少年ジョニー

オデッサ/ウクライナ/ロシア

少年ジョニーのことならおもしろい。私たち夫婦は先の夏にジョニー君という16歳の少年をウクライナから避難させ、いま日本でその保証人をやっているのであるが……

ジョニーどんなやつ/この記事の目的

ジョニーどんなやつ

ジョニーはオデッサ北郊の某村で半生を送った。その村は私たちのダーチャのある村の隣村であった。その村にある軍事施設を狙ってロシア軍は再三ミサイルを撃ち込んできた。その撃ち方は例によって駄ミサイル下手撃ちであって、軍と何の関係もない民家も随分破壊されたし、ジョニー君が10年通った小中学校も全壊した。

ジョニーと私たちの関係は、私の妻がオデッサで日本語教師をしていたときの生徒の一人がジョニー君だ。週1で2年教えた。薄いといえば薄い関係である。私の方は面識すらなかった。

ジョニーんちは片親である。母一人、そして兄が一人。その兄は18歳を超えていて、徴兵適齢であり、出国は不可能であった(ウクライナは22年2月末以降総動員態勢で特別な理由がある場合を除き18~59歳の男性の出国が禁じられている)。母親はその兄を一人残してはどこにも行けなかった。逃げるならジョニー一人で、という状況だった。

で、当のジョニーは、日本への渡航を強く望んでいた。日本はジョニーの憧れの国だった。そもそも彼が妻の元で日本語を学びだしたのは、日本のマンガが好きだからであった。一番好きなのはNARUTO。あとワンピースと「僕のヒーローアカデミア」。日本に渡り、漫画を勉強して、漫画家になる。そんな野望を抱き、すでに習作を描いていた。

未来ある若者が明白な脅威にさらされていて、当人に渡航の意思があり、保護者も同意しているのであれば、一も二もない、骨を折るべきだと思った。私たち自身も3月に子連れで帰国して生活は盤石とは言い難かったが、これで何もしないで知らんでもないやつにもし何かありでもしたら悔やんでも悔やみきれないと思った。呼ぶことにした。保証人というやつになった。

そのあと色々あって、ジョニー坊はいま、神奈川の某所に住んでる。ほんで日本語学校に通っている。この間どんな苦労があったかとかは、追々話していければと思う。

この記事の目的

ジョニーのことを記事にするのは私的には今さらって感じもあるのだが、まぁいわゆるウクライナ避難民がどんなふうに暮らしているのか、何を思い悩み、どんなことに喜びを見出しているのか。また、ウクライナ避難民の保証人を個人でやるっつーのが一体どういうことなのだか、その一例を示せればと思う。ご参考までに。

もうひとつの目的は、誰知ろう、ジョニー少年は本当にこの先日本語をマスターして漫画道を究め、超有名な大人気作家になるかもしれないではないか(The future none can see)。その彼が日本での最初の日々に何をし、何を思い何を語っていたか、言行録を記しておくことには、歴史的意義があるかもしれない。

つうわけで綴っていきます。当ブログではおなじみの編年体で。

暮れの東京散歩

プラン

暮れに東京散歩した。ジョニーは東京観光とかほとんどしていない。そのことを済まなく思っている、ということもない。行きたきゃ自分で行くがいい。だがその日はジョニーの誕生日で、んで新年祭も近いので、孤独のうちに過ごさせるのはさすがに不憫ということで、連れ出すことにした。私と妻、ふたりでもてなした。実は夫婦が二人そろってジョニーの前に現れるのはこれが初。

神奈川住んでるガイジンに半日東京を見せるといって、あなたならどこ連れてきますか。

浅草は以前にちょっと訪れた由だった。知らんけど「星のカービィ」のカービィのコンセプトカフェが浅草にあるんですかね、そこ行こうとして、でもいざ入ろうとしたら予約ないと入れませんとハネられ、失意のうちに帰宅したらしい。

前に所用で一緒にお茶の水は行ったことがある。ニコライ堂・神田明神・湯島聖堂・神保町古書店街ならびにレトロ喫茶店・靖国神社など見せた。やはり寺社仏閣とか日本的なものが好きなようで、神田明神の造作とか靖国神社の大鳥居とかにいたく感動していた。

あと、渋谷のハロウィンやらどんなもんじゃいと冷やかしに行ったらしい。これはよくやったもんだと感心している。ニュースを見ないジョニー少年は梨泰院の一件は知らずに出かけた。人混みにビビッて滞在1時間にも満たず退散した。

そんなジョニーを、あなたならどこに連れていきますか。

私もいうて知ってる範囲の東京しか知らないが、まぁ暮れということもあって、原宿に集合して、神宮みせて「数日後にはここは殺人的混雑」とか解説して、んでお前の年頃の女子どもはここへきてクレープを食べアイドルのブロマイドを買うためになら親でも売るよ、と竹下通りを歩いて、ほんで表参道をずーっと歩いて根津美術館。というコースを考えた。

陰鬱

概してその日のジョニーは陰鬱だった。誕生日だからこそ陰鬱になる気持ちは私にはわかる、と妻。つまり、この日だけは森羅万象が自分に微笑みかけ限りない祝福を送ってしかるべきなのに、異国の地で基本的に自分はひとりぼっちであり、同年代の友人もいないし、こんな彫の深い険のある顔に日本人の女の子は寄り付かないであろう(←とは常日頃言っている)。つまり、この日にせめて私らのようなものがそばにあって東京観光をしている、というプラスの面よりは、いかに今の現実が理想と一致していないかというマイナス面のほうがことさらに強く感じられる、そういう誕生日心理というものもあるであろうと。

明治神宮

そんなジョニーの気分を盛り立てるためにも、出来損ないの観光ガイドみたいにぺらぺらぺらぺらしゃべりながら神宮の森を歩いた。ジョニーは日本史とか全然知らない。だから明治というのが江戸の次・今私たちが生きている時代の4つ前の時代であるとか、神道では死んだ人間が神になってそいつのために神社が建てられることがある、とかいう話に始まり、なぜ外ならぬこの明治帝のためにこれほど立派な神社が建てられたのかとか、この森は自然の森に見えて実は100年前に人工的に造られた森であってそれが今やユニークなミクロビオスフェアを形成していて東京では稀少な動植物の宝庫です(いつか見たNHK番組の完全な受け売り)とか色々しゃべった。少しは面白かったと思いたいが。反応はウスめだった。神宮には分かりやすい建物の壮麗さみたいなものはない、長い道中はほぼ森林浴なので、やや物足りなかったか。白木の大鳥居には感動していた。

竹下通り

ここにもブリンチキあっこにもブリンチキ、とクレープ屋を指呼しながら人混みを縫い歩いた。コスプレショップに入った。カーニヴァル衣装みたいなの売っている。どういう人が着る、どういう人が買っていくんだろう、わからんが、銀ピカの各部トゲトゲ突出したドレスを指して「これ買って家に飾って作画の参考にしたくはある」とジョニー。あと、ガチャガチャの専門店があって、狭い店内に所せましとガチャガチャが置いてある。幽遊白書の筐体があって「これは珍しい!」とジョニー興奮。300円いれて入魂の一発をガチャったが、出てきたのは幽助でも蔵馬でも飛影でも戸愚呂(弟)でもない、ラインナップ中唯一のハズレといってもいい霊獣プーであった。苦笑するジョニー。うまくフォローできない私。「そういうのはハズレのやつを多めに入れて、いいやつこそなかなか出ないようにしてあるもんなんだよ」と訳知り顔の妻(もちろん幽遊白書など知らない)

表参道(昼食)

表参道はオデッサでいうデリバーソフスカヤ通りだよというと非常に納得していた。ちょうど昼飯時だった。前に青山で働いてたので店はそれなりに知ってるはずだが青学の学食以外に特に思い出すものがなかった。でも歩いてれば思い出すだろうと思って歩いていた。んでとんかつのまい泉の本店を思い出して、連れてってみたら長蛇の列、まぁそうかー。んで引き返して新潟県のアンテナショップの地下にある食堂みたいなとこ(新潟めしが食える)に入った。こういう渋いとこはいつも空いてる。

んで、4人掛けのテーブルにかけて、ジョニーが奥側のソファ席、私と妻が手前側の椅子席という配置になった(深い意味はない)。んでテーブルの手前側と奥側を隔てる透明な板を当然のようにどかした。したら若い女の店員が「パーテーションは動かさないようにお願いします」といって元に戻そうとして、私がこれに「いや話すのに邪魔ですから」と抵抗するのだが店員頑として譲らず「周りのお客様の安心のためにも」ともう透明板に手をかける。私「じゃここにも板置きますか、ここにも?」と私と妻のあいだにエアーで仕切り板を立ててみせ挑発する。「並びのお客様は大丈夫ですので」と店員、ついには板をもとの場所に戻してしまった。私ら夫婦とジョニーの間は分断された。「おかしいですよ」と遠吠えする私。

退店後、この一連のやりとりについて「おまえあのとき何思ってた?」とジョニーに聞くと、「思ったことはあるけど、言うとあなたに失礼にあたるかもしれないから言わない」。知ってるよ、大人げない思たにゃろ。

青山通りを過ぎて道が細くなってからの高級ブランドのブティックが並ぶ一帯はけっこう好きなのだが、ちょうどジョニーが悲憤慷慨モードに入ってしまって、自分がいかに孤独か、自分の外貌がいかに人受けしないか、とりわけ女子受けしないかということをぐちぐち言いつのり、同様のやり取りはこれまで何度も繰り返していて私らも慰め文句の引き出しが枯渇してきている、なんとか新機軸の慰め方を案出するのだがまぁ消耗する時間帯だ。沿道のちょっと面白い建築とかあー指摘したいなーと思ってもなんかできず、根津美術館のほうへただ歩いて行った。

根津美術館

休館だった。

キャットストリート

根津美術館の年末年始の開館情報については私の調べが甘くて本当に申し訳ございません。プランBどうする?しらねー・・墓地(青山霊園)でも行くかぁ?でもそれを乃木坂とかまで引っ張るといかにも散歩が長くなるよな・・と思案しながら来た道を戻る。話の腰が折れてジョニーの自虐タイムに区切りがついたのは勿怪の幸いだった。結局表参道からキャットストリートに入って渋谷に抜けてくことにした。「ここも人気のショッピングストリートだよ。今日の散歩のテーマはね、さしずめ、ショッピングさんぽ、ただし何も買わないそれ」と何事にもテーマを設けないではいられない私。だがさしあたり洋服に興味がない私たちには面白みに欠ける散歩みちであることは否めなかった。歩いていくほどにジョニーの陰鬱モードが深まっていき、返答もぶっきらぼうになり、これは困ったことになったぞと、私は妻と目を見合わせた。妙な3人連れがキャットストリートを歩いていたものである。

MIYASHITA PARK

宮下公園、ミヤシタパーク。私が日本を留守にしていた数年の間にオープンした施設。気になっていた。そこへ上がってみることにした。

要するに商業施設の屋上庭園なのだけど、なんかビーチバレーのコートがあって、東京のど真ん中の商業施設の屋上に砂が大量に運び込まれてビーチバレーのコートになっている、すげえ、ということで、私と妻は盛り上がるのだけど、ジョニーは薬ともしない。「誰もやってないのが残念ね。これでこの寒風の下白熱ビーチバレー選手権してたら笑いましたけどね。まぁそこのベンチ(コートを望む)に腰かけて、水着の男女を幻視しながらコーヒーでもしばきましょうか」と誘って、まぁ小休憩ですよ。

ここで私の秘策が炸裂した。「あ、そうそう」とか言いながら鞄をまさぐり誕生日プレゼントを取り出す。本の3冊セット。まず、集英社刊「まんが日本の歴史」の9巻と12巻、すなわち、江戸のはじまりと、江戸の終わり。サムライとか剣戟とかが何より好きなジョニーに。本当は全巻通読して、大凡なりと日本の歴史にイメージを持ってほしい。その皮切りとしてまず2冊。興味をもってくれ、また読み通せそうならば、残りの巻も順次買い与える考え。あとの1冊は、呂布カルマをして「2022年に触れたあらゆる表現の中で断トツNo.1」と言わしめた、藤本タツキ(チェンソーマン)の読み切り『ルックバック』。漫画家を志すきみにぜひ読んでほしい、読んで俺はめちゃめちゃ感動したんだ、一人の表現者が誕生しそして存在しつづけるための理由のすべてが描かれている(絵がうまいやつというアイデンティティ、読者の存在、ライバルの存在、同志の存在、際限ない努力、待たれているということ、遺志を継ぐということ……)、とかなんとか私が語るのをしみじみ嬉しそうに聞いていたジョニー。暗鬱モードを打破した手ごたえがあった。

そこからさらに追撃をかました。私は自分が最近買ったLINEスタンプを示した。同世代との交流のためにジョニーにもLINEを入れさせてある。さてこれがスタンプというものだけども。これは実はね、俺の友人の娘さん、いま9歳の子が作ったやつなんだよ。このLINEというプラットフォームで9歳でもものを作って販売できるわけさ。でさ、お前もスタンプ作ってみない? たとえばだけど、お前が前描いてたВий(中世スラヴの妖怪)良かったじゃん、あんな絵を描くやつは日本にはちょっといないかもしれないよ。あれに色んなポーズとらせて、ほれLINEスタンプつうものはこう一式で売るわけさ、おはようとか有難うとか、いろんなシチュエーションで使えるように標準的なラインナップはそろえて、そんで売り出してみたらどうかと思ったんだがねぇ。

これには大いに希望を感じたようだった。ジョニーは今アルバイトしてるのだが、そういう時間と労働力の単純な切り売りとは違う、創作によっていくばくかなりと収入を得るみち。「それは確かにもう全然まったく別の話だ」。ジョニーの気分が明らかに上向いたのが分かった。

渋谷

そんで渋谷駅頭に降り立った。ジョニーとしてはハロウィンぶり二度目の渋谷。くだらねえ街だ。うるせえだけの街。ツタヤ2Fのスタバからスクランブル交差点を見下ろして、センター街少し歩いて、「もう……いいよね?」つうことで、駅戻って、別れた。ジョニーは東横線、私らはJR。

прощание по-английски(英国式の別れ)という言い方がある、別れ際がそっけないことをいう。いい流れで散歩をゴールに持ってけたと思ったが、別れ際はやっぱり塩だった。じゃあな、またな、とこちらがいうのに対して「うん(да)」だけで背を向けてしまうのである。感謝の一言もないかぁ、大人二人の半日と約1万円が使われたのだけどなぁ、と妻と苦笑した。

だがそれでもその夜おそく、ジョニーは神奈川某所の独居の部屋で寂しくていられなくなり、少しでも話せないだろうか、ママに電話かけたけどつながらないんだ、とわが妻に言ってきて、妻は30分がとこ、眠い目をこすって会話に付き合うことになったのである。ラクではない。どこまでが私たちの責任だろう。答えはなかなか出ないのであった。

(このときママに電話がつながらなかったのは、ロシア軍の糞ミサイルでオデッサに停電が起き、通信が途絶していたためである)

冨樫義博展

幽遊白書とかハンターハンターの冨樫義博ね、その原画展を六本木でやってて、会期終了間近の某日、駆け込みで行ってきたジョニー君であった。なんかややこしい予約が必要だったので予約だけこっちでしてやって一人で行かせた。

冨樫について以前ジョニーは面白いこと言っていた。まず前提として、冨樫は天才である。リスペクト。だがしかし、ジョニーに言わせれば、ハンターハンターは構成美に欠ける。はじめは明るい柔らかいタッチでわくわく少年冒険譚という装いだったが、後半入るともう血みどろのぐちゃぐちゃの、人間の肉団子とか人気キャラの脳いじりとか、ちょっと少年の読み物としてこれはどうかという感じになって、なんか一貫性がない。その点で評価を下げざるを得ないのだそうだ。逆に冨樫について高く買っている部分はたとえば作中キャラの激ギレ描写で、「たとえばこのシーンとかやばくないすか」といって見せてきたのはカキンの王位争奪戦で第一王子のベンジャミンが競争相手の下位王子たちへの殺意を滾らす一コマであった(「ベンジャミン カキンの大樹」で検索)

六本木で冨樫展が開催されることについてジョニーは早くから情報をキャッチしていて、私が知って教えたときにはもう知っていた。どこから情報仕入れてるんだろう。んで、できれば会期初日に行きたい、なぜなら初日であれば、作者本人が来ている可能性が高いではないか、本人に会いたい、伝説の漫画家をひとめ見たい(ジョニーにとって冨樫義博、尾田栄一郎、岸本斉史、これらの人たちはアイドルである)。こう勢い込んでいたが、東京の展覧会がどんだけ混むか知ってるので、まぁよしておこうよと宥めていた。てか予約一杯でふつうに入れなかったと思う。ジョニーが実際行った日は会期終盤だったがそれでもイモ洗いの混雑だったそーだ。

そうそう、ほんで、なかなか本題に入れないが、まぁ本題も何もないか。将来ビッグネームになったときに資料的価値を帯びるようにジョニーの言行を録しておくのがそもそもの目的なんだから。んで、前にお茶の水から飯田橋まで歩いたときも、途中の神保町に集英社の本社があるやないですか、集英社といえばジャンプ。「ジョニーや、ここにお前の好きなジャンプの発行元の本社があるよ」「え、シューエイシャですか?」「そうそう集英社、よく知ってるな」「行きたい、ぜひ行きたいです!そこ行ったらキシモト(NARUTO作者)に会えるかもしれないじゃないですか!

ジョニーの世界観では集英社本社ビルの周辺にはプロの漫画家がふら~と漂い歩いているのであった。あのなジョニーボーイ、漫画家はサラリーマンじゃないんだから、出版社に出勤して9時5時で漫画を描いたりなどしないよ。漫画家は自分の書斎で描いていて、そこに出版社から編集者が出向くんだよ。だからオダとかトガシとかキシモトがこんなとこにわざわざ来ることはないよ。と教えてやった。ですよね。合ってますか。

冨樫展の感想

とても良かったそうですよ。なんでも会場は4つのホールに分かれてて、第1の部屋が幽遊白書、第2がハンターハンター、第3がその他作品で、レベルEという作品があることを今回はじめて知ったそうだ。漫画の原画だからそう大きくもない展示品に大勢が群がっている格好のはずだが、「別に展示品が小さいとも思わなかった」。何しろ見ればそれとわかる名場面の原画が飾られていて感動したそうだ。そらそうよな。ハンター試験でキルアが超長期囚の元快楽殺人鬼の心臓を「盗む」シーンとか、ゴンがピトーを撃滅するためにいわゆる「ゴンさん」化する場面とかあったそうやないの。ファンはうれしいだろー。お宝だもの。聖遺物のためにお堂が建てられることがある、パリの焼けたノートルダム寺院の向いのサント・シャペルというのは磔刑のキリストの茨の冠を収めるために建てられた。このように、冨樫義博の生原稿のためには寺院のひとつが建てられてもいい。むしろこの世に263話「突入③」264話「突入④」(そりゃ悪手だろ蟻んコ)の生原稿というものが物理的に存在している限り、それのために寺院が建たないということのほうがおかしい。

というのはジョニーが言うことでなく私が言っているのである。ジョニーに話を戻すと、ジョニーは実作者の視点から「冨樫がどんなスクリーントーンを使っているか」に着目して研究的に見ていた。写真撮影不可だったので記録には残せなかったそうだが。たとえば狼のキメラであるウェルフィンが王メルエムと対峙して恐怖のあまり精神崩壊しかかる場面、ウェルフィンの混沌とした心象を表現するこの背景は、これはスクリーントーンなのか、他であまり見ないやつだが、ふつうに売ってるやつなのだろうか? などと考えながら見進めていった由。んで今度そのスクリーントーンを探しに新宿の大きい世界堂に行ってくるという。そう、何しろ冨樫展見たことで彼の漫画道は大きな刺激を受けた。その晩彼は家帰って猛烈な勢いで作画に打ち込んだということだ。

(スクリーントーンの種類なんか印刷されたもの見てもわかるじゃないかと思わぬでもないが、原画を見ることでなんとなく貼りあととか、作者の手つき、手仕事、ブリコラージュの感じが伝わったのかもしれない。それはまさに行って現物を見ないと得られない体験であったろう)

冨樫展の珍事Ⅰ

ムダに700円とられたといって嘆いていた。オーディオガイドのレンタルってあるだろう。それにハマった。別にそんなもの欲していなかった。だがマスク越しでもそれとわかる若い美しい女の人にいろいろ言われているうち催眠状態になり気が付くとガジェットを渡されていてその対価に700円を払っていて、で見終わるころにようやくそれが自分に全く無用のものであったことに気づいたという。バカといえばバカだが、気の毒と思ってやらないといけない、むしろ腹の立つ話だ。わかるわけないじゃんそんなの。美術館入るのなんか人生初めてなわけですよ。そういうもんだと、つまり、オーディオガイドつうもんは必ず借りなければいけないものなんだと思うではないか。そらそうよ。スタッフの方ももう少しさぁ、親切に説明してやれなかったかなぁ、この見てから外人で場慣れしない感じで日本語もおぼつかない青年に。700円は大金だよ。本展ただでさえ2000円である。行くと決めるにも決意のいることだった。

冨樫展の珍事Ⅱ

冨樫展でもしかしたら冨樫先生ご本尊にまみえることができるのではないか、とひそかに期していたジョニーは、会場に見出してしまったのだ、長髪の男性、あれはもしかしたら僕のヒーローアカデミアの作者、堀越耕平その人ではないか!?「おまえジャンプ作者の顔と名前そんなよく知ってんの!?」「そりゃそうですよ、めちゃめちゃ大事な情報じゃないですか、基本ですよ基本。誰がどんな顔してるかよーく把握してますよ」それでジョニーは心臓バックバク。千載一遇のチャンス到来か、だって大いにあり得る話、冨樫は漫画家’s漫画家、漫画家にリスペクトされる漫画家、冨樫先生の原画が見られるチャンスなんか同業者にとっても滅多にないものだろう、来ていても全然おかしくはない。話しかけてみよう!

それで「すみません、アナタはホリコシコウヘイさんではないですか?」と話しかけたらしいのだ。こういうここ一番の度胸というのが少年ジョニーにはある。はじめなんのことやらわからず聞き返された。もう一度言った。「あなたは『僕のヒーローアカデミア』の作者、ホーリーコーシーコウヘイさんではないですか?」一音一音はっきりと。長髪男性は理解して、そして大笑したということだ。冨樫展に来るくらいだからその人もジャンプ漫画が好きなんだろう。まんざらでもなかったに違いない。のちのちまで噛めば味する思い出話をひとつプレゼントしてやったものだ。

この話には続きがある。美術展を見進めるうち会場にもう一人長髪の男性を発見して、もしや今度こそと思ったが、話しかけるのは自重した。というのも、それがまたしても人違いであり、同じような長髪男性に性懲りもなく話しかけて「違います」と言われてるのをさっきの人にもし聞かれでもしたら超恥ずかしい、と思ったのだそうだ。「たぶん二人目こそ本物だったよ」といじわるを言ってやった。お分かりだろうか、いかにジョニーの脳内が漫画のことで一杯であるか。ひところ流行った脳内メーカーでジョニーの脳を覗いてみればもう漫画漫画漫画漫画で一色だろう。

余談

誕プレの「ルックバック」はジャンププラスの作品なので総ルビでなく読むのが骨だという。さーっと全ページ見てみたが話がわからなかったと。ゆっくり読み進んでいくそうです。

んで誕生日のために色々考えてくれてありがとう、あなたはすばらしい父親です、本当の父親があなたのような人でなくて残念でした、と言われてしまった。こういうことをストレートに言えるジョニーである。

正月休みの憂鬱

少年ジョニーの正月休みは憂鬱だった。

普段のジョニーは結構忙しい。まず日本語学校に月金で通ってる。週3でバイトしている。あとウクライナの高校卒業資格を取るためにオンラインで授業受けてる(世界各地に疎開してるウクライナ少年少女のためのオンライン学習プログラムが色々ある)。

これらがすべて休みになり、12月29日から1月10日まで、ジョニーには一切やるべきことというのがなかった。いや、もともと多忙な日々の中でも暇さえあれば少年ジャンプ最新号を読んだり作画修行したり、本来そっちこそ漫画家を目指す彼の「やるべきこと」だったのだが、いざ学校だの労働だののタガが外れてみると、人間の弱さを笑ってください、その「やるべきこと」を生活の全時間に拡張することはできなかった。17歳の昼夜は逆転した。そうして長すぎる孤独の夜に鬱の霧が広がっていった。

自殺

無為が悪いのだ。無為とあと昼夜逆転。友達いない一人暮らしの少年にやることない10日余りはいかにも長すぎた。日本における母代わりとなっているわが妻に宛てて夜な夜なネガティブな心情をつづったメールを送ってくるようになり、その中で「自殺」という言葉も飛び出した。

私らはこの自殺という語には慎重に処すべきだと思った。というのはどういうことかというと、むろん軽んじていいわけはない、だがあまり真に受けすぎてもいけないと思った。んで再度、真に受けすぎてもいけないが、むろん軽んじていいわけもない。自分たち自身の過去に徴しても、17歳は不安定な年齢である。だが、17歳が口にしうる愚考の範囲と、17歳が実際にしでかしうる愚行の範囲は、必ずしも一致しない。何言ってるかわかりますか。ベン図書きましょうか。集合A:17歳が口にしうる愚考。集合B:17歳がしでかしうる愚行。

つまり17歳という年齢で人は色んな大それたことをしでかしうるが、同じくらいの(あるいはもっとひどい)程度で大言壮語をするものであって、基本的に言われたほとんどのことは実行されない。それはそれで押さえておく必要がある。だが、とはいえ、本当に実行されるかもしれない、そして実行された場合の帰結は破滅的である。だから、適切に心配し、必要十分なだけ支援する。そういう種類の「慎重」さが要求されている、と思った。

未来への希望の光を灯しつつ

具体的に何をしたのかでいうと、私らは別にジョニーに会いには行かなかった。チャットと電話で現在を支えつつ未来への希望を準備した。

ジョニーはこの長すぎる冬休みに自力で2つ予定を作っていた。①学校で知り合った同い年の日本人男子(友達未満)と横浜に行く。②一人で冨樫義博展に行く。①は、言語の障壁もあり、そう話も弾まずわりと短時間で終わっちゃったそうだが、でもま楽しかったそうだ。ちなみにジョニーは一人きりで横浜とか鎌倉とかにただ行って街ブラする・観光するということは、絶対にしない。そう宣言している。そういうことは恋人と二人もしくは友達と連れ立ってするものであって、一人で行っても恋人と来てるやつ友達同士できてるやつを発見してみじめな気持ちになるだけだ、と固く信じている。だから私たちが連れ出すか、連れ出してくれる誰かを俟つことになる。②冨樫義博展については先に詳しく書いた通り:霊感を得てジョニーはルックバック化した。

んで私たちもこれに類するイベントごとを未来にこさえようと小骨折った。まず妻が、ウクライナ避難民向けに無償でカウンセリングしてくれる心理療法士を見つけて(その人自身もウクライナ人)、ジョニーの予約をねじ込んだ。ジョニーははじめ嫌がったのだが説き伏せた。私の方では、とあるロシア語を話す日本人高校生とジョニーが二人でラウンドワンで遊ぶ、という行事を企画した。

前者はすでに実現している。ジョニーはこの心理療法士を非常に気に入って、これから定期的に診てもらうことになった。事後に妻がカウンセラー氏に聞いたところでは、自殺の問題については深刻な段階ではないが確かにケアは必要であって、とりあえず当座この念慮に処すためのいくつかのテクニックを本人に伝授しておいた、まぁしばらく様子を見ていこう、ということだった。

まぁそんなことでしばらくやっていた。チャットはしょっちゅう、ときどき電話。私たちがよく言ってたのは、彼の気分が夜間とりわけ深夜に暗くなってるのは明らかだったので、昼夜逆転よくない、少し運動しろ、体を疲れさせて夜寝ろ、ということだった。(実行しなかった)

年が明けた

そうこうしてたら1月10日になった。通学が再開した。バイトも再開した。したら直ちに彼の気分も上向いた。夜間に抑鬱を訴えてくることはパタリとなくなったし、「やっぱ体動かすの大事ね」と本人も言っている。

なにしろ冬休みはちょっとした試練であった。もともとウクライナで正月というのは一年で最大の祝祭であって、家族とまた友人たちと楽しく過ごす、明るく盛り上がる。それが今年は異国の地で天涯孤独、こんな不幸な正月ハジメテ、と暗い気分になってしまうのも無理からぬことであった。

今はまた忙しく勉学に労働にまた漫画家修行に勤しんでいる。ラウンドワンは今週末。31日には私がジョニーとこ行って生活指導してくる。そんな感じでやっております。

はじめてのトモダチ? ←NEW!

ジョニー記事の更新があまりに間遠なので、ジョニーファンの多くがジョニーロスにかかって鼻汁が止まらないと聞いている。話じたいはいろいろあるから、これから短いスパンで3つ更新していこうと思う。友達の話、食事の話、学校の話。

きょうは友達の話をしよう。明るい話だ。これを語る私は真顔。でも心はにこにこしているよ、安心して。

孤独、それは苦しい

ジョニーは恋人ができないことと友達ができないことに苦しんでいた(苦しんでいる)。ジョニーにとって恋人は友達の上位互換であって基本的には恋人ができないことを苦しんでいる。その延長で、恋人はおろか友達すらできない、という形で、友達ができないことにも苦しんでいた。

恋人(友達)ができないことは、ジョニーの自己肯定感を深くえぐった。この点で50回コクって50回フラれてそれでも51回目の恋をした桜木花道のメンタルはジョニーにはない。ジョニーは帰納法の発動がはやい。学校やバイト先で知り合った男女に何度か(3回くらい)声かけて今度よかったらお茶しませんかと誘ってみたのだが断られ、それだけで「俺という人間には友達を作ることはムリなんだ、ましてや恋人なんか!」と絶望してしまった。いわく、ウクライナにいたときも恋人なんかできなかったし、新天地に来てみても、やっぱり恋人はできなかった。その理由は多分わかっている。俺の人相が悪いからだ。俺は恐ろしい顔をしている。俺を見たら子供は小便ちびる、男は嗤う、女は眉を顰める。

だがよ、私(何丘)に言わせれば、ジョニーかっこいいんだよ。日本人100人が見たら90人はイケメンというよ。お見せできないのが残念だ。

善次郎あらわる

はじめ楽観視していた。ジョニーはたしかにとっつきにくいところがあるが実は話すと面白いし、ほっときゃ友達くらいできるだろう、本人なんのかんの言ってるが、恋人だってじきできるだろうと思っていた。出会いがないのよ~、とも言わせない環境である。日本語学校、あと出入りさせてもらってる某高校(いつかその話もしよう)、バイトと、3つの人間集団に属している。住んでるところからして留学生向けの学生寮で、同年代の男女がうようよいる。それで友達の一人もできないということは本人にもむろん問題があるのであって、まぁ孤高演じたがりだったりとかそういうことだが、そういうジョニーの側にある問題を寛解させつつ様子見てればおのずからgo lucky be happyするだろうと拱手傍観決め込んでいた。

だが例の正月の鬱森入りがあって、急ぎひとテコ入れないとと悟った。それで善次郎にたのむことにした。善次郎とはだいぶ前そうね7月とかに知り合っていて、この人は世にも珍しいロシア語を話す純正日本人高校生である。17歳、高2、ジョニーと全くのタメ。これまで2回くらいこの子とジョニーを引き合わせようとしたのだがなんかタイミング合わなかった。そのカードを本気で切るときがきたのだ。母語のロシア語で話せる、つまり言語障壁がない、そして完全な同世代・同性。理想的に対等な、それでいてあくまで日本人という、最強の友達候補を召喚するときは今!

そいで善次郎サイドとまず詰めて、会うつってもどこで何しよう、ジョニーは神奈川某所で善次郎は東京三多摩リア、あいだをとったら新宿あたりということになるが、何、映画でも見るか、スラムダンク? ……だが善次郎もジョニーもスラムダンク知ってはいるが読んだことはないのであった(ジェネレーションギャップ)。喫茶店でただ座って話すってのもいかにもおじんくさい。「善次郎くんはさぁ、ふだん友達と遊ぶときって何するの?」

「そっすねぇ、ROUND1行ってボウリングとかスポッチャとか……」

え、それいいじゃん! ジョニーはそのどれ一つとしてやったことないよ(てかスポッチャって何!)なにしろウクライナの田舎の村の少年ですのでねぇ、まぁ私も埼玉の山猿なので人のことは言えんが、賭けてもいい、ジョニーはボウリングなんか知らん。日本の同世代が何して遊んでるのか知れるだけでジョニーとしては絶対たのしい、ましてそれをロシア語はなす日本人男子と一緒に遊べるなんて!

それで、1月末に善とジョニーが都心某所のROUND1で落ち合えるように調整したのだった。

善次郎のうらぎり

会うまでのお膳立てはこっちでと思ったのでそれぞれと個別に詰めて、最後のとこで少年2人のLINEをつなげた。当日遅刻しますとか場所がわからんとかの連絡はもう相手に直接してくださいね、つって。ほえで約束の日の前日の夜になって善からすいませんテストの準備が忙しくて明日ちょっと無理ですと私宛にLINEきて、私はおるずという言葉の意味を知った。

まこと度しがたいのは私宛てに言ってくることである。言えなかったかー、これを本人に……。日和ったな、だがこれはさすがにルール違反だぞ。だが仏心仏心、言語障壁がないとはいえ本来つながるはずのなかったものを無理とつなげるのだもの当人同士にとってなるべくハードルが低いようにとギリまでこちらで取り持ったのだ、第一子供じゃないか。コドモなんだよ、結局。この一回までは許そう、そう思って、ジョニーには私から伝えた。テスト準備が忙しくなって無理だってさ、と。ジョニーの第一声は「なんとなくわかってた」というものであった。「俺なんかにこんないい話があるなんてことがそもそも怪しかった。やっぱりそうなんだ。俺と会いたいやつなんかいるわけない。やはりあなた(何丘)が無理に引き会わせようとしてたんだ。当人はきっといい迷惑だと思ってるんだ」「にしても1か月前から予定されていたものを前の晩になってキャンセルするとはイカツイことするね、クール!(皮肉)」そらこうなる。ジョニーにこんなことしたらこうなる。こう思っても仕方ない。善次郎、きみはわかっていない、自分のしたことが一体どういうことなのかを。

しかしだ、これで話を終わらしてしまったら元も子もない。次の機会に期そう。さすがに善次郎も悪いことをしたとは思っていて次会えるとしたらいつといつと言ってきてる。まだ未定の部分があるけどとりあえず次の週末ということで仮に合意した。

ジョニーの涙

でその数日後、ちょうど食材の大量購入(食事の話は次回更新でします)と学校の面談(学校の話は次々回更新で)があったので神奈川某所に私から出向いた。駅のスーパーで1万5000円分買い物してリュックをぱんぱんにして寮まで一緒に歩いた。道中ジョニーは「そういや何丘サン、前言ってたでしょ、日本人女子と白人男子のカップルはふつうにあり得るって。それへの明らかな反証を2つ見つけましたよ。第一に、この前見かけたカップル、男の方は身長190くらいあって金髪でめちゃめちゃカッコよかった。ああいう例外的に美しい白人のみが日本女性と付き合えるってことですよ。第二の例は、あるまじきことに、めちゃめちゃ可愛い日本人女子と、最悪最低のブ男白人が手をつないで歩いていた。この例が何を語るかわかりますか。つまりあれほどひどいやつでも日本人女性と付き合えるのに、この俺のみにそれが許されていない、てことなんですよ」とジョニー節を展開する。ひとつの発言のなかでこれほど見事に自家撞着してみせるのも珍しい。どこからどう光が入っても私は醜い・私はだめだという結論が導出されるような奇妙なプリズムをとおして世界を見ている。これまで何度もこの種の悲憤慷慨を聞かされ、そのつど反論したり訂正したりなだめたり励ましたりしてきたが、過去の私の発言をわざわざ引っ張り出してそれに得々と反論してみせるというのはさすがにムカついた。ほとんど自己陶酔だと思った。なんでそれに付き合わされなきゃならねぇ。実際いつまでもいつまでもこういうことを聞かされるのはたまったものではない。世界に少なくとも2人、これに疲れた人がいる。一人はジョニーの実の母で、母氏はあろうことかわが妻に「こんなことばっかり言ってくるんだけどどうしよう」と相談してきた。もう一人はそのわが妻で、妻氏は今絶賛ジョニー断ち中である。否定してほしくて言うんだろう励ましてほしくて言うんだろう、だがお前の妄想に付き合わされるこっちの身にもなってみろ。大人は忙しいんだ。そして私は究極、あんたのお母さんじゃないんだよ。ということで教育的沈黙という名の既読スルーをして、若干関係冷え込み中である。つうわけで私が当座の矢面であった。

寮のキッチンで餃子を作った。ジョニーの嘆きは続いていた。自分は茫洋としている。日本にいたい。日本にはなるべく長くいたいと思っている。そして漫画家になる夢を叶えたい。でも自分の孤独を思うと愕然とする。ずっとこのままなんだろうか。学校にねパソコン室があってそこに誰でも使っていいタブレット型端末があって、それにイラストを描くためのアプリが入っていてね、最近あき時間にそれで絵を描く練習をしてるんだけども、使い方がわからないところがあってね、そのとき教室に女の子が一人いて、日本人の女の子だよ、10分くらい悩んで悩んだ末に、思い切ってその子に話しかけて、これどうやるのと質問したんだ。したらその子も分からなくてね、先生を呼んでくるっつってぴゅーっと出てって、先生を連れてきて、先生はぱぱっと教えてくれて俺の疑問はひとまず解消されたんだけど、そのあとまた教室にその子と二人で残されてね、俺はなんか話しかけたかった、なにかきっかけを見つけて会話をしてみたかったんだけど、なに言ったらいいかわからなくて、じきその子は出て行っちゃったんだよ、だからあの部屋にはもう行かない

「なんでそうなるんだよ!?」という話だ。しかし、こうこうこんな感じで話しかけてみりゃいいんじゃないのとか、お前の最大の目標は漫画家になることなんだろう、それでパソコン室がそのために有益な場所なのなら、それでそこ行かなくなるのは本末転倒だぞとか言っても、「あの子の静謐の時間を俺は邪魔したくないんだよ」とか、「あの子の静謐な空間に俺がお邪魔はできないんだよ」とか言って、とりつく島もない。なんもこっちの言葉が刺さらない。終いには「そもそもあの子は俺が怖かったから、本当は自分で分かってたのに、わざわざ先生を呼びに行ったんだんだよ」とか言い始めて、私はわざとそっちを見なかったが、それを言いながらどうも泣いてるっぽいのだ。鼻をすすって目がしらを拭っていた。

餃子が焼けた。むさぼり食った。食事がしめっぽいの嫌なので漫画の話とかした。

そんで餃子を食い終わって、じゃっじゃと食器洗って、またぞろジョニーが鬱モードで俺には友達はムリだよとかなんとかぶちゃぶちゃ言うので、私は語気を強めて言った。わかった、じゃ善次郎との約束はキャンセルだな。お前は諦めてるのだものな。お前には友達はムリなのだものな。では何で俺がお前と誰かを会わせるために骨を折らなきゃならない。なんで俺が、そんな無意味なことのために自分の貴重な時間を使わなきゃなんねーんだ。終わりだよこの話は。いいな。

珍しく私が般若の面を見せたのでジョニー目をぱちくりさせて、思えばこのあたりさすがに朴訥というかいい子だなと思うのだが、変に逆ギレしたりせずに、はじめそんな怒らないでくださいとおどおどしてみせ、次に、私が峻烈にまくしたてて言葉を挟ませないので涙をためてしゅんとした(いい子でしょう)。で、ああ今なら俺の言葉も入っていくのかもしれないと思って、語った。あのな。俺や妻が、お前の可能性を信じて、その可能性のために骨を折っているときに、お前は、自分がいかにオワッテるかということを、証明しようとするな。俺たちを説得しようとするな。(私は続けた。)俺が12年にモスクワ生活を始めたとき、実は俺、その直前に、日本で長く付き合った彼女と別れてたんだ。それで、俺の人生これからどうなっちゃうのかなぁと茫洋としてたんだけども、ある人がねぇ、もう何年もモスクワに住んでる日本人の大先輩ですよ、その人がさ、「遅かれ早かれ君は恋人はできるでしょう」とさらっと言ってくれて。それは何の根拠もない、随分テキトーな発言だったかもしれないんだけど、なんとなくその言葉が、その後の日々の支えになったんだよね。で結局俺はわが人と出会えたわけさ。同じことをお前にしてやりたいと思う。俺の目から見て、お前はかっこいいよ。お前と話すのは俺は面白いよ。俺はお前の未来は明るいと思ってるよ。お前にはきっと友達ができるよ。彼女もできるよ。俺は信じてるよ。お前も信じてほしい。俺がそう信じているということを疑わないでほしい。あと、善次郎とのデートはキャンセルしないよ。

ジョニーはまっすぐこっち見て、「ありがとう」と言った。

かえってきた善次郎

2月のとある日曜日。都心某所の天やで何丘とジョニーは天丼を食い、約束の時間を待った。漫画の話に花が咲く。いまジョニーは日本の伝統的な妖怪を研究しているらしい。2人のサムライと1人の僧兵を主人公とする中編はいったん作画を中断して、新たに妖怪退治ものの短編を構想中である由。今どき妖怪かなぁと口を挟むと何をおっしゃるいま少年漫画シーンで妖怪はトレンドですよと「鬼滅の刃」以下5タイトルくらいをずらずら挙げてみせる。

約束の1時だ。ROUND1入口の巨大なボウリングピンの前に立って道ゆく人を打ち眺めて「ああなんて日本の女性たちはきれいなんだ」「マスクしてるからそう錯覚してるんじゃないの」「それ何度も言ってますよね何か女性に恨みでもあるんですか」みたいに話してたら見参である、善次郎!

善次郎はいきなりロシア語でかかってきた。「お前がジョニーか?オレ善次郎!よろ!」見るとジョニー、なんか嬉しさ隠してる。ポーカーフェイス装ってる。ふつうのことだぜ、ここでシッポ振るのはダサいぜ、俺そういうんちゃうからな、と強がってみせてる。あ、この二人大丈夫だと、私は自分が一瞬でお役御免になったのを理解した。「じゃ、二人で楽しんでね」。いま会ったばかりの二人が肩並べてなんか話しながらずかずか歩いてく。その背中を見守って心底からの喜びを感じた。ROUND1の自動ドアが開いてまた閉まるまで飽かず二人の姿を見ていた。額縁に飾っておきたい瞬間であった。

孤独、それは苦しい(再)

ジョニーとその夜チャットしたがなんかもうめちゃめちゃハッピーだった。善次郎めちゃめちゃいい奴だしめちゃめちゃ楽しかったしなんか善次郎が今度自分の友達を紹介してくれてるってさ!とか言って。いかんせん遠いし、会えても月イチとかそんなもんだろう、それに善ちゃん間もなく受験とかで忙しくなるんだろうが……とにかく、よかった。「何丘サン、骨折ってくれてありがとう」←ちゃんとお礼が言える子です。挨拶はできないけど。

私はここまでこれを美談とか俺たちの保証人ぶりすげーだろ!みたいな感じで語っているが、実際わからない。孤独感とか人生への絶望を本人が訴えるのを、こんな面倒くさがったり叱りつけたりとかして、本当は最悪なことをしているのかもしれない。

ウクライナ避難民への財政面のサポートを担う日本財団が先日避難者および保証人に【避難者のための心理的自立に向けてのアンケート調査のお願い】なるものを回付した。そこに「残念ながら、すでに避難民の自殺未遂が数件発生している」との文言があった。

私らは現在のところジョニーと良好な、深い信頼関係を築けていると思う。だが17歳の心身の健康をこれからも慎重に慎重に見守っていかなければならない、と自戒する。(ただ、……言い方が難しいが、飽くまで無限の責任は負わない。私らの子ではない。引かれるべき一線はあるはずだ。それがどこに引かれるべきなのか、見極めは難しいが)

コメント

タイトルとURLをコピーしました