ウラガワ日記Ⅱ~疲れた。でも頑張るぞ。~

その他

すべての人へ。お疲れ様。頑張らなくてもよい。それでも頑張るというなら、ふぁいと!~応援シテル~

11/25 本記事の更新はこれにて終了

本を読んだり、文章を書いたりすることでしか、再生できない人間、わたし。

とりあえずこの記事はもう更新しない。似たような記事をすぐ立てる。そちらを更新していく。

11/10 ピーマンのじょうずな切り方

「側面史」更新のリズムを崩してしまった。が、なんとか持ち直した。期待されてた方すみません。あと、字句表現を推敲までする余裕がなく、読みにくくて申し訳ない。

読者に有益な情報を届けたい。というのがブログの芯の志としてある。だもので今日は私の発見したピーマンの切り方をシェアしたい。まず横に両断す

ほんでタネあるほうに臨兵闘者と垂直に四発包丁を入れる

だけの話。だけの話だが、ムダなく素早くタネとヘタだけ取り除く方法を知らずに途方もない苦しみをなめてきたので、人類に同じ過ちを繰り返してほしくない。と思って。

※これまでの自分のやり方は、まずタネをよけるようにしてはしっこのほうを縦に切って、ほんで親指突っ込んでタネとヘタを抉り取って捨てる、というものだったが、これをやる前に一発さっとピーマンを洗っているので必然ピーマンも手指も濡れていて、その濡れ手にどうしてもタネがくっつく。それを左手でこそげ落とすのが工程として邪魔くさくてしょうがなかった。上掲の方法だと指でタネを触らないのでスマート。すいません。私、このレベルなんす。生きててごめんなさい。

11/1 何ブロ③展望

一新したい、と考えている。何もかも。

できるところからちょっとずつやっていくしかないのだが。

ヴィジョンとしては、まー私のことだからこの6割でも実現すれば御の字だが、やりたい/やるべきこととしていま思いついていることを書きだしてみますわな

【ブログ】
・「側面史Ⅲ」を立て、これを更新していく
・「側面史」のメタ記事(誰が何をどのようにどういう目的でやっているのか、をまとめる)
・「三鷹会」第1~第3回の報告
・ジョニーの近況報告
・子育て日記(もっと)
・新しい学校のリーダーズと私
・なんか音楽についての記事。ヒップホップ
・なんかお笑いについての記事。ジャルジャル
・チェンソーマン賛

【X】
本気でこれに取り組むべきなんだろう。やり方のイメージはある。УПとか見てめぼしい記事をさくっと紹介す、速報性

【note】
有料記事を3本書いてみたい。私の持ちネタのうち、これは金払ってでも読みたい人がいるだろうと思えるもの
・戦禍のウクライナに「生活」をしにいく(9月のオデッサ帰省の話)
・汚職大国ウクライナ~とある邦人の実見録~
・ウクライナからの避難体験と外務省への<提言>
この最後のものについては別途外務省に書いて送る。先日の第3回三鷹会で必要性を痛感した


ガザで潮目が変わった。ブログの読者も減った。「ワニの涙」の理由を探している人が、何丘ブログから他所へ流れた。

フジ「プライムニュース」もTBS「報道1930」も、ガザのことしかやらなくなった。マスメディアの関心がどこへどんなに移ろってもずっとウクライナのことを注視し続けてくれる有難い存在(そして極めて質の高い分析番組)と思っていたが、あ~あ、けっきょくは火薬と血のにおいを追うハイエナか。

と思ったらウクライナがきて大変勉強になりました。

ウクライナが忘れ去られればプーチンの思うつぼ、関心を保ち続けなければ、と。ですよね。わたしももう少し……がんばります。ちゃんとやります。



10/31 何ブロ現状②

(承前)何丘ブログには30本の記事がある。

メインの記事は「ウクライナ戦争側面史」である。22年3月から書き継いで、今あるものは6代目。原則毎日更新している。

いま「更新」というキーワードが出たが、(ひと様のブログは知らないが)うちのブログは、一本の記事を、書いたらそれで終いということでなくて、延々と何日(何か月)にもわたって更新していくという点に特徴がある。

それでいうと、何丘ブログの全30本の記事は、①すでに更新が完了した(もういくら待っても更新されない)記事と、②現在更新中の未完の記事、定期か不定期かは別にして、明日更新されるかもしれませんよという記事の、二種で構成されている。

②に属するのは下記5記事である(’23年10月31日現在)
ウクライナ戦争側面史Ⅱ
ウラガワ日記
コンテンツ食う日々
バイリンガル3歳児の子育て戦記
珍替え歌集

だが、近々、この全部の更新を一度止める。んで新しい記事群を立てる。以上。

10/30 何ブロ現状①

何丘ブログには200本弱の記事があって、①死蔵記事(dead stock)と②それ以外に分けられる。

死蔵記事とは、何丘の名を世に知らしめた「手記」と呼ばれる記事(ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情)にて自己開示を始める以前に書かれた、ウソばっかり・無責任・テキトー極まる記事群で、正直全消去しても惜しくないが、一つの理由によって存置している。その理由とは……消すのが面倒くさい。

今はもう戸籍名から居所・家族構成・出身大学に至るまで大概の個人情報を事実上明かしてしまっているので発言にも多少の責任というものが伴う。そう感じ出してからこっち、要するに、22年2月以降の記事が、何丘ブログの現代史である。それ以前の記事ははっきりいって無効。意味ない(少数例外除き)。それ以後の記事だけ有効で、生きていると認める。

すっと、何丘ブログには、事実上、30本くらいしか記事が存在しない。

この30記事が、さらに、狭い意味で死んでる(更新が終わった)やつと、生きてる(更新中の)やつとに分けられる。

(つづく)

10/25

露の後方攻撃が静かだ。ドローンも少量しか飛んでこない。もう10月も後半。電力破壊キャンペーンの開始がじらされている。去年はもう2週間も前に始まっていた。少しでも遅く始まってくれ(そして早く終わってくれ)、なるべくなら行われないでくれ、と願ってしまうのは人情。

だが、テロリストに善性や良心を期待するのは止めよう。電力破壊は必ず行われる。ロシアのロは陋劣のロ。しはしあわせよ、そしてロシアのアはアンチクライストのア。開始が遅くなることにはさしたる意味もない。ドローンもミサイルもしこたまチャージしている。その溜めた分をより寒くなった時に集中投下するだけ。最も致命的な寒気の到来に合わせての集中的大破壊、の方が直し直し対応できる長期にわたる五月雨式攻撃よりもなお怖い。油断した頃合いを見計らってびっくりさせるのが敵の狙いなのだろうから、ゆめ油断せず、オサぬかりなく。必ず行われる。信じて待て、送れるものは送っておけ(ホカロンとかヒートテックとか)、お金を貯めておけ、人道支援の募金のために。

◇私? 戦争なんか馬鹿馬鹿しいと思ってますよ。軍事リアリズムとか大嫌いですよ。核を廃絶するには人間の脳をいじるしかないというのが宮崎駿が「ナウシカ」で唱えた究極論だが(これに対し闇の娘ナウシカは「脳をいじられるくらいなら核で滅んだ方がいい」と叫んだ――もとい、生命への信頼から「脳をいじらなかったせいで人類が滅びても灰の中から必ず生命がまた萌え出るだろう(それでいいじゃないか)」と抗弁したのだった)話がそれた。

私がウクライナ軍の領土解放作戦を飽くまで応援するから私をウォーマニアのように思う人もあるかもしれないが言っとく、根っこの私は全くジョンレノン的夢想家(dreamer)で、領土をめぐる角逐とか軍拡とか核開発とか全く馬鹿馬鹿しいと思っている。人知のフロンティアは深海と宇宙と量子力学であって、そのことのみやっておればよい。これほど明らかに有意義なやるべきことがあるのに、国家とか称する謎の観念連合体は何を下らぬどんぐりのせいくらべに汲々としておるのか。人類終わってる、「にゃんこ大戦争」に侵略征服されてしまえ、と私が思うのはそんなとき。つまり、常時。

◇全然関係ない話。たまにお台場というところにいくのだが、あこなんかすごい非日常というか生活感なくないすか。思うのだけども、プーシキンとかゴーゴリとかドストエフスキーが描いた19世紀の幻想都市ペテルブルクというのは、まさにこんな感じだったのではないか。一人の狂気の天才(ピョートル大帝)が沼地に一夜で築き上げた蜃気楼の町、桜木花道じゃないが、「虚空から一夜にして立ち上げられたものは、同じように一夜にして虚空へと立ち消えてしまうのではないか」という妄想を文豪らは抱いた。んでその夜より深い非在の闇の中からアカーキイ・アカーキエウィチだの青銅の騎士だのイワン・カラマーゾフだの出てくる。聖ペテルブルク=お台場説。これ誰か言っている人いますか。いなければ私の発明。19世紀ロシア文学に描かれたペテルブルクを最もよく感じられる場所は東京・お台場。
センナヤ広場で道行く人に「ここが本当にあのセンナヤ広場なんですか(欠片も風情がないじゃないですか)?」と問うた私が言う。

10/23

抗戦するより降伏したほうが人が死なない、というのは確かだと思う。それでも戦うことを選ぶことの根拠としてよく言われるのが「ここでロシアを止めなければ災厄はひとりウクライナに留まらない」という一種のドミノ理論で、これにも実は二通りあり、ひとつは権威主義国家の軍事アヴァンチュールの成功事例を作ってしまうと中国が台湾についてこの先例を踏襲するのではないかという理念的同調説、もうひとつはウクライナの次はモルドヴァとかバルト諸国までロシアは手を出すのではないかという物理的拡張説。この後者を叫ぶ道義的権利……はおかしいか、これを実感をもって言うことが、自分にはできる気がするす。いま毎日毎日凶弾が飛んでくるのはどこですか。ヘルソンとハリコフだ。前線のひとつ隣の地域がいつも一番に攻撃を受ける。ヘルソンがとられていたときはニコラエフが毎日毎日攻撃されていた。もしもニコラエフがとられていたら、その次は必ずやオデッサであった。

言い直す。14年にクリミアを無血で渡してしまった(「抗戦するより降伏したほうが人が死なない」をまさに実践した)。それで22年、ヘルソンがとられた。ヘルソンがとられたらニコラエフに死ぬほど弾が飛んできた。ニコラエフがとられたら必ずや今度はオデッサであった。だがヘルソンが解放された。ニコラエフには弾がほとんど飛んでこなくなった。いまそのヘルソンに弾が死ぬほど飛んできている。こんなことをずっと見てきた。オデッサの無事を願いながら1年半、毎日毎日。その私に、領土解放作戦がんばってくれと願わないことなどできますか。

▽始まる始まるといってなかなか始まらず、願わくばこのまま始まらないでほしいこと2つ。イスラエルのガザ地上侵攻。ウクライナの電力インフラ破壊。

フォンデアライエン欧州委員長は今次の中東紛争においてイスラエル無条件支持の立場を鮮明にしており、これに対し欧州委員会のスタッフ800人が公開書簡で抗議を行った(УПУП

講談社現代新書の「まんが パレスチナ問題」という本があって、これで中東問題に入門したという人も多いと思う。05年刊だそうだ、私は出たときこれ読んだ。パレスチナへのシンパシーに貫かれた本だった。そのころまだロシア屋としてオワコンでなかった佐藤優が、自身親イスラエルの立場から「中東問題みたいなどちらにも歴史的正当性がある問題については最初にどちら側から入門したかでほとんどその後の立場が決定してしまう」みたいなことを言っていて、なるほどあると思う。私もパレスチナへの同情が根っこのところにある。私は基本が親パレスチナ、「でも今回のハマスのテロは肯定できない」という主従(一般と特殊)の構成であって、その逆ではない。

▽ブログを賦活しようと思っている。ていうか人生全体を。このようなことを人は人生に千度いうのだ。千度ついえるから千度いう。でも千一度目、まぁ見ててくださいよ。どうせ今回もだめだから。シジフォスの神話。

10/19

三鷹会というのをやってる。

地元の三鷹で断続的にウクライナについての勉強会を開く。オフラインで。という取り組み。

何丘ブログ的には「ウクライナ」は自明なので、「三鷹会」と称しているが、

三鷹市としては、三鷹でやってることの方が自明なので、「ウクライナ会」とでも焼死体。

称したい。だから結果的に、「三鷹ウクライナ会」ということでやっているが、

本当はこの冗長性が自らたまらなく不快であり、単に「三鷹会」と称したい。

・・という(わけのわからぬ)前置きはさておき、告知。

次回「三鷹会」10月28日に行います。13時半~。場所は三鷹駅前コミニティセンター。
三鷹駅南口、徒歩5分です。https://www.city.mitaka.lg.jp/c_service/001/001693.html

今回は場所代かかってないので入場無料です。
でもゲストスピーカーの方の電車代を捻出したいので、カンパにご協力いただけると嬉しいです。

今回は2022年2月24日当時、在ウクライナ日本大使館に勤務しておられた林さんにご登壇いただきます。
正式な告知文とかタイトルは後でご本人から頂きますが、事前打ち合わせでは、ざっと下記のような内容でお話いただく。
・大使館てそも何するところ、どういう人員で構成されていて、それぞれどういう任務についている?
・その中で林さんは何をしておられた?→広報。
・広報の仕事とは何ぞ。→日本のイメージをよくする。←そのことに何の意味がある?
・たとえば今回の戦争で、日本政府はウクライナに相当巨額の支援を行っている。そのことが正しくウクライナ国民に周知される必要がある。→なんで? そして、どうやってそれを実現する?
・「コロナに始まりプーチンに終わる」2年間のウクライナ館勤務で、何を思い、何を感じ、何を考えたか。
・一生活者として、ウクライナをどう三鷹。見たか。

毎度急ぎで恐縮ですが、万一10月28日土曜お暇だという方は、
naniokaivan★gmail.com(★を@にかえる)
こちらへお申し込みください。
※参加人数把握のため、一応事前にお申し込みを頂きたいのです

三鷹会のコンセプトは、「知識を増やす、考えを深める、それについて語る言葉を鍛える」ということでやっています。力点は第二のものにあります。その背景には、ウクライナ戦争という世界史的事象に同時代人として立ち会った者は、そのときそれについて何を感じ、何を思い、何を語ったかということが歴史から問われるであろう、という考えがあります。正直ウクライナのこととかあまりもう気にならなくなっていると思います。そんな方にこそ来てほしい。あと、三鷹っていい街ですよ。

10/16

■三鷹ウクライナ会

「三鷹ウクライナ会」とかいうアレの、次回発表は今月28日㈯になりそうな。

侵攻当時、在ウクライナ日本大使館に勤めていらした某お方をお招きして、ご講演いただく。ウクライナにおける日本のソフトパワー発信について、「大使館ツイッター安全情報アカウントの中の人」として迎えた露軍の侵攻、邦人避難支援について、日本政府→ウクライナ政府への支援について。全部はお話しできないと思いますが、他で聞けない話になることは請け合いです。

それが10月28日の、おそらくは14時、場所は前回・前々回よりもう少し三鷹駅に近くてアクセルのよいところに、なりそうな予感がします。

確定は水曜、こうっと、18日か。になります。10月18日、正式アナウンスします。

お時間あるかたご興味のかた、ぜひご参加を。参加費は前回同様、500円とか頂戴するやもしれません。300円で済むかも。このへんは会場費との兼ね合い。ゼロ円にしといてお代は見てのお帰りということになるかもしれない。

■中東
中東情勢について、「側面史」ではユダヤ人アイデンティティ覚醒中のゼレンスキー発言をはじめ親イスラエルの言説の紹介に終始しているが、個人的には、ガザ地区の市民の運命に極めて深い憂慮を抱いている。地上侵攻今か今かと言われる。どんなにか恐ろしいだろう。自分はこれをロシアの侵攻前夜(また当初)の自分の乏しい経験の延長上に想像する。ハマスのテロは肯定しない。だがイスラエルのやってきたこと・今行いつつあること・これから行うであろうことの非人道性にも目をつぶれない。

■鈴木宗男
鈴木宗男という人のことがしばらく騒がれていたので一言しておく。独断で訪露してロシアの勝利を確信しているとかカメラの前で話しちゃった件ね。私が見ているУП(ウクラインスカヤ・プラヴダ)では全く取り上げられなかった。Meduza(露独立メディア)ではニュースになっていた。ウクライナ国民の多くは多分この事象を認識もしなかったと思う。ごく限定的な情報しか見てないし見落としがあるかもしれないのでなんともだが、少なくともウクライナ側で本件が一大スキャンダルになっていたなら目には触れたと思うので、その事実は多分ない、と言っておく。
で私見だが、日本側から売国奴とこれを呼ぶのはおかしい。外務省の安全情報を無視して渡航したことをどうこういうのもあんまりピンとこない。相当の覚悟と意志があって行く人を誰も止められない。だが組織人(政党の一員)としてはどうなのという話にはなって当然と思う。あと、売国奴、つまり日本を売ったかどうかはともかく、正義と公正を売ったとは言えると思う。邪悪と握手しに行った。鈴木。貴様が平和とか公正とか国際秩序とか民主主義というものの破壊者でない、推進者だというならば、その足でウクライナにも行ってみろ。行けねえんだろうが。屑が。

10/7

逝った。やっぱり哀しいのであった。

死の浸透圧によって生がじんわり濃くなる特異な夜。

世界の猫の魂はつながっている、という妄想によって、慰謝を盗んできた。

であれば、第一の猫のためにと、こんど第三のそれのためには、同じ涙を流した。

だが世界の裂傷は固有のもので、他の何にも、似てはいても、同じでは決してないのであった。

(読んでるあんた、生きてるのかい、妙なものだねぇ、

……

10/6

祖母が死んだ。地のシオになりなさい、と私に言った祖母。もうだいぶ前だけど。アイミーン、その祖母が死んだのは大分むかし。

祖父という人はもう一人も生きていない。愛猫は去った。地球は青くそこにはたくさんの灯がともっていてあのどれかひとつに君がいるかもしれない、きみはいるかもしれないが、私の猫はいない。

その愛猫を慕って私の二番目の愛であった別の猫も死んだ。2020年は死が豊作であった。鎌の銀刃がひらひら舞った。

そうして第三の猫、まぁ言ったら最後の猫が、たぶんもうすぐ死ぬ。足などもう骨が見えている。「僕は何を思えばいいんだろう」。何も感じないとすれば人性が終わりすぎている。だが少なくとも愛者の死という観念が、いまやそう忌まわしいものではない。

終わっている。なのに生は続いていて妙だ。生きている、続いている、ということは、まだ終わっていない。だがここから再び始めるというのは大儀だ。そこで取られる弥縫策:仮死。

だが魅するスローガン:生の本筋への復帰! 生の本筋への復帰!

それが予覚されるひとときがある。ウクライナへかえる飛行機で私はそれを予覚した、このさとがえりを機に自分は生の本筋への復帰を果たせるのではないか。――果たせなかった。また今朝払暁、そんな予覚が走った。俺は今日、なんの理由もなく、ただ生の本筋に復帰を果たすのではないか。――なかった。

▽「側面史」に、人類終わってる、という言葉を記してみて、あ、まじだ!!と思った。まじで人類終わってる。人間どうしが殺し合わなくてすむようにと人間の中でもとくに賢い人たちが何十年いや何千年かかって作り出したザ・ベスト・エフォート・ソー・ファー、最高到達点が、国連安保理というこのがらくたなのだから。それで地上で大人たちが戦争し地下で子供たちが勉強してるのだからマジ地球は終わってると。
(かるくち。爽やかな、軽い話題。楽しく明るい、無意味な、空言)

▽「三鷹会」とかいうやつ。第1回と第2回をやった。第1回(オデッサの街並みと暮らし)はわりに話し慣れているテーマで、だけに、わりに好パフォーマンスだったと思う。世界の知らない街について豊かなヴィジュアル資料とともに話を聞くのは誰だって楽しい、そう思える。だが2回目、自分自身の乏しい戦争体験とか避難とかの話は、ブログにはさんざ書いたが人前で語るというのは初めてに近く、だけに準備は入念にしたが、なんだかうまくいかなかった。こんな個人の話が面白いのかなという疑念に終始つきまとわれた。避難民支援とか保証人の話とかもただの苦労自慢にしか聞こえなかったと思う。自分の能力の低さに絶望した。

9/28

▽ニュースサイトを開くときとびきり良いことととびきり悪いことの両方を期待している。良いことは3種類ある。クリミアの敵拠点への攻撃の成功。南部における突破あるいは集落解放。東部における突破あるいは集落解放。悪いことは主として1種類。オデッサへの攻撃。数時間ニュースを見なければその数時間の間に劇的な変化があってもおかしくない情勢である。

▽ロシア本土(クリミア含む)への攻撃に対しては核使用も辞さずというロシアの脅迫は空言であることがわかって今では当たり前に本土やクリミアへの攻撃が行われている。ロシアはなめられている。たかがくくられている。同じことが逆側でも起きた。ミサイルやドローンの撃墜片がルーマニアないしモルドヴァに落ちても結局たいした騒ぎにもならなかった。だからロシアは心穏やかにオデッサ州西部、ルーマニア国境ぎりぎりの、沿ドナウ諸港にドローンを飛ばせる。これは本来許してはならない事態であった。世界の昨日の無為が今日のウクライナの苦しみである。また世界の今日のそれが、ウクライナの明日の。

▽25日のオデッサ観光港の破壊は、それが8月中に起きていれば9月の渡航を取りやめたであろうような事案だった。そのことで妻と義父母からは大いにバッシングを受けただろうけれども。沿ドニエストルに不発弾が落ちたという話も、私らのダーチャのある村との位置関係から、大変暗鬱な報告であった。

▽子育てラクでない。だがもう一人くらいほしいもの。子育て戦記、更新しました。

▽珍替え歌を「珍替え歌集」の記事にためてくことにした。

9/20

(三鷹会と題する記事、またその取り組みについて)
やれやれ。際限ない自己開示だ。匿名だから気楽に気ままにブログやってきたのに。蟻の一穴だ。こんなはずじゃなかった。

俺の性格の悪さ。腐り。悪態。ウソとテキトー。これらはもう封印ですか。切れ味落ちますよ。

これは「ウラガワ」だから、ぶっちゃける。もう何が表で何が裏で何が側面なのかよく分からないけど。ぶっちゃけ其の一。私は話すより書く方が得意だ。そういうやや珍しい人間だ。松岡正剛ふうにいえば、リテラルなエディトリアル・エンジンの方がコロキアルなそれよりも性能がいい。要は、私の発表とやらは何丘ブログほどには面白くない。(ただし。そのかわり、図版は多い。何丘ブログは時代錯誤の文字ばっかブログだが実は私の写真フォルダにはウクライナ生活で撮った写真とかいっぱいある。それらを解放するのと、あと音楽など聞かせてみたりするので、その意味では何丘ブログよりも立体的な世界を展開できる)

ぶっちゃけ其の二。500円という料金設定を後悔している。だが市報にそう載せてしまっているのでこの二回についてはもうこれでいくしかない。うちと同様の勉強系の市民団体が同じ時期に西谷修を呼んでいて、その講演会の参加費が300円だった。うわぁと思った。俺、西谷修より高い値札を自分の喋りにつけてしまったのかよ。だがあとで改めて考えて、基本的には、これはこれで間違っていないと、今は思っている。だが分からない。とりえあず金儲けがしたくてこれをするのではないということだけ信じてほしい。

私の狙いはざっと3つだ。まず、私自身が賢くなりたい。私はもしかしたら知的潜在力でいったらほとんど同世代と言っていい小泉さんとか高橋さんと変わらない。だが現状彼我に雲泥の差があるのは、もしかしたら一つには、彼らが私のように物陰でひそこそしこしこやっているのではなく、ある機関に所属して、実名で論壇に出て、同僚とか批判者たちと常態的に切磋琢磨しているということにあるかもしれない。なら私も自己の活動を少しく開く。傷ついたり凹んだり、ムカついたりしてみる。

もう一つは、世話になってる三鷹市に、多少なりと恩義を返したい。これは私にできることで、私くらいにしかできないことで、また、定評があることだ。虚心に聞けばほとんど必ず益するところがある。ならそれをする。しない理由の方がない。

最後の一つは、アクションを起こす母体を手近なところに作ることだ。アクションの具体的なイメージはない。だが関わっていれば、この問題を(要はウクライナ戦争というテーマを)追いかけていれば、いつか必ず、あ・今この行動を起こすときなのではと、「自分にできること」を思いつく機縁がくる。私でいえばそれは昨年の冬であった。露がテロリストの本性をあからさまにウクライナの電力網を叩いて回り、ウクライナの人たちがブラックアウトの危機に瀕した。この今、いわゆる越冬支援を呼び掛けることこそ、何丘ブログ運営者の使命、というかまぁ一人の人間の義務だと思った。それで小さい声でやいのやいの言ったが、ほとんど何の力ももたなかった。このときの忸怩はもうすごかった(何人かの、何丘ブログ見て〇〇に募金しましたという声に救われました)(「何かやる」の記事参照。)
同じ轍は踏みたくない。次また「今こそこれをすべきだ」と霊感を得たときに、より強い力で初動できるように、徒党を組んでおきたい。それを見越して会を結ぶ。

9/18 三鷹会

きさまももう
見てならないものをずゐぶん見たのだから
眼を石で封じられてもいいころだ
(宮沢賢治)

再度告知。前にも言ったが、今週土曜、三鷹で勉強会?講演会?開きます。

『オデッサの街並みと暮らし、戦争が破壊したもの』
第1回 9月23日㈯16時~ 三鷹市生涯学習センター4F会議室3にて
第2回 9月30日㈯16時~ 三鷹市生涯学習センター4F会議室2にて
参加費:各回500円
申込先:naniokaivan☆gmail.com(☆を@にかえる)

内容は2割ほど重複。第1回は主として侵攻前~現在にかけてのオデッサについて、図版多めに。第2回は発表者自身の体験に重きを置き、侵攻前の心情とか、避難~帰国までの顛末、帰国後の避難民との交流とか支援のあり方、また避難者の保証人としての体験など。

講演会的なことはこれまで呼ばれて何度かやったが、自分のしたい話をしたいだけできて、かつ、呼びたい人を呼んで話してもらって、または参加者から忌憚のない意見とか批判とかいただいて、自分が勉強できる場を・・まぁホームとかベースとなる場所を、手近なところに作りたいと思った。

だから、単発の講演会というよりは、ある種の勉強会の発足だ。その立ち上げに参加してくれませんか。と呼びかけるには急すぎますね、すません。30日だけとかでも結構です。上記アドレスまで。


【更新報告】
「バイリンガル3歳児の子育て戦記」更新しました。「2週間の里帰りでバイリンガル均衡は是正されたか?」の項。太郎のロシア語にとっては極上のインパルスだったと思う。一方、3歳の1年間で作られた日本語の基盤の強固さも確認した。競争のフェーズは終わり、これからはともに支え合い、認め合い、高めていく。

9/16

無事帰国しました。

過酷ではある。単純に、遠いので。ダーチャから国境まで1時間、国境の検問で1時間、国境からキシニョフまで2時間、キシニョフの空港で2時間過ごして空路2時間イスタンブール、イスタンブールの空港で4時間待って、12時間飛行機乗って成田、成田から自宅まで2時間。これを3歳児とやる。もちろんエコノミークラスである。

イスタンブール→成田の飛行機は子供が寝てくれることを大いに期待したが思うように寝てくれず閉口した。私も妻もほぼ無睡ということになった。つうわけで「側面史」休み。明日、今日(8/16)の分を更新する。なお「絵日記」は終了、もう更新されない。

9/14

明日朝早いので走り書きになるが。まだここへいるうちに言葉を紡いでおく。ただいまウクライナ時間午後10時、日本時間で早朝4時。

慰安とか喜びとか幸福については、措く。それは個人的なものだから。それより読者の皆さんに報告したいのは、喜んでください、得たものは大きいですよということだ。私はいやしくもウクライナ(戦争)について語る者だが、アップデートされた。私はより力ある語り手になった。良かったですね、そんな私の書くものが読めて。あなたはラッキーですよ。

行くと行かぬでは大違いだ。二つ、最も大きな収穫を挙げる。一つは、「この期に及んで親露である人」の心理を、仮想的に構築し得た。人みなが真理探究者ではない。そして中央発信のニュースは、ウクライナ国内のウクライナ市民にとっても、日本でそれを読む人とほとんど変わらないくらい、遠い。そのため、情報の奔流の中から、自身の従前の世界観に沿う情報だけをすくいとり、その世界観を補強していくことは、可能である。それを気の合う人同士で交換しあうことすら可能である場合には、世界観の変容とか相転移は到底起こらない。

ここから一歩の距離に、対敵協力者(колаборант)や砲火誘導員(корректировщик)と呼ばれる人がいる。自分の住んでいる街に敵軍のミサイルを呼び込む心理など理解の外であったが、①ロシア軍は強力で、しかも正義ですらある②そのロシア軍にはかない抵抗をするために、将来ある若者たちを狩り集めて、いわゆる肉挽機(мясорубка)にかけるウクライナ現政権は、害悪である③その転覆を促進するために、必要とあれば、わが街へのミサイル攻撃も甘んじて受け入れる。こういう筋道であるならば、納得できる。共感は拒むが、理解はできる。

概して、徴兵・召集・赤紙こそ、市民にとって最も恐るべきものであるらしいことが、それについて語る人らの口ぶりによって、よく分かった。

もう一つの収穫は、(国家の)戦争と(市民の)平和というものの関係性を、再定義できたことだ。ここへ来る前よく言っていた、「全面戦争を行う国家の内部に平和な市民生活が存在しうる、それがこの戦争が私たちに教える新しい戦争の<像>だ」と。然り、ご覧の通り、村での二週間の滞在中、また二度にわたるオデッサ遠征で、身の危険など一度も感じなかった。だが、それは事柄の半面に過ぎない。

生活を、戦争に対置される十全の独立項とすることは、正しくない。ここでは「市民の平和な生活」は、神聖性・絶対性を奪われ、戦争、情況によって、厳しく相対化されている。「私たちは私たちの世界を生きている。情況なんて知りたくもない。情況は私たちに関係ない」という義母の言葉が印象的だ。強制的に関係してくる情況からの逃走という形でしか、生活はあり得ない。生活という語は「今まだ何が残っているか」ということの別名になってしまった。相対的に平和なオデッサでさえそう。だからこの病はほとんどウクライナの全ての人に及んでいると推す。

私はこのすべての責めを、侵略者ロシアに求めたい。改めてそれを、私のaxisとする。

9/12

長くならないでください、頼むから長くならないでくださいよ、長くならないで、眠っちゃいそうだから……(ジョージ・ハリスン)

更新の報告。「コンテンツ食う日々」更新した。映画のスーパーマリオの感想。読まなくてもよい。「バイリンガル3歳児の子育て戦記」更新した。本人発祥で昨日はじまった「違いを見つける」遊び。読んでください。

お知らせ。9月23日㈯に三鷹の生涯学習センターというところで16時から講演会みたいなことをする。オデッサについてしゃべる。参加希望のかた naniokaivan☆gmail.com(☆を@にかえる)←こちらまでご一報ください。

講演会みたいなことは不定期に行っていて、大体どんな話をするかは、かつて書いた「7月の活動報告」という記事にまとまっている。1年以上前の記事なので、今では話す内容も違っているが(状況および私自身の関心の移ろいにより)。

三鷹では定期的にこういう会を催したい。市民の皆さんにウクライナについて知ってもらう、またウクライナについて皆さんとともに考える場としたい。その初回がこれ。第2回も実はもう決まっていて、翌週30日㈯16時から。

第1・第2回は私が担当して、第3回からはゲスト講師を呼びたい。今のところ3人ほど当てがある。あとは紹介の紹介でリレーしていく。月イチ程度の開催になると思う。

私が連続して担当する第1回と第2回の内容的な異同については、初回はオデッサ(戦前および現在)にフォーカスし、第2回は自分(開戦前後の心情、避難の経験、避難民としての生活、避難民の保証人としての体験)にフォーカスする。ただ参加者は同じ人が2回続けて来るとは全然限らないので、多少内容は重複する。つまり、初回においても多少は自分の話もするし、第2回でも少しはオデッサの話もする。イメージ的に、初回がオデッサ8の自分2、2回目がオデッサ2の自分8、て感じ。私自身も勉強したいので、質疑応答の時間は多めに確保する。

心苦しいが参加費500円ちょうだいする。これは私腹を肥やすためというより、場所を借りるのに少しお金がかかるのと、資料を刷ったりするかもしれないのと、あと第3回以降のゲストの交通費を貯金したい。

定員30人の会議室を借りてる。なるべく三鷹市民の方に聞いてもらいたい気持ちはあるが、何丘枠で5人くらいなら問題ないと思う。急ですが、よろしければご参加を。

9/8 オデッサを半日歩いてみて

きのう7日、街(オデッサ)に行った。「ウクライナに来て平和ボケしました」冗談でなく本当に。行く前の約束は全部ほごになった。義父母は私たちをどこにも誘わないという約束だったが色々お出かけを誘ってくる。情勢の変化にアンテナを高く張ってくれる(そうして凶兆あれば即逃げる)という話だったが誰もアンテナ張ってない。街には絶対行かないぞという誓いもついに自ら破ってしまった。義父が半日出勤するというので車に乗せてもらった。

滞在中、空襲警報は鳴らなかった。不安は感じなかった。

人は明らかに少なくなっていた。これを人に言うと皆「そうかぁ?」というのだがその反応に再度驚く。9月の好日にデリバーソフスカヤがこの閑散はあり得ぬ。だがもうこれがふつうになっているのか。

見たところ男性(若い、健康な、軍隊向きの)もふつうに歩いている。

私のようなアジア人はかつてに輪をかけて珍しくなっているはずだが(実際一人も見なかった)、視線は感じなかった。本当はニィハオとでも声をかけてほしかった。それを糸口に知らん人と会話してみたかった。以前は犬が歩いて棒に当たるくらいの確率で声がかかった。一回だけそれ的なことがあった。おっちゃんから、おずおず、て感じに、中国人か、朝鮮人か?と問われ、日本人だと答えると、「日本はロシア側か、ウクライナ側か?(俺はもちろんウクライナ側だが)」これに私「日本は国としてはウクライナ側だ」と答えたら、握手を求められた。

平和な感じだった。歩きやすかった。以前はヤク中とかオラオラした人が散見されたが一掃されていた。

一面で、人たちは、閉鎖的になったかもしれない。オデッサ旧市街の建物は多くコの字型をしていて中庭という半プライヴェート半パブリックな空間があり中庭探訪が一種名物になっているのだが、お気に入りの(猫の多い)中庭のいくつかが施錠されて、非住民の出入りができなくなっていた。

シェフチェンコ公園のなつかしきほっとっじなや(ホットドッグ屋台)でホットドッグたべた。「ウクライナ風」「韓国風」「スペイン風」「ドイツ風」「プレーン」とある。もちろんウクライナ風を注文した。美味。にしても、すさまじいインフレーション。戦前はプレーンが60グリヴニャで他のが85だったが、今はプレーンが90で他のが130。

遊興施設はふつうに稼働している。ルナ・パークの大観覧車も回ってるし、水族館ではイルカのショーも。海にはたくさんの人。ふつうに水に入ってる。

水平線がきれいすぎる。いつも沖には船がいた。今は見えない遠くにガッデム露艦がいて主人面している。だから全く障害物のないただひたすらにまっすぐな水平線が見えていて、美しさにぞっとする。

義兄の職場に寄って久闊を叙した。16階かなんかなので街や港を一望できる。オフィスに卓球台があり(ITスタートアップにありがち)、寝起きだから運動したいというので、半時間ほど付き合った。

破壊のつめあと。

この3Fでよく食べた。義兄によればこれはロシアのミサイルがやったのではない、ウクライナ側の地対空ミサイルによる被害だ。それはカリブルが直撃すればこんなものですむはずがない、建物自体跡形もないだろうが……。私には何とも言えない。海から飛んでくるものを落とすのに、地対空ミサイルが街の方角へと発射されるなんてことがあるだろうか。

【言葉について】
戦争を機にウクライナ語を話す人が増えたという話でロシア語の街(だった)オデッサが今どうなっているのか大変気になっており、耳を皿にして街の声を聴いていたが、まぁ確認し得た30件が30件ロシア語だったので、ことオデッサに関しては、変化はごく微少と見ていいと思う。とりあえず私は確信した。オデッサは今もロシア語の街だ。→オデッサをオデーサと表記することには問題がある。
(ロシア語かウクライナ語かは5語で判別でき10語で確信できる。親子・夫婦・友人同士の会話また電話の会話に耳を傾けた。客商売の接客はウクライナ語を使うことに決まっているので除く。飽くまで私的な会話のみをサンプルにした)

【おみやげ】
がんらい物欲に乏しく収集癖もないが、このかんに「側面史」で取り上げたウクライナ郵便の戦中記念切手のいくつかに対して強い所有欲を感じていて、本局を訪ねた。迷ったすえ、結局切手は買わず、切手モチーフの「ウクラインスカヤ・ムリーヤ(ウクライナの夢)」の3Dマグネットだけ買った。お守りにする。

ウクライナの空から壊し殺すためのドローンだのミサイルだのヘリだの戦闘機だのがいなくなり、平和の民間機だけが飛びかう日を夢みて。

9/4 「側面史」と「絵日記」への注記

昨日・今日と未明の時間帯にオデッサ州への大規模ドローン攻撃が続いている。私らが今いるのはオデッサ州の某所である。「大丈夫なの?」という話。「ぜったい大丈夫だよ!」とは誰にも言えないわけだが、正直、脅威は感じていない。想定外のことが起きているという感じも全くない。

攻撃が行われているのは赤ピンのエリアで私らがいるのは青丸のあたり。赤ピンへの攻撃の意図は明白で、ドニエプル川を通じたウクライナ産穀物の輸出の妨害である。この傾向は以前からあった。

こういう攻撃が行われるとき、私らの村でも空襲警報が鳴る。直線距離で200km、東京と静岡くらい離れてるにも関わらずである。それは、警報鳴らすとき、州単位で鳴らすから。赤ピンの場所(オデッサ州イズマイル地区)も青丸の場所(オデッサ州オデッサ地区)もオデッサ州には違いないから。①ドローンだのミサイルだのの発射を検知する→②そのおおよその飛行経路を判定→③飛行経路にあたる州に順次警報を鳴らしていく。

深夜早朝なのでたいてい寝ているが、私はここへきて不眠傾向なので、空襲警報を聞いてしまうことがある。そんな大音量でもないので、窓しめてたら「あ、鳴ったかな」程度であろうが、窓ひとつあけて寝てるので、わりとはっきりわかる。

したらたとえば(何でもいいが)空軍とかのテレグラム見て、するとドローンなのかミサイルなのか、脅威のあらましが書いてある。

これを見て、あ・そ、ドローンね、と確認して、で気にするのをやめる。避難しないし、寝てる人を起こしもしない。ウクライナへ来て私は平和ボケした。日本にいた1か月前の方が危機感を持っていた。(日本の皆さん、皆さんは素晴らしい危機意識をお持ちです!これが皮肉でないというのだから驚きますよね!)


と挑発的なことをいう一方で、飽くまで肝に銘じておきたいことがある。この平和が何によってあがなわれているかということ。ニコラエフがやられていたら今ごろここはもうロシアであった(かもしれない)。ヘルソンと蛇島が解放されなければオデッサにはもっと色々飛んできていた。ニコラエフを守るために、またヘルソンや蛇島を解放するために、いったい何人の兵士が命を落としたのか。

ザルージヌィ総司令官の「『遅い反転攻勢』をめぐるおしゃべりに腹が立つ。我々は1mの前進を血で贖っているのだ」との言葉(6月)に触れてから、私は領土解放作戦の進捗について一切の不満や失望を抱くことを自らに禁じた。ただひたすらに信じ、願い、祈ろうと思った。ついに第一防衛線を突破したウクライナ軍に、また、「第二の防衛線は第一のものほど強固でないと見られるが、それでも勝利が近づけば近づくほど困難さは増す。突破の過程で最強・最良のものを我々は失うからだ」とのタルナフスキー南部作戦司令官(「側面史」9月2日付)の言葉に、ひたすらに頭が下がる。

事実をありのまま伝える、結構。ウクライナでも平和な生活が可能である(場所がある)、それは結構。だが、言葉には気を付けておけ。この果樹園や星空を破滅の運命から買い取るために、りんご樹一本ごと、星座ひとつ分ごとに、1ダースほどのウクライナ青年を冥土へ送った。のかもしれぬ、のではなく、恐らくは本当にそうなのだ。

9/3 何ブロ現状

いま何丘ブログどういうことになっているか。

「側面史」は引き続き毎日更新していく。更新のタイミングは①朝7時前後②昼2時前後(ともに日本時間)のどちらかになる可能性が高い。いま時差が6時間あることと関係している。そちらの昼12時がこちらの早朝6時。

「夏休みの絵日記」という記事を9月半ばまで更新する。私らは必ず生きて帰ると確信している。あなた、これをお読みのあなた、あなた9月20日の時点で生きていますか? 「人生なにが起こるかわらかない。とはいうものの、まぁ限りなく100パー、生きてるでしょうね」とあなた言うろう。ごく自然なことだ。同じ強度で、思っている。私らは生きて帰る。平和な日々の日記をただ綴って、「帰りました」と報告する。そのようにして私は、イメージ(また日本外務省の危険度認定)に反して、ウクライナという国がまるごと戦火のちまたでないこと(私の言いぐさでは、「国家による全面戦争の遂行と、その国家の内部における平和な市民生活は、両立可能である」)ことを、例証する。実はそのような認識を直接の例に触れて得ることは、今の日本の情報環境では、得難い。何丘ブログの読者の余得である。

このところをもう少しいう。戦争が始まってからいくたりも日本人がウクライナを訪れた。役人とか記者とかボランティアとか。彼らは何かが起こりがちなところにいく(それが仕事だから)。すると岸田文雄のように「私の滞在中にもキーウでは防空警報が鳴った(=今のウクライナに安全な日は一日とてない)」という話になりがちだ。危険度の濃淡の淡の部分は語られない。それを語る人がいない。私のようなことを体験して(わざわざ体験しに行くのでなく、相当の理由があってそこへ行って、結果的に体験する)、私のような報告をする人はまずいない。それに触れられる読者はラッキーだと申している。あなたは何ブロを読むことで、他の人より奥行のある認識をウクライナ(戦争)について持つことになる。

だが(まだ続く。話し出すと止まらない)そのことにはリスクもある。ウクライナ政府またメディアががんばってやろうとしていることは、ウクライナはまさに国家国民一丸となって露の侵略征服からの防衛・解放に励んでいるというイメージの拡散だ(その卑近な一例を「側面史」9月2日付ОЖ記事に見よ)。ウクライナで平和な生活は可能だなどと主張すれば、それを骨抜きにしてしまうことにならないか。あまつさえその主張は「露の特別軍事作戦の目的はウの軍事力の破壊であって市民の生命および生活の破壊にはない」との露プロパガンダに親和的だ。

とはいえ、事実は事実として認識すべきだ。私らがここで2週間を何らの危険も不安もなく過ごすというのは仮定に過ぎない。まぁどうなるか見てみよう。げんに無事に平穏に過ごして滞在を終えたなら、それをひとつの事実として受け取ろう。しかしそれを敷衍(一般化)する際には慎重であろう。

「ウラガワ日記Ⅱ」すなわち本記事も、不定期に更新していく。解説を2つ。記事の副題にある「疲れた。でも頑張るぞ。」との文言は、この記事を公開する瞬間に太郎が、そのとき彼はレゴかパズルか何か複雑なものを一人でがんばって作っていたのだが、がんばってるなーと思ってたら「疲れた」とついに音を上げて、しかし次の瞬間に「でもがんばるぞ」と自らを奮い立たせた。それに感動して、そのまま採用した。
もう1点。8月31日付のモスクは、これは有名なアヤ・ソフィアではないです。そんな一等地に泊まったわけではない。空港近郊の、寂れた町だった。そこに場違いと思われるくらい豪壮なモスクがあった。

て感じだ。

体調いまだ本調子でない、Shock-atar(i)の余波なのか何なのか微熱が続いているが、でもまぁ元気だす。あと謎に早朝起きてしまって、今朝もなんか3時。リズムむちゃくちゃ。あとのメムバーは皆元気。

8/31 トルコ

イスタンブールなう。
ただいま日本時間31日9時50分、トルコ時間で早朝何時なんだろう、宿ベランダからの景色

満月煌々と照ってていい感じ、すごくいい感じ

昨日はいちんち移動していた。まーしんどいことよな。中継地のイスタンブールで一泊して、翌早朝また飛行機乗ってキシニョフへ。そっから車でウクライナに入る。

トルコ初めてなんで感想を走り書き。まず面白かったのは、空港←→ホテル間は送迎ありという話だったが、私らを出迎えたのはホテルの送迎係……ではなく、ホテルが雇った運び屋であり、しかも、私らを空港で直接出迎えたのはその運び屋自身ですらなく、運び屋たちと旅客をつなぐことを生業にしている繋ぎ屋であった。繋ぎ屋→運び屋→ホテル。費用はホテル持ち。こちら現金は一切持っていないので若干不安になった(乗る前に運賃はホテル持ちですよね?と念押しはした)

空港から宿まで100キロ超走行で15分。車窓は、日本のどこよりもオデッサに近しく、でもやっぱ色々ちがう。まず植生についてはより貧弱。のち宿周辺散歩でつぶさに見たが、オデッサにあるカシタン(マロニエ)もプラタナスも、葉の色がくすんで、樹容も痩せてて元気ない。景色は全体としてくすんで、すさんだ感じ。ランドシャフトは、オデッサらへんよりも起伏が大きく、ダイナミック。ほんで特筆すべきは、至る所にモスク。そこかしこ尖塔(ミナレットという?)がそびえている。

で私らの逗留している宿も、ベランダからすぐこんな立派なモスクが見えているというわけ。アザーン感動した。

宿にチェックインしたのが現地時間の夕7時とかで、夕光うつくしく、散歩しないのは沽券にかかわる、だが起床から22時間ほど経っており(飛行機でもなんか眠れず)しんどかったので、ただモスクワの周り一周して(高校生らが壁にばんばんボール蹴り当てて遊んでいて扱いずさんやなと思った)、スーパーとかパン屋をひやかして帰った。

宿はテラスが広くモスクヴューで絶景なのでビールくらい買って帰りたかったがスーパーと小商店覗いたがビール一本もなし、そういうもんか。道はゴミがいっぱい落ちてて野犬もいっぱいいて、道も車も歩行者に優しくなく、全体として「オデッサやな」と思った。

あ、インスタトコヒーうまし。そろ行くか。もう子も人も起きてる。妻と子と、義父と義母の喜びが爆発する。祝いの日だ。こんないい日はあの2月から一度もなかった、そういう日だ。私はそれに立ち会う。サポートする。汚さない。

8/28

つうわけで、はい。一滴舛。

金曜子供に明かした。渡海すよ、と。狂喜した。

準備は楽しかった。こうなったらもう徹底的に慰問する、みうらじゅんのいう親孝行プレイだ、というアタマになって、むしろ率先して義父母や義兄らへの土産を買った。何かと不安の多かったろう日々、「私が来ましたぞ!宝船に乗ってきましたぞ!」と立ち現れてやろう。それで、旅行には何かワンアイテム新しい着物を持っていくと上がる、トレファクでTシャツ3枚と靴まで買って、

このかんとくに憂慮すべき事案はなかった。I mean、ことオデッサ(とその周辺)にとって。

不安はない。死ぬとはまさか思っていない。正直に、率直に。無事帰ってくるものと思っている。こんなひと夏ぢゅう咲いてるもんだったかといぶかしい赤いさるすべりも散ったころ。蝉も鳴き果てたころ。帰る。

楽しみにしている。義母のボルシチを、ピロシキを。義父のワインを。義父は私に会えて嬉しいに決まっている。義父がこの間に太郎のために製した12体の恐竜フィギュアを楽しみにしている。夏のダーチャ。猫たち。ハリネズミ。シャシリク。
畑仕事。ブドウを収穫しワインを仕込む時期だ。りんごの収穫もまだまだある。あとなんだ、かりんとか。秋ラズベリーも実っている由。

呪われた好奇心がオデッサなど見に出かけようとせぬよう。頼むぞ俺よ。

子供が12時間のフライトを楽しめるように色々と算段を立てている。まぁ過酷ではある。滞在中何かよからぬ音を聞いたとき言いくるめられるよう日本で花火は多めに見せておいた。

8/27 何丘ブログの構成

何丘ブログのメインの記事は「ウクライナ戦争側面史」である。その第一のもの(通算で第五のもの)は8月2日付を最後に更新が止まり、第二のもの(通算で第六)が8月24日付でスタートした。これを毎日更新していく。

メインの記事をお休みしている間に、幾つかの記事を書いた。自ら解題する。

まず、なに丘、子育て十戒という記事を書いた。子育てについて自分の考えをまとめた。私的な子育て記録は別につけているのだが、他人が読むという前提で書くとまた違った言葉が出てくる。だのでこういう表出は自分にとって有益であるし、もしかしたら他のパパ様ママ様たちにも益するところがあるかもしれない。一点、留意してほしいのは、こういうものを書く人は、自分をよく見せようとする誘惑から自由でないということだ。いいことばかり書いてるなぁと思う。私は理想的な父ではないし、子供も理想(理想?)的な子供では多分ない。

次に、「君たちはどう生きるか」感想(ネタバレ)という記事を書いた。他人またはその作物のことをあしざまにいうのは口寒いことだ。偉ぶって、何様だろう。読まなくてよい。読んでいやな気持した方すみません。だが書いたものは原則消さないの方針に従い、消さない。

ほんでバイリンガル3歳児の子育て戦記という記事を立てた。この記事は、更新していきます。同じくらいの子供を育てている親御さんとゆるく連帯して励まし合いたい気持ちがある。ここでも、自分をよく見せようという自然な誘惑との戦い。最新の更新は昨日、8月27日、子供のパニックについて。

次にコンテンツ食う日々という記事を立てた。この記事も更新していく。現代人は苛烈なコンテンツ消費に駆り立てられている。私もまた。古本屋巡りして文芸書ばっか読んでた学生時代からは想像もできない。そんな時代への自分なりの対応。書いてる通りだ、何か見たものについて語ることのレッスン、また、見て何をか学ぶための、踏み固め。

「ボーダレス・ドールズ」展の記述に出てくる「サザエさん」のオープニングテーマの替え歌について、対照表を示しておく。

アジアの半分を財布を忘れて
おまえにくれてやる愉快なサザエさん
みんなが暴れてみんなが笑ってる
陋居を彷徨うときお日様も笑ってはる
声にならない(声を出さない)るぅるる、るる、る
皺っ皺の皺ン坊皺っ皺の皺ン坊

よくこういう替え歌をする。この世に存在する全てのメロディは自分が替え歌するための材料だ(既存のあらゆる歌詞は私が替え歌するまでの暫定だ)くらいに思っている。とかいって大抵は即興で歌うそばから忘れていくのだが、まれに「これは!」と思ったのをメモる。

このようにしていつも話がそれていく。

まとめると、このかん書いた記事のうち、「子育て十戒」と「君たちはどう生きるか」は一回こっきりの記事で、もう更新されない。
「子育て戦記」と「コンテンツ食う日々」は不定期に更新していく。

で、何丘ブログの現時点のメインである、「側面史」は、原則毎日更新していく。

そんで、当記事、「ウラガワ日記」については、身辺雑記のほか、何丘ブログ内の他の記事に対して一段メタの立場に立って、今回のように解題を行ったり、書き洩らしたことを補足的に書いたりする。「子育て日記」や「コンテンツ食う日々」が更新されたら、その都度、この「ウラガワ日記」で告知する。よって、読者さまは、「側面史」と「ウラガワ日記」(当記事)だけ覗いていただければ、何丘ブログの更新状況がわかる

■他、今後のこと
・書きかけだった北海道旅行記を完結させたい。
・側面史の綱領を示したい。読む人の手引きとなるような。何を見てどうやってまとめているのか、筆者にどういうバイアス(偏向)があるか、なんで固有名詞のロシア語表記にこだわっているのか、また用語集(「頓風珍」等)。「仮」と題されてる記事がそれになるはずで、だいぶ書き進めてはいたのだが、頓挫した。
・間もなく渡海する。行くとも居るとも(帰ったとも)言わない、と言っていたが、やはり滞在中は、日記を綴っていこうと思う。「夏休みの日記」と題することを構想している。「戦争の実相」を知る良い機会と思う。全面戦争を行う国家の内部に平和な市民生活があり得るということ。この8月に改めて語り直されたような、私たちの祖父・曽祖父たちが生きた戦争(教科書の中の戦争)とは著しく異なる、戦争の像。その触知を得てほしい。(このとき私が、無事生還を前提にして、このように言ったということもまた、貴重な(哀しき愚人の)記録となるかもしれない……)

8/26 電車の優先席

読む人もあるブログなので社会をよりよく(私がそう思う方向へ)するための提言みたいなことも行っていきたい。んっと、優先席には座るな、みたいな話なんだけども。

昨日電車に乗ってて、たまたま優先席前に立ってたんだけども、ふと見ると隣の女性が妊婦さんのほれ、マタニティマークというの、つけていて、これね

で、おなかも明らか膨らんでいた。どう見ても妊婦さんだった。だけど目の前の優先席3席を若い~中年のサラリーマンが占めていて、たぶんこの人たちは健常者で、いやそう見えて疾患もちかも分からんが3人が3人とはさすがに考えにくく、代わってくれないものかなぁ、「すいませんがこの方に譲ってやってくれませんか」と私がやったら有難迷惑だろうか、勤め人もお疲れだろうし(帰宅時間だった)この女性は次あたり降りるのかも知らんし明らかに辛そうな表情でも見せたら即打って出るがあまりじろじろ顔色伺うのもなぁ……。悶々としながら4駅乗って自ら(またその人も)降りた。

優先席では3人が3人とも耳からうどん切れ垂らしスマホに熱中していた。結局何も行動しなかった私も大概だが、あえて言う。提言一。男らよ、もう少し周囲の状況に気づけ。優先席に座った以上はスマホばかり見てないで定期的に目を挙げろ、周囲の状況を確認しろ。スマホに夢中で気づけませんでしたとか、通用しないから。目をつぶったら怖いものは消える、自己と世界の連絡は自己意志ひとつで一方的に切断できるというのは、赤ちゃんだから。お前は赤ちゃんじゃないし、お前の意志いかんによらず世界はお前に関係してくるし、あとそこ自宅じゃないから。公共の空間だから。優先席だから。

何丘ブログの読者は高徳の士ばかりなので上のことは言わずもがなだったかもしれない。ほなら提言二。高徳の士または淑女であるあなたは、空いてる電車では、むしろ進んで優先席に座ってください。譲らない人に座られるよりは、あなたのような人に座られた方がよい。あとでそれを必要とする人にきちんと譲られるように。

この問題に関しては以前に新聞で記事を見た。駐日グルジア大使が電車の優先席に座ってる姿を自撮りしてツイッターに投稿したところ「優先席座んな」とかいう非難が多く寄せられ、ちょっとした論争になったとか。それについて公共哲学の小林正弥氏が「必要なときには自分は席を立つことができるという自信に基づいた行動だとすれば、一段高いモラルに立っていると言える」とコメントしていて(※うろ覚え)、完全に腑に落ちた。私はちなみに空いてる電車で自分が優先席座ることには何の問題も見ない。

そうそう、ついでに提言三。駅のホームのエレベーターは元気な人は使わないでください。いい若いもんが使っていてその分車いすだとかベビーカーの人が待たされるのは意味が分からん。だが乗るやつは平気で乗る。あれは階段やエスカレーターと横並びの上下移動手段と思わないでほしい。全然種類が違うものと心得てほしい。選択肢の一つではない。外に選択肢がない人のためだけの乗り物。

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