50日後にウクライナから脱出する何丘とかいう奴の「手記」

オデッサ/ウクライナ/ロシア

オデッサ住んでる何丘とかいうやつが1月19日に「手記」をつけはじめて、その36日後に戦争が始まり、50日後に一家は避難した。その50日をうっすらもう一度生きてみる。

※「手記」=ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

2月6日

「手記」

2月6日

見よこの海の青。Ah, 美代子。
(海の写真)
晴れの日に何はなくとも海に出てくるオデッソス民。

北京五輪は昼飯時にアイスホッケーの日本vs中国がやってたので少し見た。延長で決着がつかずサッカーでいうPK戦みたいなのになり、それを中国が制した。サッカーはキッカー絶対有利で基本入る、それをGKがいかにセーブするかの勝負だが、アイスホッケーはどうやら逆で、何しろゴールが狭くて着ぶくれたGKがデカいからねえ、基本入らない、そこを攻撃側がいかにシャイバをねじ込むかの勝負であるように見受けた。

こういうときにしか見ない競技種目をこれ何だろうねあれどうなってるんだろうねと推理あるいは妄想しながら見るのが楽しい。(ロシア語の実況は初心者向けにあんまりルールとか戦術とかの解説はしてくれない、そこが日本の放送と違う)

いま(2023年2月のこの今)、ウクライナのメディアでは2月のロシア軍の大攻勢について様々な予測が出ている。ロシア軍が2月に大攻勢をかけることはほぼ確実視されていて、あとはそれがいつ、またどのように行われるかが議論されている。このような情報環境であれば、そのときにOh美代子の海とか五輪アイスホッケーおもしろいねとか言ってる在留邦人は、完全にバカであろう。まったく腹立たしいバカ。皆さんにはそう見えていたわけですか。このように皆さんには見えていたのですね、それでヤアヤア言っていたわけですか。今ごろ納得です。

だが言っときますけど、この2022年2月だって、私はウクライナのメディアで情報とってたのだ。それによればロシアの侵攻は規定の路線でもなんでもなかった。皆さんは日本語メディアだけから情報とってたからロシアの侵攻は規定の路線としきゃ見えず、それで私がバカに見えたんです。結果的に侵攻はあったし、ということは2月初旬の時点でロシアの侵攻は事実として規定の路線であったわけだが、でも「だからやっぱりお前はバカだったのだ」ということは言えないはずだ。もういいけど。

2月5日

「手記」

2月5日

バカの考え休むに似たり。それが今の私に一番似合う言葉のお洋服だ。おしゃべりもええ加減にせ。

猫(写真)

オデッサは猫の街で街にも海にもいっぱいいる。カリカリだの肉魚の要らない部分など誰彼撒いてくのでどいつもよく肥えている。

五輪
北京オリンピックでも見ますかな、と有料チャンネルに加入した。※日本人の感覚だとテレビつければ五輪くらいやってるのが当たり前という感じがするがウクライナでは普通のテレビでは五輪はやらない。自国選手だって出場してるのにと実に不思議な感じがするのだが、要はお金がなくて放送権が買えないのだと思う。東京五輪もEUROのときもわざわざ有料放送契約して見た。今回も。
目当ては10日からの女子カーリングとフィギュアの男子女子シングルだが飯時に(そのときやってるものを)ちょいちょい見る。この日は女子のジャンプを見た。実に不思議な種目。いろいろ全然わからない。でもそれがおもしろい。(誰が勝つとかはどうでもいい)

珍名五輪
(※割愛。)

「今の私に一番似合う言葉のお洋服」は、中原中也「今日の日の魂に合ふ/布切屑をでも探して来よう」(秋の一日)から。猫はうじゃうじゃいる。猫にだけは事欠かない街だオデッサは。今でも私らの住まうここ日本の東京の三多摩某市を歩いていて猫にいきあうと、妙な話だが、「あっあのオデッサにうじゃうじゃいる生き物が珍しくもここ(日本)にいる!」という感想が走る。

2022年! その2月に北京五輪があり、11月にサッカーW杯があったのか。到底同じ1年のできごととは思われない。北京五輪は私にはとてもありがたかった(それを見ている間は私が「ロシアの侵攻」を忘れていられたために)が、サッカーW杯カタール大会は私には徹底的に不愉快なイベントであった(それを見ている間は世界の人がロシアの侵攻を忘れていられたために)。

2月4日

「手記」にはこうある。

2月4日
とある日本人の方と会って親しく話した。ともすると話題は「ロシアの侵攻」に振れた。私と同じ温度感の人。気にする、大いに気にする、報道も見ている、その上で残る。一方には日本語メディア他の情報の棘、一方には全く平静そのものの現・地・人(その方は私の数層倍現地のさまざまな人と密な交流を持つ)。奇妙。不可解。じつに不思議な感じ。(そうそう、ほんとそれ)

二つの現実。米英日、露、そしてウ、すべての語りにつき、こいつはこれこれの理由でウソをついているのではないかと疑える。そんな中で何が確実に汲むに足る・考慮に値する事柄か。まず、ウクライナ国境付近にロシア軍の大勢力が結集していること、この事実は疑う必要がない。他方の秤に乗せるべきは、やはりロシアが大勢力をもって隣国に攻め込むことの合理性と現実性(の健全な理性による否定)ということに尽きると思う。私にはそんな合理性・現実性があるとは思えない。それが十二分に感得できていれば今頃本当に帰国してるだろうと思う。注1:そんなものはお前の揣摩など及ばないプーチンの脳髄の中の価値観・世界観次第ではないか、という類の「プーチンのあたまのなか(はわからない)」言説はミスリーディングな部分があると思う。プーチンはそんなになんでもかんでも専断できる権能を持ってるのでしょうか。絶対専制君主プーチンによる完全垂直統治国家というステレオタイプに反して、ロシアという巨大な国家の舵を取るのは複数(少数ではあれ)の脳髄と多数の関節であるはずだ。注2:ロシアの側に合理性と現実性がなくても国境に攻撃側のみならず防衛側の戦力まで集中してきている現状では「偶発的」衝突により大規模戦の戦端がいつだって開かれかねない危険があるではないか?はい、同意。だから国境付近への戦力集中は少なくとも確実に考慮すべき事柄だと言っている。

一方、これらことがらの内部にではなく、その大外から、この全構造を相対化(中和)しているのが、平穏しごくの街と人である。もう一度いう、内部にでなく、外部から。(これをもって前段落冒頭の「二つの現実」のカッコが閉じる)

先日ブラック何丘という人が「この日々、ウクライナ在住者なかまの存在様態を嫌悪していた、彼らのすること言うことに共感できるものが何もなかった」と書いていたが、ここに出てくる「とある日本人の方」は、その唯一の例外であった。

この「とある日本人の方」は50代の男性で、オデッサにもう20年住んでいる。私は数字に弱いので間違ってるかもしれません。ロシア語はペラペラ。現地にたくさんの友人を有している。これ以上詳しく言うのは避ける。

私がこの方を識ったのはオデッサ生活も本当に終盤になってからだが、もっと長く、深い付き合いをしたかった。この方との短い交際で私が得たものは2つある。ひとつは、同じ時空で同じ懊悩を抱えた人と親しく言葉を交わすことによる、大いなる慰謝。まことに得難い話し相手であった。たぶん互いにとってそうであった。いまも、「手記」上に残っている「二つの現実」をめぐる私の全ヴズドール(妄言)を完全な共感をもって理解できる人は、たぶん地球上にこの人しかいない。

もうひとつは、子育てのアドバイス。当時も今も私の最大の関心事である太郎育てについて、日本語で本質的なアドバイスをくれた人は私の人生でこの人が最初の人であった。その教えのいくつかは、折々思い出す、どころか、ほとんど拳々服膺している。たとえば、「子育てについて、夫婦でとことん話し合うこと」。言葉にすると何でもないようなことだが、それがどんなに大切で、また失われやすいことか。

ことばの注釈:平静そのものの「現・地・人」とあるのは、現在(時制)この地(場所)そして人たち、のこと。この現在は静かですし、オデッサの街は静かですし、人たちも冷静です、みたいなこと。妙な言い方をしててすいません。

この2/4の記述は、「二つの現実」というのが何と何のことなのか、はじめて示すことに成功していると思う。①侵攻あるか②侵攻ないか、この二つが対立しているのではなくて、①侵攻あるかそれともないかという議論②議論の不在(静穏そのものの日常)、この二つが対立している。あるいはこの二極に精神が引き裂かれている。

↓「手記」後半。

ぼくのこわいもの
こわいもの(こわい順)
⑴大規模戦争(核ミサイル、無差別爆撃、化学兵器の使用etc)
⑵局地的戦争(ロシア軍のオデッサ侵攻、両陣営によるオデッサ市街戦)
⑶暴動、騒擾(14年)
⑷生活インフラ麻痺(電気、ガス、水道、インターネット使用できず)
⑸出国したくてもできない

⑴の実現は信じない。実現したら基本的に死ぬことを覚悟するほかない。だが⑴を恐れて帰国する人は、同じ理由で、首都直下地震を恐れて東京に住むべきではない。

⑵ロシア軍は(もしかしたら一部の人が持っているかもしれない狂気の大量破壊者・殺戮者というイメージに反して)合理と規律に基づいて行動する。彼らの戦略戦術目標付近で抵抗ないし妨害的行動をとれば実力排除されるではあろうが、それ以外の理由で弾を撃たれることなど考えにくい(まして私たちは彼らの兄弟なのだ)。しかし両陣営がバチバチ砲火を交えるとなれば、がぜん流れ弾でおっ死ぬ可能性が出てくる。(オデッサがロシア軍とウクライナ軍の戦場に……考えるだに胸が苦しい。)何しろ私らは、そうした兆候をつかみとったら全力・最速でダーチャに逃げる。この「兆候をつかみとる」ことには最大限に感度を高めるべきだ。ただ現状、少なくともウクライナ軍のプレゼンスがオデッサの街中で高まっているという事実はない、と断言する。14年にはそれがあった。そのことがオデッサ市民の楽観(「緊張は14年ほどにも高まっていない」)のひとつの根拠になっている模様。

⑶軍人以外の人間がバーサク化してしかも集団化して暴れ回るという恐ろしいシナリオ。彼らは合理と規律に基づいては行動しない。おっ珍しき外貌のやつ、この中国人め、なんとなく死を!とて私に鉄槌が振り下ろされる可能性もある、なんでもあり得る。対策1:まず前提として、私たちはウクライナの独立と尊厳のためにであれ、解放者ロシアを歓呼して迎えるためにであれ(たとえばですよ)、政治的熱情にかられて街路に出るなどということは絶対にない。私にも妻にも政治的立場というものがなくはないが、そんなもの(国家だとか世界秩序だとかいう些事)よりも我が身と子供の安全の方が百億倍大事であるという点では夫婦が完全に一致している。対策2:外に一歩も出ないで沈静化を最大10日~2週間程度待てるだけの蓄えは私たちの今いる街中のアパートにもある。対策3:隙を見てダーチャに逃れることさえできれば一冬越せるくらいの蓄えはある。
なお、政治集会が開かれて、親露派市民と反露派市民の暴力的衝突が発生しかねないような場所には、ある程度の目星をつけることが可能だ。私らはそれなりにこの街の地理と地誌をよく分かっているつもりで、この近くで何かその種のことが行われるとしたらここあるいはここであろうという見当がつく。それらはいずれも陋居からそれなりに離れており、かつ、私らがダーチャへ逃れるための動線を外れている。

⑷インフラのダウン。これを想定した備蓄をしている。ただ、長期(たとえば1か月程度)にわたって生活・生命維持に直結するインフラが停止するというシナリオは排除していいと思う。インフラがダウンしたとして、ロシア側はもちろん関与を否定するであろうが、どんな否定の身振りをとったって、この状況ではロシアがサイバー攻撃を行ったということにどうしたってなる。真冬に電気やガスや温水パイプラインが停止することの破壊的影響をロシアはよく分かっているはず。分かっていてよくもこのような非人道的な攻撃を市民たち(お前たちの兄弟たち!)に対して行えるなと、国民感情は決定的にロシアから離反する。そのようなことがロシアの望みであるはずがない。ちなみに、万が一全インフラが一冬にわたりダウンした場合であっても、なお私らはダーチャで生き延びられる。

⑸航空便の欠航。大使館が「商用便が動いている今のうちに出国を」と訴える根拠だ。一時的に逃げたくても逃げられないという状況が発生することは折り込んでおかねばならない。だがそんな状況が永続するはずはない。ダーチャで耐久しているあいだに逃走手段は回復するであろう、と楽観している。

お前がそんなに頼りにしているそのダーチャの存する農村こそが川中島に、つまりは戦場になったらどうするんだ? ――そのようなことはおよそ起こり得ない、と思う。そんな予断が死を招くぞ、そんな無根拠な楽観なんかして、妻子に対する責任とか感じないのか? ――逆に問うが、君は外出の前に今日きみがおもてで気のふれた暴漢に刺されて死なない理由を10個数え上げてからでないと安心して靴も履けないのか?

(最後にもう一度言っておこうか、私の生活感情は、これらすべてのおしゃべりの外側にある)

このへたくそな乳くさい未来予想には、いろいろ突っ込みどころがある。在住者なかまの中で一番よくものを考えていたと豪語する人の未来予想力この程度であった。笑ってください。いやお前に笑われる筋合いねえよ。

⑴について。近い将来ほとんど起きることが予定されている首都直下型地震はしかし明日は来ない。まさか明日には来ない。いや、私もそう思うのですよ。明日来ると思えるようには脳ができていないのだ。このアナロジーは、あとで出てくる「気のふれた暴漢」よりは、よくできている。

⑵について。ロシア軍の能力にやけに信頼しているふうなのは、前に書いたように、リベラルぶってるのだ。「リベラルぶる」というのは、敵対者を前に対立を推し進めるのではなくむしろ敵対者を擁護してみせて道徳的高地を取得する(みんなちがって、みんないい、とか言って)という姑息な身振りのことだ。ロシア軍の実態について知識ベースで語っているのでなく、擁護したいという目的にリードされて書いている。

⑶軍人(軍隊)は調律された行動をとりその残虐性には節度がある、暴徒には規律がなく残虐性にも際限がない。前者はロシアからくるもの、後者はウクライナの内部から湧くもの。こういう整理であった。この語りの中で強烈に意識されていたのは14年である。前者のイメージはロシアの目覚ましいクリミア占拠電撃作戦、後者のイメージは5月2日のオデッサ労働組合会館焼き討ち事件=ウクライナ民族主義過激派の凶行に、直接的に由来している。親ロシア的な家庭に属し、親ロシア的な言説に浴した私の、これが限界であった。言うまでもなく、実際に私たちが目にしたのはこれと全く真逆の光景である。

⑷額に入れて飾っておきたい。「真冬に電気やガスや温水パイプラインが停止することの破壊的影響をロシアはよく分かっているはず。分かっていてよくもこのような非人道的な攻撃を市民たち(お前たちの兄弟たち!)に対して行えるなと、国民感情は決定的にロシアから離反する。そのようなことがロシアの望みであるはずがない。」

そしてこの日の記述のMVPは末尾の一文である。「私の生活感情は、これらすべてのおしゃべりの外側にある」。山どりの尾のしだり尾の長い長い妄語に対してもう一つの現実を屹立させるためにはただひとつ、語ることをやめればよい。

2月3日

「手記」

2月3日

ふつーの日。公園。

この日も終日氷点下、ヒートテック必須、お池の水もぱきーんと凍ってる。

(え、そんだけ?)

そんだけ。多田尊々=ただ・そんだけ。⇒ 珍名辞典

2月2日

「手記」

2月2日

非常に大丈夫な日だった。(以下、ごくふつうの意味での「日記」)

妻と子とトロリーバスで中心部に出かけた。とあるショッピングセンターにキッズランドみたいなものがあると聞きつけて行ってみたのだが営業していなく、営業していない理由もわからない。手がかりになる掲示物が何もない。ショッピングセンターのインフォメーションスタンドも二度通って二度無人。ウクライナ生活でよく経験するのだが、たとえば事前にHP見ていても電話で確認していても、実際に行ってみると休みだったり、あるはずの場所にそれがなかったり、ああその件ならここじゃなくてどこそこだよと全然違う住所を教えられたりする。「本当のところは実際に行ってみないと絶対にわからない」というのが私らの中での格言である。事例:某役所手続きにはその役所のウェブサイトからの予約申請が必須であり、そのウェブサイトに掲載されているとおりの書類を一式用意して予約の時間に出向いたところ、書類の種類が全然違うと言われ、「でもウェブサイトにはこう書いてあった」と抗弁すると「サイトはうちの管轄じゃない(Сайт мы не разрабатываем)」と言われた。この言葉、ウクライナ生活を象徴するものとして忘れがたい。

と、なんの話だったけ。妻と子とトロリーバスで出かけた。とあるショッピングセンターのキッズランド的なやつが謎に休業で落胆。だがその隣の本屋がすごいいい本屋で、ロシア語のいい本がいっぱい置いてある。ウクライナはロシア語の/ロシアの出版社の図書の流通にけっこうな制限をかけているので、ロシアの出版社の良書がこのように大量に集積しているさまは壮観といってよく、あれもほしいこれもほしいと目移りした……が、まぁ出費は押さえておきたい時候だったりするので我慢。そこはおもちゃ屋さんも兼ねていて、ご自由に遊びくださいのコーナーで太郎は夢中で遊ぶ、そのかんに私と妻はゆっくり物色、小さい店だが珍しいものが多く、店員にいろいろ聞いたりしながらものの1時間も過ごしたと思う。なんかサーチライトにセル画のカセットを嵌めて壁に図像を映写するやつを買って、これはすごいおもちゃだ、これは絶対よろこぶぞ、早く日が暮れないかなとわくわくして、暗くなったら待ってましたとそいつを出して、消灯して壁に照らしつけてみたのだが、図像、ボヤケまくり。子供もなんのこっちゃわけがわからず(そらそうだ)不興がってしまって、わたくしは心底落胆した。

でまた時制が戻る。妻と子とトロリーバスで出かけて、ショッピングセンターで本屋兼おもちゃ屋を見たあと、近くのお店でお昼を食べた。子供が遊べる4畳半くらいのスペースが設えられてる、こういう飲食店はままある。子供にとっては家にない珍しいおもちゃで遊べるチャンスであるし、私らは子供が夢中で遊んでる間ゆっくり茶話できるし、なんならPC持ち込んで仕事もできるし、有難いことだ。

秋になったらオデッサでの生活を畳んで日本に帰国する予定である。もともと出産と子育ての最初の数か年、目安として子供が3歳になるくらいまでを妻の親元でということで移住してきた。秋は遠いようで近い(ようで遠い)。帰国までにやっときたいこと・やっとかねばならないことなどを話し合った。妻の描く明るい未来が一瞬あまりに明るきに過ぎ、それを眩しく感じた瞬間気づくと私、声を上げて笑っていた。こんなふうに笑ったのなんかすごい久しぶりな感じ。妻よ、今の話はちょっとあまりに最高すぎる気がするけど、そうだね、そうなるといいよね、そうなるようにがんばろう。

私たちは生活していた。

2月1日

「手記」は運命の2月に入った。

2月1日
ウクライナ語で2月は「酷月(むごつき)」という。ウ表記лютий、露表記лютый。лютый мороз厳しい寒さとかいうときの「厳しい」という形容詞。

ウクライナ語は月名にスラヴの古色を残していて美しい。ロシア語はたぶんピョートル大帝の時代か何かに欧州スタンダードの「ジャヌアリィ・フェブラリィ……」式に変えてしまった。

【月名】
つまらない:現代日本(1月、2月…)
ふつう:欧米露(ジャヌアリィ・フェブラリィ…)
おもしろい:和月名(睦月、如月…)、ウクライナ(薪月、酷月…)

いきなり何の話を始めたんだと言われそうだが、全く穏やかな一日でしたので、せっかく本記事訪れてくれた人に悪いなと思い、せめて何か持ち帰れるようにと思って書いた。

子供と大きいおもちゃ屋に入っていろいろ見た。これちょっといいなと思った。モザイク、色石を板絵の穴に嵌めていく。帰って妻に写真見してどうと問うたらいいんじゃないというので多分こんど買う。

これから数日、一種の壺中天的ユーフォリアが続くのだろうか。記述は落ち着いている。考えるべきことは一通り考えたし、やるべきこと(備蓄)も一通りやった、あとは状況の変化を見守りつつ生活を営むだけ、というところか。

酷月は、2023年のそれも、順調に寒い。オデッサ2月1日から10日間の予報↓

同、キエフ↓

今日あたりはまだマシであったが、二三日すれば終日気温が0度を上回らない冷凍庫の中の日々が始まる。寒さと暗闇。2月がこれほどムゴいものであったことはこの30年(独立ウクライナ史上)なかったであろう。

1月31日

「手記」によれば、こうだ。

1月31日(なんかムキになって出国の線を否定しているようだが)

晴れ。子供と近所の遊園地へ。大観覧車。青空スケートリンク。
(写真)
名もなき水兵たちに捧げるオベリスクと久遠の火、海。
(写真)

朝から色々読んでしまって暗い気持ちになりそれを「地に足のついた生活」によって一日がかりで払拭した感じだ。

「戦争が始まるかも知れない場所に幼い子供がいるのに留まるなんてどうかしてる」「万一の事態に備えるべきだ」「万が一のことも考えておくべきだ」・・言うのは簡単、そして言ってみればいかにももっともらしいことだ。言葉のこの粗さにおいては、はい、完全に同意。だがもっと解像度を上げて、何がどのように始まるか、それが始まる公算をどのくらいに見積もるか、これがあるいはそれが始まるとして、そのことが超個別具体的にこと私たちの家庭に対してどのようなインパクトを持つか、幼い子供にこの地とかの地で何がいかほど損か得か、備えるとは具体的に何をすることか、考えるとは具体的に何を考えることか、ということに自分の中で一々答えていくと、いつか最初の大きな問いは解体され無効化している。

ある人へ:明々白々な脅威にも関わらず身の回りの人間がその脅威を脅威と認識しないことによって私自身も認識を曇らせ判断を誤らせている、という構図は当を得ない。あなたのそのようなナラティヴが生れてくる背景の現実感・世界観そのものが相対化されているのだ。

ある人へ:国境付近に未曾有の大戦力を集めたロシアは今「やろうと思えばなんでもできる」だから「万一の事態に備えるべきだ」という、でも物理的・能力的な可能性の話ならロシアはいつだって核ミサイルを撃てたし、撃てるではないか。そうはいってもそこまではしないだろうという合理的推論による限定は飽くまで有効であるということだ。つまり「やろうと思えばなんでもできる」のうち、軍事専門家のような人たちは「なんでもできる」の方に重きを置くが、「やろうと思えば」の方への働きかけ、すなわち外交的努力が継続しているという事実も、決して軽くない。それだって在住者の残留是非の判断材料に「なる」のである。

外務省=大使館ラインの出国勧告を(大使館職員への満腔の尊敬にも関わらず)重く見ることができないのは、それはあくまで東京の外務本省の決定であって、現地の機微なる情報に基づく在ウクライナ日本大使館の決定などではないのだろうなと思うからだ。それが米国の同様の措置の模倣に過ぎないことを、第一にタイミング、第二には某大使館職員の言(1/26の記述参照)から信じる。また、思い出すのは昨年12月、コロナウィルスに関する新たな水際対策としての、外国人配偶者向けビザの発給停止措置だ。在外邦人の生活と幸福なぞに洟もかけない非合理な施策により岸田内閣は支持率を高めた。今回の退避勧告発出決定もやることはやってますよという国内向けパフォーマンス、失点回避のアリバイ施策に過ぎないのだろうなぞと、どうしても疑ってしまう。(とすれば振り回される大使館員こそ気の毒だ)(3度の電話会話の印象では大使館には本当に報道以上の情報がない)

なんかムキになって出国の線を否定しているようだが、実はそんなことはない、と思う、何かあればもちろん出国を検討する。その「何か」というのは、しかし、何度も書いてるが、必ずしも侵攻が行われ、あるいはインフラがダウンすることではない。想定している範囲であれば仮に侵攻があったとしても水道ガス電気が止まっても、私たちは残る。私たちはそもそも19年、ロシアと現に戦争中であることを承知で、ウクライナに来た。今また、侵攻の危険があることを承知で、また侵攻があったこと(未来完了形。не дай бог)を承知で、私たちはウクライナに残る。ポイントはことこの他ならぬ私たちの生活に影響が及ぶかということであり、それでしかない。

だから拙文をもしお読みの在住者があれば、私は何もあなたに残留を勧めてるわけではないです。「一般に」ウクライナ在住者が残留すべきかどうか、という話はしていない。「超個別具体的に」私と妻と子は残るべきか・残って大丈夫かどうかということしか考えていなく、その話しかしていない。

……というような妄想を続けるのが楽しくて仕方なく、せっかく帰ってきた日本での生活がなんかこう浮足立っちゃってしっくりこない。ソワソワしてしまう。私はウクライナに残してきた自分の影への共感力がめちゃ高いらしい。影をなくした男、シャミッソー。こたつと湯たんぽと猫とお風呂のある生活はいいね。水がうまいのが何より有難い。6か月かけてゆっくり体の全細胞を入れ替えていったろうと思います。なお、写真は義兄に現地から送らせてるやつで、私が撮ったものではない。(私が結局ウクライナを出国することにした経緯については1/24の項を)

妙な感想だが、「よく書けている」。言葉がキレている。これは精神の緊張と無関係でないと思う。その後の私の千言万語は比べると大分ぶよぶよしてるのではないか。

多分この「ある人へ」「ある人へ」というのは、ツイッターで目にした意見について陰で反論しているものと思う。あるいは私個人について言われたことへの反論だったかもしれない。私は表向きにはウクライナから日本に帰国したことになっていたしツイッターも居留守を決め込んでたのでツイッター場裏で反論とか論争とかすることはなかった。てか、それをしないためにこそ、帰国しましたとウソをついたのだった。でも一応見てましたよ。ぜんぶ見てました、自分について言われてることは。おーい、でも、私を愚弄したあなた。あなたごときのなまくらが私の魂に1ミリでも傷をつけることができたと思わないでね。

このままブラック何丘でいかせてもらうが、私は危機に際しての在住者なかまのふるまいが好きでなかった。同じウクライナにいる同じ日本人という連帯感はゼロであった。むしろ嫌悪感の方が大きかった。直接知ってる人、ツイッターで知ってる人、ともに何人かいたが、その人たちの心的態度、危機のときに何をし何を言うかということに、共感できるものがほとんどなかった。嫌いであった。具体的にか。たとえばある人は私と違ってツイッターで身辺のこと発信することを続けたがそれも違うと思った(なんでだよ!別にいいじゃんか!)し、あなた正常性バイアスですね死にますよとご親切言われたのに対し「いやバァカ、こちらは平穏そのものですから!」と現地マウントとる人も嫌いであった。懊悩とか少しはあれよ、知能低すぎだろ、と思っていた。また逆に、現地語できないので専ら日本語でそれも煽り記事ばかり読んでアワアワしてる人もいて、お前はお前で少しは真理探究しろよ、とまた自分を棚に上げて思っていたんだなぁ。この人に対しては少しは自分も責任を感じ、多少言葉をかけたりもしたが、少なくとも共感はできなかった。

200人いたという邦人の、横のつながりはなかった。一部ゆるやかにつながっていた部分も、危機に際して意味のある結束はしなかった。私は自分と家族の心配で精一杯だったし、多分みんなそうだったんだろう。(※私から見えた範囲について言ってるにすぎません。と一応、断っておこう)

このあたり、ほとんど間然するところがない:「言葉のこの粗さにおいては、はい、完全に同意」「『やろうと思えばなんでもできる』のうち、軍事専門家のような人たちは『なんでもできる』の方に重きを置くが、『やろうと思えば』の方への働きかけ、すなわち外交的努力が継続しているという事実も、決して軽くない」「私たちはそもそも19年、ロシアと現に戦争中であることを承知で、ウクライナに来た。今また、侵攻の危険があることを承知で、また侵攻があったこと(未来完了形。не дай бог)を承知で、私たちはウクライナに残る。ポイントはことこの他ならぬ私たちの生活に影響が及ぶかということであり、それでしかない」。本当にその通りだ(った)よなという感じ。

1月30日

「手記」によると、私は鬱の森を抜けたのだそうだ。

1月30日(鬱森抜けた)

黒海。ウクライナ。オデッサ。雪の浜辺。

穏やかな一日だった。鬱森抜けた。(と断定する)

この鬱の森を抜けたというのはどういう状態を指すのだろうか。たぶん、ひとまずやりきった、考え切ったから、もう心配することをやめる(やめて水爆を愛するようになる)と、そういうことだったろうと思う。つまり、侵攻があったとしてもまず大丈夫だろうと見切りがついたので、ひとまず侵攻はないものとして生活を続けると。こう方針が立って、気づけば鬱の森を出ていた。

1年前のこの日ビーチは雪で覆われていた。今年の1月30日もオデッサは雪に覆われている。ダーチャの義母から寒薔薇写真が送られてきた。

1月29日

「手記」によれば、こうだ。

1月29日(義父とダーチャ行って/私は楽観する)

義父とダーチャ行ってやることやってきた。なだらかな起伏の続く南ウクライナの丘陵地帯、夏場ウシだのヤギだの放牧で草食む野ヅラも斜面も冠雪して寂しき美しきブリューゲル的自然美。はなくそ、という名の私たちのネコ、飼ってるわけではない、を膝に乗せて掻き抱いた。要するに自分を安心させ安定させるということをしてきた。食糧庫や薪炭のうずたか山の目視確認も義父とのチッターチャットも全て私一個の魂を慰安するために行われた。

義父は私の心配に半ば呆れている……というよりむしろ今のいわゆるинформационная война情報戦争(内実を伴わぬ、空虚な)に焚きつけられて私が浮足立っていることに嫌悪を催しているらしかったが、それでも黙って私に付き合ってくれた。

義父母も14年はダーチャで備蓄をしていたそうだ。ユーロマイダンに類する騒擾がオデッサで生じる、というシナリオにリアリティを感じた理由として①現に武装した軍人が随所に配置されていたこと②現に人たちが食料を買い込みに走っていたこと(※供給は十分だったにも関わらず)、を義父は挙げる。翻って今この22年の緊張が「実は大したものではない」と考える理由は、ざっと言って⑴14年に見られたような兆候が今は一切見られないこと⑵ロシアにとってウクライナへの侵攻が非合理であること⑶ロシアにとってウクライナへの大規模侵攻・ウクライナでの大規模戦争が非現実的であること。

義父の盲点はサイバー攻撃による国家機能・国民生活・情報空間の壊乱またはジャックというシナリオであろう。だが、①小泉さんのいう情報空間の一時的占拠と偽情報の拡散による騒擾の惹起というのが、今ここオデッサでどのように実現しうるのか、はなはだ疑わしく思う。親露成分の濃いオデッサだが、たとえばこの街でトリコロールのロシア国旗を目にする機会は絶対にない。一つにはそれが法律で禁止されてるから(ソ連・ロシア的なものは14年以降徹底的に抑圧されてきた(お目こぼしは5月9日の小規模な「不滅の連隊」くらい))で、一つには、市民自身が抑圧を内面化し、政治的立場の表明を忌避しているのだ。14年5月2日の労働組合会館焼き討ち事件に象徴されるウクライナ民族主義過激派の暴力行為はいまだ市民の記憶に新しい。内外両面からの強力な抑圧に8年の長きをかけて馴致せしめられたこの人々が、不時の扇動を真に受けてひょいひょい街路になど出るだろうか。あと②(←本段落一文目からの続き)私らのダーチャがインフラの麻痺寸断というシナリオにおいて高い耐久性を持っていることは再三言っている通り。

こちらの人たちの未来予想を聞くときに、14年の経験がむしろ思考の枷になっている、という可能性は考慮する必要がある。14年がいかに驚天動地であったかを妻も義父母も口を極めて語る、いわく「あのときほどひどいことは起こり得ない」「まして何ら取るに足る兆候も見られないではないか」。同様の事項に、「外国メディアはすわ戦争だ戦争だと叫ぶが、戦争ならこの8年ずーっと続いているんだ」というのがある。だがこれら主張は国境周辺に未曾有の戦力が集中しているという現実に対してむしろ積極的に目をつぶるものだ。西側も着々と対抗戦力を集めつつある。緊張が高まっていることは厳然たる事実と思う。(でなければ皆さんのお好きなプーはなんでこんな忙しく各国代表と折衝を繰り返しているのか)

それでも、とここで本項冒頭のテンションに戻りたい、いつまでも不安に青ざめていたって仕方ない。結局は家族とりわけ子供そして他ならぬ私自身の幸福のために残留を決めている。アホらし、戦争なんか起こるかいな。起こったってどうにかなるわい。蓄えは十分じゃ。

自分の心理状態とか当時自分が考えたことに補足とか注釈とか再解釈とかはしない。

ダーチャで具体的に何をしたのかだけ書く。まず、自分ち(私・妻・子の住むオデッサ中心部のアパート)にため込んでた食品の一部を移管した。米とかパスタとか缶詰とか、あとペーパー類。そんで、水をしこたま溜めた。あちらは飲用水は5~6Lサイズのペットボトルで売られていて、ダーチャの屋根裏には空き6Lペットボトルが無造作かつ大量に転がってるので、それにゴバゴバ水道水を溜め込んでいった。妙なことをするやつだなぁという目で義父から見られていたのを覚えている。200Lほどか、溜めた。

あとは、何がどれくらいあるかを「目視確認」した。石炭室を見せてもらって「一冬分はある」と義父に言われてまぁこれだけあればそうなのかなと信じた(あとで後悔)。キッチンのガスについても、最近満パンにしたからまぁ大丈夫だということだったので、まぁそうなのかなと(これもあとで後悔)。薪はいくらでもある。1000Lの天水桶も健在。地下室にはワインや自家製レチョ・アジーカ・各種ジャムと一緒に玉ねぎジャガイモあたりの根野菜も相当量保存してある。まぁ大丈夫なのかな、と思った。

何よりも、仮想の避難先に指定していたダーチャに実際訪れてみて、ここなら大丈夫だ、と確信できた、安心できた……のは、多分こういう一々の要素の総和として大丈夫だと思ったのでなくて、つまり石炭と水と玉ねぎがあるから大丈夫なのではなく、まぁ言ってみれば、猫が一匹いるから大丈夫だと思った。ダーチャは私たちの幸福の日々の記憶とあまりに深く結びついていた。オデッサの最もよき季節である春から秋にかけての時日の多くを私たちはこのダーチャで過ごした。由来からいってもこの18m×90mの土地は義父母が20年かけて手づから耕し、果樹の一本一本を植え、この立派な二階建ての母屋も離れも文字通り義父母が手づからレンガを積み上げて建てたものである。16年の夏に私と妻はここで結婚式を挙げた。すべての明るい思い出。子供の成長。猫たち。スピリチュアルとかそういうのでなしに、感覚的真実として、ここは聖域であって、邪悪なものを寄せ付けない、一種の結界であった。このダーチャを侵攻とか戦争とか黒い想像と結びつけることは私にはほとんど愚弄と感じられた。

あり得ない。ロシア軍であれサタンの軍であれ、これに触れることなどできるはずがない。(ブチャ、マリウポリ、バフムート、すべての人にとって生活とは日常とはそのように神聖にして不可侵のものであった)

大使館から電話
賞賛の意味で記しておきたい。24日以来もう3度目だ、大使館から電話がかかってきた。土曜日だというのにご苦労様だ。懇々とお立場を説かれ(必ず戦争が起きるという話ではない、だがいつ何が起きてもおかしくない状況ではある、だから商用便が飛んでいる今のうちに出国するよう「お願い」したい)、また外国人配偶者・子の査証発給手続きが簡易なものであり出国の際の障害にはなり得ないことなども懇切にご説明いただく。アホらしいといえばアホらしいことだ。26日に1回、27日に1回、29日にもう1回。状況が変わったとか新情報をつかんだとかならわかるが、毎度ほとんど同じ話。頻繁に電話を受けたからといって立場が変わるというものでもない。だが安否の確認を兼ねているということであるし、思えば有難いことだ。

少し自分の考えというか立場というか状況を、話してみた。話しても良さそうな雰囲気だったので。日本語メディアは今か戦争と書き立てる、大使館は帰国をと訴える、でも一方には妻とかその家族というものがいて、いま物理的に一番身近なのは彼らで、一番密にコミュニケーションをとるのも彼らである、その彼らが今の状況に全く危機感を感じていない(この点に関して電話口の館員の方も激しく理解と共感を示される)。そして私はどうしたって、彼らの方により強く影響を受けるのである。一方に子供を連れて家族総出で帰国して日本で生活を打ち立てることに伴う明らかな困難というものを置いて考えてみると、帰国に踏み切るということはなかなかに難しい。とはいえ、帰国という選択肢を全く排除するわけではもちろんない、今後も状況を注視する。また、最悪(中程度の最悪)の事態に備え、むしろ自分主導で自宅とダーチャに食料・物資の蓄えを整えている。

その館員の方からは「もしもオデッサで何か危険な兆候が見られたら連絡をください」と言われた。そのときハッとしたが、キエフの大使館員もオデッサの私も、先行き不透明なウクライナに暮らしている日本人という点では、全くひとつのものである。兆候(必ずしも軍事侵攻のということでなくても、社会の騒乱・無秩序化等の)がキエフよりオデッサで先に現れるということもあり得る。連絡を取り合い、情報を共有し合い、ともに助かるということを目指すべきだ。最後の船に全員が間に合うように、私もできることをする。

私は楽観する
日本語の論考等でもそうすぐに侵攻ということはないのではないかというのが目立ってきた気がする。外交交渉も継続している。中国に配慮して北京冬季五輪中はプーチンも事を起こさないのではないかという説にも個人的に説得力を感じている(もう開会一週間前という時期に入っている)。私は楽観する。私は忘れる。この問題をすっかり忘れる。いま擱筆する、するとアアラ不思議、自分がさっきまで何を書いていたかもうまるきり覚えていない!……

あ、てか俺、日本に帰ってきてるんだった。

大使館が最優先の領事業務である邦人保護の目的でとった主たる戦術が電話による説得であったことは明らかだ。かけてくる人は毎回違った。こんなに人いたんだ、と驚いた。領事部外のスタッフも含めて人海戦術でやっていたのだ。この人たちとの関係を「保護する・保護される」でなく、ともに助け合うべき日本人同士というふうに捉え直したのはなかなかよかったと思うが、結果的にはわりと早い船で大使館はポーランドに移転した。そのことを責めるというのでは全くなく、単純な事実として。

何しろダーチャを訪れたことで私は心を強くした。憑き物が半分落ちた、半分落ちてぶら下がって歩くのに邪魔だが払いのけながらなんとか歩いていける・生きていけるという状態になった。アアラ不思議のこのアアラというのは言文一致の先駆けといわれる二葉亭四迷『浮雲』冒頭「アアラ怪しの人の挙動(ふるまい)」からの引用。どうでもいいね。日本、帰ってきてるのだしね。

1月28日

昨年の今日、自分はこんなこと言っていた。「手記」1月28日。

1月28日(どっちのみんなを信じたらいいんだろう~(><))

視野狭窄に陥ってる気がする。こういうときはIQをぐっと下げてめちゃめちゃ身もフタもないような言い方で自分の心を言い表してみよう。

ぼくは戦争はないと思う。みんながないっていうからだ。(みんなというのは妻とか義父母とかそれに連なる人たちだ)。でも別のみんなが戦争はある・あるというから、やっぱり戦争はあるのだと思う。(そのみんなの中には外務省や大使館や専門家と称する人たちや、実父らが含まれる)。

けっきょく私みたいな学者でも専門家でもない非・真理探究者は、身も蓋もない言い方をすれば、みんなが言ってることを信じるのだ。賢いふうを装っても仕方ない。それが私の正体だ。私なんかそれ以上のものであるかよ。

だが今のケースで問題なのは、その「みんな」が二群に分裂していることだ。一方のみんなは戦争が始まるぞそこから逃げろ!と叫ぶ、他方のみんなはいやに落ち着いた様子で戦争なんか始まらないからここにいときなさい、と慰留する。

どっちのみんなを信じたらいいんだろう~(><)と思い悩んだあげく、窮余の一策みたいにして思いついたのが第三の道というか折衷案というかなんというか、まぁ例の備蓄というやつだ。「戦争は始まるかもしれない、そしたらみんなは死ぬ、でもぼくたちは備蓄をしてるから助かる!」

備蓄こそが当地に留まるにもかかわらず戦争によって死なない唯一の道である(正解を見つけた!いちはやくぼくだけが見つけた!)とでもいうかのように備蓄・備蓄と、タヴリヤを巡りシリポを巡り、水だの紙だの乾麺だの買い集めて、買えば買うほど安心した。

私が従うべき「みんな」の分裂と矛盾に際して、一方の「みんな」に恣意的(内容は実は何でもいい、いかにもそれらしいものとして自己を納得させうるものであれば)加点・加重を施すことで、そちらに主観の内部で勝利をもたらしてしまうという、詐術。自己欺瞞。

愚か。こう言ってみると、マジでヤバいほど愚か。(だが俺などそれ以上のものであるかよ?)

私が二重拘束にこれほど苦しんでいるのは私がいやしくも家長として自己一身のみならず妻と幼子の命に対して重く責任を感じているからだ、と理解していたのだが、フタを開けてみればなんのことはない、無責任と判断中止と詐欺、そればかり。こんな奴に家長張られてる太郎とせき子こそは哀れ。

ただし①14年を(さらには91年を)経験した義父母たちの抱懐する「およそ起こりそうな/起こりそうにないこと」の感覚は、一概に正常性バイアスなどと呼んで軽んじていいものではない(正常性バイアス……下らん言葉だ。言葉ひとつ覚えてそれ一つ分馬鹿になるという類の)

ただし②オデッサ内陸40㎞にある私たちのダーチャの安全神話に対して、しかし、疑義を挟むことができない。激動の20世紀・21世紀四半を経てなお「ゴーゴリのウクライナ」の息づく鄙の里、あの閑村が戦場になる? どう考えても考えなくても、荒唐無稽な想像だ。

村はいわゆるダーチャ村(ダーチャの群落)ではなく、ふつうの村である。村人は通年で常駐していて、菜園・果樹園のほか畜産を行い肉・卵・乳製品まで自給自足している。村の一画をダーチャとして主として夏期のみ使っている私たちは畜産こそ営まないが、蔵には交換価値の高い自家製ワインが200リットルほどある。最悪の事態が出来したとて、その最悪より一日長く、どうしてここで生き抜けないことがあろうか?……

こんな「ただし」を延々つけていける。だがベースは言った通り、「みんなの言ってることに従って」残留を決めているに過ぎない。手のかかる置物ジジイ、こいつは結局人に動かしてもらわないとどけないのだ。(これが俺の底だ、認めておけ)

驚くほどよく書けている。蛇が出るのかなぁ鬼が出るのかなぁ(それとも何も出ないのかなぁ)とこの後も「手記」にはうだうだ色々書かれるのだが、そのたぐいの中でベスト記述ではないか。IQ下げて1年生のさとるくんになったらよく見えたのだ、そして喝破した。みんなのいってることをしんじる、それだけのものだよあなたは、と。自分がもし真理探究者であればガチOSINTしただろう。今ごめんそれどころじゃないつって子供の世話を妻に預けて、1日10時間OSINTして、これはマジ死ぬなと見極めて早期出国したのかなぁ(どうかなぁ)。でも私は詩人だった。悪い比喩として、詩人だったのだよ。空気を読んだら甘かった、乾いてた、だから残るよ。みんなも言ってるし。それだけのものでしかなかった。

とはいえ待て、事実として、備蓄はのち役に立った。当時の私の心的態度には一応擁護に値するところもあるのではないか。さとるくんにはわからない苦悩、5年生の省吾くんくらいの知能は一応あったと言えるのではないか。「どっちのみんなを信じたらいいんだろう~(><)」のドッチというのはロシアが攻めてくるか来ないか、ゼロかイチかの二択であって、そのどちらにも与しがたかったから、だからその枠組みで問うことをそもそもやめたのだ、そうは言えないか。ロシアが攻めてはくる、だが私たちは大丈夫である、そう言える根拠を探る、そう言える形をつくる。その取り組みの一つが備蓄であったし、地図を凝視して自分たちの3つの拠点(私と妻と子供が住むオデッサ中心部、義父母が住む団地、私たちの最終防衛拠点であるダーチャ)のロケーションと拠点相互間の動線を確認した、と……そう言ってやれるのではないか?

だがもう一度厳しく採点しよう。「ただし①」は、むしろその予断がアダとなった。「ひとつ経験してその経験ひとつ分バカになる」とはさすがに酷か、だが経験によってかえって盲ることはある、その好例。「ただし②」は、これは全くの妄想であった。ブチャのあとでもう何も言えない。「ただし③」、ダーチャにいれば少なくとも飢えないという点に関しては、まぁ、確かにその通りだと思う。今でもそう信じているし、信じたい。

1月27日

さて「手記」とかいうやつ取り出した。なんて書いてある。

1月27日(団地の義父母宅に義父母・私ら3人・義兄で集まって)

団地の義父母宅に義父母・私ら3人・義兄で集まって、もしゃもしゃ肉など食べ葡萄酒など飲んだ。もともと1月25日のタチヤナの日・МГУの日に集まる予定であった(我が家はタチヤナという名またМГУモスクワ国立大にえにしが深いので)が義父のコロナ罹患で後ろ倒しになった。

大好きなじぃじとばぁばとおじちゃんに会えて太郎は大喜び。でもたぶん誰より助かっていたのは私だ。ここにはたしかに「ロシアの侵攻」などはなかった。懐かしい温かい団欒。親愛と信頼を寄せる人たちの笑顔とさざめき。昨日のたとえでいえば、私の現実を構成する二本の根、情報空間から伸びるそれと実生活から伸びるそれ、の後者から栄養がごくごく吸い上げられて、私の「現実」が浄化されていくのを感じた。

それだけに、肉と葡萄酒はもうこれくらいにして茶ァでも飲みますか、とて第二部が始まるタイミングで、義兄が「取引先のイスラエル人たちから大丈夫か大丈夫かとやたら心配されてるんだけど実際どうなん」と例の国境付近の緊張を話題にのぼして、口々に意見が言い交わされ出したとき、心底耐えがたいものを感じ、然く申した。もうやめてくれ、聞いてられんと。日本のメディアもまさに今か侵攻と書き立てている、それを私は日々刻々見ている、大使館からも毎日電話がかかってきて出国を促す、なるほどお義母さんの仰る通り米英は自らの利益のために架空の脅威を創出して空騒ぎしてるだけかもしれません、またお義父さんの仰る通り本気でウクライナに攻め込むためには軍10万じゃ話にならない50万はほしいところかもしれませんよ、ですがこれはもう理屈じゃなくてただ私一個の安心のために、何も言わずに備蓄に協力してください。備蓄にだけ協力することを約して、もう何も言わないでください。

それで土曜に私と義父でダーチャに行って予備のガスボンベと石炭を買い込むことが決まった。義父母と義兄には感謝しかない。(世のタチヤナよ遅ればせながらおめでとう、学生たちよ未来は君らの肩に)

……と、(略)

そうかこの日か。よく覚えてるよ。めっちゃ助かるなと思っていた。義父母も義兄も元気な人たちなので一緒にいると楽しい。気がまぎれる。皆で歌うたったりトランプしたり色んな話してまー盛り上がる。気がまぎれる。ほんっっと助かるな、今日だけは「ロシアの侵攻」のことなんか考えてなくて済むのかな、と思ったところへ、義兄が無造作にその話題を持ち出して、ぎくっとした。言うんや。

義兄はざっくりIT屋さんでイスラエル政府を顧客にびじねすしてる。イスラエルは言うまでもなくアメリカとずぶずぶである。そのイスラエルからおいウクライナ大丈夫なのかとえらく心配されてるらしい。

義父母は一笑に付した。まず義母がいう、「米英は自らの利益のために架空の脅威を創出して空騒ぎしてるだけ」。義父がいう。「本気でウクライナに攻め込むためには軍10万じゃ話にならない50万はほしい」。それぞれこのテーマに関心をもち何がしか読んだのだ。人は自分の信じたいものを信じる。インターネットの中から自分の世界観にそぐうものを探してきてたべる。身に纏う。

それで私は、耐えがたいものを感じて、義父母の長広舌を遮ったのだ。そこまでは確かだが、そこからどう備蓄の話につながったのか。多分、私は皆さんをシラケさせたのだと思う。皆さんとしては陰謀論でもう少し盛り上がりたかったところへ水をさされた格好。私は一応、なんというか、一種の腫れモノなので……というのも変だが、やはり一人だけ血がつながってないし、一人だけロシア語ネイティブじゃないし、一人だけ違う世界観に生きてるらしいことは皆なんとなく分かっているので、だけに大事にしてくれる。私の言葉はある種の重さをもつ。「まぁそんなら……それでこいつの気が休まるなら、備蓄とやら好きにさせてみるか?」ということで、義父が週末クルマを出してくれることが決まったのだと思う。

I mean、私の安全保障構想の中核はダーチャであって、街の寓居にはそれなりに備蓄したが、有事の際には街の寓居には実は長くいない、早々にダーチャに引き込む。その際に、肝心のダーチャに備えがないのではお話にならない。それなりの量の食糧を運び込み、井戸水をため、んで暖房用の石炭を一冬分買っておく。あと、冬ぢゅう台所で火が使えるように、ガスボンベも一個備えとくべきだと思った。それを週末、義父としようと。そういうことに決まった。

※念を押すが、義父母は別に私に説得されたわけではない。「ロシアの侵攻」あるかも、とか私に思わされた、というわけでは全くない。ただ私のために私の気のすむようにさせることを決めた、義父は義父で、どうせダーチャにいけば何かしらやることはある。それだけ。

1月26日

「手記」にはこうある。

1月26日(大使館から電話/父に心配される)

しんどい。

が、平穏な日ではあった。翻訳の仕事が一件入ったので集中してやって5万円ほど稼いだ。Twitterをやめたことが明らかに心の平穏に寄与している。ベンチマークしてる数人の専門家のアカウントを日に3度ほど訪ねるほかTwitterに関しては何もしない。これも心の安全保障だ。Twitterやってれば少しは有益情報に触れるし楽しい・笑える・癒しの動画にも出会うし、交流の喜びといったものもある。だが今はそれ以上に、間接直接に状況にタッチするあらゆる言説が私の神経に触る。私の不快や不安や怒りが第一閾値を超えるとそれは妻に伝わる。第二閾値を超えると子にまで伝わる。今は非常時だ。私は私の心を健全に保つ努力を払わねばならない。Twitterの薬と毒を衡量して今は毒の方が強い。だから見ない。(極めて限定的に見る)
プロフィールも改めた。なんかもうほんと、さよならって感じ。小泉さんに絡んでから一気に増えた200人ほどのフォロワーよ、解散。私はもう発信しません。
ロシアへの批難とか幻滅とか、「プーチンのあたまのなか」への揣摩とか、ウクライナの問題はすなわち台湾の問題である(他人事ではない)という話でさえ、正直、ひまな人がやっといてくれという感じだ。自分の家族の存亡に関係のある情報かどうかということにしか興味がない。
それでも一言だけ私の立場(というほどのものでもないが)を表明しとくと、これは領域国家というものを巡る二つの世界観の闘いであって、この闘いでロシアは絶対に敗れねばならない。ロシアを理解することはできる、共感することさえできる、だがその上でなお、我々はこれを峻拒しなければならない。NATOに入る入らないの決定権は主権国家であるウクライナに絶対に留まるべきだ。

この前日、25日の記述にもよく表れてると思うが、私は外層とか内層とか、一種の層構造というものを思い描いていて、それが外側から順に突破されていくというイメージであった。安全と安心と幸福。安全を脅かすためにはロシアが現実に侵攻してこないといけなかったが、私の安心と幸福はロシアが実際に攻めてこない前にすでに浸潤されていた。んで、私の安心や幸福を守るいろんな壁がこの先なお次々突破されていくと、ついに影響は妻、さらには同心円の芯央である子供の幸福にまで及ぶだろう。そうならないように、私は私の心の平安を脅かすTwitter内の蛙鳴蝉噪にぱったり耳を塞ぐことを決めた。私がアクションするとリアクションが返る。だから何もアクションしないことにした。この人とこの人とこの人のツイートを3時間に1回確認する、所要3分、それでおしまい。そう決めた。いろいろ切っていくことにした。「ウクライナ危機が日本にとってもつイミ」とか考えない宣言もそのひとつ。

「手記」によれば、この日はのち大使館のルーティンワークとなる電話による説得の第一回が行われた。

大使館から電話
大使館が在留邦人各人個別に電話をかけているらしい、私にもきた。24日付けで退避勧告が出たわけですが帰りますか、帰る気ありますか。「家族でよく話し合って”残る”ということを決めました」
何か質問ありますかと聞かれたので「皆さんどうお答えですか」と聞いてみた。「多くの人が帰国を”考える”とのことでした」。ちなみに今日本人どんくらいいるんです「200人ほど」オデッサは「オデッサ州で……10人弱くらいですね」
23日までは退避勧告みたいなものは出ていなく、24日になって出たわけですが、23から24にかけて何か情勢の変化がありましたか?「直接的には、やはりアメリカ大使館職員に退避勧告が出ましたので、これを重く受け止めて、ということです」(正直に有難う)
米国政府高官は臨界近しと警戒を呼び掛け、ウクライナ政府高官は臨界なお遠しと鎮静を呼びかけるというちぐはぐな状況と認識しております、どうしてこういうことになるでしょうか、どちらを重く受け止めるべきでしょう?「それはウクライナ政府としてはやはり国民に平静を求めるという必要がある、ということもあるのだと思います」(不得要領)

200人の在留邦人に手分けして電話していた大使館職員のひとりが明日発表でご一緒する林さんである。皆さん聞きに来てください。
ロシアによるウクライナ侵攻に関わる特別追加講演のお知らせ(2022年度早大露文会秋季公開講演会終了後)

私もこの間何度もこうした電話をかけさせてしまったが、そのどの声もよく覚えている。今度の講演会のことで林さんと電話で話すという機会があったときに(彼女は私のだいぶ後輩なので面識は多分ない)、声を聞けばあのとき自分に電話をくれた人かどうか絶対わかる自信があったが、知らない声であった。果たして「オデッサ在住者は自分の担当ではなかった」ということだった。何しろ人生のこの妙な季節における大使館職員との一連の電話は印象深い。私に電話くれた4人くらいの人の声、今も耳に近く思い出せる。

内容の話をすると、このとき私が探りを入れ、知り得たことは、在ウ日本大使館はロシアの侵攻について重大な情報を独自に入手したからこそ昨日までの沈黙を破って今日退避勧告を出したのか、いやそうではない、ということであった。

「手記」によれば、この日は埼玉の実父からも電話をもらい、帰国の是非について千度目自問した。

父に心配される
実父がひどく心配している。スカイプで話した。かなしくなる。私は父に心配をかけている。息子とその嫁と初孫の身を案じさせてしまっている。それひとつだって十分重大なことではないか。本当に帰国しなくていいのか。

なぜ帰国しない
毎日同じようなことを書いてる気がするが、みたび言い直してみる。私は2つのものを比べている。一方に、2歳児を抱えて20時間を旅して新天地日本で新たな生活をイチから樹立することからくる、当然に予想され・ありありと想像される苦労。他方に、想定内の最悪のシナリオ即ち、水道ガス電気インターネットが全て止まった真冬のダーチャで1か月籠居する苦労を、そのようなシナリオがそもそも実現しない可能性によって希釈したもの。前者の中でより、後者の中でのほうが、子供の幸福は大きい、と、(言ってみれば)こういう計算をしている。
どういうシナリオが実現しそうか、に対する感性、昨日の言葉で言えば世界観は、二本の根をもつ。一本は軍事外交政治状況に関するメディア経由の理知的インプットで、一本は、日々の生活、散歩、近しい人たちとの交流からくる、感覚的(肉体的)インプットだ。このふたつの根から養分をくみ上げて私の世界観ができる。妻やその家族は今も、現在のこの状況は8年続いている戦争がちょっとこじれた程度のことに過ぎないという考えで、破局的事象の予言には全くリアリティを感じない、という。14年を、また04年を、さらにいえば91年を経験した義父母たちのその感覚に、私も少なからず影響を受ける。どうしてもそこから養分を組んで、自分の世界観を形成してしまう。
もうやめよう。なんか全然うまく言えてない気がする。4時間しか寝てないからか。
とにかく身の振り方については毎日(3時間ごとくらいに)考えている。考えはもちろん変わりうる。明日またそのとき思ってることを書こう、おおよそ同じ内容を違う言葉で言うだけかも知れないが。今日はもうよす。

……というようなことを、私は語ったのではないかと妄想する、もし私たちがオデッサに留まっていたならば。

このとき私が言っていた「最悪のシナリオ」がまさに実現しているのが今である(電力危機の中の越冬)。

なお、14年とはユーロマイダン、04年とはオレンジ革命、91年はむろんソ連崩壊を指している。

4時間しか寝ていないとはご苦労なことであった。目をつぶって横たわれば、ほんのひとかけらの日本語文を一瞬見ただけで最愛の猫を世界から追放してしまった自分には、日本語でこれだけ言われているロシアの侵攻は、もう確定的に起こるのであった。だが目を開けて暗い部屋うちを見渡し、隣で寝ている妻と子をうち眺め、身体を起こす、ギシィとベッドが軋む音、寝室を出て、キッチンでコップ一杯の水、なんなら表へ出ようか、外には雪が積もってる、トトロと名付けた黒い猫、足元にすり寄ってくる。このどこに「ロシアの侵攻」などあるか。「それがないのは、それが未来に起こることだからです、そこはまだ現在なのだから、そこにそれがないのは当然です」ちがう。現実だから無いのだ。これが現実だからそれがないのだ。「ロシアの侵攻」は虚妄、昼みた悪い夢なのであって、ここは現実なのだから、夢の尾の、尾羽一枚落ちていないのは当前だ。<と、ここで目が覚める。>私は身を起こす、ギシィとベッドが軋む音、私は寝室を出て、居間でパソコンを開く、「ロシアの侵攻」今日か明日かと、日本語メディアは大盛り上がり。

……みたいな。

精神は今も容易にあの部屋に、2022年の1月26日に還ることができる。

1月25日

1年前の今日(侵攻ひと月前)、自分はこんなふうに書いていた。

1月25日(私らは侵攻が行われないことに賭けているのではない)

オデッサ15㎝の積雪。フワッフワの新雪を太郎と妻と3人で踏み分け、中庭で戯れた。……筈だ、もしオデッサに留まっていたならば。
ニュースを見ていると、不思議に、米国は侵攻の危機を声高に叫び、ウクライナはむしろ早期侵攻の線を否定する。そこが一枚岩でないのが不思議。それぞれどういう利益を追求した結果この乖離が生れるだろうか。後者のモチベーションとして、今ウクライナから外国資本がどんどん引き上げていっていて経済危機の兆候があるらしいので、国民向けと見せかけて実は諸外国向けに、事態が急迫してないことをアピールして資本流出をとどめたい、ということがあるのかもしれない。知らない。

ニュース①ウクライナ安全保障会議書記「ロシアがウクライナに大規模侵攻をかける条件は整っていない」(24日晩)
ニュース②米大統領府報道官「(上記声明に対し)否、ロシアはウクライナ侵攻の準備を整えつつある」(25日晩)
ニュース③ゼレンスキー大統領、国民向けビデオメッセージで「米国をはじめとする一部外国の大使館職員退避命令は繊細複雑な外交ゲームにおける一現象に過ぎずただちに状況の悪化を示すものではない、恐慌をきたすには及ばない、EU諸国の大半は大使館の稼働を続ける」(25日晩)

私らは侵攻が行われないことに賭けて当地に留まるのではない。仮に侵攻が行われても、そこからくる衝撃が私らの、言ったら縦深性……昨1/25の項に書いたようなこと……によって十分受け止め切れるものにとどまる、ということに賭けている。賭けてるというか、そう見越している。これは、今日明日に巨大隕石が降ってきて地球は滅びることはないだろうみたいな、不可見事象の蓋然性への感性、つまり世界観の話でしかない。私の不安は、しかしそうはいっても隕石は降ってくるのではないか、すなわち、私らの家庭に内設されている緩衝材が全くものの役に立たない想定外の事態がもしかしたら出来するのではないか(そうしてそれに気づいたときにはもう手遅れなのではないか)という考えからくる。だがその漠たる不安は、今のところ、先ほど言った世界観を覆い尽くすほどのものではない。
同じ事を言い直す(自分の整理のために):私らは侵攻が行われないことに賭けているのではない。だから、仮に侵攻があったとしても、それのみを理由に逃亡を考え出すことはない。むしろ私らは、①侵攻が行われない、あるいは②侵攻が行われてもその衝撃は私らの家庭に内設の緩衝材によって十分吸収可能なものに留まる、というより太い線に賭けている。もしも賭けが外れる、つまり、脅威が私らとりわけ私らの家庭の最内層である2歳児に及ぶ、という兆候が認められたら、私らは最善を尽くして最速で逃げる。だがそういうことは起きないであろう、という世界観である。しかしそうはいっても起きるかもしれない、という不安がある。だが今のところ後者は前者を駆逐するほどのものではない。

……というようなことを、もし外務省の勧告を聞かずにオデッサに留まっていたなら、思っていただろうなあと思います。

――手記

この7か月後くらいに例のワシントンポストのインタビューでゼレンスキーが「露軍の侵攻の可能性について米当局から情報は受け取っていたがそれを国民に知らせることによってもたらされる経済的な損失を考えてあえて国民には知らせなかった」と述べて波紋を呼んだが、この当時すでに私程度の頭にも「ゼレンスキー政権による早期侵攻の否定は経済的なモチヴェーションによるものではないか」ということが考え得ていたということは結構貴重な証言だと思う。情報はあった。考える材料はあった。それでも残ることを選んだのだ。人のせいにはできない。

「私らは侵攻が行われないことに賭けているのではない」というのも、お気に入りのテーゼだ。というか、愛着のあるテーゼだ。何百回唱えたか分からんからね。ここで言いたかったのは、自分は「ロシアが侵攻してくる」あるいは「してこない」の間でゼロかイチかの賭け事をしているのではないのだ、ということだ。ロシアのThe man aboveが一朝トチ狂って数千発の核ミサイルをウクライナ全土に撃ち込んでくる、その場合には、なるほど私たちには即死以外の道がない。だがそうでない大抵の場合には、私らには行動と選択の余地があって、行動と選択の余地がある限り、私らは必ず生き延びられるだろう。みたいに考えていたと思う。

この考えを今日の見地から「答え合わせ」してみると、……半分正解で、半分の半分は間違い、最後の四半分はやっぱり正解であったと思う。まずの半分というのは、その後激戦地となった東部のどこかの街を見てもばかすか砲撃を浴びたニコラエフとか見ても、市民の脱出さえままならないというのは本当に例外的な場合だけであった。アゾフスターリくらいまで押し込まれるとさすがに出られなかったが、うっかりそこまで追い詰められなければ、脱出それ自体は大抵の場合可能であった。かつてのマリウポリとか今のバフムートとか見ていて「もし自分がここにいたら」とか考えるのであるが、まぁ逃げるよな、といつも思う。

だが半分の半分は間違いだというのは、私らが行動と選択の余地を発揮する(たとえば逃げる)より早く飛んできたたまたまの一発にたまたま殺されるという可能性は常にあった。近いところではドニプロの集合住宅(1月14日、ドニプロの9階建てアパートに空対艦ミサイルが直撃し46人死亡)の一件、あの一発がたまさか私たちを見舞っていれば即ちそこでジ・エンドであった。その危険に自己と家族をさらした罪、というものがもしあれば、私はそれに問われることになる。

だが最後の四半分、やっぱり自分は間違ってもなかったんじゃないかと思われるのは、こと戦争最初期に限って言えば、「たまたまの一発」がオデッサの私たちのもとへ飛んでくる可能性は、やはりほぼゼロだったのではないかと。というのも、知られる通り、当初ロシアは非常に短い期間で「特別軍事作戦」にカタをつける考えであり(Киев за 3 дня)、攻撃は今日のような糞ミサイル下手撃ちではなかった、精密誘導弾による軍事目標のピンポイント爆撃であった。だから、敵の作戦が十分に合理的であり敵のミサイルが十分高性能であるならば私らは大丈夫だ(なぜなら私らの住居の近傍およびダーチャへの避難経路上に敵の攻撃目標になりそうなものは何もないから)という読みで、ひとまず当たっていた。

無意味か。こんな「答え合わせ」は。私の在りし日の一日一日の不安と対話し、成仏させていっている。

1月24日

1年前のこの日、オデッサ在住だった私は、在ウクライナ日本大使館から「退避勧告」のレターを頂戴した。潮目が変わったのを感じた。これにも関わらずウクライナにとどまるということは、これはもう明確に一つの立場を選ぶことだった。そうでないもう一方の立場と対決することだった。精神の緊張に拍車がかかった。

「手記」にはこうある。まず前半。

1月24日(帰国勧告)
今日のトピックは大使館=外務省ラインからの帰国勧告である。①フェーズが変わった。②だがある意味では何も変わらない。③私たちはここに残る。④だがしかし……

①フェーズが変わった
こうなると私がウクライナに残留して何かあった場合にいわゆる自己責任ということになる。戦禍の異国に在住していることで「同情」されるのでなく、むしろそのことで「叩かれる」存在となる。公の言に従わなかった愚か者が悲劇的末路を辿ることを人らはむしろ積極的に待望する。たぶん私は自己の精神を防衛するために、Twitterアカウントを凍結したり、そうしないまでも、発信を大幅に削減する必要があるだろう。

②だがある意味では何も変わらない
しかし昨日と今日で、退避勧告という現象の他に、本質的な状況の変化が何かあったか。私らは初めから公の勧告など待たずに状況を見ている。見たところ状況にはさしたる変化がない、そこへ(べつだん頼みにもしていなかった)公からの勧告が出た、その一事をもって態度を急変させるべきだろうか。

――手記

ただでさえTwitterではバカにされてた。頭が悪くて感性が鈍磨していて自分の家族の生命安全幸福に対して責任感のない奴だ、とか色々言われていた気がする。このうえ日本政府から公式に帰国勧告が出たとなれば、それを無視して留まっているやつにはいよこそ嘲罵の矢が降り注ぐ。と思った。そういう人には日本人はとても厳しい、「自己責任論」、少なくともネットの声はとても厳しい、という理解ですが間違ってますか。

実際この日ただちに私はTwitterの更新をやめたのだが、やめなかった何人かがその後やっぱり何やかや言われてるのは目にした。ある人は中傷と戦っていた。よくやるよ、と思っていた。戦いたい人は戦えばいい、俺はムリ、そんなことにかかずらってる余裕はない、て感じだった。

「手記」にはこのあと、なんか大使館批判みたいなことが書いてある。

こういう際の公のふるまいについて、興味ある人もいるかもしれないから、ちょっと経緯をさらってみる。はじめ私は公を大いに頼りにしていた。昨年12月半ばに在ウクライナ日本国大使館に宛てたメール。

(略。私の大使館に宛てたメール。在留邦人が「ロシアの侵攻」をめぐる報道に不安を覚えているため安全情報を発出してほしい、と願い出た)

これに対しては領事部職員の方から懇篤なお返事をいただいた。そこには「当館もメディアのみならず、あらゆる方面から情報収集を行っているところ、特に皆様の安全に関わる重要な情報に接した場合は、その都度迅速に領事メールや海外安全情報(スポット情報や危険情報)の発出を通じて、また、状況によっては在留届等に登録されている皆様の電話やメールに直接連絡する等して情報発信をして参ります」との文言があった。
しかし状況の明らかな悪化にも関わらず、その後1か月、公から何の音沙汰もなかった。それでまた突いてみたのが今月19日のことだ。

(略。私の大使館に宛てたメール。報道はさらに過熱しているが今に至るも大使館から安全情報がない、さすがに必須の状況では、と指摘)

これに折り返し電話があり、領事部職員(前回メールをくれたのと同じ人)いわく、報道に一喜一憂するな、そらメディアはセンセーショナルに書き立てるけれども、大事なのは外交交渉がしっかり行われているということだから。ポイントはそこだから。で要望の安全情報については、いま外務省の方でスポット情報というのを準備中である。
それで同日午後に外務省からスポット情報というものが発出された。「平素から不測の事態に備えた準備を怠らないよう」とのことだ。あまりにお座なりではないか?

(略。外務省発出の簡略な一斉メール)

それで半分ほどはまぁそういうものなのかなと安心しつつ、もう半分はやっぱり何か腑に落ちない感じというか、外交当局がそれは外交交渉に特段の重きを置くのは分かるけれども、外交交渉の継続にもかかわらず事態が急激に悪化するということもあるのではないか、要するにこのチャネルからの情報はあまり頼みにしても仕方ないのではないかと思い、私らは私らできちんと考えて判断して行動しようということで、妻とよく話して備蓄のことも決めたし、帰国の是非についても一応検討して、結果「帰国はしない」ことに決めた。
そこへ今さら、米国の同様の措置に追随したとしか思えないタイミングで退避勧告のようなものが出て、それひとつをもって翻意する理由になどなるだろうか。外交交渉なら今だって続いてるじゃないですか?

――手記

いま読み返して、特段付け加えるべきことも、訂正すべきことも見当たらない。大使館に対しては二つの相反する思いがある。業務の質量に対する敬服は当然ある。だが、肝心なときに助けになってくれなかったという恨みもある。

大使館への思いについてはのちに流亡の記と題する記事にも綴った。追ってまた語る機会もあると思う。

この退避勧告に先立って、確か在ウクライナ米国大使館の家族に対する退避勧告が出されたのだと記憶する。その翌日に日本大使館が追随的な措置をとった。大使館、というのは畢竟外務省ないし政府だが、のやることが米国の追随であるということは、のち二、三のケースで確かめられた。米国で何らかの動きがあるとその翌日に大使館ないし外務省が同様のことを言ってくることはほとんど予言できた。

で、当時その在ウ日本大使館に勤めていた人と何丘で今度トークイベント的なものがある。今週日曜、1月28日に。→ロシアによるウクライナ侵攻に関わる特別追加講演のお知らせ(2022年度早大露文会秋季公開講演会終了後)

さて「手記」1月24日の項、後半。

③私たちはここに残る
私らはこれで現実的に考えているつもりなのだ。社会に激震が走っても、こと私たちの家庭に関しては、ショックアブソーバーシステムは十分であって、少なくとも衝撃を子供にまでは及ばせないことができる。そうしてその限り、いま2歳の子供が楽しくのびのび遊んで成長するためには、日本よりまだこちらの方が好適な環境である、と考えている。
まず前提として、侵攻してくるかもしれない人たちは、憎悪に燃え・血に飢えた殺戮者などではない。私たちのことを兄弟と思っているらしい人たちだ(だからこそ攻めてくるのだ)。彼らは原則的に、その戦略戦術目標を果たすべく統率された行動をとる。その中で市井のウクライナ人を殺傷するようなことがあれば、それは彼らの目的にとって、プラスどころかマイナスである。(知らない中でも特に知らない人は、核兵器を持っていて悪の皇帝プーチンが独裁支配している極悪暗黒帝国おそロシアが攻めてくる、イコール大量破壊と大量死は必至、みたいに思ってるのだろうが、それは虚像だ)
だから私たちは、ロシア軍というよりも、ロシア軍の侵攻ないし政権転覆企図に触発されて起こるウクライナ民族主義過激派の暴動とか、社会の無秩序化の方が恐ろしい。cf.14年5月2日、オデッサ労働組合会館。
それで私たちは、今住んでるこの街中のアパートの周囲を見回す。私らは街の地理を相当によく知っているつもりだが、このあたりにロシア軍の戦略目標になりそうな施設・枢要な地方行政機能・集会だのデモだのが起きるような開闊ないしシンボリックな場所は存在しない。商店街すらない。一言で特徴づけるなら「ビーチに近いエリア」である。港湾からも離れている。
さらに具体的に、地図に即して考えていくに、私らの住む場所から内陸40㎞のダーチャに至る道筋にも、まぁポロシェンコのチョコレートプランテーションとかはあるが、軍事行動の標的になりそうな施設はない。経路はオデッサーキエフの主要幹線道路を一部に含むので、道路自体が封鎖される可能性もあるが、いうて40㎞の道のり、最悪の場合はベビーカーを押して朝から晩まで歩いて歩ききったるわいと思っている。見かねて誰か拾ってくれるだろうと、女子供にやさしいこの国の民のメンタリティにも若干期するところがある。
そうしてダーチャに逃れさえすれば、そこには菜園・果樹園のひと夏ぶんの収穫を瓶詰めにしたものをはじめ、大量の保存食がある。それから千リットルの天水槽と井戸水がある。ガスも独立している。ストーヴは薪である。電気だけは供給だのみだが、最悪の場合は日の出とともに起きて日没とともに寝るわい。
今住んでるアパートの方にもすでに一週間や十日分の食料・水その他の貯えはある。これをさしてショックアブソーバーは十分ではないかと言っている。少なくとも今しばらく状況をうかがう猶予はあるように思う。

――手記

はしばしの記述に私が家族の(つまり妻やその両親の)親露的なナラティヴに汚染されていた様子がありありと見てとれる。知的に怠惰な自分はさして自ら知ろうともせず、14年5月2日の悲劇は「ウクライナ民族主義過激派」によるオデッサ労働組合会館「焼き討ち」だと思い込み、諸説あるという考えすらなかった。市民にとってはよりヤバいのはロシア軍でなくウクライナ民族主義過激派である。そういう世界観だった。

自分の一種のバランス感覚ということでも説明できる。私は14年から明確にルサフォブであった。過去記事「ロシアとウクライナについて思うこと」(2021年10月付)に詳しい。クリミア併合の絶対的な反対者でプーチン独裁の絶対的な嫌悪者で、そこには妥協の余地というものがなかった。だが妻の夫として、妻の両親の義理の息子として、彼らの信じる世界にとっての絶対的な異者ではありたくなかった。どこかに一致点、そこについてなら話もできるという点を残しておきたかった。意思してそうしたのでなく、一種のバランス感覚、心理的機制が働いたのだ。それで、せめてユーロマイダンは非合法暴力革命であるということにしておいた。ゼレンスキーは自身ロシア語話者であるくせに権力愛のために本性をいつわってロシア語弾圧を行っている道化であるということにしておいた。とくに調べもせずに。

ロシアは、プーチンは、そこまでの悪魔ではない、という奇妙な擁護は、これからも繰り返し出てくる。それらはこのバランス感覚ということから出てくる。好きな人を好きでいることと、その好きな人が好きなものを徹底的に憎むということは、たぶん両立できないのだ。

なお、後段に書かれている、自分の生活圏と避難動線がなぜ安全だと言えるのか、の考察については、今日からもほぼ間然するところがない。この時点としては考え切っていると評価する。

さいご。

④だがしかし…
とはいえ胸は騒ぐし、絶対にこれが正しいと自信をもって言うこともできない。正確には、考えて、いや今はこれが正しいとひとたびは絶対の確信をもって言うのだけども、いろいろな情報に接してるうちすぐまた不安が萌してしまう。
ともあれこれが私たちの解答だ:外務省=大使館の勧告には応じない。帰国しない。私たちはだいじょうぶである。
言葉にするといかにも愚かしい頼りない葦のような「解答」だ。死亡フラグというやつか。叩かれそうだから、やはり金輪際、Twitterの発信はやめようと思う。ブログの更新は粛々と続けるが、これはもはや虚構と位置づけよう。私たちの肉体はやはり公の勧告に従って帰国したのだ。この日記は以後、実は日本に帰国した何丘が、現地の生活と心情を妄想し、あたかもウクライナにとどまっているかのようにして書き綴る、虚構日記となる。

――手記

実際にこの日ただちにTwitterの更新はやめて、プロフィール欄に「帰国しました」とウソを書いて、「手記」のタイトルも「虚構日記」としたのだった。面白いことに、本当に多くの人が何丘は帰国したのだと思った。ウソつきますと宣言してウソついてるし、その宣言を見逃したとしても、読んでりゃウソと分かりそうなものなのに、まー誰も何丘なんぞの書くものをそんな注意深く読まないよな、他人の運命に興味ないよな、と身の程を知った。(だので、そんな中でも何丘は帰国したテイでやってるだけで本当は現地にとどまってるのだと適確に認識していた人の存在はありがたかった)

ちなみに帰国しました宣言は、所期の狙いを達したと思う。これをやっていなかったらもっとつまらん中傷を受けたと思う。

1月23日

「手記」によれば、こうだ。

1月23日(日本に帰りたい!!)

わりと大丈夫な時間帯の多い日だった。夜などは「あ、俺、超えた!突き抜けた!」と思うた。(これ書いてる今1/24朝は再びどす黒い不安に苛まれてるが)
妻と子供と公園へ、その名も戦勝公園、お池の水が凍って・・いるのは知ってたが、それが十分安全安心な厚みを持っていることを誰かが最初に確かめたのだ、それからわらわら人が出て、用意のいい者はスケート靴を履いて滑る・ホッケー楽しむ。私たちも氷へ降りたよ。太郎(2歳児)の銀盤デビューは青空天然スケートリンク。
その流れで日用雑貨の店入って、こんなのは餓鬼道だと思いながら、貯え十分な筈のToペーパーとTiペーパーを1コずつ買い足す。しかしこんな餓鬼みたいなふるまいが、少しは心の慰安になるのだ。「そのために何かをしている」ということが。
何が目に触れるかわからないと思いながらニュースサイトを開きツイッターを開き、いつ水が止まるとも分からないからと食ったそばから皿洗い、早めの行水を済ませ、大便一発済ませて「よかった間に合った」など思い、またトコヤ行くことも散歩することも「一朝事あった際に身軽に動けるように」という文脈の上に一々自分の行動を置いて考えてしまう・・人生は妙な季節に入ったものだ。
神経がたかぶってるのはビタミンDが足りてないんじゃないのか、私も飲んでるこれを飲みなさい、と妻に促されて、掌に一錠を受け、諾々とこれをはみ、水で流し込みながら、「日本に帰りたい!!」と一瞬、強く思った。あまり里心というもののない薄情な人間だ。移住2年半で二度目に(だけ)思った。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

日本に帰りたい、と思ったのだそうだ。なら、帰れば。そう言われそうだが、帰る理由がなかった。帰る理由が満ちていなかった。私の感情・気分は黒々と侵略されていたが街は(季節は、城は)無傷なままだった。私において既に行われている侵略は妻の目から見て「ビタミンDの錠剤」を飲むことで解決可能なものにしか過ぎなかった。

備蓄。不定の未来への滑稽な蓄財だった。死ぬのが怖くてつい平等院鳳凰堂など建ててしまった。それによってワンチャン助かるなど思いながら。建てているときせめても心が安らったろう。建ってしまえばまた何か作りたくなっただろう。毎日毎日両手に大きな買い物袋下げて家路を急ぐ不幸な日本人男に今ならなんと声をかけようか。意味ないことすなと言っても無理だろうし無理せんと帰れといっても聞けぬであろうし。その現在をよく感じとけ、とかか。「余計なお世話だ」、既にこの上なく鋭敏に歴史的現在を感じていた。

これらTペーパーは結局、私らでなく私らのアパートにのち住むことになった義兄らに僅かに役に立った。

1月22日

「手記」によれば、こうだ。

1月22日(「ロシアの侵攻」はインターネットの中にしかない)

相変わらず「ロシアの侵攻」はインターネットの中にしかない。不思議だ、不思議だ、不思議だ。そんなものは私がインターネットを見ている時間を除いて今日一日の生活の中のどこにもなかった。
子供の散歩で(犬の散歩みたいに言うが)遊園地に入った。いつもの土日の賑わいだ。観覧車も回ってる。全く馬鹿々々しい。何がリアルか。俺と妻と子のこの生活こそがリアルだ。それ以外の空言、仮象が・・しかし、こんなにも俺の心を曇らすのは何故かよ。なるほど見える世界のうわべの泰平の方にもまた真実はないのかもしれない、コロナウイルスもこの国の人びとはなきがごとくに振舞った、そのくせしっかり蝕まれたのだ。この国の人の世界史からの奇妙な切断感。それに染まりすぎないようにとコロナについても気をつけていたではないか、今も同じことではないのか。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

「ロシアの侵攻」はインターネットの中にしかない、の一文は完全に当時の状況を言い当てている。ツイッターとか日本語ニュースとかそういうものをネットで見ている時間にだけ自分の気分を暗黒に塗り込めるものがあり、それに1日1時間耐えて、あとの時間は解毒であった。

私が思い出していたのは猫のことであった。私がオデッサ住んでた2019年夏から2022年冬までの間に私は愛猫を亡くした。その日私はダーチャにいた。10月だった。昼過ぎメールを確認すると母から一通のメールが来ていた。件名なしのメールだったので受信トレイに本文の最初の一文が見えていた。その一文に猫が死んだことを示す文言があった。それが一瞬目に入っただけだ。私はすぐさま目を背けた。メールを開きもしなかった。

猫の死は私にとってこの世で最も受け入れがたいものだった。私は自分が見たものを否(なみ)しようとした。なぜといって、シュレディンガーの猫じゃないが、私はどうせ遠いウクライナにいて、それこそなきがらだとかを確認することは物理的にできないんだから、私がこの目で一瞬見てしまったほんのひとかけらの日本語文を否認することさえできれば、猫はまだ死んでいないことになるのであった。この世界にまだ私の猫は生きていることになるのであった。私の意識にそれが可能であるかを懸命に試した。滑稽なと思われようが、格闘した。……だがそれには成功しなかった。ほんの一瞬、この目が走り読みした日本語文によって、猫の死は世界の事実として確定してしまったのである。

私の脳髄が受容したほんの一滴の日本語が容易に世界の事実を構成する。1日ほんの1時間接する「インターネットの中の」日本語の猛毒は「ロシアの侵攻」がそこにしかないところのインターネットの外で過ごす残り23時間をもってしても中和しがたいのだった。

ツイッター
ツイッター見ていて大概軽蔑と嫌悪と怒りしか覚えない。怒りというのはたとえばこういうのからくる。
(とあるツイートの引用)
ロイターの糞切り抜きからの伝言ゲーム。下に書いてる(1月21日の記述)がゼレンスキーは「最悪の場合というものを想定するならば侵攻はどこからどのようになされるか」との質問に答えただけだ。それに歴史お宅か軍事お宅か知らないが「すわ第5次ハリコフ攻防戦!」とか嬉々として反応して、それがやたらに回覧される。逆にその前のゼレンスキーの国民向けビデオメッセージ「侵攻なんかないから落ち着け」みたいなのは全然周知されないのだ。Kがいかにも楽しんでるふうなのもそのKが楽しみながらする情勢案内を3.5万人だかが見て戦争脳に染め上げられて、おそロシアによる新次元の蛮行・戦火と流血と涕泣を期待しているのだろうなどという想像が走るのもひたすらに不快で、ひたすらに胃に悪い。とりあえず近い将来の夢は、この冬が過ぎたらKのフォローを外して「フォロワー一人減らしてやったぜざまぁ!」と青空に叫ぶことだ。実際いまKにこれほど精神的に苦しめられている日本人が他にいるかな。とはいえその能力は買うし新刊が出れば必ず読む。対照的なのはたとえばHで、文章が下手・要点抽出が下手・一方全肯定一方全否定で硬直、要するに能力精神両面で3流ジャーナリスト、こんな奴がのさばってるのは奇観。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

こんなことも書いていた。Kというのは小泉さんで、Hというのはウクルインフォルムの平野さんのことだ。精神相当参ってる奴がほざいたこととして大目に見てほしい。小泉さんのフォローは結局外してないが意味は全くない。億劫だから外していないだけ、今はほぼ見てもいない。

新聞
オデッサライフという露字ローカル紙を購読してる。その最新刊に「ロシアの侵攻」のロの字もなし。10ページしかないぺらぺらの週刊紙だが市民の生活に密着した情報がみっちりいろいろ詰まってる。今号は市内某主要道路の修繕工事が遅々として進まない問題、南ベッサラビア料理の紹介、2022年はコロナ禍収束の年となるか、ウクライナの乳製品メーカー各社のプロフィール紹介(謎)、「今週のアネクドート」などなど。

義父オミクロン
義父がコロナに罹患した。オミクロンというやつ。幸い症状は軽いようだ。義父は前の冬に一度罹患して、その半年後にはワクチンも打ったが、こうして今またやられている。義父はリヴァイとエルヴィンを足して2で割らないほどの豪の者で、何があっても最終義父と合流しさえすればプーチンが攻めてきても勝てるというくらい頼りにしてるので、今このときが私たちが一番脆弱なときだ。おーいプーチン、チャンスは今ですぞー。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

購読してたローカル紙「オデッサライフ」はその電子版にいまだにお世話になっている。

義父のコロナ罹患は私たちの安全保障にとっての脆弱性だった。私たちが街からダーチャに疎開する際も義父の車が頼りの綱だった。今プーチンに攻めてこられると困るなと思った。そんなことは一家で私だけが思っていたのだ。オデッサ生活で私は義父に頼りっぱなしだった。だが危機管理については完全に私が主導した。義理の家族における私の主体性獲得のドラマであった。この侵攻前の日々は。

1月21日

「手記」によれば、こうだ。

1月21日(美容院に行ってまたゴリみたいな髪型にしてもらった)

やっぱ睡眠大事だな。よく寝たので一日全然大丈夫だった。
今日も泰平の海。

トコヤ政談
美容院に行ってまたゴリみたいな髪型にしてもらった(ゴリにしてくださいと言うわけではないが結果的にそうなる)
相客もなかったので「ロシアが攻めてくるんやないかとかいうニュースについてどう思います」と聞いてみた。その美容師は歳の頃わたしと同じくらいで10歳の子をもつ女性、生え抜きのオデッサ民。「まぁ不安がないとは言わないけど正直わが国民のメンタリティとして政治ってのはどこか遠くで偉い誰かが自らの利害関係のために演じる角逐の劇であって我々庶民にはその趨勢に寄与することもできなければその内幕を知ることもできない、だから要するに興味がない、政治は政治・生活は生活、何がどう転んでもなるようになるさって感じでもう久しくTVも見ない」私「その政治的アパシーみたいのは14年以降強まった感じですかね、それとももっと根の古いものですか」「どうだろね。何しろこの8年間さんざ聞かされてきたからね、戦争だ戦争だって、もう慣れっこになってしまいました」私「今何か起こるとしてもご自身の生活にはそんな影響がないだろうというお考えですか」「ロシアが取るとしても東の方だけだと思う。ああでもオデッサも取るかもしれないよね、リゾートだし、港があるし」私「食料の買いだめとかは」「してない」

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トコヤ行って髪短くするのも変な話「いざというときへの備え」の一環だった。いざというときのために――その意識は生活の全局面で通奏されていた。水道から水が出てこない環境で一定期間、街ないしダーチャで籠城するというときに、髪が長いと不快だろう、一度の洗髪により多くの水が必要になるだろう。妻に髪を切れ(そして尼寺へいけ)と言うわけにもいかないから、では自分が切る。行けるときに行っとく。できるうちにやっとく。その意識でトコヤ行った。

この美容院は今も同じ場所でやってるのだろうか、あの姉さんは今いずこ。「街はロシアの侵攻などという(荒唐無稽な)観念に汚染されてはいなかった、侵入され蹂躙されているのは私の脳髄だけで、外部世界は白無垢であった」と私はいうのだが、このトコヤの姉さんの話ぶりからも分かる通り、国境にロシア軍が集結していること、アメリカとかがすわ戦争かと言っていることくらいは、人たちもふつうに知っていた。知って一笑に付していた。当時よく聞かれたのが「戦争?そんなのもう8年続いてるよ!」という言い方だった。確かにドンバスを戦場にロシアとは14年以来「戦争中」であった。西側が「すわ戦争!」とか言うのを聞くと「何を今さら!こちとら8年戦争中よ!」と妙なマウントをとりたくもなるのであった。だが、そこに罠があったかもしれない。ウクライナの人たちは(ロシアとの)戦争というものに誰より詳しい気になっていた。ロシアとの戦争ときいてなまじイメージできるもの(遠い東部でのドンパチという)があってしまった、のでそのイメージに固着した。「何かあったとしても東部が取られるだけ」。「戦争」の矮小化が起きていたのだと思う。

「手記」1月21日の項には今のオデッサ(ウクライナ)現地報道まとめの先駆けみたいなコーナーもあった。

ニュース
①ワシントンポストによるゼレンスキーへのインタビュー:⑴(最悪のシナリオとしてどこかへ攻め込まれるとしたらどこだと思うか、との問いに対して)たとえば歴史的にロシアと関わりの深いハリコフであろう。クリミアの伝で「ロシア系住民の保護」とか称して入り込んで、しかし100万都市ハリコフを丸ごとどうするとかではなくて、そこを端緒により巨大規模の戦争を展開していくのであろう。⑵(今年はプーチンが郷愁を覚えるところのソ連邦の設立100周年の年だが、プーチンはその記念碑的事業としてウクライナ吸収を図っているのではないか、との問いに)老い先長くないプーチンがレガシーのことを考えるのも分かるがウクライナの占領は短期的勝利に終わるだろう、14年以前の友が14年以後は敵になってしまった(=そんなことをすればポストソビエト空間の真の意味での統合はむしろ毀損される)⑶(軍事侵攻の暁にロシアに対して発動されるという西側の制裁について)なぜ制裁が必ず侵攻の後でなければならないのか、なぜ今発動しないのか。予防的制裁ということもあるのではないか。

最後の点に関しては、技術的に難しいのかもしれない(それによってむしろロシアの行動が刺激されるという危険と、ロシアは制裁への耐性が異常に強いという点で)が、私も激しく共感同意するところで、なんか侵攻するもしないもロシアの匙加減・ロシアにとっては良くて勝ち悪くてもノースコアドローみたいな空気になってるが、今のこの状況そのもの、すなわち隣国との国境に10万もの軍隊を置いて圧力をかけ、その主権的意思決定に対する甚だ厚顔な容喙(NATOに加盟するんじゃねえ、とか)をしていること自体に対する懲罰というのを、どうして西側は行えないのか?

②オデッサ市長、市内の防空壕を視察(露語):オデッサ市内にはなんでも353の防空壕があるんだそうだ。基本的に全部使える状態らしい。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

そうか、2022年はソビエト連邦成立100周年だったんかい。老人が何を夢想していたのであれ結果は御覧の通り、ロシアはポストソビエト空間秩序の最悪の壊乱者となった。

制裁について自分が書いてることは、実際当時よく思っていたことだった。というのも私の脳髄は露軍の物理的侵攻に先駆けてすでに侵略されている、この侵略の分をすでに賠償してくれと。私という一人の人間がすでに若干不幸になっている、私に類する少なくない人がそうなっている。実害はすでに生じているのだ。ていうか、ロシアは攻めてくるのだろうかそれとも思いとどまってくれるのだろうか、じゃねえよ、なんで全部向こうの胸先三寸なんだよ、是非ともそうさせないために先んじて何かしろよ。少なくとも恫喝をすでに行っている、それに対して発動しろよ何かを。

オデッサ市長が見回りした防空壕というのは、これはいわゆるカタコンベというやつだと思う。いまソレダールとかバフムートの坑道が話題だがオデッサの地下にも長大な地下通路網があって地元の人はこれをカタコンベという被迫害時代のキリスト教の地下墓地の名で呼んでいる。одесские катакомбыで画像検索。オデッサらへんの地質は多孔質で貝殻交じりで加工しやすい石灰岩で、露土戦争で獲得したハジベイ村をロシア帝国随一の港湾都市オデッサに変貌させるに際し建物の資材は足元から取った。地下から石灰石切り出しては地上に建物を建てた。そういう次第でオデッサの地下には延長莫大な通路網がある。その一部が先の大戦では対独パルチザンの基地として利用されたし、そのほんの一部が今日では観光地として整備されていた。これのことを言っている、と思う。

1月20日

「手記」によれば、こうだ。

1月20日(圧倒的一人相撲感/備蓄)

4時台に目覚めてしまって寝不足。朝のニュース巡回で昨晩ゼレンスキーがビデオメッセージ出してたことを知る。苦手なウクライナ語だががんばって見た、7分半。
(動画)
内容はロシアのウクライナ国境付近での策動が報じられていることを背景に国民にパニックを起こさず静穏に日々を送るよう呼び掛けるもので、個人的にはまぁ驚いた。いつものやり方ならウクライナとしてはここぞと騒ぎ立ててロシアをデモナイズし内にあっては政権求心力を高め外に向かっては自国の窮状をアピって有形無形の支援を取り付ける。でも、今日にも敵が来るかもしれない早く支援を寄越せどころか、「早急かつ不可避の侵攻」の可能性を明確に否定してみせた。
もうひとつ意外だったのは、そもそも「国民を落ち着かせるための」こんな動画を必要と考える政権の国情認識だ。私の管見の外ではやはり国民の浮足立ちがちゃんと観察されるのか。不思議の念。ここオデッサは全く平熱である。少なくとも指標の一つとしての食料品の買い占め(を行わないよう動画でも呼びかけられてるが)は全く起きていない。昨日話した大使館の人もキエフは平穏そのものだよと言っていた。在住者Twitterも大体そんな温度感に見受ける。
それでも侵攻の脅威にさらされてる側のリーダーがこう明言してくれたのは大きい。安心の材料がひとつでも欲しいというなかで今度ばかりはゼレンスキーごっつぁんですと手を合わせた。

だが時系列的にはこのゼレンスキー動画の後に、例のバイデンの問題発言があったのだ。
(ニュース)
このCNNのニュース読んでがくーんとなってしまった。バイデンて何、ポンコツだったの? 当のウクライナが侵攻なんてないから落ち着けと訴えてるときにアメリカが「たぶんロシアは侵攻すると思う」とかほんと何なんだよそれ。しかも「先っちょだけならいいのではないか、という意見も我が陣営にはある」とか素人目にも明らかに言っちゃいけないこと言ってる。ウクライナが「おいおいアメリカさんよお!」と怒るのも分かるで。

ニュース大体見たあと見るのやだなぁ怖いなぁと思いながら小泉さん他のTwitterを見る。そこまでひどいことは起こっていない様子で安心する。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

ゼレンスキーは多分このときすでにアメリカからロシアの侵攻が高い確率で起こることについて情報を得ていた。波紋を呼んだ8月半ばのワシントンポスト砲によれば、ゼレンスキーは侵攻の可能性について米から情報を得ていながら「社会の混乱を避けるため」あえて国民に秘匿した。ここにはゼレンスキー個人の心情というファクターもあったと思う。彼自身、信じることができなかったのだ。彼の人性が「ロシアの侵攻」を真に受けることを拒んだ。それを誰が攻められるか、私たち皆そうだったじゃないか。

なお、このときのゼレンスキーは、髭モジャでもないし、カーキ色の服も来てない。スーツ。

「誰?」と思った人もおられよう。同じ人の今↓

それはともかく、ゼレンスキーおよびウクライナ政権の「侵攻とかないから落ち着け!」と、バイデン以下米政権の「侵攻あるぞ皆逃げろ!」の不一致は、私の困惑のタネだった。ウクライナの安全保障について米国が知り得た機密情報は当然ウクライナに共有しているはずだ。ではこの不一致は何。A、米側が誇張している。B、ウクライナ側が矮小化している。二つに一つだ、だがどっちかを信じるなら、やはりここはウクライナ側を信じるべきだと思われた。だって、ウクライナはただ米国から情報をもらうだけでなく、自らも情報をとっている。隣国が侵攻してくるかどうかという死活的な事項について、本気で情報を収集していないわけがない。ことウクライナ自身の国境の安全についてなら、米よりウクライナの方が情報量が多い。そのうえで大丈夫だと言っているのなら、大丈夫なのであろう。私のこの推論は病的ですか健全ですか。けっこう健全ではないですか。「正常性バイアス」?

あと、この日、在ウクライナ日本人会を開いた。「手記」にはこうある。

在ウクライナ日本人会
つながりのある在住者3人と(つまり私含め4人で)スカイプした。ロシアの話、コロナの話、ここが変だよウクライナ、ここがいいよね日本。私が呼び掛けて昨日の今日で実現した。ロシアイシューにつき私が各地・各家庭の空気感を探りたかった(というと言葉が悪いか)のと、大使館の人と話した感触を皆様にシェアしたかったのと、あと自分は一応万一に備えて非常食等の備蓄をしています(皆さんもどうでしょうか)という話を、自分の恐怖とか不安をなるべく伝染させないような形でする・・のが狙いであったが、全然思ったようにいかなかった。皆さんあまりに気にしていない様子なので毒気を抜かれてしまい、他愛もない話にずるずる付き合ったあと、最後にねじ込むような形で「あの、そろそろ刻限なんでしたかった話ひとつしていいですかね」とかいう切り出しで、自分はロシアがマジで攻めてくることもなくはないんじゃないかと思ってる、それで在ウクライナ日本国大使館の「安全の手引き」というのを参照しながらこれこれの備えをとっています、皆さんも一応どうでしょうか、みたいに話してみたのだが、その口調が自分でびっくりするくらい暗くて重たくて、なんかめちゃめちゃ変な空気になってしまった(と思う)。しかし幸いにというか私のご高説が終ると速やかにその話題は流れ去りまた新手の軽い話が盛り上がりの兆しを見せたので、じゃ私はこれでとかいってそそくさと退室。寂寥。圧倒的一人相撲感。やはり俺がおかしいのか。センセーショナリズムを旨とする無責任なマスメディアとマイクロメディアの言説に踊らされて一人きりきり胃を痛めていてイタいのは俺か。
それで交信のあと溜息ばかりついている私に妻が私たちはどだい大状況に働きかけることは不可能なんだし備蓄とかできることをしているんだから心配しないで、心を蝕むんならもうTwitterなんか見ないで、と慰めてくれる、答えて私、ほれ病原菌も寝不足だったりちゃんとごはん食べていなかったりして弱ったオルガニズムにこそつけ込んでくるであろう、今の私がこう凹んでるのも、たぶん単純に寝不足で、あと例によって朝飯を食ってないからだと思う、今晩よく寝たら明日は大丈夫だよ。あとTwitterはやはりこの状況に対する人々の発言とりわけベンチマークしてる数人の専門家の情報は見ておきたいので見る。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

4人の日本人でビデオ通話した。ロシア語できちんと情報をとって主体的に考えられるかでいうと、私以外の3人は正直、私から見て、こころもとなかった。だから私は、この日本人たちに対して、一種の責任を感じていた。侵攻あるかもしれないから備蓄を始めた方がいいかもしれないよ、ということと、侵攻ないかもしれないから怖がらなくてもいいよ、ということを、二つながら言おうとした。

だが、話してみると、皆さん結構大丈夫そうだった。心身とも健康に日々を送っているようだった。私にはそう見えた。「ロシアの侵攻」という想念に脳髄が侵されている人間はその場で私一人だ、という感じを強く受けて、孤独と寂寥を感じた。私はリアル侵攻に先立つ脳髄侵略で早やだいぶ疲れていて不幸だった。そんな私の憂さ晴らしが「備蓄」であった。

備蓄
水はとりあえず45Lほど浄水が溜まったのでひとまずよしとする。一通り見渡して、モノもまぁ当座これで十分なようだ。そら安心には限度というものがない、ちがうか、何といえばいいか、石橋を叩く回数には上限というものが設定されてないので、まだ足りないかまだ足りないかと米だのパスタだの幾らでも買い足していくことはできるわけだが、それも餓鬼道だよな畜生道だよなと思って足るを知っとく。

銀行行って現金だけ作ってきた。徒歩30分の大きい銀行、行きは公園を突っ切って歩き、帰りはトロリーバスに乗って帰った。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

ちびまる子ちゃんに遠足本編より遠足の準備が好きだという話があった。思い返しても、空の6Lペットボトルに延々水を溜めていく作業は、別に楽しくはなかった。脳髄を侵略してくる黒い想念に駆り立てられていて幸せではなかった。だが駆り立てられて何かしている状態の方が何もしていなくてただ脳髄侵略を受けている状態よりはラクであった。

1月19日

「手記」によれば、こうだ。

1月19日(非常事態宣言in my family)

この日がまぁ非常事態宣言in my family発令の日だ。発令はこのようになされた:妻に折り入って話がと切り出して「自分は専門家じゃないから究極的には分からない、たとえば兵器の移動を示す衛星情報とやらの検証もできないし、ロシアが今そんなことする必然性というのも自分自身完全には腑に落ちてないくらいだからその点であなたを説得することは不可能だけども、こうして米国高官の誰がまた誰が今か侵攻と発言したとかしないとか、そういうニュースに日々接して不安を覚えないということもまた俺には不可能だ」そこからもう一歩踏み込んで「さてそれででは何が起こり得るか何を恐れるべきかということについて俺の考えなんだけども、①ロシア軍を恐れることはないと俺も思う、俺とてロシアの軍人が市井のウクライナ人に対して銃砲を向けるなどということは考えることもできない、しかし②14年のような社会の紊乱(соц.беспорядок)こそは恐るべきと思う、それから③サイバー攻撃による社会・生活インフラの麻痺で⑴水道⑵電気⑶ガス⑷インターネット⑸決済システムといったものが使えなくなるということも理論上あり得ると思う」そこで私たちが具体的にとるべき方策は「何しろダーチャに逃れれば地球上そこより安全な場所はないだろうと思われる、しかし大渋滞だとか交通カオスが出来するかもしれないし、上述②③の状況下で数日はここ(※オデッサ中心部のアパート)で籠城できる態勢はとっとく必要があると思う、そこで水・食料品その他の備蓄を始めようと思うんだが理解・協力願えるか」「うん」

というようなことで買い出しやら方々への連絡やらをわたわたやりだしたのがこの日だ。

ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情

私の内心に限って言えば、これより早く、たぶん12月初旬にはもう非常事態であった。「ロシアによる大規模軍事侵攻あり得る」という思念に脳髄がすでに侵略されていた。だが日本語ニュースとかTwitterへの惑溺から顔を上げれば、見まわす世界は一ミリも暗い思念に侵略されてなかった。草は草の色、雪は雪の色でぴかぴかしていた。すでに侵略されてる自分と侵略されてない世界、で我が妻は明らかに後者の住人だったので、私は長らく自らの非常事態を自身の内心に飼い殺していた。それがついに耐えられなくなって、非常事態を外化した、非常事態に妻を巻き込んだ、のがこの日だ。

私が妻に語った「恐るべき未来」予測がことごとく的外れであったことはあえて指摘するまでもないと思う。①ロシア軍にとって、またそれを使役する者どもにとって、ウクライナの「きょうだいたち」は、神聖不可侵なものでも何でもなかった。②ウクライナ社会は混乱しなかった、むしろ団結した。③ロシア軍はウクライナのライフラインに何ら有効なサイバー攻撃は仕掛け得なかった。連中のできたことは侵攻8か月目に物理力を行使して(旧式ミサイルや外国製ドローンを大量投入して)電力インフラを滅多打ちすることだけだった。④私たちのダーチャの存する村が1年間無事を保ったのはひとえにニコラエフの英雄的防衛のお陰であって、もしニコラエフが落ちていれば次はオデッサであった。敵の進軍の通り道にたまたま選ばれていれば、私たちの村が第二のブチャとなったかもしれなかった。

1月19日の家庭内非常事態令で妻に請うたのは、なにも私と世界観・現実感を共有してくれることではなかった。買い出しとか、水を溜めるとか、そういう具体的な行動の次元での協力だった。世界観は共有してくれなくていい、ただパートナーである私の安心のために、私がこういうことをすることを許してほしい、そして、家の中にこういうものが置かれることを許してほしいと。妻も理解ある人だ。それが私の安心のためになるならば、と、快く受け入れてくれた。「どうせインフレだから、腐らないものを買いだめとくことに否やはない」←これが妻の自己納得の最有力根拠であった由だ。

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