Twitter日記(9/5号)

見たものについて語る

Twitter活動を毎週末小括している。あとになると色々忘れちゃう、そしてあとになって自他の過去ツイート探しても見つけ出すの容易でない。今回は8/30~9/5の分。これ書いてるの9/9なんだけどサ。

自分のツイート

今週はダーチャに居っぱなしだったので(何丘はウクライナのオデッサという街で団地とダーチャの二重生活をしています→オデッサ移住2年の住まい遍歴)ダーチャ生活の紹介みたいなツイートが多かった。

たとえば9/1が当地の学校の新年度の始まりだったのでこんなツイート↓

день знанийはよく「知識の日」と訳されるが思考停止の機械訳だと思う、だって知識って既に獲得されたものだろう、これからの獲得を前祝するものじゃないんかい、なら少々意訳になるが「学びの日」くらいがいいと思うんだ。ほんで大好きな関取花ちゃんの「むすめ」へのリンクを自リプでつけたというわけだ。

このとき校舎入口に見つけたプレートで別のツイートをなした↓

このツイートにNanaさんがリプライくれてスレッドが伸びた。ちょっと心的にインパクトのあるできごとだった。私はロシア周りの政治的なこと歴史的なこと言語とか文学にかかわることをしばしば説明がめんどくさくて私をフォローしてくれてる人の中に何人かいる玄人筋(高柳さんとか上田さんとか)にだけ伝わればいいやと思って説明十割減で呟く。でもそれは何だろうその内向きの輪の外側の人を排斥する意図ではない。むしろ外側(という言い方を行きがかり上とるが)の人が興味を持ってくれてコメントや質問をくれることは、内側の人の「いいね」にも増して嬉しい。しかしながらここに(今回のように)TさんとかMさんみたいな人が加わってひとたび「内向きの輪」が可視化されてしまうと、やはり外側の人は居心地を悪く感じてしまうだろう。とはいえ初手から十を十まで説明してかかるのは飽くまで面倒なのだ。このへんの態度決定いまひとつわからない。

9/2はオデッサの「市の日」день городаだった。そら呟くよね。↓

これを読んでる立川市民の皆さんは(このブログを訪れる人は大概が立川市民である)、立川市の「創建記念日」が何月何日かを知っていますか。知るわけもない。ふつう日本人は自分の街の創建の日など知らない。それもそのはず、そも日本の村落共同体は大概いつともなく自然に発生して長い時間をかけて次第にスケールしていったので、誰がいつ創建したなどと名指せるものではない。「市制何年」とかはあるが、そんなもん特別ことほぐには当たらん。

そこいくとロシアやウクライナは市の始まりの日というのがハッキリしていて当局ならびに市民はわりと粒立ててこれを祝う。モスクワしかりペテルブルグしかり。オデッサはというと、これも市の創建の日は1794年の9月2日とはっきり決まっている。例年その日に各種のイベントがあり、シメには「ポチョムキンの階段」いうオデッサを代表する観光名所で花火も上がる。

今日がその日ですよ、ということで上記ツイートをなした。誰か読み取ってくれるといいなーと期待してたのは、まず1794年というとめっちゃ最近であるということ(200年ちょっとしか歴史のない若い街である)、あと市長が市民にお祝いメッセージを「露語で」行ったということ。オフィシャルなアナウンスはウクライナ語で行いなさい(ここはウクライナなんだから、国語はウクライナ語なんだから)とキエフ当局から口を酸くして言われてもこういう場合にもし市長が本当にウクライナ語でお祝いメッセージを言おうものなら次の選挙でこの人の再選はないのである。ここはそういう土地柄だ。しかし「オデッサ」と名のつく街が世界に12あるという話は驚いた。アメリカにあるのは知ってるよ。

9/4はオデッサ来訪中のコピさんと会った。その朝のおはツイ↓

この日の前後数日は急激な秋めきが内心に作用して朝となく夕となく憂愁が胸を噛んでものすごかった。このトシでまだこんなティーンみたいな季節性の憂鬱を発するかーと苦しいやら嬉しいやら。こういう場合に私は気紛らしをしないであえて感情の靄の中に突っ込んでどこまでも行く。「俺は進み続ける」まるでエレンのように(進撃の巨人)。だがこの日は折あしく気紛らしになるようなイベントがあってしまった。何って言うてるやんかコピさんとの面会である。果たしてこのイベントを経て私の鬱雲はいったん散じた。翌朝また戻ってくるのであるが。

翌9/5は不機嫌が…つまりはその憂鬱が、所謂зашкаливать「閾値越え」してたので、前言と真っ向から背馳するのだがこうなったら逆に今日はもう徹底的に気散じに恪勤してやる、つまり肉体的負荷によって精神の憂悶を否(なみ)する、と決めて、庭仕事がんばりまくった↓

また

さらに

このあとブドウをしばいてたら(つまり果汁を絞ったりなんだりしてたら)がんばったご褒美のようにハリネズミが乱出没(らんでぶ)した。このツイートが今週いちばん「いいね」を稼いだ↓

翌9/6の朝、さらなる「ご褒美」があった。いや、そんな言い方はよくない。新しい命たち。

島尾ミホ『海辺の生と死』じゃないが、自然の命は失われやすい。太く逞しいのは非自然の結晶たる人間だけだ。その人間だってわりと死ぬ。いわんやこれら小さき無頼の命をや。ここへきてこの2年だけで、いやこのダーチャを最初に訪れた2015年から数えて、もうどれだけの命を見送ってきたか。去年もおんなじように白または三毛の子供を4匹くらい見た。1匹も残っていない。しばらく庭をほっつきあるいていたのだが。こうして猫3代が4代になるのかなーなんて思っていたが。・・願わくはうちの1匹くらいはどこかの屋根に庇護されて今も生きながらえていることを。

ということで子ねこちゃん可愛い可愛いだが私の目には明滅する有機交流電燈(春と修羅)、幽けき儚きものにしか見えぬ。このうちの1匹でも生き残るだろうかなどどうしても考えてしまう。餌を与える(どうして与えないでいられよう)ときも、4匹のうち1匹が妙におどおどして輪の外で様子伺いしてるのを見ると、ああこんな奴は無理して鼻先にエサを撒いてもきっと死ぬ、いのいちに死ぬ、「弱い奴は嫌いだ、すぐ死ぬ」リヴァイ。

私はこのような弱い命を写真に撮ってTwitterに載せるべきではないだろうか。死体を公衆に陳列してはならない、死体は猥褻だから。ところでこれら子猫ちゃんはみちみちて生であるのと等分量にまたみちみちて死でもあるのである。人はコメントもくれる。ネコちゃんかわいいねと。そらそうだ。ただ・・あまり期待しないでくれるか?断言するが、この4匹全員が生き残って成猫になるなど100パーあり得ない。だがそんなあり得ないことを信じてしまう人もいるようだ、さも当然のことのように。そのときに、私は彼らの半身がすでに死であるという事実を隠して、さも生であり光そのものであるかのようにこれらを写真にとって公衆にさらすことは不道徳ではないのか。態度の決定がつかない。

同じ朝にブドウの続きをした。↓

随分たのしそうな暮らしに見えるだろう。この群のツイートは「いいね」の数も私としては多い。こういう暮らしに憧れる人も多いのだ、と想像する。こうした一連のダーチャライフツイートによってフォロワーも増えた。だがしかし当の私の心はいったいどうしたことでしょう怏々として楽しまない。9/5の庭仕事バリ頑張りdayで身体疲労したあとも、それに由来する快い満足みたいなものは何もなかった。半ば以上死であるのはむしろ私の心か?・・

この↑ツイートのあと私は所用でキエフに発った。その朝に悲しい報知があったので泣きながら電車乗ってた。死ばかりは今年も豊作なのだ。серпень(鎌の月)は去ったというのに。

ひとさまのツイート

前週がTwitter強化週間でフォロー数をだいぶ増やしたのでタイムラインの川幅が増大、おかげで①メモしておきたいような私にとって耳寄りな情報が増した②閲覧がほんとしんどくなった。

特に9月に入って急に秋めいてメランコリックになっていたのでちょっと申し訳ないがひとさまのツイートはあまり見ないようにしていた。それでだいぶ見過ごしたにも関わらず、自分の「いいね」履歴をたどってみると、メモっておきたい耳より情報の出てくること出てくること。以下に貼り付けてく。(けっこう数が多くてシンドイので分類しない、見つけた順に貼ってく)

↓ちゅんこさんの「ななかまど」。すごい素敵な話。

↓上田さん。「猫五輪」いうのめっちゃよさそう。この方ウクライナ情報のために結構前から私をフォローしてくれてたのだが認識してなかった、先週のTwitter強化週間のフォロワー総点検で気づいて慌ててフォローバック、いい情報多い。勿体ないことしていた。

↓同じく上田さん。桑野隆の『もっと知りたいロシア語 初級から広げ深堀りする』だってさ、恐ろしくたのしみ。

↓ダイスケ君。批判精神旺盛な。この一連のやりとり面白い。元ツイートのアクセル全開ぶりとリツイ&リプの歩を弁じつつも辛辣な感じ(「おそロシア」ネタかなぁというまとめ上手し)。私がこれにさらに蛇足を付け加えると、まず前提として人たちの中にはステレオタイプの強化を(その反証よりも)喜ぶ人が少なくない、だからこそ「おそロシア」ネタはウケる。ただ元ツイが本当にそれを当て込んでのものなのか、それともガチで主観としてこういう世界を生きてるのかは傍から決定できない。んで後者の可能性も飽くまであるので、であれば「今この瞬間に生きてるんだって」せっかく感じてる人にあえて水を差すこともない、この人はこれでこの人なりに幸せなのだ。つうわけで私的にはこの種のツイートは「無視する」以外に正解がない。

↓草野さん。耕也くん以外の「詩」はときに硬質で読み疲れするので気軽に「いいね」も押せない、そこいくとこういう会話の系統のやつは読みやすくて、読める、気づけばこれ系ばかり「いいね」してる気がする。にしてもビーナスの彫刻から入って子ども(不在の!)を経て中華料理で終わるこの展開の目覚ましさ。行分けの効果を知り尽くしてる人。行分けうまく使うことによってTwitterの字数制限による情報量の限界をかなり高めに超えてくる人。

↓在独の人。「JAPANタトゥーの本」ですとさ。なるほど!こういうタネ帳があるのか。そらあるはずだ。こちらの人(つまり広くヨーロッパ(ロシア含む)の人)の漢字タトゥーの「なんか違う」「微妙に惜しい」しかし一応字画が正確ではある、そのよって来るところを見た。

↓むかいひろき氏。プーチンの有名な台詞「便所でぶち殺す」がWikipediaの記事になっている! よく見つけるなー。しかも見てみると(こちらです)記述がムダに充実してる。「科学的評価」て何やねん。ちなみにこのフレーズの和訳としては木村汎氏の「雪隠詰めでぶっ殺す」に優るものはないと思います。

↓東洋書店新社。前回のTwitter日記でも取り上げた新刊本『ポスト・プーチン論序説 チェチェン化するロシア』の宣伝。<いまなお(かつてとは別様に)ロシアの国家的大問題である「チェチェン」を掘り下げ><チェチェンを掘るとなぜ「ポスト・プーチン」の話になるかは、本書で!>コピー強すぎだろ。中の人優秀すぎ。なるほどそういう本か、ならば読む。

↓グルジアのケティさん。グルジアのどのあたりなのか分からないが、よくグルジアは黒海挟んでお隣の国で気候も近しそうなもんだが季節は向こうの方がだいぶ早いなと思うのだが、ケティさんとこの花や果実はけっこううち(オデッサ)と時期が近い。にしても、である。なんて美しいブドウだ。天候不順でブドウ&ワイン大打撃というのは欧州全域の話だと思っていたが(うちも収穫よくて半減!)、なんと美しい粒粒。まぁ果実の質に限らず、この方の暮らしぶりは、いうて私らも大概だが、この方こそ誰もが憧れる理想的な環境&生活って感じがする。でも別ツイートでは不便をかこってらした、それいくとうちはそういうインフラの問題はほぼない。どこも一長一短だ。

↓Norikoさん。新天地はセルビアですと!全く何のイメージもない。が、この方の写真を見る限り、青空にパステルカラーの家壁が映える清潔で快適な街って感じがする。中心部から自家用車が締め出されてる感じ欧州スタンダードか。多数の教会(尖塔!正教の国じゃないんかい!?)と広場、これもヨーロッパって感じ。ただこの方は長く滞在されていたわがウクライナについてちょっと小首を傾げたくなるくらい理想的で美しい写真ばかり紹介していて、それはちょっと画角を選びすぎてないかいと思っていたので、まぁビハインザシーンを広めに見積もっておく。

↓ポンテ月さん。やれやれ、神保町の三省堂が近日閉店して建物取り壊しだとさ。地獄だ。三省堂のない神保町は神保町ではない、神保町のない東京は東京ではない、東京のない日本は日本ではない、日本のない世界は世界ではない。つまり私はすみかを失ったというわけさ。

↓スペイン在住の人?Nanaさんと絡んでたので目に留まった。なんでも、スペインのビーチでは若者だけでなく結構お年を召した方も水着で思い思いくつろいでいますとな。えっ・・・? あっ・・・! 言われて気づいたが、それってこういうことですよね、つまり、日本のビーチでは、お年を召してしわくちゃになって体型の崩れた男女は、なんとなくビキニとか海パン一丁で存在してるのが憚られるってこと? 言われるとそうな気もする。海なし県の川育ちでオデッサ来るまでビーチというものとほぼ無縁できた私には逆カルチャーショック。日本、了見せっま!!

↓これもスペイン在住の人、Nanaさんとの絡みで目に留まった。バルセロナの治安について。えっ・・!? バルセロナってホンジュラスだったの?(注:ロシア語にне ту страну назвали Гондурасомという表現あり。)「治安はいい(命を奪われることは滅多にない)」って、それってもう命以外のものはわりとカジュアルに奪われる世界ってことやんな。以前Nanaさんにオデッサの治安はどうですかと訊かれたことがあったが、それならば私はこう答えるべきであった――「バルセロナよりは百倍マシです!!」

了。

【関連記事】
前回のTwitter日記 ⇒ 8/29:Twitter強化週間振り返り。こんな時節でもオデッサに来る日本人たち。
週刊YouTubeレビュー ⇒ 9/5:セレブ豪邸、子供向けアニメ、密着
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