」の話。しかも一つの現実が彼らの右足を引っ張りもう一つの現実が彼らの左足を逆方向に引っ張る力は私におけるそれの比ではない。要は彼らは両方の現実に(私と違って)たくさんの知友を持っていて、一方の「何してる、そこ危ないぞ、戦争が始まるぞ、早く出ろ!」という命令に近い勧告および泣き落としの訴求力と、他方の国境緊張なにそれ美味しいのという春風駘蕩の感化力が、私の計測だと1600メンサーハンほど乖離している。つまりは私のメンサーハン値の約7倍。
とはいえ実践的には自分の中でどちらか一方の現実に勝ちを与えて去るか残るか態度決定をしないとけない。ロシアに利を見込めない、ますます活発化している観のある外交交渉への期待、米には米の思惑(ネオコン陰謀説ほか)、日本は米に追随しているだけ(報道も、在留者への退避勧告についても)、万一何かあるとしてもドンバスであろう、最悪でもキエフであろう、最悪の最悪でオデッサにまで戦禍が及ぶとしても、自分たちには後退の道と防衛の構えがある……こういった諸アーギュメントによって弱体化した「現実A」に、「現実B」を改めて対置させてみたところ、申し訳ないけど「現実B」の圧勝、というのが、要は私とご夫妻の頭の中で演じられている角逐の劇の様相だ。
一つの現実しか持っていない人に二つの現実の話をすると「そのもう一つのほうは虚妄だよ(目を覚ませ)」という話にどうしたってなる。現実Aのほうはしかし伝播力があり、現実Bにのみ生きる人に改めて現実Aを教える(教えて、染め上げる)ことは可能だ。だが逆に、現実Aにのみ生きる人に現実Bを教えることはできない。現実Bは言葉での伝達に向かない。それは持ち運び不可能で、この土地から根を離れるとたちまち枯死する。
2月9日
nothing new under the sun
泰平の惰眠をむさぼる猫寝子猫
「ロシアによる侵攻」はまたとない今だ。その今をよく感じよく見ておかなければならない? だが我が子2歳半、これもまたかけがえのない今だ。「今が一番かわいいときじゃないですか」「よく言われる言葉ですけど、私の実感をこめて改めて言います、本当に一瞬ですよ」
どちらがより私にとって大事か。どちらに集中するべきか。分かり切った話だ。
もちろん、ふたつめの「かけがえのない今」の条件を破壊しかねないのが前者の事象であるからは、前者にも注意を向けざるを得ない。なるほどliving is easy with eyes closedというやつで政治一切に対して目をつぶり、それを主観の中で完全に消去したまま幸福な一生を送ることはできる、その人は黄泉で「政治というものは私に一指だに触れることがなかった」と誇語し得る。だが政治というものがいやおうなく個人生活に介入し本来神聖不可侵のはずの個人の内的宇宙にまで破壊的ゆさぶりをかける(ひどい場合にはこちらの存在の方を消去してくる)のが戦争という特殊状態であろう。それに対しては「目をつぶる」ことももはや有効な防衛手段にはなり得ない。
有効、なのである、ふつうは。見ないことでその存在を消去する、というみぶりは、実は国家だの政治だのという大きなものに対しても大抵の場合は成立する。しかし、それがもはや通用しないような極端な、例外的な状態が生起しかねない。「みんながないというから、ない」から、「みんながないといったのに、ある」への相転移。
……と、こうして語れば語るほど、むしろその語ることによって、いわゆる「現実A」に加点を施してしまう。観測行為が観測対象に影響を与える。ここで
(1時間が経過)
書いていたら子供が起きてきて全部バカらしくなった。おーい、がんばれ西側、私の「現実B」を防衛しろ。(というのは現実Bの側からの冗談)
2月10日
旧市街にあるパサージュ
ユダヤ文化センターで子供を遊ばせてきた。協調性が全然ない。自由過ぎる。無双過ぎる。(子供を折檻する母親見て暗澹、色んな親がいる)
朝一でフィギュア男子シングルフリー、羽生の入魂の演技、闘う男、鍵山君もすばらしい。ネイサンはなんか腹の立つ構成、前~中盤は低速かつ跳ぶぞ跳ぶぞでマイペースに跳びたいだけ跳ぶ、んで勝てるだけの点を稼いでもう勝負を決めてしまったあとに終盤まるでエキシビジョンかなんぞのようにはっちゃけてやりたい放題ダンスダンスダンス。しかも(実況解説によると)自分の本業はイェール大学における学業だとか心得てるらしい。まぁ欧米ではわりと文武両道オリンピアン珍しくないと聞くが。てか二足のわらじを履くことをなんとなく悪徳とみなす(逆に一意専心・全振り・背水の陣を美徳となす)日本が異常か。
それでお次は女子カーリング(そもそもそのために有料放送契約したところの)を見たかったのだが私らの加入した有料放送は女子カーリングに冷淡であることが発覚して愕然、2つある五輪専門チャンネルのうち今日明日明後日まで女子の試合ひとつも放送しない(男子はある)、急遽VPNでNHK見ることにした、そのためになんかいろいろ七面倒くさいことをした。
要はこれはどういう事態かというと、戦禍を逃れて今日明日にも退避するべき人間が、五輪(20日閉幕)を楽しむためにといって、有料放送やらVPNやら、せでもの出費をあえてしたということだ。さらに前段、子供の社会性強化も、近々幼稚園に入れることを見越してのことだ。その日その日を生きることはできない、中長期の残留を前提としたもろもろのことに手を染めている。
先ほど外務省からきたメール↓
2月11日
オデッサ名物ロープウェー。子供と乗った。
ひとつひとつの籠に可愛い塗装、カラフル、おもちゃみたい。3分間の空の旅、運賃は320円とこちらとしてはかなりお高い、移動手段でなくアトラクションという位置づけ。
今日の黒海。
この海の向こうからロシアの軍艦がやってきて私たちは殺されるのでしょうか。「海は広いな大きいな、行ってみたいなよその国」とこの海へいつも太郎と歌うのですが。あの青い水平線へと私たちが漕ぎ出ていくのでなく、水平線の方こそ捲れ上がって私たちへと迫ってきて(進撃の巨人「地均し」)、街は不可避の蹂躙を受けるのでしょうか。
日本外務省はウクライナの地図を真っ赤に染めた。赤い字で「直ちに退避してください」と記された。「事態が急速に悪化する可能性が高まっています」(ウクライナの危険情報【危険レベルの引き上げ】)
大使館員から電話も来た。先月24日以来実に5度目。お互いすみませんすみませんと謝る。しつこく電話して済みませんご事情お立場は承知しておるのですが東京(本省)の方が言ってきてますものですから、とそこまでぶっちゃけてしまうのもどんなもんだろうか、対するこちらもすみませんすみません再三にわたりお電話をいただきお手数をおかけしまして。そちらお変わりないですか。「はいオデッサは平穏そのものです」「はいこちらキエフも」
わからないのだ。ヒステリックなバイデン米にかわって欧州の方が外交交渉の前面に躍り出てきた観があってマクロンGJ、これこそправильное русло、終末時計の針は少し巻き戻ったのではないかと思ったこのタイミングで危険レベルの引き上げ。このかん何があった。何がって、ウクライナ国境付近でロシアとベラルーシの合同軍事演習が始まりました、それ以外にない。だが国境付近で軍事演習が始まったから危険が高まる、というのが(一見したところのもっともらしさに反して)理屈として私にはちょっと飲み込めないのだ。これまでは底意不明に巨大な戦力が結集していたからこそ不気味で怖かったのであって、軍事演習という明確な外形的動作がともなっているのであればむしろ了解可能・予見可能性は高まったのではないのか。しかも一国でなく、外国との合同軍事演習なのである。いかにルカシェンコベラルーシ露傾化といえども外国同士、示し合わせて「演習と見せかけて攻め込んだろ」みたいな挙に及び得るものか。ベラルーシと組んでいよこそ世界を敵に回す?そのベラルーシはそれこそ西国境でNATOそのものと直接面接しているのであるが?まして五輪開催中に、中国のごきげんを損ねてまで。ワリエワのドーピングスキャンダルを挑戦状ととってперчатка брошена、よっしゃ西側やったらあと逆ギレか?
この「日記」おっと「虚構日記」に再三書いているように、私はロシアによる侵攻が行われないことに賭けているのではない。仮にロシアによる侵攻があったとしても私たちは残る。それについては一応考え切ったつもりだ。外務省が地図を塗る色をかえたという一事をもって翻意するようなことはない。ただし、理解はしたい。自分に多くの盲点がある可能性はすすんで認める。とりあえず外務省の今次の退避勧告強化の根拠になっているとおぼしい「合同軍事演習と危険度の高まり」の論理的連関について書面で問うてみる。
2月12日
バスで隣町に出かけて人と会ってきた。
オデッサの有名なポチョムキンの階段……を模したもの。本家より美しい。
ロシアの侵攻は空爆とミサイル攻撃から始まる公算が大だ(likely to begin with aerial bombing and missile attacks that could obviously kill civilians without regard to their nationality)とサリバン先生。ロシアのデモナイズが今回は過ぎたのではないか。どうしてロシアがそのようなことを行い得るか。プーチンとその軍がではない、ロシアがだ。一方的な攻撃により市街を破壊し無辜を死傷さすようなことがあれば、黙っていないのはむしろロシア側の世論だ。プーチン論文を待つまでもなくロシア人とウクライナ人は兄弟だからだ。空爆だのミサイル攻撃だのによる無差別破壊と殺戮をさえ正当化あるいは無かったことにできるほどロシアのプロパガンダマシーンは完成されているだろうか。その感化力は、市井のロシア人がウクライナに持つ親族や友人たちの直接の訴え(私の言葉では、現実B!)を凌駕し得るだろうか。思わない。あり得ない。
同様に、日本外務省がウクライナ全土の危険レベルを一律に引き上げ、ウクライナの地図を真っ赤に染め上げたのも、今回は単純化が過ぎたと思う。キエフとハリコフとオデッサとリヴォフが、あるいは私らのダーチャのある農村とかゴーゴリのディカーニカ村とかが、どうして同じレベルで危険ということがあるか。現実の地図はもっとよほど玉虫色だ。
こういう過ぎたメッセージというのはナラティヴそのものへの信頼を失わせる。このナラティヴにおいては現実直視よりもある種の魂胆とか事情といったものが優先されているのではないかと疑わせる。私は信じない:①サリバン先生のお言葉に反して、ロシアが同胞殺戮の蛮挙にあえて及び得るとは信じない。②日本外務省の色塗りに反して、我が住む街オデッサ、及びそこから内陸40㎞の農村に至る動線が「赤い」とは信じない。
さっきから頭の中で鳴ってるのは「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し」という言葉だ(日本国憲法前文)。こんなこというと平和ボケ野郎お里が知れたぜと言われるのだろうな。そう考えると私がこうして残留を決め込むのも、国家とか政治とかいった下らぬものが市民の生活と幸福という崇高なものを蹂躙するという現実を断固拒否する、一種の反抗の身振りといえなくもない。(※そう言えなくもないということと、それそのものであるということは違う)
※ロシアとウクライナに対する私の根本的な立場について興味をそそられた酔狂な人がいましたら過去に書いたこちらの記事を読んでください(→ロシアとウクライナについて思うこと)
※正直にいって私はロシアに人一倍シンパシーを感じています。ただ、ロシアによるウクライナの主権干犯については、これを絶対的に否定します。
2月13日
大使館の人に叱られた。往復ビンタされた。
非常に厳しい口調で退避を勧告された。まだ戦争は起きないと思っているんですか、そこオデッサですよね、もうロシア軍はすぐそこまで押し寄せてるんですよ、砲弾が撃ち込まれてはじめて信じるんですか、でもそのときは死ぬ時ですよ、ウクライナ人と一緒になって戦うんですか、調査によるとオデッサでも市民の半数が「いざ戦争になったら武器をとって戦う」と言っていますよ、戦うんですか、(いや逃げます)、じゃ逃げてください。もう飛行機もどんどんなくなってますよ、逃げたいと思っても逃げられなくなってしまいますよ、電話も通じなくなるかもしれませんよ、大使館とも連絡がつかなくなりますよ、なんで逃げないんですか。(ハードルとして現実感を異にする妻の説得ということがひとつあります)奥さんの命が大事なら説得してください、二つにひとつです、奥さんの命を守るために説得するか、それともここに残って骨をうずめる覚悟をするかです。
私は愚鈍なので有効な反駁のひとつも口をついて出ず、サンドバッグ状態でビンタを8往復くらい食らい続けていた。電話を切ったら膝がガクンと落ちた。
そうして筆弁慶の私が今になってこのブログ上で(相手に聞こえない声で)いや違うそれはそうじゃないこれはこうだと反論を開始するわけですか。卑劣だね。①それならこの点をどう説明するんですか②それでもロシアが無差別攻撃をするとは思えない=ウクライナ全土が「赤い」というのは過ぎた単純化である③私たちは大丈夫だ。
シンプルにシンプルに記したい。正直この話題はしんどい。①それならこの点をどう説明するんですか。つまり、当のウクライナ政府が今もってロシアによる早期侵攻の線を否定していることを。アメリカは超すごいインテリジェンスをもっているから遥か離れた露ウ国境の情勢についても誰よりよく知っていて、一方、当のウクライナは8年間戦争をしている同じ言語を話す隣国ロシアについてロクな諜報活動ができていなく、危機の実相が全然見えていないというわけか、そんな話があるか。そこで「ウクライナは魂胆あって糊塗しているのだ」と主張するなら、「米国こそ魂胆あって誇張しているのだ」とどうして言えない。オデッサが脅威にさらされているというなら、なんで今げんにオデッサの街中でウクライナ軍のプレゼンスが高まっていないのだ。
②それでもロシアが無差別攻撃をするとは思えない。砲弾が飛んでくるまで信じない、信じたときにはもう死んでいる、それはどういう想定なんだ、やっぱりロシアの軍艦が洋上からずどーんと街に撃ち込んでくるみたいなイメージなのか。そもそもロシアの今の国境緊張の創出はどういうモチーフによるものだったか。よくプーチン論文が引用されるが、「ひとつの民族」つまりロシアと一体であるべきウクライナがロシアを離れてヨーロッパに抱き込まれようとしているからそれは許さぬ、ということでこの全てが行われている。ロシア側のレトリックでは14年以降一貫して批判否定愚弄されているのはウクライナ政権(「米の傀儡」)であって、ウクライナ国民ではない。ウクライナの市街を破壊し無辜を殺戮すれば、ロシアは破滅的な自己矛盾をきたす。ウクライナ国民の感情は決定的にロシアから離反し、ロシア国民の感情さえプーチンから離反する。あまりに利がない。あまりにも。All is fair in war、戦争にテンプレートはない、プーチンの頭の中は誰にもわからない?「プーチンのあたまのなか」言説の嘘については下のどっかに書いたから繰り返さない(「脳髄」で記事内検索してください)。能力的にはすべてを行い得る、それだけの兵力火力が集まっている、とはいうものの、では突如ウクライナに核ミサイル100発撃ちこまれるということがあるでしょうか。「そうはいってもさすがにそのようなことにまではならないだろう」という条理による限定は、一切無効なのでしょうか。もちろん否。そうして、無差別絨毯爆撃とかいった可能性を排除するなら、ウクライナ全土が「赤い」(日本外務省による色分け、危険度レベル4(最高)、ただちに退避すべき)などということがあるわけはない。
③私たちは大丈夫だ。というのも、
とはいえ命とか死とかいう単語を交えながら大使館という私とっての権威(お上)から強い口調でいろいろ言われ、その内容を妻に報告したところ、妻も折からの諸々の報道(露語メディアの)を見てこれはさすがに何もないでは済まされないなという感じになっており、今はいったんオデッサから出ておこうかということで、
私らはダーチャに引き移った。とりま20日まで籠っておく。(理論的にはそのまま次の秋までここで食いつなぐことは可能である)
2月14日
ダーチャの朝。マイナス11度。
20日まで世界史・世界情勢から隔絶されて過ごす。カーリング女子応援しながら。
率直にいってこの村が戦場になるなど考えるのもバカバカしい。でもたって安全だという根拠を示せとなら、オデッサから十分離れている。攻撃目標になり得るさしたる産業も工場もない。幹線道路・線路から離れている。こんなところでどうだろうか。あと、ダーチャの安全神話の根拠か。そうさな、インフラからの高い独立性すなわち水道・ガス・暖房が公共に依存しないこと、薪炭と食料は少なくとも一冬分の備蓄があり、冬さえ越えればあとは果樹・菜園に生るものを食べてればとりあえず死なない、夏過ぎて秋過ぎて次の冬に石炭をばはや積み果てつということになるまでは詰まない。このあたりでひとつ手打ちに願いたい。
内側からの声として、邦人保護に関する日本の政府、外務省、大使館のはたらきを賞賛したい。館員の皆さまは土日も休まず働いておられる。
(Sさんお読みでしょうか、お気遣い嬉しいです。お返事できなくてすみません。私たちは元気です)
2月15日
村道。
別に言うことない。早く時が過ぎてしまえばいいと思っている。скумбрия、жаркое、ワリエワ重圧の中よく舞った、気の毒な子供。
2月16日
夕景。
月。満月だったのかな
подснежники待雪草。
なんも言いたくない。二つの現実。私がそれを聞きそれを信じることで「現実」を構成してきたところの声を刻々否み続けることの苦み。あなたは苦しむことで罪の半分を償ったじゃありませんかと言っておくれソーニャ・マルメラードワ。
2月17日
裏のだだっ原、夏は牛らがただ歩いて草はむ
夕映え
私たちのねこ
ダーチャに移って基本的には心の平安を得ている。昨日今日は暖かかったのでペチカも焚かなかった。子供を庭で遊ばせていると然り子供の幸福のためにウクライナに留まっていると改めて強く思う。
リアルよりリアリティ、リアルよりリアリティ、リアルよりリアリティ、リアルよりリアリティ、リアル。社会的現実と生物的現実という対比を思いついた。私は、私だけでなく基本的には誰でも、メディアが言い、お上が言い、また父母が言い、友人たち先生たちが言うことは、正しいことなのだと信じる。彼らが一致共同して指呼するものの総体が「現実」である。そのように現実を構成することを社会的に訓練された。というか、それなしには生きていくことができなかったので、否応なく自己訓練した。社会的現実とこれを呼ぼう。
その社会的現実の中では私は、今にも外国軍の侵略を受けて破壊される国の、死傷あるいは不幸がほぼ約束された存在である。その現実が私に教えるところによれば、私はただちに妻子を連れて出国し、危難を逃れるべきである。なのにそれをしない。その矛盾から、私はふしぎに恒常的にダメージを受けている。毒の沼。そのために心は常に少し以上重く、暗い。
一方に、生物的現実と呼びたいものがある。<みんなが指呼するものはその指呼するように在る>という教えよりももしかしたらもっと根源的に、単純に<視え・触れるものは在る>という、これも無数の反復によって踏み固められた「現実」構成法だ。それによれば「ロシアによる侵攻」などは存在しない。こちらの現実は私を慰謝する。
上に描写した「社会的現実」にはさらに「社会的現実B」が対置される。露・ウ語による無数の言説を養分に私の中に構成される現実。このBによれば近い将来においてロシアによる侵攻はない。社会的現実Bと生物的現実の総合得点が社会的現実Aを上回っている、これが残留の根拠であると言える。用語を本質A、本質B、実存とそれぞれ置き換えても多分いい。
(多分ぜんぜんダメな考察、正鵠不的中感、気に入らないが一応残しておく)
五輪
フィギュアをロシア語の有料放送で、カーリングを日本のNHKないし民放で見ている。実況解説の質は後者が段違いに高い。ルールとか戦術とか状況の丁寧な解説は日本の放送だと当たり前だがこちらでは全く行われない。あと、自国選手をろこつに応援したりする。んで相手方の失敗を平気で喜ぶ。見比べると日本のアナウンサーのプロフェッショナルぶりが際立つ。
しかしまぁフィギュア女子には一体何が起きているのでしょうか誰か教えてください。違う競技すぎる。坂本ちゃんの滑りでソチなら十分戦えた。トゥトゥベリッゼが4回転の秘法を独占していて、これを盗み出さなければロシアには永遠に誰も太刀打ちできない、そういうことで合ってますか。(ワリエワについては可哀想な子供という他に感想を持ちえない。大人たちの下らんゲームに巻き込まれた本当に気の毒な子供)
ちなみにロシアの実況解説は自国選手が滑ってるときは黙る。とりあえずジャンプエレメントが一通り済むまでは喋らない。сглазитьというやつ、何かしてる人に成功を願って変に言葉をかけるとむしろ失敗を呼び込んでしまうという一種の迷信から、事が終るまではなるべく口を挟まない。タラソワとかその典型であった。
それでいうとカーリング女子スイス戦の5エンド、ブランク狙いが外れて1点取らされる形になって、「1点とって同点で前半終了ということになりますね、まぁこの1点が取れればという話ですが」というアナウンサーのこの発言、сглазитьの観点からは最悪であった。
2月18日
これ書いてる19日朝、NHKのニュースサイト開いたらバイデン閣下が「確信」してらっしゃって
この種のニュースを見てもちろん私は体が震える。こういう現実は私の中にもまたあるからだ。そうして次の段階はこの現実に諸ミラー現実が対置されて、先の現実が窒息するかしないかという勝負になってくる(昨17日の記述)
機密情報をあえて積極的に公開することでロシアの機先を制するというのは巧妙な戦術だが、その戦術をあえて積極的に公言するところがまた巧妙なやり口であると言えなくもない。というのも、これで構造的に「アメリカが嘘をついている」という批難が不可能になるからだ。嘘をついたのではない、我々があえてそう公言したからこそロシアは出足をくじかれたのだ、「予定はたしかにされていたのだがその予定を我々が適示したことで予定が動かされた」と米側は常に言い抜け得る。
ロシア側はこれほど明確にウクライナに侵攻などしない、その計画もない、と公言している。一国の外務大臣や上院議長や他にもあまたの口がこぞってウソをついているだろうか、それほど厚かましいことが行われ得るか、仮にも国連安保理常任理事の責任ある大国に。だがこれも「その時点では嘘ではなかった」とは常に言い抜け得る。今次のドンバス赤熱を受けて「昨日までは確かにその計画はなかったのですけど今日計画しました」つって明日侵攻、それも「嘘ではない」。
やはりドンバスから始まるのか。だがよ、ドンバスでならそれは事は起こせる。でもそこから先へはどうやっていくのだ。「ウクライナ側の挑発によってドンバス緊迫化、化学兵器の使用により市民に犠牲、西側工作員の影もちらほら、すわ人道危機、介入せずんばならず」ここまでならロシア国民も納得する。あ、いつものやつね、それならGO!・・しかし、その先にはどうやっていける?
これ書いてる今も体震えてるのだが。現実性と合理性。合理性と現実性。
少し自己紹介をさせてほしい。私は早大露文でロシア文学を学んだ。人生の4年半をモスクワで過ごし、今オデッサに2年半住んでいる。この間ウクライナに親類知己をもつ多くのロシア人あるいはその逆、また旅行・留学・ビジネス等でロシアを体験的に知っている多くのウクライナ人に接した。オデッサその他ウクライナの諸トポスが登場し・また言及されるロシアの小説・映画・大衆歌謡・テレビ番組に夥しく接した。ロシアとウクライナは政治が邪魔しさえしなければもともとひとつのものである、ロシア人とウクライナ人は兄弟である、と私がいうとき、それは何もキエフルーシから説き起こしての理知的理解でない、単純な感覚的真実である。私は信じない。ロシアがウクライナの民衆の苦しみを肯定しうるなど。プーチンとその軍はウクライナを攻撃することはできる(能力的には)、しかしそれを事後的にもせよロシアの国民が決してがえんじないことを信じる。露ウ双方の民衆が互いをこれ以上憎しみあうことがないように、心から願う。
2月19日
ロシアに爆撃されたなう。に使っていいよ。
本当は老朽化したピオネールのラーゲリが自壊したもの。村はソビエト的なものが自然に褪色して「ゴーゴリのウクライナ」の地層が露頭しつつある。より永遠なるものは何か。
ゼレンスキーのミュンヘン演説見た。動画、露訳全文。ポイントは、①ウクライナの戦いは欧州ひいては世界の戦いであることを強調(だから支援は(感謝はするが)当然である、言葉でなく行動を)、②ウクライナのNATO・EU加盟への意思を改めて鮮明に、③東西いずれの軍事同盟にも参加せず「安全保障の真空地帯」になっている現状では核武装もやむなしと示唆(→ブダペスト覚書署名国の外相会議を呼びかけ)
基本的には8年戦争(現時点で)の延長線上に今次の危機をとらえており飽くまで目指されるべきは東部の平定とクリミアの奪還。国境周辺におけるロシアの軍事的圧力とドンバス緊迫化については強調されているが19分間の演説中に「侵攻(вторжение)」の語なし。正確には米国のレトリックを引用する形で一度、これはいわば侵攻予知言説への皮肉。ウクライナ大統領のこうした立場は(こんなこと言ってしまうのはもちろん不謹慎なことだが)私にとっては安心材料だ。
カーリング負けちゃった。妹、鈴木くん、ちなちゃん、フジ。ありがとう。その明るさに救われました。銀メダルおめでとう。
焚火した。
「護摩を焚いた」。私が護摩を焚いたことを唯一の理由にウクライナは危難を逃れるであろう、感謝せよ民。(とかまで言い出したよ、いよいよやばいなこいつ)
2月20日
みずうみ。
黒海北岸にはリマンлиманと呼ばれる湖が多数あって、たぶん日本語で潟湖と呼ばれるやつ、太古は黒海と水つづきであったが砂州の伸張によって鎖され内水化した。そのひとつ。
狭隘な陸地によって黒海から切り離された「湖」たち。オデッサ左下がドニエストル河口部のドニエストル・リマン、オデッサ市から直接北西方向に伸びてるのがハジベイ・リマン(今回訪ねた)、そのすぐ隣に灰色に見えてるクヤリニク・リマンは例外的に鹹水(通例淡水)、いくつか飛ばして東西方向に広がっているデカい黒々した水域はドニエプル河口部でこれも数千年後今のキンブルン砂嘴が伸張すればドニエプル・リマンになるはず。みたいな話は過去にも書いた→「オデッサ」に関する知識でWikipediaを超える②歴史編(前)
パノラマモード撮。(見えてるのは広大なリマンのほんの一部)
18日のところに「ロシアとウクライナはもともとひとつのものだ」とかクリミア併合を正当化するプーチンみたいなこと書いてるが、えーと、私は何もウクライナ(の中・東部)はロシア主導で合併するべきだみたいな政治的主張をしているのではない。全然違う。もともとひとつのものであるという認定と、それがいまではふたつの国家にその統治を分け担われれているという現状の肯定は、何ら矛盾しない。同じ言語を話すひとつの民族が二つの国家に分かれ住んで善隣している実例などいくらでもある。私は近代国家の領土主権については健全に潔癖な感覚を持っている(と思う)。ロシアによるクリミア占拠を全く肯定しないし、ましてそれ以上のことなど肯定するはずもない。
というような話もどっかには書いてるはずなのだが今や長大なものになってしまったこの記事を(この読みにくい文章を)人が頭からケツまで読み通してくれることなど期待すべきでないし、最初の三日分くらい読んでいやんなるのが普通だと思うので、細かめに釈明を入れておいた方がいいだろうなと思った。
2月21日
プーチンをリアルタイムで見ていた。要するにロシアはドンバスを取ることを決めたのだ。もうシナリオは明白になったように思われる。ロシアの正規軍がウクライナに入る。ドンバスが囲い込まれる。両人民共和国で住民投票が行われる。圧倒的多数がロシアへの編入に賛成する。ロシア議会上下両院もこれを受け入れる。ロシア連邦の構成主体がまた2つ増える。ウクライナ国内ではウクライナ国粋主義・民族主義過激派が各地で騒ぐ。しかしともかくも戦争は終わる。ウクライナはNATOに入る。
明日にもロシア軍は入るだろう。つまりは、西側の制裁が明日にもロシアを撃つ。ともあれロシアは圧倒的な軍事力で短中期的にはおもうさまの成功を、すなわちドンバス併合まではつつがなくやり遂げるであろう。ドンバス包囲の端緒としてキエフないし全土にサイバー攻撃を仕掛けて即応を不可能にしてくるかもしれない。その場合は私のこのブログも更新が止まります。というわけで普段この日記は朝方に前の日の分を記すのですが拙速にしたためておきました。
翌2/22朝追記
ただいまウクライナ時間午前7時半。
プーチン演説の感想。「どっちの現実がほんとうなんだろう~(><)」「社会的現実と生物的現実」etc.の迷言で知られる何丘氏にこれを言う資格があるのだろうかと疑われるが、ひとつの、我々には共有しがたい奇怪な「現実」の虜囚となった、無残な、醜悪な老人を見た。私はたとえばTwitterをいまだ続けていたらTwitterではこのようなことはまさか言わなかったであろうが、このブログは私の庭であるから、言わせてもらう。私はこの老人の死を願う。(本来こんなことは誰に対しても言われるべきではないが)
私はモスクワが好きだ。そこで過ごした「第二の青春」を懐かしく思い出す。ロシアには多くの美しいものがある。でも、はじめからこれをしようと思って大軍を配備していたのかなあとか、侵攻しませんその計画もありませんという口八丁は全部ウソだったんだなあとか思うと、本当に気持ちが悪い。ロシア語を含め、自分の中の全てのロシア的なものを根こそぎ吐き出してしまいたいという14年の感覚を思い出す。
ぐっと話を卑近なところへもってきて私たち家庭の安全安心幸福という次元で考えると、これは想定していた「中程度の最悪」のシナリオというか、これがただちに私たちの出国の理由となることはない。ドンバス侵攻(※これは「侵攻」です。バイデン、何を寝ぼけたことを言っている?)とオデッサ困窮は接合しない。と今の時点では思っているのですが何しろ事態の推移を注視したい。
これもぶっちゃけてしまおう。もちろんこれはウクライナにとっての悲劇である。だが、家庭の安全安心幸福という次元では、シナリオがある程度見通せたことで、(こんなこと言うべきではないのだが)正直、不安の軽減を覚えている。ロシアに対してこうして怒りと嫌悪を覚えているのもそれだけ心がヒマになったからだと言える。そんな余地すらない時期があった。
言いそびれたが街に帰ってきている。米露外相会談が予定されている24日までは悪い方に情勢は動かないだろう、その先には首脳会談も計画されていて、いくらなんでもこの状況で軍を動かすほど外交信義にもとることはしないだろうと思って、その間にいろいろ用事を済ませてしまおうと。ナイーヴなことであった。写真は有名なポチョムキン階段、上から見たときと下から見たときと正面から見たときで印象がそれぞれ全然ちがう、今言った順にフォトジェニックでない、つまり一番ブスな顔のポチョ階がこれ。街も港も平穏そのもの。だがこれも今日を境に変わっていくのかな。
2月22日
黒海やや波高し
①オデッサのロシア領事館でも職員退避を前に書類の焼却が行われているようです(ニュース)
②ゼレンスキーは実に抑制的な国民向けビデオメッセージ。平静を保て、混乱の理由はない、ロシアの挑発的言動に惑わせれるな、国境線が変更されることはない、国際の協調のもと飽くまで外交手段で問題を解決する、「情勢に変化が認められ次第、危険の高まりが認められ次第、必ずお伝えする。現時点では血迷った行動をとるいわれは何一つない」「我々は飽くまで平和的・外交的解決を目指す、ただし、ここは私たちの土地である。私たちは何も恐れない。私たちは誰にも何らの義務も負わない。私たちは誰にも何も明け渡さない。そのことを確信している、なぜなら今は2014年2月でなく2022年2月であり、国も軍もあのときとは別モノだからだ」(動画、露訳全文)
③皆さまの心のうちなど知るよしもないが少なくとも指標のひとつとしての食料品の買い占め的なものは今に至るも全く起こっていないと証言す。
コロナ不安が最も大きかった20年4月あたりはソバの実など大分なくなったものだった。
④例のプーチン演説に14年5月2日オデッサ労働組合会館焼き討ち事件への言及あり(動画)。反マイダン市民42人が焼死した凄惨な事件、今のウクライナで「親露である」ことは危険なことなのだと市民に知らしめ、震え上がらせ、その口を噤ませた象徴的な事件であるが、その犯人が処罰もされずろくに捜査さえされないままでいるところ「我々は下手人をその氏名まで知っている、必ず業罰を下す」とプーチン。有名な「雪隠詰めでぶっ殺す」(Wiki)を髣髴とさせるゴリマッチョぶりだが、これはオデッサの親露市民へのメッセージだ。再び街路へ出ろ、とは言わないまでも、ロシアを「公正」「抑圧からの解放」「親露市民の復権」と連想づけるもの。
しかしながらプーチンは、ここでまたしてもミスを犯した。Одессаを「アヂェッサ」でなく「アデッサ」と発音するのは典型的な外来者の徴表である。オデッサ市民の心に訴えるならここはぜひともアヂェッサと言ってほしかった、九仞の功を一簣に欠いたねプーチン君。(→オデッサか「アヂェッサ」か~ロシア語の≪Е≫の発音~)
⑤危機の次元が「生活」から「政治」に移った感がある。こうなると辛いのは私より妻だ。妻は昨日から泣いている。несчастная Украина.
2月23日
にゃあ。
ダーチャに逃げてきた。
この間あったこと:5時過ぎ起きる。ニュース見る。「オデッサで同時多発的に爆発、ミサイルの目撃情報あり、未詳」それだけ。6時を待って義父に電話、車を頼む。7時に妻を起こす。荷物とりまとめ。追報なし。子供のためのあるものが不足していることに気づき最寄りのスーパーへ。美しい朝焼け。レジ長蛇の列。グレーチカ(ソバの実)はや払底、買い物カゴ覗くと水・生理用品など目立つ。外ではまた銀行ATMに長蛇の列。8時やっと義父来る。下り(街から郊外へ)方向渋滞。ごつい銃を携えた兵士たちが半身を乗り出している戦車の列。用事を済ませながらだいぶ遠回りしてダーチャに着いたのが11時。で今はウクライナ時間の12時です。ネットも電気もぜんぶある。
政治と生活。政治については一昨日の予想を上方修正、ロシアはドンバスをとるだけでなく現政権を転覆して事実上ウクライナそのものを掌握する気だ。それに抵抗する牙と爪を折るために全土の戦略拠点をピンポイント爆撃してきた。だが「生活」についてはある意味で想定の範囲内というか・・こうなったらこうすると予め考えたいた通りに粛々とお籠り(お子守り)生活を送るだけ。
このようなことをあえてしてきた時点で十分ロシアは悪魔であるが、しかし「そういう種類の悪魔ではない」。つまり、同じ悪魔でも、ウクライナの市街と無辜を無差別に破壊・殺傷するような種類の悪魔ではない。飽くまでロシアはロシア的正義の中でしか行動しない。その正義は理解可能である。共感は絶対に拒絶するが。
ロシアの陋劣さを思うと怒りで頭に血がのぼって過呼吸になる。だがそうならないように気をつけてさえいれば、むしろ今家族で(義父母を含め)一番精神的にだいじょうぶなのは私だ。そんなことはあり得ないと一笑に付していた皆さんと違って、こういうこともあり得るという不安の中に1か月暮らしたのだから。
おっ死んだらごめんね。皆さん。寝覚めの悪い思いをさせてしまって。一応遺言を言っとこう。私に退避を促すことにつき大使館職員の皆さんは最善を尽くしてくださった。それを聞き入れずにウクライナに残ったのだから、もうこれは完全にいわゆる自己責任です。自己責任。
2月24日
マイナス3度、うすく霜。
この日記ももう終わりにしようかと思っている。動く状況を内部から報告することにこの日記の価値のすべてがあったはずだが私はいわば状況の外に出てしまった。あとは政権転覆が一発いや三発くらい起きて起き終わるまで茶を飲み暮らすだけだ。この先特に面白い話ができるとは思わない。
ロシアが現政権を覆すことは確信している。西側って弱いねぇ、なんにもできないねぇ、というのが率直な感想です。
西側がかくも無力なら、ロシアを止められるのはロシアしかない。タフガイプーチンは正面から殴っても効かない。1億国民が背中から押して突き落とすしかない。だが……どうだろうな。テレビ見てる感じだと、いつもの言いくるめで、正義が成立しちゃう感じだな。
前から思ってるのだが、プーチンレジームの破壊のために「ロシア国民の世論を善導する」という方向の積極的インテリジェンスを西側はもっと開発できないものだろうか。そのフロントを張るのはナヴァーリヌィとかサプチャクみたいな鼻持ちならない同国人よりも、まして仇敵アメリコス人よりも、箸にも棒にもひっかからないのっぺり顔の日本人とかがふさわしい。ヒラのロシア人にとって日本は政治的にほぼ無色で(領土問題の存在にも関わらず)、ユニークな文化と技術によって尊敬を集める国である。そんな日本人が、手先・尖兵・刺客といった外観を極力クリーンアップして、実にツボを心得た情報発信をロシア語で行って、プロパガンダの虚偽を「それとなく」是正する。これまで日本のロシア専門家というと基本的にはロシア語で情報をとって日本語で日本人に発信をするのだが、誰か出てこないか、ロシア語でロシア人に情報発信して隠然とロシア世論を動かす凄腕「日本人」エージェント。私には荷が重いが、太郎(わが2歳半児)、君どうやってみない?
たとえば今の状況であれば、誰かもっとロシアの民衆に(ロシア人の琴線に触れるような語り方で)言ってやってくれ、何もないところに危機を作りだしたのは他ならぬロシアであること、「自国内で軍隊をどう動かそうが自由」「ウクライナに侵攻しないしその計画もない」という言説が完全なブラフであったこと、進行中の外交交渉を蹴って自分から先に武力を用いたのであること、侵攻の直接の引き金となった今次のドンバス緊張はロシア側が作りだしたものであること、ロシアの攻撃によってすでに無辜が死んでいること。きみたちの国がいま嘘の国・暴力の国・同胞殺戮の国に堕していること。
身近なところでは「犠牲と戦勝」というロシア国家の統合神話から「南クリル問題」を切り離す世論工作によって北方四島返還が近付くのではないかと愚考したこともありました→ロシアとウクライナについて思うこと「5 北方領土」
以上の素人考えはしかしバカの考え休むに似たりという言葉のお洋服が最も似合う人体であろう(?)実際こんなことはガチで日本にいても語れたことに過ぎない。田舎に引っ込んでしまった私にもう地の利・位置エネルギーはない。I mean、「ならでは語れぬ」ことなど今後たぶん持たない。黙ろうと思う。黙って歴史の推移を見守りたいと思う。
2月25日
気にしてくださる方がいるのでやはり細々とでも更新を続ける。(お名前挙げませんが、感謝いたします)
平穏無事。義父と果樹の剪定などしている。私たちは基本的に現在また将来にわたって大丈夫だ(とこの状況で確信できないのであればそもそも留まるべきではなかった)。だが色々耐え難いことはある。私の大切な人にとって大切な人(もの、場所)はまた私にとっても大切だからだ。
ロシア(もはやその名を記すだけで虫唾が走る)もこれほどのことをしたからには国際社会の一員であることから得られるあらゆる便益から見放されなければならない。手始めに(未聞のことだが)国連安保理からの追放。(こんな悪罵がせめての気散じ・放鬱になる)
オデッサの状況その他は主として露字ローカルニュースサイトTimerで追っている。25日のニュースをいくつか拾う。
①ウクライナ軍、敵の上陸を阻止するためオデッサのビーチに地雷を埋設(ニュースA、B)。なんということ。オデッサから海をとったらもう何も残らない。こんなことがあってしまっては、さしあたり今次の危機が去っても、もう子供とビーチになど降りられない。謎すぎる:敵の上陸というのはビーチから行われるものなんですか?てか、これが報道されている時点で作戦としてはもうダメじゃないですか?
②オデッサの隣町のチェルノモルスクで蛍光塗料で路面に目印をつけていた親露工作員が拘束される(ニュース)
③オデッサ州当局「破壊工作員は爆発物を仕込んだ携帯電話・おもちゃを街路にばら撒く可能性あり、絶対に拾わない・手を触れないよう子供たちに警告を」(ニュース)
④26日早朝オデッサ市内各所で対空射撃によるドローン撃墜があり大きな爆発音で市民の眠りが破られたとのこと(ニュース)
ゼレンスキーが露側に対話を呼びかけているが対話の成立は尚早と思う。ウそして米欧あらゆる対話の可能性を一方的に放棄して武力行使に踏み切った露が対話に応じるとしたら、それはウクライナにおける露の圧倒的な優勢が確立し、いまや自分に有利な新次元の交渉が可能になったというパースペクティヴが露に開けたときであろう。すなわちはキエフ掌握。その目処が立たない今プーが交渉に応じたとしたら、じゃなんでそもそも侵略なんか始めたのという話。
プーチンはロシア語でウクライナ軍に対し反旗を翻すことを呼びかけ(反吐が出る!)、ゼレンスキーはロシア語でロシア国民に対し反戦を呼びかけ(動画)。ゼレンスキーのロシア語を久しぶりに聞いた。КВН出身のゼレンスキーは勿論ロシア語を話す(どちらが第一言語かは知らない)。一瞬よぎった幻想・・この同じロシア語でゼレンスキーが、今度はウクライナ国民に向けて語る。ゼレンスキーの口からウクライナ現政権が、この8年間にわたるロシア語・ロシア文化弾圧の非を認め、寛容性の回復を宣言する。ウクライナの自浄。
だがその瞬間ゼはウク民族主義過激派に●されるのだ。これがウクライナの宿痾だ。
2月26日
村で静かに暮らしてる。
街については色々怖いニュースを見る。Timerから26日のニュースをいくつか。
①オデッサ中心部で自動小銃ほか火器による烈しき発砲、治安機関到着時すでに射手(複数)の姿なし、警察発表なし(ニュース)
②市中の道路標識が撤去される(ニュース)
③市当局、市内の14階建て以上の高層建築の夜間照明を切るよう要請。侵略軍の航空行動の道しるべとならないように(ニュース)
④ウクライナ内務省、スマホのGPSを切るよう国民に要請。モバイルトラフィックの多寡がまた敵の軍事行動の指針として利用されるかもしれないと。のち内務省はこのメッセージを削除(ニュース)
あとトピックは、ウと露の対話をむしろウ側が拒否したとかいう話。露はこれでまたひとつ正義を得た、停戦のチャンスがあったのにウ側がこれを蹴った、だから以後の人死には全部ウの責任・・というわけだ。だが今のミンスクなんてモスクワみたいなものだ、どうしてそんなところで和平交渉などできるか。しかしまぁ既成事実を積み重ねていく露のしたたかさよ。
夜焚火してたら隣家の人に注意された。灯火管制知らないのか、闇夜にこの火で敵軍は標的みーっけと爆弾落としてくるんぞ、自分からここに標的がありますよと教えてるようなものなんぞ、焚火したいなら昼やりや、迷惑なやっちゃでぇ。あっすんませんすんませんと火の始末して、灯火管制て何の話だと義父らに聞いたが、どうも上記③のニュースのことらしい。皆気が立っている。
投げ銭
OFUSE(おふせ)という投げ銭サービスに登録してみました。
何丘に「投げ銭」してみる100円投げ銭いただけますと90円が僕に入ります。ついでに50文字ほど(金額÷2=文字数)メッセージをお書きいただけます。
いただいたお金は僕が死んだら墓石代に、死なずに済んだら妻とのかねての夢、「奈良に古民家を借りて住む」の実現に充てたいと思います。(埼玉県民ですが古都への憧れやまず)
もし本ブログ・本記事が何ほどか有益な情報をお届けできているなら、応援の意味で投げ銭いただけると嬉しいです。
2月27日
街
報道によると27日、オデッサでは……
①州内某所(内陸部)でウクライナ治安機関が敵軍の先遣部隊を取り押さえた(ニュース)。オデッサ市そのものではこうした話はまだ聞かないが近隣諸都市・州内各所から間歇的に工作員暗躍の報。
②隣町のチェルノモルスクで銃撃戦(ニュース)。警官が一人死亡している。興味深いのは、はじめ当局は「ロシアの工作員によるもの」と発表したが、のち「工作員など市内には存在しない」と口中の雌黄を用いた。なんでもかんでもロシアのせいにしたいという力学と、状況はコントロール下にあると強調して市民のパニックを回避したいという動因。本当のところは分からないが、銃撃戦があり警官が一人死んだこと(そのようなことが起こるような状況であること)は事実。
③外国人部隊が創設される(ニュース)。外国人でも志願すればウクライナのために戦えるようになった。オデッサらへんで愛国心のない若者を強制徴用してもいざというときロシアに寝返るだけだと思うからある意味こっちの方が頼みになるかもしれない。
④27日、オデッサからリヴォフへ2本の「避難列車」が出た。運賃は無料だそうだ(ニュース)。
村
村は平穏です。
義父と果樹の剪定したり母屋の上階で卓球したり(妻に圧勝、義父と一勝一敗)チェスしたりペチカ焚いたりトランプしたりしてた。
一件ツイートした。1か月ぶりくらい。「わたしの戦争」へのピエール・ベズーホフ的覚醒じゃないが、自分が死なない確率を0.0001%でも高めるために何かできることがあるんじゃないかと思って。ターゲットはロシア国民でありロシア人の琴線に触れることだけを目指して自分なりに文言を工夫したものなので、G翻訳で日本語化して読んである種の「感想」をお寄せいただいても、すいませんがちょっと。
「#ロシアのウクライナ侵攻に抗議します」を無意味だなどとは絶対に言わないが、ロシア語ができる人、ロシアに何らかインフルエンスを持ち得る人・団体は、どうかその力を日本国内にでなく、ロシアに向けて用いてほしいと思う。
そんで晩方「投げ銭」ボックスを設置した。暗鬱の日々に少しでも喜びのタネがあるといいなと思って。なるほど暗鬱の日々は自業自得ではありますが、拙文に何ほどか学ぶものがあった・感じるところがあったという方は、100円玉でも投げてやってください。
(早速くださった方、本当にありがとうございます。メッセージ心に沁みました。)
2月28日
ルーシの地母神の沈黙がいぶかしい。と、15年前のただのロシア文学青年だった私ならおしゃれほざきしたであろうな。というのは実は照れ隠しで、私は半ば本気で、ルーシの聖堂という聖堂で同時に聖母マリアのイコンが涙を流す奇跡を待望しているのだ。
耐え難きもの3つ。①ルーシの地で兄弟が殺し合っていることそのもの。②この期に及んでロシアに心情的に加担しロシアを正当化する言説。③飛行音の幻聴。(思弁的→感覚的の順)
この箇所1988文字、削除しました(3/22)
情勢観
オデッサに対しては23日の侵攻初日に市・州内各所の軍事拠点へのミサイル攻撃が行われて以降は特段目立った軍事行動も見られない。25~27日付で紹介した地元メディアの報道に見られるような「工作員の暗躍」系インシデントがちらほらあるくらい。日本の皆さまも報道でキエフとかハリコフの名は耳タコでも、オデッサの名を聞くことは少ないのではと思う。
基本的には、ロシアが欲しいのは飽くまで東部とキエフなのだと思う。ハリコフもドンバスの隣接拠点として狙われている。単純に人口順でいけば「ウクライナ第二の都市ハリコフ」の次は第三の都市オデッサということになるが、あまりにオデッサ静かだなという気がしている。
オデッサが狙われる理由があるとしたら、やはり港であろう。であれば海からどれだけ離れているかという点が安全の尺度としては重要になる。村にいればまず大丈夫であろうと思えてくる。
だがプーチンが大量破壊兵器と絨毯爆撃に訴えてくるなら、こうしたすべてのケーサンはご破算だ。私は窓辺にたまたま立っていたことを悔やむことになる。誰かの言じゃないが、黄泉で。
さっき耐え難きもの③飛行音の幻聴と書いたのは、今日とか昨日みたいな風の強い日はペチカの排気筒が歌うのだが、それが爆撃機の飛行音に聞きなされてならんのだ。
報道
Timerの今朝(3/1)のニュースでは、悪天候のため数日は敵軍の黒海北岸上陸はないであろうとのことだ(ウクライナ軍部の観測、ニュース)。防衛側の海上戦力も整いつつあるという。
停戦交渉については、情報が断片的過ぎてなんかわけわからんので、沈黙。
(投げ銭くださった方、ありがとうございます。メッセージ三読しております。お返事少しお待ちください)
3月1日
3月に入った。ウクライナ語でберезень「白樺月」。白樺の樹液の流動が始まる月、つまり春のはじまりの月。現代的な感覚でも、ロシアらへんの人はわりと(情緒のないことに)かっきり月割りで季節というものを観念するので、3月1日は「春」の初日である。
だが春という語のあらゆる明るい連想を裏切って、終日気温0度付近、灰色の空、時折粉雪。この感じが一週間は続く予報だ。
これが精神に作用したのもあると思う。ひどい日だった。
近隣のダーチノエ村が白昼砲撃を受けた(ニュース)。爆発音は庭にいた妻の耳にも届いた。自分たちを落ち着かせるための根拠はこうだ:①わが村からは言うて距離がある、②標的となったのはダーチノエの軍関連施設である(記事ではガスパイプラインとなっているが。私たちはそこに軍関連施設があることを知っているし、在住の知人に電話して確かめもした)が、わが村にはそのようなものは一切存在しない。
だが、あまりに近すぎる。心理的には作用する。この一件を全体的な傾向というものの中に位置づけないではいられない。つまり、ロシアはダーチノエ村の標的を侵攻初日に(他のオデッサ市・州内各所の軍事拠点の破壊と同時に)攻撃することもできたのに、遅れて今になって攻撃してきたのは、すなわち攻撃目標を拡大しているということだ。比較的優先度が低かった標的にも手が回るようになっている。あるいは、誰が知る、ダーチノエのごとき寒村にそもそも軍関連施設というものが必要であったなら、その機能を今後わが村に移転してこないなどと。
子供が鼻風邪をひいた。病気と怪我。私たち家族の脆弱性。一応のおくすりは買い備えてあるが、もし誰かが重く患ったらどうする。いやでも街の大きい病院に行かざるを得ない。私たちの安全と安心の根拠は「街でない」ことである、その条件を破って。
私たちはもう長くないと思う。
基本的にはこの村は安全であると思う。昨2/28付け「情勢観」に別段の変更はない。だが、私には安全だけでは足りない。安心と幸福がなければ。はじめから自分のことは子供を守る壁もしくは布団くらいに考えている。自分の不安など本来どうでもいい、だがそれを子供に伝えないでいられる自信がない。私を支えてきたのは映画ライフ・イズ・ビューティフルのイメージと疾風に勁草を知るという言葉であった。だが今はもう、この不安と恐怖からの解放しか願われるものがない。皆さんと違って私には、日本に帰るという選択肢が現実的にあるのだから。(モルドヴァまでバスでわずか3時間、3/1の時点では国境の渋滞もかなり解消されてるとの報)
それでも私たちがここに留まる理由は。第一に、この不安と恐怖は一時的なものであるということ。安全なこの村で、ひとまず戦争の苛烈なフェーズをやり過ごせば、時節を合して春がくる。そうして実りの夏・秋を迎えれば、太郎は庭のイチゴやらマリーナ(ラズベリー)やら桃やらを採って食いして、虫取り網をふりまわして昆虫をつかまえて、白ちゃんの新しい子猫たちを迎えて、自由な、明るい毎日が送れる。第二に、この状況で義父母を置いて私たちだけ逃亡するのは、妻の不幸と不安をむしろ高める。義父母を外国へ引っ張り出すのはまこと容易なわざではない。私と妻の利害の背反。
だが再度、しかし、この冬を越えることの困難さ。今はこの状態だから大丈夫だが、この大丈夫の基礎を破壊する事態が出来したら。私たちの脆弱性……①子供がものすごく具合を悪くしたら街へ行かざるを得ない、知人たちの報告によると街では薬局も全然あいていない(品切れ)、②軍関連施設がわが村に移転してきたらどうする、③ロシア軍の作戦行動の拡大で民生施設にも攻撃が及び(今のキエフのテレビ電波塔のように)、わが村の鉄道駅のそばにある燃料タンクが爆破されたら、爆風でうちの窓も破れるかもしれない、④今この5人であれば食料は十分もつ計算だが、仮に街から義兄とその彼女、さらには義母の妹家族(4人)が避難してきたらどうするか。
そして、オデッサはもう海を失ったのだ。太郎の大好きな海浜に、このままオデッサに残って夏を迎えても、私たちはもう出ることはない。(敵上陸を阻むためと称してビーチに地雷を埋設、2/25の項参照)
というような話を、全部皆さまに話した。昼飯の食卓で。皮切りはつとめて明るく(だが私の「つとめて明るく」はまず成功しない)、では皆さん、日本へ飛びましょうか。お金も少しは残してきてますので、2週間か3週間くらい、これから桜の季節ですし、ぱーっと旅行しましょう。どうせ私たちの人生は奇妙な冒険と化してるのですから、同じことなら「明るい」奇妙な冒険にしましょうよ。第一、遅かれ早かれ皆さんは、日本を訪れる運命にあるのですよ。あなたの娘は日本人に嫁いだのですから、一度オデッサに集まった4人のじじばばは、今度は日本で必ず集まらなければならないんですから・・。
義父母を動かす説得はもちろん成功しなかった。だが私と妻と子供の3人の早期脱出の意思は明確にした。だがこれは現時点で私の意思であって、夫婦共通の意思ではない。妻は私の宣言を聞いた時点でもう不幸になった(私はあえて妻に先に相談せず両親のいる場で一挙に持ちかけた)。今の時点で妻は全然乗り気でない。私が一時の恐慌にかられて血迷ったことを口にしていると思っている。実際そうなのかもしれない。寝れていないので練れていない。
これ以上何を考えられるだろうか。
村は自警団を組織した。こういう社会状況なので気が変になる奴とか暴徒化する奴とか出るかもしれないので、村の男衆が5人組・交代制で昼はひねもす夜もすがら村を巡回することにしたのだそうだ。
本記事のURL「five-days-in-january」は岡田利規「三月の5日間」をもじったものだった。その3月に入った。この5日の間に私らがウクライナを脱出する確率、Q%。
あと何が言えるだろう。
(投げ銭、温かいメッセージ、ありがとうございます。お返事すみません、どうかいましばらくお待ちを・・)
3月2日
これ書いてる今はもう3日の15時半、日本時間で22時半だ。
この間何があったか。ごく簡単に報告だけいたす。2日は朝から晩まで難儀な交渉というかなんというか、現実感を異にする人間を3人も同時に相手どって自分の主張を押し通すというのは容易なわざではない、妥協に妥協を重ねたが、とにかく出国ということで妥結した。6-10日でキシニョフに宿も押さえた。つまり、6日オデッサを発って、その日のうちに隣国モルドヴァに入る、ほんで首都キシニョフに落ち延びる、そこで情勢を観つつ(宿とったのは10日までだが漸次延泊していく)、そうさな2週間くらいは様子を見てこれはもう確実に安全であろうとなったらオデッサに戻る、そうならなかったら日本へ帰ると。おおよそそういうことで。
何しろ義父からは怒りを買い義母には呆れられ妻にはしこたま涙を流させ、私自身もぼろぼろだったが、ついには6日出国という堅い予定を作った。妻の頭の中では「安全確認後オデッサ戻る」がAプランだが正直私はもうその流れで日本に帰ってしまいたい、ああ、本当に帰るのかも知れない、ついに、ついに日本に帰るのか、2年半ぶりの日本、このかん父になり戦争がありました(茶色い戦争)、空港の職員に「おかえりなさい」と言われたら絶対に泣く、などと甘い夢を一瞬描いた。
そんでこれ書いている今日3日は、義父の車で朝から街に出かけた。侵攻開始以来一週間ぶりのオデッサ(※私たちの今住んでいるダーチャはオデッサ州内ではあるがオデッサ市外にあります。オデッサというときは通例オデッサ「市」を指します)。詳しくは3月3日の項に委ねるが、要点だけ記すと、何しろ街は異様な雰囲気であった。軍人だらけ・検問だらけで、往復で都合10回ほど車を止められ、身分証の提示を求められた。遠征の主たる目的①オデッサ→モルドヴァの道路そして国境の混雑具合についての情報収集(ネット・電話で埒があかない分の)。その上で結論:現時点で幼い子供を連れての越境は非現実的。昨日予約したキシニョフの宿はキャンセル。出国の計画は白紙。
遠征の主たる目的②一週間前まで住んでいた海辺のアパートを空虚化する。モノを一切合切車に詰め込んで部屋の状態を初期化した。鍵の返却は後日何らかの形で。つまり、私たちは街での生活を畳んだ。いずれにしろもう戻らない。
という具合に一日半過ごしました。(昼寝します)
3月3日
子供にとって今いる家は生まれの家だ。馴染みのおもちゃ、馴染みの猫、わが庭、わが二階、わが離れ、そしてパパとママとじぃじとばぁば。戦争が始まる前と同じものを食べ、同じものを着、生活はなんら変わらない、ただパパとかママが変なvibeを放って寄越すことが増えました、てか大抵いつも放ってけつかります、あとパパとじぃじが気づくとよく怖い顔で難しい話をしています。
子供はまだ知らないが彼は大好きな海をすでに失った。あのビーチに降りることはもうない。ロープウェイ、アカシアの森、かささぎ、りんごの木の下にいつもいるベージュの猫、おともだちのソフィア、海は広いなの歌。それから、「まち」「だんち」「だーちゃ」3つあるおうちのうち、街のおうちをもう失った。サーキットのおもちゃも車に載らなかったから置いてきてしまった。トトロと名付けた猫いま何処。
子供はこの上大好きなおもちゃたち・ぬいぐるみたちと訣れて、生まれの家を離れて、じぃじとばぁばとも別れ別れに、長時間の移動、検問と国境で狭い車内でただ座っていなければならない何時間(十何時間)、人たちの怒号、乱脈、それを鎮撫するための時折の発砲、そこからさらに移動また移動、知らない街、多すぎる新しさ、違う家・違う道・違う食事、求めてもいまや得られないあの本・あのおもちゃ・人。このすべてのストレスに耐えねばならないか。
(そうならない前に出ろ、と言われていたではないか。出たくても出られないということになる、出られる今のうちに出ておけ、と「私たちは言っていたのに。バカめ。自業自得だ」)
翻って今のこのダーチャでの生活は、直接的には、なるほど戦争の影が薄い、ほぼないといっていい、私たちが心を強くさえ持てば、太郎の無垢は守られる、安泰の地盤を蹴って、などてせでもの不透明性への跳躍を、明らかに予見される困難への陥入を? との義父母・妻の論拠、もちろんわかる、もちろんだ。
だが私と皆さまで異なるのはそのダーチャの安全を静態(固定的なもの)として見るか動態(流動的なもの)として見るかだ。なるほどこの村には現状(近隣の・砲撃された)ダーチノエ村と異なり軍関連施設は存在しない、だが存在しはじめたらどうする。なるほどこの村はオデッサから十分離れている、だがそれゆえにもし子供が村の診療所で手に負えないような病気をしたらどうする。敵の狙いはどうもやはり北部と東部であってオデッサは二の次であるようだ? だがロシアとて初発の意図・所期の目標をただ機械的に遂行するのでなく日々刻々戦況を分析し新たに作戦を立て実行していくのだ、昨日の二丁目二番地が今日一丁目一番地に捉え直されない保証などどこにもない。また新たな懸念としては、もしウクライナで「第二のチェルノブィリ」が起きたらどうする。
これらは根拠のない懸念であろうか。でもげんに皆さまは戦争を予見できなかったのだし、戦争が始まってからというもの、状況はこれ悪化の一途をたどっているではないか、「待てばそのうち落ち着く」でなく、「待てば待つだけ悪くなる」のが今後もつづく傾向と見るほうがむしろ自然ではないか。皆さんはヘルソンがとられた百の理由を見いだせる。ハリコフがやられた千の理由を見いだせる。だがオデッサに関してだけは、それが金甌無欠のままでいられることのほうに百の理由を探してしまうのだ、それは何故か。わかりきった話だ、願望がバイアスをかけているのだ。
というような話を今日も今日とて義父母らにするわけだ。……
遠征
義父の車で街に出かけた。道はあちこち敵軍戦車の進行を阻むコンクリート塊とか「Ж」の字を立体化したような鉄塊(じっさい軍事ジャーゴンでёжハリネズミとか呼ばれてそう)が置かれてジグザグ走行で避けて行かなければならない。幹線道路はガラ空きだが、オデッサ市への入境の際に検問、ここに長蛇の列、武装した軍人たちが一台一台車をとめて身分証の確認、トランクの確認、どこから来てどこへ行くのか、何しに行くのか、お前(私)は何人だ。<おまえは何者か、どこから来てどこへ行くのか、何をしに行くのか>。べつだん高圧的ではない、丁寧な感じ、ちなみに都合10回このようなやり取りを繰り返したが全員ロシア語でした。
みちみち、また街中でも、Русский корабль, иди нахуй(失せろロシア船)とでかでか書かれたビルボードが目立ちました。放送禁止用語の公然使用が許される戦時。
街中は閑散、車少なし、ただあちこちに交通規制で大分回り道。人通りはそれなりにある。銀行・商店・薬局は閉めてるとこもあればやってるとこもあり。義母の煙草を頼まれてたが大きいスーパーは品切れ、むしろ小さい商店で豊富にあった。ガソリンスタンドは、これも開いてたり閉まってたり、開いてても満タン給油できない(一度の給油は20Lに制限されてるとか。でもそのへんはユルい感じ)。ただし行列はなし、スッと入れてスッと給油できた。
遠征の主たる目的①出国に関する情報収集。市内に二つあるバスターミナルはいずれも閉鎖されていた。一切発着していないという(それだけのことも現地に来ないと分からなかった、何しろ情報がない、ウェブサイトにも何ら案内なし、電話も通じない、知人たちの言や他人たちの報告はしばしば矛盾)。タクシーの運ちゃんたちに聞いてみた。何人か、ああモルドヴァ国境まで人を運んだよという人がいた。何しろ国境まで何キロとも分からない車列の一番ケツまでくっつけて、そこで客をおろして自分は帰るのだそうだ、客はそこから何キロとも知れない道をただ歩く、「こちら2歳半の子供いるんですけどね」というと「1歳だろうと知ったことかい」。先日書いたが今ウクライナ南部は天気が悪い、終日気温は0度前後、雪や雨も降っている、そんな中をいつ果てるとも知れない道をただ歩くか。それで料金はいかほどかと聞くと「1万グリヴニャ」(≒4万円)とのこと(こちらとしては大変強気な価格設定)。また、鉄道駅のところにバスが三台停まってたので確認してみると、Embassy of Israelと張り紙、何しろユダヤ人の方々のモルドヴァへの避難バスであった。満席の様子。運ちゃんに聞くも、一般向けのバスが走ってるかどうかは知らないとのこと。
遠征の主たる目的②アパートからの物の撤去。残していた食料、衣料、おもちゃ、その他細々したものをぼっさぼっさ袋に詰め込んで車に放り込む。ちなみにこちらの賃貸は基本的に家具家電付きなので、そんなに大きいものはない。それでも車はパンパンになった。鍵は義兄に託した。かくして「オデッサの街中に住むとこ探す。」の記事で紹介していた海辺の家とは別れることになりました。
なにしろ街は村よりは「いつ攻撃されてもおかしくない」度が格段に高いと思っているのでハラハラしてならない。いるだけでどんどん体力が消耗していく感じだ。遠征を通じて、軍人や軍用車、戦車、大砲などいっぱい見た。トーチカというのかな、土嚢を積み上げた、謎の構造物もちらほら。写真は一切撮っていない。よろず銃を構えた人の前で何か目立つこと・急激な動きをとることを慎んだ。自分が異国の外貌を提げてただ歩いていることだけでも不安を感じた(中国人に対する暴力行為の噂を聞く。ロシアに親和的な中国に対するアンチパシーが高まっている由)。
生活
遠征から帰って遅めの昼飯くってブログ更新して仮眠すると大分気が楽になっていた。ワインを入れて(あ、オデッサでは昨日くらいからいわゆるсухой закон/dry law/禁酒条例が施行されていてアルコール類の販売が停止しています)、太郎と本読んで、街から引き上げてきたギターでがちゃがちゃBeatles全曲メドレーして、妻と作戦会議して、今一番気がまぎれるのが義父とのチェス、これに勝って。あとは太郎に強いていっぱいいっぱいの笑顔を。
この先
基本的に、基本的にだが、早期出国の意向を妻とは共有できている。だが今は時ではないということだ。道のりにかかる時間・モルドヴァ入境にかかる時間が私たちの許容範囲に収まったことについて確度の高い情報が得られ、また、せめてもう少しこの土地の3月らしい当たり前にもう少しだけ暖かい気候になってくれれば、オデッサ攻撃など待たずに(むしろそれがない、一番凪のタイミングで)即出る。あとは義父母を説得できるかだ。やはり義父の車でいつもの音楽を聞きながら、最低限の荷物、しかし少しはおもちゃも積んで、じじばばとパパママとみんなで出る、それが一番太郎にとってやさしい。環境変化の衝撃が少ない。
それまで私たちが不時の事象で死なないこと、これはもう賭けになってしまう。全くの運否天賦。(チェスでよくある自問……自分はどこで間違えた?どうしてこんな状況になってしまった? おそらくはそもそもの初めから間違い続けて、今も間違えているのだ。だが悔やんでる時間はない、今から考えられるだけのことを考えて、できるだけのことをするしかない)
3月4日
この長い長い手記が一両日のうち完結を見るとしたら喜んでくれ。
義父と膝突き合わせて談じ、ヴィジョンを擦り合わせた。こちらの懸念のすべて・早期出国の強い意向を改めて伝え、ともに出国をと迫ったが容れられず、だが車で国境まで送ってはくれるとの約束。あとはタイミング。最低限の条件は、国境通過の待ち時間(及びその前後)が子供にとってさまでに過酷でないことについて確度の高い情報が得られること。情報収集のために、ひとまず6日に2人で車で国境の方へ出かけて「偵察」してくることが決まった。一番近いモルドヴァ国境通過ポイントまで村からわずか1時間の道のりだ(平時ならば)。検問だの渋滞だので倍の時間がかかっても、それでも国境通過を待つ車列のケツにつけて1時間ほど並んでみて列の消化速度を体感してUターンするのであればきっちり外出可能時間内(6~19時)に帰ってこれるはずだ。
という話が一日の早い時間帯にまとまって、かなり気がラクになった。ところへ、先からフォローしていたモルドヴァ政府の特設テレグラムアカウントに、まさに求めていた「国境通過の待ち時間についての確度の高い情報」が。いわく、私たちがそこからの入境を考えている国境通過ポイントの4日現在の車列は3㎞。車列1㎞の国境通過に要する時間は8時間だそうだ。
これをどうとったらいいか。3㎞くらいならもちろん歩ける。義父に車列の最後尾まで送ってもらって、そこから3㎞の道のりを1時間か1時間半かけてやっとこやっとこベビーカーを押していけばもう国境だ。だが、車列1㎞の消化に8時間かかるというのは? 車ごと入境なら24時間待ちだが徒歩越境の列は別枠で、そちらは消化速度が全然速かったりするのだろうか。その点の情報が得られさえすれば、つまり、「徒歩越境の待ち時間が子供にとってさまでに過酷でないことに関する確度高い情報」が得られさえすれば、私たちはもう明日にも踏み切れる。
というわけで情報収集にいそしんでおります。
生活
村ではじめて空襲警報を聞いた。16時15分から15分ほど続いた。窓から離れて太郎と遊んでいた。母屋には地下室もあるのだがそこまでは逃げなかった。ワレリアンカの錠剤とあったかはちみつミルクと赤ワインを同時に飲んでそのプラセボ効果によって平静を保った(メチャクチャ)。
あとで知ったがオデッサ市・州全域に警報が出ていた由で少し安心する。わが村だけの話であったら怖かった。
実はこれを書いている5日早朝も警報が鳴った。5時過ぎから20分ほど。私は例によって3時半とかに起きてしまってキッチン(珈琲)ドリンカーしてたので戦慄したが知らずに寝ている皆さまを揺り起こすことはしなかった。黒海北岸を代表するリゾート地であるザトーカが攻撃された(ニュース)、その関連でやはり市・州全域に警報が出たらしいです。安堵。(安心・安堵の水準が狂っている)
このザトーカについてはロシア軍が上陸を狙っているという報道が朝あり、悪天候のため上陸を諦めたようだという報道が夜あった(参謀本部、ニュースA、B)
あとこんなニュースあった。ウクライナでコカ・コーラ社製品不買運動の動き(ニュース)。同社がロシアでの販売を停止していないことがその理由という。侵略者どもをスカッと爽快な喉ごしで愉しませている悪徳企業にウクライナでまで金儲けする資格なし。「何かできること」をお探しの皆さま、ロシアをボイコットしない国際企業の製品のボイコットに参加してはどうですか。
全体的な情勢については私はもうすげー悲観的になってしまった。全部意味がない。次で3度目ですか、停戦交渉だが、全然期待していない。ロシアは米国との外相会談の前夜、米国との首脳会談さえ計画されている中で、またゼレンスキーはつとにプーチンに首脳会談を訴えていたのに、それでも侵攻してきた。そのロシアに何を期待できる。「ミサイルが飛んでる中での交渉など不可能だ」というゼレンスキーの言は至極もっとも。あと、私のある種のロシア性善説、大量破壊殺傷兵器の使用とか無差別絨毯爆撃とかそこまでのことはしない、「そういう種類の悪魔ではない」というテーゼも、撤回する。あと、ロシアの民衆がきっと止めてくれるさ私はロシアの民の叡智を信じる、というパセティックなパッセージも、今では恥じています。プーチン政権は異論の圧殺に本気を出してきた、これでは無理だろう。ロシアがロシアを止めてくれることへの期待感を失った。
制裁ねえ、支援ねえ。まのあたり行われている軍・武・戦の迫力に対して蚊の羽ばたきほどに非力で無意味で甲斐なきものに聞こえる。
とにかくもう何も感じず考えなくてもいいところへ逃げたい。という心境です。今日も天気が悪い(ただいま5日朝9時)
心の傷は一生残ると思うけど私たち幸せになろうねえ、日本に行ったら私がんばるよ、私たち幸せになれるって信じてるよ、と妻。
3月5日
埼玉県が帝都軍の侵攻にあっている。被害は浦和・大宮あたりに集中しており私たちは秩父郡小鹿野町にいて大概大丈夫だろうと思っているが近隣の横瀬とか長瀞にもちょいちょいミサイルが落ちてるのでうかうかしていられない、お百姓の皆さんの慰留を振り切って熊谷経由群馬に逃れようと計画中。だが熊谷=太田県境の現在の様子についてあまりに情報が乏しい。噂では、越境24時間待ちの長蛇の列だとか、苛立ち興奮した市民の怒号が飛び交うちょっとした地獄であるとか聞いて、そんなわけわからん場所に幼子と赴くよりは、今ここにある泰平にしがみつきたい気がしている。
(なお、帝都軍の狙いは、近年帝都を嫌って「北関東・東北大連合」への加盟を志向している埼玉政府の首をすげ替え、改めて帝都寄りの政権を樹立することだという。なぜなら「歴史的に帝都と埼玉は一体のもの」であり、「帝都市民と埼玉県民は(やや下に見てはいるけれども)兄弟」だからだ)
鼻血
毎晩毎晩ペチカをかんかん焚きながら、思えば私たちは部屋の乾燥ということに無頓着であった。子供が朝から鼻血を出した。いやがる子供に綿を(豆知識。綿はロシア語でワタといいます)、その鼻の穴にね、ねじこみ、仰向かせて落ち着かせて、しかし止まったなと思っても油断するとすぐ自ら鼻をくじって凝塊のフタを外し流血再開さしてしまう、たりたり血が流れてくるのも鼻のまわりがカピカピなのも本人にとって不快なはずなのだが私たちのオペレーションがそれら不快を除去するものであることを理解せず、その上新たに苦しみを……鼻腔に異物を突っ込んだり冷たい濡れティッシュを当てたり……付加するものととって泣く、激しく抵抗する。
私たちは平らかな場所でもこのようにつまずく。まして私たちが今挑もうとしているのは悪路も悪路である。
計画
モルドヴァ国境警備より新たな報。私たちがそこからのモルドヴァ入境を目指しているところの国境通過ポイントにおける5日昼時点の混雑は、「車列3㎞」「徒歩越境順番待ち200人」。希望が持てそうな数字だ。2000人と言われるよりはよっぽど。200人の入境手続き(非常時のため非常に簡素化されている由)にどのくらいかかるか? 4日の情報では車列1㎞の処理に8時がかかるとのことだった。計算では平均的な車長と車間を込みでほぼ静止した1㎞の車列には車200台くらいが収まることになるが、車そのものの入境手続きや順番送りのタイムロス、車1台に平均3人くらい乗ってるだろうことを考えると、列の消化速度は徒歩越境者の方が段違いに速いように思う。皮算用だが。
というわけで、きたるXデー、私たちの行動計画は次のようなものだ。外出禁止時間があける朝の6時に義父の車・義父の運転で出発する。平時なら1時間の道のり、まぁ(知らんが)2時間半くらいかかって、某国境通過ポイントの車列の最後尾につける。そこで私と妻と太郎は下車、トランク1つとベビーカーを押して3㎞の道のりを歩き、徒歩越境者の列に加わる。うむ・・? いまひとつ思ったことがあるがまぁいいや、で、数時間を待ち暮らして、モルドヴァ入境。ここまでが第一段階。(あ、義父はUターンしていきました)
第二段階はモルドヴァ編。国境通過ポイントからモルドヴァ首都キシニョフ(キシナウ)まで辿り着かなければならない。モルドヴァ側は難民支援をすごいがんばってくれていて、大量のボランティアが動員され、国境から首都までの無料輸送サービスも組織されている由だが、その運行頻度について情報なし。なお、平時なら国境から首都まで車で2時間の道のり(モルドヴァは小さい国です)。ここまで全ての移動が、Xデー同日のうちに行われねばならない。
その夜はキシニョフの宿で休む。だが、この宿というのがまたくせ者で、私たちは例によってBooking.comで宿を押さえておく考えなのだが、避難民たちのテレグラム(というこっちの方でよく使われてるSNSがあります)グループ見てると「Booking.comで押さえていたのに行ってみたら部屋がなかった」「予約時と全然違う金額を現地でふっかけられた」との声また声。最悪体育館みたいなところで雑魚寝(100ハイ以来の!)はさせてくれるらしいのだが、子供のためには大枚はたいてもせめてこの夜は穏やかな環境で寝かしてやりたい。この夜だけは。
Phase 3、ルーマニア編。モルドヴァは現在全旅客機の発着を停止しているので日本に帰るためにはいずれかの隣国に鉄路で移動しなければならない。あと、モルドヴァは何しろウクライナ人で溢れかえっていて宿もパンパン、「体育館雑魚寝」と「高級ホテルのスイート」に中間がない感じなので、早いとこ第三国に移ってしまった方がいい。「Xデー」の翌日ないし翌々日、ルーマニアへ発つ。おそらくはヤシで1泊、そこからさらに首都ブカレストへ。
ブカレストの日本大使館で妻のビザと、子供の旅券を手に入れる。あとは値段と日時の観点から合理的な飛行機を選んで、PCR検査受けて、乗る。
大事なことを言い忘れていた。いま考えているのは日本への帰国です。先日「キシニョフで2週間ほど待避して情勢が落ち着いたらオデッサに戻る」がプランAという話をしたが、その線は捨てた。今はほぼ日本への帰国一択で考えています。
Xデーは基本的に明日7日である。今日(今これ書いてる今日)たまたま妻の知人が私たちとほぼ同じルートで、同じポイントから徒歩越境する。その報告を待つ。その内容がよければ、モルドヴァ国境警備の情報とあわせて、それで「越境が子供にとってさまでに過酷でないことの確度高い情報」がそろったものとみなす。その他の不確定性はもう目をつぶって跳ぶ。
小さな修羅
この箇所182文字、削除しました(3/22)
3月6日
マースレニツァの最終日「こんな私を赦してね、の日曜日」であったので、ブリヌィを食べて謝りあった。お義父さんお義母さん、こんな私を赦してください。愛しています。感謝しています。
「Xデー」を一日延期した。これを死ぬほど後悔することになるだろうか。当初予定の7日出発だとキシニョフの宿が確証的に押さえられなかったので一日ずらした。「確証的に押さえる」とはどういうことかというと、先にも書いたが今隣国モルドヴァはウクライナからの避難民で溢れ返っており宿泊施設が払底・また混乱していて、押さえていたはずの部屋が行ってみたら空いてなかったとか、一度成約したのに宿側の都合で(先客が継続滞在を希望した、等)後から断られるなどのケースが多発している由なので、Booking.comにて①前払いが完了している②宿と直接電話で話して予約が成立している旨確言を得る、の2条件を満たしていないと予約が成立しているとは見なさないことにした。それでいうと、7日はダメであった。8日はイケた。なので8日出発とした。
あわせてキシニョフからヤシ(ブルガリア)の鉄道便も押さえ、さらにヤシの宿も押さえた。飛行機を押さえるのは無事モルドヴァ入りが成ってからとするが、およそ18日ブカレスト発ポーランド経由東京ゆきの便に目星をつけている。計画のあらましを関係3カ国(ウクライナ、モルドヴァ、ルーマニア)の日本大使館にも伝えた。きわめて堅い予定。大分クリアになったヴィジョン。これで「旅行を楽しむ」テンションにもってける……か?
国境の通過待ちの様相については極めて楽観的な報せが入った。6日、日を同じくして知人2組が私たちと同一ルートでモルドヴァに入境したが、1組は朝6時にオデッサ市内を出発、ギリまで車で寄せて徒歩越境、12時には向こう側へ渡った。1組は悠長なことに9時オデッサ出発で14時半ごろの報告では「あと車18台で私たちの番」とのことだった。私は思った:「今日出てしまえばよかった!これが今後どうなるか……?」
私が今何より恐れているのは今日とかに黒海北岸へ本格的な攻撃があって、避難民のモルドヴァ国境への流量が爆増する事態である。そうなった場合には阿鼻叫喚のちまたと化した国境へ赴くよりも、オデッサやニコラエフへの侵攻によってただちに類焼するわけではないわが村にとどまることのほうが、消去法でいって好ましい。脱出計画は再度白紙、ということになる。そうなったらそれこそ、次出られるチャンスはいつになるかわからない。
けさ既に不穏なニュースはある。ニコラエフが砲撃を受け電気・水・通信が寸断(7日朝5時のニュース)。何もこういう直接的な攻撃には限らない、たとえばゼレンスキーが昨日の演説で「ロシアがオデッサ攻撃を企てている」可能性を強調(ニュース)、これなどはロシアの悪魔性を強調するレトリックという側面が強そうだしTimerの伝え方も扇情的に過ぎると思うが、大事なのはこういう報道が現になされたこと、これが読者にどういう行動を促すかということである。こうした全てがモルドヴァ国境へのいわゆる人流を増大させる。おそらくは、今日よりは昨日の方がよかった、明日よりはまだ今日の方がよい。「9時に出たのに車18台待ち」の6日が国境混雑の「底」であった、ということが後から(明日私たち自身の体験として)分かるのではないか。
といった気がかりで今日も四十夜めの不眠であったわけだが、どうせ今日一日は動かないのだから、もらいもんの一日を、大切に生きたい。
присесть перед дорогой (на дорожку) とか言って、ロシアらへんの人は、お出かけの前にあえて皆でテーブルを囲んでちょっと腰かけてお茶をすするなどして気を落ち着かせるということをする。今日(すみません、3月6日の項で書いてますが、本日7日のことを指しています)はそういう日になる。荷物はもう6割かたまとめてあるが、落ち着いて、パックして、うん、なにしろ落ち着く。落ち着け俺。
私たちが落ち着いていて、これからの長い移動と環境変化についてなるべくクリアにイメージできていて、これを「旅」であると、これは「旅」なのであると自ら思い込むことができるようにならねばならない。子供にはまさにそういうふうに教えるのだから。太郎、ぷに郎、これはねニズナイカがしている楽しい「旅行」だよ、はじめて乗る乗り物に乗って、知らない新しい街を訪ねて、ついには飛行機に乗るんだよ、やったぜぇえ!!そんでいつもスカイプで話してる日本のじじばばに会うんだよ、ねこちゃんたちに会うんだよ、よかったなぁこどもぉ!ボーロも食べれるよ!
今日は、このもらいもんの一日で、義父母への感情を、ただひたすらの感謝によってすっかり塗り替えてしまいたい。
そうして、私たちが実に多くの時日を過ごしたこのダーチャの隅々を愛惜したい。猫の白ちゃんに別れを。飼ってるわけではない、出入りの野良に過ぎない、だが、愛着のある、古なじみのやつである。16年夏この村で私たちが内輪の「結婚式」を挙げたときにほんの子猫であった。野生の命は失われやすい。この2年半だけでも実に多くの命を見送った。そんななかで6年も相見ていられたのは奇跡であった。たぶんもう会えぬ。
名前をКозява(カズャーヴァ)という。くそ虫、はなくそ、みたいな意味だ。あんまりな名前だが、強く生きてほしいと願ってあえて悪名を付したものと解している(義父は自認しないが)。太郎とよく遊んでくれた。皆さま、こんな猫がいました。います。
3月7日
人生最後の5分間を3分割して2分を友人との別れに2分を自己省察に最終1分をただ世界を見渡すことに充てる、みたいな一日にしたかったが(ドストエフスキー)、そんな芸当が成立するためには少なくともその5分の間は殺されないという保証が必要だ。本日わが村は4度空襲警報が鳴った。心が壊れる。生活は無理だ。自分の心を落ち着ける一日、そんなものが持てるくらいなら、そもそも出国などしないでもよかった。
こんな小さいやつを連れて不確実・不透明な遥かの道のりを旅する。自分たちはなんと大それたことをしようとしているのか。
今の時点(7日21時)で大してひどいニュースは入っていない。これが「大してひどいニュース」ではないとすればだが↓
情況に目立った増悪はない、ということは、めざす国境への車馬の流量は「激増」はしていないと見る。決行だ。明日行く。あらゆる不確定性:車列の長さは、越境の待ち時間は、越境した先にちゃんとキシニョフまでの移動手段はあるのか、その道の混雑は、太郎の辛抱は持つか、宿は本当にちゃんと取れているのか、すみませんが混み合ってますので相席よろしいでしょうかつって他人たちと同室ということになったりしないか。
これ書いてる今はしかし一種の躁状態になっていて、子供を連れての10日間の旅、実は全然大丈夫かも、もしかしたらむしろ超楽しいかも、など思ったりもする。ルーマニアは私も妻も未訪の地。ああ、今の抑鬱の反動で、マジでむちゃくちゃ楽しんでしまうかも。
ヤフー知恵袋
こんなもの普段見てると思わないでほしいが、
↑今ヤフー知恵袋で一番読まれてるらしいやつ。あわせてよく読まれてるらしいやつ↓
このような国に帰っていくのだなあ、と感慨が深い。後者について:この水準だとさしずめ私の文章などは一文も読めないだろうと思う。こんな黒帯の悪文に長期間付き合ってくださっている方の奇特さに改めて思いを致す。
小括
首尾よく国境突破できれば、この長い手記は明日8日付の記述をもって終わる。
この期間を通じて強く感じたこととして、いま頭にあるのは、人間てほんとうに孤独だな、ということだ。
心配だというから密にスカイプつないで日本の両親に状況を説明していたが、彼らはついに私の不安と恐怖と苦悩を理解しなかったと思う。Y(義父)やM(義兄)の言うことをよく聞いて行動しなさい、とばかり繰り返していた。状況に対する主体的な行動者・苦悩者としてはついに見てくれなかった。
その義父や義兄やの輪の中で私の世界観・現実感はずーっと異質で孤独であった。今もそうだ。
妻。おとといくらいか、「私たちは思ったよりも違う世界に生きているね」と闇夜に言い渡した。「私の世界では、今ロシアがやっていることは最低の下の下のことだよ」。互いの政治的立場などつとに知っていたし別にその種の話題をこれまでタブーにもしてこなかった。でも、この相違は決定的なことだ、これほど基本的なことで一致できないというのは深刻なことだ、と思って、深いため息が出た。
それを期待しなかった場所に優しさを見いだして喜んで、それがあると思ったところに優しさとは反対のものを見いだして落胆して、イシューごとにいろんな人間と限定的に連帯して、転戦して転戦して、そんで死ぬ。「独りで生まれて独りで死ぬ」という言葉の意味が少し分かった気がした。次に思うのは、ではわが太郎、彼も生きてゆくゆくはそれを知らなければならないか、ということだ。
さあ、明日だ。
3月8日(完)
皆さまお気遣い・ご声援ありがとうございます。ご心配をおかけしました。8日付けで無事ウクライナを出国、隣国のモルドヴァに逃れ、これ書いてる今はキシニョフのホテルです。妻と子、すぅすぅ寝息を立てています。
出国はきわめてスムーズであった。外出禁止時間があける朝6時きっかりに出発、平時なら1時間の道のりを、ほぼ1時間で走破、一度も検問に引っ掛からずに(!)国境通過ポイントに到着。そこにはさすがに多くの車、だがほとんどは徒歩越境者の送り届けの車のようで、車列自体はせいぜい20台ほどか、徒歩越境者の列もそうさな20人待ちくらいか。ウクライナ国籍者であれば空港のパスポートコントロールの感じで首実検してぱっぱ通す、子供は出生証明書あればOK。私は外国人なので別枠で少し待たされたが、それでも8時前には私ら親子3人もう「向こう側」にいた。
振り返ると列はもう膨れ上がっていた。やはり外出禁止時間(19時~6時)というものあがあり、すなわち6時の声を聞く前の出発・19時を過ぎてなお移動中であることが許されていないという中で、19時にいったんそれ以上は増えなくなるその日の分の越境者が翌日6時までにさばき切れるくらいに僅少化・かつ処理速度が上がっていたために、あとは6時用意ドーンの勝負で、私らの居処が国境ポイントまでわずか1時間という距離のアドバンテージを有していたことが幸いしたのだろう。
やってみればどうということはなかった。もっと早くイケたのではないかとすら思った。でも生き直してみればやはりこれ以外にはタイミングがなかったことが確かめられるだろうと思う。
そこからも幸運が続いた。親切なボランティアの方が私らを含む3組合計8人をワゴン車に乗せて無償でキシニョフまで送ってくれた。Googleマップによれば平時で2時間の道のりを、まさに2時間でキシニョフ。国境で捨てていかねばならないだろうと思っていたベビーカーも積み込んでくれて、しかもホテルの真ん前まで私たちを送り届けてくれた。せめてガソリン代だけでもと20ドルを申し出たが拒まれ・・なんという奇特な方。別に組織に所属しているわけでもなく個人の善意でやっている由。同じことが自分にできるか?
心配していたホテルもちゃんと取れていた。フロントのおばちゃん、今回はとんだことで、大変だったでしょう、どうかゆっくり休んでねと、たいそう気遣ってくれる。
チェックインにはさすがにまだだいぶ早いので、大きい荷物だけ預かってもらって、近くの公園を散歩した。3月8日にはふさわしくない小雪舞う零下のちまた、だが人ら池辺をジョギングしたりコーヒースタンドでカプチーノ買って談笑したり。ここには戦争はないのだ、ここはもう安全なのだ、と思ったら、つーと涙が頬を伝って落ちた。
これから
ルーマニアのブカレストまでまだ長い。長時間の飛行機も含め、先が思いやられる。日本に帰ってからもまぁ大変なことだ。И казалось, что еще немного — и решение будет найдено, и тогда начнется новая, прекрасная жизнь; и обоим было ясно, что до конца еще далеко-далеко и что самое сложное и трудное только еще начинается.「はじまる」という言葉で終わる、チェーホフ「犬を連れた奥さん」。本当の戦いはこれからだ。
子供
幸い、子供はこの「旅」をめちゃめちゃ楽しんでいる。私たちも笑顔になれている。戦争なんてものを自分の体験としては一度も知ることのない人生であってほしい、そうなると信じている。だが、今度の戦争のことは、いつか話さないといけない。きみは技術的にはロシア人になることも可能だ。母の言語であるロシア語を愛しなさい。おかあさんにとって大切なものは、きっときみにとっても大切なものになるだろう。
オデッサ
オデッサにはいまだ本格的な攻撃はない。だが基本的に皆さまも、もうオデッサが何もないで済むとは誰も思っていない様子だ。だがせめて私たちの村が最後まで無事であることは信じたい。
こちらも「始まったか」という感じだ:愛国活動家による「親露派・分離主義者狩り」宣言(ニュース)。
一方こちら、オペラ劇場前で青空コンサート。気骨と諧謔精神で知られるオデッサっ子の面目躍如だ。
謝辞
以上でこの手記を終わります。長らくお付き合いいただきありがとうございました。
この記事を読んで、何か得るものがあった、少しは心を動かされた、という人は、100円玉なりと「投げ銭」いただけると嬉しいです。
(先にメッセージ頂いた方、お返事たいへんお待たせしています。必ずお返しいたします)
ウクライナの街が、人たちが、守られてありますように。
戦争が一刻も早く終わりますように。